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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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9月30日(木) [2010年09月30日(Thu)]
9月30日(木)

 08:00 書類整理、決裁等

 10:00 公益・ボランティア支援グループ(福祉担当)・審査説明

 12:00 海洋グループ職員と昼食

 14:00 小宮山洋子・厚生労働副大臣

 15:20 森喜朗・元首相

 16:30 鈴木久泰・海上保安庁長官

 18:00 作家・高山文彦氏
金正日の後継者 金ジョンウンは何物か? [2010年09月30日(Thu)]

新華社が配信した金ジョンウン氏(左)の写真(ウェブより転載)


金正日の後継者 金ジョンウンは何物か?
―毎日新聞 大スクープ写真?―


北朝鮮では金正日の三男「金ジョンウン 27歳」が大将に就任。その上、昨日、党の要職への就任も報道された。

「三代世襲へ体制固め」と、金正日の後継者をめぐる報道が熱を帯びている。

しかし、ジョンウンの写真は相変わらずスイス時代の写真しか存在しない。名前は正雲→正銀→ジョンウンと報道では変わってきており、正式な名前さえ報道されていない。

北朝鮮問題を斜めから観察している立場として、若干の推理を雑え、分析してみる。

ジミー・カーター元アメリカ大統領は、米人人質解放のためにピョンヤンを訪問した後、北京で温家宝首相と会談。温家宝は金正日から「三男・正雲の後継はない」と聞かされたと、確か、ウォール・ストリート・ジャーナルか何かに寄稿していた。後継者問題について最も信頼できる情報である。

さて、謎解きである。

金正雲は確かに金正日の三男である。しかし彼は青年の頃、ハーレーダビットソンで事故を起こし、脳挫傷で植物人間となり、その豪放な性格を愛した金正日は深い悲しみに沈んだとの情報もあった。例え元気だとしても、若干27歳で後継とはいかにも未熟である。

写真をよくご覧下さい。写真は9月28日(一昨日)、新華社が配信した中国版である。この顔は金正日より金日成に似ており、大柄でもある、年齢は27歳より37歳ぐらいに見えないだろうか。これはまさしく、昨年4月1日のエイプリルフールにアップした私のブログ「後継者は張賢(チャン・ヒョン)37歳」その人物ではなかろうか。金日成が看護師に産ませた賢(ヒョン)は、張成沢・金慶喜(敬姫:金正日の妹)夫妻に育てられた。

張賢は、今回後継者に決定した金正銀ではなかろうか。でないと金正日の三男ジョンウンでは金慶喜が軍の大将になる必然性がないのである。

昔、横浜港に着岸した「マンギョンボン号」(当時は新潟ではなく横浜)から赤坂の高級クラブ「コルドン・ブルー」に遊びに来日していた金正日は、1997年頃死亡したとも言われており、現在の金正日は影無者との説も強い。

金正日の実子は長男・正男(ジョンナンム)、次男・正哲(ジョンチョル)、三男・正雲(ジョンウン)の三人である。最有力候補の正雲は既に植物人間であり、万一元気であったとしても27歳の後継者はあまりにも若く、したがって金正日には適任の後継者はいないことになる。

金日成の子供で金正日の異母弟であれば正当性もあり、張賢(チャン・ヒョン)が金正銀として後継者になったことで、養父・張成沢が先軍政治のNo.2である国防委員会副委員長であり、軍歴のない養母・金慶喜の大将就任と、格段の昇格も説得力を持つことになる。

この新華社の写真は、4月20日毎日新聞がスクープした写真と同じで、当時、金正日の左の男は後継者ではなく訪問先の工場長との説も有力であったが、金正日の三男・正雲(ジョンウン)にしても、金正銀(張賢)にしても、新華社が報道した以上、中国政府の承認を得てのことであり信憑性が高い。

毎日新聞の写真は大スクープであったことになる。

謎だらけの国の謎の人事は、やじ馬にとってまことに興味深い。

(次回10月1日は、「混乱する日・中の関係を考える」です)
9月29日(水) [2010年09月29日(Wed)]
9月29日(水)

