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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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3月31日(木) [2016年03月31日(Thu)]
3月31日(木)

7:35 財団着

8:00 語り場

9:30 佐藤可士和 クリエイティブディレクター

10:40 小関悦男 笹川平和財団調査役

10:50 宮本賢冶 日本モーターボート競走会専務理事

11:30 「子供ホスピス」記者会見打合せ

14:00 「遺贈寄付サポートセンター」設立記者会見

16.03.31 遺贈会見.jpg
遺贈会見


14:55 辞令交付

15:30 ガブリエル・ジョイ・ケイ・ドゥサバ パプアニューギニア大使

16:50 関山 健 笹川日中友好基金事業室室長

17:00 「福島会議」打合せ
 
19:00 安倍昭恵 総理夫人               
3月30日(水) [2016年03月30日(Wed)]
3月30日(水)

10:30 財団着

13:00 山田恵一郎 笹川平和財団総務部長

14:00 松木宜充 笹川平和財参与

15:00 中村芳夫 内閣参与(バチカン大使赴任挨拶)

15:30 インターン研修打合せ

16:00 日系スカラーシップ報告会 挨拶

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日系スカラーシップ報告会で挨拶


16:30 森 喜朗 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長
  
「キリバスのマツコ・デラックス」 [2016年03月30日(Wed)]
「キリバスのマツコ・デラックス」


前回の続きでキリバスのことを書く。

キリバスでは、生まれた子供が男ばかりの場合は、末子を女の子として育てる風習があるそうだ。

私のキリバス滞在中、親切にお世話してくれたのはラビータさんであった。真っ赤なルージュを引ききれいに化粧した姿に女性だとばかり思っていたが、実は男であった。

1.jpg
ラビータさんと


写真のように、人気タレントのマツコ・デラックスさんに似ている。キリバスのマツコさんはゲイであることを隠さない。フェイスブックでもはっきりと表明されており、誰でも私のことを正しく知って私の立場を理解してほしいと訴えている。

日本のマツコ・デラックスさんとは数回食事を共にしたことがあるが、実によく勉強されており、さまざまな社会課題についてもしっかりした意見を持っている。何でも知ったかぶりをするコメンテーターとは一味違う、好感の持てる人である。超多忙の中でも、休日には一人、部屋で勉強に余念がないと話していた。

話題を盛り上げるために日本財団のイケメン二人を同席させたところ、「太股(ふともも)に始終手を置かれ、緊張して何を食べたかも記憶にありません」とは、後日の二人の述懐であった。次回は私が彼女?の隣に座ろうと思うが、マツコさんは私の太股に手を置くだろうか?
77歳ではねぇ・・・。

ハンセン病対策について協力を要請したところ、「私は全身全霊で協力したいの。だから今のように多忙で、片手間で協力するのは私の気持ちが許さないの。分かってくれる?」。どんな人気者でも潮時があることを彼女?は理解していた。ただ、彼女が10年後か15年後、ハンセン病活動に協力してくれる頃には、私の足は衰えていることだろう。彼女の立派な背中にしがみついて世界の僻地を旅する日を今から夢見ている。

最近、LGBTが報道でもよく取り上げられるようになった。女性同性愛者( Lesbian レスビアン)、男性同性愛者(Gay ゲイ)、両性愛者(Bisexual バイセクシュアル)、性同一性障害を含む性別越境者などの人々を意味する頭文字である。渋谷区では同姓カップルを「結婚に相当する関係」と認める「パートナーシップ証明者」を発行するようになった。世田谷区では「パートナーシップ宣誓受領書」の交付が開始された。いずれ各地方自治体にもLGBTの理解は拡がっていくことだろう。

ところで、モーターボート競走は、原則、男女混合の世界で唯一のプロスポーツである。かつて、性同一性障害に悩む女子選手の対応についての記録があるので、以下掲載する。2002年、今から14年も前のことである。

「性同一性障害者に悩む女性選手の安藤千夏を、今後男性として登録してレースに出場させることを発表した。同連合会は、当初は性同一性障害者による性別変更を認めていないとして却下する方針を固めていたが、同選手の人権を重く見た笹川が、本人の希望を受け入れ登録変更を断した。スポーツ界で性別の変更が認められるのはきわめて珍しいことであった。」

