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笹川陽平ブログ(日本財団会長)

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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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5月30日(金) [2014年05月30日(Fri)]
5月30日(金)

7:30 財団着

7:45 今 義男 海洋政策研究財団理事長

9:00 辞令交付

9:30 茶野順子 笹川平和財団常務理事

10:00 山内隆司 大成建設社長

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大成建設の山内隆司社長(右側)より
難病の子どもと家族への支援にと、150,000,000円の寄付金をいただきました


10:30 元朝日新聞 白井記者

11:00 宿利正史 損害保険ジャパン顧問

11:30 小池保夫 日本モーターボート競走会会長

12:00 鳥井啓一 日本財団参与

13:00 天城 一 社会貢献支援財団専務理事
「出版のご案内」―残心― [2014年05月30日(Fri)]
出版のご案内」
―残心―


梅雨入り近きの候、読者の皆様にはお変わりなくお過ごしのことと思います。
 さて今般『残心』を上梓しました。
 亡父笹川良一の意思を継ぎ、ハンセン病制圧活動にたずさわって40年、私も本年後期高齢者となりました。
折々の所感、亡父との思い出などを取り纏めたもので、ご一読いただければ幸いです。
『残心』幻冬舎 1900円(税抜き)

写真.JPG
「ハンセン病制圧活動記」その18―村から追放された患者 その3― [2014年05月30日(Fri)]
「ハンセン病制圧活動記」その18
―村から追放された患者 その3―


3月21日〜25日まで、ネパールでの制圧活動に従事した。その折、同行の富永夏子が下記のような新聞記事を見つけ出した。

前2回掲載したインドネシアの状況もひどいが、このネパールの話も悲惨である。たまたま新聞に掲載されたからわかったわけで、世界中で我々の知らないこのような事例は、多分、多く存在するであろう。何とも悲しいことである。

自分の非力を感じざるを得ないが、更に闘志を掻き立て、ハンセン病制圧と差別撤廃への戦いを強化しなければならないと、自戒しているところである。

**************


2013年12月30日のThe Himalayan Times
ハンセン病の患者を持つ貧しい家族が村八分になって、なんと、村のトイレに1週間閉じ込められていた。

カリ・バハトゥル・グルンさん、53歳、男性。この人はハンセン病患者である。ダハルマワティ(Dahrmawati)村に住むこの男性がハンセン病とわかると、家族までも村八分にされ、男と一緒に妻と4歳の息子もトイレに住むしかなかった。村民は「前世で悪行したからその結果だ」と彼をののしる。周りの人々はグルンさんが持つハンセン病はうつると言って追放したのだ。

目撃者によると、グルンさんは幼少期からハンセン病ではあったが、大工をして生計をたてていた。でも足が不自由になってから問題が起き始めた。グルンさんは「村人たちは自分を村から追い出そうとした。自分はトイレで生活するしかなかった。この状況をだれも助けてくれなかった」と嘆いている。

グルンさんは、ビジュワリ(Bijuwari)のジュース・バハダール・クマールの家(Juth Bahadur Kumar’s House)というシェルターで何年にも亘って暮らしていたが、このシェルターが壊されることになったので住む所がなくなったのである。

グルンさんは「自分は手足が動かなくなっているが、何とか困難と闘うことができる。しかし、4歳の息子はどうすることもできない」と言った。この家族は村のトイレを寝床と台所として使っている。奥さんは働けるが子供の世話もしなければならず、どうしていいかわからない。「息子は何も悪いところはないのに誰もサポートしようとしてくれない。今のところ政府も何もしてくれない」と嘆いていると記事にはあった。

**************


今週は3回にわたり、ハンセン病患者の悲惨な現実の話を掲載した。

統計数字上の患者数は激減しているものの、世界は広く、電気も水道もない村の方がはるかに多い。僻地や深い山々に点在する村々では、情報もなく、古い因習の中での生活を余儀なくされている人々が多数存在する。

