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情報通信技術(ICT)国連専門家会議 [2012年04月30日(Mon)]

12.04.19 国連専門家会議 挨拶.jpg
手話通訳付きで挨拶


「情報通信技術(ICT)国連専門家会議」


日本財団では長く視覚・聴覚障害者の教育や人材養成プログラムを世界各国で実施してきた。情報通信技術(ICT)の発達はめざましく、彼らをサポートする有力な技術になりつつあるが、問題も多々存在する。

今回の少人数による会議で深堀した議論がなされ、課題解決への道筋が明かになること望んいる。

以下、スピーチです。

2012年4月19日
於:日本財団


本日は国連専門家会議のために13カ国から専門家の皆様にお集まりいただきました。皆様の来日を心より歓迎申し上げます。また、都合で会議に出席できないものの、世界各国からインターネットで明日の特別セッションに参加されると聞いています。こうして多くの関係者の協力により、本会議を開催できることを大変嬉しく思います。

私たち日本財団は、すべての人が平等に自らの人生を選択できる機会と権利を持ち、主体的に社会参画することができるインクルーシブな社会を目指しています。世界には貧困や病気、差別など様々な理由によって、選択の機会を奪われ、社会に参画できない人たちがいます。日本財団は、こうした方々の自立を後押しするための支援を行っており、障害者に対するエンパワメント事業もそのひとつです。障害があるからといって諦めるのではなく、彼らの能力をしっかりと発揮できるようにするための取り組みを国内外で行っています。
なかでも視覚・聴覚障害者に対してはグローバルな活動を展開しており、ロチェスターNTID、ギャローデット大学、オーバーブルック盲学校などと連携し、アジア諸国において高等教育支援や就労支援事業を行っています。これらの事業に共通する重要なテーマは情報アクセスとコミュニケーションの改善です。その鍵を握るのが、昨今、急激な発展をみせているICT(情報通信技術)です。このICTを最大限に活用することで、視覚・聴覚障害者が教育や就労の場面で負うハンデを飛躍的に軽減することができるようになりました。

ここでICTとの出会いによって大きく人生を変えた、ブン・マオさんという全盲のカンボジア人の方について紹介したいと思います。彼は思いもよらぬ事故で突然視力を失いました。当時通っていた大学は退学を余儀なくされ、生涯をともにすることを約束した恋人からは婚約を破棄されました。辛いことが重なり生きる希望を失っていた彼でしたが、当財団が支援したコンピュータートレーニングプログラムに参加し、ICTの可能性に触れたことで、暗闇から一筋の光を見出したのです。

その後の彼のエネルギーは凄まじく、2000年にはカンボジアで初となる盲人協会を立ち上げ、現在も盲人のための就労支援やコンピューター研修などを実施するリーダーとして活躍しています。彼は日々強く、逞しくなっており、会うたびに多くのエネルギーと勇気を私に与えてくれます。皆さんが開発するICTによってブン・マオさんのような方が増え、一人でも多くの聴覚・視覚障害者がチャンスを得られるようになることを願っています。

 このように、ICTはブン・マオさんをはじめとする多くの障害者にとって人生を豊かにする可能性を秘めており、インクルーシブな社会の実現に今後もつながっていくものと信じています。しかし、昨年3月11日に起こった東日本大震災は、ICTの活用に関して様々な課題を残しました。

地震発生直後や災害復旧・復興のそれぞれの場面で、視覚・聴覚障害者はあらゆる困難に直面しました。例えば地震発生直後、地域の役場の担当者は津波の発生や緊急避難を防災無線で必死に呼びかけました。しかし、その放送が聞こえない聴覚障害者は、一体何が起こっているのかわからないまま家族や隣人に手を引かれ、高台に逃げたのです。おそらく、防災無線が聞こえなかったために逃げ遅れ、津波に飲み込まれてしまった人もいたに違いありません。
また、辿り着いた避難所での食料や日用品の支給に関する情報は、津波によって通信が遮断されていたため、逐次、紙に書いて掲示されていましたが、視覚障害者はその情報を得ることが出来ませんでした。
さらに、復旧・復興の過程では、罹災証明や仮設住宅の申し込みなど生活に必要な各種手続きをする場面において、公的機関の担当者とのコミュニケーションに苦心しました。

