「老夫婦の生活」
―老いては妻に従え―
先日、パーティーでの立ち話。
「笹川さん!! 私は長い企業戦士生活から開放され、退職後の生活を楽しみにしていたが、その夢ははかなく3〜4日で終わりましたよ」と嘆く。
「どうされたのですか?」
「妻は大会社の社長まで務めた私に、ゴミ出しを手伝えと言って強制するんです。本当に参りました。」
「夫のゴミ出しは当然の仕事でしょう。私はもう3年以上、毎週土曜日には朝5時に近所のゴミ箱を組み立て、新聞紙、ダンボール、缶、ビンを捨てに行きますよ。」
「ヘェー、笹川さんがやるんですか?」
「おかしいですか?」
「いやいや・・・驚きです。」
「私はまだ現役ですが、老いては妻に従えと達観しております。」
「禅でもなさっているんですか?」
「いいえ、家庭内の実権はとうの昔、妻に移行しています。長い妻の苦労を思う時、「ヤルタ会談」をすることもなく、自主的に返上しました。しかし、かわいそうに、妻の家庭内権力は、現在、10人の孫の支配下にあります。もう妻に対する無駄な抵抗は無意味ですよ。」
「そうは言っても、妻はもっと私を尊敬して大切にしてもいいんじゃないでしょうか。『加齢臭があるから側に寄らないで』とか、『お風呂は毎日入って下さい』とか、食事時には『よくこぼすわね。エプロンでもしたら?』とか、言いたい放題ですよ。」
「でも心の底では尊敬されていると思いますよ。しかし一般論として、退職後の夫の存在は、濡れ落ち葉とか粗大ゴミとかいわれているではありませんか。」
「話には聞いていたが、私がなるとはねぇ。」
「それをけしからんと思う貴男は、妻との口論が絶えないでしょう?」
「そうなんですよ!! 事あるごとに口論ですわ。40歳の息子と35歳になる娘も独身で、孫もいないんですよ。何か円満の秘訣はないものでしょうか?」
「ありますとも。老いては妻に従えですよ。」
「笹川さん!! 貴男はそうしているんですか?」
「いや、あくまでも一般論ですよ。結婚するまでは貴男なしでは生きていけないわ。心から愛していますと言ったあどけない純情な娘も、漫談家・綾小路きみまろの台詞ではありませんが、『あれから40年。女房は替わりました』ですよ。子育てに夢中の時期を終え、子どもたちが成人して家を出た後、残る亭主はオス化した妻の子どもになるんです。」
「どういうことですか?」
「何十年も働いた企業戦士は、子育ての大変な時期に、夕食もほとんど外食で家にいなかったのに、ある日突然一日中家にいるようになる。そのため、妻にとっては夫のやることなすこと全て目障りな存在。夕食後、少しでも妻の機嫌をとろうと話し込むと、つまらなそうに『その話4回目よ』と水をさす。妻は同じように何回同じ話しをしても『この話は初めてよ』と強弁する。ここで口論すると夫の敗北です。極端な場合、『貴男!! 私疲れたの。別れてくれない!!』となったら、男にとっては孤独死を意味しますよ。」
「恐いですね。」
ある知人の老夫婦は、夫を小間使いのごとくこき使い、家にゴロゴロしていると、目障りだし体に良くないと、「八百屋に行ってジャガイモとキャベツを買い、ついでに薬局で正露丸を買って来て。終わったら犬の散歩を頼むわ!! 今日は友達と夕食会なの。夕食は冷蔵庫にあるからチンして食べてね。」
この生活がほぼ毎日続くそうで、「妻は家内(かない)だと思っていたら家外になり、私が毎日家内(かない)になりました」と嘆いていました。
ここで川柳を一句。
「耐えてきた そういうお前に 耐えてきた」
後期高齢者、いや、末期高齢者の生きる道は、妻に耐えること以外なし。
オス化した獰猛(どうもう)な妻でも、先立たれるよりその存在に感謝すべきであろう。
―南無阿弥陀仏―