CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
BLOG 笹川陽平プロフィール 笹川陽平バイオグラフィー

日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

« 2010年06月 | Main | 2010年08月»
leprosy.jp
Google
<< 2010年07月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
新幹線輸出はオール日本態勢で [2010年07月31日(Sat)]


【正論】日本財団会長・笹川陽平 
新幹線輸出はオール日本態勢で

2010年7月22日
産経新聞
 

環境問題の高まりを受け拡大する世界の高速鉄道商戦で「鉄道王国・日本」の新幹線が苦戦している。日本の技術は確かに素晴らしい。しかし高速鉄道のような国家プロジェクトの売り込みは価格や品質より時に政治力が優先する。とりわけ途上国への売り込みは「国対国」の交渉がポイント。官が支援し政が先頭に立つオール日本態勢の確立こそ急務である。

≪約束を守る日本文化≫
昨年春、ハンセン病制圧活動で訪れたインドの会合で日本のODA(政府開発援助)支援を受け2006年に開業した地下鉄デリー・メトロが話題となり、居合わせた政府高官は「インドでは例を見ない正確な運行もさることながら、愚直なほどまじめな日本の技術者の姿から約束通り納期に間に合わせることの重要性を学んだ」「労働を美徳とし、約束を守る日本文化こそ最大のプレゼントだった」と語った。

大型のインフラ輸出では、事業を通じ輸出国の顔が相手国に見える。私はそんな思いでかつて「日中鉄道友好推進協議会」を立ち上げ、中国の大地に新幹線を走らせることを夢見た。目に見えないODAより日本の新幹線をそのまま走らせることで日本理解を促進したい、との思いだった。

竹下登元首相、平岩外四元経団連会長に出馬を願い大型使節団を結成して中国を訪問、江沢民国家主席(当時)が訪日した際は小渕恵三首相(同)から「新幹線を日中友好のシンボルとしたい」とする親書を手渡してもらった。しかし大勢が新幹線導入に傾いた最終段階で多くの日本企業が中国に押し掛け、ネット上の反日感情が高まり“日の丸新幹線”は不発に終わった。

急速に普及する中国の高速鉄道は基本的に新幹線技術を転用しているが、中国国民は「独自技術」とする政府の説明を信じ、今や中国は高速鉄道輸出国、日本のライバルとなりつつある。

≪単身無装備で土俵に上がる≫
先行する仏独両国は計画当初から相手国に食い込み、資金調達からインフラ整備、車両、運行、営業戦略まで幅広く自国企業に有利な鉄道企画を働き掛けるコンサルタント会社を持つ。仏は2500人、独は3600人と規模も巨大、国を挙げたトップセールスも盛んだ。入札段階から参加する日本の商法は、競争相手が作った土俵に単身無装備で上がるに等しく、これでは苦戦する。

そんな日本にも昨年夏、国土交通省に「鉄道国際戦略室」が設けられ、合同でコンサルタント会社を立ち上げ国際商戦に臨もうとする動きが民間に広がってきた。JR7社にメーカー、商社、金融機関などが参加して法人を立ち上げ、国土交通、外務、経済産業の3省が支援、官邸のトップセールスにも道を開く構想だ。

高速鉄道は現在、17カ国で建設プロジェクトが検討され10年後の市場規模は22兆円と試算される。オバマ政権がグリーン・ニューディール政策で13地域計1万3700キロの高速鉄道建設を打ち出した米国も、こと高速鉄道に関しては後進国であり、総合的なコンサルタント会社の助けを必要とする。輸出国にとっても当該国の交通システムや市場、ニーズに関する情報は欠かせない。

新幹線が専用線を走り独自に超電導リニアの開発を進めるJR東海と、専用線と在来線が混在するJR東日本では売り込み戦略にも温度差がある。しかしコンサルタント会社を立ち上げ、事前の棲み分け・調整ができれば、足の引っ張り合い、戦力の分散は防げ、行政や官邸も前向きに対応できる。

今年5月には原発建設などに限られていた国際協力銀行(JBIC)の先進国向け事業融資を鉄道事業にも使えるよう政令が改正された。途上国向けにはODAの円借款を使う手もあり、政治の主導性も発揮しやすくなる。

≪首相もセールスの先頭に≫
中国への新幹線売り込みの渦中、唐家璇外相(当時)は「朱鎔基首相が訪欧した際、シラク仏大統領は“高速鉄道と原発はフランスで”と要請した」と打ち明け、トップセールスの重要性を指摘した。昨年12月、中東・アラブ首長国連邦(UAE)への原発売り込みで日米連合、仏アルバ一騎打ちの予想を翻して韓国電力公社が落札した背景には李明博大統領の熱心なセールスがあった。日本の首相にもぜひ、国際セールスの先頭に立ってほしいと願う。

新幹線は安全性、正確な運行を含め「日本文化の粋」であり、同様に国際市場が拡大する原発とともに技術立国日本が誇る二枚看板である。輸出が拡大すれば景気浮揚だけでなく日本理解の促進にもつながる。