2002年3月29日付け読売新聞ではこの時の対応について、日本精神神経学会の「性同一性障害」特別委員会の中島豊爾(とよじ)・岡山県立岡山病院院長が「競技スポーツの世界でこうしたケースは聞いたことがない。性別の戸籍変更が認められないなど、性同一性障害の社会的理解や認知が進まない現状で、この決断は大変すばらしい」とコメントした内容が掲載されている。

今でも当時としては画期的決断であったと思うが、その後、2009年1月21のブログで「同性愛!! 二大超大国 アメリカと中国」なるブログを掲載したところ、文章の未熟さから多くの批判を浴びることになり、お詫びのブログを掲載したこともある。

最近行われたミャンマーの総選挙では、宝石商で成功したレスビアンの女性がNLDから当選した。ミャンマーの人はこのことをよく知っているが、別に驚くこともないそうだ。日本駐在の外国大使にも、パートナーが同性の方もいる。

私はブログとその批判も含め、一切消去しない主義なので、今も掲載したままである。ブログの書き手の中には、都合の悪いことは消去する人もいるらしい。最近、原発廃止論者なのに、大臣に就任したらこのブログを停止した方もいる。人それぞれである。

昨年、日本財団が派遣した女子聴覚障害者のアメリカの大学での研究テーマはLGBTであった。

隔世の感である。
3月29日(火) [2016年03月29日(Tue)]
3月29日(火)

7:15 財団着

7:20 尾形武寿 日本財団理事長

8:00 語り場

9:00 ダニロ・トゥルク スロヴェニア共和国前大統領

10:00 理事会

12:00 作家 高山文彦様

14:00 イラン出張打合せ

15:00 堀 憲郎 日本歯科医師会会長

15:30 「遺贈寄付サポートセンター設立記者会見」打合せ

15:45 グレイトブリテン・ササカワ財団審査会 挨拶

16:00 佐野慎輔 産経新聞特別記者

16:15 手嶋龍一 国際ジャーナリスト

18:30  第71回ミャンマー国軍記念日レセプション
3月28日(月) [2016年03月28日(Mon)]
3月28日(月)

7:25 財団着

8:00 佐藤可士和 クリエイティブディレクター

9:00 「電子稟議」採用打合せ

9:30 森重俊也 国土交通審議官

10:00 世界日報社 木下義昭会長

10:30 原野城冶 ニッポンドットコム代表

11:00 「社会変革推進」事業打合せ

13:00 中村 唯 笹川平和財団・笹川汎アジア基金事業室主任研究員

15:00 「夢の奨学金」授与式

16.03.28 夢の奨学金授与式.JPG
夢に向かって決意も新たに!


16:00 笠原清志 立教大学教授

17:00 ワシントンDC出張打合せ
「キリバス共和国訪問」―南太平洋の国― [2016年03月28日(Mon)]
「キリバス共和国訪問」
―南太平洋の国―


昨年10月19日、アノテ・トン大統領の招きでキリバス共和国を訪問した。

この南太平洋の島国は、海抜2メートル、最も高いところでも2.3メートルの小国である。トン大統領は「地球温暖化により、わが国はいずれ海面下となり、祖国を捨てて他国へ移住することを真剣に考えざるを得ない」と、国際社会に声を大にして訴えておられる。

北タラワにあるアバ・オコロ島(Aba Okoro Island).jpg
この美しい景色はいつまで?


日本で行われる島サミットや仙台の防災会議にも出席され、旧知の間柄でもある。近々退任されるので、その前に是非訪問してほしいとのことで、10月15日、ミャンマーで行われた政府と少数民族武装勢力(8グループ)との停戦協定締結式に日本政府代表として証人署名の後、ヤンゴン経由シンガポール空港で7時間待機、オーストラリアのブリスベン空港で4時間待機してやっとフィジーに到着。一泊して翌朝4時間の飛行でようやくキリバスに到着した。

目的は気候温暖化の影響の確認と、私の終生の仕事であるハンセン病の実態調査であった。この件はいずれ報告する機会もあるので省略する。

キリバスの首都タワラ島は世界最大のサンゴ礁からなる三日月型の美しい島で、最も狭い場所の幅は100メートルもなく、両側を海に挟まれ、高波が来れば島は分断されることになる。東西3000キロメートルにわたる島嶼国で、遠いクリスマス島から首都のあるタワラ島までは、船の移動だと島伝いで6カ月から10カ月はかかるという。

