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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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政官民の協力で江戸城の再建を [2010年02月28日(Sun)]

皇居東御苑に残る江戸城天守閣の台座


【正論】日本財団会長・笹川陽平 

政官民の協力で江戸城の再建を

2010年2月23日
産経新聞 東京朝刊


何となく世の中が暗い。閉塞(へいそく)感を吹き飛ばすため、ひとつ明るい提案をしたい。江戸城天守閣の再建である。全国から広く浄財を集め、350年前の雄姿を再現すれば観光立国・日本のシンボルとして、この国に活気を呼び戻すことにもなる。

≪日本美術の粋を一堂に≫
夢物語と一笑する向きもあるかもしれない。しかし、後ろ向き志向では混迷する政治、低迷する経済を再生させることはできない。政官民をひとつにまとめるような求心力のある新たな明るい目標こそ必要である。幅広い賛同をお願いしたい。

江戸城天守閣は2代将軍秀忠の時代の1607(慶長12)年に完成した。高さ58メートル、5層の巨大建造物は同30メートルの大阪城を大きくしのぐ天下一の名城と言われた。1657年の明暦の大火で焼け落ち、以後、再建されることなく、巨城を支えた高さ18メートル、一辺44メートル四方の石垣の台座が皇居東御苑に残る。

天守閣再建は、私が最初に提案するわけではない。2006年に設立されたNPO法人「江戸城再建を目指す会」(小竹直隆理事長)が天守閣を中心にした江戸城の遺構の再建を目指して幅広い活動を展開されている。中曽根康弘内閣時代の1985年には、天皇在位60年、昭和還暦を祝う記念事業として「昭和城」の名で天守閣建設が検討されたこともある。

その江戸城天守閣の設計図は東京都立中央図書館に保存され、建設費も鉄筋だと300億円、木造建築だと500億円といった試算がある。江戸城は家康、秀忠、家光の3代にわたり、普請の命を受けた全国の大名が30年間、総力を挙げて完成させた。建築、工芸、装飾など、あらゆる分野の日本のトップ技術の結晶でもある。

≪民間から広く浄財を≫
再建する以上、可能な限り当時の形を再現するのが望ましい。木造建築とするだけでなく、各分野の匠に参加してもらい当時の室内装飾や調度、美術品を再現すれば日本文化、日本美術の粋を一堂に鑑賞できる観光のシンボルとなり、廃れつつある伝統工芸の保存、継承にもつながる。

世界遺産に登録される姫路城や大阪城、名古屋城をはじめ全国各地に多くの城が残り、江戸時代の街並み復元を中心にした地域興し、街興しの中心として大きな役割を果たしている。何といっても城は日本らしさの象徴である。

同様に世界を代表する大都市にも、その国の顔ともいえる歴史的建造物がある。パリのベルサイユ宮殿、ロンドンのバッキンガム宮殿、北京の紫禁城、ニューヨークの自由の女神などがそれだ。日本のシンボルとして江戸城天守閣を再建すれば、家族や地域社会、日本人としての絆(きずな)を再確認するきっかけにもなる。

そのためにも建設費は民間から広く浄財を集めるのが望ましい。1931年の大阪城天守閣の再建も庶民の寄付で実現した。日本一の初詣参拝客が訪れる明治神宮も、全国から寄せられた10万本の献木と11万人に上る青年団の勤労奉仕で1920年に完成した。一人でも多くの国民に城造りに参加してもらうことが、国のシンボルとしての重みにつながる。

≪明るさを取り戻す妙案≫
同時に観光客の増加は景気回復の即効薬ともなる。各国に比べ観光客誘致の弱さが目立ったわが国も、2007年に施行された観光立国推進基本法で観光を「国民経済のあらゆる領域の発展に寄与する」と位置付け、新政権も昨年12月、前原誠司国土交通相を本部長とする観光立国推進本部を立ち上げ、10年後の外国人観光客を2500万人に増やす方針を打ち出している。

しかし2008年の外国人観光客は835万人と日本人海外旅行者のほぼ半分にとどまり、目標と程遠い状態にある。食事からライフスタイルまで日本ブームが世界に広がっている現状を踏まえると、シンボル不在が決め手を欠く一因のように思えてならない。

