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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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6月30日(水) [2010年06月30日(Wed)]
6月30日(水)

 08:00 書類整理、決裁

 10:30 国際開発ジャーナル・取材

 11:30 笹川平和財団・関晃典理事長

 12:00 海洋グループ職員と昼食

 13:00 船の科学館・森田文憲理事長

 13:30 米子市・角博明副市長

 14:00 串本町・田嶋勝正町長

 15:00 海洋政策研究財団研究員による勉強会
      @持続可能な海洋の開発と利用のためのパートナーシップ活動に
        おける海洋教育の役割に関する研究/太田絵里研究員
      A海上ルートを通じた核拡散への対応/向和歌奈研究員
 
 16:30 辞令交付

 17:30 笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長

 19:00 神奈川県・松沢成文知事


「皇室とハンセン病」 [2010年06月30日(Wed)]

天皇・皇后両陛下が国立駿河療養所を慰問


「皇室とハンセン病」


5月24日、天皇・皇后両陛下は、静岡県御殿場市にあるハンセン病の元患者が入所している「国立駿河療養所」と「神山(こうやま)復生病院」を慰問された。世界のハンセン病制圧と患者・回復者の差別撤廃のためにささやかな活動を続けている私にとって誠に嬉しく、涙の出る思いであった。

永きにわたり、皇室がハンセン病の患者・回復者に心を配られてきた歴史は日本をおいて他国にはない。古くは奈良時代・聖武天皇の后・光明皇后がハンセン病の救済施設として「悲田院」や「施薬院」を建設されたのが始まりと言われている。それは明治、大正時代にも受け継がれ、昭憲皇太后(明治天皇の后)、貞明皇后(大正天皇の后)もハンセン病の救済に大いにご尽力された。

「当時はハンセン病が完治しない時代であり、貞明皇后はその救済に心血を注がれ、皇后はご自身の誕生日である6月25日を『ハンセン病予防の日』とされ、差別や偏見のない社会を作るために積極的にご活動になり、これが皇室と福祉のかかわりの礎となった」と、皇室に詳しい高橋紘氏は述べている。

現在、国立療養所は全国に13ヶ所、民間施設が2ヶ所に約1500名、平均年齢80.9歳の方々が生活を続けている。

全国の療養所には、天皇・皇后両陛下をはじめ、皇室の方々が慰問された折の記念植樹の木々がたくましく成長している。皇后陛下美智子さまもその伝統を引き継がれ、すでに11か所のハンセン病療養所をお訪ねになり、一人ひとりの手を握られ、激励と慰問の旅を続けておられる。

初めて明らかにする秘話めいた話だが、私の父・笹川良一も永くハンセン病患者の激励と療養所の施設充実のための支援活動を展開してきた。

ある時、駐韓国大使であった金山政英氏から、韓国のハンセン病について、美智子妃殿下(当時)が心を痛めておられるとの話を伺った。早速ソウル近郊の水原に近代的な病院を建設・寄贈。韓国のハンセン病制圧にいささかの貢献をさせていただいた。その完成式典に父に同行した時、ハンセン病患者の手を握り抱擁する父の感動的な姿をはじめて見た。

これがきっかけとなって以来40年近く、世界のハンセン病制圧と差別撤廃活動に取り組むことになったわけである。

ご健康必ずしも満足ではない天皇と共に、ハンセン病療養所の慰問を続けておられる美智子皇后。そして、皇族の方々の永きにわたるご活動には国民等しく頭(こうべ)を垂れる思いである。

宮内庁は、日本国の安寧と国民の健康と幸福を祈り続けられ、毎日の激務に耐えておられる両陛下のご動静、ご公務の多忙なご様子の情報を、積極的に国民に伝える責務があるのではなかろうか。