島ではトラックで移動.jpg
島での移動はトラックで


緊急の会議などがある時は、クリスマス島から一旦外国であるフィジーに出て、そこからタワラ島に入ると、保健省の幹部は苦笑いをする。何事ものんびりとしたもので、時間はゆったりと流れる。食事時間も決まっているのに、着席してから準備が始まることもあった。

第二次世界大戦中、4000名の日本兵がこの島で玉砕した。日本軍司令部の建物は厚さ40センチはある鉄筋コンクリート製の堅硬な作りで、最近話題の手抜き工事とは比較にならない。海岸には三門の砲台があり、最大着弾点は6キロメートルにも及び、一門は日露戦争時の砲であるとキリバス在住の阿部さんが説明してくれた。1000メートル近くあるさんご礁の浅瀬に運搬船は入れず、日本兵が人力で運びあげたとのことである。

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太平洋戦争中の激戦地に残る日本軍の旧式砲

太平洋戦争中の日本軍の司令部跡.jpg
太平洋戦争中の日本軍の司令部跡


玉砕した4000名の日本兵に心を馳せ、今もしっかりと遠くの海を睨む砲台を見た時は、涙を禁じ得なかった。

太平洋戦争で戦士した日本人の慰霊碑を訪問.jpg
戦死した日本人の慰霊碑に手を合わせ

キリバスは、かつてはギルバート島と呼ばれ、その頃の日米の戦闘記録の英文の本がたった4部屋しかない小さなホテルの土産物売り場の棚にあったので、購入して知人を通して防衛研究所図書館に寄贈した。東南アジア、太平洋島嶼国、ミャンマー、モンゴル、ウズベキスタン等々に戦争の傷跡があり、モンゴルやウズベキスタンのように、日本兵捕虜が過酷な強制労働で建設させられた立派な建物は、今も現存して活用されている。

私のハンセン病との闘いの旅は、戦争の傷跡に心を痛める旅でもある。
3月24日(木)・3月25日(金) [2016年03月25日(Fri)]
3月24日〜25日 聖路加国際病院にて人間ドック

3月25日(金)

15:40 財団着
    書類整理、打合せ
「全国モーターボート競走施行者協議会総会」 [2016年03月25日(Fri)]
「全国モーターボート競走施行者協議会総会」


モーターボート競走は長い低迷期を脱し、関係者の努力で売り上げ8500億円の危機的状況から、悲願の一兆円の売り上げを達成した。
更なる売り上げ増への期待の挨拶は下記の通り。

******************


2016年2月23日開催


ただいまご覧いただきましたハンセン病との闘いの映像は、モーターボート業界からの拠出金で世界と闘ってきた歴史でございます。

私は40年近く、笹川良一の時代から数えると50年あまりをかけて、世界で1800万人の患者を病気から解放しました。その中でも特に1995年から2000年の間、世界中に治療薬をボートの資金で全て無償提供したことで、500万人以上が病気から解放されました。

今WHOでは、人口1万人に1人未満になることを、感染症としての病を公衆衛生上の問題として制圧をしたということにしております。私は1年の3分の1から4分の1は世界中の、インドやアフリカの奥地、ブラジルのジャングルなどに入って活動しています。お陰様で、最後に残ったブラジルがどうも制圧されたようなので、私のWHOハンセン病制圧大使としての務めは一区切りついたのかなと思っております。

これは世界の天然痘撲滅のために闘ったのと同じように、笹川良一が取り組んだ誇るべき世界的な評価を受けている活動だと思っております。また、病気になってもなかなか社会に復帰できないという問題の解決には、国連の総会で私どもがお願いして、194カ国全てが賛成してくださり、差別撤廃の決議案が満場一致で採択されました。最近では、ローマ法王庁より日本財団と共同して、バチカンで世界の宗教者やハンセン病回復者を集めて国際会議をしたいという申し入れを受けました。本年6月10日、11日にバチカンで日本財団とローマ法王庁との共催の国際会議を開催いたします。このような大変国際的に意義ある、また評価を受ける仕事ができますのも、このモーターボート競走からの交付金によって成り立っているわけで、その一部を皆さん方にご紹介したいということで、ご覧いただいた訳です。

