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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「年末ご挨拶」 [2011年12月28日(Wed)]
「年末ご挨拶」


喪のハガキ 手を合わせ読む 師走かな

                     合 掌


今年は常になく多くの方々から喪中の知らせを頂きました。
心よりお悔やみ申し上げます。

ほとんどの方がご高齢で、最高は108歳でございました。
ご遺族の介護のご苦労はいかばかりであったかと思います。
心からご苦労様と申し上げます。

一年間のお付き合い、厚く御礼申し上げ、来年もかわらぬご指導を賜りますよう、つごもりのご挨拶を申し上げます。
記者会見その4 [2011年12月28日(Wed)]
記者会見 その4


○司会 じゃ、次の方、後ろの白いシャツの方、お願いいたします。男性の方。
○福島県の地元の新聞社で福島民友新聞社のカンダと申します。
 質問したいことがありまして、セッション6でウォルフガング・ヴァイス先生がおっしゃったと思うんですが、国連科学委員会の報告準備で今準備を進めていると、ところが、科学的なものだけじゃなくて福島の役に立つものをつくろうという言葉がありました。
 これは多分、福島県民の心に届くと思うのですけれども、でも、皆さんがまたこれから国際的に別々の場所に戻られて仕事をしても、それはやはり福島にとって近い仕事ではないと思います。国際機関の協力を福島県民がよりよくわかるためには目の前で仕事をしてもらうこと、福島を見てもらうことが大事だと思います。
 私が質問したいのは、そういった考えに立ちまして、今後行われる福島県の健康調査に対してIAEA、WHOなどの専門機関は、人的・技術的に支援するご用意があるでしょうか。
 またもう一点、これから低レベルの放射線の被曝に関しては、福島県が世界的な調査の場になると思います。その場合に国際機関は福島県に出先機関を置く準備はありますでしょうか。2点お願いいたします。
○ファン・デベンター(世界保健機関/公衆衛生・環境部放射線環境衛生課)
 ご質問ありがとうございます。
 非常に興味深い質問をいただいたと思います。国際機関、私は世界保健機関(WHO)ですが、今日ここに私が「いる」ということ自体、WHOの福島の県民の皆さんに対するコミットメントであり、一生懸命やります、支援しますという意思表示であるわけです。
 3月11日の事故以来、私どもはここでの災害の危機というものを極めて近く緊密にフォローをしてまいりましたし、一般的な状況ではありますけれども、例えばヨウ化カリウムの予防服用基準などの問題であるとか、それから授乳などについてはいろいろなことを提言してまいりました。
 それから今、線量評価グループができておりまして、この地域の初期の線量評価に当たっている人がおります。初期の評価ということに関しては、日本からいただく公式の政府のデータというものを使って、そして独立した専門家や、国際機関も含めて初期評価に当たっております。ですから既に日本の科学者と国連のシステムの中のほかの国際機関と一緒に、初期評価ということで既に活動を開始しております。
○ヴァイス(ドイツ:連邦放射線防護庁/放射線防護・保健部部長、国連科学委員会・委員長)
  私は国連科学調査委員会(UNSCEAR)という国連の関係機関にかわってお答えしたいと思います。誤解を避け、そして、間違った期待を寄せられることがないように明確にお答えしたいと思います。
 私どもの組織、機関というのは、国連の24加盟国から構成されておりまして、今日ここにその何人かの代表が来ておりまして、いろいろ貢献をしています。貢献といっても金銭ではなく、専門家や科学的評価に関する情報をいろいろな加盟国から拠出をしてもらうわけです。
 私どもの委員会のやろうとしていることは、最良の科学的なエビデンス、実証というものを集めて何か個別の出来事が起きたときには、例えば今回の福島の事例のように評価にそれを使うということが最良の道だと考えます。私どもの与えられている責務というのは、人々に放射線に関する理解を深める仕事です。
 正直に言ってしまいますと、この委員会というのは科学者の集まりということすから、科学ということが目前の大事な課題であって、住民の人たちとコミュニケーションをしようと、わかるように説明しようというようなことは、必ずしもその優先順位が高かったとは言えません。
 今日も話に出てきたわけですけれども、委員会が取り上げている問題というのは複雑なものであると。そして1つの事件とか1つの物事に特異的に集中しているわけですから、一般の人たちにそれを理解してもらうようにコミュニケーションするというのは、初めから難しいというようなところがあるわけです。
 疑う余地なく複雑な状況であっても、とにかくそれの中心にいる住民の人たちに、そのリスクをどのようにコミュニケーションしていくか、伝えていくかということは、委員会の存在の中心にあることですし、まさに今回の会議でもこのリスクをどのように伝えていくか、わかってもらうかということが大事な点です。
 今日の午後、私たちが会議で述べたことをここでもう一回繰り返して申しますと、私どもの委員会というものは、科学に基づいて状況を評価する、査定をするということです。そして、決して科学者のために膨大な資料を、何センチにもわたるものをつくるために仕事をしているのではないと、やはり最良の科学的な知見というものをもって今の福島のような状況、これを理解してもらうために使ってもらおうと。それが私たちの仕事の中心なわけですから。