国立療養所
青森県  松丘保養園
宮城県  東北新生園
群馬県  栗生楽泉園
東京都  多磨全生園
静岡県  駿河療養所
岡山県  長島愛生園
岡山県  巴久光明園
香川県  大島青松園
熊本県  菊池恵楓園
鹿児島県 星塚敬愛園
鹿児島県 奄美和光園
沖縄県  沖縄愛楽園
沖縄県  宮古南静園

私立療養所
静岡県  神山複生病院
熊本県  待労院診療所


宮古南静園を訪問した筆者



(次回7月2日、「トルコ・エルトゥールル号殉難将士追悼式典」です)
6月29日(火) [2010年06月29日(Tue)]
6月29日(火)

 ハンセン病募金 9件26,000円 礼状書き

 08:00
  〜  「語り場」日本財団職員との対話
 10:00

 10:00 日本財団・執行理事会

 11:00 公益コミュニティサイトCANPAN打合せ

 12:00 日本財団学生ボランティアセンター・西尾雄志代表

 13:30 東京財団研究員による勉強会
      @「グローバル化する国土資源と土地制度の盲点」/吉原祥子研究員
      A「新時代の日本的雇用政策」/佐藤孝弘研究員

 15:00 仙石節子・元トルコ大使夫人

 15:30
  〜  「語り場」日本財団職員との対話
 17:30

 18:00 朝日新聞社・秋山耿太郎社長
6月28日(月) [2010年06月28日(Mon)]
6月28日(月)

 08:00 書類整理、決裁

 10:00 世界海事大学(WMU)笹川奨学生

 10:30 日本海難防止協会・宮原耕治会長

 12:00 総務グループ(経理・財務担当)職員と昼食

 15:00 ボートレース振興会・伊東高廣理事

 15:30 プライムコーポレーション・武部恭枝代表取締役
アタチュルク像除幕式 [2010年06月28日(Mon)]

駐日トルコ大使から感謝状を受ける


アタチュルク像除幕式


柏崎トルコ文化村跡地に3年以上放置され続けてきたトルコの国父として国民から尊敬されているスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像が、本州最南端の串本町(樫野崎灯台前広場)に設置された。

文化村が経営破綻して以来、所有権が民間企業に移転したことや、中越地震で倒壊の恐れがあることから横倒しのままで保管されていたこの状態には、日本のみならずトルコ国民も心を痛めていた。

同像が設置された串本町は、トルコの親善使節団が乗艦したエルトゥールル号が1890年に遭難した場所であり、以来、日本とトルコの友好を育んできた地でもある。

同鑑が遭難して120年になる今年、アタチュルク像の除幕式は記念式典と併せ、三笠宮寛仁親王殿下、三笠宮彬子女王殿下のご来臨のもと、厳かに行われた。

*******************************




挨拶(要旨)


2010年6月3日
於:樫野崎灯台前広場


三笠宮寛仁親王殿下、三笠宮彬子女王殿下ご来臨のもと、トルコ建国の父であるムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像が、日本とトルコの友好の地・串本町に設置されましたことを大変嬉しく、感激しております。

私は長くトルコとの間で仕事をさせていただいております。アンカラ大学は若手リーダーを育成するために世界69大学に設置しているササカワ・ヤングリーダー奨学基金校の1つであり、チャナッカレ大学には日本語教育のための奨学制度を設けています。

また、ソビエト連邦崩壊後のアゼルバイジャン、キルギスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなど、中央アジアの国々からトルコの大学で学ぶ学生への支援をトルコ政府の協力を得て実施させていただいております。

私は新聞でアタチュルク像の存在を知りました。記事には銅像が横倒しに放置されてから3年以上が経過していると書かれていました。トルコにおいてアタチュルク初代大統領は近代トルコ共和国を築いた英雄であり、今なお国民に尊敬され続けています。

私はすぐに東京財団の中東地域の専門家である佐々木良昭研究員に依頼、現地での調査に取り掛かっていただきました。そして、3年間放置されてきたことには、柏崎市はじめ日本の多くの国民が心を痛めていたとの報告を受けました。その後、何度も交渉を重ね、この銅像を駐日トルコ共和国大使館に返還することができたのです。