モーターボート競走の現状については、波多野会長からお話がございましたとおりです。皆様方のご努力によって、8400億円を割るところで、3つ4つの競走場が閉鎖をしたいという申し入れを直接私も受けたことがございます。そこから皆様方のご努力によって、今や1兆円の大台回復まで来たわけで、原因の無い結果は無いわけで、皆様方の努力は高く評価されるべきです。

組織的にも大きく変化しました。BOAT RACE振興会を中心に、また小池会長の率いる競走会も19競走会から一つになり、上瀧会長を中心とした選手会も活性化され、施行者協議会も波多野会長並びに歴代の会長のご尽力により、業界が一体となって活動し、スピーディーな意思決定が出来るようになりました。ともすれば今までは24の競走場がそれぞれの地域での活動が中心になっていて、全国レベルでの意思決定が遅れがちでした。今やこれが大きく変化しているのは、皆さん実感としてお分かりいただけると思います。

今まではそれぞれの競走場が単独で生きていくということが可能でしたが、今や本場では売上げ全体の15パーセントということですので、24の競走場がそれぞれ協力し助け合っていかないと共倒れなってしまいます。1場のわがままで物事が動く時代は終わってしまったということです。これからは横の連携が大変重要で、振興会、競走会、選手会等と皆様方との連携の重要性は、今後益々強くなっていきます。

電話投票の売上は既に5000億円を超えるのではないかと関係者は見ています。しかし、これだけに頼られては各24競走場の存在意義がなくなってしまうわけで、是非とも競走場も独自の努力をされ、皆様方の30キロ圏における販促を強化し、お客様に場内にお越しいただく努力をしていただいて、15パーセントに満足することなくどのように売上を向上させるかということを、今一度真剣に考えてもらいたいのです。

昔は、我々皆でビラを作りましてね、開催日程のビラを撒いたり、場所によっては花火を打ち上げたり、宣伝カーを繰り出してお客様を集めたという時代もありました。決してそのようなことが今の時代に通じるわけではありませんが、新しい時代にマッチした、いわゆるマーケティングをきちっとやって、ファンを自場に呼ぶ努力が新たに皆様方に課せられた使命ではなかろうかと思っております。

施行者協議会におかれましては、公営企業会計の全面適用を力強く宣言していただき、また実行のための努力をしていただきました。全国の公営企業(バスや水道など)で黒字というのはごくまれです。これは、地方自治体の運営と公営企業とは本質的に仕事のやり方が違うわけで、当然といえば当然なわけです。しかしながら、ここにきて公営企業会計を導入することによって、競走場はある程度の責任を負ってきちっと仕事ができる体制が整いました。そして上がった収益金は、これは首長さんの指示で議会を通じて有効に市民のために使って頂くというように、相互の仕事のやり方の違いというのを認識して運営ができるようになったことは大変大きな組織上の改革であり、マインドを変える大きな役割を果たしてきたのではないでしょうか。

社会は急速に激しく変化する時代になりました。公営企業会計の導入により、異分野のいわゆる銀行マンや証券マン等の様々な社会経験をもった人の採用も大変重要な要素で、競走場の運営に様々な経験を持った人の力を借りて総力を発揮することで、ボートの売上はまだまだ可能性があると思っております。

今、公営競技の中でボートレースが元気が良いというのは、社会の変化に対応する能力を持っていたということが最も重要なことであったと思っております。強いものが生き残るのではありません。シャープのような、早川さんのような天才経営者がやった会社でも潰れる。賢い人達がいる企業が生き残るわけでもありません。どういう組織が良いのかというと、社会の変化に対応できる組織、団体だけが生き残り発展していくのです。

こういうことで、ボート業界は変化、変化、また変化で、過去の権威にはとらわれません。創設者の笹川良一の名前のついた「笹川賞」も捨てました。「内閣総理大臣杯」も捨てました。通常ならばそういう権威にしがみついて伝統を大事にし、勿論モーターボート競走は不正防止ですとか選手の管理を厳しくするというルールや伝統はございますけれども、売上を伸ばすためには過去のものを思いきって捨てました。BOAT RACE振興会の小高会長の努力でコマーシャルも全国的に非常に好評を受けています。なんだか知らないけれど、ボート業界はすごい勢いだということが一般市民にも知れ渡り、今や公営競技の中でモーターボートのお客さんが最も若いと言われているわけです。20代、30代の方も電話投票・インターネット投票を通じて舟券を買っていただくようになりました。

