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日本財団会長 笹川陽平ブログ

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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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12月27日(金) [2013年12月27日(Fri)]
12月27日(金)

8:00 CSR事業打合せ

9:00 東京財団「CSR委員会」報告

9:40 佐藤英夫 日本財団常務理事

10:00 上瀧和則 日本モーターボート選手会会長

10:15 佐藤雄二 海上保安庁長官

11:15  梅田邦夫 外務省国際協力局局長

12:00 「日本財団友の会ブレスト」に関する打合せ

14:00 聖路加国際病院

15:30 紀伊国献三 笹川記念保健協力財団会長

16:30 合同納会 挨拶

17:00 ミャンマー勉強会
「年末ご挨拶」 [2013年12月27日(Fri)]
「年末ご挨拶」


当然といえば当然ですが、一年は早いものですね。

今年は正月2日のミャンマー訪問に始まり、昨26日、ブラジル、コロンビアでのハンセン病制圧活動から帰国し、今年の海外での活動は終了しました。

この一年の海外活動は21回で、延べ37ヶ国、約5ヶ月間(145日)でした。その間、職員の献身的な努力により、旅程もほぼ順調でした。

唯一のトラブルは9月、アディスアベバ(エチオピア)からの移動の時でした。アフリカ大陸からインドへの移動には黄熱病の証明書が必要との指摘があり、移動は不可とのことで、同行の富永夏子の交渉は3時間にも及びましたが、エミレーツ航空は国際航空協定があり認められないとの一点張り。妥協の余地はなく、富永の発案で、中継地のドバイで一旦出国し、改めてドバイからインドなら問題ないだろうと判断してこの計画を実行したところ、チェックインで前日のアディスアベバの記録が残っており、またトラブル。2時間に亘る富永の説得でボーディングパスを手に入れ、インドでは何事もなく入国。コルカタでの重要行事に全て参加することが出来ました。富永の努力と機転がなければコルカタ行きは不可能でした。

私たちの出張は常に強行軍で、体力・気力を必要とする仕事ですが、職員の士気は高く、彼らの熱い情熱と努力によって私の仕事は支えられているのです。

昨年は日本財団創立50周年で、次の50周年に向けた取り組みは、新たな社会課題を発掘して解決への糸口を探ることでした。

@ 刑務所出所者の社会復帰については
 イ.志のある中小企業経営者の理解をいただき、仕事を紹介する「職親プロジェクト」がスタート。
 ロ.農業NPOの協力者を得て、働き場所の提供。
 ハ.資格取得のため、出所者への奨学基金制度のスタート。
A 養子縁組制度の充実について、プラットホームを日本財団に作ること。
B 手話を言語として認めてもらう活動は、鳥取県がその第一号になりました。全国に普及するため、更なる努力をいたします。
C 引き続いての東日本大震災支援活動は多岐に亘り、活動継続中です。これらは日本財団ホームページでご覧ください。

私が担当している休眠預金口座の預金推定額、数千億円の処理についての国会議員への働きかけは、2月以来、責任者の塩崎恭久政調副会長のところで止まっており、責任を感じております。

お金は血液と同じです。アベノミクスは大企業中心に流れており、毛細血管である全国の中小企業まで血液を流すためには、休眠預金口座の数千億円の活用も大切です。この少額預金が、銀行の内規によって雑収入として処理されており、ここ三年間で1500億円にもなることは、許すことが出来ない大きな問題です。

何はともあれ、日本財団および関連団体の各職員の働きに助けられ、その上、読者の皆さんの熱い声援を追い風に、来年も真摯に歩みを進めたいと願っております。

良き新年をお迎え下さい。
12月26日(木) [2013年12月26日(Thu)]
12月26日(木)

9:25 パリより、成田着

11:00 日本財団着
    書類整理、打合せ


12月25日(水) [2013年12月25日(Wed)]
12月25日(水)

10:30 ボゴタより、パリ着

13:40 パリ発、成田空港へ

「ミャンマー障害者芸術祭」 [2013年12月25日(Wed)]
「ミャンマー障害者芸術祭」


ミャンマーで初めての『障害者芸術祭』を三日間開催した。

日本財団は大野修一の指導のもと、ベトナム、ラオス、カンボジアなどで障害者芸術祭を開催しているが、ミャンマーでは初めてのことである。

ミャンマーでも障害者は家に引きこもりがちで、社会の見る目も一般的に冷たい。何とかして彼らをもっと社会に引っ張り出そうというのが大野の考えで、障害者の全国組織化と組織の自立のための障害者専門のタクシー会社の設立を目論んでいるところである。

