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B&G全国指導者会 設立総会 [2010年01月31日(Sun)]



B&G全国指導者会 設立総会
挨拶(要旨)


2010年1月16日
於:笹川記念会館


本日は全国のB&G地域海洋センターから600人を超える指導者の皆さまにお集まりいただきました。B&G財団を中心に指導者によるネットワークが構築されることは大変嬉しいことです。

冒頭のVTRで紹介されたB&G財団の活動、大変懐かしく拝見いたしました。全国各地に480カ所の地域海洋センターを設置してきましたが、候補地を紹介するビデオを見ながら、議論を重ねながら決定したことがつい最近のように思い出されます。

施設を建てることは資金さえあればできることで、さほど難しいことではありませんでした。しかし、施設を最大限に活用していただくためには魂を入れ込むことが必要で、そのことに思いを馳せたとき、子どもたちを指導して下さる指導者の養成が重要だということに気づきました。この指導者養成に尽力されたB&G財団の皆さまには心から敬意を表したいと思います。

全国の地域海洋センターが所在の市長、町長、あるいは教育長の皆さまとの連携が図られ、B&G財団を中心とした全国的な絆が生まれつつあります。さらに今回、B&G全国指導者会が設立され、皆さまのような若い指導者にネットワークを形成していただけることは何よりも嬉しいことです。

私は明日からネパールとインドの僻地に出かけます。日本財団は、アフリカで食糧増産のための技術指導や発展途上国における公衆衛生の改善、あるいは次代を担う人材の養成に取り組んでいます。そのような中で、私は海外の活動ばかりに気を取られ、肝心な日本への取り組みが欠落しているのではないかと、若干反省しております。

古き良き日本の家庭、あるいはコミュニティを中心とした人々との絆というものが喪失しつつある今日において、最も重要なことは人々の絆を再構築していく作業だと思います。これまでの高齢者や障害者施設は入所者に快適な空間を提供しようと、郊外に大規模な施設が作られてきました。

その結果、街中を見回すと介護が必要な高齢者や身体が不自由な人たちを目にすることが少なくなったように感じます。社会を構成する人の中には高齢者や身体の不自由な人もいるのです。日本財団は大きな施設による福祉政策を改め、健康な人と身体の不自由な人が共に助け合える社会づくりを課題に取り組んでいます。

しかし何よりも大切なことは子どもに対する教育であり、さらには家庭やコミュニティにおける躾教育が重要になってきます。B&G財団が設立された36年前頃から偏重した教育の実態が指摘され、知育は当然として、徳育、そして体育の重要性が求められるようになりました。これらに取り組んできたB&G財団の仕事に対する先見性は、今後においても評価されるものと思います。

さて、現代の世の中を眺めますと、政治が悪い、経済が悪い、あるいは官僚制度が良くない等、自分の行動は棚に上げ、人の批判ばかりが目立ちます。そして批判することで国が良くなるとでも思っているかのような錯覚を起こしているように感じます。

民主主義では議論も重要です。しかし、それ以上に一歩でも半歩でも前に出る行動力が必要であり、その結果として社会の変革が望めるのです。いつの時代も社会を変えていくのは皆さまのような若い情熱をもった方々です。

日々の新聞、あるいはテレビの報道ではセンセーショナルな出来事のみが報道されていますが、地道に健全な子どもたちの育成に励み、新しい日本国を築く礎になろうとしている方々がB&G財団に1万7千人もいるというのは、日本国の将来にとって素晴らしいことですし、私は悲観することはないと思います。

好奇心に溢れる子どもたちには時として怖い先生や厳しい先生が必要であり、その指導には愛情が溢れているからこそ、子どもたちが成長した時に素晴らしい先生に出会えたと思うことができるのです。子ども時代に受けた教育、指導、躾というものは人生を通して持ち続けていくものです。皆さまからご指導いただいた子どもたちの人生を考えると、非常に限られた子供たちかもしれませんが、心豊かな将来が期待できるものと確信いたします。

日本の教育や躾は、往々にして駄目だ駄目だと子どもを追い込んでいるような気がいたします。どの子にも優れた点があります。皆さまのような指導者や学校の教諭が子どもたちの優れた点を見つけ出し、それを褒めることで子どもたちは勇気づけられるのです。