この勢いを止めないように、私たちはさらに変化を続けていかなければなりません。そのために一つ、皆様にお願いがあります。この不況下で皆様方には大変努力して従事員の数を激減させていただきました。労働組合との闘いの中では、私を国会に喚問するという案も出ましたが、私が喜んで参考人として出席すると申しましたところ、相手がへたり込んでしまって、それをしないで済んだということもございました。人件費の削減は皆様の日々の努力の成果であると思っています。もう一つ皆様方にお願いしたいことは、かつて、年末に行われる賞金王決定戦競走が400億円を売上げ、4万5千人が来場した時代はもう来ません。しかし、競走場の中には古くて使われない施設がまだまだあります。サービス業なのに、せっかく遊びに行ったのにシャッターが下りて寂れた場所があるというでは、気分が盛り上がりません。若い人が電話投票・インターネット投票に加入して楽しんでいたので、いざレース場にいってみたらがっかりしてしまったという話が、私の耳にも多く入ってきます。どうか今一度施設を見直し、ダウンサイジング、小じんまりした綺麗なレース場にしていただきたい。

皆様方の所でもダウンサイジングをしていただいて、シャッターが下りている所は早く潰してもらって更地にするか植木を植えていただくなどしてください。LEDを使えば電気代も8割安くなります。ウォシュレットも水道料金が3分の1以下になるというのもあるわけですから、新しい投資によって、メンテナンスや経費の削減によって、まだまだ収益率も改善できるわけです。

モーターボート競走法の一丁目一番地は、地方財政のために市長が十二分に資金を使いこなせるということです。魅力ある街づくりのなかで、24場しか許可されていない競走場が皆様方の地域に存在することが誇りに思えるような、そういう施設に是非していただきたいと思っています。特にレース場の30キロ圏内の売上の増強、そして施設のダウンジングということを是非、早急に実施してください。

繰り返し申し上げますが、1場で生きていく時代は既に終わりました。24場の皆さんが相互に助け合って全体として売上を伸ばしていく。そのために中央としては、BOAT RACE振興会の小高さんを中心に一致団結して活動してほしいものです。私はこの勢いを止めずにいけば、かつての2兆2000億円売っていた時代と同じ収益力を1兆2000億円の売り上げで確保できると考えています。

どうか一つ、勢いが付いてきたところでさらに発展するために、皆さん方のご努力と同時に相互連携、そして、団結をして方向性を確認しあって協力していこうではありませんか。
3月23日(水) [2016年03月23日(Wed)]
3月23日(水)

7:20 財団着

8:00 年度内事業打合せ

8:30 海洋開発人材育成推進事業に関する打合せ

10:30 舛添要一 東京都知事

11:00 笹川平和財団評議員会

13:30 羽生次郎 笹川平和財団会長

14:00 笹川平和財団主催「笹川特定地域協力基金事業運営委員会」

16:00 北川弘光 笹川平和財団特別研究員
「ハンセン病制圧活動記」その33―ブラジル訪問記 [2016年03月23日(Wed)]
@ノバルティス財団会議の冒頭で挨拶する機会をいただいた.JPG
「ハンセン病制圧活動記」その33
―ブラジル訪問記―
〜ハンセン病制圧活動 ブラジリア、マットグロッソ、ペルナンブーコ〜


長島愛生園機関誌『愛生』
2016年1・2月号

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平

 
 2015年8月4日から16日までの13日間、ブラジルを訪問した。南米大陸最大の国土を誇るブラジルは多様性に富んだ文化・自然景観とスケールの大きさから多くの人を引き付つけてやまない。人口約2億人、国土面積は日本の約22.5倍にあたる851万km2の大国ブラジルはロシア、インド、中華人民共和国と並んで「BRICs」と呼ばれる新興経済国になるまで成長し、ラテンアメリカ最大の経済規模を持つ。ただし公衆衛生や教育などの公共サービスの水準は先進国に比べ低く、また沿岸部と内陸部との経済格差の差が著しいなど、早急に解決すべき課題が残されている。

 ハンセン病に関しては、WHOが掲げるハンセン病有病率1万人に1人未満という制圧目標を達成されていない国は世界の中でブラジルだけである。また新規患者数がインドに続いて世界で2番目に多い31,044人(2013年)、政府・国際機関、NGOのさまざまな取り組みにも関わらず過去5年間は横ばいの状態である。WHOハンセン病制圧大使としてなんとか制圧を実現すべく、私は今回ブラジルを訪問した。