 私どもはこのような地元に伺って手伝うというようなことは、今まで余り考えてもいませんでした。そういう人がいるわけでもない、そういう資源があるわけではないと思いますけれども、そういう要請がおありならだれかが来るということは必ずできると思います。国際機関のほうから経験を持った人がここに来るということはあり得るわけです。そういう要請があればですが。
 けれども、私どもができることとできないことがあるのです。できないことはリスクコミュニケーションを住民の方々にするということは私たちではできない。私たちは皆さんがなさるそのためのインプット、材料を提供することはできるということです。
○山下 地元の新聞記者で非常に愛情豊かな質問でした。ゴンザレス先生が多分答えると思いますので、よろしくお願いいたします。
○ゴンザレス 私は国際放射線防護委員会(ICRP)の副委員長をしている立場ですけれども、私どもは日本の皆さんの要請にこたえて来る用意があります。
 国際的な協力があるということは、住民の人たち、一般の人たちが安心をするからある意味で大事だと思います。私は福島の状況よりずっと悪い国際的なプロジェクトを、管理するという経験を持っております。1つはチェルノブイリ事故のプロジェクトです。それより悪いのは核兵器の核実験です。ですからその領土というか、その地域全体が再開発をされなければならなかったというようなところも見てきたわけです。
 国際協力というのがあるということは、そういう被害があった地域の住民の心を安心させるものです。ですから今回も、もし日本政府なり日本の当局がぜひとおっしゃれば、国際社会は喜んでここに来る用意がございます。
○グセフ(国際原子力機関 放射線・運搬・廃棄物安全部)
 私は国際原子力機関(IAEA)の者ですが、この国際原子力機関も健康リスクの研究を手がけております。そして、東京に地域事務所を持っておりまして、実は3月、4月と、この福島に来ていろいろ仕事もいたしました。
○山下 今の話は、提言の本編の結論8にこれが入っているので後で日本語に訳してご理解出来ると思いますが、この英文はまだ誤字、脱字が多いものですから、ドラフトと考えてください。これをもとにして提言が完成されます。
○司会 では、次の質問に行きます。一番奥の女性の方、お願いいたします。
○NHKのソメヤと申します。
 今までのお話ですと今の福島のレベルであれば、住んでいてもどちらかというと安全だというようなお話に聞こえるんですが、その一方で今、日本政府では福島県内を少しでも線量を下げるためにと、かなりのお金を投入して除染という作業を進めようとしています。
 この除染については年間20ミリシーベルト以上のところは必ず国がやると、それ以下のところでも、住民がかなり不安に思っていることからできるだけ行うというふうにしています。これはかなり必要なことだとは思うんですが、一方でその対策に当たっては多額の費用がかかるばかりか、普通の住民がその作業の一端を担わなければならないというような可能性も今見えてきています。
 皆さんの今日の話し合いの中で除染の意義というものが、どれほどまで必要なのかという話し合いがもしあったのであればその内容を教えていただきたいのと、もしなかったとしても、この除染という取り組みについてどのようにお考えになるか、どれほどまで必要だと思われるかをご意見として伺わせていただきたいです。
○山下 非常に的確なご質問ありがとうございます。
 今回は除染の話は出ていません。健康リスクで線量と評価ですが、ジャック・ロシャール先生が。
○ロシャール なぜ除染のために多くの資金を割くかということですけれども、ここに住んでいる福島の住民の方々の一番のやはり懸念材料、心配だと思うわけですから当然、状況を改善するために除染は必要だということです。
 福島の住民の人たちも未来をよりよいものにしたいと思うのであれば、そのために努力をするということになると思うわけです。ですからみんなが別に今のままでいいよと言うのであれば、何もしなくていいということになると思いますけれども、いい将来にするためにしたいんだということであれば政府も、そして県も、そして専門家も、いろいろな団体も住民も、みんな一緒に総力を集めて状況改善のために努力をするということになるのです。
 ですからここに私が今いるのは、自分のオフィスにいるときと状況は余り変わらないというわけです。あした私がパリに帰るにしても近郊の森に行けば、農民に会えばいろいろ苦情も出てくるかもしれませんし、それから、除染をした地域ももちろんフランスにはあるわけです。
 ですからまだまだ改善をする余地というものはあるというふうに言われることもあるわけで、それに応えていかなければならないということになるわけです。特に農民の人たちは農作物をつくって、いいものをつくってみんなにそれを食べて喜んでもらいたいということですから、その土壌をよくしようと、環境をよくしようという気持ちがあるのは当然だろうと思います。それには資源(リソース)が必要です。
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記者会見その3 [2011年12月28日(Wed)]
記者会見 その3


