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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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11月30日(水) [2011年11月30日(Wed)]
11月30日(水)

16:30 ニューヨークより、成田着

18:30 自宅着
空腹をかかえ眠りにつく [2011年11月30日(Wed)]

お腹が空いたまま眠りにつく子供が少しでもいなくなりますように・・・


「空腹をかかえ眠りにつく」
―夕食抜きの活動―

日本のように、何事も時間通りに進む国は稀である。特に世界の僻地での活動は時間の予測が立たない。その上スケジュールは常に苛酷である。そこで同行者には食事は食べられるときに食べておく。特に朝食はしっかり食べるように指導している。昼食、夕食が抜きの場合も多いからである。

今回のアフリカのマリでは、笹川アフリカ協会の農場視察で片道3時間走り、農民の歓迎会の後の昼食はビール一杯とパンだけだがほとんど手をつけられず、帰路は白バイの先導で猛スピードでホテルに帰館。直ちに身支度して空港に向かった。

ブルキナファソまで約1時間のフライト。疲れからかすぐに眠りに入る。気がついたら着陸で機内の軽食も食べ損なう。ホテルに入ったのは午後11時を廻っており、勿論レストランもなく、珍しく空腹感に襲われた。

今回のマリの首都バマコでは、笹川アフリカ協会設立25周年式典がトゥーレ大統領、各国高官出席のもとに盛大に行われた。

目的は貧しい農民に食糧増産を指導して農民たちが空腹のまま眠りにつくことがないようにを合言葉に「Never Give Up」の精神で闘ってきた成果を参加者から祝福された式典でもあった。

しかし、その当事者が空腹のまま眠りにつかざるを得なかったとは実に皮肉なことであった。たった一晩ではあったが・・・・。
11月29日(火) [2011年11月29日(Tue)]
11月29日(火)

6:00 サンパウロより、ニューヨーク着

12:05 ニューヨーク発、成田へ
11月28日(月) [2011年11月28日(Mon)]
11月28日(月)

8:00 朝食

10:00 WHO/PAHO(アメリカ地域事務局)のビクトリア代表

12:00 パリジャ保健大臣、ジャーバス副大臣


パリジャ保健大臣と


13:15 オリベイラ大統領府人権局 副大臣

14:20 関係者との昼食

16:00 空港着(空港待機二時間)

18:00 ブラジリア発

20:00 サンパウロ着(空港待機三時間)

23:00 サンパウロ発
「笹川アフリカ協会25周年」―アフリカ マリで式典― [2011年11月28日(Mon)]

SAAレセプションに向かう
(右から)ソグロゲンベニン大統領、筆者、オバサンジョ元ナイジェリア大統領
トゥーレ大統領、アルハサネ農業大臣



「笹川アフリカ協会25周年」
―アフリカ マリで式典―


マリ共和国の首都バマコで笹川アフリカ協会設立25周年の式典を開催した。

式典にはマリのトゥーレ大統領、ナイジェリアのオバサンジョ元大統領、ベニンのソグロ元大統領をはじめ、各国の農業大臣の出席もあり、盛大に挙行された。光栄にも、バオバブの記念植樹にも御三人共に出席して下さった。

思い起こせば、1984年にエチオピアで発生した大飢饉をテレビの映像で知った笹川良一から「何か救済策を考えろ」との指示があり、旧知のインド・パキスタンでの「緑の革命」に成功してノーベル平和賞を受賞された世界的な農学者ノーマン・ボーローグ博士とジミー・カーター元アメリア大統領と折衝、交渉の上、貧農の食糧増産活動「グローバル2000」プロジェクトとして発足したのである。

長い話を短くすると、その間、SG2000プロジェクトは世界銀行の構造調整政策に反するとの圧力があり、ヨーロッパ環境NGOからはアフリカの大地を化学肥料で汚染するとの非難も浴びた。我々の使用する化学肥料はヨーロッパの農地が使用する数十分の一であるにもかかわらずである。

最近「飢える大陸アフリカ」(ロジャー・サロー、スコット・キルマン共著、岩永勝訳、悠書館3200円+税)が出版された。二人はウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者で、克明にアフリカを取材。飢える大陸アフリカは先進国の怠慢と無知とご都合主義という人災によって引き起こされたと告発している。