 まず初めに訪問した首都ブラジリアではノバルティス財団主催の会議に参加した。テーマは「最後の1マイル」。薬の無料配布により患者数は激減したものの、年間20万人ほどの新規患者が世界では発見されており、減少する傾向は見られないとのこと。この問題の解決に向けて、政府、民間財団、NGO代表によって情報交換が行われた。

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ノバルティス財団会議の冒頭で挨拶する機会をいただいた


 会議の合間に保健省、人権庁、議員などの要人と面談を行い、ブラジルの政治を司る要人たちに協力・支援を惜しまないことを繰り返し伝えた。アルトゥール・キオロ保健大臣(当時)は「ブラジルは国を挙げてハンセン病対策に取り組んでおり、制圧は2015年までに達成される」と自信を持って発言されていたことが非常に印象深い。またブラジル司教協議会にも足を運び、カトリック教会の総本山であるバチカンと共にハンセン病差別対策に関する会議を開催したい旨を伝え、協力を要請した。

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キオロ保健大臣(当時)と


 また、今回の旅の大きな目的の一つであったWHO事務局長のマーガレット・チャンからの親書をジルマ・ルセフ大統領に手渡すことは、残念ながら面会の機会に恵まれず、日本大使館経由で渡して頂くことになった。

 首都での会議と要人面談を終え、翌日からマットグロッソ州を訪問した。中西部に位置するブラジル3番目の面積を持つ広大な州で、ボリビアと国境を接している。ユネスコの世界遺産にも登録されている世界有数の大湿原パンタナールを訪れるために、州都のクイアバには大勢の観光客が立ち寄るという。産業は広大な面積を利用した大豆や綿花のなどの農業である。特に大豆はブラジル最大級の生産量を誇る。ただし、沿岸部に比べて経済発展が遅れており、保健衛生に関しては、交通機関やインフラの未整備から、十分な医療サービスが提供されていない。実際にブラジルで最も多くのハンセン病新規患者が発見されるのはこの州である。そんなハンセン病蔓延地域マットグロッソ州では何年間も新規患者が発見されていない「サイレントエリア」と呼ばれる地域がある。私はこのサイレントエリアにおいて患者の早期発見・早期治療に真摯に取り組む医師や看護師の活動に立ち会うこととなった。

 今回の訪問地域はクイアバ市から車で20分ほど走ったスクリ村であった。2年間新規患者がゼロとのデータがあるが、周辺地域にはハンセン病患者が存在していることからも、発見されていない患者がいることは間違いない。州保健局・ハンセン病対策プログラムコーディネータであり、ヘルスポストの看護師であるシセロ氏はこのデータの信憑性に疑問を持ち、積極的に活動をしている。

 まずは、診療所でハンセン病の疑いのある住民10人程度を対象にシセロ氏が診察しているところを見学させていただいた。診察は、しびれやこむら返りなどの症状はないか、家族にハンセン病患者はいなかったか等の問診と神経の腫れの確認、温水・冷水を皮膚に当てた知覚神経、針を足などに軽く当てた知覚神経の検査であった。

Bシセロ氏の診察を見学.JPG
シセロ氏の診察を見学


 私が診療所にいる間に4名が診察を受けて、そのうち1名がハンセン病の可能性が濃厚、別の1名がほぼ確定であると診断された。ハンセン病と診断された男性(21歳)には、薬を12か月服用すれば必ず完治すること、普段通りの生活を続けてもよいこと、家族や近所の人たちも診察を受ける必要があることなどが分かりやすく、かつ丁寧に説明されていた。また100人に1人に呼吸がしにくい、唇の色が紫色になるなどの副作用があることも伝えられていたが、それでも確実に治療を続けるように説得されていた。副作用については、予め伝えておかないと途中で薬をやめる患者もいるので、伝えるようにしているとのことである。

