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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「フィリピン・クリオン島へ ボランティア募集」―台風被害のハンセン病の島― [2014年01月31日(Fri)]

「フィリピン・クリオン島へ ボランティア募集」
―台風被害のハンセン病の島―


昨秋11月、フィリピンを襲った大型台風は、レイテ島を中心に、大きな爪痕を残した。

レイテ島には国際機関をはじめ、多くの救援隊が入り活動していることはメディアでよく知るところである。しかし、クリオン島も同じように被災したが、報道されることはなかった。

クリオン島は、かつては世界最大のハンセン病患者を隔離した島であった。筆者のブログに再三登場したこの島は、マニラから空路でコロン島に入り、そこから船で小一時間ほどのところにある。フィリピン全土からハンセン病患者が集められ、「絶望の島」としてフィリピンではよく知られた島で、岡山県の長島愛生園はこの島のあり方をヒントに建設されたともいわれている。

数年前、この島でハンセン病患者移住100周年の記念式典が行われ、筆者も挨拶の機会を得た。「絶望の島・クリオン」は、100年後、「希望の島・クリオン」に生まれ変わったのである。笹川記念保健協力財団の支援で歴史的資料を展示する資料館も立派に完成していた。祖父がハンセン病回復者であったクナナン医師が島の指導者として活躍されており、クリオン島の発展により他島からの移住者も多く、差別やスティグマのない現況となっている。

クリオンミュージアム.jpg
クリオンミュージアム

2006年5月、100周年式典に合わせてリニューアルオープン式典.jpg
100周年式典に合わせてリニューアルオープン式典も

ミュージアム内部.jpg
リニューアルされたミュージアムを訪問する人たち


そのクナナン医師より「支援の連絡を受けたのは笹川記念保健協力財団だけだった」との礼状と共に、現況報告を受けた。治安が不安定なレイテ島とは異なり安定しているが、ハンセン病回復者の住居は相当被害を受けており、手足の不自由な回復者が自力で住まいを修復することは不可能であるとのことであった。

そこで日本財団学生ボランティアセンターでは、学生ボランティア80名を4班に分けて派遣し、家屋の修繕に協力することになった。

     期間は 第一陣 2月12日〜2月20日 20名
         第二陣 3月2日〜3月9日  20名
         第三陣 3月18日〜3月25日 20名
         第四陣 3月25日〜3月30日 20名

支援金をご協力くださる方、参加希望の方は、下記をクリックしてください。

支援金(笹川記念保健協力財団)
参加希望


1月30日(木) [2014年01月30日(Thu)]

1月30日(木)

7:40 財団着
    書類整理、打合せ、決裁

14:00 第6回B&G全国サミット 講演「日本人としての誇り」

14.01.30 B&G財団 講演.jpg

1月29日(水) [2014年01月29日(Wed)]

1月29日(水)

6:35 ジャカルタより、成田着

8:30 自宅着

14:00 財団着
    書類整理、打合せ

16:20 羽生次郎 笹川平和財団会長

「朝雲」―ペリリュー島の碑― [2014年01月29日(Wed)]

「朝雲」
―ペリリュー島の碑―


 「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守るため日本軍がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」

 第2次世界大戦の激戦地、パラオ共和国・ペリリュー島にこんな言葉を刻んだ碑がある。末尾に大戦中、米太平洋艦隊司令長官だったチェスター・ニミッツの作と記されているが、否定説もあり、真偽は分からない。

palau1[1].gif

英語.jpg


 たまたま日本財団が支援するミクロネシア地域の海上保安能力強化プロジェクト調印のため今月初め来日されたトミー・レメンゲサウ大統領も「よく調べてみたい」とのことだった。

 ニミッツは東郷平八郎元帥の心酔者だったことで知られる。連合艦隊が日本海海戦でロシア・バルチック艦隊に大勝した1905年、米アジア艦隊の士官候補生として戦勝祝賀会に招待され、東郷元帥と直接言葉を交わして感銘、34年の元帥の葬儀にはアジア艦隊旗艦の艦長として参列した。

 第2次大戦後も日本海海戦で連合艦隊の旗艦だった「三笠」が、横須賀港で銅や真ちゅうを戦争資材として剥がされ無残な姿をさらしているのに心を痛め、58年、文藝春秋に「『三笠』と私」を寄稿。