何はともあれ、朝9時から夜11時まで、三日間とも満員の観客で大いに盛り上がり、障害者は勿論、その家族までもが明るく陽気に自信を取り戻した感のある意義ある芸術祭であった。

場内は満員の大盛況.JPG
場内は満員の大盛況


以下はその際のスピーチです。

*****************


2013年10月17日
於:ミャンマー・ヤンゴン


ソウ・マウン大統領府付大臣、ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、タイ、米国、日本の各国大使の皆さま、ご来場の皆さま、本日は、ミャンマー障害者芸術祭にお越し下さいまして、誠にありがとうございます。多くの皆さまにお目にかかることができ、大変嬉しく思います。
皆さま、本日は、ミャンマー障害者芸術祭にようこそお越しくださいました。

これから3日間、皆さんはこれまで経験したことのないような新たな気付きを得ることでしょう。この芸術祭では、目の見えない画家、耳が聞こえない太鼓演奏者、そして車いすのダンサーがスポットライトを浴びながら、素晴らしいパフォーマンスを披露します。皆さんはこの不可能に思えるようなことをなぜ彼らが成し遂げることができたのか不思議に思うかもしれません。彼らが本当にそのようなパフォーマンスをできるのかと疑問に思うかもしれませんが、彼らは見事に成し遂げてくれるでしょう。それは、彼らが自らの限界を決めず、障害という困難に立ち向かうための勇気と信念を兼ね備えているからです。

芸術祭.JPG
生き生きと踊り!

芸術祭 (2).JPG
歌う!


これまで、障害者は、多くの国々において、支援や施しを受ける側と決めつけられてきました。彼らに可能性が有る無しに関わらず、障害があるというだけで、社会は自動的に能力の限界を決めつけ、学校教育や職業訓練、就職といった機会を諦めるということが暗黙とされてきました。

しかし、ここ何年かの間に、障害者による団体や障害者のための団体が世界中で設立されてきました。例えば、日本財団はアジアにおいて、自らの限界を超えて挑戦しようとするような視覚、聴覚、身体などの様々な障害者団体を支援してきました。私たちは、いくつものプロジェクトを通じて、障害者が知識やスキルを習得したりするだけではなく、彼らが自信を持って自分のことは自分で決めたり、自分の可能性を発揮することが何よりも重要であることをあらためて認識しました。

日本財団は、ここミャンマーにおいて、3人の若い障害者によって2011年に設立された「ミャンマー自立生活協会」(Myanmar Independent Living Initiative:MILI)というNGOを支援しています。MILIの成功はチャリティではなく、彼らの勇気と信念によってもたらされたものです。彼らにとって転機となったのは、日本のリーダーシップトレーニングに参加した経験です。その時、彼らは、障害者も適切な配慮を受ければ、自立した生活を送ることができるということを実感しました。そして、学校教育や職業訓練、就職における平等な機会が与えられれば、障害者も与えられる側から与える側になれるということを確信したのです。MILIの若いリーダーは、他の障害者の可能性を見出し、自らが限界と諦めていた壁を乗り越える手助けをすることこそ、自分たちの使命であると目覚めました。そして、日本財団は彼らの活動を支えてきました。

MILIは現在、ミャンマー国内に支部をつくるために、新たな活動を担う障害者のトレーニングに取り組んでいます。また、彼らは企業や様々な分野の組織に対する周知啓発を通じて、障害者に対して、新たな認識を持ってもらうためのワークショップを開催しています。さらに、MILIはこの芸術祭を通じて、ミャンマーはもちろん、世界の障害者に働きかけようとしています。

日本財団はこのような芸術祭をすでにラオス、ベトナム、カンボジアで開催してきました。私たちはこの芸術祭を通じて、障害者が自信を持ち、障害を持った子供たちが希望を持ち、さらには社会の障害者に対する認識が変わっていくことを期待しています。

来年、ミャンマーは東南アジア諸国連合(ASEAN)サミットのホスト国を務めます。そのASEANサミットの公式イベントとして、ASEAN各国から障害のある芸術家たちが一堂に会する芸術祭が開催され、これに日本財団が支援をさせていただくことになっています。私はASEANサミットでの障害者芸術祭が、ASEAN諸国の人々が障害者の才能をきちんと認識するための貴重な機会となると確信しています。