セルメット・アタジャンル駐日特命全権大使には迅速にご対応いただきました。そして串本町の田嶋勝正町長にはこの銅像の受け入れに好意とご理解を賜りました。それによってアタチュルク像をエルトゥールル号が遭難し、両国が友好を温めてきた地である樫野崎に設置できたのです。

本日はこの銅像を制作された彫刻家のメティン・ユルダヌル氏もお越し下さっていますので、柏崎市から串本町に設置された経緯を説明させていただきます。

当時、トルコ政府から柏崎市に寄贈いただきましたときは、3分割で輸送、設置された経緯があったようですが、今回はこのままの状態で運ぶことにしました。

しかし、柏崎市から串本町に輸送するには銅像が大き過ぎて一般道路では運ぶことができません。そこで一時は3分割にして輸送することも考えましたが、芸術作品を分解することによって作者の意にそぐわないことがあってはならないと思い、運搬方法について研究致しました。

日本財団の情報グループの菅原悟志グループ長に研究してもらった結果、日本に唯一といわれる大型の銅像を運ぶ会社が夜中から明け方の時間帯を利用し、5日間かけて運ぶことができたのです。

田嶋町長はじめ串本町の皆さまが、偉大な、そして未来に向かって大きく発展する可能性があるトルコとの間に120年の長きにわたる友情を温めてきたこと、そして日本国の国際交流の上で役割を果たされてきたことに、心から尊敬と感謝の念を申し上げたいと思います。

串本町が日本とトルコの友好関係の発祥の地としてこの銅像をお守りいただき、日本国の世界への平和のメッセージの一つにしていただくことを心から願い、お礼とご挨拶とさせていただきます。
6月25日(金) [2010年06月25日(Fri)]
6月25日(金) 休暇
「トルコ・アタチュルク大統領銅像始末記」 [2010年06月25日(Fri)]

アタチュルク像の輸送には苦心


「トルコ・アタチュルク大統領銅像始末記」


今年は日本・トルコ友好120周年の記念すべき年。両国でさまざまなイベントが繰り広げられている中で、画竜点睛を欠くトラブルがあることが海外から帰国直後の新聞で知った。

1996年、新潟県柏崎市は第3セクターで「トルコ村」を開設した。この計画を喜んだトルコ政府は、トルコ建国の父・ケマル・アタチュルク初代トルコ大統領の銅像を寄贈し、以来、トルコ村のシンボルとして来園者に親しまれてきた。

しかし、2004年に新潟県中越大震災発生。トルコ村も大被害を受け、日本経済の悪化とあわせ倒産してしまった。この敷地は2006年に民間企業に売却され、所有者は再度の地震で銅像が倒壊することを懸念。台座から外し横倒しにして自社の建物の中に移送、大切に保管されていた。

ところがアタチュルクがトルコの偉大な英雄であることを知る識者や種々の団体はこの処置に満足せず、柏崎市にはしかるべき形で設置すべきとの意見が多く寄せられ、署名運動を起す団体もあった。

しかし、この問題処理には建設資金が必要で簡単ではなく、柏崎市と所有者である民間会社の間で感情的なもつれにまで発展してしまった。

私は、笹川平和財団のアラビスト・佐々木良昭氏に問題解決を依頼。数度にわたる交渉の結果、民間会社社長も佐々木氏の熱情を理解し、円満にトルコ大使館への返還を了解してくれた。

しかし困ったことは、この巨大なアタチュルクの騎馬像(全高4.2メートル・全幅4メートル・重量4トン)の輸送方法である。当初は3分割にされて運ばれ柏崎市で接合された経過もあり、分割してまず東京までの陸送を考えたが、日本財団の担当者・菅原悟志広報グループ長が、芸術性を損なわないためにそのままの輸送方法の有無を調査してくれた。