このように聴覚や視覚に障害のある人たちは、心身ともに衰弱している中で、一層の困難を余儀なくされたのです。彼らにとっての障壁は他にも数多くありましたが、なかにはICTを活用することで改善できる問題もありました。その一つとして当財団が聴覚障害者に対して行った支援が、スマートフォンを活用した文字や手話による通訳サービスです。
私たちはこれにより、多くの聴覚障害者のコミュニケーションをサポートできると期待していました。ところが、この支援を行うなかで、ICTが十分に機能しきれていない現実を目の当たりにしたのです。
被災した地域には、そもそもスマートフォンに触れたことがないという人が多数いました。そして障害者のみならず手話通訳者にいたっても、普段からこうした機器に馴染みがなく、新しい技術を受け入れることに抵抗を感じていたのです。そのため、残念ながら聴覚障害者の情報アクセス改善への効果は限定的なものになってしまったのです。

本来であれば、ICT は非常時にも有効な情報コミュニケーションツールとなりえるはずです。しかし、今回の震災で改めて浮き彫りになったように、普段から馴染みの薄い機器を突然使えと言われても、それを使いこなすことは難しいでしょう。つまり、日常からICTに親しんでいなければ、非常時にこれを有効活用することはできないのです。

ここにいる専門家の皆さまは重々承知のことと思いますが、障害を持った方々にICTを広く活用してもらうためには、利用者の立場に立ち、ユーザーフレンドリーな開発を追求することが重要です。同時に、政府や地方自治体、当財団のようなNGOは、視覚・聴覚障害者や通訳者などの支援者が、日常からICTを抵抗なく使えるようにサポートを行っていくとともに、ICTの有用性を広く伝えていくことが必要です。例えば、ICTに関する講習会の実施や普及活動が挙げられます。こうした取り組みが利用者の能力開発につながれば、視覚・聴覚障害者はただ支援を待つだけではなく、自らが必要な情報にアクセスできるようになっていくでしょう。

この会議において、ICTの規範・規格や技術開発、その実践事例について活発な意見交換がなされ、インクルーシブな社会の実現への第一歩となることを心より願っています。

日本財団・春の交流会 [2012年04月29日(Sun)]

春の交流会.jpg


「日本財団・春の交流会」


一年に一度、日本財団ではボートレース関係者や助成金を受けて全国で活躍されている様々な関係団体を招待して交流会を行っています。

以下はその時の挨拶です。

*********************


2012年4月6日(金)
於:ANAインターコンチネンタルホテル


昨年は開催することができなかったこの交流会ですが、本日は多くの方にお集まり頂き大変有り難く存じます。ご承知の通り、日本財団はボートレースの収益金をいただいて運営しています。昨年度は不景気にも関わらず10%近く売上が増えたと聞いております。ボートレース関係者の日夜の努力に心から感謝申し上げるとともに、私たち日本財団は誠心誠意、この貴重なお金を社会のために活用致します。

本日は日本財団を通じてボートレースのお金を有効に活用していただいている諸団体の皆様にも多くお越しいただいております。

日本財団は阪神淡路大震災から28回連続して地震、台風、水害、油流出事故などの災害救助に出動してきました。ただし、募金活動を行ったのは今回の東日本大震災が初めてです。大変有難いことに既に約50億円の寄付を頂戴しておりますが、今後更に40億円以上いただける見込みがあり、上手くいけば100億円近いお金が集まることになります。これがどれ程すごいことかと申しますと、800万部や1000万部を発行している大手の新聞社が1年間かけて集めた寄付が35〜36億円ということですので、その倍以上の浄財を日本財団が頂戴することになります。