皆さまの活動の中で私が描いていることは3つあります。一つは溢れるような情熱を持って子どもたちと接していただきたいということ。2つ目は辛いことに対しても耐え凌ぐ精神力、すなわち忍耐力を持っていただきたいと思います。

そして最後にそれらを持ち続け、行動し続ける継続性をお願いします。溢れる情熱、耐え凌ぐ忍耐力、そして必ず成果を挙げてみせるという継続性という3つは、私の人生の指針にもなっていますので、皆さまにもご参考になると思い紹介させていただきました。

皆さまのネットワーク、そして人との絆がある限り、日本の将来に悲観することはありません。日本では受験勉強ばかりで、子どもたちは大学に入るまでは一生懸命勉強しますが、将来の姿が描けていません。そのため大学生になり将来何になるのか、どこに就職するのかというようなことで困惑するのです。

指導者の皆さまが心を一つにし、愛情を持って子どもたちの指導にあたり、人間社会で最も重要な絆、互いに助け合う気持ち、すなわち惻隠の情を育んでいただきたいと思います。
今日お集まりの皆さまとB&G財団との絆、それを通じた地域社会との絆、さらには日本人としての絆を築いていただき、明るく、そして希望に溢れた日本国をつくるためにご努力賜りますよう、心からお願い申し上げます。


阪神・淡路大震災から15年 [2010年01月30日(Sat)]



神戸新聞
2010年1月15日


阪神・淡路大震災から15年
「支え合う社会」実現のために


日本財団 笹川陽平会長に聞く


一人ひとりが行動起こそう


脱「官依存」民がリードを 
「ボランティア元年」といわれた阪神・淡路大震災から1月17日で15年を迎える。この間、ボランティア活動のすそ野は広がり、特定非営利活動促進法(NPO法)などの制度づくりも進んだ。しかし、支え合いを基盤とする真の市民社会の実現には、まだ課題も多い。国内のボランティア支援にとどまらず、ハンセン病制圧活動などで世界各国を飛び回る日本財団の笹川陽平会長に、互いが支え合う市民社会構築への展望を聞いた。

▼被災地支援の仕組み構築を
―日本財団は、阪神・淡路大震災の被災地で多様な支援活動を展開しましたね。

「地震の翌日、兵庫県に3億円を送り、日本財団をはじめとする競艇関係団体で特別競走を実施して約71億円を届けました。私自身も現地に入り、支援資金が素早く使われるよう動きました。亡くなった方々を搬送する車の確保、被災地を元気づける『神戸ルミナリエ』などさまざまな事業に資金が使われました」

―被災地のボランティア活動を見て感じたことは。

「日本財団は大阪ボランティア協会と組み、全国から集まったボランティアの受け付け、活動の調整役を担いました。ボランティア活動をスムーズに進めるには、体一つでやって来た人々を調整する機能、いわば“振付師”の役割が必要です。大阪ボランティア協会にはそうした仕事の実績がありました」

―震災翌年には、被災地のボランティア団体やまちづくり組織に活動資金を助成する「阪神・淡路コミュニティ基金」を設立。8億円を3年間で使い切るという大胆な支援でした。

「本当の意味のボランティアを根付かせるために必要でした。100万円未満の事業は書類審査だけで助成するなど、スピーディーな対応を重視しました。資金を配るのに時間がかかってはいけない。お金を100%完璧(かんぺき)に生きて使うことにこだわりすぎると、できることもできなくなる。役所の場合は物事を公平に、かつ慎重に処理しなければならないので時間がかかってしまいます」

―その後も、日本財団は多くの災害被災地を支援していますね。

「災害が起きれば、できるだけ早くスタッフが現地に入るようにしています。しかし、私たちがいまだにできないことは、被災地のために寄付を集め、素早く配り、さらに寄付者への説明責任を果たすという一連の仕組みをつくることです。そうしたシステムを構築することが必要ですが、その力がまだありません」

▼隠れた問題を探し出し活動
―日本財団として今後、さらに力を入れていきたい活動は。

「世の中の人に見えていない部分での活動ですね。例えば、里親の支援。行政は親と暮らせない子どものために施設を造り、そこで面倒を見ますが、18歳になったとたんに放り出してしまう。家庭的な雰囲気の中で暮らせる里親制度を支えるため、日本財団は里親の住宅の改造費に助成金を出しています。

