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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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12月25日(金) [2009年12月25日(Fri)]
12月25日(金)

 08:30 書類整理、決裁

 09:10 プライムコーポレーション・武部恭枝代表取締役

 10:00 串本町・田嶋勝正町長

 10:30 海上保安庁・鈴木久泰長官

 11:20 岡崎久彦・元タイ大使

 12:00 日本禁煙学会・作田学理事長

 14:50 日本モーターボート競走会・皆川浩二会長

 15:00 内閣官房総合海洋政策本部・井出憲文事務局長

 17:00 報謝祭

 18:00 日本財団ビル・納会
キューバ・日本外交関係樹立80周年記念 [2009年12月25日(Fri)]


キューバ・日本外交関係樹立80周年記念
スピーチ(要旨)


2009年12月14日
日本財団ビル2階


私はキューバという国に親近感を持っている日本人の一人だと思います。

1998年、世界保健機関(WHO)50周年記念総会で私は当時のフィデル・カストロ国家評議会議長とともにWHOの最高賞であるヘルス・フォー・オール金賞を受賞しました。そのときにカストロ議長とは親しくお話させていただいたことを覚えています。

カストロ議長はWHOの創設に大きなご尽力があっての受賞となったわけですが、キューバは医療のあり方、あるいは医療分野における人材の養成に対しては経済的に困難な状況下においても最重要課題として取り組んでこられました。アフリカ諸国や東チモールの多くの人がキューバで医学を勉強しております。キューバの国際社会における医療分野での協力は高く評価しなければならないと思います。

私はハンセン病の制圧のために世界を駆け回っています。キューバにも行きましたが、ハンセン病の特効薬は辺境のヘルスセンターにも配備されていることを確認してきました。

またキューバの革命家であり、カストロ議長と共に闘った医師でもあったチェ・ゲバラは若い頃にハンセン病の治療もしていたようです。

チェ・ゲバラの著作をもとに映画化された「モーターサイクル・ダイアリーズ」では、チェ・ゲバラが川を渡りハンセン病の村に入るという感動的な場面が映し出されていました。私はチェ・ゲバラが颯爽とオートバイに乗って旅する姿を見て閃きました。そうだハンセン病の制圧はオートバイだ。前輪は病気の制圧、後輪は患者・回復者への差別撤廃運動だと思いました。

私はハンセン病の仕事を長く続けています。昨年6月、私がかねてより国連人権理事会に働きかけてきたハンセン病の患者、回復者、その家族に対する差別を撤廃する決議案を日本政府が提出、議決されました。

その過程で私はジュネーブで発言力のある大使の一人であるキューバのパラシオス大使を訪問し、ハンセン病問題の実情について縷々説明を申し上げたところ、目を潤ませ私たちの提案に協力して下さると約束し、キューバは日本政府提案の共同提案国になったのです。

人権問題で59カ国が共同提案国となり、1カ国の反対もない決議案というのは例のないことでした。エイズの問題でも反対した国があったくらい、人権問題では全会一致はあり得ないことですが、そのような中でキューバのパラシオス大使は大変大きな力を発揮され、大いに感謝しております。

笹川平和財団はキューバとの関係を民間レベルでより幅広く、そして力強い関係にしようと考えております。私も心から賛意を表しますとともに、微力ながら協力したいと思っています。
本日はホセ・フェルナンデス大使閣下からお話しを伺う機会を得ましたことを参加者の皆さまとともに感謝申し上げます。
冬季賞与・挨拶 [2009年12月25日(Fri)]


冬季賞与・挨拶


2009年12月10日
日本財団ビル2階


世の中の情勢を考えますと、賞与が支給できるというのは大変有難いことです。

常々皆さんに伝えていることですが、私は日本財団を明るい職場にしたいと思っています。
先ずは大きな声で挨拶をすることです。朝や帰り、またはエレベーターでも大きな声で挨拶し「明るい職場だな、元気があるな」と思われるように一人ひとりが率先して実行してほしいと思います。

