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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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1月31日(木) [2013年01月31日(Thu)]
1月31日(木)

12:00 ノーベル平和賞受賞者 バングラディッシュ ムハマド・ユヌス氏

14:00 B&G財団・市長村長会議・講演「内向き思考の日本人」

bg.jpg


15:00 戸田公明 大船渡市長

17:20 サモラノ大学日本財団奨学生 ラファエルさん(グアテマラ出身)

18:00 谷内正太郎 内閣官房参与
1月30日(水) [2013年01月30日(Wed)]
1月30日(水)

7:30 朝食

9:00 第3回アジア手話言語学・ろう教育国際会議 開会式(スピーチ)

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それぞれの国の手話通訳付きでスピーチ

最後につたない手話であいさつすると暖かい拍手がJPG.JPG
最後につたない手話で挨拶すると温かい拍手が


10:00 香港中文大学 ジョセフ・サン学長

10:30 ろう研究員との交流会

ろう研究員らと.JPG
ろう研究員らと記念撮影


12:30 香港中文大学発

13:30 空港着

16:00 香港発

20:45 羽田着
松丘保養園機関誌「甲田の裾」:ロシアにおけるハンセン病制圧活動 [2013年01月30日(Wed)]
松丘保養園機関誌「甲田の裾」
2012年4号秋


ロシアにおけるハンセン病制圧活動


WHOハンセン病制圧特別大使
笹川 陽平


2012年6月29日から7月3日まで、ロシアの南部にある3都市のハンセン病療養所(アストラハン、テルスキ、アビンスキ)を訪問した。

WHO(世界保健機関)は、毎年管轄地域ごとに世界のハンセン病の最新データを発表している。東南アジア、アフリカ、西太平洋、アメリカ、中東、そしてヨーロッパの6つの地域に分けられているが、そのなかで最大の面積を占め、西ヨーロッパから中央アジアに広がり53国を管轄するヨーロッパ地域のハンセン病データがごっそり抜け落ちている。

現在、ヨーロッパにはハンセン病に対する問題は少ないが、多少のケースは報告されている。そのほとんどが西ヨーロッパから発見され、途上国からの移民が主な原因であると言われる。一方、国によっては、ハンセン病は報告する必要がない病気であると判断され、データを消去してしまう国もあるようだ。WHOハンセン病制圧特別大使として、ヨーロッパ地域で何が起こっているのかをこの目で確かめる必要があると感じ、今回訪れることを決めた。

特に関心があるのはロシアとカザフスタン、タジキスタンなどの中央アジアの国々である。全旅程に同行してサポートしてくれたのは、ドイツ人女医ロマナ・ドラビックさん(75歳)だった。ドイツ西部のディンスラーケンという町で8年前まで開業医として働く傍ら、個人的な使命としてハンセン病患者、回復者に対する支援活動を30年以上続けている。

彼女が初めて患者に出会ったのは、観光旅行で訪れたケニアのモンバサであった。道で物乞いをする患者を見て驚き、「こんな人を放っておくなんて、行政は何をしているんだ」と市長のところへ直談判しに行ったという行動派である。その後、「ハンセン病患者とともに生きる」と誓った彼女は、支援物資を携えてインドやアフリカを駆け回った。1990年初頭に活動地域を旧ソ連の国々にも広げ、地道にコンタクトを取り、各地の療養所へ足を運び続けた。ロシア各地のハンセン病専門家にも顔がきき、彼女の構築した人脈がなければ、今回の視察は実現できなかっただろう。

ロマーナさんと.jpg
ドイツ人女医 ロマナ・ドラビックさん


私の最初の目的地はロシア南部のアストラハン国立ハンセン病研究所だった。モスクワから飛行機で2時間。カスピ海に近いアストラハン州の州都は人口50万人ほどで、ヴォルガ川のデルタ地帯である。1896年に開設されたハンセン病病院に併設して1948年に建てられたこの研究所は、旧ソ連の時代からハンセン病研究と技術指導が中心で、現在はヴィクトール・ドュイコ所長のもと、ロシアをはじめ、独立国家共同体(CIS)加盟国のハンセン病活動の拠点になっている。

