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笹川 陽平
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11月22日(土) [2014年11月22日(Sat)]

11月22日(土)

7:30 朝食

12:30 APAL会長のナルサッパ氏らと昼食

15:00 国会テレビ・スタジオインタビュー

22日 国会テレビのスタジオにてインタビューを受ける.jpg
国会テレビのスタジオにてインタビューを受ける


19:30 関係者と夕食

11月21日(金) [2014年11月21日(Fri)]

11月21日(金)

7:30 朝食

9:00 WHOインド・ハンセン病中間評価報告会

WHO報告会でのあいさつ.JPG
WHO報告会で挨拶


14:30 ダライ・ラマ法王

ダライ・ラマ法王と3月以来の再会.JPG
ダライ・ラマ法王とは3月以来の再会


15:30 障害者インターナショナル(DPI) アビディ会長

アビディ氏らとのミーティング.JPG
アビディ氏らとのミーティング


18:00 ロヴ・ヴェルマ保健次官、メナブデWHOインド代表

保健次官(中央)とWHO代表(右)らとのミーティング.JPG
保健次官(中央)、WHO代表(右)らとのミーティング


19:30 八木毅 在インド日本国特命全権大使主催夕食会

「中国の腐敗」―高級官僚の自殺― [2014年11月21日(Fri)]

「中国の腐敗」
―高級官僚の自殺―


10月24日、中国共産党の重要会議である中央委員会第4回全体会議(4中全会)は、法に基づく統治の強化を盛り込んだコミュニケを採択して閉幕した。習近平指導部は『反腐敗』運動で成果を上げたとして、次の新たな改革の旗印に『法治』を掲げることになった。

『反腐敗』運動ではハエも虎も退治すると広言し、7月末、前党政治局常務委員の実力者・周永康氏の『重大な規律違反』が立件され、公表された。周永康氏なる『虎退治』に、市民たちは党剥奪の上刑事責任追及は当然と考えていたが、結局、処分は見送りとなってしまった。

この2年間で18万人余りを処分をした汚職調査を実行したのは、残念ながら警察などの司法機関ではなく、共産党の機関であった。これを見ても、今後、4中全会の法に基づく統治が行われるか否か、はなはだ疑問である。

11月5日の産経新聞は、一面で『中国高官相次ぐ自殺』との見出しで、今年自殺した高官12名の名前と肩書きを掲載した。紙面のスペースの都合でこの程度になってしまったのかもしれない。