その結果、特殊車両による深夜だけの運搬の可能性を発見し、まず東京の船の科学館へ移送。修復の上大使館に返還することをセリム・セルメット・アタジャンル・トルコ大使が了承してくれた。その後、トルコと縁のある和歌山県串本町の田嶋町長が串本町への移送設置を快諾。陸路、深夜の移動は無事終了した。

6月3日、三笠宮寛仁親王殿下、三笠宮彬子女王殿下ご臨席のもと、アタチュルク大統領銅像は、串本町樫野崎灯台広場に無事設置され、晴れの銅像除幕式が行われた。



難問と思われていたアタチュルク銅像の再設置は、銅像所有の民間会社の善意や多くの支援者のご協力もあって一件落着した。後日のために詳しく記録として残し、民間会社の社長には日本財団より感謝状を贈り、ご好意に報いたいと考えている。



(次回6月28日は、「アタチュルク像除幕式」です)
6月24日(木) [2010年06月24日(Thu)]
6月24日(木)

 07:45 書類整理、決裁

 10:30 朝日新聞社・取材

 12:00 朝日新聞社・秋山訓子氏との昼食

 13:30 広東テレビ・インタビュー

 14:40 笹川平和財団・羽生次郎会長

 15:00 笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長

 16:00 ボートレース振興会・評議員会

 18:00 ボートレース振興会・評議員との夕食会
6月23日(水) [2010年06月23日(Wed)]
6月23日(水)

 15:30 成田着 日本財団へ直行

 17:00 日本財団着 書類整理、決裁等

 18:30 退室
「WANAフォーラム出席」 [2010年06月23日(Wed)]

ハッサン王子とは旧交を温めた


「WANAフォーラム出席」
―ヨルダン―


英明で博学であられるヨルダンのハッサン王子と、アンマンで「第2回WANA国際フォーラム」を開催した。

WANAは「West Asia North Africa」の略で、トルコ、イラン、イラクからサウジアラビアを含む湾岸諸国、マグレムといわれるモロッコ、リビア、チュニジア、エジプトに至るモスレム諸国のことである。

今回はインドネシア、パキスタン、バングラディッシュも加わり、23ヶ国のイスラム国と、日本を含む西側より11ヶ国が参加。138名、34ヶ国の代表と地元ヨルダンからの参加者により、環境、教育、貧困、水、エネルギー等、WANAの抱える共通課題について議論が行われた。

この地域には国家のしがらみを離れ、個人レベルで対話するプラットホームがなかったため、共通の課題、問題点を率直に話し合う場を提供することが目的である。どの国にどのような優れた人物がいるのか全く不明のところ、ハッサン王子の人脈を活用してネットワークを形成。将来はWANA諸国に問題提起や政策提言も行いたいと考えている。

WANA諸国では、歴史的にEUを中心にしたヨーロッパとの関係が深かったが、湾岸諸国の石油の需要はインド、中国、日本が中心。また、マレーシア、インドネシアのイスラム国の発展を見るとき、東南アジアに興味を持つ有識者も増加している。

そのためにアセアン事務長のピッツアン・スリン元タイ国外務大臣に、トンボ帰りの強行日程で講演を、無理を承知で依頼した。

名演説家で知られるスリン事務局長の講演は、各国の多くの出席者に東南アジアへの興味と理解を一段と深めさせられたと、内心、ニッコリしているところである。

私には、ルックイーストを合言葉に中近東の諸国を、ヨーロッパ諸国よりも日本を中心にした東南アジアに取り込もうとの遠謀深慮がある。5年、10年後には、日本を中心にしたアジア諸国に膨大な資金を投資させたいと、遠大な計画を考えているところである。

以下は、開会式の挨拶要旨です。

**********************


第2回WANAフォーラム
(原文・英語)

2010年5月17日
於:ヨルダン・アンマン


ハッサン・ビン・タラル殿下、ご出席の皆様、今年も再びWANAフォーラムに参加し、このような素晴らしい皆様を前に挨拶をする機会を与えていただいたことを大変光栄に存じます。