 08:00 書類整理、決裁等

 09:40 笹川日中友好基金事業室・胡一平主任研究員

 12:00 情報グループ職員と昼食

 14:40 東京財団・佐々木良昭上席研究員

 16:00 秋田魁新報・取材
「インドネシアの義手義足学校」 [2010年09月29日(Wed)]


「インドネシアの義手義足学校」


日本財団の海外援助の一つの柱はベーシック・ヒューマン・ニーズの分野である。途上国の社会の中で、とかく忘れられがちな弱者への支援。特にその弱者を支援してくれる人材養成にも力を注いでいる。

義手義足製作の学校建設もしかりである。戦争や内戦が終了したベトナム、カンボジア、スリランカ、又、近代化の中でも交通事故に伴う義手義足の需要は激増しているが、これらの国々での対応は無に等しい。

このたび、インドネシアでも国際基準に合致した義手義足学校を設立した。あまりに立派な校舎に驚き説明を求めたところ、日本のODAが、当時では珍しい耐震構造で建設してくれた建物で、当初20年ほど看護師の養成学校として使用されたが、その後10年ほど放置されていたのをリニューアルして開講したとのこと。

放置されていた責任は日本政府にあるわけではなく、インドネシア保健省が看護師養成学校の規模拡大で他に移転。再利用のアイデアもなく放置されていたのを借用したわけである。一見して強固な骨組。テレビスタジオもあるこの建物は、まだ50年は使用出来る立派なもので、リニューアルの結果、新築同然の輝きとなった。

ところで、私は英語が不得手なので、なるべく通訳しやすいように簡単な言葉で論理的に話すように努力しているが、それでも言い足りない点や説明不足があるようで、名通訳の平野加奈江女史は私の欠点を十分承知して補って話してくれる。私の話は80点でも平野女史が英語にすると100点となるわけである。

「今回の仕事はヤドカリ事業だね。立派な建物の主に納まって!!」と言ったら即座にヤドカリの意味を英語で説明。関係者一同、満足そうな爆笑となった。

平野女史は例外として、自分の喋る言葉が通訳者を通じて全て相手に正確に伝わるとは限らない。できるだけ論理的に簡単な言葉を使うことのみならず、通訳者に事前のブリーフィングも当然必要となってくる。

亡くなられた竹下登先生は言語明瞭・意味不明の言葉を得意とされていて、何をおっしゃりたいのか真意を図りかねたことも再三あった。通訳者は大変であったと思う。

「陽平チャン、俺はこれでも英語の代用教員だった。今思うと俺に習った生徒は不幸だったなぁ」と、手で頭をポンポンと二・三度叩いた。また、国際会議の議長をさせられたが、会議終了後、参加者の一人に「日本には英語に似た言葉があるのですねと冷やかされた」と、嬉しそうに笑われたことがあった。
勿論これは先生一流のジョークであった。

笹川良一は大きな身振り手振りを交えて話すのはよいが、突然、日本財団は

少数精鋭、簡素合理化
信賞必罰、適材適所
優勝劣敗、率先垂範

であると、速射砲のごとく四文字熟語を連発すると通訳もお手上げとなる。

上記の四文字熟語の英訳は事前に通訳に渡していたが、論語などを引用されるとお手上げである。

最近、漢籍を引用する人はほとんどなく、その分、通訳も若干は楽になったかもしれないが、中国の名前や地名が通訳者泣かせであることは、今も変わりがないようである。



(次回9月20日は、「金正日の後継者 金ジョンウンは何者か?」です)
9月28日(火) [2010年09月28日(Tue)]
9月28日(火)

 08:00
  〜  「語り場」日本財団職員との対話
 09:00

 09:45 日本財団・執行理事会

 11:30 早稲田大学・重村智計教授

 12:00 国際協力グループ職員と昼食

 12:30 海洋政策研究財団・秋山昌廣会長

 13:30 東京財団研究員との勉強会
      @日本の資源・エネルギー外交の優先課題/平沼光研究員
      A日本の農政改革/染野憲治研究員

 15:15 日本音楽財団・塩見和子理事長

 15:30
  〜  「語り場」日本財団職員との対話
 16:30

 18:00 順天堂大学・小川秀興理事長
9月27日(月) [2010年09月27日(Mon)]
9月27日(月)