○司会 それでは、次の質問に、一番前の男性の方。
○Independent Web Journal(IWJ)イワタと申します。
 自然放射線についてインドのケララ州のお話をされた方がいらっしゃると思うんですけれども、ここで奇形の出生率が多いことや、ラドンガスによって肺がん発症率が多いという自然放射線についての報告というのも、これは継続的議論の中にあると思うのでこれはちょっと置いておきます。
 避難基準についてお聞きします。チェルノブイリ事故の数年後にベラルーシで、平方メートル当たり55万ベクレルで避難義務、18万ベクレルで避難権利というのが発布されました。今現在、福島市というのは、文科省とアメリカのエネルギー庁の航空機のモニタリング結果から、平方メートル当たり30万から60万ベクレルという結果が出ていますが、これが正しいとして現在日本政府がとっている避難基準というのは、妥当であるかどうかをお聞きしたいというのと、あと2つ目なんですけれども、個人線量を把握するというお話をされていましたが、今現在20ミリシーベルト基準というのが発布されたわけですけれども、これは4月1日以降のどれだけ被曝するかという、年に20ミリシーベルトという話ですが、全く初期被曝の再計算、初期被曝が考慮されていないと、この初期被曝を再構築するに当たって、もちろん事故後にどれだけの核種が放出されたかということが必要だと思うんですが、今のところ文科省や、あとは東電が発表しているデータは非常に限られた核種のみなんです。こうした限られた核種のみで、群馬の高崎のほうのCTBTモニタリングポストなんかでは、かなり広い範囲の核種であるとか、キセノンなんかについては17日なんかは検出の限界値を超えていたりするんですが、こうしたデータを使って初期被曝の再構築をしなければならないと思うんですが、今後イニシャルの線量についてどのような構築の方法というのが考えられるのか詳しくお聞かせください。
○ブーヴィル(アメリカ:米国国立がん研究所・放射線疫学部コンサルタント)
 私の理解では初期線量の再構築の方法ということだと思いますけれども、今までの測定で放射線核種が地面にどれだけ降下物として沈着したかということはもうわかっているわけです。その環境での測定の情報に加えて炉からの放出量ということも数値的にわかっているはずですし、それから航空機等々によって測定したものもある。それから、現地での調査によって得られた数字もあるということを突き合わせていけば、その線量の構築はできるはずです。
 それから、メトラー先生が先ほど言われたように、環境の汚染線量ということと、いつどこに人がどれだけ滞在したかというその情報が大事になってくるわけです。その2つの情報を突き合わせていけば、特定の地域に住んでいる個人の平均線量というものが出るはずです。しかし、その答えがすぐに出てくるというわけではなくて、必要な回答が得られるまでには何カ月かかかるかもしれません。
○IWJ もう一つの質問の避難基準についてのことを……
○紀伊國 あなた1人じゃなくて、たくさんの人が手を挙げているからほかの人に譲ったら?
○IWJ そうですか。質問……
○紀伊國 何人もの人が手を挙げているから。というのは、ヘイマン先生はロンドンに帰らなきゃならないので、間もなく失礼するということもあります。
○??−− でも、彼は2つ質問をして、まだ1つしか答えていないんですよ。もう一つの質問に答えてください。
○笹川 今日はできるだけ皆さんが全員、手が挙がらなくなるまでやりたいと思っています。こんな機会はありませんから、どうぞ遠慮なく心行くまで聞いてください。こちら側は多分だれかは残ってくれると思いますのでじっくりやりましょう。(拍手)
○IWJ どうもありがとうございます。
 先ほどの1つ目の質問にお答えいただきたいのと、先ほどのお答えに対してなんですけれども、現在文科省が発表している初期のデータというのは、5核種のみで初期の放出の核種については一般の国民には知らされていないわけですが、もちろん先生方はまた別のデータをお持ちになっているかもしれませんが、もしデータを持っていたら皆さんに発表してくださいということなんですけれども。
○丹羽 そのご質問はこの先生方に聞くのは全く的外れです。誰だってデータは持っていないんだから。私は日本人で政府の委員も勤めていますが、データは持っていません。貴方が外国から来られた方も含めたこのような場での質問としては、失礼だと思います。我々学者は何も隠しているわけでもない。持っていないのです。
○IWJ そういうことではなくて、再構築が今までのデータで公表できるということでしたので、それはお持ちなのかなという思いで。
○丹羽 再構築のデータを我々は持っていないですよ。
○IWJ わかりました。1つ目の質問にお答えいただきたいと思います。
○チュマック 私は日本の科学者でもないし日本政府の代弁者、代表でもないので、ウクライナで起きた経験からお答えするしかありません。福島の状況というのはかなりチェルノブイリとは異なると思うわけです。
 チェルノブイリですけれども、炉が溶融して高温で火災が出ましたし、それから溶融した燃料も高温だったわけです。ですから言ってみれば福島のほうが、チェルノブイリの状況よりも分析をするにはずっとシンプルだったと思うのです。
 炉の中には核種、半減期が長いものと、それから短いものがまざって入っています。福島では確かに炉は崩壊してその中のものが放出したということが、1カ月後ぐらいに起こりましたから、おっしゃるように放出したものがあったわけです。
 炉の中にはいろいろなものが混在しているわけですけれども、トレーサーというものがありますから、全体にどれだけ放射能が放出されたかというトータルは出てくると思います。
 そういうことで計算によってある程度の数字を得るということはできると思いますけれども、広島などの経験ではレンガや陶器ですか、それの高温のものなどもあるわけですから、そちらからの経験からも割り出されるものがあるのではないかと思います。
 そういった独立した他のソースからのものも使って計算に役立てることができると思います。ウクライナでの経験を多少持った科学者としての、これは政治的な判断ではなくて技術的なお答えです。
○IWJ 何度もすみません。避難基準についてチェルノブイリのときの避難基準、55万ベクレル平方メートル当たりというのと、避難権利が18万ベクレルということでしたが、それについて現在の福島の状況と照らし合わせて。
○酒井(放射線医学総合研究所放射線防護研究センター・センター長、国際放射線防護委員会委員)
 避難基準に関してですけれども、今ご指摘のようにチェルノブイリの場合は、土壌の汚染レベルで評価されました。今現在、日本で発表されている基準というのは、実際にその場にいたときにどれほどの線量を受けるか、線量率で検討されていると思います。
 それでその線量率との関係で、ICRPで設定されているところの1年当たり20ミリシーベルトというようなところが、一つの目安になって決定されています。それで土壌の汚染の状況と、それから実際の受ける線量率との関係については、土壌がどんな核種によって汚染されているか等々によってやはり違ってきますので、そういう意味で土壌の汚染だけをとらえてチェルノブイリの場合とどうかというのは、もう少し検討が必要だと思います。
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記者会見その2 [2011年12月28日(Wed)]
記者会見 その2


