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笹川陽平ブログ(日本財団会長)

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2月28日(金) [2014年02月28日(Fri)]
2月28日(金)

7:45 財団着

8:30 コーネル・パネイト 国際海事大学連合議長

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13:30 ミャンマー勉強会

16:30 アンワル・イブラヒム マレーシア人民公正党党首

18:00 テッ・ナイン・ウィン ミャンマー国境大臣 
「朝雲」―不撓不屈の91年― [2014年02月28日(Fri)]
「朝雲」
―不撓不屈の91年―


2014年2月20日


「最後の帰還兵」小野田寛郎氏が1月、91歳で逝去された。1991年、福島県・塙町に開設された「小野田自然塾」を長年、支援させていただいた関係で何度かお会いした。

 新聞、テレビ、雑誌に膨大な“小野田論”が掲載されており、改めて論ずる立場にもないが、74年、フィリピン・ルバング島から29年振りに帰還された際、テレビ中継された両親との対面シーンは今も鮮明に記憶している。

 母親のタマエさんは深々と頭を下げる息子に「母が言った言葉を最後まで守ってくれ、ありがとうございました」と言葉を掛け、一呼吸おいて「えらかったのう」と涙を流した。

 その後、ご本人からうかがった話や手記などによると、陸軍中野学校を卒業して44年、フィリピンに派遣される際、タマエさんは「敵の捕虜となる恐れがある時は、これで立派な最期を遂げてください」と短刀を贈った。小学校1年の時、ささいなトラブルから友達の手にナイフでケガをさせた際には「人に危害を加えるような子を生かしてはおけません」と切腹を迫ったという。

 両親を敬愛する氏にとって、80年、川崎市で起きた「金属バット事件」は信じ難い事件だった。浪人生が両親を金属バットで殺害し、移住先のブラジルでも邦字紙に大きく報道された。

事件を機に、自然との触れ合いを通じた青少年の健全育成を思い立ち、4年後、富士山麓に子どもたちのキャンプ場、さらに小野田自然塾の開設にこぎつけ、2万組を超す親子を指導してきた。

塾の精神は「不撓不屈」。「親は心を鬼にして子どもを叱らなければならない時がある」「親が変われば子も変わる」と説き続けた。

「不撓不屈」小野田自然塾.jpg
塾の精神「不撓不屈」が刻まれた石碑


 昨年1月、人生の同志でもある町枝夫人とともに訪ねて来られ「私どもの仕事も体力的に終りに近づきました」と長年の協力に礼を述べられた。背筋をピンと伸ばした姿は90歳とは思えず、一層の活躍をお願いしたと記憶する。

 戦後日本は新憲法の下、しつけから教育まで全てが変わり、親の存在感も希薄となった。しかし子どもは、尊敬し時には怖い親の存在があってこそ健全に育つ。

われわれの社会は、小野田さんがルバング島のジャングルで闘い続けた29年間に、大切な何かを失った気がする。
(ささかわ・ようへい=日本財団会長)



*2月20日、自衛隊の週刊新聞「朝雲」に掲載されたエッセーです。
2月27日(木) [2014年02月27日(Thu)]
2月27日(木)

7:35 財団着

9:00 「まつり基金」事業打合せ

10:40 武部恭枝 プライムコーポレーション代表取締役

11:50 東京駅発

13:30 名古屋駅着

14:00 日本財団福祉車両贈呈式 於:中日新聞本社

14:30 小出宣昭 中日新聞社社長

15:30 名古屋駅発

17:10 東京着 
「日仏対話」―お知らせ― [2014年02月27日(Thu)]
「日仏対話」
―お知らせ―


笹川日仏財団では、3月11日〜14日まで、伊勢の皇学館大学で日仏シンポジウム「ルーツとルーツの対話」を開催します。フランスの有名な文人政治家アンドレ・マルローが、40年前の京都で「東西対話はルーツとルーツの対話が必要」との提言をしていたこともあり、第62回伊勢遷宮を機に霊性文化の深層を探ります。