このように日本財団に多くの寄付が集まるきっかけとなったのは、私がウェブサイトで「義援金と支援金の違い」を申し上げたことでした。災害が起こると、まずは人命尊重ということで自衛隊、消防、警察が出動しますが、それが一息つくと、今度はNPOや学生ボランティアたちの出番となります。しかし、彼らを支援するスキームが日本にはありません。NPOの皆様方は普段から日々困難な財政の中で活動されていますから、とても被災地で活動するための資金的余裕はありません。場合によってはスタッフの補充やその他様々な経費がかかりますが、この費用はどこからも出ないのです。私たちは阪神淡路大震災でこのことを経験していましたので、迅速に約700団体に対して活動資金を提供し、広域にわたってご活躍いただきました。

一方で多くの方が「被災地の皆さんのために何かしてあげたい。でも何もできないからせめて寄付という形で支えたい」という方々の気持ちがなかなか被災地には届きませんでした。あえて名前は申しませんが、4,000億円近い「義援金」が集まりながら被災者の手に届くまでには相当な時間がかかりました。また、その報告も不十分でした。そのような意味では、今回の震災では「支援金」の重要性を多くの方々にご理解いただき、日本財団に寄付してくださったものと思っておりますし、大切に使うのは当然のことで、報告責任もしっかりと果たしてまいりたいと思います。

被災地には多くのボランティアが入っていますが、日本財団が震災の一年前に立ち上げた「日本財団学生ボランティアセンター」の学生たちが素晴らしい活躍をみせてくれました。ボランティアは現地に行けば立派な活動をすると思われている方がたくさんいらっしゃいますが、これは大きな間違いです。ボランティアというのは悪く言えば烏合の衆です。出発前にきちんと心構えを確認し、活動について勉強していただく必要があります。学生ボランティアセンターでは、活動中の怪我を防ぐために長靴の中に敷く薄い鉄板を支給するほか、事前説明会を開催し、津波が来た時の対応方法なども指導しています。これまでに全国から4,000人が参加して下さっており、全ての参加者にボランティア証明書を発行しています。この証明書を教授に提出すると出席扱いにしてくれるところも多々あるそうです。

日本財団では、このようにNPOやボランティアへの支援を通して復興支援に取り組むと共に、自らがプロジェクト構築から実施までを行っております。

その一つが、死者・行方不明者のご家族に対する弔慰金・見舞金の支給でした。阪神淡路大震災は建物の崩壊だけでしたが、今回の震災では津波が全てを奪いました。当然、現金も流されていますから、亡くなられた方に線香や花を手向けたくても出来ないご遺族の方々がたくさんいらっしゃったのです。そこで死者・行方不明者のご家族に5万円をお渡しすることにしたのですが、町役場の職員は多くの方が亡くなっており、その中で復旧・復興対応にあたっていましたから、皆さん疲労困憊されていました。このような状況でしたから、配布は我々自身で行うことにしました。そこで財団やボートレース関係者が一丸となって被災地全てを回り、直接お渡しさせていただきました。

配布のスキームについては様々な議論を行いましたが、同地域の異なる場所で配布する場合、家族の誰かがそれぞれの場所で受け取ってしまう、つまり二重取りや三重取りの可能性も懸念されました。しかし結論を申し上げれば、対象者約1万9千人の91.6%にあたる1万7千人を超える方にお渡ししたなかで、二重取りは1件もありませんでした。ただし家族間での情報伝達が上手くいかず、奥様が近くの小学校で受け取り、別の用事で役所に行っていたご主人がその場で受け取ったため、家に帰って二重取りしてしまったことが分かり、役所へお返しに見えたということがありました。もう1つは、行方不明の家族の分を受け取られたものの、20日後に病院で見つかり、お返しに見えたケースもありました。あの当時、お金を返しにくるのはそう簡単なことではなかったはずです。車は流されてしまった上に、特に沿岸部の道路は破壊されていましたから、歩くのも困難な状況でした。このように日常新聞を見ていても分かりませんが、私は実体験として「日本人はなんと道徳心が高く規律のある国民か」ということを改めて実感しました。これは東北地方に限らず、日本人が持っている優しい倫理観ではないかと思います。