○司会 では次、後ろの女性の方。
○フリーランスのアイハラです。3点ご質問させていただきます。
 私は福島市に在住しておりますけれども、今回の会議、一般の市民にやはり公開されなかったということを非常に残念に思っておりますけれども、皆さんの質問等に共通いたしますけれども、実際今、仮設住宅ですとか避難所にまだ暮らしている方もおられて、インターネット環境も十分ではございません。こういったことも考慮に入れられていたのかということを1つご質問で、あわせてもし可能であれば、例えばオブザーバー席を設けて住民の代表の方に何人か入っていただいて、そして、ディスカッションまで全部フルで見ていただくということが可能であったと私は思っています。というのも席が幾つかあいておりましたし、最初から席を確保していれば、そういった県民の方も参加できるという非常に貴重な機会があったのではないかと、その点、主催者の方にお伺いしたいです。
 2点目ですけれども、先ほどあちらにいらっしゃる先生がおっしゃられていましたけれども、双方向のコミュニケーションが大事であるということで市民や県民からの今後パブリックコメントですとか、双方向の質問を受け付けるというような機会がございますでしょうか。
 そして、最後の質問ですけれども、今回、福島県内の市民団体の方から意見書といいますか、そういったものが出されて、今回のパネラーの先生方にも英文と日本文で配られたと聞いています。そういったものに対して何らかのコメントあるいは回答、そういったものをお出しになるようなお考えはございますでしょうか。以上3点をお伺いしたいと思います。
○山下 まず、最初の質問の「公開」ということは、先ほどから何度も申し上げていますようにこの会議自体は専門家会議ですので、ご案内をしたのは専門の学会あるいは医師会等の方々であります。ですから基本的にお間違いがないようにしていただきたいのは、これは専門家会議を市民に公開したということで市民公開講座ではないということを、ご理解いただきたい。確かに重要な問題ですから今後ステークホルダー、すなわち当事者たちを入れた会合ということは当然考えなくてはなりません。これは第1回目でしかもこういう方々に来ていただきましたので、当事者を交えた会合はまた別の機会で判断しようというふうに思っています。
 それから、双方向性のリスクコミュニケーションというので、将来的にパブリックコメントみたいなのを受け付けるかという問題ですね。これはこの会に関しては財団のほうが窓口になると思いますが、どういう形でそれができるかはまだ議論の余地があるなというふうに思います。
 それから3つ目、公開質問の件ですけれども、これは恐らく内容を見た方々は、今回の2日間の会議の議論の中で相当数の疑問は解けたというふうに思います。ですからこれをどのような形で公開質問状に答えるかどうかは、これも今後の課題ということでご理解いただければというふうに思います。
○司会 では、次の方、はい、こちらにお願いします。
○サイエンスメディアセンターのナンバと申します。
 先ほどの提言の中で高度な災害システムを持っている日本が、インフラが今回崩壊したのでシステムが機能しなかったということで、問題が何かはもう同定されたから、これからは解決するだけだというふうなご発言があったかと思うんですけれども、ようやく今、新聞各紙でも9月11日を前にして、どういう事故が起きたのかというふうな検証がなされており、まだ環境中にどれぐらいの放射性物質が拡散したのかとかそういうことが、全然はっきりしない中でどういった問題が同定されて、何を解決するだけというふうな趣旨でご発言されたのか教えていただきたいと思います。
○山下 私の発言のことですか。
○サイエンスメディアセンター いえ、提言の中でおっしゃられた。
○紀伊國 ヘイマン先生が言われた提言については、これはまだ最終的なものじゃないんですけれども、まだ皆さんの手元にいっていないですか。
○司会 まだです。今、コピー中です。
○紀伊國 これは非常に時間をかけて作ったつもりですけれども、これは必ず皆さんにお渡しし、それで皆さん方がこれをどのように理解し、またこれを福島県民ばかりでなくて全国の人々に、どういう点が問題であるかということを伝えていただきたいために、このプレスカンファレンスがあると思っております。
○山下 メトラー先生、何かご意見ありますか。
○メトラー(アメリカ:ニューメキシコ大学)
 ここに来ております世界からの私どもは、チェルノブイリの近郊の汚染地域で何年か何カ月かそれぞれ過ごしてきた者ばかりです。
 難しい問題であると思いますが、ご指摘のとおりだと思います。確かに放射線というのはリスクがあるわけで、どれだけの線量を被曝したかということが問題あるわけです。ですから当事者は当然それを知りたいということになるわけです。短期でどれだけなのか、または長期でどれだけなのかということを知りたいということです。
 皆さんご自身ということであるからかもしれませんし、それから、皆さんが記事を書く住民の方々ということかもしれませんけれども、今までにどれだけの線量を被曝してきたのか、今の段階でそれがどれだけなのか、または将来どれだけそれが蓄積されるのかということに関心があって、それを知りたいと思っておられるだろうと思います。
 昨日そして今日午後の会議を通して、それこそ何百万というケースのいろいろな線量の測定というものがアメリカ、日本等々でなされてきております。今日の午後発表されたIAEA(国際原子力機関)のグセフ先生の発表だったわけですけれども、1カ月ほど日本に来られて、日本の各地で線量が測定されたそれをIAEAの立場から検証をしたということです。それで答えとしてはプラス・マイナス10%のところまで一致をしたということでした。
 最初のご質問に答えるような形で被曝線量の推計というのは、果たして信じるに足りるかということ、答えはイエスです。それはIAEAのチェックがあったからということだけではありませんで、日本の科学者、科学の水準が高いということだからです。
 それから、もう一つの問いの答えですが、環境に対する線量の測定がなされたのであれば、だれがいつそこに行ったか、どれだけ滞在したかということで、それから個人の線量を推定することができるということです。その人が被曝をした線量、それさえわかればリスクがどのようなものかということもわかってくるということです。将来いつ例えば発がんというようなことになるのかというようなことも含めてです。
 ところが、同じ線量でもそれぞれの個体によってリスクはまちまちであり、必ずしも同じではないということがあります。若い皆さん方の線量と、こちら側に座っている我々の線量が同じでも皆さんのリスクのほうが高い。同じ線量でも私たちは、年をとっているからそれだけリスクが低いという違いが出てくるわけです。
 それから、日本の方々の被曝線量からのリスク評価ということは周知のことであります。それは日本の原爆投下から長期にわたって、それこそ最高の研究成果が日本ではあるからです。国際的には日本のリスクの評価をほかの人口、ほかの人種の人たちにどう展開するかということをやっているわけです。
 例えばひとたび被曝線量がわかれば、いろいろな状況において自分のリスクがどうなるかということを他と比較して考えることができるわけです。私は放射線の専門家ですからCTスキャンの検査を患者さんに行います。あれはかなり高線量の被曝をするということになるわけです。
 ですからこの線量で何々をすればリスクはこれぐらいになるなというようなことが、いろいろな立場で検討がつくということです。たとえば、あそこの地域に行けば、そしてこれだけの期間、汚染された地域に行けば、またこれだけの線量が追加されるなと、そのリスクを自分の中で計算をして行くかどうかを決める、それをやるかどうかを決めるというようなプロセスにも使えるわけです。
 そういった今、環境の線量測定というのがなされているわけですから、それを個人の線量推計に活用していって、そして、それがわかればリスクがどれぐらいかということがわかる。それを踏まえて何をするかということを決断していけばいいという一つの流れになります。
 今、環境の線量というのは測定されているわけですけれども、どこでいつ何をしていたかという個人の行動情報がなければ、それを個人の線量推計に結びつけることはできないわけです。さっきから出ておりました福島県民健康調査、まさにそれが大事なのは、そういう細かいことを一つ一つ書いてもらうということです。書いてもらうことによって今の環境の測定値というのが、その人が必要としている情報に変わっていく、その情報があればその人は自分がこれからどうするかということを決めることができるということです。
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国際会議「放射線と健康リスク」記者会見その1 [2011年12月28日(Wed)]
国際会議「放射線と健康リス」その1
―記者会見・全文公表―