29日 アストラ・ハンセン病研究所 看板.jpg
アストラハン・ハンセン病研究所の看板


アストラハン到着の翌日、ハンセン病研究所でロシア及びCISのハンセン病専門家が集まって会議が行われた。タジキスタン、トルクメニスタン、カザフスタン、そしてウズベクスタンから専門家が集まり、現場のヘルス・ワーカーにどのようなトレーニングをしているのか、ハンセン病に関する正しい知識をどのように広めているかなどの取り組みについて発表が行われた。WHO世界ハンセン病プログラムのスマナ・バルア代表もインドから駆けつけ、WHOの行っているハンセン病対策について紹介するとともに、今後はロシアをはじめとするCIS地域の国々とも綿密に情報交換の必要性を述べた。

ハンセン病関係者会議2.jpg
ハンセン病関係者会議


アストラハン研究所員は、「ロシアにおいてここ3、4年の間に新規患者は発見されておらず、2012年初頭の時点で382名の患者が登録されている」と報告したが、この数字については慎重に捉える必要がある。WHOの基準によると、ハンセン病は6カ月ないし12カ月の投薬で完治するため、完治した患者は登録簿から削除される。しかし、ロシアでは一度罹患した患者は完治しても登録され続けているため、どれだけの患者が治療を完了しているのかがこの報告からは読み取ることができない。WHOによる正確なデータ整理が必要であることを実感した。

アストラハン研究所は、回復者が利用する療養所の機能も持つ。数十年生活している人から、リハビリやその他の疾患治療のためにショートステイを利用している人まで、声をかけて回った。鮮やかなブルーの外壁の2階建ての建物で、ベランダが各階をぐるりと取り囲む可愛らしい家の一室に、マリアさん(62歳)とニーナさん(58歳)の姉妹が滞在していた。座り心地の良さそうな安楽椅子とシンプルなベッド、戸棚が置かれ、壁には大きな絨毯が飾られた趣味のいい部屋であった。「お医者さんや看護師さんには大変良くしていただき有り難く思っています」と短期の滞在を楽しんでいた。

センター内に住む回復者のご夫婦.jpg
センター内に住む回復者のご夫婦


「ヴィクトールさんが所長になってから、アストラハンでの患者の暮らしは良くなった」と言う。確かに、青くてきれいな芝生が広がり、花壇には色とりどりの花が並び、可愛い鶴や蓮の花の置物が取り囲む小さな池まで整備され、家庭的な心のなごむ雰囲気であった。一方で、3メートルほどもある真っ白なレーニンの像や、ハンセン病患者専用の刑務所跡など、ソビエト時代の名残もあった。

ヴィクトール博士とセンターに検査に来ていた回復者.jpg
ヴィクトール博士とセンターに検査に来ていた回復者


アストラハン近郊のハンセン病回復者が住むウォストチノエ村は、市内から車で田園地帯を走り約1時間の人里離れた場所にあった。1960年、政府がハンセン病治療が終わった人たちに住宅を提供したのがその始まりで、その後回復者以外の人たちが集まりここで暮らすようになった。現在、1,000人いる住民のうち、回復者の家族はわずか15世帯である。  

「到着しました」と車を降ろされた場所は、幅4、50メートルの砂利道のど真ん中で、人の姿はまったく見えず、どこが村なのだろうかと少々戸惑ったが、よく見ると確かに道の両脇に木片やトタンで出来た古ぼけた塀と、その先の茂みに隠れるように、屋根がちらりと覗いていた。ヴィクトールさんがそんな塀のうちの一つを押開けると、庭の家庭菜園の向こうから老夫婦が姿を見せた。この家で年金生活をしており、柔道をしている10代の息子さんとの生活には満足しているようであった。

また別の家には、夫に先立たれた76歳の女性が一人暮らしをしており、年金、月額約6,000ルーブル(約14,000円)で暮らしている。ガスと水道は通ってなく、水道管を引くための工事費は5,000ルーブル(約12,000円)で、それが工面できず不便な暮らしを余儀なくされ、その上「アストラハン療養所に短期滞在し、家を空けている時に泥棒に入られ、貴重品やアイロンなどの生活用品まで全部盗られてしまった。現在生活が非常に困難だ。ソ連が崩壊してから、村の人口は減り続け、若い人は大都市に移ってしまい、年寄りしか残っていないのだ」と、私に窮状を訴えた。