耳の不自由な子どもたちのため、手話で授業をする学校も支援しています。日本は読唇術を重視しますが、手話は立派な言語です。世界には手話を国の言葉として認めている国もある。そうした部分が日本は大変遅れています。自死遺族、犯罪被害者の組織支援もそうですが、行政の支援が行き届かない問題は社会に数多くあります。それを懸命に探しています」

▼共に暮らせる街を目指して
―障害者支援は特に重視しておられるようですね。

「歴史的な街並み保存のために家屋の改造を支援し、合わせてその場所で障害者の描いた絵を飾ったり、障害者が働く場として活用したりしています。例えば、パン屋さんや喫茶店。障害者の働く場づくりと、歴史的建造物の保存を組み合わせてやっています。精神障害者の芸術作品展をパリで行うことも計画しています。

高齢者や障害者が郊外の施設で離れて暮らすのでなく、だれもが街の中でともに暮らすのが『コミュニティー』です。何億円もかけて郊外に老人ホームを造るのでなく、少人数で暮らせる場を街の中に造る。そこでは、助け合いの精神も自然に生まれてくる。そんなコミュニティーを取り戻したい。日本人には潜在的な助け合いの精神があります。その基本は失われていない。地震が起きれば、1000億円以上もの義援金が集まるのですから」

▼「資金集め」の重要性認識を
―国がまちづくりの思想をもっとしっかり持たねばなりませんね。

「いや、何でも国がやるという発想は違うと思います。国にはノウハウはない。官に依存せず、私たちがやることで、血の通ったものになるのではないでしょうか。民がリードし、国がそれを学ぶ。それが市民社会だと思います。私たちは、老人ホームに個室などなかった時代から、個室のホームの建設を支援してきました。全国から見学が殺到し、今、個室は当たり前になってきています」

―しかし、民の活動は常に資金不足の問題に直面しているようです。

「私が思うのは、日本の団体はもっと必死になって資金集めをしなければならないということ。『自分たちはいい仕事をしている。だから行政が資金を支援すべき』という考えではなく、『いい仕事をするために資金を集める』という意識を持たなければなりません。NPOのリーダーの仕事は7〜8割が資金集めです。私は1000円の寄付にも礼状を出しています。資金を出してくれる人は、大切なサポーターだということを忘れてはいけません」

―日本のNPOの意識は変わっていくと思いますか。

「変えなきゃいけない。あきらめちゃいけない。まずは市民1人1人が行動することです。週休2日なら、1日は家族のため、1日は社会のために使ってもいいと思います。自分たちの社会なのですから」

―1月17日は「防災とボランティアの日」。防災分野で進めていこうとしている活動はありますか。

「防災のための植樹を進めようとしています。山間部ではなく、都市部に木を植える活動です。広い空間さえあれば、災害時の避難場所になると思われがちですが、関東大震災ではそうした場所で多くの焼死者がでました。命が守られたのは、常緑広葉樹がある場所です。葉が厚く、水分を多く含む樹木があった空間です。そうした木を小学校の周囲に『防災林』として植える運動を始めています。ぜひ神戸でも広めてほしい。神戸がモデル都市になり、日本全国に伝えてほしいですね」

1月29日(金) [2010年01月29日(Fri)]

1月29日(金)

 10:00 ブルーシー・アンド・グリーンランド財団 梶田功会長

 11:00 海洋政策研究財団・工藤栄介顧問

 11:10 社会貢献支援財団・日下公人会長

 12:00 笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長

 14:00 日本海事科学振興財団・森田文憲理事長

 14:30 渡辺秀央・参議院議員

 15:00
  〜  政治評論家・久保紘之氏との対談
 16:30

 18:00 朝日新聞社・秋山耿太郎社長



「聾者(ろう者)と手話」その3 [2010年01月29日(Fri)]