9月11日、12日の二日間、日本財団主催、福島県立医科大学において「放射線と健康リスク」と題し、世界一流の放射線学者32名、広島・長崎で放射線に関する研究を続けている日本側専門家も多数参加し、初めての国際会議を行った。

当日はユーストリーム、ユーチューブ、又、笹川ブログでもお伝えしましたが、今回の掲載は記者会見の詳細です。可能な限り記者団の質問に答えることにより国民に広く正しい放射線の知識を報道してもらいたいとの一念から、筆者の責任で時間は無制限とし、約3時間にわたる長時間の記者会見となりました。18時から始まり終了したのは21時を過ぎており、最後は記者団より感謝の拍手をいただきました。

録音テープにつきましては、チェルノブイリ原発事故では45回も現地訪問して救援活動に携わり、ロシアより功労勲章を授与された笹川記念保健協力財団の槇 洽子女史が発言を正確に文字化しましたので、文章的には分かりにくい点もありますがご理解ください。

この国際会議以後、放射線問題の過激で非科学的な報道は減少傾向にありますが、特に報道関係の読者には正しくご理解願いたく、ここに長文ではありますが全文を公表します。いずれ小冊子にして配布することも計画中です。


記者会見 その1

2011年9月12日
於:福島県立医科大学光が丘会館


○司会 この2日間の日程で行われました国際専門家会議に、皆様お忙しい中、ご出席いただきましてありがとうございました。また、急遽プログラムを変更しまして、最終セッションをクローズとして座長ならびに講師の方々のみの議論の場とさせていただきました。皆様のご理解には感謝申し上げます。それでは、まず初めに主催者を代表し、日本財団会長の笹川陽平よりごあいさつ申し上げます。
○笹川 日本財団の笹川でございます。
 福島の原発事故発生以来、ちょうど6カ月がたったわけでございますが、その間、この福島県はもとより日本、そして世界中の皆様方が、この原発事故に対する重大な関心を持っておられたわけでございますが、不幸にして国際会議が開催されるという可能性がないということをお聞きいたしましたので、急遽2カ月足らずでこの国際会議を日本財団が主催することになりました。
 ご承知のようにチェルノブイリの原子力発電所の事故に関しましては、20年間の長きにわたりまして私どもは、国際的に有効なデータの収集と救援活動をやってきた経過もあり、また、今も特に福島で心配なさっている甲状腺がんというものに対する取組みに国際チェルノブイリティッシュバンクに参加しています。これは管理された甲状腺の手術組織を材料としてEUのコミッションですとか、アメリカの国立がん研究所ともども研究を続けているというような経過もこれあり、この会議を開催しようと決意をしたわけでございます。非常に短期間の時間しかありませんでしたが、ご在席の世界の放射線に対する権威者が31名、もちろん国際機関も含めまして14カ国からお集まりをいただいたということは、いかにこれが国際的、世界的な関心事であったかということを証明するものだと思います。
 特に今回のこの会議で主導的な役割を果たしていただいたアルゼンチンのアベル・ゴンザレス先生におかれましては、来日の直前に2人のご子息を事故で亡くすという不幸にもかかわりませず、この会議の重要性と、そして、この福島に対する協力をぜひしたいということでご来日をくださり、かつ主導的な役割を果たしていただいたということは、主催者といたしまして大変感謝を申し上げたいと思いますし、関係者の皆さんに大きな感動を与えてくださいました。
 その他お集まりの外国からの関係者はもとより日本の第一線の研究者も、ここに心を一つにして福島県民の健康と安全はどうあるべきか、また、この不幸な事件のデータ、あるいは説明というものを、やはり世界中に原子力発電所がある以上、情報を日本は積極的に公開し説明をする責任があると同時に、このデータを世界中がやはり共有していく必要があると、この2点が大変重要なことだと私は理解をいたしております。
 大変印象的でありましたことは、我々が支援を開始した当初の10年間、ここにいらっしゃる山下先生初め日本の研究者が、地球90周を回るほど現地で各村々を回って詳細な診察とデータを収集した結果があり、ロシアやウクライナから専門家の皆さんが来てさらに詳細な説明をしてくださったということは、大変印象的なことでございましたし、それぞれの専門家からユニークな知見が発表されました。すべてがこれからのこの原発事故による福島県はもとより日本国民すべての、健康と安全につながるすばらしい発表であったと理解をいたしております。また、お集まりの諸外国からの専門家も、これからも福島県のために共に汗をかいていこう、協力しましょうということを言っていただいたことも大変心強いことでございました。
 本来はご承知のように会議というのは、ある程度事前に提言というものはできておるのが通常でございますが、私は今回は予断を持たずに、この外国からの31名の方々を中心に日本の専門家の皆さんも交えて、一から提言をつくっていただこうという、こういうことは国際会議では大変珍しいというか、恐らく初めてのことでございましょう。
 そういうことでお一人お一人から、字句の修正を含めましての議論が活発に行われましたために記者会見の時間が少し遅れてしまい、また、原文は英文でございます。したがいまして後ほど、今、一生懸命タイプを打っておりますので、届けられると思います。日本語訳は少し時間がかかりますけれども、日本財団のウエブサイトでこれを公表したいと思っております。
