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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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10月31日(日) [2010年10月31日(Sun)]

ASEAN伝統医療会議


10月31日(日)

 07:30 ミャンマーのニャン・ウィン外相と朝食で偶然会う

 08:00 ホテル発

 08:30 ASEAN伝統医療会議場着
      グエン・ティアン・ニャン副首相、グエン・クオク・チェウ保険大臣、
      スリンASEAN事務局長

 08:40 ASEAN伝統医療会議開会式(スピーチ)

 10:30 スリンASEAN事務局長

 12:00  世界海事大学(WMU)笹川奨学生、APIフェローと昼食会

 14:00 ホテル発

 15:40 バサオ・ハンセン病療養所

 18:40 ホテル着

 19:30 関係者と夕食

 21:00 ホテル発

 22:00 空港着(空港待機2時間)

 24:00 ハノイ発



ミャンマー外相に挨拶



ASEAN伝統医療会議でスピーチ



ハンセン病療養所を訪問


WMU笹川奨学生と会談
「ハンセン病制圧活動」―アフリカ・ガーナ共和国編― [2010年10月31日(Sun)]

ホーコロニーを訪問


「ハンセン病制圧活動」
―アフリカ・ガーナ共和国編―


ガーナ共和国訪問は、皇太子殿下ご臨席のもとで開催された「野口英世アフリカ賞シンポジウム」でスピーチの機会を与えられたからです。

世界各地でのハンセン病制圧の報告は、全国に13カ所あるハンセン病回復者の施設で発行されている季刊誌に投稿しており、今回のガーナ訪問記は岡山県の邑久光明園「楓」9・10月号に掲載されたものです。

ちなみに、邑久光明園は昭和9年に開設され、現在195名の回復者が生活されております。

******************************


南アフリカ・ガーナ共和国を訪問して


WHOハンセン病制圧特別大使
笹 川 陽 平


2010年3月7日から4日間、ガーナ共和国を訪れました。ガーナは日本の約3分の2の面積に人口約2400万人が住む西アフリカの国です。訪問した首都アクラはギニア湾に面しているせいか、季節は乾季でも想像した以上に湿度が高く、日中の気温は40度近くまであがります。外に出るとすぐに汗が噴きでてきて、暑さに強い私でも帽子と水は手放せませんでした。

訪問の主な目的ですが、大きく分けると2つあります。ひとつはガーナ国内のハンセン病の状況を視察することと、もうひとつは野口英世アフリカ賞記念シンポジウムで「アフリカの将来/貧困と疫病対策」のセッションで発表することです。

まずガーナのハンセン病の状況をご報告すると、1998年にWHO(世界保健機関)が掲げたハンセン病制圧基準である人口1万人につきハンセン病患者1人未満という目標数値を達成し、現在では0.29人まで下がりました。数値が下がったことは喜ばしいことですが、紙の上の数字だけでは実際の状況を把握することはできません。現場主義の私は現在の状況を実際にこの目で見るために2つのハンセン病施設を訪問してきました。

1つめの施設は首都アクラから車で約2時間半西へ走った所にあるアンカフル病院です。ここは10年前にも訪れた場所ですが、その時はアンカフル・ハンセン病病院と呼ばれており、政府のハンセン病制圧プログラムの中心となる病院でした。当時は男性病棟も女性病棟もハンセン病患者でいっぱいでしたが、今は男性病棟に8名いるだけで、病院もハンセン病患者だけでなく様々な病気の患者を受け入れる総合病院に変わっていました。この目まぐるしい進歩に、私は少し安心しました。しかし、これだけを見て喜んでいるわけにはいきません。病院の敷地内にはハンセン病回復者が生活する施設があり、約60名が住んでいました。つまり偏見や差別から、社会や家族の住む村に戻ることができない人々です。

2つめに訪れたホー・キャンプと呼ばれるハンセン病回復者約70名が住むコロニーでも同じような問題がありました。アクラから北東へ車で約3時間。我々がコロニーに到着すると、スピーカーから大音量の音楽が流れ出し、お祭りかと思うような雰囲気で回復者のみなさんが明るく出迎えて下さいました。私はこの雰囲気に、のどかな田舎村のひとつを訪れたような気分になりましたが、現実はほとんどの人が職に就くことができず、支援に頼る生活を余儀なくされ、子どもたちは小学校教育しか受けることができません。