 08:00 書類整理、決裁等

 10:00 公益法人改革に関する打合せ

 12:30 システム統括グループ職員と昼食

 13:30 笹川平和財団・羽生次郎会長
「妻とは何ぞや」 [2010年09月27日(Mon)]

偉人達が残した言葉とは(左からベンジャミン・フランクリン、ソクラテス、ジョン・ナッシュ)


「妻とは何ぞや」


昔、山手線の大塚駅前に「角萬とは何ぞや」との看板があった。はて? と考えると、次には「何ぞやとは何ぞや」なる奇妙な看板が続く。

それは結婚式場の広告で、隣は病院であった。その隣は確か質屋だったが、「葬儀屋ができれば一生がここで間に合うのになぁ」と、高校生の時、電車で通るたびに思ったものである。

この看板のキャッチフレーズをもじると「妻とは何ぞや」ということになろうか。

古今東西、哲学者から市井の庶民に至るまで、悩まし続けている永遠のテーマである。辞書によると「配偶者である女性」とある。しかし、はたしてそんな単純な関係だろうか。

時にはいとおしい愛の対照であり、時変わらば鬼婆と化す、変幻自在の存在である。

宅の主人は・・・と、謙虚な妻におだてられ、夫はいつまでも亭主関白を謳歌出来ると思う浅はかさ。いつの間にやら権力は簒奪され、熟年離婚の恐怖にさいなまれ、妻はいよいよ尊大に。いつの間にか宅の主人は妻になり、毎日妻の顔色を見てはご機嫌を伺う次第となり果てた。 (これは一般論で、誓って我が家のことではありません)

「妻とは何ぞや」

世界の偉人や著名人が発した苦悩の末の言葉とは・・・

*夫と妻はコインの両面のようなものだ。向き合えないくせに一緒にいなくちゃいけない。(ヘマント・ジョシ)

*ともかく結婚せよ。もし君が良い妻を持てば、幸福になるだろう。もし君が悪い妻を持てば、哲学者になるだろう。(ソクラテス:ちなみに彼は、悪妻・クサンティッペに「何が哲学だ。屁理屈はいい。仕事をしろ!」といわれ、頭が上がらなかった。)

*よく結婚生活を長く続ける秘訣を聞かれるのだが、僕らは週に2回レストランに行き、小さなキャンドルライト、ディナー、静かな音楽、そしてダンスを楽しむ。妻は火曜日、僕は金曜日に行くんだ。(ヘンリー・ヤングマン:映画製作者)

*妻と財布を見せびらかす男は、誰かがどちらかを借りに来る危険がある。(ベンジャミン・フランクリン:タコで雷が電気であることを明らかにした物理学者で、政治家としてアメリカの独立に多大な貢献をした。100ドル紙幣に肖像が使われた。)

*俺は二人ほど妻を持ったが、どちらも運に恵まれなかった。一人は俺の元を去り、もう一人は俺のところから去ってくれない。(パトリック・マレイ:モンマウス大学世論研究所所長)

*円満な結婚生活を送る二つの秘密。
 1. いかなるときも自分が間違っているときは認めなさい
 2. いかなるときも自分が正しいときは黙っていなさい
(ナッシュ:ノーベル経済学賞受賞)

*完璧な妻とは、完璧な夫を期待しない女である。(作者不詳)


【結論】
妻になる以前の女性はいとおしく、寸暇も忘れ難く、離れ難き存在であるが、一度結婚すると、俄然存在感を露わにし、嫉妬深く、終局は夫の厳格な管理人となる存在である。


(次回9月29日は、「インドネシアの義手義足学校」です)
9月26日(日) [2010年09月26日(Sun)]
9月26日(日)

 10:30 ホテル発

 13:15 大連発

 17:00 成田着

 19:10 自宅着
9月25日(土) [2010年09月25日(Sat)]