私たちは、活動するにあたりじっくりと考えることも大切ですが、何より現場主義を重要視しています。オフィスでは見えない問題も現場にいると様々な問題が見えてきます。例えば、弔慰金・見舞金の支給のために被災地を訪れた時のことです。さっそく支給に関する周知をしようとしたのですが、避難所の掲示板以外に情報伝達手段が見当たらないのです。そこでラジオにその可能性を見出した私たちは、18の臨時災害放送局に対して立ち上げや運営に係る支援を始めました。ところが、そこで新たな問題が発覚しました。被災者のほとんどがラジオを持っていなかったのです。避難所に逃げた方はもちろん、家庭にもラジオがないという方が数多くいました。至急、ラジオの調達を試みたところ、国内では確保できないことが分かり、中国のあるメーカーに直接オーダーするなどして計4万2千個を調達し、被災各地に配布しました。

また、今回の活動の中で、私たちは避難所などが抱える問題をしっかりと把握するために専門家らによるアセスメントを徹底して行いました。そこから明らかになったのが、妊産婦や障害者の問題です。

例えば、震災1ヶ月後、宮城県の約700ヵ所の避難所でミルクの配布状況を調べたところ、その配布率はたったの8%でした。恐らく、妊産婦を探し出して配布するというところまで手がまわらなかったのでしょう。私たちは東北3県の出生率から割り出して、5,000〜6,000人前後の妊婦がいることが分かりましたので、安心して出産できるサポート体制、或いは環境整備を行いました。

また、避難所には障害のある方も多くいらっしゃいました。特に知的障害者を抱えたご家庭では、避難所や仮設住宅で夜中に奇声を上げたり暴れたりというのは、親御さんにとっては居た堪れない状況です。従って私たちは障害者とそのご家族が余分な気を遣わずに生活できる施設を作りました。しかし、本来であれば在宅で暮らす障害者に対しても支援を行う必要があるのですが、個人情報保護法により障害者の方々の情報を行政から入手できなかったこともあり、支援が遅れている状況です。災害時にいかに法律や規則を柔軟に対応させるのかは今後の大きな課題です。

さて、私たちの見るところ、復興には早くて5年、遅れると7年くらいかかります。ここでいう復興とは、仮設住宅を出て自分の家を建て、定住することです。皆様も報道でご承知のように、仮設住宅は抽選ですからお隣や近くに住んでいる人が同じ集落の人とは限りません。少し大袈裟かもしれませんが、集落が違えば殆ど他国の人のようなもので、みな同じ日本人だと思うのは大きな間違いです。例えば、ある集落の方たちは外国人がボランティアに来て「初めて外国人を見た」と仰っていました。これには正直私も驚きましたが、つまり、集落によって文化やしきたりは全く違うのです。いずれにしろ、仮設住宅はあくまで仮設であり、落ち着いた生活ができる環境ではありません。従って一日も早く自分の住居で住めるように、我々も必要な支援を行っていく所存です。

また、岩手、宮城、福島の3県には4,500以上の神社ありますが、そのうち1,500の神社が大なり小なり被害を受けました。東日本大震災からの復興のキーワードである「絆」の原点は神社にあります。神社で行う五穀豊穣の祭には多くの村人が参加しますが、そこに向けて大人たちが近所の若者や子どもに踊りや笛、太鼓を教え、そうすることで村人の絆を深めてきたという伝統があります。そこで私たちは、鎮守の森を復活させることによって絆の原点をきちんと守っていく必要があると考えました。ちょうど私たちの姉妹財団である日本音楽財団からストラディバリウスを競売にかけて得た13億円をいただきましたので、それで伝統文化復興基金を立ち上げました。この基金からこれまでに太鼓だけでも400個ほどを支援させていただきましたし、村祭の衣装や道具も日に日に揃ってきていますから、今年の秋の収穫祭では活気のある姿が見られるのではないかと思っています。

東日本大震災における日本財団の活動の一部を紹介させていただきました。詳しくは日本財団のウェブサイト「ROADプロジェクト」をご覧下さい。皆様の引き続きましてのご支援をお願い致します。

ニッポンドットコム1周年記念パーティー [2012年04月28日(Sat)]

