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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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東北地方太平洋沖地震応援基金
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笹川 陽平
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琠獨楲瑳 (10/09)
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5月31日(火) [2011年05月31日(Tue)]
5月31日(火)

 支援金への礼状書き

 07:50 書類整理、決裁等

 09:45 辞令交付

 10:00 理事会

 10:50 笹川アフリカ協会・宮本正顕常務理事

 11:10 大村市議会・辻勝徳議長

 12:00 公益・ボランティア支援グループ(福祉担当)職員と昼食

 13:00 アールブリュット展覧会報告

 14:30 ブルーシー・アンド・グリーンランド財団・梶田功会長

 18:00 ジャパンエコー・原野城治理事長
5月30日(月) [2011年05月30日(Mon)]

ボートレース尼崎(伊丹市)から寄付(写真右・藤原伊丹市長)

5月30日(月)

 支援金への礼状書き

 08:00 書類整理、決裁等

 09:00 災害支援打合せ

 11:00 日本財団・評議員会

 12:30 評議員との昼食

 13:40 笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長

 14:00 伊丹市・藤原保幸市長

 14:10 星塚敬愛園自治会・岩川洋一郎会長

 14:30 武見敬三・元参議院議員

 17:00 渡部昇一評議員
「中国で現在流行している名句三題」 [2011年05月30日(Mon)]
「中国で現在流行している名句三題」


一人の女性に愛されると、あなたは夫である。
複数(何人か)の女性に愛されると、あなたは男である。
十人の女性に愛されると、あなたは腐敗官僚である。
百人の女性に愛されると、あなたは偶像(アイドル)である。
千人の女性に愛されると、あなたは英雄である。
一万人の女性に愛さると、あなたは首領(指導者)である。
天下の女性全員に愛さると、あなたは人民元である!

#######################

大学の商業化
大学受験の産業化
授業の形式化
学者の商売人化
学生の堕落化
科学研究の虚偽化
学術論文の盗作化
カンニングの正常化
*どこかの国にもありそうですね。

#######################

権力崇拝の中国では、科挙の昔から今日に至るまで、官僚になることは万人のあこがれの的である。家をリニューアルした人が各部屋に官庁の名前を付けて登用を夢見た。

リビングは広播電視庁
通路は交通庁
書斎は文化庁
パソコン室は情報産業庁
トイレは衛生庁
厨房は食品薬品監督管理庁
ベランダは林業庁
寝室は人口と家族計画庁
子供部屋は教育庁
両親部屋は社会保険庁
保母部屋は労働庁
客室は外事庁(外務省)
庭は農業庁
犬小屋に武装警察庁
パラオ・ハンセン病の島を訪ねて [2011年05月28日(Sat)]

パラオのハンセン病島

パラオ・ハンセン病の島を訪ねて

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平

「ここから少し離れたところに“RAIBYO SHIMA”があります」と関係者から聞いたのは、2010年11月11日に南太平洋上のミクロネシア地域に浮かぶ島々からなるパラオ共和国最大の都市、コロール島を訪問した時のことでした。

「らいびょうしま?」私はパラオ語かと思い、少し考えてからそれが「らい病島(※)」であることがわかりました。そして、なぜ「らい病島」と呼ばれるようになったのか、どのような歴史があるのか、現在はどのようになっているのか…、様々なことが瞬時に私の頭の中を駆け巡りました。今回のパラオ訪問は、ミクロネシア・海上保安機能向上のための官民合同国際会議に出席することが目的でしたが、期せずしてハンセン病の貴重な歴史を辿る旅にもなりました。

パラオは珊瑚礁と美しい海に囲まれた島々からなる人口約2万人の共和国です。スペイン、ドイツの植民地時代、日本、アメリカの統治時代を経て1994年に独立しました。かつて日本が統治していた名残で、パラオ語には日本語と同じ言葉が1000以上あるそうです。例えばトイレのことは“ベンジョ”、ベースボールは“ヤキュウ”と言うそうです。

さて、今回の滞在期間はわずか1日です。この時期は雨期だと聞いていましたが、訪問した日は晴天に恵まれ、青い海が光り輝いていました。午前11時、ハンセン病の患者さんに会うために国際会議の合間をぬって海沿いのペラウ国立病院へ向かいました。パラオ共和国のハンセン病の登録患者数は2009年に2人、2010年は4人、あわせて6人です。

病院に着くと屋外に建てられたココナッツ屋根の休憩所に6人の患者さんとその家族の皆さんが集まってくださっていました。一人一人と挨拶を交わしていくと、患者の中にひと際若い女性がいました。年齢は17歳、名前はショスティーさんと答えました。ショスティーさんは、足の皮膚を触っても感覚がなかったので、母親が病院に連れてきたとのことです。人口約2万人の小さな島に、ハンセン病の患者は6人。その中にこのような若い子が発症しているというのは、なぜなのか。私は、病気の感染経路が明確でない不思議さを感じられずにはいられませんでした。