 2日間にわたるすばらしい会議と、また、すばらしい提言に協力してくださった出席者の皆さんに感謝を申し上げまして、早速、会議の内容についてのご報告をいただきたいと思います。
○司会 それでは、会議の成果につきまして、本会議の組織委員会の委員でありますディヴィッド・ヘイマン先生から報告、発表させていただきます。ヘイマン先生、よろしくお願いいたします。
○ヘイマン(イギリス:英国王立国際問題研究所)
 ありがとうございます。今回のシンポジウムでございますけれども、災害についてさまざまな報告もございましたし、それぞれの報告の中で災害直後にとられた緊急時の対応などについても触れられました。
 ただいま申しましたことの復唱になりますけれども、いろいろな報告の中には災害そのものの理解の話、そして災害後すぐとられた対応、そして住民の方々に対する最善の安全対応ついての指針などが含まれておりました。
 最初に指摘された事態についてですが、緊急事態としてとられた対策、屋内退避や必要に応じて住民の避難を指導したということが、非常に時宜を得てなされたということです。そして、2番目の所見は、線量モニターによりますと、被曝の線量は低かったということです。
 しかし、ご理解いただきたいことは、あくまでもこの災害直後の初動ということですから、今後この災害に対する対策が、または災害の終息がどうなるかということは、今後に待たなければならないということです。そして、3番目の見解ですが、この災害の社会的な影響、社会的なインパクトというのは、かなり壮大なものになるであろうということでした。
 そして、最後にですが、引き続き住民の方々に対する健康、そして、社会心理的な状況について最善を提供していくためには、このシンポジウムで理解されたこととしては、福島における健康管理調査、すなわち福島の住民の健康調査が極めて重要だということでした。
 この健康調査というのは関係当事者が広く情報を提供することによって健康の管理が最もよい形でなされるであろうということです。発言を引用いたしますと、被災をした個人自身がその情報を提供することができると、それが高度なレベルすなわちより詳細に提供されて初めて、この調査が今後有用に活用されていくことになるであろう、ということでした。
 最も重要なことは、その健康調査をすることによって個人個人が、自分の被曝線量の推計ということを手にすることができる。そして、それをもとに医師や医療専門家から、最善の助言と指導を得られることになるということでした。
 参加した専門家が満場一致で異口同音に合意したことは、日本は広島と長崎への原爆投下という経験から、長期にわたって医師や科学者がこれにかかわってきたということで、放射線被曝に対して日本は世界でも最も高い対応能力を持っているということでした。
 参加者がもう一つ認めたこととしては、日本は放射線の緊急対応システムの最も高度なものを持っているということです。今回は、災害がこのインフラを破壊したがために、そのシステム自体が機能しなくなったということです。
 また関係者の見解としては、日本国政府、それからすべての関係当事者(ステークホルダー)は、既に問題が何かということを同定したというか、見極めたということでありますから、その解決策ということもわかっていると。これからはそれを実行するだけであるということでした。
 それから、参加者の助言として、福島の科学者たち、それから医療関係者は、放射線の問題に関して持っておられる極めて高い知識と理解を、福島の県民の方々、そして日本のすべての方たちに、うまく伝えていただきたいということでした。
 重要なことは、地元の県、市町村、そして地域社会が、これからの復興または健康対応に関して情報を提供するとともに、それにかかわっていくことが大切だということであります。それを支援していくことが大切だということです。
 最後になりますが、参加者が繰り返し重要と強調したことは、ヘルスケアのシステムの中に対社会的、対心理的な状況ということを組み入れて、被災された地域、それ以外の地域においても、多面的な対応をしていくことの重要性でした。
 最後の提言あるいは助言として、日本政府が国際機関、すべてのステークホルダー、地元の県、市町村の長を入れたタスクフォースをぜひつくってほしいということでした。
 以上です。ありがとうございます。
○紀伊國(笹川記念保健協力財団理事長)
つけ加えさせていただきますけれども、今のヘイマン先生は、WHOで長く感染症の局長をなさっておられた方で、ヘイマン先生の顔はSARSのときにたびたび日本のテレビにも出てきましたのでご記憶だと思います。現在はWHOを外れて、英国のLondon School of Hygieneの教授ばかりでなく、Chatham Houseというロンドンの王立国際問題研究所の責任者でもおありになる、イギリスのHealth Protection Agency 健康保護局とも関係のある立派な先生で、私の長い友人であります。
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12月27日(火) [2011年12月27日(Tue)]
12月27日(火)