日本側の責任者の一人である竹本忠雄先生(筑波大学)は、アンドレ・マルローが世界遺産である熊野古道から那智の滝、伊勢神宮への旅で啓示を受けた時に同行された方です。

少し堅苦しいシンポジウムのように思われるかも知れませんが、日仏の斯界の権威が一同に会するのは珍しく、これが最初にして最後かも知れません。

以下にプログラムをご案内します。

**************


日仏シンポジウム《ルーツとルーツの対話》
主催:笹川日仏財団 特別協力:皇學館大学


2014年3月11日[火]〜14日[金]*入場無料・同時通訳付
開場8:30 会議9:00〜16:50 最終日のみ9:00〜17:45
於:皇學館大学 三重県伊勢市神田久志本町1704番地
Tel :0596-22-6309
【自然とサクレ ( 聖性 ) 】 3月11日[火]
      ベルナール・セルジャン(フランス神話学会会長 )
      アンドレ・ヴォシェ(中世霊性史、フランス学士院会員)
      ベルナール・フォール(日本宗教史・コロンビア大学教授)
      後藤 俊彦(高千穂神社宮司)
      鎌田 東二(哲学・宗教学、京都大学)
      稲賀 繁美(比較文化、国際日本文化研究センター)

【芸術と宗教 】3月12日[水]
      フェランテ・フェランティ(写真家、聖地巡礼)
      アミナ・タハ・フセイン・岡田(インド美術、ギメ美術館主任学芸員)
      フランソワ・ラショー(宗教美術史、仏極東学院・高等研究実践院)
      高橋 陸郎(詩人、短歌・俳句並作)
      芳澤 勝弘(禅学・花園学園大学)
      ツトム・ヤマシタ(音楽家、音禅法要芸術監督)

【霊性的体験】 3月13日[木]
      フィリップ・マルキヴィッチ神父(ベネディクト派修道会士)
      ベルトラン・ヴェルジュリ(パリ聖セルギウス研究所)
      太寛常慈(臨済宗妙心寺派フランス人禅僧)
      島薗 進(宗教学・死生学、上智大学)
      長谷川 三千子(哲学、評論、埼玉大学)
      高橋 和夫(哲学・宗教学、文化学園大学)

【ルーツと普遍性、日仏における新しい霊性の形】 3月14日[金]
      ダニエル・エルヴュー=レジェ女史(宗教社会学、『忘れじの宗教と、動く宗教と』)
      ジャン=ピエール・ローラン(ルネ・ゲドン研究、秘境史)
      アレクシィ・ラヴィス(哲学・儒教・道教・仏教、ルーアン大学)
      丸山 敏秋(東洋思想史、倫理研究所理事長)
      田中 英道(美術史、評論、東北大学)
      吉田 敦彦(比較神話学、学習院大学)

総括:オリヴィエ・ジェルマン=トマ(作家・放送製作家)
   竹本忠雄(マルロー研究、筑波大学)

*世界的なパーカッショニスト、ツトム・ヤマシタ氏によるシンポジウム開催記念の奉納演奏会を開催します
3月10日[月]14:30〜15:30 於:せんぐう館
出演:ツトム・ヤマシタ、横澤和也、志村禅保、高橋睦郎、O. ジェルマントマ

お申し込み:ご氏名、ご所属、お役職名、ご連絡先(住所・tel/fax・メール)、参加ご希望日をご記入の上、t-ito@spf.or.jpあるいはfax03-6229-5449までお申し込みください。

*******************


入場無料、同時通訳があります。
お手数ですが、ご興味のある方はご連絡ください。
2月26日(水) [2014年02月26日(Wed)]
2月26日(水)