以下は、テンセントブログから引用した。

*************


中国の党と政府機関、国有企業、事業団体の党員幹部の失踪、海外逃亡、自殺の統計

広 東 省:失踪790人 逃亡1240人(省課長クラス以上逃亡466人) 自殺  74人
河 南 省:失踪512人 逃亡 854人(省課長クラス以上逃亡319人) 自殺 145人
福 建 省:失踪414人 逃亡 586人(省課長クラス以上逃亡316人) 自殺  72人
遼 寧 省:失踪318人 逃亡 403人(省課長クラス以上逃亡204人) 自殺 112人
江 蘇 省:失踪316人 逃亡 227人(省課長クラス以上逃亡117人) 自殺  42人
北 京 市:失踪112人 逃亡 442人(省課長クラス以上逃亡 97人) 自殺  44人
上 海 市:失踪187人 逃亡 354人(省課長クラス以上逃亡127人) 自殺  51人
天 津 市:失踪 60人 逃亡 182人(省課長クラス以上逃亡 45人) 自殺  17人
重 慶 市:失踪160人 逃亡 226人(省課長クラス以上逃亡 86人) 自殺  27人
河 北 省:失踪249人 逃亡 240人(省課長クラス以上逃亡117人) 自殺  70人
山 西 省:失踪240人 逃亡 281人(省課長クラス以上逃亡162人) 自殺 102人
内モンゴル:失踪 52人 逃亡  38人(省課長クラス以上逃亡 26人) 自殺   5人
吉 林 省:失踪162人 逃亡 125人(省課長クラス以上逃亡142人) 自殺  29人
黒龍江省 :失踪277人 逃亡 176人(省課長クラス以上逃亡190人) 自殺  30人
浙 江 省:失踪280人 逃亡 246人(省課長クラス以上逃亡142人) 自死殺人37人
安 徽 省:失踪164人 逃亡 147人(省課長クラス以上逃亡 67人) 自死殺人51人
江 西 省:失踪 86人 逃亡 141人(省課長クラス以上逃亡 41人) 自死殺人31人
山 東 省:失踪263人 逃亡 307人(省課長クラス以上逃亡116人) 自殺  43人
湖 北 省:失踪281人 逃亡 375人(省課長クラス以上逃亡 71人) 自殺  36人
湖 南 省:失踪314人 逃亡 282人(省課長クラス以上逃亡 80人) 自殺  40人
広   西:失踪175人 逃亡 174人(省課長クラス以上逃亡 75人) 自殺  28人
海 南 省:失踪 82人 逃亡 110人(省課長クラス以上逃亡 83人) 自殺  14人
四 川 省:失踪265人 逃亡 190人(省課長クラス以上逃亡117人) 自殺  29人
雲 南 省:失踪119人 逃亡 335人(省課長クラス以上逃亡166人) 自殺  35人
貴 州 省:失踪116人 逃亡  87人(省課長クラス以上逃亡 52人) 自殺  12人
チベット :失踪 16人 逃亡  22人(省課長クラス以上逃亡 14人) 自殺   0人
陝 西 省:失踪215人 逃亡 246人(省課長クラス以上逃亡182人) 自殺  43人
甘 粛 省:失踪 22人 逃亡  28人(省課長クラス以上逃亡 21人) 自殺   0人
青 海 省:失踪 47人 逃亡  39人(省課長クラス以上逃亡 37人) 自殺   0人
寧   夏:失踪 37人 逃亡  44人(省課長クラス以上逃亡 28人) 自殺   2人
新   疆:失踪117人 逃亡 224人(省課長クラス以上逃亡202人) 自殺  31人

*************


さすが『汚職は文化』の中国である。安土桃山時代の大盗賊『石川五右衛門』の有名な辞世の句は「石川や 浜の真砂(まさご)は尽くるとも 世の盗人の種は尽くまじ 』です。この石川五右衛門も、昨今の中国の状況を知ったらさぞ目を丸くしたことだろう。

11月20日(木) [2014年11月20日(Thu)]

11月20日(木)

8:00 朝食

13:00 関係者との昼食

15:30 月刊誌Civil Society インタビュー

16:30 ダライ・ラマ ササカワ奨学金設立記者会見

記者会見
B記者会見.JPG


A記者会見.JPG


17:45 ハンセン病議員連盟フォーラム

議員連盟フォーラム.JPG
ハンセン病議員連盟フォーラム


19:30 関係者との夕食

11月19日(水) [2014年11月19日(Wed)]

11月19日(水)

7:30 ホテル発

8:00 スリ・サン・セワ・クシュ・アシュラム(ハンセン病コロニー)

Dコロニーで歓迎の音楽.JPG
歓迎の音楽

Cコロニーには約66人が住むJPG.JPG
コロニーには66人が生活している


9:00 コロニーの人々が物乞いで生計を立てている場所を視察

@ハンセン病のコロニーから物乞いへ行くところに同行させていただいた.JPG
ハンセン病のコロニーから物乞いへ行くところに同行させていただいた

無題.jpg
生きて行くために必要なことではあるが
ハンセン病回復者が物乞いをしない世界にすることが私の願いである

Eコロニーのリーダーたちと.JPG
コロニーのリーダーたちと


11:00 APLA(ハンセン病回復者協会)メンバーと昼食

12:00 ファイザーバードからラクナウへ移動(車移動約2時間)

14:00 ラクナウ着

15:00 ラム・ナイク州知事

F州知事はハンセン病に深い理解がある.JPG
ラム・ナイク州知事はハンセン病に対し深い理解を示してくれた

G州知事とAPAL.JPG
ラム・ナイク州知事とAPAL


17:00 関係者と夕食

19:30 ラクナウ空港着

20:50 ラクナウ発

22:00 デリー着

23:00 ホテル着

「中国の小話」その45―中国の国家宣伝のキャッチフレーズ― [2014年11月19日(Wed)]