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「多言語情報発信」
ニッポンドットコム1周年記念パーティー
―笹川挨拶―


2012年4月3日
於:日本記者クラブ10Fホール


先ほどニッポンドットコムの代表理事・原野城治さんから戦略的、かつ気迫に満ちたお話がございました。この一年間、ニッポンドットコムは少数精鋭で本当に素晴らしい仕事をしてくださっています。世界の人々に日本を正しく知ってもらおうと情熱を注いでいるスタッフの方々に心から敬意を表します。どうか本日お集まりの皆様にも、原野さんを中心としたニッポンドットコムへのサポートをお願いいたします。

海外へ向けた日本の情報発信は大幅に遅れており、そのなかで私はどうにかNHK国際放送を充実できないかと微力ながら協力して参りました。できればアルジャジーラ並みの国際放送を実現させたいと思っていましたが、出来上がったものは皆様ご承知の通りです。一方で中国の国際放送は既にアルジャジーラ並みで、既に日本とは比較にならないレベルに達しており、愕然とします。

私は十数年前に度々ジョージ・ソロス氏と会う機会がありました。彼は民主化が遅れている東ヨーロッパ、中央アジア、あるいはミャンマーなどの民主化のために大変意欲的に情報発信していました。特にミャンマーについては10人ほどの若い女性で懸命に情報発信をしていましたが、当時ミャンマー情勢に関する大多数の情報は恐らくジョージ・ソロス氏が支援したPCから発信されていたと私は理解しています。そのようなことが頭にある中で、たまたま原野さんと知り合うことができました。私は多言語による日本からの情報発信の重要性と、それをウェブサイトで発信することについて原野さんと率直な話し合いをしました。そして原野さんと意気投合し、今のような協力体制が生まれたのです。

ウェブサイトの名称をどうするかで色々と議論がありましたが、私の勤める日本財団の理事長の尾形が「nippon.com」というドメインをアメリカから無料で入手してくれました。そのおかげでニッポンドットコムという名称が生まれたわけでございます。

ニッポンドットコムには、白石編集長や、外務省の事務次官をお務めになった谷内さんを中心に素晴らしい編集者がいらっしゃいます。また、文化・芸術、ファッションを含め様々なコンテンツが出来上がっており、非常に良質な情報発信が既になされております。

ご承知のとおり、新聞や雑誌は作る人と販売する人が異なります。ニッポンドットコムはこれだけ素晴らしいコンテンツを持っていますが、人に見てもらわなければ何の価値もありません。どうか皆様にはこれを大いに広げるご協力を賜りたくお願い申し上げます。

私は常に自分の名刺よりも先にニッポンドットコムの名刺を渡すようにしています。フランス語のアクセス数が足りないということを聞き、昨年アフリカに行った際にはマリ共和国、中央アフリカ、チャドといったフランス語圏で一生懸命に名刺を配ってきました。しかし、パリに戻ると知人が苦笑いをしているのです。電気もPCもない国でこれを配っても何の効果もないということが良く分かりました。(笑)

私は原野代表理事に一つだけお願いをしています。それは、3年後には1日に1000万人が訪れるサイトにして欲しいということです。英語、フランス語、スペイン語、中国語、日本語、それに今年から来年にかけてはアラビア語、ロシア語が加わり、世界の人口は70億人ですから、7ヶ国語の多言語サイトで1000万人というのはそれほど難しい数字ではないと私は思います。この目標を達成し、ニッポンドットコムが日本一の良質なメディアとして世界から評価される日を待ち望んでいます。

原野代表理事を中心とした素晴らしいスタッフが集まっていますから、必ずや実現してくれるものと期待していますが、そのためにはお集まり頂いた皆様方にも、この日本を代表するnippon.comを助けてやろう、協力しよう、という気持ちになって頂きたいと思います。
ご成功をお祈りいたします。

4月27日(金) [2012年04月27日(Fri)]

4月27日(金)

8:10 シンガポール発

16:05 成田着

17:40 財団着

日系スカラーシップ [2012年04月27日(Fri)]