政治、ビジネスの中心として高層ビルが林立する東京にも、小石川後楽園や六義園など文化・歴史遺産は多数ある。天守閣を復元し、歴史的建造物をネット化すれば、260年間、戦乱もなく太平の世だった江戸の香りを平和・日本の象徴として売り出すことも十分可能である。日本文化発信、国際交流の場としても活用できる。

ただし、一つ問題が残る。当時のまま復元することになれば、天守閣は現在も残る台座の上に再建され、皇居・吹上御所を見下ろす形になる。警備面を含め難しい注文が付く可能性も残るが、国民の総意が結集されれば自ずと解決の道も見えてくるのではないか−。

深刻なデフレが進行し、国際社会での日本の地盤沈下が進む中、社会がおおらかさを失い、政官民の相互不信も広がりつつある。150億円を使った2016年の東京オリンピック招致も不発に終わった。先が見えない時代だからこそ、この国に明るさを取り戻す妙案として江戸城の再建をあえて提案させていただく。(ささかわ ようへい)
「韓日関係を変える力は行動する若者」 [2010年02月27日(Sat)]

日韓両国の未来志向のために歩み出したイ・ソジン氏(写真・左)


韓国「中央日報」


中央日報は、朝鮮日報、東亜日報とともに韓国の三大紙の一つであり、発行部数は約200万部である。

先日、NHKの海外ドラマ「イ・サン」の主役であるイケメン男優・イ・ソジン氏の努力による日韓の共同NPO活動、「Let’s Tree」プロジェクトについての取材を受けた。

以下のその翻訳である。
記事中の誤りは【 】の中で訂正した。

(韓国紙・日本語版)
2010年1月25日


笹川陽平氏「韓日関係を変える力は行動する若者」


近くても遠い国だった日本の韓流ブームは、もう一時の流行ではない。 韓流の現場を体験してみようと韓国を訪れる日本人観光客がこれをよく物語っている。 この数字は昨年、過去初めて300万人を突破した。

01年から本格化した韓流ブームは、韓国を見る日本保守層の見解までも変えている。 日本保守社会の精神的な支柱として活動してきた日本財団の笹川陽平理事長(71)。 笹川氏も韓国に対する変わった見方を隠さなかった。 記者に会い、韓日パートナーシップを強調した。

笹川氏は「100の考えよりも重要なのは実際に一歩進む実践力だ」と述べた。 韓流スターのイ・ソジンさん(37)と一緒に14日にアジア環境基金を設立したのもこうした考えからだ。 笹川氏はイ・ソジンさんに基金の設立を直接提案したという。【イ・ソジンさんからの提案】

笹川氏は日本財団の実質的な設立者、笹川良一氏の息子で後継者だ。 父の良一氏は太平洋戦争の後、A級戦犯容疑者として投獄された‘前歴’のため、保守陣営の象徴的な人物になった。

東京裁判で東条英機参謀総長【東條英機首相】が絞首刑となるなどA級戦犯はほとんど植民地支配と戦争犯罪に対する責任を取った。

しかし笹川良一氏は不起訴処分を受けて出獄した。 この時から良一氏の人生観は大きく変わった。 日本財団の前身である日本競艇協会【日本船舶振興会】を設立し、巨額の財産を築いた良一氏は、競艇で稼いだ資金を財源として1962年に日本財団を発足させた。

【笹川良一は元々資産家であり、競艇からの収益で財産を築いたわけではない。死亡時、個人財産はほとんどなかった。】 日本財団は現在約90人の職員と304億円の基金【年間予算:2008年度 304億円】を保有【助成】する日本最大の民間シンクタンク【財団】だ。

問−−韓日強制併合100年を迎えたが、日本は真摯に謝罪・反省をしていないという印象を与えている。 95年の村山談話を否定しようという政治家も多い。 日本は今後、何をどうすべきだと考えるか。

答「一方がもう一方に対して一方的に何かをするという時代ではない。 お互い力を合わせて北東アジアの安定、この地域の人々の生活の安定のために協力していかなければならない。 政治家はよく言葉を変える。 信じられない。 このため言葉よりも具体的な行動に出るイ・ソジンさんのような若者を高く評価する」