二日間のアストラハン滞在を終え、私たちは次の目的地、テルスキハンセン病療養所を訪問するため、宿泊地予定のゲオルギエフスクを目指して出発した。9人乗りのミニバスに揺られ、カスピ海を背に内陸に向かってひたすら西へ向かう。360度地平線で囲まれ、乾燥した草原地帯が広がる何もない道を走ること4時間。昼食休憩のために立ち寄ったのが、ロシア連邦に属する自治共和国カルムイクの首都エリスタという街だった。

のどかな風景.jpg
乾燥した草原地帯が広がる道を西へ西へ


ここは、ヨーロッパ随一の仏教国とも言われ、人口が30万人に満たない小国である。カルムイクとはトルコ語でイスラム教に改宗しなかった「留まった者」の意味で、もともとカルムイク人はチベット仏教を信仰する遊牧民族だった。18世紀後半、ロシア人やウクライナ人などの移住者に改宗を迫られたため多くの仏教を信仰する民族が新疆ウイグル自治区方面に帰還する中、地形的理由から戻ることができなかった人々が留まってできたのがこの国だといわれる。挨拶に来てくれたエリスタの保健局長も、私たち日本人と似た顔であった。食後見学したチベット仏教の釈迦牟尼寺では、モンゴルをはじめアジア系の顔立ちの人々が荘厳な雰囲気の中祈りを捧げており、周囲に仏教地域がないこの離れ小島のような国で仏教が息づいていることに、歴史に翻弄された民族の悲劇を感じざるを得なかった。

カルムイク共和国に別れを告げて、南に向かって走り続けると、突然、広大な向日葵畑に遭遇した。全く同じ方向を向き、理路整然と並ぶ無数の向日葵。その畑に何十回と出会うのである。畑であるにも関わらず、それを管理する人をついに一度も見かけなかったのが何故なのかは、今でも分からない。

ひまわり畑2.jpg


アストラハンを発ってから11時間後の夜7時過ぎ。ようやくゲオルギエフスクに到着した。7月2日の朝、テルスキハンセン病療養所を訪問。創立115年を数えるロシア最古の療養所である。現在、51人の利用者と43人のスタッフがおり、今回私が訪ねた他の施設同様、テルスキはハンセン病を過去に患い、治った後も様々な社会的理由からここに留まる事を選んだ人々の終の棲家となっていた。加齢に伴う病気を中心に、医療的ケアも必要に応じてなされていた。短期滞在していたある高齢の女性は、「子どもたちは私がハンセン病であることを知っているが、孫や近所の人々は知らない」と言葉少なに語った。柔らかな表情で迎えてくれる回復者だが、カメラ撮影の了解にはほとんどの人がニエット(NO)の反応で、写真が公表されることによる差別を恐れている様子で、他国では経験しないことであった。

その後所内の病院に案内され、薄暗い玄関を抜けると見事な風景画が2枚と人物画が2枚。特に人物画の1枚は船上で船乗りが賑わっている様子が描かれ、今にも絵の中から人が飛び出してきそうな躍動感溢れる傑作であった。誰が描いたか尋ねると、昔この病院にいた人だと言う。こんな僻地に、これほどまでに素晴らしい絵を描く回復者がいたことに驚いたが、悲しいことに作者の名前は誰一人として知る人はいなかった。

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テルキス療養所に飾られていた躍動感溢れる絵画


ロシアの最終日、黒海方面を目指し北コーサカス西部に位置するクラスノダールという地方にあるアビンスキ療養所を訪れた。この療養所の創立は1905年に急増したハンセン病患者を収容するため軍医によって建てられ古い歴史を持ち、その時の肖像画が所内の壁に掲げてあった。30年間アビンスキで所長として働いた父の後を継いだ副所長のマリーナ医師はここで29年働いており、父が所長時代には500人の患者が暮らしていたが、現在は40人。それに対して職員は何と3倍以上の131人もいると言う。一番最近の患者は2009年に入所してきたとのことだった。回復者のおばあさんに「お名前は? どこから来て何年間ここに住んでいるのですか?」と聞くと、彼女が答えようとするより先に横にいた職員が「彼女はカーチャさん、40年間住んでいます。アストラハンから来ました」と話しだした。私が「本人の口から直接話が聞きたい」と言うのだが付け入る隙がなく、とうとう最後まで回復者とゆっくり会話することができなかった。