多くの農業支援は世銀の構造調整と各国政治指導者の農業への無関心、そして成果の上がらぬ事業へのあきらめから撤退していった。我々は、そのような先進国の有形無形の圧力の中で25年を戦い抜いたアフリカ大陸唯一の農民支援の民間団体といってもよい。

我々は「Never Give Up」「決してあきらめない」を合言葉に闘い貫いてきた。ようやく世界も世銀の構造調整の誤りを認め、アメリカ政府の食糧支援はアメリカの農産物に限るとの頑な政策も変更となり、アフリカ諸国の政府の中で食糧の自給自足こそ独立国の第一歩と考える指導者も出てきた。

今日、笹川アフリカ協会はビルゲイツ財団やJICA、ナイジェリア政府からも支援金を受けられるようになり、笹川アフリカ奨学基金で我々が育てた農民を指導する政府の農業普及員も11大学で3000人を超え、卒業生の多くが現場で農民と共に働いている。笹川アフリカ協会の構成員は掃除や運転手、保安係等々を含めると約1000名の大世帯となった。

笹川アフリカ協会のリーダーであるルース・オニヤンゴ女史は「笹川さん! 笹川良一、ノーマン・ボーローグ博士も今は亡く、カーター元大統領も高齢で体調不良と聞く。笹川さん!! あなたの背負った荷物は大きく重いわね」としみじみと語りかけてきたが、「いや、私は若い頃山登りをしていたので荷物が重いほど元気が出て調子が出ますよ」と切り返した。

私に評価があるとすれば、一度も弱音を吐くことなく一貫して継続する意志を表明したことだけで、全ては笹川アフリカ協会の宮本正顕、ボーローグ博士の愛弟子であるクリス・ダスウェルを中心に、ボーローグ博士の「Never Give Up」の精神と「子供を空腹のまま眠りにつかせない」という関係者の一致した認識と団結のおかげである。

アフリカ大陸の7〜8割は貧しい農民である。彼等の食糧増産なくして貧困からの脱出もない。10年、20年後にはアフリカの農業といえば「ササカワ」方式といわれることは間違いない。又、そのようになるよう更なる努力の必要性を再認識した25周年式典であり、国際会議であった。

*『構造調整』とは、IMFや世界銀行が発展途上国の政府に対して要請する経済構造や経済政策の改革案のことで、農業政策については各種の補助金を全廃することが新たな融資条件となった。
そのためアメリカ、ヨーロッパ、日本をはじめ、多くの国が補助金政策を行っているにも関わらず、農業に対する支援策は削除されていった。笹川アフリカ協会の人材養成プログラムである笹川アフリカ奨学金制度まで補助金の一種だとの非難を浴びたこともある。
11月27日(日) [2011年11月27日(Sun)]
11月27日(日)

8:00 朝食

13:00 ホテル発

14:00 ハンセン病NGO,Morhan代表アルトゥール氏らと昼食




ブラジル料理シラスコ
バラエティー豊かな肉料理が次々と食卓に


17:00 空港着

19:15 リオデジャネイロ発

21:00 ブラジリア着

21:40 ホテル着

22:00 関係者との夕食
11月26日(土) [2011年11月26日(Sat)]
11月26日(土)

5:50 ホテル発

6:30 空港着

8:30 サンパウロ発

9:30 リオデシャネイロ着

11:00 Travares de Macedo旧ハンセン病コロニーで、
       隔離されたハンセン病患者の子供達の会合
    (リオデジャネイロのコルテス保健局長、女優のエルキ・マラビア氏も出席)


エルキ・マラビア氏と筆者



14:00 リオデジャネイロの市長とNGOモーハンが進める検診車の見学

15:00 NGOモーハン関係者と昼食会

18:00 ホテル着

20:00 関係者と夕食
11月25日(金) [2011年11月25日(Fri)]
11月25日(金)

7:00 朝食

8:40 ホテル発

9:00 日伯援護協会



10:15 Sylff校・サンパウロ大学



13:10 サンパウロ医師会で来年のグローバルアピールの打ち合わせ

14:10 世界医師会会長主催昼食会

19:00  関係者との夕食会
ハンセン病グローバルプログラム・マネージャー会議 [2011年11月25日(Fri)]


「ハンセン病制圧活動」
―ハンセン病グローバルプログラム・マネージャー会議―


ハンセン病は、WHOの示す人口1万人に1人以下の基準未達成国はブラジルだけになった。そのブラジルも2015年の達成を公式に発表した。

ともすれば制圧達成で活動は一段落との雰囲気もあり、回復者に対する差別の問題の喚起とさらなる病気撲滅への活動強化のため、各国のWHOの代表者と政府のハンセン病担当者がニューデリーで一同に会した。