 「日本国民と政府が、全世界の海軍軍人に称賛され、尊敬されている提督の思い出を永らえるために、適切な方法を講ずることを希望する」と訴え、自ら印税を寄付する一方、廃艦となった米楊陸艦の廃材3000万円を保存費用に贈った。

 ペリリュー島の攻防が行われたのは大戦末期の44年9月。航空母艦を含め総兵力4万2千人の米軍と1万2千人の日本軍守備隊が2ヵ月半にわたり激闘。日本軍は軍機、機密書類を処分したことを意味する「サクラ・サクラ」の電文を最後に玉砕し、米軍にも1万人の死者が出たとされている。

 日本軍は米軍の総攻撃を前に、地元民全員を夜陰に紛れ船で本島に移した。結果、地元民に犠牲者はなく、今もこの国の親日の支えとなっていると聞く。

 ニミッツはこの戦闘の最高司令官、戦艦ミズーリ号上で行われた大日本帝国の降伏文書調印式で米国代表も務めた。しかし連合軍最高司令官のマッカーサーに比べ日本での知名度は低い。戦術など意見の違いも多かったとされるが、軍人としての生き様を見る限り、碑文の筆者がニミッツであっても特段の違和感はない。

 情報をお持ちの方に是非、この間の事情をご教授賜りたく思う。
 (ささかわ・ようへい=日本財団会長)


*12月19日、自衛隊の週刊新聞「朝雲」に掲載されたエッセーです。

1月28日(火) [2014年01月28日(Tue)]

1月28日(火)

6:00 朝食

7:10 ホテル発

8:10 シタナラ(Sitanala)ハンセン病病院と隣接するコミュニティー訪問

約80人が入院するシタナラ病院を訪問

@シタナラ病院を訪問.jpg


Aシタナラ病院.jpg


Bシタナラ病院には約80人の入院患者がいる.jpg


Cシタナラ病院に隣接したコミュニティーの英語教室.jpg
シタナラ病院に隣接したコミュニティーでは英語教室が


12:15 ホテル着

12:30 関係者と昼食

17:00 ホテル発

18:45 空港着

21:40 ジャカルタ発、成田空港へ

1月27日(月) [2014年01月27日(Mon)]

1月27日(月)

7:00 朝食

9:20 ムボイ保健大臣

@保健大臣と.jpg
ムボイ保健大臣


10:00 ラクソノ福祉担当調整大臣

10:30 グローバル・アピール2014式典(スピーチ)

B式典でスピーチ.jpg
式典でスピーチ

Cグローバルピールを人権委員とハンセン病回復者たちと読み上げる.jpg
人権委員、ハンセン病回復者たちと共に「グローバル・アピール」を読み上げる

D約250人が参加した会場.jpg
参加者は約250人


12:00 記者会見

E記者会見.jpg


13:00 昼食

14:00 人権委委員によるワーキング・セッション(挨拶)

14:45 TEMPOインタビュー

14:45 人権委委員によるワーキング・セッション

18:30 世界海事大学(WMU)フェロー

FWMUフェロー.jpg
WMUフェロー


19:00 グローバル・アピール関係者レセプション

無題.jpg
宿泊のホテルでミスコンテストの予選が開催されていました
コンテストに参加するインドネシア各地の代表者たちと
左端は先日訪問したパプア州の代表、満面の笑顔でスミマセン・・・

「中国の小話」その27―世界一の商人はどこの国か?― [2014年01月27日(Mon)]

「中国の小話」その27
―世界一の商人はどこの国か?―


当たり前のことであるが、海外で働くに日本人は、世界中の文化も歴史も異なる人々と商売をしなければならない。

多くの日本人は極めて実直で、近江商人の伝説を継承し、3方良し(売手良し、買手良し、社会良し)を心得ている人が多い。しかし、これは日本国内の話であって・・・と言いたいところだが、最近、国内でも偽装食品で買手(消費者)を騙し「売手良し」だけを実現しようとする「あこぎ」(際限なくむさぼること、あつかましい)な一流企業も現れてきた。

また、多くの経営者はコンプライアンス(法令遵守)をお経のように口にするが、大銀行でも暴力団への融資が存在するという。

これも新自由主義経済とやらの利益至上主義のなせるわざなのか・・・。

100年前の日本を代表する企業家・渋沢栄一は、経営者は「高い倫理、道徳感が必要である」と言っていた。現在の経営者に渋沢の爪のアカでも煎じて飲ませたいものである。

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渋沢栄一氏


話はそれたが、世界最強の商人は次の通りである。

日本人は中国人には勝てない。
中国人はベトナム人には勝てない。
ベトナム人はインド人・パキスタン人は勝てない。
インド人・パキスタン人はユダヤ人には勝てない。
ユダヤ人はレバノン人・シリア人には勝てない。
一般的にこのように言われているが、以下の小話でいくと、中国人が世界最強の商人かもしれない。

