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ファンドレイジングジャーナル [2009年10月31日(Sat)]


日本の寄付文化の革新を目指して〜創刊号


ファンドレイジングジャーナル


2009年9月・創刊号


日本ファンドレイジング協会は、日本財団の助成によって今年の2月に設立し、引き続き、その組織基盤の強化と運営についても助成を受けています。ありがとうございます。

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まず、笹川会長ご自身の寄付に対するお考えと想いをお聞かせください。
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初めに、これまでの日本財団のボランティア・NPO支援の経緯を少しお話しさせてください。日本財団として、本格的にこの分野の支援を始めたのは、阪神淡路大震災の2年前の1993年のことです。

実は、さらに、そこからさかのぼる10年間、まだボランティアやNPOという言葉が日本に知られていない時期に、私は関連する新聞記事をずっと集めていました。そして、いよいよ積極的に支援すべき時代が来たと確信し、1993年4月に、ボランティア・NPO活動への助成を開始したのです。

その後、阪神淡路大震災を機に、国内で市民活動の重要性が社会的に認知され、その中で、日本財団は10,000弱のボランティア・NPO団体の活動を助成という形で支援してまいりました。

ただ、大変残念なことに、日本財団の助成を受けた後に、活動の規模をさらに拡大した団体があるとは、あまり聞いておりません。そこで、ボランティアやNPO団体のファンドレイジング力の向上のために、日本ファンドレイジング協会の設立と組織化の支援をすることにしたのです。

私は、ボランティア・NPO活動にとって、そのミッションの達成に向けて、賛同者を募る、寄付を募るということ、すなわちファンドレイジングが極めて重要なことだと考えております。

しかし、多くの団体が、活動することには大変熱心な一方で、ファンドレイジングの努力を十分にしていないように思え、残念でなりません。自分たちの活動を社会に知ってもらう努力をし、多くの人々の賛同を得て、さらに寄付が得られて、初めて、その活動が社会的に評価されたと考えなくてはなりません。

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会長ご自身が日本財団のファンドレイジングに率先して取り組んでおられると伺っておりますが、具体的にはどのようなことをされているのですか?
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私自身、日本財団に対する寄付を積極的に募っています。いろいろな方々を訪ねて御支援を求めることも多いのですが、何よりも重要だと考えるのが「感謝」だと思っています。

具体的には、どんな小さな支援に対しても、その都度、きちんとお礼をすることを欠かさないようにしております。毎月1,000円ずつ送ってくださる方にも、毎回、必ず、自筆でお礼状を出しています。これまでの、その方からの支援回数と支援額をお示ししてお礼を述べるとともに、今後のさらなる支援をお願いしています。

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最近、日本財団は、夢の貯金箱や日本歯科医師会と連携したTOOTH FAIRY(歯科撤去金属の寄付)等の寄付集めの事業を積極的に進めておられますが、そのお話をお聞かせください。
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財団自身が寄付集めをすべきだと考えた背景には、財団職員に「資金の大切さ」を実感してもらいたいという思いがありました。

日本財団は、競艇の売上を財源に公益活動を推進しておりますが、私は常々、職員に、その資金のありがたさについて自覚してもらいたいと考えています。全職員に簿記3級を取るよう要請しているのも、事業推進の折のコスト管理に活かしてもらいたいと思うからです。

私自身も、TOOTH FAIRYプロジェクトの実現のために、4年間、日本歯科医師会への働きかけを続けました。それだけに資金集めの難しさと、その結果得た資金がいかに大切なものであるかはわかっているつもりです。

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寄付が推進される社会的なインフラの構築にも取り組まれていますね。
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日本財団は、企業の社会貢献の推進のために、ウェブサイト「CANPAN」で、東証1部上場企業約1,700社を対象としたCSR(企業の社会的責任)への取り組みの実態を明らかにしていますが、今秋には、それをランキング化して示す予定です。

若者が就職先を選ぶ際に、消費者が買い物をする際に、「CSRをきちんとしている企業を選ぶ」といった社会にしたいと願っています。CSRをランキングで示すことには抵抗感もあるようですが、根拠のある指標を示して、その結果、企業のNPOへの支援が拡大するようにしていきたいと考えております。