「中国の小話」その45
―中国の国家宣伝の歴史―


北京の天安門広場には「世界人民大団結万歳」「中華人民共和国万歳」のスローガンが掲げられ、街頭でもその時その時のスローガンが目に飛び込んでくる。この65年の間、これらの政治的キャッチフレーズは中国人民の生活の奥深くにまでしみ渡り、影響を与えてきた。

時代背景が色濃く反映された中国のスローガンを年代別に並べてみた。

1949年 中国人民が立ち上がった
    1949年10月1日、毛沢東が天安門楼上で中華人民共和国の成立を宣
    言した文句。

1949年,中国人民站起来了.jpg
毛沢東が天安門楼上で中華人民共和国の成立を宣言


1950年 抗米援朝、保家衛国
    1950年6月に朝鮮戦争が勃発。アメリカ第7艦隊が台湾海峡に出動す
    ると、中国の国民大衆は台湾朝鮮侵略反対運動委員会を組織、中国
    人民志願軍を派遣して朝鮮戦争に参加。

1951年 断固として反革命分子を鎮圧しょう
    1950年10月、毛沢東は全国規模で国民党政権の残党に対する反革命
    鎮圧運動を開始。これは毛沢東が政権を取ったあと初めておこなわ
    れた弾圧で、標的にされた旧国民党政権の残党は、階級敵人と呼ば
    れた。反革命鎮圧運動は一年間続き、弾圧された人は何百万人にの
    ぼった。新しく共産党支配下に組み込まれた地域では、これと並行
    して土地改革も実施。地主や富農層などが処刑され、群衆による暴
    行、自殺などによって、約300万人の命が失われたと言われる。

1952年 三反五反運動
    建国初期に全国規模で展開された政治的な動員と運動。
    三反:汚職・浪費・官僚主義反対運動。
    五反:贈賄・脱税・国家資材の横領・手抜きと材料のごまかし・経
       済情報の窃盗反対運動。

1953年 総路線は我々の活動を灯す灯台だ
    中国共産党中央は、1952年末から「過渡期の総路線」の計画を開始
    し、1953年9月、建国4周年を迎え、「国の社会主義工業化を少しず
    つ実現させ、さらに農業、手工業、資本主義工商業に対して国によ
    る社会主義改造を進める」というもの。毛沢東は12月、中央宣伝部
    による総路線の学習や宣伝に関する要綱を審査して、「この総路線
    はわれわれの活動の灯台である。さまざまな活動はこの総路線なし
    では行うことができない。もし行えば右翼化や左翼化の間違いを犯
    すであろう」と述べた。その後「総路線はわれわれの活動の灯台
    だ!」「総路線万歳!」などのスローガンが「大躍進」運動終了時
    まで、流行した。

1954年 必ず台湾を解放する
    1953年の朝鮮休戦、1954年のインドシナ休戦を受け,毛沢東は再び
    「台湾解放」を発令。1954年9月、人民解放軍は金門・馬祖への激
    しい砲撃を開始した。「第一次台湾海峡危機」

1955年 合作化の道を歩もう
    1955年7月31日、毛沢東は共産党中央会議で「農業合作化(集団
    化)問題に関して」という報告を行った。第一次5カ年計画期
    (1953〜1957年)において、中国は工業化および農業などの社会主
    義改造の達成を目標として掲げた。既に1950年代初めより農業生産
    における集団化が徐々に進んでいたが、1955年の毛沢東の指導強化
    により、集団化は急速に進むことになった。

1956年 百花斉放、百家争鳴
    1956年から1957年に中国で行われた政治運動。中国語では百花運動
    とも呼ばれる。「共産党に対する批判を歓迎する」という主旨の内
    容であり、これを受けて国民は様々な意見を発表したものの、百花
    運動の方針は間もなく撤回され、共産党を批判した者はその後の反
    右派闘争で激しく弾圧された。