問−−イ・ソジンさんと環境基金を設立したことがそんなに深い意味を持つのか。

答「日本と韓国の(過去の不幸だった)関係が今年で100年になった。 これに合わせてイ・ソジンさんのように未来を担っていく若者が韓日の未来を考えながら、両国が一緒にできる仕事のために行動したのは歴史的なことだ。 企業の社長や富裕層がこういうことをするのは当然かもしれない。 しかし若い人が旗を掲げて夢を持って頑張ることは大変なことだ」

問−−日本統治時代に徴用され、三菱重工業で労働を強いられた人たちが最近99円の年金手当を受けた。 日本で働いた韓国人に年金加入について知らせることもせず、後に訴訟で脱退手当を請求されると、60年前の額面金額でそのまま支払った。 ガムの価格にもならない金額を支払うことを人道的に容認できるのか。

答「内容をよく知らないので答えにくいが、世の中には立場によって考え方にも違いがあると思う。 しかし世の中のすべてのことは最終的に人と人の問題だ。 政府や国家間の行動は法律と交渉で行われる。 ここには愛情のようなものはないと考える。 しかしそれだけではだめなので、民間人の協力が重要となる」

問−−笹川氏と日本財団は韓国とどんな民間交流をしてきたのか。

答「(戦後、韓国に残留した日本人夫人の療養所である)ナザレ園を設立して30年以上支援し、延世(ヨンセ)大や高麗(コリョ)大に共同研究基金と奨学基金を設置した。 がん【心臓病】で余命6カ月の宣告を受けたが手術費がなく困っていた小学生の手術費を個人的に出したこともある。

月給から少しずつ支援し、それを返すのに10年かかった。 旧韓国末の英親(ヨンチン)王・李垠と結婚した(日本皇族出身の)李方子(イ・バンジャ)氏が設立した障害者生活施設の明暉園も支援するなど、これまで9団体に17億4129万円を支援してきた」

問−−北朝鮮とも交流を推進したと聞いている。

答「人道的レベルで、北朝鮮に行った(在日同胞と結婚した)日本人妻の帰還を推進するためだった。 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の北送時、夫と一緒に北朝鮮に渡った日本人妻は1800人にのぼる。

その時、金日成(キム・イルソン)と張成沢(チャン・ソンテク)に会い、生存者500人を連れて帰ることで合意した。 しかし北朝鮮と交流がなかった日本政府が突然入ってきて交渉は成立しなかった。 16人ずつ2回つれて帰ってきただけで帰還事業は終わった」

問−−天皇の訪韓についてどう考えるか。 韓国では日本は依然として「最も嫌いな国」に選ばれるが、その比率は大きく減っている。

答「韓国人が歓迎し、世論が友好的ならばよいのではないか。 日本では韓流ブームで多くの女性が韓国ファンになった。 私の妻もある時は30時間ほど韓流ビデオを見たりする。 やはり文化の力は大きい。 私の息子の周囲の友達も韓国人が多い。 しかし韓国が日本を眺めるうえで温度差があるようだ」

問−−韓半島の南北統一についてはどう思うか。

答「理性的に見れば(統一が)目前に来ていると考える。 しかし金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代はあまりにも感情的に民族統一を考える傾向があった。 実際に統一すれば韓国がどの程度の負担を負うべきか考えなければいけない。 統一という不変の目的があるだろうが、現実的な困難を克服できる方法についての議論は足りないようだ。 突然統一すればとんでもない(経済的・社会的混乱)状況になるはずだ。 やはり準備をしておくのがよい」

問−−日本の保守層は中国の急浮上を警戒している。

答「中国は自信があふれているようで、私は少し熱を冷ますように助言している。 山が高ければ谷も深くなる。 必ず低くなる時があるので、今から対処しなければならない。 常に成長する経済はない。 中国の貧富の差が深刻な点も心配になる。 (中国がもともと)追求してきたように平等な社会を作るべきだ」