全員.jpg
日系スカラーシップ卒業生のこれからの活躍を願って・・・


「日系スカラーシップ」


3月4月は学生にとって胸躍る季節。学んだ学問を基に自らの夢の実現を目指して社会へ出て行く人々、また、日夜勉強に励み難関を突破して入学の喜びに浸る学生たち。春は若者にとっては光り輝く希望の季節でもある。

日本財団の海外援助の柱の一つに日系人への支援活動がある。元来、南米を中心に老人ホームや病院、日本庭園の建設支援などを行ってきたが、これに加え大野修一常務理事の発案で、現地の優秀な学生の日本での勉強を支援することで祖国日本との絆を深め、帰国後はそれぞれの分野で指導者になってもらいたいとの考えで「日系スカラーシップ」を実施して9年目になる。

このプログラムのユニークなところは、大野が自ら現地で選考にあたり、約10倍の競争の中から選抜すること。そして規則ずくめの奨学金制度ではなく、学生の希望により長くは5年間の滞在を認めることで、より実り多い留学経験ができることである。

卒業生の代表、チリ出身の打村明氏は、奨学生が孤立しないようウェブサイトを活用してネットワークの構築を献身的に行ってくれており、東日本大震災の学生ボランティア派遣にも多大な努力をしてくれた。10年後、20年後の各国の日系社会のリーダーがこのグループから派出することは間違いない。

「10年木を植える。100年人を育てる」
日本財団は地道で息の長い仕事も得意としている。

3月28日に日系スカラーシップ卒業生の報告会を行った。
下記に今年の卒業生と入学生を紹介します。

04.25 日系スカラーシップ名簿.jpg

4月26日(木) [2012年04月26日(Thu)]

4月26日(木)

7:30 朝食

10:00 産経新聞 青木信行シンガポール支局長

11:00 The Straits Times インタビュー

13:00 Singapore Police Coast GuardのHsu Sin Yun長官

長官.jpg
Hsu Sin Yun長官


13:20 Singapore Maritime & Port Authority のSegar 副長官

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Segar副長官


13:40 BIMCOのKhatau会長

BIMCO会長.jpg
BIMCOのKhatau会長


14:00 CSRセミナー スピーチ

26日CSRセミナー1.jpg
CSRセミナーでスピーチ

26日CSRセミナー2.jpg


16:30 Lloyds List インタビュー

18:30 レセプション

20:00 関係者との夕食会

4月25日(水) [2012年04月25日(Wed)]

4月25日(水)

7:30 日本財団

8:40 財団発

10:50 成田発

17:15 シンガポール着

18:00 ホテル着

19:15 世界海事大学フェロー面談

25日WMU.jpg


19:45 関係者との夕食

「今朝からシンガポールへ」 [2012年04月25日(Wed)]

「今朝からシンガポールへ」


今夕(25日)、世界海事大学卒業生の会に出席。

26日は「海運企業のCSR活動」に関する国際セミナーでのスピーチです。

27日夕刻、帰国予定。

日本財団の進むべき道 [2012年04月25日(Wed)]

日本財団の進むべき道
―2012年度挨拶―


2012年4月2日
於:日本財団ビル


昨年一年間、私は同じことを皆さんにお話してきました。話というのは一度限りでは絶対に頭の中に入りませんし行動にも反映されません。日本財団の職員は勤め人でもサラリーマンでもありません。プロフェッショナルな職業だと言い続けてきました。

率直に申し上げますが、日本財団は休まず、遅刻せず、毎日会社に行けば給料が貰えるという組織ではありません。単に与えられた仕事をこなすだけではなく、常に自分を磨き続けることが求められています。そして、皆さんがトレーニングして得たものをどのようにパフォーマンスとして示しバリューを出していくかによって、日本財団のこれからが決まっていくのです。神輿だから一人くらい手を抜いても大丈夫だろうと思うのは大きな間違いです。一人一人の能力が十分に発揮され、その集積があって初めて日本財団は社会を変えるような価値ある仕事ができるのです。