1957年 大躍進万歳 三年で英国を超え、五年で米国に追い付こう
    大躍進政策:1958年からが施行した農業・工業の大増産政策。毛沢
    東は数年間で経済的にアメリカ合衆国・イギリスを追い越すことを
    夢見て実施した。結果は中国経済の大混乱と数千万人の餓死者を出
    す大失敗に終わり、毛沢東は生涯でただ一度の自己批判を行った。
    毛沢東に代わって劉少奇、ケ小平などが修正主義的路線による経済
    再建を目指すが、権力奪還を企図する毛沢東の動きがこの後の文化
    大革命を引き起こすことになる。

1958年 やはり人民公社がいい
    1958年8月上旬、毛沢東は河北、河南、山東などを視察。「人民公
    社」の特長について総括し、「一に大きいこと、二に公であるこ
    と」と語った。「やはり人民公社という名前がすばらしい」。この
    ニュースが報道されると、全国各地の人々が「人民公社」という名
    称を模倣した。1960年代以降「人民公社はすばらしい」「人民公社
    万歳」といったフレーズは農村社会主義所有制や末端プロレタリア
    階級による政権基盤を強固なものにする典型的なスローガンとなっ
    た。

1962年 階級闘争を絶対に忘れるな
    1966年からの文化大革命は、1962年9月の中国共産党第8期10中全
    会における毛沢東の「絶対に階級と階級闘争を忘れてはならない」
    との指示から出発したとされる。 
    1962年1月の中共中央拡大工作会議で、ついに毛沢東は大躍進運動
    の失敗を認めて自己批判を行った。毛沢東は依然として中国共産党
    主席の地位にいたが、影響力は後退し、劉少奇、ケ小平などが実権
    を握るようになった。劉少奇は政治運動や思想闘争を後回しにして
    生産と生活向上を重視する政策を採り、1963年から1965年にかけて
    中国経済は目覚しい回復を見せていた。

1963年 雷鋒同志に学ぼう
    1963年3月5日、毛沢東主席は瀋陽のある部隊で殉職した英雄戦士・
    雷鋒同志のために「雷鋒同志に学べ」という言葉を「人民日報」に
    発表した。この後、「雷鋒に学べ運動」が全国で広範に展開され、3
    月5日が「雷鋒に学ぶ日」となった。

1964年 工業は大慶に学び、農業は大寨に学ぼう
    大寨は中国山西省昔陽県大寨鎮に位置する村。大慶は1959年に黒龍
    江省で中国最大の油田が発見され「大慶油田」と命名。自力更生の
    スローガンとして1964年 毛沢東により提唱された「農業は大寨に
    学べ、工業は大慶に学べ」というスローガンのもと、工業化や集団
    農業の模範として中国政府による政治宣伝活動に用いられた。

1966年 牛鬼蛇神を一掃しよう
    1966年6月1日、「人民日報」は「すべての牛鬼蛇神を一掃せよ」と
    いう社説を掲載。大衆の集団的暴力行為を煽ぎ、文化大革命がスタ
    ート。

1967年 革命無罪、造反有理
    中国の文化大革命で、紅衛兵や労働者が劉少奇の支配下におかれた
    党や政府機関に対する奪権闘争のなかで使ったスローガン。

1968年 広い天地に、未来がある
    1966に始まった紅衛兵運動と武力闘争年を収束させるため、1968年
    12 月22日の『人民日報』で、毛沢東は「若者たちは貧しい農民か
    ら再教育を受ける必要がある」、「広い天地に未来がある」と、都
    市に住む中学生・高校生などは農村に行って働かなければならな
    い」という、いわゆる下放運動が始まった。この運動は1968 年か
    らおよそ 10 年間に亘り行われた。

1974年 批林批孔の闘争を徹底しよう
    1970年代前半、文化大革命のさなかに中国で展開された林彪と孔子
    を批判する運動のこと。孔子および孔子が説いた儒教、そして儒教
    を復活させようとする者とされた林彪が激しい批判の矢面に立たさ
    れた。批林批孔を通じて、当時の実力者であった周恩来を失脚させ
    ようとする目論みがあったとされている。