皆さんは、これから3日間の芸術祭でミャンマーの障害者の隠れた才能に触れ、驚かれることでしょう。私はこの芸術祭が来年のASEANサミットに向けての布石となり、AEAN地域の指導者に衝撃を与えてくれることを期待しています。

さて、本日は、日本からもろうあ太鼓のグループが駆けつけています。
彼らは熱気溢れるパワフルな演奏を披露してくれることでしょう。

日本からは甲州ろうあ太鼓が演技を披露、喝采を浴びる.JPG
甲州ろうあ太鼓が演技を披露


私はこの3日間の芸術祭が、私たちが互いの多様性を受入れ、インクルーシブ、且つバリアフリーな社会の実現を目指す機会になると信じています。そして、老若男女に加えて、健常者も障害者も、誰もが自らの可能性を発揮し、社会の中で平等に機会を得られるようになることを期待しています。
そのために、ミャンマー政府が障害者の声に耳を傾け、施策に反映しようとしていることは非常に素晴らしいスタートであると私は思います。

多くの障害者団体の声が反映され、皆が平等に参画できる、多様性に富んだ社会の実現を目指そうという認識が、社会の中に広がっていくことを願っています。

12月24日(火) [2013年12月24日(Tue)]
12月24日(火)

7:00 朝食

8:00 ホテル発、ボゴタへ

荷物もなんとか詰め込みボゴタへ出発.JPG
いよいよ帰国の途へ
荷物も何とか詰め込み

シートベルト完全装備!.JPG
シートベルトもばっちり!


11:00 ボゴタ着(車移動3時間)

11:20 Monserrateの山

13:00 関係者と昼食

14:30 空港着

18:30 ボゴタ発(空港待機4時間)、パリへ
「朝雲」―森の民の平等意識― [2013年12月24日(Tue)]
「朝雲」
―森の民の平等意識―


ハンセン病制圧活動で5年前、コンゴ民主共和国を訪れた際、「ピグミー」と呼ばれる人たちに会った。民族辞典などによると、ピグミーは民族名ではなく、成人男子の平均身長が150センチ以下の集団を指し、アフリカからアジアにかけ、いくつかの民族が住む。

訪問したのはコンゴ北部のオリエンタル州ワンバ地区。我々を乗せた9人乗りの小型機は、熱帯雨林の赤土の広場に激しく機体を揺らして着陸した。何とか降り立つと、この地域の支配民族であるバンドゥ人が警備する中、約500人のピグミーの人々が出迎えてくれた。

着陸寸前のセスナからの景色。滑走路?はほとんどない(コンゴ民主共和国).jpg
着陸寸前のセスナからの景色
これが滑走路?


彼らは普段、20〜50人の集団で狩猟をしながら森の中を移動しており、この日は周辺にいたいくつかのグループが集まってくれた。森の中を俊敏に動けるよう小型化したといわれ、多くの男性は130センチ前後。筋肉質で眼光も鋭い。女性は12、13歳で結婚、全体に多産といわれ、臨月に近い大きな腹に娘の赤子を横抱きした母親の姿もあった。

棒きれと葉っぱを組み合わせた小さな住居は家というより移動用のテント。家財もほとんどなく、歌と踊りで一行を歓迎しながら、同行した職員のカメラの映像に何度も驚きの表情を見せた。

訪問目的となったハンセン病。有病率は事前に指摘されたように相当高いようで、集まった中にも皮膚に特有の斑点を残す人も何人もおり、触れると見慣れぬ異人に緊張したのか、耳に聞こえるほどに心臓を高鳴らせた。

11.06-10 コンゴ ピグミー族とハンセン病 .jpg
ピグミー族のハンセン病をチェック


ハンセン病は1980年代に治療薬が開発され、世界のどこでも無料で手に入る。服用すれば半年から1年で回復し、この国も全体ではWHO(世界保健機関)の制圧目標「人口1万人当たり患者1人未満」を既に達成している。

ピグミーの人たちの有病率が特異に高いのは、移動性が災いして薬が行き届いていないということかー。同行したWHOの職員とそんな会話をしていると、現地でピグミーの定住化に取り組むカトリック神父が「彼らは厳しい環境を生き抜くため獲物を平等に分け合って暮らしている。薬も平等に分けているのではないか」と苦笑しながら口を挟んだ。