皆さんに繰り返し沢山の本を読んで下さいと申し上げてきました。そして、多数の方が1年30冊の読書に挑戦して下さいました。しかし、今年は読みたい本ではなく、読まなければならない本を読んで頂きたいということを付け加えたいと思います。皆さん自身の精神的な栄養になったり、頭脳や精神に良い刺激を与える本は沢山あります。そのような本に挑戦し、その上で世の中の変化をいち早く感じ取り、そうすることで教養と社会から得られる情報が頭の中で化学変化を起こし、素晴らしい創造的な仕事が出来るのです。

日本財団は社会をより良い方向へ変えていくという重要な役割を担っています。その責務をこの限られた職員で果たすためには、個人個人の資質の向上が欠かせないということを自覚してください。この組織は、他の企業などと比べても、柔軟に、又大胆に仕事ができる体制は整っている方だと思います。また、善意の失敗については決して咎めることはしません。ですからのびのびと、大胆に仕事に取り組んで欲しいと思います。ただし、仕事の基本でもある上司に対する報告・連絡・相談、いわゆる「ほう・れん・そう」だけは徹底するようにしてください。

この度の東日本大震災は大変不幸な出来事でした。しかし、多くの報道を通じて国民から日本財団の活動を評価して頂いたことは、率直に喜んでいいことだと思います。差別用語かもしれませんが「目明千人盲千人」、見る人はきちっと見てくださっています。だからこそ、初めての募金活動にもかかわらず既に50億円近い寄付を頂いていますし、いま理事長や海野常務が努力して下さっているプロジェクトなどが順調にいけば、100億円を超える可能性もあります。大手の新聞でさえ1年間に集まった寄付は36億円前後だそうです。それを思うと日本財団に頂いた寄付がいかに多いかというのと同時に、国民からの評価と期待の大きさが身にしみます。そして私達は、そのような大切なお金を一銭も無駄なくきちんと活用していくことで応えていかなければなりません。

財団設立当初の主要な仕事は、自動的に頂けるモーターボート競走の収益金の一部を助成金という形で国内の団体に支援することでした。しかし、世界あっての日本、日本あっての我々という意識から、地球規模で仕事をしていくべきだと考えました。そして、当時は厳しい法律で縛られてはいましたが、試行錯誤の努力の末、国際分野での活動が認められるようになりました。また、市民レベルの社会貢献活動が重要だとの認識から、阪神・淡路大震災から地道に勉強を重ね、結果としてNPOやボランティア団体を支援する仕組みを財団内部に作ることが出来たのです。

一方で、日本財団が取り組むべき課題が見えながらも支援する団体が存在しない場合は、団体自体を立ち上げるということもしてきました。例えば、生涯スポーツを通じて全ての人に健康になってもらいたいという想いで設立したのが笹川スポーツ財団です。また、日本の教育が知育偏重ではなく体育や徳育のバランスが重要だとの考えからB&G財団を立ち上げ、1700億円という巨額な資金を投入して全国480カ所に体育館やプールや海洋スポーツ施設を作りました。その他、国際協力や国際理解の促進を目的とした笹川平和財団、ハンセン病制圧のための笹川記念保健協力財団、予防医学の教育のためのライフ・プランニング・センターなども同様です。

このように、これまでも存在しなかった組織を新たに作るというチャレンジングな仕事もしてきましたが、皆さんにはよりチャレンジングでクリエイティブな取組みが要求される時代になってきました。日本財団は今年で50周年を迎えますが、これからは財団の活動をより分かり易く伝えていくことで国民の理解を頂き、社会変革を起こす中核の役割を担っていきたいと思います。

既に国の財政赤字が1千兆円を超え、国民一人当たり850万円の借金を背負う時代になりました。そのような中で、国や行政の手が行き届かない分野がたくさん出てきています。支援を受けられずに苦しんでいる方々のことを考えると、その方たちを支える日本財団の果たすべき役割は非常に大きく、責任重大だと思っています。中でも、NPOを中心とした市民の活動をより活発にしていくことは特に重要です。そこで東日本大震災ではNPOやボランティア700団体に支援を行い、それぞれがしっかりと役割を果たすお手伝いをさせていただきました。また、学生ボランティアのネットワークも着実に広がりを見せています。