1974年,批林批孔.jpg
批林批孔の闘争を徹底しよう


1976年 四人組を打倒しょう
    党中央政治局のメンバーだった毛沢東側近の王洪文、張春橋、江青
    (毛沢東夫人)、姚文元の4人を指す。1976年9月9日に毛沢東が死去
    した後に失脚し、特別法廷で死刑や終身刑などの判決を受けた。

1976年,打倒四人帮.jpg
四人組を打倒しょう


1978年 思想を解放し、真実を求めよう
    1978年末からの改革・開放路線は様々な風波に揺さぶられた。ケ小
    平は歴史的な転換にあたってその風波を予測し、「十分な思想的準
    備が不可欠だ」と強調。「思想の解放」「実事求是」を強調した。

1978年 改革開放
    ケ小平の指導体制の下、1978年12月に開催された中国共産党第十
    一期中央委員会第三回全体会議で提出され、その後開始された中国
    国内体制の改革および対外開放政策のこと。

1980年 一人っ子がいい
    1978年から人口計画生育(計画出産)政策が公布され、1980年から
    政府は「今世紀末の人口を12億人以下に留め、四つの近代化実現」
    のためとして、「夫婦一組に子供一人」を提唱した。一人っ子政策
    の全面実施から30年が経ち、ついに見直しの局面を迎えた。

1982年 経済の4倍増を実現しょう
    ケ小平の提案をもとに、1982年9月の第12回党大会で胡耀邦総書記
    が2000年に工農業総生産額を4倍にするという近代化目標を決め
    た。

1984年 時は金、効率は命
    「時は金、効率は命」と書かれた大看板が広東省深せん特区の蛇口
    工業区の大通り交差点に掲げられ、全国に衝撃を与えた。「最も良
    く知られ、国民に最も大きな影響を与えたスローガン」と称えられ
    た。

1987年 一つの中心、二つの基本点
    1987年の十三全大会で提起された党の基本路線である。
    一つの中心とは、経済建設を中心とすること。
    二つの基本点とは @四つの基本原則、A改革開放。

1989年 安定が一切を圧倒する
    1989年6月の天安門事件以降、各種社会問題が複雑化、深刻化し、
    当局の強い危機感がある中、ケ小平が安定重視の基本方針を強調
    し、あらゆる分野での安定、とりわけ政治的安定が強調 された。

1992年 発展こそ至上命題
    ケ小平が1992年の南方講話で、安定成長論を退け、高度成長を呼び
    かけた言葉。「経済の安定的、協調的発展には留意すべきだが、安
    定も協調も相対的であり、絶対的なものではない。発展こそが硬い
    道理である」と述べたことに由来する。

1992年 中国の特色ある社会主義市場経済を建設しょう
    1992年10月に開かれた第13期中央委員大会で江沢民は『改革・開放
    と現代化建設のテンポを早め、中国の特色をもつ社会主義事業のさ
    らなる勝利をからとろう』と題する報告を行った。大会は「中国経
    済体制改革の目標は社会主義市場経済体制を確立することである」
    と明確に宣言。

1997年 国有企業は三年で難局から脱出しょう
    計画経済システムの産物である国有企業改革は、1978年以降さまざ
    まな試みがなされてきたが、1997年の第15回党大会以後、自由化、
    活性化など、一連の改革を行った。朱鎔基総理は、超大型国有企業
    500社の税引き前利益が全中国の税引き前利益の85%を占め、その
    赤字率が10%、すなわち赤字企業が50社にすぎないことを根拠にし
    て、3年以内に大多数の国有赤字企業を苦境から脱出させることを公
    約している。

2000年 三つの代表を強調しよう
    2000年2月、江沢民氏が広東省を視察後に唱えた指導思想。
    1.先進的生産力の発展要求.
    2、先進的文化の進路。
    3.広範な人民の根本的利益を代表するのが中国共産党であるとして
      いる。