問−−日本はバブル経済崩壊後20年間も活力が落ちている。

答「全く心配していない。 経済学者は常にバブル経済時を基準に話す。 しかし失業率は5%水準にとどまり、先進国の中では最もよいほうだ。 日本企業が活力を失ったという指摘も必ずしも正しいわけではない。 むしろ韓国の三星(サムスン)電子があまりにも強くなったと考えるのが正しい。 それは尊敬すべきことだ。 韓国が経済的にもよりいっそう飛躍することを願う」
2月26日(金) [2010年02月26日(Fri)]

競艇の飛躍のために激励の挨拶


2月26日(金)

 08:00 書類整理、決裁

 10:00 公益コミュニティサイトCANPAN打合せ

 11:00 国際協力グループ案件説明

 11:30 競艇振興会・伊東高廣常勤理事

 12:00 システム統括グループ職員と昼食

 14:00 全国モーターボート競走施行者協議会 挨拶
      於:第一ホテル東京シーフォート

 16:00 雑誌「SAPIO」インタビュー

 17:20 ネパール サンタ・ビール・ラマ氏

 18:30 東京バレエ公演「シルヴィア」鑑賞
      於:東京文化会館
ハンセン病「グローバル・アピール」 [2010年02月26日(Fri)]


ハンセン病「グローバル・アピール」


「世界ハンセン病の日」は毎年1月の最終日曜日と定められている。この日はインドを中心に世界各地でハンセン病の正しい知識の普及のための啓蒙活動が行われる。

私は2006年より、世界の各界の指導者の協力を得て、ハンセン病の正しい知識の普及とスティグマと差別の撤廃を求めグローバル・アピールを発表してきた。今年の世界ハンセン病の日は1月31日であったが、参加者の都合もあり、1月25日、インドの経済都市・ムンバイのタージ・マハル・ホテルで発表した。

今年は世界的大企業のCEOの賛同を得ることができた。インドを代表する三大会社であるタタ・グループ、マヒンドラ・マヒンドラ、リライアンス・インダストリーズ、日本のトヨタ、キヤノン、三菱商事からは署名もいただいた上、インド駐在の支社長が揃って出席して下さった。

式典そのものは簡素なもので小一時間で終了したが、通信社を通じて世界中に情報発信されることは、私の望むところであった。

第1回はノーベル賞受賞者5名を含む世界的指導者11名。(於:ニューデリー)

第2回は世界各国で活躍するハンセン病回復者16名。(於:マニラ)

第3回は世界で活躍する人権団体アムネスティー・インターナショナル、セーブ・ザ・チルドレンなど9団体(於:ロンドン)

第4回は世界の宗教お指導者、デモンド・ツツ、ダライ・ラマ等14ヶ国17人。(於:ロンドン)

第5回の今年は世界的企業のCEO(於:ムンバイ)



下記に列挙して感謝の誠を捧げます。

1.バレ 石油 ブラジル
2.中国中信集団公司 金融及び投資会社 中国
3.ルノー 自動車 フランス
4.ノバルティス 薬品 スイス
5.リライアンス・インダストリーズ 石油科学・通信 インド
6.トヨタ 自動車 日本
7.タタ・グループ 自動車 インド
8.ジョンソン&ジョンソン 医療製品 アメリカ
9.バージン・グループ 航空会社 イギリス
10.マヒンドラ・マヒンドラ 自動車 インド
11.サイアム・セメント セメント タイ
12.グラミンバンク 小額融資銀行 バングラデシュ
13.ラガーデール 総合メディア フランス
14.三菱商事 総合商社 日本
15.キヤノン 電器機器 日本

「継続は力なり」
来年は世界著明大学100校の学長によるグローバル・アピールを計画中です。


(次回3月1日は、「梅祭りと春の花樹」です)
2月25日(木) [2010年02月25日(Thu)]

写真右からイ・ソジン氏、鄭団長、筆者


2月25日(木)

 08:15 書類整理、決裁

 11:00 日本財団・理事会

 14:00 CSR担当者ワークショップ
      「日本の先進企業100社」をもとに考えるCSRのこれから

 15:00 在日本大韓民国民団・鄭進団長

 16:00 公益・ボランティア支援グループ 審査説明

 18:30 森喜朗・元首相
2月24日(水) [2010年02月24日(Wed)]