しかし、この島では医療行政が機能していることを知りました。患者6人全員が早い段階から薬を服用していて、身体に障害はなく、数カ月後には完治する方々ばかりでした。看護師のコニーさんの話しでは、結核の担当者と共に毎日患者さんの家をまわり、病状のフォローをしているとのことです。MDT治療薬も世界保健機関(WHO)から十分に届いているということで安心しました。そして、冒頭で触れた「らい病島」はこの病院を訪問している時に聞いたのです。患者の中の一人、エラさんの親戚がこの島に隔離されていたということを聞きました。そして、その隔離は日本国が統治している時に行った政策であること、隔離されると周囲からは多少なりとも差別はあったこと、などがわかりました。

私はペラウ病院を後にし、早速小さいボートで「らい病島」へ向かいました。ボートに乗り、まもなくすると肉眼で確認できるほどの近い距離に島が見えてきました。コロール島からわずか1マイル(1.5キロ)とのことです。島に上陸できるのかどうか、期待と不安を抱きながら近づく島を見つめていました。ところが、到着してみると島の周りは浅瀬でボートが入り江まで近づけません。あきらめきれず、靴のまま海に入り10メートルほど浅瀬を歩いて島に上陸しました。そして、ハンセン病に関連するものが残っていないか、この目で確かめたい一心で木や葉に覆われた朽ちた木の階段をみつけ、階段が壊れないように確かめながら登り始めました。かつてこの島に連れてこられたハンセン病の患者さんたちもこの階段を登ったのかもしれないと思うと胸が熱くなります。

10段くらい登ると草や木が覆いかぶさって見えなくなり、草木でできた道なき道を進みきると、そこはうっそうとしたジャングルです。木や蔦やクモの巣を避けながら、ハンセン病に関わる痕跡を探しながら歩きまわりましたがそれらしいものは見つかりませんでした。時間に限りがあり、後ろ髪を引かれる思いで来た道を戻りました。そして島を一周してから国際会議場へ戻りました。会場には私がWHOハンセン病制圧特別大使であることを知っていた前保健大臣で現在は外務大臣をされているヤノ氏が「らい病島」についての貴重な資料を持って来てくださいました。資料はジョリー・リストン(国際アーケオロジカル・リサーチインステチュート)氏が1998年に行った調査をもとに書いた60枚の「ゲルール島の調査報告書」です。

報告書によれば、島の本当の名前は報告書のタイトルどおり「ゲルール島(NGERUR ISLAND)」で、広さは4エーカー、たて350メートル、横250メートル、高さ30メートルの島で、もとは火山で地理学的にも珍しい島だそうです。なぜ「RAIBYO SHIMA」と呼ばれたか、それは日本の統治下であった1930年代にこの島へハンセン病の患者を隔離する政策をとったからである、と記されていました。ハンセン病の施設が設立されたのは1931年、日本式の3つの家屋と井戸が作られ、当初18人の患者が治療を受けていたそうです。ハンセン病の施設としていつまで利用されていたかは、資料ではわかりませんが1950年にはエピソン元大統領の一族が改築したという記述があります。また、1998年に撮影された写真が掲載されており、かつて患者が住んでいた家やお墓が写っていました。私が登った山の反対側にそれらが残っていたらしく、最初にこの資料を見ていたらと思うと残念でたまりませんでした。

帰国してからわかったことですが、この島のハンセン病施設に住んでいた80歳代のパラオ人男性がコロール島にいたのです。この男性は10歳の時に収容され数年間施設に住み、戦争の激化に伴い違う島に移ったとのことです。男性によると、月に一度医者が薬を、職員が米や缶詰を運んでくれ、また自分たちでタロイモ、タピオカ、サツマイモを栽培していたとのことです。

ご存知の通り、ハンセン病はかつて不治の病とされ、病気の拡大を防ぐために各国で患者を隔離する政策がとられてきました。そのため、世界中のハンセン病施設は、とりわけ山奥や谷の合間など、街から離れた場所や島にあります。例えばフィリピンのクリオン島、ハワイのモロカイ島などが有名で、その他に私は日本国内の島に建てられたハンセン病療養所に加え、韓国の小鹿島、南アフリカのロベン島、インドネシアのブナケン島などを訪問し、世界のいたるところで「ハンセン病、隔離、島」という図式を見てきました。