私はこのような状況を世界中でたくさん見てきました。ハンセン病にかかった、というだけで意欲も能力も情熱もある人々が仕事や教育や結婚の機会を奪われてしまっているのです。


ハンセン病活動に支援を行う回復者のコフィー氏


この事態を少しずつ改善していくための活動を続けるのが今回私に同行してくださったコフィ氏です。自らも回復者であるコフィ氏は2003年に設立されたハンセン病回復者組織のIDEA(共生・尊厳・経済自立のための国際ネットワーク)ガーナの代表を務めながら、教師として施設に住む子供たちに勉強を教え、高齢者介護や、故郷に戻れない人たちを村に帰すための支援などを行っています。

「どんな人にとっても故郷は特別な場所。いままでに国内にある12のコロニーから40名以上を故郷へ帰すことができた」と嬉しそうに話してくれました。私は、コフィ氏の強い信念が一人でも多くのハンセン病回復者の尊厳を取り戻すと確信しています。そして私の役割は、彼の活動をサポートすること、たとえ制圧した国であろうとも何度でも足を運んで現場の声を聞くこと、また必要であればその声を国の元首に届けて国民にハンセン病に対する理解を求めてもらうことだと改めて思いました。

さて、現場での視察を終えて、私は「野口英世アフリカ賞シンポジウム」という、アフリカの保健分野における研究や保健システムを高めることを目的としたシンポジウムに出席しました。このシンポジウムには日本から皇太子殿下も御臨席され、医学研究家や現場で働く多くの医療関係者がアフリカでの感染症などの疫病対策について議論しました。その中で私は「アフリカの将来/貧困と疫病対策」と題したセッションで、長年アフリカで行ってきたハンセン病を含む感染症などの疫病対策と、農業開発プロジェクトについての経験を報告しました。

農業開発プロジェクトは長い年月をかけて何度も現場へ足を運び、小規模農家で栄養価の高い農産物が生産できるようになりました。その結果農民の健康が大きく増進し、免疫力があがり疫病の予防にもつながったのです。私はこの例を通して、問題を解決するには「現場を大切に」「継続する」「情熱を持つ」、この3つを信念により行動すれば必ず解決の糸口が見つかることをその場にいる方々に伝えたかったのです。

最後に、古くからの友人であるローリングス元大統領との再会について記述します。実は2月14日にローリングス元大統領の自宅が火事で全焼したというニュースが世界中に流れました。私は久しぶりのガーナ訪問が決まってから、大統領に会うのを楽しみにしていたのですが、混乱のさなかであることは察することができましたし、連絡もなかなかとれない状況でしたので今回はお会いできないとあきらめていました。


旧知のローリングス大統領と面談


しかし、私がガーナに到着すると大統領の方から事務所で会いましょうとわざわざ連絡をくださいました。現在は事務所を住居にも使われていました。我々が到着すると大統領はナナ夫人と出迎えて下さり、焼けて骨組みだけになってしまったご自宅を案内してくださいました。見るも無残な焼け跡を指さしながら大統領は「何もかも燃えてしまった。写真や資料や思い出の品も」と少し疲れたご様子で話されました。しかし事務所で座ってガーナの政情について話し始めると昔と変わらぬ熱意で語り始め、国民のエネルギーが少し消失していて元気がないことを心配されていました。変わらぬ熱意を見せる大統領を見て、ガーナでハンセン病の制圧活動を始めた時のことを思い出しました。当時は現役の大統領で我々の活動に対する理解は深く、そのかいもありアフリカ大陸の中でガーナ共和国は早い段階でハンセン病が制圧されました。

私は今回もハンセン病の施設を訪問してきたことを伝えると、大統領は「そういえば20年以上前だが、子供のベビーシッターがハンセン病の患者だった」と言われたのです。私はびっくりしました。そして「病気を治すためには何ができるのか考えたが、次に会った時には元気になっていた」とおっしゃる大統領の話しを聞いて、私の制圧活動に協力してくださった理由のひとつがわかりました。身近にハンセン病の患者がいた大統領はハンセン病に対する理解が深かったのです。このようなリーダーに出会えたことはとても幸運なことだと思います。最後にハンセン病の回復者やその家族に対する偏見や差別を受けることなく他の誰とも変わらない暮らしができるよう今後も引き続きご協力いただけるようお願いしました。
10月30日(土) [2010年10月30日(Sat)]

ハロン湾の絶景



この絶景はいつまで見ていても飽きない

10月30日(土)