2004年 調和のとれた社会を建設しょう
    改革開放政策によって中国社会に出現した格差拡大、環境汚染問題
    出したスローガン。今でもこの言葉は頻繁に使われている。

2006年 八つの恥八つの栄誉
    胡錦濤総書記が国民に提唱した文明的な国家建設を樹立するための
    道徳紀律の通称。
    祖国を熱愛するのは栄光、祖国に危害を加えるのは恥辱。
    人民に奉仕するのは栄光、人民に背くのは恥辱。
    科学を尊重するのは栄光、愚昧無知なのは恥辱。
    団結互助は栄光、私利私欲に走るは恥辱。
    勤勉労働は栄光、安逸を貪るのは恥辱。
    誠実に信用を守は栄光、道義を忘れるは恥辱。
    法律を遵守は栄光、法規を破るは恥辱。
    刻苦奮闘するは栄光、贅沢と淫乱を貪るは恥辱。

2007年 科学的発展観を強調しょう
    2007年10月の第17回党大会で、胡錦濤総書記の主導で党規約「総
    綱」のなかに記されたスローガン。経済と社会、環境などの調和を
    はかりつつ持続可能な均衡発展を目指す路線を意味する。

2009年 成長を保ち、民生を守り、安定を維持しょう
    2008年のリーマンショックに起因する世界経済の減速、国際金融市
    場の動揺等で外部環境が悪化する中、中国は経済の安定成長、民生
    の改善、物価の安定という目標を打ち出した。

2013年 中国の夢を実現しょう
    2012年に習近平氏が発表した思想。「中華民族の偉大なる復興」を
    掲げ、中国共産党第十八回全国代表大会より中国共産党の統治理念
    としている。

2014年 虎と蠅は一緒に叩こう
    腐敗(汚職・不正)を一掃する。中国政府は蔓延する腐敗に対し、
    大きな腐敗(虎=高級幹部によるもの)とちっぽけな腐敗(ハエ=
    一般大衆による もの)を同時に叩こうとしている。習近平氏は党総
    書記に就任して以来「ハエもトラも叩く」と宣言し、軍のトップ経
    験者 や大物政治家らの汚職摘発を政権の最大のテーマとしている。


11月18日(火) [2014年11月18日(Tue)]

11月18日(火)

1:20 空港内ホテル着

6:30 朝食

7:00 ホテル発

9:00 デリー発

10:00 ウッタル・プラデイッシュ州ラクナウ着

無題.jpg
ラクナウ到着時、APAL(ハンセン病回復者協会)メンバーが出迎えてくださった
右からUP州リーダーのプラサッド氏、筆者、ムラリ氏、APAL代表のナルサッパ氏ら


12:30 アルビンド・クマール州保健次官

13:00 アキレシュ・ヤダヴ州首相

アキレシュ・ヤダヴ州首相(中央)との面談にはAPALメンバーも同席
C集首相と.JPG

B首相面談にもAPALメンバーに同席していただく.JPG


14:30 ファイザバードへ出発(車移動約3時間)

17:30 ファイザバード着、ホテルチェックイン

18:00 APAL(ハンセン病回復者協会)の代表ナルサッパ氏
    ウッタル・プラデイッシュ州リーダーのプラサッド氏、ムラリ氏らと夕食

11月17日(月) [2014年11月17日(Mon)]

11月17日(月)

7:30 財団着

9:30 公益・福祉・年度内案件事業打合せ

10:00 理事会

14:30 財団発

15:30 成田空港着

17:30 成田発

23:45 インド・デリー着

「インド出張」 [2014年11月17日(Mon)]

「インド出張」


13日にミャンマーから戻ったばかりですが、ハンセン病制圧活動のため、今日の午後の便でインドに出張いたします。

帰国は24日です。

「第10回 アジア海上保安長官級会合」 [2014年11月17日(Mon)]

「第10回 アジア海上保安長官級会合」


今から10数年前の日本の海上保安庁は、領海内の保安警備に懸命で、海外に目を向ける余裕がなかった。

国連加盟国は現在154ヶ国であるが海は一つであり、特に日本の生命線といわれるマラッカ・シンガポール海峡の航行安全のための諸設備は、40数年にわたり日本財団が支援してきたものである。