このように市民の活動が徐々に活発化する中で、企業の在り方も変わりつつあります。数年前であれば、企業は利益を追求する手段としてより安く質の高い物を提供することで国民生活を豊かにすること、そしてその利益の半分を税金として納め、残りを株主や役員で配分すれば良いという考えでした。しかし本来は、ピーター・ドラッカーが30年前から提言しているように、企業そのものが社会の良き市民として存在することこそ本当の資本主義と言えるのではないでしょうか。今回の東日本大震災を機に、ようやく日本の企業にも社会の為に何かしなければいけないという動きが生まれてきました。この機会を力とし、日本財団はもっと積極的に我々のノウハウを企業に提供し巻き込んでいくことが、結果として社会をより良くし、日本財団の更なる飛躍にも繋がっていくのだと確信します。

企業も人間の人徳や人格と同様に社格や社徳が求められる時代になってきました。近い将来、国民が賛同するようなCSR活動をしていないと消費者が離れていく、或いは優秀な社員を採用できないといった時代がやってくるでしょう。また、私達はそういう社会にしていかなくてはいけないと思っています。その一つの戦略として、企業のCSRランキングを毎年発表していますが、まだまだその方法については改善の余地があります。簡単に言えば、これからは単に社内向けの対応を評価するのではなく、社外の問題に対していくら支援したのか、またどういった取り組みを行っているのかということを評価・公表していかなくてはなりません。そしてさらに、ウェブサイトやソーシャルメディアを使い、日本財団が企業のCSR活動と連携し、日本財団のノウハウと企業の資金をマッチングして社会活動を行い、そのことを上手にアピールすることによって、企業も喜び社会も喜ぶという仕組みを作っていくことが重要だと思います。

ご承知の通り、日本財団はNPOや社会福祉法人など、これまで5万9千件に亘る団体への支援実績があります。また行政においても各省庁との太い人脈がありますし、海洋基本法の制定などを通じて我々が真面目に取り組んでいることに対して高い評価を頂いております。その他、政治家や学者グループとのネットワーク、更には国際機関とのネットワークもあります。これだけ国内外で多岐にわたる関係者とネットワークを持っている組織は世界からみても稀だと言っていいでしょう。

このユニークな組織を動かすのは会長や理事長ではありません。皆さん自身がやっていかなければならないことです。これだけの素晴らしい環境をどう上手く活用していくかは、冒頭に申し上げた通り、一人一人がプロフェッショナルとしてクリエイティブな仕事をしていくということに尽きますし、一人一人の皆さんの能力の向上なくして私達が目指す日本財団は生まれないのです。私たちに与えられた使命と明るい未来をどのように手にしていくかは、ここにいる皆さんの努力にかかっています。日本財団が、日本に無くてはならない、あるいは世界に無くてはならない組織として存在できるように、共に努力をしていきましょう。

最後に「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」といった役割分担があります。日本財団の最も優れているところは、当然のことではありますが、お預かりしている大切なお金の管理を厳しくしている点です。また、組織の中に監査をする部署を設け、ファイアーウォールをかけて評価までしっかりと行うことができる組織は他にありません。その他総務、企画、経理といった管理部門の仕事は一見地味に見えますが、これらの部門がきちっとしているからこそ事業部の職員も安心して業務に当たれるのです。日本財団にとって、どの職種が良いとか悪いとかいうことはありません。そのような地味な仕事をしている人たちもどうぞ誇りを持って財団のために尽力していただきたいと思います。

4月23日(月) [2012年04月23日(Mon)]

4月23日(月)

7:30 日本財団

9:00 CSR関係ミーティング

10:00 ペルー 橘谷エルナンさん(日系スカラーシップOB)

12:00 石川 聡 共同通信社社長

14:30 学校プロジェクト打合せ

15:00 秋山昌廣 海洋政策研究財団会長

16:30 羽生次郎 笹川平和財団会長

19:30 ミャンマー連邦共和国 テイン・セイン大統領

大統領と.jpg
ミャンマー連邦共和国 テイン・セイン大統領
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