私たちはさらに仕事を発展させようと日々努力しているわけですが、出勤し、何となく一日が過ぎたとか、ルーチンワークで仕事が終わるというのではなく、大いに勉強をしていただきたいと思います。

私たちの仕事は、モノを作ったり、売ったりする仕事ではありません。私たちの仕事の相手は人間です。そのため、幅広い知識や教養が求められ、そのような素養を備えて仕事をすることが肝要になってきます。

多くの感動を呼び、賛同を得ることで日本財団の信頼を勝ち得ていくことが私たちの仕事になってきているわけです。また限られた資金の活用については、最大の効果を発揮するにはどのようにすべきか常に真剣に考えていかなければなりません。

語り場では若い職員から様々な面白いアイデアが提案されております。日本財団は議論だけでなく、行動できる組織です。中には危なげな提案もありますが、先ずは実行いただきたいと思っています。

そして、たとえ望み通りにいかなくても、その失敗から大きな教訓を得ることが大事なのです。また規則の範囲内で仕事をすれば良いということではありません。規則は仕事を上手く実行するための基準であり、規則が実行と合致しなければ規則を変えることです。

私は人間の知恵は無限であると考えています。今年は3連休や5連休が多くありました。世界で最も休暇が多いのは日本かもしれません。私は休暇に反対しているわけではありませんが、休暇の時には心静かに本を紐解く、あるいは次のステップのことを考える時間も作ってほしいものです。

365日、24時間、頭の中でアイデアを発酵させなければ、知恵は出てきません。例えば、プロスポーツ選手、あるいは芸能人は日々、血の滲むような努力を積み重ね、それが成果として人々に感動を与えているのです。私たちもプロ意識を持ち、職場だけでなく大いに勉強し、知恵を絞り、世の中から「日本財団は社会の一歩先を行く」と評価されるようなプログラムを展開していくことが大切です。

知恵を出す習慣、モノを考える習慣を身に付けていただくことで、100人足らずの組織ではありますが、その成果は2倍にも3倍にも、あるいは10倍にもなる可能性があると思っています。
いきいきとした組織として日本財団がこれからの日本の社会のリードオフマンとしての役割を果たしていくことを願っています。
「今年最後のブログ」 [2009年12月25日(Fri)]

飛行機待ちはブログ原稿の執筆時間になりました。


「今年最後のブログ」
―年末ご挨拶―


今年もまた一年があっという間であった。

一年間という感覚を車のスピードでいえば、10代は時速10km、40代は40kmのスピードであるという。今年古稀の私は時速70kmということで、一年間が早いのは当然かもしれない。

今年も20回の海外出張。ヨーロッパ、アフリカ、中近東、アジア、アメリカと、21ヶ国109日間の活動となった。

幸い健康に恵まれ、日本財団、東京財団、笹川平和財団、海洋政策研究財団、笹川記念保健協力財団の職員の献身的なサポートを得て予定通りの目的は達成されたと思うが、アフリカとインドのハンセン病制圧にもう少し時間を費やすことが出来たらよかったとは、個人的な感想である。

「人間らしく生きてほしいから」(海竜社 1500円)、「若者よ、世界に翔け!」(PHP 1300円)が出版された。新年早々には「世界のハンセン病との闘い―不可能を可能に」(明石書店 価格未定)も出版予定である。

拙いブログも多くの読者の激励に支えられて4年が経過。読者ものべ140万人以上が訪問してくださり、私の心の大きな支えとなった。心よりお礼を申し上げたい。

重ねて一年間のご支援に感謝の誠を捧げ、皆様にとってよき新年を迎えられますことを祈念致します。

来年は1月5日より開始します。



ハンセン病の制圧まで残すところ、東チモール、ブラジルの2カ国



「たばこ1箱1000円」を標語に国民的な運動を目指します。



浜名湖競艇場で福祉車両の贈呈式。2万5千台が活躍しています。



ミャンマー僻地ではトラクターに乗って視察しました。
12月24日(木) [2009年12月24日(Thu)]
12月24日(木)