絵を使ってわかりやすく紹介


「聾者(ろう者)と手話」その3
〜手話の表現方法〜


日本語対応手話は、文字通り音声日本語を遂語的に「変換」しているもので、本来聾者が使用している「日本手話」とは異なる。日本手話は聾者の間で自然発生的に生まれたもので、日本語とは文法も異なる。手の動きや形だけでなく、顔の表情やあごの動きまでもが文法的な機能を持っている。

例えば、「食べる」を手と指で表現した一語に様々な表情が伴うと、「食べる」の後に軽くうなずくと「食べます」

あごを引き、眉を上げ、相手の目を見て静止すると「食べる?」

あごを軽く出して戻すと「食べなさい」

目をつむり、軽く首を横に振ると「食べません」

ゆっくりと軽いうなずきを何度かくり返すと「食べるだろう」
になる。

名前こそ「手話」だが、実際は「手と顔」の言語である。

人差し指一本と顔を使って「不思議、私、ウソ、音、思う、ドイツ、もう一度、スムーズ」と8つの言葉になる。不思議(人差し指で顎を指す)なことだ。

言語学的にはあまり意味はなく、聾者の間で自然発生的に完成され、地方の方言もあるようである。

片手で「あいうえお」48文字の指文字もある。あまり知られていない地名や人名に使われる。モスクワ、ガーナ、トンガなどの地名。オバマ、リンカーン、クリントンのような人名に使われている。

さて、問題なのは、日本手話と日本語対応手話の違いである。

「日本手話」は独自の文法を持つ音声を伴わない手話で、指だけでなく、顔の様々な部分や手の位置などで言葉を表現する。

「日本語対応手話」は、音声日本語と同じ文法を用いる。時には「てにをは」などの助詞を一つひとつ表現することもある。

例えば、「私はりんごを食べる」の日本手話では「私」「食べる」「りんご」となるが、日本語対応手話では「私」「は」「りんご」「を」「食べる」となる。

したがって、聴者が手話を学ぶ場合、日本手話の方が望ましい。ただ、手話通訳士として認定を受けるには、日本手話と日本語対応手話の両方を理解しなければならない。今は聾者の中にも日本語対応手話を使う人も多く、通訳者は両方を習得することが望ましいとのことのようだ。

参考図書:「手話の世界を訪ねよう」
     亀井伸孝・著、岩波ジュニア新書

なお、著者の亀井氏は、日本財団の姉妹財団である日本科学協会の研究助成を二度受けておられる。

2004年:「フランス語圏西アフリカにおけるろう者と手話に関する言語人類学的研究」
2008年:「フランス語圏西アフリカにおけるクレオールアメリカ手話の記述的研究」

1月28日(木) [2010年01月28日(Thu)]



1月28日(木)

 10:00 公益コミュニティサイトCANPAN・勉強会

 11:00 日本財団・執行理事会

 12:00 中国人民対外友好協会・李小林副会長

 13:30 笹川記念保健協力財団・山口和子理事

 14:15 競艇振興会・小高幹雄会長

 15:00 B&G全国サミット 
     特別基調講演「元気を出そう日本人」 於:笹川記念会館

 16:15 競艇振興会・小高幹夫会長

 18:30 正木蒸司邸

1月27日(水) [2010年01月27日(Wed)]



1月27日(水)

 08:40 成田着

 10:00 日本財団へ直行

 12:00 笹川日中友好基金・于展室長

 13:30 笹川杯日本知識クイズ大会・作文コンクール2009訪日団

 14:30 人民中国雑誌社・インタビュー

 16:00 海洋政策研究財団・秋山昌廣会長

 18:00 東北新社・植村伴次郎最高顧問

「聾者(ろう者)と手話」その2 [2010年01月27日(Wed)]


ギャローデッド大学を卒業の笹川奨学生


「聾者(ろう者)と手話」その2
〜聾者の悲劇〜


聾者の意思伝達には二つの方法がある。

「口話法(読唇術)」。これは“発声”と共に相手の口の動きを読み取ることで健常者との意思疎通ができると考えられた方法である。もう一つは「手話」である。

手話はゼスチャーのように体で表現するものではなく、2006年、国連障害者権利条約で「手話は言語である」と明記された独立した「言語」である。世界の言語6912種類の内の手話言語は121言語で、これ以外にも、まだ名前のない手話言語もあるという。したがって「日本手話」は日本語とは異なる独立した言語である。

