9月24日(木) [2009年09月24日(Thu)]
9月24日(木)
終日、書類整理、打合せ
12:00 国際協力グループ職員と昼食
18:00 セワランカ財団・ハルシャ・クマラ・ナワラネ会長
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笹川 陽平
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ASEAN伝統医療国際会議スピーチ [2009年09月23日(Wed)]
ASEAN伝統医療国際会議スピーチ
2009年8月31日 日本財団会長 笹川陽平
ご多用の中、お集まりいただいた皆様に心から御礼を申し上げます。本日、スリンASEAN事務局長、ASEAN事務局(ASEC)、そしてタイ保健大臣のご尽力のもと、第一回目の会議を開催できることを喜ばしく思います。
日本財団は、社会福祉、教育、医療など幅広い公益活動を国内外で展開しております。
2008年、ASEAN事務局と日本財団は、5年間の包括業務提携を結びました。この中でハンセン病制圧、人材育成、障害者支援、海の航行安全とともに我々が重要な支援分野の柱として位置づけたのが伝統医療の普及活動です。
開発途上国では多くの人々が、発熱、風邪、下痢といった、薬さえあれば簡単に治る症状を悪化させ、苦しんでいます。世界の様々な地域でそうした姿を目の当たりにしてきた私は、病気になる前から備えることができ、かつ、一過性ではなく、現地に長く深く根差した形で人々が薬を使うことができる方法はないかと考え続けてきました。
その試行錯誤のなかで、15年前、revolving drug fund、いわゆるThe Bamako Initiativeによる近代医薬の必須医薬品普及支援を12ヵ国にしたことがあります。しかし、これは失敗に終わりました。原因はいくつかあると思いますが、そのうちのひとつは、外国から輸入された近代医薬品は高価で、買えない人が多かったからではないかと考えられます。さらに、せっかくヘルスセンターに薬があっても、遠隔地に住む人々には入手が困難で、必要なときに薬を使うことができなかったからとも考えられます。
これらの問題を解決するには、安価で、遠隔地でも薬を入手し易い仕組みが必要です。そこで我々が注目したのが、伝統医療の活用でした。
伝統医薬品は、近代医薬品と比べて1/10〜1/20と安価であるばかりでなく、すでに各国に存在しているため、手に入り易い存在です。長い歴史のなかで人々の知恵と経験によって熟成された集大成であり、その効能は皆さんの知るとおりです。そして、今でも世界中の多くの人々に愛用されています。近代医薬品の普及している日本においても、特に発熱、下痢、頭痛などの初期症状の治療にはよく用いられていますし、私も風邪をひいたときは日本の伝統医薬品を使っています。
我々は、こうしたプライマリーヘルス向上における伝統医療のポテンシャルに注目し、2004年、モンゴルにおいて、伝統医療普及のモデルプロジェクトを開始しました。
モンゴルでは、遊牧民が広大な土地を転々として生活するため、医者や薬へのアクセスが困難で、それが原因で病状を悪化させるなど深刻な問題がありました。この医療環境を改善するため、彼らの伝統医療と日本のユニークな薬配置制度である“置き薬システム”をマッチングさせたのです。
“置き薬システム”とは、300年前から日本に伝わる伝統的なシステムで、薬売りが各家庭を訪問して医薬品を詰めた薬箱を置き、利用した分だけ後で代金を回収するというものです。病気になる前から備えておくことで、迅速な対応が可能となります。日本のプライマリーヘルスの維持・向上を3世紀に渡り担ってきたこのシステムは、現在モンゴルの10,000世帯に導入されています。
置き薬に含まれる医薬品はすべてモンゴルの伝統医薬品であり、モンゴル保健省が品質保証したものが使用されています。地域の医療従事者(メディカル・プラクティショナー)がこの薬箱を各家庭に届け、後日、使用した薬の代金を回収します。代金の回収率はほぼ100%という報告を受けており、すでに信頼できるシステムとして現地に定着していることが窺われます。