「なぜこれだけ素晴らしい施設で優秀な職員も多く病床も余っているのに、ハンセン病以外の病気を診ようとしないのですか」と職員に尋ねると、「ここはハンセン病専門の病院と法律で定められているので、他の病気は診察することができない」ときっぱりとした口調で答えた。WHOの方針であるインテグレーション、すなわち総合病院への方策は、ここロシアやウクライナでは実施されていなかった。また、何十年もハンセン病の「元患者」が暮らしているとのことだが、自分の家に帰ることができるのかと聞くと、「もちろん可能であるが、様々な社会的理由からそれが叶わないことが多く、そのような人たちがここに暮らしている。この療養所では手厚いケアがなされ、衣食住に困ることはなく、新聞、雑誌、テレビも無料で楽しめ、義肢義足も提供され、皆充実した人生を送っている。何もここから出ていくことはない」ということが一致した答えであった。

果たしてこれで良いのだろうか、彼らの苦難に満ちた人生はいったい何であったのだろうか。このまま我々が単純に忘れ去っていいのであろうか。起こった出来事を「記録」として残すことは勿論、一人一人の生命の証を記憶が薄れないうちに形にして残す必要がある。そのためには、ここで出会った回復者が本当はどのような生き方をしたいのか、本心を聞きたいと思う。テルスキの療養所にいたはずの無名の画家は、芸術を通してそれを表現したのではないのか。今回のような療養所を巡る旅は、私にとって大変重要な使命であり、今後も精力的に続けていきたい仕事である。

1月29日(火) [2013年01月29日(Tue)]
1月29日(火)

7:30 朝食

9:30 労働社会問題省 グエン・トロン・ダム副大臣

29日 グエン・トロン・ダム副大臣.JPG
グエン・トロン・ダム副大臣


12:00 葛西 健 WHOベトナム代表と昼食

15:00 日本財団フェローとの会合
    WMU(世界海事大学)笹川奨学生
    Sylff(笹川ヤングリーダー・フェローシップ・ファンド)
    BABA(次世代リーダー会議)
    API(日本財団アジア・フェローシップ)
    ILC(ハノイ障害者自立生活センター)
    UPEACE(国連平和大学)

WMUフェローたちと.JPG
WMUフェローたちと

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ILC(ハノイ障害者自立生活センター)のメンバーと


16:00 VTV4インタビュー

17:30 ホテル発

18:20 空港着(空港待機約2時間半)

21:00 ハノイ発

24:00 香港着

25:00 ホテル着
1月28日(月) [2013年01月28日(Mon)]
1月28日(月)

7:30 朝食

12:30 在ベトナム日本大使館 谷崎泰明大使主催昼食会

15:00 ベトナム社会主義共和国副主席 グエン・タイ・ヨアン氏より
    友好勲章(Viet Nam Friendship Order)を授与

副主席よりメダル授与.jpg
副主席よりメダル授与

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授与式は厳かな雰囲気の中で

勲章授与のお礼のスピーチ.jpg
勲章授与、お礼のスピーチ


16:40 ベトナム国家大学ハノイ校にて、学生との質疑応答形式で講演

学生から次々と質問が.jpg
学生からは次々と質問が

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学生の質問に答える筆者

19:30 ベトナム障害者援助組織・カバン・トラン代表、共同通信・三宅氏らと夕食

「ちょっといい話」その21 「日本財団ネレウスプログラム」 ―被災地で出前事業― [2013年01月28日(Mon)]
「ちょっといい話」その21
「日本財団ネレウスプログラム」―被災地で出前事業―


日本財団ネレウスプログラムの奨学生で、俊英の少壮学者10名が会議のために来日。その上、各自の専門分野を東日本被災地の学校でやさしく出前授業をしてくれて好評だったとの報告を受けた。