06:00 ホテル発

07:15 空港着
※予定していたホーチミン行きのフライトが午後2時まで遅延。他のフライトも見込みがないためホーチミン行きをやむなくキャンセル。

08:20 空港発 ハロン湾へ(車移動4時間)

12:20 ハロン湾着。ハロン湾を船で周遊

16:15 ハロン湾発(車移動5時間)

21:15 関係者との夕食

22:00 ホテル着
速報!!日中首脳会談ドタキャン直後の菅、温家宝両首相の写真 [2010年10月30日(Sat)]

右から韓国の李首相、菅首相、インドのシン首相夫妻、
温家宝首相、カンボジアのフン・セン首相


この写真は空席になった温家宝首相の席(シン首相の右)



速報!!日中首脳会談ドタキャン直後の菅・温家宝両首相の写真


10月29日の20時からベトナム・ハノイにあるナショナルコンベンションセンターで開催されたASEAN首脳晩餐会において中国の温家宝首相は、ヒラリー・クリントン国務長官はじめ、全ての首脳が在席の中で、ただ一人議長国ベトナムのグエン・タンズン首相の挨拶直後退席した。

菅首相の隣席はインドのシン首相夫妻、その隣が温家宝首相である。

写真は前後から写したもので日本財団富永夏子カメラウーマンの決死?のスクープ、特ダネ写真である。とりあえず写真のみにて、詳細は後日報告する。

写真は文春の不肖!宮嶋茂樹氏に対抗する日本財団富永のスクープ写真である。
「ハンセン病制圧活動」―モザンビーク訪問編― [2010年10月30日(Sat)]

ガリドー保健大臣に制圧記念盾を贈る


「ハンセン病制圧活動」
―モザンビーク訪問編―


モザンビークのハンセン病制圧活動は難行を極めたが、4年間、毎年訪問を続け、ガリード保健大臣の強い指導力とアルマンド・ゲブーザ大統領の支援もあり、患者数1万人に対し1人未満のWHOの制圧基準を突破した。

活動を振り返ると、思い出深い国の一つである。

以下は、岡山県にある長島愛生園(昭和14年開園)、入所者331名の自治会が発行する「愛生」に投稿したものです。

*********************


モザンビーク ハンセン病との闘い


WHOハンセン病制圧特別大使
笹 川 陽 平


2010年3月の11日と12日の2日間、アフリカ南部の国モザンビークを訪れました。モザンビークは北にタンザニア、マラウィ、西にザンビアとジンバブウェ、南アフリカ、スワジランドと国境を接し、東はインド洋に面した縦長の国。17世紀から1975年まではポルトガルの植民地だったことから、ラジオから流れる音楽も建物の壁の色も、どことなくポルトガルの影響が感じられ、同じく元ポルトガル領であった南米ブラジルと似た雰囲気があります。この国には、ハンセン病制圧活動を促進するために2005年から2007年の間は毎年訪れており、今回で通算5度目の訪問になります。

モザンビークは、国レベルで患者数が人口1万人につき1人未満になるという、公衆衛生上の問題としてのハンセン病の制圧基準を2007年に達成しました。しかし、保健大臣が「すべての州において制圧を達成するまでは制圧したとはいえない、国をあげては祝えない」との姿勢を示し、全州におけるハンセン病の制圧という高い目標に向けて行動した結果、翌年の2008年末にすべての州において制圧を達成されました。今回の訪問は、制圧の達成を遅ればせながら関係者と祝うことと、今後のハンセン病対策プログラムについて方針を確認することが目的です。

南半球に位置するモザンビークは、夏真っ盛り。サバンナ型の湿気が少ないからっとした暑さの中、強い日差しが照りつけます。

飛行機で首都マプトの小さな空港に降り立った11日の午後には、WHOモザンビーク事務所代表のエル・ハディ・ベンゼローグ博士、WHOアフリカ地域事務所ハンセン病担当官のビデ・ランドリー博士らとともに、今年1月に就任されたばかりのアイレス・アリ首相、ルカス・チョメラ国会副議長など、国の指導者の方々にお会いする機会を得て、ハンセン病制圧のお祝いを申し上げるとともに、患者数の更なる削減に向けてご尽力いただけるようにお願いをいたしました。