8:00 語り場

8:30 CSR事業打合せ

9:00 森田文憲 日本海事科学振興財団理事長

10:00 理事会

11:00 羽生次郎 笹川平和財団会長
    今 義男 海洋政策研究財団理事長

12:20 宮本正顕 笹川アフリカ協会理事

13:00 武部恭枝 プライムコーポレーション代表取締役

13:30 紀伊國献三 笹川記念保健協力財団理事長

14:00 テレビマンユニオン・ビデオ編集

16:00 西田陽光 次世代社会研究機構代表理事

16:30  テッ・ナイン・ウィン ミャンマー国境大臣
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18:00 モンゴル国会議員訪日団歓迎レセプション

19:30 アジア大洋州大使会議レセプション
「日本人としての誇り」その2―講演― [2014年02月26日(Wed)]
「日本人としての誇り」その2
―講 演―


「第6回B&G全国サミット」
於:笹川記念会館・国際会議場


講演会.jpg


世界は日本をどう見ているか。BBC放送が3年に1回行う調査では、世界百数十カ国の中で最も平和で安定した国は日本という結果が出ています。これまでに世界125カ国を訪れてみて、日本ほど四季が明確で、はげ山がない国はまずありません。山紫水明と言いますが、20世紀後半の世界の大問題である水問題ひとつをとっても、中国などは水がなくて、地下水を掘っても公害の水で飲めないということで、南の揚子江の水を黄河流域に流し込むことまでやっていますが、全然足りません。日本のように、ちょっと山に入れば手ですくって水が飲めるような国はありません。

日本には1000年もの昔に女性が書いた源氏物語を筆頭に、多くの小説や書き物があります。1000年前のヨーロッパは手で物を食べていました。その時代に日本人は箸を使って食べ、上流階級の人は詩歌を歌い和歌を作って恋愛をしていたんです。知的水準が高いのです。

人口が100万を超えた江戸の街には、近年、世界の人が望む、環境を重んじた循環社会が既にできていました。町民と言われる人たちは権力を持たないものの、歌舞伎や人形浄瑠璃を楽しみ、お伊勢参りをし、自由闊達な生活ができる環境があったんです。

ビクトリア王朝で活躍した英国の憲政学者ウォルター・バジョットは、国の理想的な体制は権力と権威を分離することが望ましいと言っています。そういう国はどこにあるんでしょうか。日本でしょう。天皇家は権威はお持ちになるが、権力は将軍家が持ち、権威と権力を分離したのです。英国の学者が言う素晴らしい制度が日本の中に、知らず知らずに誕生していたのです。

マーチン・ルーサーキングは黒人の人権運動でノーベル平和賞をもらいましたが、アメリカの人種差別はいまだに深刻な問題です。世界から人種差別をやめようという提案を国際会議で初めて行ったのは日本なのです。第1次世界大戦後のパリ講和会議・国際連盟委員会で提案し、議長をしていたウィルソン米大統領の拒否で通りませんでしたが、人類の普遍的原理である人種差別撤廃決議まで出した日本が、誇るべき外交成果を言わないまま、従軍慰安婦問題に翻弄されているは姿は情けない気がします。

サミュエル・ハンチントンは日本を世界の八大文明の一つに位置付けました。かつて中国から影響を受けたものの、それを消化しながら独自の文明を作ってきたのです。中国の近代化の関係で言えば、日本はマルクス、レーニンをはじめ、社会主義の文献の多くを日本語に翻訳していました。しかし中国にそういう言葉はなく、日本語を取り込んで今の中国共産党理論を作ったのです。中国の学生に「中華人民共和国」の中で中国語はどれかと聞くと、バカなことを聞いているなっていう顔をしますが、中華以外、人民も、共和も、国も日本語です。労働者、資本家、経営者、企業、賃金、芸術、文化、哲学・・・。中国で使われている約1400を超える社会科学系の言葉は、全部日本語です。中国は日本から言葉を輸入して今の共産主義体制を作り上げたとも言えるでしょう。

こういう話をほとんどの人は知りません。ですから私たちは、先人たちが築いてきた歴史や輝かしい文化を、きちっと次の世代に伝えていく必要があるのです。誇りを持つことと傲慢になることは別です。日本人は、謙虚で秩序ある国民性に立って、2000年の長い歴史を身に付け誇りを持つことが大切です。