日本人は元来、善意と助け合いの精神の豊かな国民でした。大阪の橋には個人の名前の付いたものが多いのですが、それらの橋は江戸時代に個人の寄付で造られたものです。お伊勢参りの人々が、無料で泊めてもらえる宿がありました。企業も、まずはCSRの精神を実際の行動で示してもらわなければなりません。そのためのランキングなのです。

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NPOへのメッセージをお願いいたします。
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NPOはミッションに基づいて設立され、その達成を目的にして活動をするものだと思います。くれぐれも、自己満足に陥らないでください。それはNPOとしては堕落の始まりです。世のため、人のために始めた活動が、自分のための活動になってしまったとしたら、社会の賛同も得られないでしょう。賛同者と、寄付を募るということ、すなわちファンドレイジングの努力こそNPO活動の原点なのです。

そのことをよく理解していただきたいと思います。また、他の団体との情報交換と連携も、積極的にやってほしいと期待しています。ミッションの実現のために最適であれば、合併を通じて組織を強化することも必要です。ミッション達成のために何をすべきかを忘れないで、頑張っていただきたいと思います。

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最後に日本ファンドレイジング協会へのメッセージをお願いします。
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私は、今年2月の設立記念イベントで、「日本財団が5年間支援しますから、頑張ってください」と申しました。これは、「5年のうちに、しっかり自立してください」という意味です。5年後に、もし、日本ファンドレイジング協会がうまくいかなくなっているようでしたら、日本のNPOには未来はないとも思います。したがって協会の責任は誠に重く、心から成功を祈っております。どうか、頑張ってください。

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ありがとうございました。(聞き手:日本ファンドレイジング協会常務理事 鵜尾雅隆)

◆日本財団 会長 笹川陽平ブログ https://blog.canpan.info/sasakawa
◆公益コミュニティサイト「CANPAN」 https://canpan.info


10月30日(金) [2009年10月30日(Fri)]

10月30日(金)

 07:00 ホテル発

 09:10 マニラ発

 14:00 成田着 日本財団へ直行

 15:45 日本財団着 書類整理、決裁、打合せ

 18:30 インド国会議員団訪日歓迎レセプション 挨拶



 
 

アメリカ版「一杯のかけそば」 [2009年10月30日(Fri)]


「一杯のかけそば」ならぬ「一人前のステーキ」


アメリカ版「一杯のかけそば」


「一杯のかけそば」は心ある日本人の涙腺を刺激する話であった。

大みそかの晩、北海道のとあるそば屋に母子の三人連れが入り、一杯のかけそばを三人で食べる話である。

この語り手は、日本中を講演して相当な収入を得てちょっとした有名人になった。その後、この話は創作とわかり残念な気持ちにもなったが、私の幼少のころの貧しさを思い出すと、創作にしてもよく出来た話である。

戦後間もない頃、私の母と三人の息子は、八畳一間の食客生活の中、食事はスイトン(醤油や味噌味の汁に小麦粉やヤシの粉を団子にして入れたもの)やサツマイモを蒸したもの、ナンバコ(トウモロコシの粉で作った塩味のパン)が多かった。

ある日の夕食に一杯ずつの「おかゆ」をすすったことがある。鍋には若干の残りがあった。末弟の私はそれを食べたいと母にせがんだが、母は「育ち盛りの長男が食べるものだよ」と私をさとした。

私がぐずったのを見ていた長兄は「陽平に食べさせろ」と譲ってくれた。確か8、9歳の頃のことで、その情景は今もはっきり憶えており、兄に悪いことをしたと、今も悔悟の念を持っている。

また、算数の時間に必要な大切なコンパスが見当たらず母にせがんだところ、「物を大切にしなさい。失くしたのはお前の責任。絶対に買いません」と叱られた。それを見ていた長兄は私の袖を引っ張って表に誘い出し、小声で「買ってやるから心配するな」と言ってくれた。