聾者にとっての悲劇は1880年に遡る。この年、イタリアのミラノで開催された第2回聾教育国際会議(ミラノ会議)で「口話法(読唇術)は手話より優れている」との決議が採択された。この決定に悪意があったわけではないが、問題は聾者に何の相談もなく、聴者によって決定されたことである。

口話法は障害者である聾者を教育し、聴者と意思の疎通をさせようとしたものであるが、現在の世界の動きは全く逆で、聴者が手話を使用して聾者との意思疎通を図る方向にある。

日本では1933年、鳩山由紀夫の祖父である鳩山一郎(元首相)が文部大臣時代、聾教育は口話法となり、聾者の悲劇が始まった。先生の口だけを見て内容を確認することは至難のことであり、聾者を教育して聴者の社会に同化させる教育方針は、長く聾者を苦しめてきた。

現在、聴者の大学、短大への進学率は51%、聾者はたった16%に留まることを見ても、口話法が如何に聾者の教育を困難なものにしてきたかがわかる。聾者は人口1000人に1人の割合だといい、日本には約11万人強の聾者が存在することになる。

フィンランドやウガンダは、手話を国の公用語として憲法に明記しており、スウェーデン、ニュージーランドも公用語として法律に規定されている。

日本でも最近になってようやく、現場の教師の中にも口話法による教育の限界を感じ始めた人が現れてきた。

昨年11月25日、名古屋地方裁判所において、はじめて手話を言語とする被害者への画期的判決があり、26日付けの朝日新聞には、以下の記事が掲載された。

『交通事故の後遺症で手話を使っている手が動かしづらくなったのは、健常者の言語障害にあたるとして、聴覚障害がある60代の主婦が、事故の相手に2622万円の損害賠償を求めていた訴訟の判決が25日、名古屋地裁であった。徳永幸蔵裁判官は「手話は健常者の口話に相当し、後遺障害で手話に影響がおよんだ場合、後遺障害と扱うのが相当」として、1221万円の支払いを命じた』とあった。聾者への理解の第一歩である。

しかし、日本における聾者の立場はあまりにも弱い。
この分野での活動も日本財団の責務の一つである。

1月26日(火) [2010年01月26日(Tue)]


ハヌマン・ナガール ハンセン病コロニー視察


1月26日(火)

 08:00 ホテル発

 09:50 ハヌマン・ナガール ハンセン病コロニー訪問

 11:40 ムルンディ ハンセン病コロニー訪問

 14:00 ホテル着

 14:20 関係者昼食

 18:00 ホテル発

 23:00 ムンバイ発(空港待機3時間)

1月25日(月) [2010年01月25日(Mon)]


グローバル・アピール式典


1月25日(月)

 08:00 笹川平和財団 羽生次郎会長朝食

 10:00 ホテル発

 11:00 ナショナル・フォーラム関係強化ワークショップ

 13:30 BBC放送・India Radio 収録

 14:40 ホテル着 関係者と昼食

 15:30 メディア個別インタビュー(順次:Times of India, Hindustan Times, Free Press Journal, Indian Express, The Week )

 17:00 サイアム・セメント カン・トラクルホン会長
 
 18:00 記者会見

 19:00 グローバル・アピール2010式典

 19:40 レセプション

 20:40 日本経済新聞・インタビュー

 21:20 ノーディーン博士夕食

「聾者(ろう者)と手話」その1 [2010年01月25日(Mon)]


各国言語に対応した教材


「聾者(ろう者)と手話」その1
〜辞書と教材〜


日本財団は、社会の片隅で目が届きにくいが重要な問題に関して手を差し伸べ、問題提起を行ってきた。フィリピン日系二世の国籍取得問題、犯罪被害者の会への支援と全国組織化、自死遺族の全国組織の設置は、法律の整備の一助になったと、若干の自負もある。

聾者の問題もしかりで、日本の教育環境は欧米に比べはるかに劣り、東南アジアにおいては無きに等しい。日本財団は聾者に対する教育問題に積極的に取り組んで久しい。

アメリカやヨーロッパの聾者の教育環境は進んでいる。アメリカでは大学教育の環境もよく整備されており、聾学生に同行して手話通訳やノ−トをとってくれる同伴者が待機している大学も多い。クリントン大統領の就任式に招待された折も、至る所で手話通訳が目についた。

