ハンセン病患者と触れ合う中に解決の糸口が隠されている(ネパール)
『星座』
伊藤玄二郎(本誌編集発行人)VS 笹川陽平(日本財団会長)
かまくら春秋社
2010年 No. 53 青龍剛
国際支援活動と日本
日本のみならず、海外での人道支援活動や人材育成にも力を注ぐ日本財団会長の笹川陽平さん。特にハンセン病をなくすための活動には自ら40年以上携わり、現在、WHO(世界保健機関)のハンセン病制圧特別大使、政府のハンセン病人権啓発大使として世界各国を奔走する。長年の支援活動や指導者に求められるリーダーシップなどについて語り合った。
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【伊藤】先日、笹川さんのブログをまとめたご本『若者よ、世界に翔け!』を読ませていただきましたが、ずいぶん強行軍のスケジュールで、世界中を飛び回っていらっしゃる。時には海外からもブログを書き込まれていますが、日本財団のような大きな組織のトップがご自分でブログを書くというのは、他に例を見ないように思います。
【笹川】そうかもしれません。ブログを始めたのは2005年の3月でしたから、かれこれ5年になります。近年、企業や組織の情報公開が求められるようになり、私たちも職員一丸となって取り組んでいますが、その様子を見ていて「財団の情報公開にとどまらず、トップとしてどのような仕事をどのような思いで行っているのか、積極的に発信するべきではないか」と考えたのが始まりなんです。
【伊藤】インターネット上では、自由に発信できる代わりに、目に見えない不特定多数から、思いがけない中傷や批判にさらされることもあるのではありませんか。
【笹川】以前、私が新聞紙上に「タバコ一箱1000円」論を発表したときには、ブログ上でも相当数の意見が飛び交いました。でも私のブログでは、たとえ一方的に批判をしたり暴言を書く人がいても、コメントの削除はしないことにしているんですよ。自由に発言できる場であってほしいし、多くの批判や意見が飛び交うということは、それだけ皆さんの関心がある問題ということでしょう。むしろ喜ばなくちゃいけないと考えています。
ハンセン病問題への取り組み
【伊藤】さて、笹川さんといえば、ハンセン病をなくすための活動に大変尽力されています。2007年には、ハンセン病の制圧や患者と回復者の尊厳回復に貢献した人物に授与される「国際ガンジー賞」を日本人で初めて受賞されました。
【笹川】私がハンセン病問題に取り組み始めてから、もう40年以上になりますが、今も1年の3分の1くらいは各国の現場を直接訪問しています。
【伊藤】具体的にはどのような活動をしているのですか。
【笹川】1980年代に入って、MDTという治療薬が開発されてからは、ハンセン病の制圧にもっとも力を注いできました。「制圧」というのは、WHO(世界保健機構)の基準で人口一万人に対して患者が一人未病の状況をいいます。医療面で各国の政府やメディアと連携し病の制圧を進めると同時に、ハンセン病は治る病気なのだということを知ってもらうための啓蒙活動も行ってきました。
長年の努力が実を結び、1985年に122カ国あったハンセン病の未制圧国が昨年までに3カ国に減少し、1600万人もの患者さんが病から解放されました。そして今年1月にはネパールでハンセン病制圧が宣言され、東ティモールも年内に制圧の見通しです。残るのはブラジル一国というところまでようやくきました。
【伊藤】今でこそ、ハンセン病は非常に弱い伝染性しかないというデータが確立していますが、活動を始められた当時は、まだそうした状況ではなかったでしょう。笹川さんがハンセン病問題に取り組むことになったきっかけは何だったのですか。
【笹川】実はこの問題に最初に取り組み始めたのは私の父、笹川良一です。父は大阪の箕面の出身で、川端康成氏と同じ小学校の同級生だったのですが、子どもの頃、近所にあまり外に出ない若い娘さんがいたそうです。そしてその娘さんがある日突然、いなくなってしまった。当時日本は「らい予防法」がありましたから、警察が来て強制連行され隔離されてしまう、そういう時代だったんですね。
父は、とても正義感の強い人でしたから、病にかかった娘さんやその家族の受けた大変な苦しみを目の当たりにして、ハンセン病の問題に取り組むことを心に決めたそうです。父は仕事で海外出張をする折には、どの国でも必ず無名戦士の墓に参ることと、ハンセン病患者を見舞うことを欠かしませんでした。私は父の仕事に同行する中で、自然に患者さんたちに接し、この問題を生涯の仕事として取り組むことになったのです。
【伊藤】日本国内では、最近になってやっとハンセン病の正しい知識を一般の人も認識できるようになってきましたが、世界の特に発展途上国では、まだ根深い差別があるようですね。