長兄は中学生で、私が通う小学校とは反対方向の電車に乗るところ、小学校の方に同行してくれ、文房具屋でコンパスを確か30円で買ってくれた。多分兄の1か月分の小遣いだったと思う。

今日、元気に世界中を飛び回り活動できるもの、家族からのあふれんばかりの恩恵をこうむったお陰であり、感謝、感謝である。

今回の出張は私と分身の通訳・平野女史とカメラウーマン兼秘書兼看護師の富永夏子の3人で、珍しくゆったりした旅であった。

10月1日のカーター元大統領との昼食会と10月6日のノーマン・ボーローグ前笹川アフリカ協会会長(ノーベル平和賞受賞者)の葬儀での弔辞、アメリカのルイジアナ州・カービルにあった大陸唯一のハンセン病施設の訪問だけである。

夕食に富永夏子が調べてくれたステーキの名店に乗り込んだ。恐ろしいほどの喧騒で、有名レストランらしくほぼ満席である。大きなステーキと格闘しながら陽気に大声で喋るアメリカ人に多少辟易していたところ、角のテーブルが与えられた。

薄暗いテーブルでメニューを読むこともできない。ボーイの説明を聞いて一人前のステーキとポテト、それに小皿3枚を注文した。アメリカの食事はあまりにも量が多く、いつも出てくる料理を見てはうんざりする。3人で一人前が丁度よく、そう注文しただけのことであるが、ボーイはサートゥンリー(かしこまりました)といいながらも不思議そうな顔をした。

「かわいそうに、東洋人は金がなく、一人前を3人で分けてでもこの名店?に来たかったのかと誤解したに違いない」と・・・その時「一杯のかけそば」の話を思い出した。

私と平野女史が夫婦、富永夏子がかわいい娘という設定である。

10月29日(木) [2009年10月29日(Thu)]


一人ひとりに卒業証書を授与


10月29日(木)

 08:00 ハルシャー氏

 09:00 国連平和大学インターナショナル・アドバイザリー・ボード会議

 11:30 ラモス元大統領出席の昼食会

 13:10 国連平和大学ラウンド・テーブル会議

 17:30 国連平和大学卒業式 スピーチ

 19:30 大学主催夕食会

10月28日(水) [2009年10月28日(Wed)]

10月28日(水)

 08:30 ホテル発

 09:50 ヤンゴン発

 11:30 バンコク着(空港待機3時間半)

 15:05 バンコク発

 19:15 マニラ着

 20:30 ホテル着
 

「カーターセンター博物館」 [2009年10月28日(Wed)]


義理人情に厚い元米国大統領(写真・左)


「カーターセンター博物館」


カーターセンター博物館のオープニングセレモニーに参加するため、久しぶりにアトランタのカーターセンターを訪問した。

カーター元大統領、10月1日は85歳の誕生日である。ロザリン夫人もお元気のご様子で何よりだったが、誕生日会自体はいたってつつましい昼食会であった。

限られたメンバーとはお聞きしていたが、カーター元大統領がお世話したアフリカ、中近東、中米その他の各地から多数の賓客が訪れると勝手に想像していた。

しかし、メインテーブルはカーター元大統領、藤崎駐米大使ご夫妻と世界ライオンズクラブ会長夫妻、それに私と通訳の平野女史、他に二人の客だけである。

カーター元大統領は原子力潜水艦の元艦長であり、何から何まで自分で指示しないと気のすまないお方と聞いており、これは深いお考えの上の昼食会と思いつつも、淋しい感は否めなかった。

今から30年前、旧ソ連とのデタントとイラン米人人質事件に失敗して失意のうちに大統領職を去ったカーターに、世間は冷たかった。

ジョージア州の片田舎・プレーンズのピーナツ農場主が、あれよあれよという間に大統領まで上りつめた時は、カーターWHOとばかり、日本は福田赳夫氏をはじめとして『プレーンズ参り』が流行り言葉にもなった。しかし、大統領退任後の日本は彼に対して冷ややかだった。