米国・シカゴで6月、関係3省と運輸政策研究機構など4団体が主催する高速鉄道関連セミナーが開催され、前原誠司国交相は終了後、コンサルタント会社の立ち上げについて「2、3年先では遅い。すぐやりましょう」と意欲を語った。機は十分、熟している。一日も早い日本型ビジネスモデルの確立を期待して止まない。(ささかわ ようへい)
7月30日(金) [2010年07月30日(Fri)]

筑波大学坂戸高校2年生からインタビューを受ける筆者


 8:00 書類整理

 9:00 スピーチ打合せ

10:00 中国医学生同学会代表団 
      団長 景涛・蘭州大学副学長

11:00 東京大学・伊藤隆名誉教授

11:50 東京BMC・西本克己社長

12:00 総務チーム職員と昼食

13:00 日本財団学生ボランティアセンター・西尾雄志代表

13:30 日本観光協会・西田厚聰会長

14:00 筑波大学坂戸高校2年生

15:30 プライムコーポレーション・武部恭枝代表取締役



中国医学生同学会代表団の皆さん
「若者の来日」その1 [2010年07月30日(Fri)]

ベトナムで初の大学生となった11人(1・2列目)


「若者の来日」その1
―ベトナムろう学生―


日本財団では、ベトナムの未熟なろう教育に一石を投じたいと、大野修一、石井靖乃が11カ年にわたり、地道な努力を続けてきた。

当時、ベトナムのろう者の学校は中学校が1校のみで、高校、大学に行くことはできなかった。そのため、手話を第一言語としたバイリンガル教育方法で中・高校教育を提供。これが功を奏し、中学、高校への進学者が増加した。

この度、ベトナム史上初めてろう者の大学生が誕生した。

「将来は日本財団から受けた恩恵に報いるべくろう学校の教員になり、教育に没頭してベトナムのろう社会に革命を起こしたい」との高い志の学生11名を日本に招待した。

彼らは現在、ドンナイ省教員養成大学に在学中である。

*日本初のろう薬剤師 早瀬 久美 女史
*ろう児のための国語塾 早瀬 憲太郎 先生
*日本で初めての手話授業を開始した明晴学園
*中央ろう学校
*ろう教育関係者との勉強会
*途上国に生きるろう者に向けた国際支援セミナー
等々を訪問。研修に参加して、大いなる刺激を受けて元気に帰国した。

大野・石井チームは、ベトナムの教育省にろう教育のあり方について陳上。100点満点とはいかなかったが「ベトナム障害者法」が制定された。

日本財団の支援のあり方は、その国の政策策定まで関与するのが特徴の一つである。






(次回8月2日は、「若者の来日その2」です)
7月29日(木) [2010年07月29日(Thu)]
7月29日(木)

 08:00 書類整理、決裁等

 10:00 公益コミュニティサイトCANPAN打合せ

 12:00 情報グループ職員と昼食

 16:00 国際大学・森正勝学長

 16:30 オイスカ・中野利弘理事長

 17:00 在ジュネーブ国際機関日本政府代表部・坂下修公使
7月28日(水) [2010年07月28日(Wed)]


7月28日(水)

 07:50 書類整理、決裁等

 09:00 セワランカ財団・ハルシャ・クマーラ・ナバラトン会長

 09:40 公益法人改革に関する勉強会

 10:30 笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長

 12:00 スリランカ・G.L.ビーリス外務大臣と昼食

 14:00 日本社会事業大学・高橋重宏学長

 15:00 神戸国際ハーモニーアイズ協会・渕上智信理事長

 15:50 海洋政策研究財団・岡嵜修平常務理事

 16:00 世界保健機関(WHO)・中谷比呂樹事務局長補

 18:00 関連団体代表者会合
「里山保全と鎮守の森」 [2010年07月28日(Wed)]

植樹による鎮守の森づくり(御嶽神社)


「里山保全と鎮守の森」


日本財団は、1993年からボランティアグループを中心に「里山」保全の支援活動を行ってきた。その数、1054件であった。

「里山」とは、人里近くにあって、人々の生活と結びついた山、森林のことで、この「里山」なる言葉が初めて広辞苑に登場したのは、我々が活動を開始して5年後の1998年である。

その後、この運動は市民レベルにまで浸透してきたので、我々の活動は間伐材の搬出、学校の防災林、鎮守の森の整備へと移行した。

学校を取り囲むように防災林があれば、地震等による火災の延焼を防ぐことができる。学校が災害時に避難場所となることを考えれば、学校の周りに植林することで多くの命を救うことができる。このことは、関東大地震災で緑地での人命損傷が少なかったことで、すでに証明されている。