 またハンセン病患者のいる家庭2軒を訪問し、その家族を診断する場面にも立ち会うことができた。1軒目にはハンセン病と診断された73歳の男性患者が暮らす。ロンドニア州に住んでいたが治療ができなかったため、治療が可能な弟家族が住むマットグロッソ州に移ってきたという。この日は、患者の妹、弟、姪(弟の娘)の3名を診察した結果、妹と姪はハンセン病であると診断され、大きなショックを受けていた。とくに姪は21歳と若く、ハンセン病についてはほとんど知らないと話していただけになおさらだろう。2軒目は、15日前にハンセン病であると診断された17歳少年が住む家を訪れた。一緒に生活している家族(父、兄二人、母)を診察すると、母以外の3名はハンセン病であることが判明。おそらく父から息子たちへ感染したと予想される。

写真C温水・冷水を足にあて、知覚神経があるかの診察.JPG
温水が冷水を足にあて、知覚神経の有無を確認するシセロ氏


 私が滞在した約半日の間にサイレントエリアから6人もの新規患者が発見されたことに非常に驚いた。本腰を入れて早期発見に努めれば、この地域からは大勢の患者が発見されるであろう。シセロ氏によるとサイレントエリアを生み出すのは、医療スタッフの頻繁な人事交代と医師の不足だという。症状が出ていない感染者を見つけるためには適切な医師の診断が不可欠である。また患者に接触する機会の多い家族や近隣住民を重点的に検査し、早期発見に努めることも非常に重要である。

 クイアバに滞在している間、ペドロ・タケス州知事とレオナルド・アルバカキ州議員と面談することができた。特に知事は選挙の時にハンセン病問題の解決を公約に掲げるほど熱心にハンセン病対策に取り組んでいる人物で、残り3年の任期までに何としてでも解決したいと話されていた。私は40年間、120か国以上でハンセン病の制圧に関わってきた経験から、制圧には指導者の強い情熱が欠かせないことを知っている。そのため知事や政治家が本気で取り組むのであれば協力の準備はあることを伝えた。まずはマットグロッソ州で成功事例を作り、ブラジル全土に普及させることができれば、ブラジルの制圧も「絵に描いた餅」ではなくなる。

 シセロ氏同様に新規患者発見に熱心に取り組むペレス医師とは具体的な対策について何度も話し合う機会を得た。ペレス医師は「早期発見を強化すると最初の3年で患者は倍増するでしょう。しかし3年後からは患者数は必ず減ります」と話していた。私は一時的にせよ患者数が増えることを恐れず、真剣に問題に立ち向かう姿勢に心底勇気づけられる思いがした。患者が多いことは恥ずかしいことではない。ただしそれを放置することは恥ずかしいことだ。ひとりでも患者を減らすために、マットグロッソ州での活動を支援したいと思う。

 また、マットグロッソ州ではハンセン病回復者の団体IDEAの集会に参加した。IDEAはパロウィア地区のカトリック教会で回復者の生活向上の活動を行っている。回復者15名以外にも30名程度の地域住民が参加して、収入安定のための手芸活動や住民の健康を促す保健活動を行っている。近隣には多くの回復者がいるが、障害があるので人目を気にして外に出たがらないという。そこでメンバーは家を訪問して活動に加わるよう促しているそうだ。

 組織の紹介をしてくれたのは、リーダーのアルジーラさん。彼女は14歳でハンセン病を患った。ある日親からサンパウロに出稼ぎに行くように言われた。娘の病気を隠すためだったと彼女は語る。コロニーで結婚して子供をもうけたが、最初の2人は引き離された。子供は自分の両親が育てることになった。手足に重い障害が残るアルジーラさんは、差別を肌で感じたために、同じような境遇の回復者が尊厳を取り戻し、安定した生活が送れるよう強い信念をもって活動している。

 私は集会の参加者に対して、回復者の生活を改善するためにはアルジーラさんのように自らが立ち上がって戦うよう訴えた。さまざまな病気がある中で、なぜハンセン病患者・回復者だけが差別を受けなければならないのか。彼らが悪いのではなく、社会が間違っているからである。社会を直すためには、当事者自らが立ち上がっていかなければならない。彼らの地道な活動が社会を動かす大きな力になることを信じている。