以下は筆者の基調講演です。

*****************

笹川陽平・基調講演
原文・英語


2011年9月28日
於:デリー

サムリー博士、ナショナル・プログラム・マネジャーの皆様。この会議の開始にあたってお話できますことを大変嬉しく思います。

ここにお集りの皆さんをはじめとする関係者の多大なる努力の結果、多くの国がハンセン病における公衆衛生上の制圧を達成しました。この場を借りて今一度、皆様の貢献に敬意を表したいと思います。ありがとうございます。またブラジルも2015年には制圧を達成すると表明しました。長い歴史を持つハンセン病において、ここ数十年の取り組みはまさに特筆に値するものだと思います。

しかし、各国で制圧を達成して以降、ハンセン病対策がやや停滞状況にあることは皆さんも感じているところではないでしょうか。インドでは患者数減少の速度が遅くなってきています。インドネシアも懸念事項を抱えています。アフリカにも頻繁に訪問していますが、引き続き課題を抱えています。これらの国々・地域においてハンセン病対策の質をこれからも維持していくことは絶対に必要なことです。

公衆衛生上の課題として制圧が達成されたとしても、ハンセン病の問題がなくなったわけではないことは皆さんがよくご存じの通りです。世界各国で未だに多くの人々が新たにこの病気に罹っているだけでなく、病気ゆえに重い障害や深刻な差別に苦しんでいるからです。ハンセン病ゆえにこれまで人々が背負ってきた苦しみをなくすというミッションに向かって、医療面と社会面の両方において課題は残されています。

医療面においては、患者数の減少が停滞していたり、よりリーチが困難なところが蔓延地域として残されていたり、新規患者に重度の障害を伴う割合が高い地域があるといったいくつもの課題が残されています。にもかかわらず、各国でハンセン病対策の政策上のプライオリティが低下し、リソースが制限されている状況にあることを、私自身、これまで訪問してきた多くの国々で確認しています。皆様の中には、こういった状況に頭を悩ませておられる方々も多いことでしょう。

これに対し、私自身、WHOハンセン病制圧特別大使として各国の政治リーダーに積極的に会い、プライオリティが下がらないよう忍耐強く働きかけることは今後も続けていく所存です。しかし、他の様々な病気に対するプログラムがあるなか、皆さんをはじめとして関係者全員が、各国・地域の状況に合わせて創意工夫し、戦略的、創造的なアプローチを実践してく必要があるでしょう。

たとえば、今まで以上にリーチが難しい部族や地域、正しい知識が届きにくい貧困層の間で病気が蔓延していることから、ターゲットを特定し、それぞれの状況に合わせて最も有効な方法でアプローチしていく必要があります。私自身もアフリカやインド、ブラジル、インドネシアなどで蔓延地域を訪問し、現場のニーズに根ざした対策をとっていくことの重要性を実感してきました。

また、本会議のテーマの一つでもある新患における重度障害患者の減少を推し進めるためには、早期発見・治療を促すための正しい知識の伝達も今まで以上に工夫が必要です。字の読めない人々やテレビ・ラジオを持っていない人々にハンセン病に関する正しい知識を伝えるためには、路上での芝居や演劇が有効でしょう。私も訪問先で屋外での芝居を見る機会があり、村人たちが熱心に見入っている様子に感心した経験があります。

さらには、新規患者の発見や正しい知識の伝達において、回復者に参画してもらう環境も整ってきました。WHOが昨年発行した「回復者参加強化ガイドライン」を各国に適用し実施していただきたく思います。他にも様々な戦略的、創造的アプローチが皆様によって検討され、この会議でも闊達に議論されますことを願っています。

こういった医療面での活動が進み、早期発見や適切な治療を徹底させることができれば、障害が強く残るケースを減らしていくことができるでしょう。そして、障害が目に見えるものでなければ、一般の人々が差別をしてしまう原因が少なくなります。その結果、人々がより自発的に病院へ診断に行きやすくなります。皆様の取り組みが一人一人の人生を救うことになるのです。