国家元首との面談はハンセン病制圧の重要な活動の一つ


続いて、ジョクイン・シサノ元大統領にもお会いしました。彼とはササカワ・グローバル2000という1985年にスタートしたアフリカ農業増産プロジェクトの関係で、長いつきあいがあります。モザンビークは米が主食ですが、シサノ氏は「米のほかにもメイズ(トウモロコシの一種)、キャッサバ(芋の一種)なども食糧増産のためには効果的だ」と語られました。ハンセン病を国からなくすことも大切ですが、同時に特に地方の日々の食事にも事欠く貧しい地域では、栄養失調が人々の健康と生産的な社会生活を妨げています。人々の栄養状態を改善し基礎体力を増すことで、ハンセン病を含む病気に対する脆弱性を軽減することもできます。何事にも多面的に取り組んでいく必要性を改めて痛感しました。

夜は瀬川進・在モザンビーク大使閣下の公邸にお招きをいただき、ジョージ・フェルナンド・トモ保健省次官、モウジニョ・サイード保健省公衆衛生局長、 そしてWHOのベンゼローグ博士とビデ博士と夕食をともにしました。そこでトモ次官より、保健省が伝統医薬品の研究を進めているという興味深い話を聞き、それはぜひ詳しい話をお聞きしたいと申し出たところ、早速その場で携帯メールで担当者と連絡をとってくださり、翌朝、保健省内にある国立伝統医療研究所を訪ねる運びとなりました。次官の迅速な対応に感謝するとともに、ここアフリカでも携帯電話のネットワークが日々の仕事の中に深く浸透していることを実感した瞬間でした。

翌朝早速に研究所を訪ねると、植民地時代に建てられたという築100年以上の歴史ある建物の中に、実験室や成分分析のための機械など立派な設備が整えられていました。モザンビーク国内には約3200種の薬草があり、西洋薬との併用を含めれば約75%が伝統医薬を使っているといいます。伝統医薬品は西洋の医薬品と比較してずっと低コストで作ることができるため、特に薬が手に入りにくい地方の貧困層の人たちにとって、発熱、腹痛、下痢などの初期症状に対処するための有益な手段となります。日本財団ではモンゴルをはじめとして、ミャンマー、カンボジア、タイなどアジア諸国で伝統医薬品によるヘルスケアの充実に取り組んでいますが、ここアフリカでもまた、この手法を活用できるのではないかと、担当者のお話を伺いながら新しい可能性を確信しました。

午後には、保健省、WHO、ならびにハンセン病支援を行うNGOの6団体が集い、パートナー会議が行われました。オランダ救らい協会(NLR)のチャールズ・パフ博士、イタリア救らい協会(AIFO)のジェナマ・サルヴェッティ氏、ダミアン財団のジャン・マリー・ニャンベ博士、英国救らい協会(LEPRA)のキャンディド・ラファエル氏、モザンビーク障害者協会(ADEMO)のファリダ・グラモ代表とならんで、モザンビーク・ハンセン病回復者協会(ALEMO)のチャマダ・アビボ事務局長もはるばる北端のカーボ・デルガード州から駆けつけてくれました。

続いて場所を保健省に移し、10以上の新聞やテレビなど報道関係者が囲む中、イヴォ・ガリード保健大臣のご出席のもとで保健省によるハンセン病状況の発表が行われました。ガリード保健大臣は同じ週に発生した大規模な洪水の被災地からマプト市内に戻ってきたばかり。今回の洪水では幸いにも死者は出ていないものの、被災地域の住人の生活の糧である農業の耕作地に甚大な被害が出ています。被災地域に住む13万人に対する食糧援助や、感染症の発生予防のための水の浄化など、対応が求められる多忙な中、時間を割いて会議に出席してくださいました。

保健省ハンセン病担当官のアルチーノ・ンデベ博士より、「全ての州においてハンセン病は制圧したが、内陸部の数州においては地区レベルで有病率が1以上のところもある。さらに患者数を減らしていけるよう、今後は全地区レベルでの制圧と、各地区で患者数を半減させることを具体的な数値目標として掲げ、活動にさらに力に入れていく」と発表がありました。ガリード保健大臣も、「自分が先導しこれまでの活動を継続していく。年に一度国内の関係者を集めての会議を継続して開催していく」と語られました。北部地域に患者数が多い問題については、「ハンセン病を単に貧困層の病気として片付けるわけにはいかない。特定の地域に患者が多いのは何か理由があるかもしれない。正しく状況を分析し、対応していく」と、残された問題に真摯に取り組んでいく姿勢を示されました。