このプロジェクトを実施した結果、遊牧民が必要なときに必要な薬を手に入れ易くなったのはもちろん、ある地域では医者の往診数が45%減少するなど、プライマリーヘルスケアの向上が多方面で見られました。
このように、モンゴルでの事業は「高価な薬」や「距離によるアクセス困難」といった問題に対し、伝統医療がひとつの有効な解決策になることを示したのです。しかし、だからといって、私は同じ方法をすべての国や地域で行うべきだと言っているわけではありません。各国には各国の文化や国民性、地域性があります。
私はこの伝統医療の持つポテンシャルを、各国の事情を尊重しながら柔軟性を持って使いこなしていくことが重要であると認識していますし、その方法をみなさんにも一緒に考えてほしいと思っています。
この試みはすでに始まっています。例えば、日本財団は現在ミャンマーやタイ、カンボジアでも伝統医療普及活動を開始しておりますが、ミャンマーでは各家庭よりも、各村で選ばれたコミュニティ・リーダーのもとに1つずつ薬箱を配置したほうが効果が高いと考えられたため、約7,000の集落のリーダーのもとに配備されました。
また、現在国民の医療費が無料であるタイでは、国家の医療予算削減に効果が期待される伝統医療と“置き薬システム”に関する調査研究事業を立ち上げています。さらに、カンボジアでは、伝統医療の知識や技術をより体系的なものにするため、国内初となる国立伝統医療学校を設立し、カリキュラム策定をはじめとしたソフト面での協力を行っております。
これらの伝統医療をバックボーンとした多様な事業の効果は、実施国以外の国や 地域にも良い影響を及ぼすものと考えられます。タイの例は多くの国が抱える医療費問題に解決の糸口をもたらすかもしれませんし、カンボジアの学校では、伝統医薬品やこれを扱う人材の質の確保を目指しており、将来的には周辺国間での伝統医療専門家の人材交流も検討しております。
その他、ラオスなどからも協力要請を受けていますが、日本財団は各国が持つ伝統医療という資源を有効活用し、それぞれの事情に合った方法で、また地域全体の力となるよう協力をしていきたいと考えております。
2007年、日本財団とWHOは伝統医療会議を共催し、その席上で我々は初めて国際社会にモンゴルの置き薬事業を紹介しました。翌2008年にはWHO60周年会議が開かれ、伝統医療の活用を各国に求める北京宣言が採択されています。
洋の東西を問わず、今、伝統医療分野は国際社会の脚光を浴びつつありますが、ASEANによるこれらの取り組みはまだ類のないもので、大変意義深いものとなるでしょう。ASEANは、地域内諸国の経済・政治・安全保障・文化協力を通した豊かな生活の達成を展望した、未来志向のネットワークです。
一か国の情報・知識の蓄積を各国間の協力により、「点」を「線」に、やがて「面」の活動にしていくことができる共同体です。本日、ご要望を受けましてスリランカ、ネパールの方々もオブザーバーとして参加していますように、みなさんの活動には周辺諸国の期待もかかっています。是非皆さんで建設的な話し合いをしていただき、ASEAN及び その周辺地域の伝統医療の普及、発展にご尽力いただきたいと思います。
世界には、今もなお医療や薬にアクセスできず、非常に多くの人が苦しんでいます。我々は、貧しい人も僻地に住む人も、プライマリ・ヘルスケアを持続可能な形で活用できる社会を実現するため、伝統医療がさらに広がっていくことを期待しております。それがプライマリーヘルスの向上だけではなく、医療費問題の解決策や統合医療の発展といった、我々の目的を超える何かに発展していくことも、非常に喜ばしいことと考えます。
明日はディスカッションの時間もありますし、会議三日目からは、タイ保健省主催のHerbs Expositionが開催されます。是非今回の会議を通じて活発な議論や意見交換がなされることを期待しております。
ご清聴ありがとうございました。
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9月22日(火) [2009年09月22日(Tue)]
総統府で馬英九総統(右)と面談 9月22日(火)
09:50 ホテル発
10:30 台湾・馬英九総統と面談
14:30 台北発 成田へ
18:40 成田着