国語教育の中に英語を取り入れるとか言っています。グローバリゼーションの時代、英語も必要ですが、日本のことを知らなかったら何もしゃべれない。勉強していないから外国人から聞かれても答えようがなく、「日本は特殊な国です」って逃げているうちに、「日本特殊論」が近年まで日本の位置付けになってしまった。これは学者や外交官の責任です。

日本は今、アベノミクスで経済が栄えようとしていますが、ここにも日本の特徴があります。世界で100年以上続いている企業はそれほどありません。アメリカでも100もないでしょう。マイスター制度、いわゆる匠の世界のあるドイツでも約2000と言われています。ところが日本には100年を超える企業が5万社もあります。自らの仕事に誇りを持ち、創業者の伝統を生かしながら社会の変化に対応してきたのです。

多分、韓国ではゼロでしょう。韓国は両班(ヤンバン)といって軍人か役人、この二つを目指します。それ以外の職業は下賤なものされ、有名な料理屋もお金が貯まれば息子を海外に留学させ、運動神経のいい子にはゴルフを教え、プロにするために店をたたんで家族ぐるみで海外に出て行く。中国、韓国人の多くは次に産まれてくる時には他の国がいいと言います。これに対し日本人は90パーセント以上が次に産まれてくる時も日本がいいと言いながら、自らの国に誇りを持っていないのは残念であり、不思議なことです。

笹川会長.jpg


江戸時代末期から明治時代初期にかけて日本を訪れた欧米人の手記や書簡を掲載したベストセラー、渡辺京ニ氏の『逝きし世の面影』を読むと、いかに多くの外国人が日本を絶賛しているかがわかります。東京から日光に抜け福島、秋田、青森を通ってアイヌまで旅をしたイザベラバードという女性は、日本の田園風景の素晴らしさ、貧しいながらも礼儀正しい、いつも笑いを持った国民は珍しいと書いています。相対性原理を発見したアインシュタインも日本を絶賛しています。黒船で最初に伊豆に来たハリスは「こんなに笑顔を持って、子どもを大切にする国を見たことがない。こういう国に西洋の文化を入れていいのだろうか」と日記の中に悩みを書き遺しています。

先般、産経新聞の正論誌に載った慶応大学生、山本みずきさんの「18歳の宣戦布告国家観なき若者に次ぐ」が評判を呼びました。高校1年生で福岡県から選ばれ大使としてマレーシアに行った時、『君が代』を知らず、恥ずかしい思いをしたということを書いています。アメリカでは学校の教室には必ず星条旗を置き、いたずらをすれば星条旗を持たせて「もう二度としません」と約束させています。

国旗や国歌は思想、信条を超えて存在する普遍的なものです。軍国主義と関係するとかしないとか、そんな議論をしているのは、世界広しといえども日本だけです。だから日本の常識は世界の非常識と言われるのです。どうか次代を担う日本の子どもたちが自信と誇りを持つよう、きちっとした教育、しつけをしていただきたい。日本人の顔をした無国籍の子どもを増やしてはなりません。

宗教争い、民族紛争のない国を世界の中から探してみてください。ほとんどないのは日本だけです。権威と権力が分離した普遍的な政治体制を持つ国も日本を除いてほとんどありません。世界には193の国連加盟国がありますが、私は自信を持って、日本は世界一素晴らしい国だと言えます。
(了)

(注)
戦後、日本の教育がGHQの深謀遠慮によってどのように捻じ曲げられたか。
占領文書250万ページを読破した高橋史朗著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社 1890円)は一読に値する。

ご興味の向きはどうぞ。

2月25日(火) [2014年02月25日(Tue)]
2月25日(火)