夜は保健大臣をはじめ、保健省、WHO、NGOから関係者30人ほどが集まり、ささやかなお祝いの宴を設けました。

公衆衛生上の問題の解決には、政治的なコミットメントが最も大切です。ガリード保健大臣は、2005年の着任早々からハンセン病の制圧についてどうすべきかの方針を示され、実際にそれを実行し、すべての州レベルでの制圧達成という大きな成果をあげられました。これは、大臣の強いリーダーシップのもと、保健省、WHO、NGOが一つの目標に向かって懸命に努力した結果です。人材や資金も潤沢とはいえない困難な状況の中で、地道な努力を続けられ、この目標を達成された関係者の皆様のご努力には心から敬意を表します。再びこの国を訪れてその成果を祝えたことは、大きな喜びです。

制圧目標の達成は、病気をなくしていくための一里塚に過ぎません。しかし私があえて指摘するまでもなく、モザンビークの保健大臣はじめ保健省、WHOの関係者はそのことを深く認識しており、さらに患者数を減らすべく、次の目標への具体的な指針を示してくださいました。

しかし、問題がすべて解決に向かっているかというと、そうではありません。他の国でもそうであるように、制圧を達成して患者数が減っていくにつれてハンセン病が稀な病気として医療関係者の意識が低くなり、診断が遅れてしまうのではないかという懸念の声が何人かからあがりました。制圧を達成したからといって手をゆるめるわけにはいきません。病気が完全に根絶されるまで、最後の患者ひとりまで、適切な診断と治療を受けられるように医療サービスを維持していかなければいけません。そのためには適切な診断をできる医療従事者の育成に引き続き取り組んでいく必要があります。

また回復者の社会復帰も大きな課題として残っています。回復者に対する差別の問題は、ここモザンビークでも例外ではなく、特に都市部においては職業につけずに物乞いをするしかない回復者がまだ大勢いるといいます。モザンビーク全体の経済状況を鑑みると、全ての回復者に職業をとは言い難いものの、少なくとも能力のある人が過去の病気を理由に就職を断られることがないよう、社会の意識を変えていかなければなりません。

病気だけでなく社会的差別がなくなり、真にモザンビークからハンセン病の問題がなくなったといえる日が来るまで、保健省、WHO、そして当事者団体も含めたNGOがさらに連携を強化して取り組んでいっていただきたいと思いますし、私もその闘いの一端を担うひとりとして、また再びこの国を訪れたいと思います。
10月29日(金) [2010年10月29日(Fri)]

ヒラリー・クリントン国務長官と談笑



菅首相とASEAN事務局長スリン氏

10月29日(金)

09:00 ハノイろう教育開始式(あいさつ)国立師範短期学校にて

11:00 ホテル着

12:00 関係者との昼食

13:00 ホテル発

13:30 ベトナム伝統医療大学

15:20 国立伝統医療病院

16:30 ホテル着

18:00 ホテル発

19:30 ASEAN首脳晩餐会



伝統医療大学で学ぶ学生



ろう教育開始式で学生達と記念撮影
「外交とワインと庶民感覚」その2 [2010年10月29日(Fri)]

(イメージ写真)

「外交とワインと庶民感覚」その2


「外交とワインと庶民感覚」その1の中で、会計検査院の在外公館(大使館・領事館)のワインについての検査結果を『庶民感覚』と言われる目線で批判するのはおかしい。外交は、いわゆる『庶民感覚』とは異なる世界であり、外交官は食事やワインに精通していなければならないと書いた。

しかし残念なことに、外交官の中でもこの基本がわかっていない人々もいたらしく、ニューヨークの総領事館では品質劣化を理由に198本、約200万円を、ドイツ、オーストラリアなどの公館でも846本、約850万円分を捨てたという。

ワインの管理が不十分で廃棄されたとすれば誠に御粗末な話で、この点を批判されるのは当然であるが、外交官にとって「食事とワイン」がいかに重要かは初歩的知識である。

かつて、毎日新聞のパリ支局に勤務された西川恵氏の「エリゼ宮の食卓」(新潮文庫、サントリー学芸賞を受賞)は、エリゼ宮の料理とワインについて書かれた名著である。

そのプロローグで

「饗宴に供される料理とワイン、飲み物を箇条書きしただけの一見無味乾燥な品書き。一片のメニューの数行足らずの行間に、客人に対するホストのメッセージがさまざまに織り込まれている。食卓にこそ政治の極致があり、客人の政治的、社会的な地位と格付け、さらには序列といったものもメニューを決める際の重要な手がかりとなる。前菜、主菜、デザート、それと組み合わされたワインとシャンパン。細心精妙に練り上げられたメニューを仔細に見れば、客人をどのようにもてなしたいかというホストの想いと姿勢がそこから立ち上がってくる。政治のキーワードは、料理とワインにおいてその姿を現す。外交儀礼の中で食卓は政治の深淵をのぞかせる香り高い場となるのだ」
と述べられ、その書の中で料理とワインの重要性について詳細に記述されている。

