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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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12月18日(木) [2014年12月18日(Thu)]

12月18日(木)

7:40 財団着

8:30 「ママプロジェクト」事業打合せ

9:30 喜多悦子 笹川記念保健協力財団理事長

10:00 看護師起業家養成授業 講義

13:30 「真心絶品」事業打合せ

14:30 冨田勝久 NPO優喜会理事長

14.12.18 DSC左が冨田勝久理事長、右が村岡慎太郎副理事長.JPG
冨田勝久理事長(中央)と岡慎太郎副理事長(右)
ミャンマーに学校を建設するため、100万円のご寄付をいただきました


15:30 眞野勝弘 広島県廿日市市長

12月17日(水) [2014年12月17日(Wed)]

12月17日(水)

7:40 財団着

8:30 「ROCKET」チーム報告

9:00〜11:00 東京財団第2回CSR委員会

11:30 吹浦忠正 ユーラシア21理事長

12:00 武部恭枝 プライムコーポレーション社長

13:00 全映宣 韓国Asia文化Contents聨合事務総長

15:00 原野城冶 nippon.com代表理事

16:00 勝俣宣夫 丸紅相談役

18:00 パラオ大統領と安倍首相表敬

「日中関係」―中国の良識派― [2014年12月17日(Wed)]

「日中関係」
―中国の良識派―


笹川日中友好基金は、中国が天安門事件で世界から孤立した直後の1989年12月に基金100億円で設立。最も困難な時期から共産党幹部、行政官、人民解放軍、学者、メディア、学生、最近では有力ブロガーまで、幅広い分野の人々を招待。その数、のべ数千人に及ぶ。

私は日・中関係を2000年の交流の歴史から俯瞰(全体を見ること)しているので、最近の関係も特段心配はしていない。こう書くと多くの読者からそれでは楽観視しすぎるとお叱りを受けることは必定であろう。しかし、現在の中国の中には日本との関係なくして中国の未来はない、体制の改革なくして中国の発展はないと断言する知識人もいる、反日一辺倒でないことも確かである。

私は、江沢民が日・中間は「歴史を鑑として未来に進もう」と発言されたことに即座に反論し、中国の『歴史を鑑』とは、近代史において日本が中国にかかわった様々な事件を指すものであり、戦後、長期にわたる多額のODAを含む日本国民の税金こそが中国の発展の基礎作りに寄与してきたことを考えると、日本人にとってはあまり気持ちの良い発言ではない。日・中国交流2000年という時間軸で考えれば、世界史的にも稀な穏やかな二国間関係といえるのではないか。したがって『2000年を鑑として未来に進もう』と『2000年』を追加することを提案。訪中する多くの政治家にこの言葉を使うよう説明して回ったものである。

胡錦濤主席も二度ほど「2000年を鑑として未来に進もう」と発言されたことがあったが、時代が変わり、反日一辺倒の中で、この言葉も死語となってしまった。

ところで先日、中国の知識人たちが笹川日中友好基金の招きで来日し、一晩、赤坂の居酒屋で杯を交わした。飲むほどに一曲歌いたいと小声で口ずさんでくれた歌は、驚くことに『日本人民北方領土返還運動応援歌』であり、左翼の劇団『新制作座』が訪中した折に歌い、1970年代の中国で流行したという。中国人が北方領土返還運動に関心を持ち、中国の知識人は日本を励ましてくれていたらしい。

日本の左翼まで活動した北方領土返還運動も、今や風前の灯である。

通訳してくれた于展さんに日本語に訳してもらった。


                 日本人民北方領土返還運動応援歌

                   濃霧が立ち込める海原
                   我らの漁船は遥か遠くへ
                   強風にも暴雨にもめげず
                   我らは力一杯網を打つ
                   憎らしいソ連の艦艇
                   海上で横暴を極め
                   無尽の資源を強奪し
                   我が同胞を遠くまで連行
                   我らが海岸に立って声高く歌う
                   同胞よ、屈せずに戦え
                   家中のことを案ずるなかれ
                   妻子老幼の面倒は我らに任せ
                   愛しい国後、択捉
                   愛しい歯舞、色丹
                   千島海流に育まれ
                   美しくて豊かな故郷
                   一億人民の怒りが胸中に燃え盛り
                   我らの雄叫びが四方に響く