また鎮守の森の整備は防災林としてばかりでなく、日本人の心の拠り所として地域住民の絆を深める上で有効であり、現在、力点を置いて活動を開始しているところである。

環境省は、ようやく里山保全・活用のための活動計画を策定することになった。多様な動植物の生息・生育環境の維持。間伐材などのバイオマス資源の採取。二酸化炭素(Co2)吸収源としての活用等々で、地球温暖化対策にも役立てたいとのこと。遅まきながらとはいえ大いに結構なことであり、江戸後期より明治時代を中心に、多くの外国人が絶賛した田園国家の再興に努力してもらいたいものだ。



(次回7月30日は、「若者の来日・その1」です)
7月27日(火) [2010年07月27日(Tue)]

6000人近い少年剣士が日頃の成果を披露する


7月27日(火)

 08:00 書類整理、決裁等

 09:00 日本少年剣道練成大会・挨拶 於:日本武道館

 10:30 日本財団・執行理事会

 11:30 森喜朗・元首相
 
 12:00 監査グループ職員と昼食

 13:00 東京大学海洋アライアンス「日本財団講座」研究報告会

 14:00 東京財団・加藤秀樹会長

 14:30 国連食糧農業機関(FAO)・小沼廣幸アジア太平洋地域代表

 15:00 全日本空輸・野村吉三郎最高顧問

 16:00
  〜  「語り場」日本財団職員との対話
 17:45

 ハンセン病基金 寄付者への礼状書き
 9件 1,063,000円
7月26日(月) [2010年07月26日(Mon)]
7月26日(月) 休暇
「イートン校とノーブレス・オブリージュ」 [2010年07月26日(Mon)]

英国を代表するパブリックスクールのイートン校


「イートン校とノーブレス・オブリージュ」


先般、グレートブリテン・ササカワ財団の理事会でロンドンを訪れた。

財団の会長は、皇太子殿下がオックスフォード大学留学時、殿下の指導教授を務めたられたピーター・マサイヤス氏、理事長はケント公爵の長男・セント・アンドリュース伯爵である。

理事会終了後のツアーで、30年ぶりにセント・アンドリュース伯爵の母校・イートン校を訪れた。

イートン校はハーロー校と並び、イギリスを代表するパブリックスクール(中高一貫教育で寄宿舎制の私立高)である。

1440年、ヘンリー6世により、70人の貧しい少年たちに無料で学問を施すために設立されたが、現在は貴族などの上流階級や裕福なアッパー・ミドル階級の子弟が入学を希望する学校として世界的に有名である。

噂話では、今や、男子が生まれると直ぐにパブリックスクールに入学希望の書類を提出する親もいるという。

学生の制服は現在も燕尾服に白いネクタイ、ピンストライプのズボン。イートンからオックスフォードかケンブリッジ大学というのがイギリスの典型的なエリートコースで、イギリスの歴代首相のうち20人がイートン校出身である。

若かりし頃読んだ池田潔の「自由と規律」。慶大教授を勤めた著者がパブリックスクールに学び、自由な精神を保ち厳格な規律の中で名誉を重んじる英国紳士が育くまれていく教育システムを、体験を通して描いた名著である。

この著書を読み「自分の子供はイートン校へ」と淡い夢を持っていた。長男が4〜5年生になったころ、英国の有力者から「イートン校を紹介するから来訪されたし」との手紙を頼りに夫婦で訪ねた。学校の正面入り口の左右壁面には、イギリスが関わった戦争でノーブレス・オブリージュを実践して散った卒業生の名前がずらりと並んでいた。

この計画は、子供の将来を深く考えた時、まずしっかりとした日本人に育てた後、大学レベルでの留学がよいとの結論で、沙汰止みとなった。勿論、受験したとしも合格する確証があったわけではない。

そんな昔を思い出しながら、学校長から学校の現状について説明を受けた。現在の生徒数は13歳から18歳までの少年1300人ほどで、その約1割が海外からの生徒。日本人も若干名在学しているという。

ご存知のように「ノーブレス・オブリージュ」とは、イギリスを中心に、身分の高いものはそれに相応した重い責任や義務が伴うという道徳観で、1808年、フランスの政治家・ガストン・ピエール・マルクが高貴な身分に伴う社会的義務の必要性を強調したのが最初といわれ、フランス語「 Noblesse(貴族)」と「Obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉である。

「ローマ人の物語」で塩野七生氏は、ローマ帝国1000年を支えたのは、「ノーブレス・オブリージュ」があったからだと指摘している。

イートンの例を見るまでもなく、戦争が起こればノーブレスは率先して最前線で戦った。戦後の日本には、政治家、官僚、経済人や知識人に、自称ノーブレス、即ち選民と思っておられる方々が多数おられる。現在の国難は戦争だけではない。日本はあらゆる意味で衰退の兆候大であり、「ノーブレス・オブリージュ」を今ほど必要とする時はない。



(次回7月28日は、「里山保全と鎮守の森」です)
7月23日(金) [2010年07月23日(Fri)]
7月23日(金)

 07:35 成田着 日本財団へ直行

 09:40 日本財団着 
      書類整理、決裁等

 13:15 笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長

 15:00 退室
| 次へ