8:00 語り場

9:30 原野城治 ニッポンドットコム代表理事

10:00 羽生次郎 笹川平和財団会長

10:30 波多野茂丸 芦屋町長

11:00 評議員会

14:20 岡嵜修平 海洋政策研究財団常務理事

14:30 新海洋ビル打合せ

16:30 三橋一弘 新潟県・国際大学副学長補佐

18:00 屋山太郎 政治評論家
2月24日(月) [2014年02月24日(Mon)]
2月24日(月)

8:30 前田 晃 日本財団常務理事

10:20 胡 一平 笹川日中友好基金

10:40 喜多悦子 笹川記念保健協力財団理事長

10:55 鳥井啓一 日本財団参与

13:10 柴崎治生 東京財団常務理事

13:30 日本財団在宅看護センター・起業家育成事業・記念フォーラム(挨拶)
    「看護師が社会を変える」

15:20 ママプロジェクト事業打合せ

15:30 上瀧和則 日本モーターボート選手会会長

16:00 Bjorn Kjerfve世界海事大学学長

17:00 逢沢一郎 衆議院議員

18:00 図書30冊達成メンバー・懇談会
「日本人としての誇り」その1―講演― [2014年02月24日(Mon)]
「日本人としての誇り」その1
―講 演―


「第6回B&G全国サミット」
於:笹川記念会館・国際会議場


B&G(ブルーシー・アンド・グリーンランド)財団の第6回サミットが1月30日、東京・三田の笹川記念会館に、財団の支援で体育館やプールなど「海洋センター」を持つ全国390自治体から首長や教育長ら650人が出席して開かれた。冒頭、「日本人の誇り」と題して講演の機会を得た。

以下、2回に分け、講演要旨を掲載させていただく。
ご批判、ご意見をいただければ幸いです。

全国サミット.jpg


*********************


昨日までインドネシアでハンセン病の制圧活動をしておりました。主にパプア島での活動でしたが、島の半分は独立国のパプアニューギニアで、あとの半分がインドネシア領になっています。特にビアク島やその周辺は激しい戦闘で2万人近くの日本兵がほとんど全滅したところです。洞窟に入ってみますと、秋田県とか岡山県から、出征の時に奥さんが身ごもっておられたのでしょうか。そういう人のお嬢さんが成人して、見たこともない父親のために自分や家族の写真を慰霊塔に供えられており、涙なしに見ることはできませんでした。戦争に対する評価はさまざまですが、日本自身がもっときちんと見直していく必要があるのではないか。

海外を回っていますと、自然と日本に思いをいたすわけですが、素晴らしい国に生を受けているにも関わらず、それがどのぐらいすごいか、日本人自身はほとんど知らないわけです。とりわけ青少年が知らないことに対し、後期高齢者の1人として重い責任を感じます。

先般、小野田寛郎さんが91歳で亡くなりました。未来を担う子どもたちのために余生を過ごしたいとのことで、日本財団もお手伝いをさせていただき、B&G財団の子供たちのためにも多大なご協力をいただきました。日本人としての誇りを持ち、この国を世界の中で十分な役割を果たす国家にしていかなければならないと最期まで働かれました。

歴史が断絶した国は世界で日本しかありません。歴史というものは、良いにつけ悪いにつけ、語り継がれなければならないわけですが、戦後の民主主義教育の中では「戦前は悪、戦後は善」、「江戸時代は封建時代」としか教えませんでした。誤った考えや行動は、世界のどの国にもあり、日本だけの問題ではありません。なのに日本は戦後長くGHQの指導の下、自虐史観、自らを貶める考えを徹底的に受けてきたわけです。メディアの韓国、中国報道などを見ると、その残滓が今も続いているのがお分かりいただけると思います。

そういう中で台湾やフィリピン、マレーシア、インドネシア、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、インドといった国々は、ことのほか親日的です。日本の敗戦という厳粛な事実の中でアジアがどのように蘇ったか、ある意味でそれは二百数十万に上る日本兵の犠牲によって達成されたわけです。