中国日本語教育研究会全国大会


9月25日(土)

07:00 ホテル発

08:00 大連外国語学院・旅順キャンパス着

08:30 中国日本語教育研究会全国大会

10:50 中国外国語学院・孫玉華院長

12:00 日本語総合教材シリーズ出版発表会・あいさつ

12:30 大連外国語学院主催昼食

13:30 日本語教材分科会

15:40 ホテル着

18:00 大連外国語学院主催夕食会



孫玉華院長と面談



日本語総合教材シリーズ出版発表会
スウェーデン原爆展 [2010年09月25日(Sat)]


スウェーデン原爆展


スカンジナビア・ニッポン・ササカワ財団の25周年を記念して、スウェーデンのストックホルムで広島原爆展を開催した。

昨年6月、プラハでのオバマ大統領の核廃絶へ向けてのスピーチを受け、東ヨーロッパでも核問題に関心が高まっている。被爆体験を英語で話せるたった一人の女性・笹森恵子さん(79歳)も遠路出席された。

******************************


オープニング・スピーチ


2010年9月9日
於:ストックホルム
軍事博物館


ご来場の皆様、このような場でごあいさつさせていただける機会を頂戴し、大変光栄に存じます。

昨年、オバマ大統領がプラハで演説をし、「米国が核兵器のない世界と安全を追求する決意であることを明言する」と、言われました。その後、世界で今までにない数の人々が核兵器問題に関心を寄せ、会議やシンポジウムを通して議論が活発化しているのは、みなさんご周知のとおりです。私達の21世紀を語る上で欠かせないテーマである核兵器問題を、世界が共有し、ともに考え始めたということは、大変有意義なことだと思います。

一方で、核兵器がもたらしうる実際のインパクトについて、実感する機会がどれほどあるでしょうか?

1981年、スウェーデンの故オロフ・パルメ首相は広島を訪れ、「核戦争は抽象的な概念になりがちだが、初めてそれが残虐な事実だと肌で知った」と話し、すべての国家元首が、就任と同時にヒロシマを訪れることを義務づけるべきだと言われました。

65年前、広島と長崎に落とされたわずか2発の原爆は、両都市に壊滅的な打撃をもたらしました。今もその影響は続いています。日本は、この人類のもたらしうる残酷な結果を世界の皆さんと共有し、未来への礎とするために、広島と長崎の一部を世界各地に運び、原爆展を設けてきました。被害を訴えるためではなく、こうした事実を伝えることが日本の果たすべきuniqueな役割だと考えるからです。

北欧ではしかし、これまでに原爆展が開かれる機会はありませんでした。従いまして、今回、私たちが本企画をさせていただきました。どうかみなさん、この原爆の被害を見て、過去からの声に耳をすませてください。ここは、そのために作られた、20世紀の歴史を象徴するひとつの出来事と対峙する場です。

展示会を見た後、核問題をどうすべきだと考えるのか、それは見た人ひとりひとりの判断です。ただ、私は、この原爆の歴史、核兵器のもたらした脅威に、多くの人ができるだけ事実に近い形で触れる機会を設けることが、私達の未来を守り、変える力になると信じています。

パルメ首相は、広島平和記念資料館にある、爆心地付近の銀行の階段に人の姿をした影をとどめている「人影の石」のところで、「広島では人影が残ったが、今度核戦争が起きたら、この人影すら残らないだろう」と語り、「世界の人々は広島の名において決して過ちを犯してはなりません。このことが二度と起きてはならない」と、英文で記帳されています。

この先、皆さんが核兵器に関する議論をされるなかで、そして世界の国々の立場を考え、自国の防衛や子供たちの未来について思いをはせるなかで、この原爆展のことを思い出し、等身大の核被害がどういうものかということを心に留めていただけたら幸いです。世界の重要な場面において疑問を提示できる存在が少しでも増えることが、一番の安全保障だと私は思います。

これからの3か月間、なるべく多くの方にこの原爆展を見ていただけることを願っています。特に、未来を担う若い人々には、見てほしいと思います。
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