まず、本日のフォーラム開催のためにご尽力くださいましたハッサン殿下に対し、心からの称賛と感謝の意を表します。また、WANAフォーラムのビジョンを策定するために、その英知と経験を惜しみなく分かち合ってくださった国際諮問委員会のメンバーの皆様に感謝申し上げます。

さらに、本日ご出席いただいたすべての参加者の皆さまを心より歓迎いたします。このようにWANA地域に住む人々のより良い未来を築くという共通の目的のもとで、地域内外から人々が集うことは本当に心強いことです。

ハッサン殿下との長年にわたる交流の中で、私は幾度となく、その知性に感銘を受け、そのビジョンに触発され、その揺らぐことのない志に希望を与えられてきました。

殿下と私は、生まれ育った環境もこれまで歩んできた人生も大きく異なります。しかし、私は殿下と知り合って間もない頃から、私たちの間には何か大きな共通点があると感じていました。私たちは同じ価値観を共有し、同じ問題意識を持ち、同じ希望や使命感を抱いていたのです。ですから、このWANAフォーラムをお手伝いさせていただくことは、私にとって、ごく自然なことであります。

世界のあらゆる地域同様、WANA地域は数多くの問題に直面しています。教育、医療、経済、環境、安全保障の問題をはじめ、無視できない多くの問題が存在しています。そして、相互依存社会の中で複雑に絡み合った多くの問題は、決して、一国家や一つの組織、一個人だけでは効果的に対処することはできません。

これらの問題に対処するためには、長期的かつ統一的なビジョンを育む必要があります。そのためにはまず、忌憚なく、異なる意見を活発に交わす場が必要です。言うまでもなく、単純に人々が集まるだけでは十分ではありません。

参加者一人一人が、国家や地域、個人的な利益にとらわれることなく、WANA地域の未来のためという大きな共通の目標を見出すことが求められています。

必要なのは、WANA地域における統一的なビジョンです。このフォーラムを通じて、最も重要な問題は何かを認識し、効果的な解決策を導き出さなければなりません。

一見、容易なことのように聞こえるかもしれませんが、実際は、それほど単純ではありません。特に、参加者が特定の国家や集団、民族、組織を代表している場合はなおさらです。
私は、ハッサン殿下と同じく、人々が肩書きや所属にとらわれず、一個人として参加することが必要であると強く信じています。

また、先ほど述べたように、教育、医療、経済、環境などの問題に人道的な視点をもって取り組むことが重要だと考えます。私たちは経済格差、環境の悪化、質の高い教育や医療へのアクセス不足といった問題に真摯に取り組まなくてはなりません。ただし、その時に忘れてはいけない視点があります。

経済格差について話し合う時は、家族を養うことの出来ない父親や母親たちがいることを忘れてはならないのです。教育や医療について話し合う時は、勉強をしたくても学校に通えない、病気になっても必要な医療を受けられない子供たちがいることを忘れてはならないのです。環境問題について話し合う時は、安全な飲み水や快適な生活を送るためのエネルギーを失ってしまうかもしれない未来の子供たちがいることを忘れてはならないのです。

私は、人道的な視点、つまり、日常に潜む問題の本質を見逃さないことこそ、WANAフォーラムのユニークさであると考えています。私たちは、人々が日々の生活の中で直面するあらゆる問題に取り組むためにここに集まりました。このフォーラムの参加者である皆様方が、様々なワーキング・グループを通じて、これらの問題に一致団結して取り組んでいる姿に、私は非常に勇気づけられました。

私はこのフォーラムが、WANA地域に住む人々によって、自らの未来を第一に見据えた政策の策定及び実施に多大な影響を与えるものになるであろうと確信しています。

WANAフォーラムの一員であることを心から誇りに思うとともに、同じ志をもった人々の集いであるこのフォーラムが、今後、さらに発展していくことを祈念いたします。



(次回6月25日は、「トルコ・アタチュルク大統領銅像始末記」です)
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