このような医療面での取り組みに加え、社会面での取り組みも重要であることを改めて強調したいと思います。

長いハンセン病の歴史の中で、必ずといっていいほど、この病気に罹った患者は社会から追放されてきました。いったん症状が出ると、まるで存在していないかのように扱われるのです。この病気については、高い感染性を持つ、遺伝する、天罰であるといった多くの誤解や迷信がありました。そして、それらの誤解や迷信が人々の心に根強く残っています。そのような迷信が深く染みついているために、ハンセン病患者・回復者はたとえ病気が治っても、社会的差別を引き続き受けているのです。

世界からこのスティグマと差別をなくすことは決して容易なことではありません。しかし、ハンセン病による苦しみのない世界を実現するためには私たちの努力をやめるわけにはいきません。私自身はこのために3つの戦略を掲げています。

一つ目は、国際機関や政府に行動を起こすよう政治的に訴えることでハンセン病を人権問題として注目させることです。二つ目の戦略は、世界の様々な分野の指導者に賛同を得るグローバル・アピールを通して一般の認知を高め、社会の認識を変えることです。そして三つ目は、ハンセン病回復者自身がハンセン病に対する医療、社会、そして心理的な闘いにおける主役となれるよう、彼らのエンパワーメントを支援することです。

第一の戦略について、私は2003年にジュネーブの国連人権高等弁務官事務所への働きかけを開始しました。それから長い過程を経て2010年12月、国連総会で「ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」およびその原則とガイドラインが全会一致で可決されました。これは歴史的な一歩でありますが、もちろん、この決議によって差別とスティグマが自動的になくなるわけではありません。私たちはこの決議を、差別に対する闘いにおける重要な武器として活用していかなければなりません。

第二の戦略として、2006年から行っているグローバル・アピールについても紹介したいと思います。これはハンセン病患者・回復者へのスティグマと差別をなくすための声明です。これまでノーベル賞受賞者をはじめとした世界の著名な指導者やハンセン病回復者代表、人権NGOや宗教、著名企業、大学の指導者たちに署名を得て、世界中に発信されてきました。グローバル・アピール2012は世界の各国医師会に賛同していただく予定です。これを機に、皆さんの活動のパートナーである医師の方々に理解を深めていただき、医療施設での患者に対する偏見を撤廃する足がかりとしたいと考えています。

第三に私は、ハンセン病回復者が自分たちの尊厳を回復し、直面する不公平に対して立ち向かっていけるよう、彼らのエンパワーメントを後押ししてきました。たとえば、私はここインドでハンセン病回復者のナショナル・フォーラムを創設しました。このナショナル・フォーラムは、回復者が意見を述べ、その声が届くようにするための共通のプラットフォームを提供します。そして、尊厳と人権の回復に向けて彼らが力を合わせていく場です。この動きに合わせて、小規模融資や奨学金、その他の取り組みを通してハンセン病回復者の社会復帰を支援するため笹川インドハンセン病財団も創設しました。インドだけでなく他の多くの国々でも回復者組織が活躍しています。彼らの声が聞こえるようになっているだけでなく、彼らがその過程の中で力をつけてきているのです。

ハンセン病に伴う差別に立ち向かっていくためには私たちが一つにならなければなりません。NGOと政府、国際機関、そして回復者自身が共に力を合わせることではじめて、差別をなくし尊厳を回復していくことができるのです。

医療、社会の両面で課題が残るなか、これから私たちはどう歩みを進めていくべきでしょうか。私たちは決して現状に満足してはいけません。さもなければ、この病気が再び蔓延することになるでしょう。すべての患者に早期の診断と適切な治療を徹底できるよう対策を強化する必要があります。自分たちの活動を省みて、改善のために何ができるかを考えなければなりません。この会議は皆さんの叡智を結集する重要な機会です。皆さんが抱えている難解な課題を克服できるよう、私も特別大使として最大限の努力をしていきます。やるべきことはまだたくさんあります。私たちのゴールに向かって、共に力を合わせ、力強く歩みを進めていきましょう。
11月24日(木) [2011年11月24日(Thu)]
11月24日(木)

8:00 朝食

9:30 ホテル発

10:00 オリベイラ・サンタナリハビリテーションセンター



リハビリセンターでハンセン病回復者と語る筆者


12:30 アルゼンチン、キューバ、ブラジルの保健省ハンセン病担当官との昼食

14:00 ホテル発

14:30 空港着

16:30 マセイオ発

20:30 サンパウロ着

22:00 ホテル着

22:10 関係者との夕食
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