アメリカ大統領は退任後、記念館を造るのが恒例で、現職時代の往復書簡や写真等も記念館に移管され、展示、保管することが許されている。ニクソン大統領退任時には日本政府も資金を提供したが、カーターが記念館設立募金に来日した折、日本の時の総理は婉曲に断った。

財界首脳の中には、カーター大統領現職の時に便宜を頂戴し、カーターとの親密関係を世間によろしく喧伝し、文書で資金援助を約束しながら実行しなかった人もいた。

そんな時、ある人の紹介で笹川良一の事務所においでになり、事の一部始終を話された。

黙って聞いていた父は、「日本人は約束事は命に代えても守る国民である。きっとそれぞれに大統領に言えない深い事情があるに違いない。私がかわって寄付するので決して日本人を恨まないでほしい」と支援を約束した。

当時カーターは、エモリー大学の学生食堂の隣室の粗末な部屋で寝起きをしながら学生に講義などもしていたので、荒野(あらの)に念願の記念館が完成した時のカータースマイルは一段と晴れやかだった。

カーター、ノーマン・ボーローグ、笹川良一と私がアフリカでの農業支援を開始するために訪れたスーダン、タンザニア、ザンビア、ガーナの4カ国訪問は、5日間という強行軍だった。

アメリカがカダフィー暗殺をねらってリビアのトリポリをピンポイント爆撃した直後で、ロンドンからのスーダン入りはハイジャックの恐れがあり、機材番号を変号してのスリリングな、緊張した地中海横断飛行となった。

「アメリカは愚鈍な大統領を失った。しかし、世界は素晴らしい元アメリカ大統領を得た」とは、アフリカの貧農の農業支援のためにガーナを訪問した時にジェリー・ローリングス大統領が我々に語った率直な言葉である。

笹川家の墓参りにわざわざ大阪の箕面市までおいで下さり、父の葬儀にまで来日下さった義理人情の厚い人でもある。

北朝鮮がNPT脱退で米朝間が緊迫したとき、私は彼に訪朝を要請した。笹川記念会館で通訳をしてくれた武部恭枝女史を通じ、何遍も「本当に金日成に会えるのか」と質問された。しかし、カーター大統領のかつての部下であったクリストファー国務長官は頑なにカーター訪朝に反対した。

クリントン大統領就任式典に招待された折、ワシントンで再度、訪朝を要請したところ、大統領時代、在韓米軍の撤退を発言して批判を浴びたこともあり、在韓米軍問題は議題にしないことを条件に訪朝を決意してくれた。

ところが、さすが政治家。北朝鮮に入るとき、韓国から板門店を通過して訪問したいという。「この件は私の力は及びません」と率直に返答した。

以後のことは、ワシントンポスト紙の外交記者だったオーバードーハーの著作「二つの朝鮮」に詳しい。

そんな過去の想い出に浸りながら、明日正式にオープンするカーター博物館を拝観した。

どこに行くのも二人で一人前というとこの上なく失礼だが、ロザリン夫人の影響力は相当なものである。現職時代、先程までベッドを共にしていたのに、公式発表では大統領とロザリン夫人の朝食会談ということもあった。記念館の中にはロザリン夫人のことを「インディペンデント・パートナー」とした一つのブースもある。現職時代の夫婦公式会談の理由が、30年後、やっとわかった。

別に日本の外務省の肩を持つわけではないが、外交団の中で唯一、藤崎大使夫妻が参加されたことは、カーターと日本政府の関係を知っているだけに評価されるべき活動ではないだろうか。

カーター記念館と博物館建設には、ノーベル賞受賞後、募金も大いに集まり、かつての荒野は見違えるほど美しく整備され、アトランタ空港から、市内から、道路の至るところにカーターセンターへの表示があった。

現在活躍されているアメリカの元大統領は、カーター、ブッシュ父子、クリントンの4人しかいない。アメリカの誇る元大統領との30年間の交遊は、私の人生にとって幸運であった。

10月27日(火) [2009年10月27日(Tue)]


村人と談笑


10月27日(火)