 最後の訪問地はペルナンブーコ州であった。ペルナンブーコ州は北東部に位置し、州の東側は大西洋に面している。ペルナンブーコに到着するとすぐに州保健局に向かった。保健局では、ハンセン病を含む「顧みられない熱帯病(NTD)」を対象とした新規患者発見および早期治療のためのプログラムであるSANAR計画について説明して頂いた。対象地域は州全体だが、深刻な地域にはより重点的に活動している。活動は州保健局がイニシアティブを取っているが、様々な機関と協力していることが特徴である。例えば教育機関と連携して、子どもの疾病の早期発見に努める活動などがある。ハンセン病に関しては、皮膚の斑点など初期症状の絵を見せて自分や家族に同じような症状がないか確認させている。2013年は24万人の児童を対象に活動を行い、20,107人が検査を受け、57人の感染者が発見された。また刑務所で650人の受刑者を対象にハンセン病検査を実施し、55人の感染が確認されたとのことだった。

 次にレシフェ郊外にあるジェラル・ミルエイラハンセン病専門病院を訪問。1941年に開業して以来、多くのハンセン病患者を治療・収容してきた。家族や社会から隔離された患者・回復者は、敷地内で畑を作り、養鶏や養豚を始めた。教会などの宗教施設や劇場も作られ、11,000ヘクタールの病院敷地はまるで小さな町のようであったという。また音楽や文学などの芸術を通して、自分たちの存在をアピールする人たちもいた。それらの記録は看護師が大切に保存している。さらにその看護師は回復者が亡くなると当時の歴史も消えてしまうことを危惧し、回復者からの体験談を聞き出しており、できれば出版したいと話してくれた。一番多い時期には約500人のハンセン病患者が入院していたが、現在ではベッド数が61床までに減少した。外来患者は1カ月で約200名である。さらに社会復帰できない回復者の居住区もあり、現在では11名が暮らしている。重い後遺症の残る回復者は治ったと伝えても、なかなか理解してもらえない苦しさがあるという。

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病院内にある大量の資料を見せていただく


 看護師にカルテ保管室、外来病棟、リハビリ室、入院病棟、回復者の住居、劇場など施設を案内して頂いた。印象に残ったのは回復者の住居で43年間一人で住んでいるという男性で「27歳でここに入ってからずっとこの中で暮らしている。青春はすべてここだった」と話していた。その隣で一人暮らしをする女性は私のために歌を3曲も歌ってくれた。とても美しい歌声に癒され、地球の裏側から来た疲れが吹き飛んだような気がした。辛いこと、悲しいことを乗り越えて、たくましく生きる回復者を心から尊敬している。そして彼らの生活が平和で穏やかなものであることを願っている。

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施設内にある住居に住む回復者を訪問


 その後、ブラジルの回復者団体MORHANが開催した回復者およびその家族のための集会に参加した。ブラジルのハンセン病の歴史、引き離された家族についてMORHANのギルド氏を始め、参加者からの話を聞くことができた。ブラジルでは1962年にハンセン病患者の強制隔離が法律で禁止されるまで、患者は社会や家族から引き離され、施設の中で別の生活をしなければならなかった。少年期に入所した患者は学校に通うことができず、結婚も施設の中の相手に限られた。また生まれた子供は外の施設に送られたり、養子に出されたりしたという。MORHANは、当時のブラジル政府の非人道的な誤った政策に対して、回復者およびその家族が補償を求め、彼らの生活が改善されることを中央政府に対して訴えている。

 日本財団はMORHANに10年以上支援をしている。次の世代が彼らのような深刻な経験をしないように、活動を活発にしなくてはならない。彼らは新規患者を見つけ、正しい知識を伝えることができる活動家たちである。私は参加者に対して、ひとりひとりの声が政治・行政を動かし、社会をよくする力になることを理解して欲しいと訴え、またこれからもMORHANを通して支援していくことを約束した。

 今回の旅を通して最後のハンセン病未制圧ブラジルの課題が見えてきた。中央政府はハンセン病問題に真剣に取り組んでいるが、マットグロッソ州の「サイレントエリア」のようにまだ発見されていない患者が大勢いること。そして医療スタッフのレベルを上げる必要があること。患者の家族や近隣住民の診察を重点的に行うことで早期発見・早期治療が可能であることも分かった。私はマットグロッソ州での早期発見の取り組みを支援することでまずはモデルケースを構築し、その成果をブラジル全土に普及させる取り組みに着手しようと思う。また人権面に関して言えば、MORHANとの協力関係を強化して、回復者や家族の尊厳回復にも力を入れていきたい。ブラジルからハンセン病問題がなくなるまで、私は何度でもこの国を訪れるつもりである。
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