                   我が領土を返せ
                   我が領土を返せ
                   我が北方領土を返せ

12月16日(火) [2014年12月16日(Tue)]

12月16日(火)

7:25 財団着

8:30 グローバルアピール打合せ

9:30 日本財団国際フェローシップ打合せ

10:00 理事会

11:00 山田滝雄 外務省アジア大洋州南部アジア部長

11:50 羽生次郎 笹川平和財団会長

13:00 ミャンマー イェ アウン国軍司令部中将 昼食

16:00 トーマス・エサン・レメンゲサウ・ジュニア パラオ大統領

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トーマス・エサン・レメンゲサウ・ジュニア大統領


19:00 ミャンマー国軍幹部・送別会

12月15日(月) [2014年12月15日(Mon)]

12月15日(月)

7:45 財団着

終日 書類整理、打合せ

「ハンセン病サイト 創設」―笹川陽平活動期― [2014年12月15日(Mon)]

「ハンセン病サイト 創設」
―笹川陽平活動記―


私のハンセン病に対する活動を読者に報告するサイトを創設しました。

ブログの左上の「Leprosy.jp」をクリックして下さるとご覧になれます。

一人でも多くの読者に、世界のハンセン病事情と私の活動についてご理解を賜れば幸いです。

「ミャンマー国軍と南機関」―ミャンマー国軍司令官来日― [2014年12月15日(Mon)]

「ミャンマー国軍と南機関」
―ミャンマー国軍司令官来日―


今年9月、ミャンマーのミン・アウン・フライン国軍総司令官が初めて来日された。その際、多忙な時間を割いて、わざわざ浜松の帝国陸軍・鈴木敬司陸軍大佐の墓参とその生家を訪れた。

その義理と人情の厚さに感動すると共に、改めてミャンマーと日本の絆の深さに思い入り、戦前の日本軍人がアジア各国の独立に果たした真摯な活動と厚い情熱に深い感動を覚えた。

インド独立のきっかけを作った藤原岩市が心血を注いだインド国軍の創設は、チャンドラ・ボースらの活躍により、インドがイギリスの植民地から解放されるきっかけになったことは以前述べた。

ビルマ(ミャンマー)がイギリスの植民地から解放されたのには、鈴木敬司陸軍大佐を中心にして結成されたビルマ独立義勇軍の誕生が大きく貢献した。今日の日本とミャンマーの友好関係の基礎を築いたのは、今回のフライン国軍総司令官の鈴木敬司陸軍大佐の墓参で理解できる。

ミャンマー国軍の源流ともいうべき『ビルマ独立義勇軍』は鈴木大佐が司令官となり、ビルマ名『ボーモージョー』大将を名乗りスタートした。高級参謀にはアウン・サン(スーチーの父)も参加していた。その経過は省略するとして、1981年のビルマ33回目の独立記念日には独立に貢献した7名の日本人に感謝を込めて『アウン・サン勲章』が授与された。その7名の中には鈴木敬司未亡人も含まれていた。

ミャンマーは長い軍政から現在、テイン・セイン大統領の元で急速に開かれた民主化への道を歩み始めている。ただ、民主化に舵を切って3年余、国軍幹部の中には、この急速な民主化を危惧するグループもいる。そこで日本財団では、ミャンマー国軍の高級幹部10名を毎年5年間にわたり日本に招聘。民主主義国家における国軍の役割はどのようにあるべきか、又、先端企業、近代的農村をはじめ、広く日本を理解していただくための事業を開始した。