 07:30 ホテル発

 10:10 クンヤンゴン着 マイクロファイナンス現場視察

 11:20 ペイコン村着

 13:10 チャイパット村着

 14:00 マイヤン村着

 15:00 クンヤンゴン着

 15:10 関係者と昼食

 15:30 クンヤンゴン発

 18:00 ホテル着

 18:30 世界海事大学・笹川奨学生との夕食会

10月26日(月) [2009年10月26日(Mon)]


小学校には子供たちの期待が高まる


10月26日(月)

 06:00 ホテル発

 08:15 イラワジ管区・シャンスーセインパヤー小学校開校式典

 10:00 イラワジ管区・タニダゥンワートゥ小学校開校式典

 11:10 イラワジ管区・メウービン小学校開校式典

 12:00 ティン・ニュン辺境省大臣主催昼食会

 16:00 ホテル着

 17:30 野川保晶・日本大使 面談

 18:00 関係者と夕食

「蔡英文・台湾進歩党主席」 [2009年10月26日(Mon)]


民進党再建のためのリーダーになれるのか(写真:蔡主席)


「蔡英文・台湾進歩党主席」

蔡英文・民進党主席と会談した。

陳水扁氏が総統になる以前、人目を気にして粗末なビルの地下のカフェテラスの一角で会談したときとは様変わり。訪れた事務所は明るい雰囲気で、会議室には民進党旗が5、6本立て掛けてあったが、若干活気に欠けているのが気になった。

会談は立派な会議室でマイクを利用して行われた。

民進党初の女性党首は英国で法学博士を取得。1999年、李登輝総統が発表した「中台関係の新定義」、いわゆる「特殊な国と国との関係」論の成り立ちにも深くかかわった国際法の専門家でもある。

2008年7月の台湾の主要政治家10人の世論調査での支持率は49%で第一位。馬英九総統の30%を大きく上回って「台湾のコンドリーザ・ライス」と呼ばれている。一見したところ学者出身で清廉なイメージではあるが、あまりにも地味な感じであった。

「2012年の次期総統選の有力候補といわれるが」と率直に質問したところ、

「まだ候補者に決定したわけではない。私より経験、見識の深い人材もいます。2012年までに党の団結ができる人を出したい」

この発言で感じるのは、民進党の希望の星であった陳水扁前総統の汚職スキャンダルによる壊滅的打撃のマイナスイメージの打破は容易ではないということである。

8年間政権を担ってきたものの、リーダー層が団結してないイメージの払拭にはまだまだ時間が必要のようだ。国民党に比べ資金の確保にも悩まされており、一致団結した党再生への道のりは険しい。

「来年の5つの直轄市(政令指定都市)の選挙のうち、なんとか3市で勝利すれば民進党の復権にめどが立つ」と希望を述べる。

「民進党の使命は台湾の主権の維持であり、そのためには二つの条件が必要。一つは国際的に有利に外交展開をはかれるか。もう一つは、日本、アメリカ、中国との関係を上手く築けるかどうかである」と発言。

民進党の世論調査では、経済発展のために民主主義を放棄してもよいと考える人が3割、中国への警戒心を持つ人が3割、その他、個別に対応すると考える人3割。経済において中国資本への期待は高いものの、政治的関与には警戒心が強い。特に個別分野では、空港、港湾、金融機関への中国投資には反対が圧倒的であるという。

国民党政権への批判を強く主張されたのは野党党首として当然のことではあるが、外柔内剛の性格の故か、政治家としてのオーラに乏しく、民進党幹部として獄中経験のない彼女にとって、党再建への道のりは険しいと言わざるを得ない。

10月25日(日) [2009年10月25日(Sun)]


富山方式「置き薬」の薬箱を担当者に手渡す


10月25日(日)

 04:00 ホテル発

 08:30 バゴー地区・置き薬配布式典

 10:20 レブ・地方保健センター訪問
      保健省ハンセン病担当者チョー・ミン氏とハンセン病の状況について意見交換

 12:15 保健省関係者と昼食

 15:20 ヤンゴン管区内・置き薬配置村訪問

 18:00 ホテル着

 19:00 セダナー関係者と夕食

 
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