解説の中で松浦晃一郎氏(フランス大使、ユネスコ事務局長歴任)はエピソードとして、「1996年、日本通のシラク大統領が国賓として来日された赤坂の迎賓館での晩餐会では、上野の国立博物館より日本の古美術品を取り寄せ展示。メニューも凝った日本食で、赤ワインはムートン・ロートシルト1982年が出された。同行のフランス人は皆感激したという」

彼はフランス大使時代、朝食会は週に1〜2回、昼食会は週6回、夕食会は週2〜3回は主催。主賓の重要性を考え、メニューとワインを吟味し、計算すると5年間で800回以上も公的な食事会をされたという。正に前回のブログで外交官は酒と胃袋が強くないと務まらない職業と言ったが、それを証明するような話である。

「フランスの閣僚やオピニオンリーダー、あるいは外交団の方々に水準の高い日本料理を差し上げることは、料理に凝縮された日本文化の粋を紹介できることになり、重要なことである。多くのお客様から日本大使公邸の日本料理はパリで一番おいしいと言われ、こうしたことが日仏間の交流を深め、フランスにおける日本大使としての私の立場を強化することになった。腕のいい料理人を抱え、良いワインやシャンペンのカーブ(貯蔵庫)をもっていることは、日本外交の最前線を預かる大使にとって極めて重要なことである」とも述べられている。

日本のODA(政府開発援助)は年々減少し、海外での存在感も薄くなる一方であるが、せめて在外公館の料理人はタイ人やその他の外国人を安易に雇わないで、多少費用がかかっても日本の料理人を派遣してほしいと産経新聞「正論」で主張したこともある。

外交と軍事は、所詮、庶民感覚で議論する範疇ではない。国民もこのようなことをよく理解しなければならない。世界の最前線で活躍する在外公館で約1000万円ほどの無駄があったからといって、外交官を委縮させてはならない。



(次回11月1日は、「フィリピンの有名人 ライッサ・ローレル」です)
10月28日(木) [2010年10月28日(Thu)]

オペラハウスでASEANコンサート



オペラハウスの前で会ったベトナムの美女たち(?)

10月28日(木)

 07:45 朝食

 08:45  ホテル発

 09:10 ハノイ自立生活センター

 10:00 記者会見

 11:30  ササカワヤングリーダー奨学生(SYLFF)、平和大学卒業生との昼食会

 14:00  ベトナムテレビ収録

 16:00  ホテル着

 18:00  ホテル発

 18:30  カーバントラン氏と夕食

 20:00 ASEANコンサート



テレビ収録



自立生活センターに配備された福祉車両



自立生活センターで記者会見
10月27日(水) [2010年10月27日(Wed)]


10月27日(水)

 09:00 書類整理、決裁等

 10:00 日本財団評議員選任委員会

 13:30 日本財団・定例記者発表会

 15:10 日本財団発 成田からヴェトナムへ
「定例記者発表会」 [2010年10月27日(Wed)]


「定例記者発表会」


2010年10月27日
午後1時30分〜2時30分
日本財団2階 会議室


毎回、多くの方々が出席下さり、日本財団及び関連財団の活動について関心を寄せていただいておりますことは、大変有難いことであり、我々の活動を勇気づけるものであります。

今回はマスコミ70社75名の出席でありました。

発表及び報告事項は下記の通りです。

1.笹川アフリカ協会がビル & メリンダ・ゲイツ財団より573万ドルのアフリカ食糧増産活動への支援金決定

2.国連人権理事会でハンセン病患者及び回復者、その家族への差別撤廃のガイドラインの決議

3.第2回CSR(社会貢献活動)上場1700社の順位発表

4.全国学生ボランティアによる映像によるPR力コンテスト

5.寄付プロジェクト「夢の貯金箱」の活動報告

6.聴覚障害者学生の就学・進学プロジェクト

7.アセアンコンサート支援プロジェクト

8.海上保安大学校に英語による教育「日本財団講座」の開講

以 上
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