9月のフライン国軍総司令官来日の折に合意に達し、今月第一陣がイェ・アウン中将を団長に来日。現在自衛隊での講義を皮切りに全国を視察しているところある。

14.12.08 ミャンマー国軍将官級訪日団.JPG
ミャンマー国軍将官級訪日団


ミャンマー国民和解日本政府代表として、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との全面停戦の実現には、ミャンマー国軍の理解なくしては不可能であり、この来日プログラムが、ミャンマー国軍幹部の民主主義国家における国軍の役割、特にシビリアンコントロールへの理解が深まる一助になればと願っている。

舞鶴基地での集合写真.JPG
浜松基地で記念撮影

基地の説明を受ける.JPG
基地の説明を受ける

操縦席を見学する訪日団長のイェ・アウン中将.JPG
操縦席を見学する訪日団団長のイェ・アウン中将

ビルマゆかりの碑に献花.JPG
ビルマゆかりの碑に献花


参考文献
泉谷 達郎「ビルマ独立秘史―その名は南機関」徳間文庫
ボ・ミンガウン「アウンサン将軍と三十人の志士― ビルマ独立義勇軍と日本」中公新書

12月12日(金) [2014年12月12日(Fri)]

12月12日(金)

7:40 財団着

9:45 「手話言語法制定を求める全国集会」挨拶

11:30 産経新聞 熊坂隆光社長

13:00 溝渕将史 外務省アジア大洋州局大洋州課企画官

13:30 黒野匡彦 運輸政策研究機構会長

14:00 作田 学 日本禁煙学会理事長

14:30 太田 博 岡崎研究所理事長

15:00 週刊ポスト編集部 澤田佳様

16:30 日枝 久 フジ・メディア・フォールディングス会長

17:40 コミュニティーチーム・忘年会

「ASEAN障害者芸術祭」 [2014年12月12日(Fri)]

「ASEAN障害者芸術祭」
―ミャンマーで開催―


日本財団では、さまざまな障害者が社会の中で健常者と共に分け隔てなく生活できる環境を作ることを目指して活動している。

例えば、各国のろう者への奨学金制度、手話辞書の作成、手話を言語とすることを法律化する運動、国連防災計画の中に障害者対策を追加させる活動等々、多岐にわたる。

残念ながら、途上国の障害者は社会との接触が少なく自宅に閉じ籠りがちである。しかし、少数ではあるが、身体的障害を克服して素晴らしい舞台芸術を発表している方々もいる。大野修一の発案で、アセアンの障害者の芸術祭をラオス、カンボジア、ベトナムに続き、今回はミャンマーで行った。

アセアン加盟国10ヶ国から約60名、開催国ミャンマーからは約90名が参加した。ミャンマー福祉省は、この芸術祭を2014年アセアン・サミットの公式サイドイベントとして扱い、花を添えてくれた。

ASEAN各国から約60人を招聘.JPG
ASEAN各国から約60人を招聘


大会名誉総裁の安倍昭恵女史は急な選挙で出席はかなわなかったが、会は大盛況で、毎回出席している甲州ろうわ太鼓の演技には、驚きと共に大きな拍手をいただいた。

会場はほぼ満席!.JPG
会場は満席!


障害者芸術祭は今後もアセアン各国を巡回し、いずれ日本でも開催したいと考えている。

以下は日本財団主催、障害者芸術祭の趣旨説明を含む挨拶です。

********************


2014年12月3日
於:ミャンマー・ネピドー


皆さま、本日は、ASEAN障害者芸術祭にようこそお越しくださいました。ASEAN各国からお越しの芸術家の皆さまをはじめ、すべての参加者の皆さまを心より歓迎いたします。本芸術祭の名誉総裁には、安倍昭恵首相夫人にご就任いただいています。安倍夫人は障害者福祉に大変造詣が深く、この芸術祭への参加を大変楽しみにしていらっしゃいました。本日は公務により、ご出席がかなわず大変残念ですが、メッセージが届いておりますので、後ほど代読でご紹介いたします。