12:30 ミャンマー高僧 ベン・エインダパラ11番目三蔵法師 



13:00〜16:00 職員採用・面接試験

16:00 報謝祭
アウンサン・スーチー女史と会談 [2011年12月27日(Tue)]


―アウンサン・スーチー女史と会談―
「ミャンマー訪問」その2


今回(12月12日〜20日)のミャンマー訪問は、例によって強行日程ではあったが、実り豊かで満足のいく旅であった。関係者の努力を多としたい。

旅の最終日の19日、NLD(国家民主連盟)党首アウンサン・スーチー女史との会談の機会を得た。自宅軟禁から解放されて千客万来の中、日本人としては初めての顔合わせであった。

スーチー女史の自宅は市街地からほど近いカンドージ湖畔に面した二階建ての瀟洒(しょうしゃ)な住宅で、広い芝生の庭もあり、ヤンゴンの一等地に位置する。二年前に訪れた時は、道路は封鎖、兵士たちの警備は厳重を極め、遠くから眺めるのが精一杯であった。しかし今回、門前には兵士も警備員もおらず、NLDの党旗が翻っているだけで静まり返っていた。隣接地は廃屋で、他国ならばこの場所を利用してスーチーカレンダーや記念品を売る屋台が出てもおかしくないスペースがありながら閑散としていた。

それに比べ面会場所のNLD党本部は町中にあり、間口が狭く奥行きのある部屋は、日本の国政選挙の候補者事務所のような賑わいであった。壁にはところ狭しとアウンサン将軍のセピア色の写真とスーチー女史の写真が貼られている。狭い入口近くではカレンダーをはじめNLDのグッズが売られており、両側に並ぶテーブルでは食事をする人、数人で打合せをしている人、所在なく考え込んでいる人、食い入るように何遍もスーチーカレンダーを眺めている人、その間を縫って狭い通路を忙しく行き来する人でごった返していた。

私どもはその熱気に圧倒されながら、人をかき分け一番奥でしばしの時間を待った。聞くところによると、幹部会が開催されており、NLDの政府への登録や来年3〜4月頃に予定されている補欠選挙対策等についての重要な打合せが続いているとのことで、予定より約15分ほど遅れ、案内人が入口近くの階段を上り案内してくれた。

粗末なドアの内側にスーチー女史が待っているという。記者団が揃うのを待ってドアが開かれ、目の前には映像で見慣れたスーチー女史が和やかな笑顔で迎い入れてくださった。部屋は3〜4坪の質素な部屋で、事務決裁用の大きめの机と6〜7人の椅子で一杯であった。

女史に日本財団が1970年代から活動しているハンセン病制圧活動や、少数民族が生活する辺境地域での小学校建設、伝統医療の配布事業、障害者の組織化など諸々の人材育成プログラム等を簡単に説明したところ強い関心を示され、途中で日本財団の連絡先を教えてとの強い反応があった。

女史の「これまでのご支援に感謝します。私は日本人の責任感は素晴らしいと思います。大震災に人々が耐えた姿に感銘を受けました」との言葉に、私が「日本人は短距離は駄目です。お国との関係で今は支援や進出が遅れているように見えるかも知れませんが、長い目で見てほしい」と言うと、「マラソンならエチオピアでしょう!」と切り替えされて大爆笑となった。

事前に、日本人記者団から@日本政府に望むこと A金正日の死去 Bミャンマーと米中との関係について質問しろとの依頼があった。しかし、初対面で切り込む話題としては適当ではなく、30分間の制限時間で終わるには話題が多すぎるので躊躇していたが、意識的に彼女の左手に右手を重ね、手を引っ込める気配もないので思い切って話題にした。