2013年7月月24日、タイのバンコクで開催されたWHOと日本財団共催のハンセン病サミットでは、バンコク宣言として、このような山岳地帯や僻地に住む人々への対策も加味された。

私の行動哲学は情熱、忍耐、継続である。余生わずかではあるが、一人でも多くの人々を救済するために人生をささげることは、光栄ある義務であると考えている。
(おわり)


5月29日(木) [2014年05月29日(Thu)]
5月29日(木)

7:30 財団着

8:30 評価委員会

10:00 理事会

11:30 佐野慎輔 産経新聞取締役

13:00 小高幹雄 ボートレース振興会会長

13:30 日本モーターボート競走会評議員会

15:00 IUCレセプション・打合せ

15:30 稲村和美 尼崎市長

16:00 菅沼健一 第3回国連防災世界会議大使

18:30 岡崎研究所「春のフォーラム」
5月27日(火)、5月28日(水) [2014年05月28日(Wed)]
5月27日(火)

6:30 ホテル発

7:10 空港着(空港待機約2時間)

9:20 ルーマニア・ブカレスト発

11:30 フランス・パリ着

16:00 パリ発、成田空港へ(空港待機約2時間+機内待機約2時間半)



5月28日(水)

11:00 パリより、成田空港着

12:20 自宅着
「ハンセン病制圧活動記」その17―村から追放された患者 その2― [2014年05月28日(Wed)]
「ハンセン病制圧活動記」その17
―村から追放された患者 その2―


前回はインドネシア、ビアク島で狭い小屋に一人で住む孤独なハンセン病回復者アビア・ルンビアックさんのことを書いた。

インドネシア滞在中、同行の笹川記念保健協力財団の宮前さんが、1月17日付インドネシア紙Wartabromoに掲載されたハンセン病患者追放の記事があると教えてくれた。読んで、頭をハンマーでたたかれたような衝撃を受けた。

*******************


東ジャワ州プロボリンゴ県クリパン郡メニョノ村カリベンド集落の男性のハンセン病患者の一人が、家族によって家から追い出されていたことがわかった。彼はプロモ地区にある森の中で、たった一人の生活を余儀なくされていた。

このサレップという名のハンセン病に苦しむ男性(40)は、6年前に妻に出て行かれ、森の中で風雪や暑さをしのぐための掘っ立て小屋で生活してきた。もう5年間も家族から食事も届けられず、毎日ネズミや蛇など、森の中で手に入るものを食べて飢えをしのいでいたと言う

「雨に濡れないだけでもありがたいです。私にはこんな生活で十分なのです」と彼は言う。彼はコミュニケーションに少し問題があるほか、足も動かないという。体もやせ細り、皮膚が非常に乾燥している。毎日することといえば、横になるか、ハエと戯れるかぐらいだ。

「私はハンセン病になって以来、ここでもう5年も生活しています。」無理をして笑顔を作りながらそう語る。3人の子どももいたという彼は、夜が来ると野犬や森の動物の声を聴きながら過ごしているという。

*********************


長年にわたり世界中を飛び回り、ハンセン病は治る病気、薬は無料、差別してはいけないと、シンプルなメッセージを叫び続けてきた。統計をみると患者は激減しているが、僻地における村々の中には、私の知り得ない今も続くハンセン病に対する厳しい現実を、この報道は私に突きつけている。
(つづく)
5月26日(月) [2014年05月26日(Mon)]
5月26日(月)

6:30 朝食

9:00 ティキレスティ・ハンセン病病院

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ティキレスティ・ハンセン病療養所

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歓迎のパンをいただく!