 08:20 書類整理、決裁

 09:30 世界海事大学(WMU)笹川奨学生・岡本泰宏氏(海上保安庁海賊対策室)

 10:20  日本モーターボート選手会・福永達夫会長

 10:30 丸亀市・新井哲二市長

 12:00 国際協力グループ職員と昼食

 13:30 
〜  職員採用最終面接
 15:30

 15:45 笹川日中友好基金・胡一平主任研究員
「日本財団・事業評価報告会」 [2009年12月23日(Wed)]

監査グループが中心となり報告会を開催


「日本財団・事業評価報告会」


“公益法人は行った事業の評価を行え”との議論が激しい時期があった。しかし、評価とはどのようなものなのか。又、財政事情の厳しい公益法人にそれが可能かもわからず、理想論だけが展開されてきた。

日本財団ではこのような議論が盛り上がるはるか以前より、日本で唯一だった評価会社リサーチ・アンド・ディベロップメント社に依頼し、評価を行ってきた。1件200〜300万円は必要なので年間10社程度ではあるが、事業遂行上有益な助言を得ている。

財団の監査部においても、会計監査のみならず事業評価も行いたいとの雰囲気が盛り上がり、自主的に研究を続け、事業実施部隊との間にファイアー・ウォール(障壁)を設け、評価が行われるようになった。

恐らく世界に何百万とある公益法人の中で、日本財団の評価体制は世界一であろうと自負している。

下記は私の講評です。


2009年11月30日
日本財団ビル8階


R&D社のご指導を賜りながら、監査グループの職員が勉強し、徐々にではありますが事業評価を開始しました。世界の財団の中で自ら事業を評価できる組織はなく、私たちにとっては新たな挑戦といえます。

事業評価は、事業担当者の考えていたことと実際の評価との乖離を示し、あるいは評価を受けての今後の対処など、事業を進める上で有効に作用するものと思います。

今回は9事業のうち専門的な立場からR&G社に5事業を評価いただきました。高く評価いただいた事業と指摘の多い事業の二通りに分かれましたが、先ずは、この評価についてさらに検証し、評価対象の組織に日本財団の立場から伝え、改善すべきことは改善していきたいと思います。

私たちは、常に小さな資金で大きな成果を生むにはどうしたらよいかを考える必要がありますし、最終的には私たちの活動が国の政策レベルまで膨らむことも考えなければいけません。

例えば、ベトナムの聾者を対象に高等教育支援のための奨学金を支給してきましたが、この活動はベトナムの障害者基本法の成立を目指した動きにまで広がりを見せています。またミャンマーで実施の伝統医薬品配布事業は、私たちの活動をきっかけに今では国の政策として実現しています。

世の中が複雑化してきた現在、物事を縦だけでなく横から考えることも重要になってきます。日本の海に関する政策は複数の省庁に跨り、どこも主導的に取り組んできませんでした。私たちは民間の立場から海洋基本法の制定に参加し、この取り組みは首相を本部長とする総合海洋政策本部を官邸に設置するに至りました。

これは画期的なことであります。現在は民の立場から法律の制定まで影響力を行使することも場合によっては可能ということを実証しました。

担当者が横断的な視点を持ち、自らの仕事に他の仕事のアイディアを取り入れていくことを考え、あるいは類似の団体や事業を自分なりに評価、消化し、ネットワークの中で問題を処理することを考えることができれば、有効な問題解決、あるいは限られた資金を最大限に活用することができるようになります。

今回の評価は、私たちのプログラム形成、あるいは新たな取り組みに対し、数多くの問題を提起していただいたと思います。私たちは共通の理解を持ち、次のステップに進みたいと思います。
12月22日(火) [2009年12月22日(Tue)]
12月22日(火)