第2次世界大戦の正式な名称は大東亜戦争です。福沢諭吉の脱亜入欧、率先してヨーロッパの知識・制度を取り入れて日本を近代化し、これを基に遅れているアジアを引き上げていく壮大な構想でした。しかし大東亜戦争の名称はGHQの厳しい検閲で消され、幼稚園の遊戯大会で飾られた万国旗の中の日本の旗も黒く塗りつぶされる有様でした。

GHQに厳しく検閲された当時の日本の新聞は、アメリカのメリーランド大学のブランゲコレクションに保存されています。日本財団はこれをマイクロフィルム化してきましたが、メディアに対する弾圧は半端ではありませんでした。当時は新聞をはじめとしたメディアが使用する紙はGHQの割り当てだったので、逆らうような批判的な記事は書けなかったのです。

日本は石油の80%以上を海外から輸入しなければやっていけませんでした。ところがアメリカは、日本に石油を輸出してはいけないというルールを作って日本を締め上げ、排日移民法で日本人移民を苦しめ、学校にも行かせない、土地も買わせない。日本が生きるためにはやむにやまれぬ戦争だったのです。戦争が悪であるのは間違いありませんが、GHQの最高司令官だったマッカーサー元帥も帰国後、アメリカの議会で「日本は自衛のために戦いをせざるを得なかった」と証言しています。

大東亜戦争前のアジアの国々はどうだったか。フィリピンはアメリカ、マレーシア、シンガポール、ミャンマー、インドはイギリス、ベトナム、ラオス、カンボジアはフランス、インドネシアはオランダの植民地でした。これらの国々は大東亜戦争の後、独立を勝ち取りました。その多くに日本軍人の協力がありました。

先般、安倍総理がインドに行かれました。インドと日本は100年の長きにわたる幅広い交流があります。皆さんがよく召し上がるカレーライスは、ビバリーボースというインドの革命家が日本に亡命して新宿にある中村屋という果物屋さんに匿われ、そこのお嬢さんと結婚して、日本人にカレーはどうかということで日本風のカレーが始まったわけです。

インド独立には、日本人が重要な役割を果たしています。日本が大東亜戦争でシンガポールまで攻め落とした時、英国側で働いていたというか徴用されていたインド人5万人が捕虜になりました。彼らに食料を与え、面倒を見たのが若干32歳の藤原岩市という日本兵でした。インテリジェンス活動が主だった人物ですが、5万人の捕虜をスタジアムに集め「あなたたちはこれからインド解放のために戦わなければならない」と大演説を行いました。そして、ドイツにいたインド独立運動の指導者チャンドラ・ボースを潜水艦でシンガポールに移し、彼を長に5万人のインド独立軍ができたわけです。それが今のインド国軍です。

チャンドラ・ボースは「インド解放のために無駄な死に方をしてはいけない」という日本軍の反対を押し切ってインパール作戦にも参加しました。日本は負け、参加したインド兵はニューデリーやカルカッタで英国の軍事裁判にかけられるわけです。しかしネルーやマハトマ・ガンジーが「裁判は不当」と立ち上がり、彼らを釈放させるとともにイギリスを撤退させ、独立を勝ち取るわけです。藤原岩市なければインド独立はなかったと言っても過言ではありません。

インドネシアはどうでしょうか。日本がオランダを追い出し、負けたところに再びオランダが進軍してきた時、日本軍人や民間人約250人が祖国に帰らずスカルノを助け、インドネシアの独立が実現したわけです。

今、私が政府代表として武装勢力と政府側の交渉の一助をしておりますミャンマーの建国の父と言われ、アウンサン・スー・チー女史の父親であるアウンサン将軍も、当時ビルマといったミャンマーの独立のために日本の訓練を受けています。日本敗戦後、南機関と言われる約30人の将兵がミャンマー人の若き兵士を教育してイギリスとの戦争を戦い抜き、独立を勝ち取ったわけです。ミャンマーの陸軍士官学校では今も30を越える日本の軍歌がミャンマー語で歌われ、軍艦マーチは現在も彼らの最も得意とする音楽の一つ、「匍匐前進」(ほふくぜんしん)などの言葉も残っています。