今回訪れた「RAIBYO SHIMA」は私がこれまで訪れたハンセン病の島の中では一番小さく、もしかしたら世界で一番小さい島ではないでしょうか。ともすれば忘れられてしまいそうな歴史的な事実がこのような小さな島にもありました。今ならまだ歴史の証言者が生存していますし、かろうじて資料や跡地なども残っています。できる限りそのような場所へ行き、人に会い、この目で見て記録し、心に留めねばならないと強く思いました。そしてそれを世界に伝えて行くことも私の重要な役割のひとつであると再認識した旅でした。

※文中では現地の呼び名通り、あえて「らい病島」を使っています。
5月27日(金) [2011年05月27日(Fri)]
5月27日(金)

 支援金への礼状書き

 08:00 
  〜  海洋基本法フォローアップ研究会・挨拶
 10:00 於:ホテルニューオータニ

 10:30 岡崎久彦大使

 11:00 夏季賞与・評価委員会

 11:40 枝野幸男官房長官

 12:00 笹川日中友好基金室・于展室長

 13:50 笹川平和財団・関晃典理事長

 15:00 日ロ貿易協会・佐藤哲雄会長

 15:30 ジャパンエコー・原野城治理事長
「日・中の情報発信比較」 [2011年05月27日(Fri)]
「日・中の情報発信比較」

筆者は折あるごとに日本の情報発信の貧弱さを嘆き、その早急な改善を切望してきた。

日本は、日本語という独占領域に甘んじ、グローバリゼーションの今日に至るまで、他言語による情報発信が中国、韓国に比べても大幅に遅れを取っていることは、海外に滞在中のホテルでテレビを見れば一目瞭然である。

中国国営新華社通信は、毎日24時間の英語による海外向けテレビ放送(CNC)を開始しており、中国版CNNといったところで、携帯電話やインターネットからもアクセス可能である。放送内容は、国内のニュースはもとより、約130ヶ所の海外支社にいる600人の特派員が得たニュースを主に放送する。勿論、中国に批判的な報道はボツである。

2010年6月7日のニューヨーク・タイムズによると、中国外務省には対外広報に関する新しい部署が設けられ、中国の声を世界に発信しようと、予算は87億ドル(1ドル80円換算で6,960億円)の巨額であるという。これは日本のODAに匹敵する額ではなかろうか。

また、単にメディアだけでなく、新たに設けられた広報外交室と国務院新聞弁公室は、さまざまな国のメディア機関の幹部やシンクタンク、世論形成に影響力のある評論家たちを積極的に中国へ招待し、海外での中国のイメージを改善しようと必死の外交を展開している。

しかし、中国社会の自由化や人権尊重なくしては、いくら努力しても中国メディアの生硬な宣伝的な匂いは拭いきれず効果はないとニューヨーク・タイムズは指摘しているが、人権問題や厳しい言論統制の問題などで国際社会から厳しい目を向けられているにもかかわらず、かつてのBBC調査によると、中国の好感度は日本とカナダが1位で中国が何と5位。アメリカ、イギリス、より上位であったことは驚きで、広報外交の成果といえるだろう。

それに比べ日本の情報発信能力はNHKの努力にも関わらず、中国、韓国に比べて大きな差がある。慶応大学の谷口教授は「NHKワールドTVの番組は、国際放送と名乗りを上げるレベルには達してない」と厳しい指摘をしている。

その上、産経新聞は今回の福島原子力発電所の事故における政府の発表について「海外メディアに修正不可能な不信感を抱かせた」と報じている。

少し古いデータで恐縮だが、2006年に筆者が読売新聞「論点」に寄稿した記事を引用すると、当時の主要国際放送の受信国は、米・CNN、英・BBCワールド、仏・TV5がそれぞれ100か国以上、中国・CCTVは78か国、韓国・アリランTVは63か国に対し、NHKワールドテレビはわずか12か国であった。

その後、NHKが努力したと仮定しても、この歴然とした格差は、質・量とも拡大の方向であると思われる。

グローバリゼーションの時代、外国に正しい日本の理解促進のための情報発信が如何に重要であるかは論を待たないどころか、今回の原発事故に関する情報発信の不正確さは、日本に対する信頼性を大きく損なった点で、痛恨の極みであり残念至極である。

にもかかわらず、政治家は仕分けと称し、外務省のわずかな情報発信の道具であった伝統あるジャパンエコーへの支援を実質的に打ち切ってしまった。

中国政府の海外広報予算をミサイルとすると、日本は竹槍にもならない爪楊枝(つまようじ)程度で、残念なことである。
5月26日(木) [2011年05月26日(Thu)]

アジアからの若手海上保安官

5月26日(木)

 支援金への礼状書き

 08:00 書類整理、決裁等

 09:30 アジア若手海上保安官養成プログラム・研修生

 10:00 海上保安庁との共同記者会見
      「アジア若手海上保安官養成プログラム」

 13:30 伊勢神宮・鷹司尚武大宮司

 14:00 理事会

 15:15 入山映氏(元・笹川平和財団理事長)

