「現下の日・中関係と日本財団の取組み」
尖閣問題を契機とした中国の対日強行姿勢は、習近平新体制でも継続するようだ。
小泉政権時代、日・中間は「政冷経熱」だと中国の高官は嘆いていた。「政治家が介入しない日・中間ほど良好なことはない。今や経済の相互依存関係は深まり、両国の国民生活に浸透している」と発言したところ怪訝な顔して、「中国は政治の国です。政治家の出番がないと困ります」と真顔で言われたのには内心、苦笑せざるを得なかった。
「一衣帯水(いちいたいすい)の日・中友好は子子孫孫まで」と、中国の高官達は機会あるごとにテープレコーダーを回すが如くこぞって発言したことを忘れてしまったのだろうか。
「歴史を鑑として未来に進もう」とは江沢民の発言であった。この言葉は現代史の一部を切り取り、日本批判を展開するための言葉である事は明白であった。
世界史の中で、隣国との関係が2000年もの長きに亘ってほぼ良好な状態であったのは日・中間を除いて他に例はない。私は「日・中間は2000年の歴史を鑑とし、未来に進もう」と、江沢民の言葉の前に「2000年」を追加する事を要求し、多くの人々の賛同を得たこともあった。
中国の為政者(政治を行う者)は、日・中友好を熱く語りながら、国内では抗日のテレビドラマを毎日放映することも忘れなかった。先般、来日した中国の知識人は、昨年製作された抗日ドラマは220本を超え、過去、これらの映像で死んだ日本兵の累計は7億人を超えたと、自嘲気味に語ってくれた。
これほどまでに執拗に中国国内で反日運動を展開しなければならない理由は簡単かつ明解である。「中国共産党は邪悪な日本軍を殲滅した。今日の中国の発展があるのは偉大な中国共産党のお陰である」と、党の功績を言い続ける必要があるからである。
読者ご高承の通り、日・中戦争は蒋介石率の中華民国との戦争であり、中国共産党は戦争末期に山東省やその他の地域で戦っただけである。蒋介石・中華民国を認めない中国共産党は、日・中戦争の勝利をどうしても中国共産党の大活躍による勝利としなければ、党としてのレイゾンデートル(存在意義)を人民に問われる事になってしまうわけである。
心ある中国人は「私はそのような過去は問わない。真に一衣帯水、子子孫孫の日中友好を望むなら、せめて過去の反日教育は即時止めるべきである。多くの中国人は子供の頃から反日教育を真実として育ってきた。そのため、日・中間に政治問題が惹起すると軽挙妄動、乱暴狼籍の反日運動となるのである」と話し、日本人の冷静な対応に比べ、中国人の行動に眉をしかめている。
私は今まで、微力ではあったが、延べ1万人近い中国人エリートの来日の世話をしてきた。中国人医師の養成だけで2300人を超える。中国の有名大学(北京、吉林、中山、復亘、内モンゴル、重慶、南京、雲南、蘭州)の修士・博士課程の奨学生も、この20年間で1万人は超えるであろう。しかし、関わった人々に対しては、日本を良く知る知日家になって欲しいが、一度も親日家になって欲しいとは言わなかった
ブログでも紹介させていただいたが
四川大地震では、笹川医学奨学生が大活躍された
世界で日本語を学ぶ大学生の約7割、65万人は中国の大学生である。彼らに日本を良く知ってもらう為に寄贈した日本図書は300万冊にもなり、36大学で充実した日本語図書館が完成している。吉林大学や大連外国語大学日本語学部へ寄贈した図書は各々30万冊にもなる。これは、日本の出版社、研究機関、そして市井(しせい)の日本人から頂戴した寄贈本を、日本財団の姉妹財団である日本科学協会の顧文君さん(女性)らの献身的な努力で整理され、中国の各大学の要望に従って送っているものである。
最近、笹川日中友好基金では、中国の日本語を学ぶ大学生の為に12冊に及ぶ最新の教科書を、中国教育部の了解を得て日・中教育者の共同著書として作成した。旧態依然とした日本語教科書は斬新なものになり、彼らの学びの一助になることを願っている。
勿論、私は一人でも多くの知日派の知識人(親日家ではない)を養成する努力が、13億人の民を抱える中国にとっては大海に粟粒一つでしかない事や、牛歩の歩みであることも理解している。しかし、行動しなければ何も始まらないのである。
我々日本人も、感情の高ぶりに任せた嫌中派や媚中派ではなく、中国を良く知る知中派になる必要がある。個人における夫婦仲とて完全でないのは、世の常である。まして、隣国同士が相思相愛になることは歴史上あり得ない事を理解し、政治家に沈着冷静で威厳のある対応を望みたいものである。
江沢民氏は「歴史を鑑として・・・・・」を主張した。
やがて中国人は大躍進や文化大革命、天安門事件等、悲惨な自国の歴史を学ぶ時が来るであろう。