その人脈を生かし、近隣諸国との人的交流の重要性を当時の荒井正吾海上保安庁長官(現在、奈良県知事)に説明して長官級会合の開催を進言したところ、快諾され、第1回目会合は荒井正吾長官のもとで開催された。

今回は10回目で、横浜で開催することになった。参加国は16ヶ国と1地域(香港)で、長官級(各国によって名称が異なる)の出席者は14ヶ国1地域と盛大であった。筆者にとって、日本財団が行ってきた10年間の支援・協力には感慨深いものがある。

今回の会合では、ご多忙の中、予想外の官邸訪問が実現し、安倍首相より国際法に基づく海洋秩序と安全向上の話があり、中国、韓国の代表も神妙に聞き入っていた。一枚の写真は10万語にまさる説得力があるといわれる。参加者は安倍首相との会談と記念写真で、帰国したら首相、大統領に報告できると、喜びもひとしおであった。

総理官邸での記念撮影.JPG


安倍総理挨拶.JPG


以下、開会式でのスピーチである。

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2014年9月30日
於:横浜パシフィコ


私は、みなさまがアジアの海上保安機関の連携を強化するために、アジア各国からご参集いただいたことを、心より歓迎いたします。

日本財団は、1999年、東京ではじめてアジア海賊対策実務者会議を開催しました。その会合は、アジアの海上保安機関が共通の課題である海賊に対し、協力して取り組む可能性を模索するために開催されました。そして、この会議と、それに続く一連の会議がきっかけとなり、2004年の第1回長官級会合を開催いたしました。

第1回長官級会合では、海賊という共通の課題に対し、参加国を中心に活発な議論がなされ、効果的に対処するための基本的な枠組みが提案されました。1999年からこの取り組みをサポートしてきた私たちにとって、この会合が発展し、現在ではアジアの海における協力体制の核となっていることを、たいへん誇りに思います。

長官級会合は、アジア地域の急速な経済の発展や人口の増加とともに重要性を高めました。その結果、海賊問題以外に、捜索救助、環境保全、自然災害、不法活動、人材育成などにも議論の対象を広げてきました。

近年は、長官級会合の5本の柱で以下のような議論もなされております。限りある資源を搾取する違法漁業者に対し、海上保安機関が協力して対処する必要性。海上交通や輸送量の増加によって引き起こされる海洋環境汚染に対し、地域で協力して対処する必要性。そして、大規模な津波のような自然災害への備えや対応を強化するため、海上保安機関がこれまで以上に協力する必要性です。

しかしながら、長官級会合を通して様々な取り組みがなされているにも関わらず、差し迫った課題は次々に表出しています。今後、どのような課題に直面するか容易に予想できません。しかし、一国だけでは解決できない複雑な課題が増えている現在、今後も長官級会合を通じてアジアの国々が連携する重要性が高まっていくことは確かです。

私は、国同士の連携をより効果的かつ持続的にするには、人と人とのつながりが重要だと思います。その考えの下、日本財団は、世界海事機関(WMU)をはじめとした著名な機関と海の世界の人づくりを行っております。これまでに海上保安官を含め128カ国1,000人以上を育て、人と人とのつながり作りをしてきました。今では、かつて共に勉学に励んだ仲間達が、アジアおよび世界での海のネットワークを構築するのに重要な役割を果たしている例もあります。

現在、日本財団は新しい人材育成プログラムを検討しております。海上で発生する国際的な課題への対処は喫緊のテーマであり、技術面だけではなく、総合的に政策面からも適切に対応できる各国の海上保安官を育成する英語の大学院大学の設置を考えております。そこでは、アジアの海上保安官も育成するとともに、さらに強固なアジアのネットワークの構築を目指します。日本財団は、アジアの海上保安機関の協力体制のさらなる強化のために、これからも人材育成の面から長官級会合をサポートしてまいりたいと思います。私は、アジアの海上保安の協力体制を強化することによって、安全で豊かな海を次世代に引き継ぐことができると信じております。