 08:00
  〜  「語り場」日本財団職員との対話
 10:00

 10:00 日本財団・執行理事会

 11:00 予防接種

 12:00 公益・ボランティア支援グループ(福祉担当)職員と昼食

 13:00 武見敬三・元参議院議員

 13:30 石井一二・元参議院議員

 14:00 元トルコ共和国大使夫人・仙石節子女史

 15:30
  〜  「語り場」日本財団職員との対話
 17:30

 17:30 鳥井啓一参与

 18:00 日本財団役員・秘書 懇親会
12月21日(月) [2009年12月21日(Mon)]
12月21日(月)

 08:15 書類整理、決裁

 10:00 有朋社・斉木勉元社長

 12:00 公益・ボランティア支援グループ(公益担当)職員と昼食

 13:00 公益コミュニティサイトCANPAN打合せ

 13:30 ビジネス情報誌「オルタナ」取材

 15:00
  〜  産経新聞・久保紘之編集特別委員との対話
 17:00

18:00 PHP研究所・江口克彦社長
「真心絶品と三彩の里」 [2009年12月21日(Mon)]


「真心絶品と三彩の里」


若手職員・伊藤広毅がネーミングした「真心絶品」は、全国の福祉施設の授産所で作られた製品から選ばれた40ヶ所、60品目、130種類の商品をインターネットで販売しようとするものです。

結論を先に申せば、それぞれの分野で一流の商品と競争できる優れた商品がたまたま福祉施設で作られたということです。福祉施設で作られた秀れた物だからお買い上げ下さいという同情心は全く必要のない品々で、日本財団の認定を受け、「真心絶品」の商標を使用することを認められた商品です。

テレビで一躍有名になった神戸モリーママラスクの工場は六甲山中で、水道が届かないため日本財団に井戸掘り資金を申請。それを受けた当財団・川部育子から「是非支援を」との強い推薦を受けて資金が提供されたのが始まりで、井戸から汲み上げられる六甲山系の天然水を使って作られることが売りで、一日1万枚のベストセラーとなった。

「真心絶品」の商品カタログには、長崎県・三彩の里で作られた「長崎三彩」陶器のコーヒーカップや湯のみなどがあった。「長崎空港などでも販売されている地域で有名な伝統工芸品」とある。

陶芸家の江口洋氏が私を訪ねてくれたのは今から30年ほど前のことであった。誰かの紹介か、本人から直接の面談申込みであったかは定かでないが、小柄ながらもがっしりした体格で、しっかりと私の目を見て、海軍特攻隊の生き残りであること、同期には俳優の鶴田浩二、裏千家宗匠がいること、多くの同期が戦場に散ったこと、そして、不運にして生き残った(確かそう言った)からには何か社会のためにお役に立ちたいとの熱い思いを語ってくれた。

障害者に陶器作りを指導し、自立させるための施設を造りたい。日本財団の条件に合致したら是非ご支援をと、上京されたわけである。
幸い支援が決定した。

長崎県大村市の山中にある福祉法人「三彩の里」は小じんまりした施設であるが、作務衣(さむえ)を着た江口洋氏がテキパキと指示。陶芸場にはピ−ンと張りつめた緊張感があり、障害者だからといって甘やかしていない雰囲気が感じられた。

施設には似つかわしくない二本の国旗掲揚台があり、日章旗と海軍旗が翻っていた。「私は国家の安寧と同期の追悼のために、毎日、日章旗と海軍旗を掲揚して祈っているのです。こうして生を受けていることは、何としても同期に申し訳なく思う」と、先ほどのテキパキとした動作から、急に両肩を少し前に落とされた。

その後、律儀に毎年、年末には見事な干支の焼物を送ってくださった。

江口洋氏の名前を新聞記事で読んだのは、トルコのボスポラス海峡に日本のODAで立派な橋が架り、政治家・金丸信氏を団長にした日本からの代表団出席のもと、盛大な開通式の模様が大きく報道されてから数日後のことであった。

ベタ記事には「日本人がこの橋から飛び降り自殺した。福祉法人「三彩の里」の江口洋氏」とあった。それ以来、イスタンブールに行くたびに橋を見上げては祈るのが私の常となった。