 18:00 経営塾フォーラム「東日本大震災から見えるもの」・講演


5月25日(水) [2011年05月25日(Wed)]

講演会には150人近くが集まる

5月25日(水)

 支援金への礼状書き

 08:00 書類整理、決裁等

 10:00 日本財団・谷内正太郎特別顧問

 11:00 日本モーターボート競走会・評議員会

 13:30 海洋政策研究財団・秋山昌廣会長

 15:00
  〜  ディレクトフォース「大震災における企業の役割」・講演
 16:00 於:学士会館

 18:30 菅義偉代議士
日本財団の場合 [2011年05月25日(Wed)]

寄付金集めに東奔西走する長谷川さん

「寄付文化のあり方とその問題点」その4
―日本財団の場合―




日本財団はご高承の通り、ボートレースを経営している地方自治体の売上2.6%を頂戴して活動資金としている。

ボートレース業界も近年売上が急減しており、ピーク時の2兆2,000億円から8,000億円を割り込むところまで来ており、売上増への関係者の懸命な努力に感謝しながら、日本財団もコスト意識を徹底させ、さらなる有効活用に努力しているところである。

例えば、100万円の補助金・助成金について、この100万円が如何に多くのボートレース・ファンの協力で得られたものであるかのイメージを全職員に持ってもらうことにより、コスト意識を徹底させている。

現在、ボートレース・ファン一人の1日の舟券購入額は約1万円であり、それによっていただく日本財団の収入は260円である。したがって100万円の資金は3,846人の方々の浄財より得られることになる。日本財団のある赤坂から1メートル間隔でボートレース・ファンが並ぶと新橋を超え、東雲(しののめ)を超えて東京湾に達してもまだ並びきれない距離になる。職員はこのイメージを持ってコスト意識を徹底させているところである。

財団の若手職員・長谷川隆治は、残業費返上で有志と共に寄付集め(ファンドレイジング)のあり方についての研究会の立ち上げに奔走し、一般的な寄付、遺贈、贖罪(しょくざい)寄付(罪を犯した人が報いの意味で公的機関に寄付をする。日本財団でお受けした寄付は原則として犯罪被害者支援に使用している)等々の可能性について、まずは実践活動こそ大切と行動を開始した。

現在、自動販売機での売り上げ一本につき10円を寄付していただくシステムを設置者のご協力を得て開始。今年で800台を超え、1台年間5万円の寄付として4,000万円を超えるまでに成長した。日本の自動販売機設置台数は250万台.。仮定の話だが、1本10円で皮算用すると1250億円にもなる。やっと緒についてきたところである。

日本歯科医師会(大久保満男会長、会員数65,000人)では、トゥース・フェアリー(歯の妖精)プロジェクトを日本財団に協力して立ち上げて下さった。治療で取り外した金歯や詰め物等の歯科撤去金属を受取人払いで日本財団に送付していただき、1年に2〜3回、金属回収業者に貴金属市場の時価で売却。小児がん、小児ホスピス、東南アジアの山岳地帯での小学校建設に役立てる事業に協力している。こちらも仮定の話だが、65,000医院すべてが参加して下さると65億円になる。

2009年6月に始まったこのプロジェクトの現在の参加歯科医は3218医院、1億6588万7426円の寄付額となった。参加意思をいただいたすべての医院からお送りいただいたわけではないが、お送りいただいた1医院当たり1年間で平均10万円となるので、何とか2万医院の参加を得て20億円の収入を確保したいと鋭意努力中である。

日本財団では生前贈与、遺言による贈与も、手数料ゼロで弁護士立会いのもとで書類を作成し、500万円以上の場合は、希望によっては事業に寄付者の名前を冠して感謝することにしている。

事業報告、会計報告を正確に行うことによってその使われ方を明確にし、寄付者に感謝の報告を差し上げる仕組みを実行することで、日本の寄付文化醸成のモデルになりたいと努力しているところである。
5月24日(火) [2011年05月24日(Tue)]
5月24日(火)

 支援金への礼状書き

 08:00 書類整理、決裁等

 10:00 在ニュージーランド大使館・三田村秀人特命全権大使

 10:45 ディプロマット・原不二子代表取締役

 12:00 情報グループ職員と昼食

 13:00 笹川平和財団・羽生次郎会長

 13:30 三菱東京UFJ銀行・三谷卓司新富町支店長

 14:00 運輸政策研究機構・杉山武彦所長

 14:30 新宿歌舞伎町駆け込み寺・玄秀盛所長

 16:00 災害支援センター・報告

 18:00 作家・高山文彦氏

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