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現在、療養所には16名の回復者が生活していた

Dハンセン病の回復者でもあるロミカ牧師.JPG
ハンセン病回復者でもあるロミカ牧師

C療養所にて。ドムニカさんと。.JPG
療養所のドムニカさんと

E療養所に住む最高齢(86歳)のヒマさん.JPG
療養所に住む最高齢(86歳)のヒマさん

F療養所の建物から少し丘をあがったところにひっそりと墓地がありました.JPG
療養所の建物から少し丘を登ったところにひっそりと墓地が


11:45 病院発、ブカレストへ向け出発

15:45 ブカレスト到着(車移動約4時間)

16:10 ブカレスト大学

Gブカレスト大学を訪問.JPG
ブカレスト大学を訪問

Hブカレスト大学ドゥミトロ学長.JPG
ドゥミトロ学長

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日本語学科の学生たちと


18:00 ホテル着

19:00 関係者との夕食
「ハンセン病制圧活動記」その16―村から追放された患者 その1― [2014年05月26日(Mon)]
「ハンセン病制圧活動記」その16
―村から追放された患者 その1―


1月25日、インドネシア、パプア州のビアク島でハンセン病制圧活動を実施していた際、村八分にされ、物置小屋のようなところで一人暮らしをしているアビア・ルンビアックさんを訪ねた。

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アビア・ルンビアックさんを訪ねて


15才まで漁師として近くの海で働いていたが、ハンセン病を発症して以来、しばらくは兄家族の家に同居し、現在は、雨がやっと凌げる、といっても壁面の板は欠落しており、マラリア蚊も出入り自由な約3平米程の土間に寝床を作って一人で生活している。

生活用品は一切なく、叔母が届けてくれる食事だけがたよりで、それも届かない日があり、空腹で寝ることもしばしばだという。日がなすることもなく、たまに漁師だったころに使っていた木製の「櫂(かい)」を松葉杖の替わりにして小屋のまわりを歩くが、誰も声をかけてくれず、無視されるという。そのため一日中小屋の中でただ座っているだけなので、一日が長く感じると、48歳位というアビアさんは、諦観した顔でポツリポツリと語ってくれた。

今一度逢いたいと思い、夕食を一緒に食べようと約束して小屋を出た。日が暮れてから弁当とコカコーラをもって再び訪れ、約束通りに来ましたよと告げると、ニコッと淋しそうな笑顔を返してくれた。

小屋の中には容赦なく蚊や蛾が飛び交う。二人でプラスチックの蓋をとって焼き飯を食べはじめた。コカコーラを勧めると喉を鳴らしてゴクッと飲んだ。「おいしいですか?」の問いに無言でうなずく。人と一緒に食事をしたのはいつの日だったか、記憶にないという。村八分の激しい差別の中で、孤立・孤独の生活を続けざるを得ず、深い哀しみが刻まれた眼差と表情には恨みや憎しみの気持ちも消え失せ、まるで厳しい修業に耐えた禅宗の坊さん、というより、まさに仏さまのようであった。

しばし沈黙の中、虫の音と共にかすかに潮騒の音が聞こえた。

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禅宗の坊さん、いや、仏さまのようなルンビアック氏
(つづく)

5月25日(日) [2014年05月25日(Sun)]

6:30 朝食

9:00 “観光資源”視察のため、世界自然遺産のドナウデルタへ

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ドナウデルタを行く

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道なき道を探しながら

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野鳥の巣に癒され

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巣の中のヒナを守る親鳥たち

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レンジャーのシエコさんが卵を見せてくれました
勿論、すぐに帰しましたよ

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船長、野鳥を求めて舵をとる

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ヒナも見せてくれました
勿論、こちらもすぐに帰しました

H2.5リットルのペットボトルビール!.JPG
2.5リットルのペットボトルビール!

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お昼はシエコさんの奥さんの手料理をごちそうに!

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シエコさんの奥さんとお母さんも一緒に


18:00 関係者との夕食
5月24日(土) [2014年05月24日(Sat)]
5月24日(土)

7:00 朝食

9:00 コンスタンタ海事大学 パナイト副学長

海事大学副学長.JPG
パナイト副学長


10:30 ホテル発、陸路にてハンセン病療養所の近くの街トゥルチャへ移動

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ブカレストの街並み

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トゥルチャに向かう途中、ストロベリーアイスで休憩


15:30 トゥルチャのホテル着(車移動約5時間)

19:00 関係者との夕食
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