「ハンセン病制圧活動記」その18
―村から追放された患者 その3―
3月21日〜25日まで、ネパールでの制圧活動に従事した。その折、同行の富永夏子が下記のような新聞記事を見つけ出した。
前2回掲載したインドネシアの状況もひどいが、このネパールの話も悲惨である。たまたま新聞に掲載されたからわかったわけで、世界中で我々の知らないこのような事例は、多分、多く存在するであろう。何とも悲しいことである。
自分の非力を感じざるを得ないが、更に闘志を掻き立て、ハンセン病制圧と差別撤廃への戦いを強化しなければならないと、自戒しているところである。
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2013年12月30日のThe Himalayan Times
ハンセン病の患者を持つ貧しい家族が村八分になって、なんと、村のトイレに1週間閉じ込められていた。
カリ・バハトゥル・グルンさん、53歳、男性。この人はハンセン病患者である。ダハルマワティ(Dahrmawati)村に住むこの男性がハンセン病とわかると、家族までも村八分にされ、男と一緒に妻と4歳の息子もトイレに住むしかなかった。村民は「前世で悪行したからその結果だ」と彼をののしる。周りの人々はグルンさんが持つハンセン病はうつると言って追放したのだ。
目撃者によると、グルンさんは幼少期からハンセン病ではあったが、大工をして生計をたてていた。でも足が不自由になってから問題が起き始めた。グルンさんは「村人たちは自分を村から追い出そうとした。自分はトイレで生活するしかなかった。この状況をだれも助けてくれなかった」と嘆いている。
グルンさんは、ビジュワリ(Bijuwari)のジュース・バハダール・クマールの家(Juth Bahadur Kumar’s House)というシェルターで何年にも亘って暮らしていたが、このシェルターが壊されることになったので住む所がなくなったのである。
グルンさんは「自分は手足が動かなくなっているが、何とか困難と闘うことができる。しかし、4歳の息子はどうすることもできない」と言った。この家族は村のトイレを寝床と台所として使っている。奥さんは働けるが子供の世話もしなければならず、どうしていいかわからない。「息子は何も悪いところはないのに誰もサポートしようとしてくれない。今のところ政府も何もしてくれない」と嘆いていると記事にはあった。
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今週は3回にわたり、ハンセン病患者の悲惨な現実の話を掲載した。
統計数字上の患者数は激減しているものの、世界は広く、電気も水道もない村の方がはるかに多い。僻地や深い山々に点在する村々では、情報もなく、古い因習の中での生活を余儀なくされている人々が多数存在する。
2013年7月月24日、タイのバンコクで開催されたWHOと日本財団共催のハンセン病サミットでは、バンコク宣言として、このような山岳地帯や僻地に住む人々への対策も加味された。
私の行動哲学は情熱、忍耐、継続である。余生わずかではあるが、一人でも多くの人々を救済するために人生をささげることは、光栄ある義務であると考えている。
(おわり)