さて、本日は国際障害者デーです。この記念すべき重要な日に芸術祭を開催できることを大変嬉しく思います。本日、12月3日は、1992年に国連総会において、障害者の基本的な権利に対する注意を喚起するために国際障害者デーとして制定されました。これまでの歴史の中で、障害者は、高等教育を受けたり、就職をしたりするなどの機会に制限があり、十分な社会参加ができずにいました。彼らは長い間、社会から疎外されてきたため、彼ら自身もこのような状況を当然のことと思ってきました。

しかし、この困難な状況を打開しようとする障害者自身の固い決意と様々なグループによる取り組みによって、障害者が社会参加するための扉が徐々に開き始めました。日本財団は20年以上にわたり、主にアジアの様々な団体と協力し、障害者が社会参加できる機会の提供に力を入れてきました。たとえば、高等教育を受けるための奨学金、手話辞書の作成、障害者に関わる法制度の構築支援、障害者のネットワークの構築などを通じて、障害者の社会参加の促進に貢献できるよう取り組んできました。日本財団はこうした長年の支援活動を通じて、障害者の持つ可能性を実感してきました。同時に、このことを広く社会に訴えることの必要性を感じてきました。

そこで、障害者の持つ可能性やパワーを、直に感じていただきたいと考え、障害者芸術祭を開催するに至りました。昨年はじめてミャンマーで開催した芸術祭では、3日間で延べ4900人の来場者を迎え、ミャンマー国内から選ばれた障害者が舞台芸術や造形芸術を披露しました。目が不自由な芸術家、耳が不自由な太鼓演奏者、そして、車いすのダンサーがスポットライトを浴びながら、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。才能と自信に満ち溢れた彼らの姿は多くの人々に感動を与えてくれました。私も彼らの演技や作品を目の当たりにし、胸が熱くなる思いがしました。

様々な演技が披露された.JPG
美しい演技が次々披露され


さて、ここで、私は「ミャンマー自立生活協会」(Myanmar Independent Living Initiative:MILI)という3人の障害者によって設立されたNGOについて紹介したいと思います。彼らは、障害者のトレーニングをはじめとする様々な活動を展開しながら、障害者自身が限界と諦めていた壁を乗り越える手助けをすることを使命と課しています。日本財団は2011年以来、MILIとともに障害者のトレーニングプログラムやリーダー養成事業などを実施してきました。昨年のミャンマーでの障害者芸術祭はMILIとミャンマー社会福祉省の多大な尽力により、成功することができました。今年の芸術祭の運営にもMILIが非常に貢献してくれています。

さて、今年も日本から「甲州ろうあ太鼓」のメンバーが駆けつけています。昨年同様、パワフルで感動的な演奏をしてくれることでしょう。

日本財団は、これまでにラオス、ベトナム、カンボジアにおいてもASEAN障害者芸術祭を開催してきました。私はこの芸術祭を通じて、ASEAN各国の障害者が自信を持ち、彼らの家族がその活躍に喜びと誇りを感じていただけることを願っています。近年、ASEAN各国が障害者の権利に関する取り組みを進めていることは大変歓迎すべきことで、今後も継続した取り組みをお願いしたいと思います。各国政府が障害者の声を反映し、障害者が社会参加できる環境を整えるための施策をつくり、社会は互いに多様性を受け入れ、インクルーシブな社会の実現を目指そうという認識が広がることを期待しています。

12月11日(木) [2014年12月11日(Thu)]

12月11日(木)

7:40 財団着

8:30 海洋関係事業打合せ

10:00 理事会

11:00 上瀧和則 日本モーターボート選手会会長

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チャリティゴルフ寄付金20万円、モーターボート選手会寄付金1500万円
ボートレース選手の皆様には今年も沢山のご支援をいただきました
心より感謝申し上げます


11:30 工藤栄介 海洋政策研究財団顧問

13:00 ハーバード大学ケネディスクール マーシャル・ガンツ博士

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マーシャル・ガンツ博士(右側)


15:00 シンポジウム「東北復興支援に見る企業の社会的責任について」主催者挨拶
    於:ホテル・グランドパレス

18:30 日高憲三 明治大学理事長