インドから回復者組織のゴパール会長(右から3人目)が訪問


2月24日(水)

 08:15  書類整理、決裁

 09:00 インド・ナショナル・フォーラム ゴパール会長

 11:00 日本財団・評議員会

 14:00 モンゴル国会議員訪日団

 16:00 社会貢献支援財団・日下公人会長

 16:15 海洋政策研究財団・岡嵜修平常務理事

 16:45 東京財団・加藤秀樹会長

 18:00 モンゴル国会議員訪日団「歓迎レセプション」 挨拶
      於:ホテルニューオータニ


「ハンセン病制圧活動でインド訪問」 [2010年02月24日(Wed)]

回復者が立ち上がったナショナル・フォーラム

「ハンセン病制圧活動でインド訪問」


今回は南インド最大の都市・タミルナドゥ州のチェンナイでの活動。2ヶ所のハンセン病回復者のコロニー訪問と、インドのハンセン病回復者の全国組織であるナショナル・フォーラム南部地域会合に出席した。

安全上の問題もあり、食事は常にホテル。食べる物もだいたい同じである。インド料理はベジタリアンでも油が多く、体重増加には要注意である。朝の目玉焼きさえ油で揚げているような感じだ。ただ常にビュッフェスタイルなので、短時間での食事は、私にとっては誠に好ましいことである。

インドにはすばらしいビールがある。しかし、インド人はあまり飲まないせいか、どこの食堂でも日本人独特の食事前の「とりあえずビール」の注文にもなかなか出てこないのが通例で、待ちくたびれて、食事が始まるころにやっと出てくる。

グラスワインの表示があったので注文すると、一杯日本円で約500円でまあまあの味であった。ところが税金が58%つき、会計では800円。同行の田南立也の説明によると、ワインだけの特別税で、ビールには税はなかったという。ワインに怨みのある政治指導者がいるのかもしれない。

二日目の朝7時、朝食のため食堂に入ると、ボーイがグラスに水を入れるポットに直接口をつけて飲んでいる姿を目撃してしまった。こんなこともあるだろうと途上国慣れしている私はさほど驚かないが、客があちこちのテーブルに座り始めているのに卵焼きのコックだけはいない。ものの20分も待っただろうか。悠然として現れ無言で仕事をはじめた。時間にルーズなインドでは、これもそれほど驚くにはあたらない。

驚いたのは、この食堂の責任者と思われる男が、テーブルにアンケート用紙を置き、記入を求めた。同行の田南立也が開いてみると、いくつかのアンケート項目があり、評価は「普通、良い、優れている」の三段階だけで、良くないの欄もコメントの余白もないと笑いだした。さすがに温厚な田南も、アンケートへの記入を無視した。

話は変わるが、国際常識の一つに、如何にしてインド人の長広舌を封じ、日本人に長く喋らせるかが議長の腕の見せどころという。日本人は国際会議で良く眠る人がいるが、これは問題外。目を閉じて話を聞く癖のある人もいるが、これも貴男の話は無視しますと理解され、顰蹙の対象となる。

今回、インド人が滔々と喋る会議で、私のスピーチを短くせよとのメモが入った。スピーチをしながら「日本の評価も変わってきたのか」と、いつもインド人の長広舌に悩まされてきた腹いせに、嬉しくなって、メモを無視して思いの丈を喋らせてもらった。

次の会議もスピーチを短くせよといわれた。あるいは会議における日本人の評価は、私の知らないところで変わってきたのかもしれない。


(次回2月26日は、「ハンセン病 グルーパル・アピール」です)
2月23日(火) [2010年02月23日(Tue)]
2月23日(火)

 08:00 
  〜  「語り場」日本財団職員との対話
 10:00

 10:00 日本財団・執行理事会

 11:00 交流協会・畠中篤理事長

 13:00 競艇振興会・小高幹雄会長

 15:00 
  〜  日本歯科医師会「生きがいを支える国民歯科会議」
 17:30

 18:30 読売新聞社・渡邉恒雄主筆
2月22日(月) [2010年02月22日(Mon)]