彼女からの返答は
@ 日本政府はODAを再開すると言っています。ODAは我々に役に立つODA、将来彼らの自立のためになるODAにしてほしいものです。他に依存し続けることはしたくない国民なのです。

A とても心配しています。後継者は若く、経験不足です。後継者になるとは決まっていましたが、こんなに早く後を継ぐことになるとは思っていなかったでしょう。

B 中国、アメリカ両方に良い友達がたくさんいます。中国資本が建設中のミッソンダム発電所の建設中止をセイン大統領が決断したことはVery Happy な話です。

初対面でもあり充分ではないが率直な返答を得た。

別れ際にプレゼントを手渡しながら「小さなプレゼントですが、私のミャンマーに対する思いはこのプレゼントの何百倍の大きさです」と言うと、
「わかるわ!! あなたの服装(ミャンマーの民族衣装着用)を見て」と、破顔一笑された。

補欠選挙終了後、ゆっくり再開することを約束して部屋を出た。
気持のよい会談であった。
12月26日(月) [2011年12月26日(Mon)]
12月26日(月)

8:00 CSRミーティング

9:00 日本財団インド支部 粟津知佳子

11:30 森 喜朗元総理

11:30 尾身 茂自治医科大学教授

12:40 李吉龍Hanvit会長(韓国ハンセン病当事者組織)

13:30 中澤 武世界海事大学教授

14:25 アラブ首長国連邦アジュマン国 アブドル・アジーズ殿下 
ハベル大統領とアウンサン・スーチー女史 [2011年12月26日(Mon)]

ハベル元大統領の親書を手にするスーチー女史


―ハベル大統領とアウンサン・スーチー女史―
「ミャンマー訪問」その1


12月18日のヤンゴン滞在中、眠りに入ろうとしたところ、同行の冨永夏子からハベル・チェコ元大統領の訃報を受けた。唖然・呆然の体(てい)でハベルとの16年間にわたる思い出が走馬灯のように駆け巡り、珍しく寝付かれなかった。

プラハにおいて二人で始めた国際会議「フォーラム2000」の今年のテーマは「民主主義と法」で、このことは既に11月21日ブログで披露済みだ。

思い起せば、第2回目の会議の直前、ハベルは重い病に倒れこれまでと観念したが、奇跡的に回復。その後、15回目の今年の会議まで毎年元気に出席された。

アメリカの9月11日同時多発テロ直後は、世界のすべての地域の国際会議が中止されたが、こういう時こそ開催の意義があると二人の意見が一致。開催したことも思い出の一つである。

クリントン大統領夫妻、ダライ・ラマ師、ワイツゼッカー独大統領、デスモント・ツツ大司教、デクラーク南アフリカ大統領、キッシンジャー等々、出席された多くの指導者の顔が浮かぶ。

毎回、この会議の出席者名簿にアウンサン・スーチー女史の名前があり、この10月、「出席の可能性のない彼女の名前を記載するのは如何なものか」との私の問いに、「彼女の存在を風化させないため、意識的に出席者名簿に記載している」との答えに、己の愚問にいささか恥ずかしい思いをした。

第1日目の会議の冒頭、サプライズとしてスーチー女史のビデオメッセージが披露された。会場ではどよめきが起こり、スピーチが終わると大きな拍手となった。前日の夜、クロスロード教会での開会式直前に二人で地酒「ヘベロスカ」を飲んだ時、「これは明日まで秘密ね」といたずらっぽく語り、グラスを口に運びながら嬉しそうに微笑んだ顔。会議終了後、ゾフィン宮殿の前で車に乗り込もうと2〜3人の関係者と話し合っている姿に「又、来年逢いましょう」と軽く手を挙げて別れたのが最後となってしまった。



スーチー女史のビデオメッセージを見つめるハベル元大統領



会議場に流れるスーチー女史のビデオメッセージ


今回、スーチー女史に面談を申し入れた理由の一つは、ハベルからの親書を手渡すことであった。女史にハベルの思い出を伝え、「この書簡は、多分、絶筆です。ハベル遺稿集作成の時は必要なので大切に保管してほしい」と伝えたところ「勿論ですとも。ハベル大統領は私の民主主義世界の心の友でした」としんみりと語り、「お悔やみ状を出してほしい」との依頼に、「当然です。確かに」と快諾された。

来年10月の「フォーラム2000」はハベル大統領を偲んで仮称「ハベル大統領の残したもの。そして、目指したもの」をテーマに、実現したいと考えている。そのころにはミャンマーの国政補欠選挙も終わり、めでたく国会議員に当選したスーチー女史が、こよなく女史を愛し続けたハベル大統領の遺影の前でどんな演説されるのか。是非、実現したいものである。

ハベルさん、ありがとう。
どうしても国葬に参加できず、唯一の心残りとなってしまった。
しかし、毎年15年間も続けて会った外国人は、多分私だけでしょう。
あなたからの書簡には、いつもサインのあとに赤色ペンでかわいいハートのマークがありました。
あなたから多くのことを学びました。
不撓不屈の精神力、ユーモア、そして地酒のベヘロフカ・・・。

謹んでご冥福をお祈りします。

12月23日(金) [2011年12月23日(Fri)]

作品が展示されているミュージアム内


12月23日(金)

7:00 自宅発

8:05 羽田発

9:35 高知着

11:00 高知市アールブリュット美術館・オ−プニングセレモニー・挨拶
     於:Art Zone藁工倉庫


式典で挨拶



鏡開き


13:20 高知発 

14:35 羽田着

16:00 自宅着
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