先ほど申し上げたパプアニューギニア。これはオーストラリアが占領していたわけですが、日本の敗戦後、柴田さんという日本軍の中尉が、パプアニューギニアの国父と言われているマイケル・ソマレ首相の右腕としてオーストラリアと戦いました。その後、国が独立、初の選挙にマイケル・ソマレが立候補した時に助けたのがB&G財団生みの親である笹川良一です。ソマレは伝記の中で「良一は自分の親父みたいな人だった」、「この名誉ある名前をいただいて、息子にマイケル・ソマレ・リョウイチの名を付けた」と書いています。

台湾の蒋介石は「恨みに対し恩を持って報いたい」と日本兵を無傷で返してくれました。台湾に移動する時、軍を強化しないと共産主義に負ける、ということで日本に協力要請があり、岡村寧次大将を中心に使節団が入りました。メンバーの一人で私のはるか先輩でもあった富田大佐は「共産党の赤に対して白で対峙する」と言って「パイ」という名前で現地に入り、現在の台湾軍を創設した人として大きな足跡を残しています。

それでは中国大陸はどうだったか。「国父」とまで言われる孫文の日本、ハワイ、香港での亡命生活の面倒をみた人に梅屋庄吉がいます。香港で写真屋から活動写真、映画館の経営で億の金を残し、孫文の活動を全面的に支え、仲人もしました。日中国交40周年事業として上海で梅屋庄吉展をやる計画になっていたのですが、現下の状況で中止になったのは残念です。

昭和24年か25年のことですが、毛沢東から日本の旧陸軍の人たちに「われわれが作った共産中国が本当に機能しているか見学して助言がほしい」という声が掛かり、一行25、6人が、香港まではパスポート、さらに密入国同然で大陸に入り、毛沢東が手配した飛行機1機に乗って1カ月間にわたって中国全土を視察したことがあります。一行は視察後、毛沢東の自宅に招待を受けました。横には周恩来も彭徳懐元師もいました。最年少者は陸軍士官学校を出る前に終戦になった当時29歳、現在は89歳の清水さんという方で、この時の資料が私どもの手元にあります。

それによると、視察団の団長はこの席で「とんでもない国になってしまった。毛沢東さん、あんた悪い。共産主義では、これからの中国はあり得ない。私はあなたのやり方に大反対だ」と言ったんですね。これに対し毛沢東は「ありがとう、ありがとう」と言いながら笑顔で話を聞いた。中国人もこれくらい腹は太かったんですね。それに比べ昨今の状況は少し情けない気もします。

「歴史にifはない」と言いますが、大東亜戦争という日本の戦いがなければ、アジアの国すべてが独立を達成するということはあり得なかったと思います。いまだにインドネシアはオランダ領、フィリピンはアメリカの植民地、ベトナム、ラオス、カンボジアはフランス領、インド、ミャンマーは英国領だったかもしれません。

アジアは今や、世界で最も発展する可能性のある地域として注目されていますが、国づくりを初歩から助け、十数年前、アメリカの投資家ジョージ・ソロスが仕掛けたタイのバーツ売りでアジアの通貨が大混乱してすべて下落する中、買い支えをやったのも日本です。これによって、今日のアジアの経済発展があるのです。

皆さんは佐藤栄作元首相は沖縄返還でノーベル平和賞を受けたと信じておられると思います。それも一部ではありますが、アジアの平和と安定のために貢献したというのが一番の趣旨です。

私の話を聞いていただいて、日ごろの新聞報道などと相当違った感想をお持ちになったと思いますが、今、アジアの国の多くは「日本よ、今一度われわれの兄貴分として、世界のために、アジアの代表として存在感を示してほしい」と願っています。

(次回に続く)

2月22日(土) [2014年02月22日(Sat)]
2月22日(土)

0:30 バンコク発

7:50 成田着
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