少し話が長くなったが、このたびの「真心絶品」のカタログに「三彩の里」の長崎三彩の商品が誇らしげに美しい写真とともに掲載されていた。

「長崎三彩は、窯の中で焼けて溶け出していく釉薬の流れ具合が、独特の美しい風合いを醸し出している高級感あふれる陶器です」と語るのは、自身も結核性股関節炎で下肢障害を持つ陶芸家で、「三彩の里」の施設長・江口司氏とある。

故・江口洋のご子息である。彼はご子息に障害があることは一度も口にしなかったが、立派に成長した息子に後を託し、同期の桜のところへ行くためにボスポラス海峡に身を投げたのである。

他にも各地から、「真心絶品」にふさわしい高級感のある食品、菓子、入浴用品、茶器、陶器、おもちゃ等がネットで発売されている。

是非一度、http://www.magokoro-zeppin.com にアクセスして下さい。



オープニングセレモニーで絶品の数々が紹介(12月11日・品川駅構内)
「新たな国際金融枠組みに向けた日中協力」 [2009年12月20日(Sun)]

李肇星団長(写真・右)と談笑


「新たな国際金融枠組みに向けた日中協力」


笹川日中友好基金の招待で、はじめて中国国際金融の専門家が来日。財務省や日本の国際金融の専門家とディスカッションを行った。

私は1997年のアジア通貨危機で日本が果たした役割について説明した。

以下、その要旨である。

2009年12月3日
日本財団ビル2階


現下の経済情勢を考えますと、李肇星・元外交部長を団長とする中国の国際金融の専門家と日本の専門家がはじめて議論した今回の会議は、大変画期的で意義深い場になったことと思います。

笹川日中友好基金は、日中間においてさまざまな事業を1989年より長く続けてきております。一つ例を挙げますと、人民解放軍と防衛省自衛隊の若手による交流活動が挙げられ、この交流は9年続いています。政府間の防衛交流が停滞していたときも私たち民間組織が触媒の役割を果たし、私たちが進める交流だけは継続されてきました。この活動に対しては中国政府からも高く評価していただいております。

私は経済の専門家ではありませんが、1997年にタイを中心に始まったアジア通貨危機について少しお話したいと思います。

米国のヘッジファンドが英国でのポンド売りで成功を収め、その余勢を駆りタイのバーツを売り、それが引き金となりフィリピン、香港、マレーシア、インドネシアへと通貨危機が広がっていき、ロシアの財政破綻、ブラジルの通貨危機へと拡大しました。

当時、マレーシアのマハティール元首相が「国民が汗水を流して稼いだ国の財産を数日で投資家に取り上げられてしまうことは国際正義に反する。私は断固として為替市場を閉鎖する」と話されたことを記憶しております。当時は、フランスの金融界をはじめとし、国際的にマハティール元首相は批判にさらされましたが、最終的には彼の行動は高く評価されたことを覚えています。

翌年の1998年10月には、日本円が2日間で20円も急騰する場面もありました。当時の宮澤喜一蔵相はアジア蔵相・中央銀行総裁会議で新宮澤構想を発表し、アジア諸国の実態経済回復のために300億ドルに及ぶ資金支援スキームを用意。有償、無償、専門家の派遣など、全力を上げてアジア通貨危機に対処し成功を収めました。

当時に比べて今の経済、あるいは金融のスケールは遥かに大きくなっています。昨年はリーマンショックもあり、その傷跡はまだ完全に癒えておらず、再度、通貨危機が起こる可能性は否定できません。

しかし残念なことに、日本には当時のような資金はありませんが、新宮澤構想の実績とノウハウがあります。万一通貨危機が起こったときには、日本のノウハウと中国の財力で解決できるようスクラムを組んでいただきたいと願っています(大笑)。

今回の会議では素晴らしい成果を上げられたと思いますし、継続して対話を進めていただきたいとも思っています。この会議がより建設的で、将来の金融危機に備える第一歩になるだろうと、心からこの会議の成功をお慶び申し上げますとともに、皆さまに感謝の意を表します。
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