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宮古水産高校で出前授業

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宮古漁港の漁船前で

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被災した陸前高田の役所を訪れて


ネレウスとはギリシャ神話の海神のことで、西洋では漁師の守り神で、海を鎮め未来を見通す力を持つとされている。

ネレウスプログラムは、日本財団と世界5大学(ブリティシュコロンビア大学、プリンストン大学、デューク大学、ストックホルム大学、ケンブリッジ大学)が共同して進める8年間に渡る国際的な海洋研究と人材育成のプログラムである。参加大学には、海洋に関わる異なった分野(漁業管理、気候変動、海洋保全、水産経済、海洋地理、政策学など)の若手研究者が「日本財団ネレウスフェロー」(現在12名)として配属され、分野を横断しての研究と人材育成の協力体制が敷かれている。

「魚資源の枯渇の問題は人類共通の課題である。今のまま乱獲が続くと30年後には深海魚だけになってしまうとの説もあり、私たちは個々の利害や視野を超えてこの問題解決に取り組まなければならない」という理念に基づき、海洋関係者が異なった視点から総合的に海の問題を理解する経験と、未来につながる分野横断的な人のつながりを育む「日本財団・海の世界の人づくり」事業の一環として実施しているものである。

ネレウスプログラムは、調査研究、周知啓発、人材育成を活動内容の三つを柱としている。

調査研究は、様々な分野の研究者の参加によって、魚資源のあり方、海の生態系の状態を含めて「2050年の海の未来」を予測し、それに基づいて、より健全で持続可能な魚資源管理を続けるための管理制度や水産流通システムのあり方を考察、分析を行い、具体的な政策提言をもって戦略的な国際資源管理の向上を目指す取り組みである。

周知啓発は「魚は本当にどのくらい減っているのか?」、「国際機関は、国は、個人は、資源保全のために何を考え実行すればいいのか?」という一般的な質問に答えるために、魚資源の現状について政策者・一般市民の理解の手助けになるような国際セミナーやシンポジウム、ワークショップを開催するものである。

人材育成は、ネレウスプログラムでグローバルな視点での研究や分野横断的な議論と経験を積むことによって、「学際的視野」と「コミュニケーション能力」、そして「政策的思考」を伴った研究者を輩出し、持続可能な海洋の実現を目指す総合的な海洋科学者のネットワークを構築するものである。

今後は
@ フェローの共同研究からの新たな学問領域の研究推進
A 社会・自然科学の壁を超える統合的プロジェクトの推進
B 海洋問題解決に必要とされる他の学問領域(国際法等)の参加を戦略的に促進すること
などを積極的に進めていく予定である。

今回の参加者は以下の通り。

12.11.12 ネレウス・フェロー.jpg


ウィルフ・スワルツ(Wilf Swartz)1977年生
所属:ブリティッシュ・コロンビア大学 漁業研究センター(カナダ)
専門:漁業経済学

オードリー・バルズ(Audrey Valls)1986年生
所属:ブリティッシュ・コロンビア大学 漁業研究センター(カナダ)
専門:海洋生態系(海洋エコシステムモデリング)

アンドレ・ブスタニー(Andre Boustany)1971年生
所属:デューク大学(米)
専門:海洋空間分析学 大型魚類(マグロ)

ダニエル・ダン(Daniel Dunn)1972年生
所属:デューク大学(米)
専門:海洋空間分析学 混獲問題

ライアン・リカクツェヴスキー(Ryan Rykaczewski)1982年生
所属:プリンストン大学(米)
専門:海洋生物学 気候変動

ケリー・キアニー(Kelly Kearney)1981年生
所属:プリンストン大学(米)
専門:海洋学 気候変動

クリス・マクオーウェン(Chris McOwen)1983年生
所属:ケンブリッジ大学世界自然保護モニタリングセンター(英)
専門:生物多様性学 沿岸域生態系

ジャン・ローレンス・ジェッファート(Jan Laurens Geffert)1984年生
所属:ケンブリッジ大学世界自然保護モニタリングセンター(英)
専門:海洋生物絶滅種 海洋生物生息域マッピング

マーク・メティアン(Marc Metian)1979年生
所属:ストックホルム大学(スウェーデン)
専門:水産養殖学 資源管理学

アンドリュー・メリー(Andrew Merrie)1982年生
所属:ストックホルム大学(スウェーデン)
専門:資源管理学 政策分析学

1月27日(日) [2013年01月27日(Sun)]
1月27日(日)

15:45 ロンドンより、成田着(空港待機約2時間)