************


天国に行く扉が壊れ、神様は修理の競争入札を行った。
インド人とドイツ人と中国人が参加。入札価格は下記の通りであった。

インド人:3000元  材料費1000元、人件費1000元、利益1000元。

ドイツ人:6000元  材料費2000元、人件費2000元、利益2000元。

中国人 :9000元  3000元を神様に、3000元を利益に、残りの3000元でインド人に請負をさせる。

神様は「やはり中国人は頭がいい」と、中国人落札を決定した。

1月26日(日) [2014年01月26日(Sun)]

1月26日(日)

6:30 朝食

8:00 ホテル発

8:20 空港着

10:20 ビアク発

13:50 ジャカルタ着(マカッサル経由)

15:30 ホテル着

17:00 日本モーターボート選手会によるインドネシア・ハンセン病回復者団体(ペルマータ)への奨学金調印式

A調印式にサインする上瀧会長とペルマータ代表のマネク氏.jpg
調印式にサインする日本モーターボート選手会・上瀧会長とペルマータ代表マネク氏

B笹川記念保健協力財団喜多理事長、上瀧会長、ペルマータ代表と.jpg
左から、笹川記念保健協力財団・喜多理事長、上瀧会長、ペルマータ代表、筆者

@調印式であいさつ.jpg
調印式で挨拶

C参加したペルマータのメンバーたちと.jpg
ペルマータのメンバーたちと記念撮影


19:30 鹿取克章 在インドネシア日本大使との夕食会

1月25日(土) [2014年01月25日(Sat)]

1月25日(土)

6:00 ホテル発

7:00 空港着

8:00 ジャヤプラ発

9:00 ビアク着

10:10 ビアク保健所(Biak Kota Health Center)

@ヘルスセンターで歓迎のミュージック.jpg
ヘルスセンターでは歓迎のミュージック

Aヘルスセンターに通うハンセン病の患者さんと.jpg
ヘルスセンターに通うハンセン病の患者さんと


10:40 ビアク ヌンポール総合病院(Biak Numpor General Hospital)

B病院にて.jpg
患者を激励


11:30 ビアク保健所(Biak Kota Health Center)

12:00 ハンセン病回復者のアビア・ルンビアック氏が住む小屋を訪問

Cアビア氏の小屋を訪問.jpg
アビア氏の小屋を訪問


13:30 ホテル着

14:00 関係者との夕食

15:00 日本人戦没者記念碑、日本軍が立てこもった洞窟

D日本軍の司令部があった洞窟.jpg
日本軍の司令部があった洞窟

E洞窟の中へ.jpg
洞窟の中へ

F洞窟の中.jpg
洞窟の中


18:00 ハンセン病回復者のアビア•ルンビアック氏の小屋を再訪し、夕食を共にする

1月24日(金) [2014年01月24日(Fri)]

1月24日(金)

6:30 朝食

9:00 パプア州 クレメン・ティナル(Klemen Tinal)副知事

@副知事と.jpg
クレメン・ティナル副知事(左)


9:50 ハマディ保健所(Hamadi Health Center)

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ハマディヘルスセンターで、伝統衣装を纏ったハンセン病回復者の女の子が出迎えてくださった

B鳥がついた帽子は初めてです!.jpg
鳥がついた帽子は初めてです!

C保健所に来ていたハンセン病回復者の方と.jpg
保健所に来ていたハンセン病回復者と

Dこんな小さな子供たちがハンセン病に。早期発見で後遺症は全くない。.jpg
こんな小さな子供たちがハンセン病に
でも、早期発見で後遺症は全くなかった!


E
jpg
筆者も民族衣装でパチリ
違和感が全くないのは何故?


11:00 保健所にて昼食

11:45 ハンセン病患者の家を訪問

Fハンセン病に罹って学校を辞めてしまったボイ君15歳.jpg
ハンセン病を罹って学校を辞めてしまったボイ君15歳


12:30 ホテル着

14:00 パプア州保健担当Dr.アリからハンセン病についての説明&意見交換

18:00 Dr.アリらとの夕食
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