日本では、ようやく国立筑波技術大学に大学院修士課程が設置された。また、明晴学園に、日本で唯一の手話を第一言語にする中学校が、小学校に続き設置されることになっただけである。

話は前後してしまうが、取り組み順に話を進めさせていただく。

世界的に有名な聾者の大学・ワシントンD.C.にある人文社会科学系のギャローデット大学では500万米ドルの資金のもと156名の卒業生、ニューヨーク州ロチェスター工科大学では200万米ドル資金ものと29名の卒業生が笹川奨学金を受け、既に世界で活躍している。

我々の願いは、それぞれの出身国に戻り、聾教育の指導者や社会的に評価される専門知識によって、聾者の一般社会での理解促進の礎になって欲しいということである。

次に手がけたのは手話辞書と手話教材の開発で、香港中文大学において2002年から始まり今年で7年目。専門家の養成を含め300万米ドルの費用をかけた事業はまだ進行途中であるが、大半は聾者に手話言語学や辞書編集技術を学んでもらうための人材育成費である。

進行途中ではあるが、現在のところ、下記の成果を得た。

国別    手話辞書    手話教材 
香港    2800語収集  2800語 
ベトナム  1600語収集  530語 
カンボジア 650語収集  650語 
フィリピン 1046語収集   

その他にアジア・サインバンクとして、アジア太平洋各国の手話をインターネット辞書として開発中であり、インドネシア、スリランカについても手話辞書の作成に着手した。

手話辞書は、ホーチミン手話(ヴェトナムの主に南部地域)を例にとると、まず言葉を収集して絵に画き、ホーチミン手話⇔ベトナム語、ホーチミン手話⇔英語の辞書とする。

各国語の辞書には、将来のために英語への変換も加えているので、時間と経費がかかることになるが、これらが完成すれば、いまだ聾者にとって無理解の世界であった東南アジアにおいて、福音になることは間違いない。

「継続と忍耐」は我々のモットーである。

以上、知ったか振りをして「手話の辞書と教材」について述べたが、日本財団・横内陽子に質問したところ、下記の回答を得た。

「手話辞書と教材」作成のバックグラウンドはアジア太平洋地域の聾者の社会進出が進んでいないのは、聾教育が手話ではなく口話法(読唇術)を偏重しているのが理由の一因であるが、昨今、彼らの第一言語である手話を使った教育の重要性が認識され始めている。

しかし、手話を用いた教育をしようにも手話を使える教師や手話通訳が圧倒的に不足している。彼らを養成するには実用的で信頼できる手話辞書や教材が必要だが、ほとんどの地域では存在せず、存在していても聴者が作成しているので間違いが多く語彙数も少ない。

本事業の特徴は、手話を第一言語とする聾当事者が手話言語学の知識を得、これらの辞書や教材開発を行うことにある。彼らをアジアで唯一の手話言語学センターのある香港中文大学に集め、手話分析や辞書・教材開発に関する研修を実施している。

研修終了後は自国に帰り、手話を使った教育や手話通訳の養成に携わっていただく予定。聴者の言語学研究者・大学・聾協会とも協働体制を作り、活動しやすい環境作りも行っている。

Q1:誰が手話辞書や教材を使うのか?

学校の教師や手話通訳者が主な使用者。
教師・・・手話を使った一般教育を実施するため。
手話通訳・・・社会進出した聾者と聴者との間でコミュニケーションを図るため。

Q2:手話辞書や教材を作成し、手話言語学の人材を育成する意味。

アジア太平洋地域には、実用的かつ信頼のおける手話辞書や教材がこれまで存在しなかったために、手話を使える教師や手話通訳を育成することができなかった。結果、聾教育が遅れる→聾者の社会進出が遅れる→社会側の聾者への理解が深まらない・・・の悪循環に。

手話辞書や教材があれば、聾教育に携わる人材が育つ→聾当事者の教育レベルが向上する→聾者の社会進出が進む→同時に手話通訳者が必要となってくるが、手話辞書や教材があれば彼らも育つ→さらに社会進出が進む、の良い循環を生める。
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