18:00 成田発

22:15 ベトナム•ハノイ着

23:30 ホテル着
1月26日(土) [2013年01月26日(Sat)]
1月26日(土)

7:30 朝食

12:30 昼食

15:30 ホテル発

16:10 ヒースロー空港着(空港待機約3時間)

19:00 ロンドン発、成田経由ハノイへ

1月25日(金) [2013年01月25日(Fri)]
1月25日(金)

6:30 朝食

7:30 ホテル発

10:30 ヨーク駅着

10:50 ヨーク大学 ブライアン・カンター学長宅にて、図書100冊寄贈式

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カンター学長に100冊図書を寄贈

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カンター学長(左)と旧知のバラカット教授


12:15 ヨーク大学の卒業式で名誉学位を授与

Bヨーク大学の卒業式.JPG
ヨーク大学卒業式

C名誉学位授与.JPG
名誉学位授与

D学位授与のスピーチ.JPG
学位授与のスピーチ


14:00 ヨーク大学にて昼食会

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寒さに震え、恥も外聞もなし(ヨークのプラットフォームにて)

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そして、乗り遅れそうになり走る走る、とほほ・・・


15:40 ヨーク駅発

17:40 ロンドン着

Gそしてロンドンに着いても。。.JPG
ロンドンに着いても・・・


18:00 ホテル着

20:00 林 景一大使主催夕食会

「ちょっといい話」その20 ―アール・ブリュット美術館― [2013年01月25日(Fri)]
「ちょっといい話」その20
―アール・ブリュット美術館―


日本財団アール・ブリュット支援プロジェクトの一環で開設を進める美術館が新建築11月号(11月1日発売)に掲載されました。本誌は、1925年(大正14年)に創刊された建築デザインを専門とする月刊誌で、日本の優れた建築家の作品を紹介することで定評があります。

古きよき町並みの保存と町家の再生で地域を元気に豊かにする日本財団の改修事業に、建築家の方々が関心を寄せて下されば望外のことです。

以下、掲載原稿です。

新建築11月号.JPG


雑誌「新建築11月号」


学識や伝統的な技法にとらわれない、自由で無垢な発想が生み出すアール・ブリュット作品を中心に展示する美術館が、日本財団のアール・ブリュット支援プロジェクトの一環で立ちあがっている。

アール・ブリュットは生の芸術というフランス語で、1945年にフランス人画家のジャン・デュビュッフェが提唱し、アウトサイダー・アートと英訳され世界中に広まった。文字通り既存の美術の外に置かれ、作品の優劣に関わらず、現代美術とは一線を画して取り扱われることが多い。

殊に日本では、知的や精神などの障害を抱える人の作品の中に、アール・ブリュットの域に達する美術的価値のある作品があっても、評価や展示をされないまま劣化していくのが実情です。

このプロジェクトは、福祉施設で障害者の支援に携わりながら、作家や作品に寄り添って来た方々と、作家に障害の有無は関係なく、美術的視点で作品が評価され、展示されるフェアな環境を目指して取り組んでいる。

本誌に紹介された美術館の改修設計を手掛けたのは、竹原義二氏(滋賀県・ボーダレス・アートミュージアムNO-MA、高知県・藁工ミュージアム、広島県・鞆の津ミュージアム)と乾久美子氏(京都府・みずのき美術館)で、半世紀以上もの間、人々の暮らしを見つめ続ける町家や蔵が、両氏の手により、懐かしくて温かい佇まいをそのままにし、誰もが気軽に立ち寄り集う、創造豊かなアール・ブリュットに親しむ空間に、見事に再生されている。

町の景観が次々と塗り替えられていくことに、不安や危機感を募らせる人は少なくない。こうした生活者の思いにも配慮しながら、各地に残る古き良き町並みや建物が、ただ保存されるだけでなく、地域の資産や象徴となるように活用されることを願ってやまない。

いま日本財団には、全国の自治体やNPOから美術館の開設について多くの相談が寄せられている。このプロジェクトで整備する美術館が、美術、福祉、建築の分野を超え、地域資源の再生、地域文化の発信、まちづくり・コミュニティの活性化と、あらゆる領域を横断する地域課題の解決に役立つことが期待されるからだろう。

多様な人材の英知をつなぎ、運営主体を厳選しながら、今後も整備する予定である。
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