別れに当たり彼らは弓矢、魔法の杖とともに小鹿に似たアンティロープ、九官鳥を生きたまま贈ってくれた。世界で暮らす民族は5000〜6000にも上るといわれるが、素朴な贈り物に、今も独自の文化の中で生きる森の民の精いっぱいの誠意を感じた。
(ささかわ・ようへい=日本財団会長)

*11月21日、自衛隊の週刊新聞「朝雲」に掲載されたエッセーです。



12月23日(月) [2013年12月23日(Mon)]
12月23日(月)

7:00 朝食

8:40 ホテル発

9:10 アグア・デ・ディオス市着

10:00 ホルケ・ベタンクール・アグア・デ・ディオス市長

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ホルケ・ベタンクール市長(左から2人目)


10:30 Museo Medico de La Lepra(ハンセン病資料館)

2ハンセン病資料館には大量の資料が管理されていた.JPG
大量の資料が管理されていた


11:30 ハンセン病回復者組織CORSOHANSENメンバー、アグア・デ・ディオス市内ハンセン病療養所職員、WHOコロンビア事務所関係者らとの昼食

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昼食にはコシード・パンチェというこの地域の名物料理をいただきました
量の多さにびっくり!


12:45 CORSOHANSEN 事務所(資料館を併設)

4Corsohansen 事務所にてJPG.JPG
Corsohansen 事務所にて


14:00 サンビセンテ・ハンセン病療養所(女性用)

5サンビセンテ•ハンセン病療養所にて.JPG
サンビセンテ・ハンセン病療養所にて

6サンビセンテ•ハンセン病療養所で作られた様々な工芸品.JPG
療養所で作られた様々な工芸品


14:50 ボジャカ・ハンセン病療養所(男性用)

7ボジャカ•ハンセン病療養所では男性たちがゲームに夢中.JPG
男性たちはゲームに夢中

8チェスが得意な男性.JPG
チェスが得意な男性


16:00 CORSOHANSEN 事務所にてハンセン病回復者の経済自立支援活動として作られた手工芸品の見学、制作者との交流会

9工芸品の作者らと作品.JPG
工芸品の作者らと作品


16:50 エレラ・レストレポ・ハンセン病病院と併設の療養所

10エレラ•レストレポ ハンセン病療養所。ベネゼーラから来たという男性.JPG
エレラ・レストレポ・ハンセン病療養所
ベネゼーラから来たという男性

18:15 ホテル着

19:00 関係者との夕食

11今回お世話になったCORSOHANSENのメンバー.JPG
今回お世話になったCORSOHANSENのメンバー
12月22日(日) [2013年12月22日(Sun)]
12月22日(日)

7:30 朝食

9:20 ハンセン病回復者組織Corsohansen代表 ハイメ氏と再会

9:30 ハンセン病の患者たちが隔離されていたアグア・デ・ディオス市へ出発

1賑わう首都ボゴタを抜けてアグア•デ•ディオス市へ向かう.JPG
賑わう首都ボゴタを抜けてアグア・デ・ディオス市へ

2首都ボゴタから西へ車で約2時間の風景.JPG
首都ボゴタから西へ車で約2時間の風景


12:00 途中でハイメ氏らと昼食

13:40 アグア・デ・ディオス市着(車移動約3時間)

3アグア・デ・ディオス市の街.JPG
アグア・デ・ディオス市の街


14:10 「嘆きの橋」

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ハンセン病患者たちは、この橋を渡って収容されていった

5ハイメ氏に嘆きの橋について話しを聴く.JPG
ハイメ氏より「嘆きの橋」についての話しを聴く


15:00 イーハス・デ・ロス・サグラードス・コラソーネス・デ・ヘスス・イ・デ・マリア修道院

6修道院の中にある教会.JPG
修道院の中にある教会

7ハンセン病を煩う修道女の方々と.JPG
ハンセン病回復者の修道女の方々と


16:15 ルイス・カルボ博物館

8カルボ博物館.JPG
ルイス・カルボ博物館
作曲家で、ハンセン病に罹患してこの街に来た

9カルボ夫妻の写真.JPG
カルボ夫妻の写真


16:40 ハンセン病患者が湯治場として使用した温泉

18:00 ホテル着

18:45 関係者との夕食
12月21日(土) [2013年12月21日(Sat)]
12月21日(土)

5:30 朝食

6:30 ホテル発

7:00 空港着

8:40 ベレン発(フォルタレーザ経由)

15:40 サンパウロ着

17:45 サンパウロ発

21:00 コロンビア・ボゴタ着

22:30 ホテル着
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