【笹川】おっしゃるように、間違った知識でハンセン病患者やその家族が苦しむ現状は、まだまだ各国にあります。さらに深刻なのは、先ほど1600万人の患者さんが治癒したと言いましたが、病気が完全に治っても、他の病気のように順調に社会復帰できない現実があります。私は、人間の差別の原点はハンセン病にあると思っているのですけれども、何世紀にも渡って人間のDNAに刷り込まれたスティグマ(負の烙印)というのは、悲しいことにそう簡単に払拭できないのです。
今、ハンセン病そのものの制圧は成功目前ですが、彼らを社会復帰させるための活動は、やっとはじまったばかりです。
【伊藤】元英国妃のダイアナさんが、エイズ患者を見舞い親しくスキンシップをとる姿をメディアが放映することで、エイズの正しい知識を伝え、偏見をなくすことにつながったということがありましたが、笹川さんもご自身の活動をブログで情報発信したり、ときには現地にメディアを同行させることなどで、広く差別をなくすための取り組みをなさっていますね。
【笹川】私は支援活動をする際に、自分に戒めていることがあるのです。それは「“自分たちはいい活動をしている”と思い始めた時に、堕落が始まる」ということです。
実はこうした活動で大事なのは、戦略的思考なんです。ともするとNGO、 NPOの活動において一番おろそかになりがちなのですが、ハンセン病を世界中で制圧するためにはどうすればよいのか、差別の問題を解決するためには何が必要なのか、各問題点と解決するまでの過程をしっかり頭に描いて実行していかないと、ただ目の前の小さな問題だけを見てジタバタしていては、大きな問題は決して解決しない。各国の政府にどのように働きかけて行くのかも含めて、広い視野で取り組んでいかないといけないと私は考えているんです。
【伊藤】しかし、戦略戦術を描いて、末端まで十分いきわたるようにと工夫をされても、特にアフリカなどでは水問題や政治的問題が複雑に絡みあって、なかなか思うように機能しないというご苦労もありませんか。
【笹川】国際協力活動に取り組む上で私がモットーとしているのは「溢れるような情熱、耐え忍ぶ忍耐力、成果が出るまで絶対にあきらめない継続性」の三つです。
一つ例をあげると、アフリカにモザンビークという国がありますが、そこでは長く内戦が続き少年兵が機関銃を手に戦う悲惨な姿がありました。モザンビークはハンセン病の蔓延国で、2000年までに病を制圧するというWHOの宣言に署名をしていたのですが、現状はかなり厳しかった。それでも、私は4年間毎年モザンビークに足を運び、現地での活動を続けました。
そんなある年、保健大臣に「遠い日本から笹川さんが毎年欠かさず来てくれたことで、私たちは自分たちの問題として解決しなくてはならないと、良い意味で追い詰められることになりました。私たちは財産も人材も決して豊富とは言えないけれど、モザンビークという国家をつくった以上、プライドがあります」と言われたのです。
すぐに大統領府内に特別委員会が作られ、大統領直轄で行政が動き出し、見事制圧に結びつきました。やはり、どんな困難があっても決してあきらめないこと。これがとても大事なのだと感じた大変うれしい出来事でした。
【伊藤】笹川さんは、日本でも外国でも、いわゆる政治には一切手を染めないそうですが、特に発展途上国ではどのように各国の協力を得ているのですか。
【笹川】いわゆる政治的なかかわりはもちませんが、ハンセン病問題を根本的に解決するためには、医療関係者やNGO関係者はもちろんのこと、政治指導者の協力は不可欠だと考えています。私や父が取り組む以前から、特にキリスト教系の団体が救らい活動をしてきました。彼らから見ると、私たちの仕事の仕方は異端に映っているかもしれません。というのも、多くの国際NGOは、前提として途上国の政治を腐敗しているととらえ、その対立軸として自分たちを存在させたのです。
つまり、あなたの国の政治家たちはこんなに悪いが、私たちはこんなに「よいこと」をしているんですよ、というやり方でした。しかし、私は政府に金銭譲渡は一切しませんが、彼らと対立するのではなく、問題解決のために上手に巻き込んでいきたいと考えているのです。
【伊藤】具体的に、政治とはどのようなスタンスで接していくのでしょうか。
【笹川】私は、海外に行ったら、まずその国の国家元首に会い、ハンセン病の問題について詳しく話をします。その場合、かならず保健大臣や事務次官が同席しますから、国家元首を巻き込めば大臣以下は、ハンセン病制圧に取り組まざるをえなくなるんですよ。
保健衛生の問題としては、一般的にエイズやマラリアの方がずっと規模が大きいですから、各国でのハンセン病制圧の優先順位は実は低い場合が多いのですが、国家元首の支持を得ることでスムーズに事が運ぶのです。また、国家元首と会う時には、大抵その国のテレビ取材も入りますから、これを最大限利用して、ハンセン病についての正しい知識を一般に広く伝えることができます。
もう一つの大事な仕事は、制圧活動の最前線の地に足を運んで、薬がきちんと届いているか、薬の劣化がないかなどのチェックをし、現地のスタッフたちを激励することです。活動現場には、必ず問題点とその答えがありますから、時には自宅から50時間かけてでも、現場に向かいます。現場に行かないと、決して問題は解決しませんから。