ロシア自然科学アカデミー名誉会員証、ロシア正教会勲位を授与


2月22日(月)

 08:20 書類整理、決裁

 11:00 ベトナム・ドンナイ省教育養成大学 笹川奨学生

 12:00 公益・ボランティア支援グループ(福祉担当)職員と昼食

 13:00 渡辺秀央・参議院議員

 14:00 モンゴル国会議員訪日団・山岡賢次民主党国会対策委員長訪問
      於:国会対策委員長室

 15:00 ロシア自然科学アカデミー名誉会員証、
      及びロシア正教会・総主教勲位授与式
      於:駐日ロシア大使館
「日中歴史共同研究と曲学阿世」 [2010年02月22日(Mon)]

民間レベルで取り組んだ共同研究(2006年5月発行)

「日中歴史共同研究と曲学阿世」


2006年10月、安倍晋三首相が訪中し、胡錦濤国家主席に日中間の歴史共同研究を提案、基本合意を得た。日中の歴史問題を学者に委ね、共同認識を持つことが狙いであった。

しかし、この提案は失敗だった。発端が政治主導である上に、相手は学問や表現の自由が著しく制限されている中国である。共同研究は政治と切り離せない関係になってしまった。

議論は、研究の継続を確認した2008年5月の胡錦濤国家主席の訪日までは順調であった。しかしその後、中国側は一般国民への影響などを理由に、討議要旨に続いて論文全ての非公表を求める事態に陥った。この中には中国の一般市民が知らないこと、知らされていないことが多々あり、「表に出せば問題が起きかねず、中国政府が恐れて待ったをかけたのだろう」(2月2日 朝日新聞)。

この共同研究の成果?は、公表が一年以上も遅れた。その上、日本での大々的な報道に比べ、中国ではベタ記事扱いだった。

私はこの報道を読んだ時、『曲学阿世』なる言葉を思い出した。

かつて吉田茂首相は、サンフランシスコ平和条約の調印について、「永世中立とか全面講和は、現下の情勢では到底行い得ない。それなのに全面講和を主張する南原繁東大総長の言葉は『曲学阿世』の徒に他ならない」と発言した。

名指しされた南原繁総長は「学問の冒涜、学者に対する権力弾圧」と反論。『曲学阿世』なる言葉は広く国民の知るところとなった。

本来学問は、国家や権力に阿るものではない。政府に任命された今回の委員である学者は、任命された時点ですでに何らかの制約を受けおり、学問的良識に基づいた主張をなし得なかったことは、報道により明らかである。

歴史上、学問の真理探究と研究成果の発表のために獄に入牢した人々は、世界に数多く存在した。日中歴史共同研究においても、学問的良識のある学者なら妥協せずに即刻委員を辞退すべきであった。

報道によれば、共同研究は更に続くという。日本の学者はいつから政治家擬いになったのだろうか。

ちなみに我々は、2001年から「日中若手歴史研究者会議」をスタートさせた。時の政府に係わりのない、民間によるプロジェクトであった。比較的若い世代の研究者を中心にした緩やかな研究会組織であったが、「和やかな理性的な対話が可能であることを知ったのは貴重な経験であった」と、参加した日本人学者が述懐していたのが印象的である。政府間の「日中歴史共同研究」発表の4年前であった。

研究討議の内容は、2006年5月、「国境を超える歴史認識」として、東大出版と中国社会科学院出版社から同時出版されている。ご興味の向きは今回の「日中歴史共同研究」と読み比べされことをお勧めする。


*曲学阿世(きょくがくあせい)
「真理を曲げて世間の気に入るような説を唱えること」
出典;史記(儒林列伝)

前漢の最盛期を築いた武帝は、即位と同時に天下に広く人材を求め、詩人として名声のあった 轅固生(えんこせい)を登用した。彼が同郷の公孫弘(こうそんこう)という若い学者に言った。

「今、学問の道が乱れ、俗説が流行している。どうかしっかり勉強し、自分が正しいと思うことを言いなさい。決して自己の信ずる学説を曲げ、世間に阿らないように」という言葉が成語の由来です。


(次回2月24日は、「ハンセン病制圧活動でインド訪問」です)
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