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笹川 陽平
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回復後も「元患者」として差別 [2009年09月22日(Tue)]
発行:(株)ぎょうせい 「わたしと人権」Part2
回復後も「元患者」として差別 人類の負の遺産 WHOハンセン病制圧特別大使 笹川 陽平
ハンセン病制圧活動に取り組むようになって40年を超えた。この間、ハンセン病は多剤併用療法(MDT)と呼ばれる治療法の確立で患者数は劇的なまでに減少した。しかし、もうひとつの側面である偏見・差別は依然深刻である。差別は社会の病理であり、ハンセン病はその原点でもある。ハンセン病患者も偏見・差別も存在しない社会の実現に向け引き続き頑張りたいと思う。それが差別のない社会の実現につながると確信する。
▼治る病気 紀元前の古文書にも登場するハンセン病は身体の変形・変色もあって「不治の病」と恐れられてきた。「感染しやすい病気」「遺伝病」「神の罰」といった誤解が社会に浸透し、患者は前世に罪を犯した者、穢れた者として忌み嫌われた。
家族からも見捨てられ、社会から隔絶した絶海の孤島や山奥の施設で生きることを余儀なくされた。米国・ハワイのモロカイ島、南アフリカ共和国のロッペン島、フィリピン・クリオン島、韓国・全羅南道の小鹿島、さらにエーゲ海や南太平洋の島々・・。いずれもハンセン病患者の隔離の島であった。隔絶された島に移り、社会から自らの存在を消し去ることが多くの患者にとって家族や親族の名誉を守る唯一の方法でもあった。
1980年代に確立されたMDTにより「不治の病」は「治る病気」に変わった。当時の世界のハンセン病患者は約1700万人。WHO(世界保健機関)がハンセン病制圧の指標とする「人口1万人当たり患者1人未満」を上回る国は世界で122カ国に上り、日本財団では1995年から5年間、世界でMDTの無料配布を進めた。
WHO、各国政府、NGOが一体となって治療法の普及を進め、現在では「いつでも、どこでも、無料で」MDTが手に入る体制が整備され、制圧指標の未達成国はブラジル、ネパール、東チモールの3カ国に減った。医学的な意味でのハンセン病制圧は確実に視野に入る段階に来ている。
▼スティグマ しかし、治る病気となった今も患者・回復者は依然、厳しい偏見・差別にさらされている。治癒した後も「元患者」として差別される病気はほかにない。「感染しやすい病気」「遺伝病、「神の罰」−。そんな社会的烙印(スティグマ)が長い歴史の中でDNAにまで染み込み今も続いているからだ。
1980年代初頭、世界の患者の約70%を占めたインド。2005年にはWHOの制圧指標を達成し制圧国の仲間入りをした。しかし1100万人を超す回復者は偏見・差別を避けコロニーと呼ばれる村に寄り集まって暮らす。コロニーの数は判明しているだけでも700を超す。教育や就業の機会も奪われ、多くは主たる生活をいまだに物乞いに頼る。
つい最近、インド最高裁は、ハンセン病患者が自治体選挙に立候補したり公職に就くことを禁じたオリッサ州法の規定を合憲とする判断を示した。2003年の州議会選挙に当選しながら州法の規定で無効とされた男性2人が規定の違憲性を訴えた裁判での判断。問題の州法は半世紀以上前の1950年の制定。
治療法の確立によりハンセン病が短期間に完全に治癒するようになった現在と当時ではハンセン病を取り巻く環境は大きく異なる。増してハンセン病の感染力は極めて弱い。最高裁は「感染を防止する上からも合憲」としており、人権の砦であるはずの最高裁の判断として疑問を禁じ得ない。
▼1億人 それ以前にハンセン病患者が公職に就くことを禁じた州法の規定がいまだに残されていること自体が問題である。こうした法律の存在は患者や回復者、家族に対する偏見・差別を助長するばかりか、偏見・差別そのものを固定する。
インド最高裁長官には抗議と遺憾の意を伝えた。同様のケースは2008年8月の北京五輪でもあった。北京五輪組織委員会は開幕に先立ち公表した「オリンピック期間における外国人の出入国、中国滞在期間に関する法律指針」でハンセン病患者の入国を禁止した。国際的な抗議で五輪開会前に撤回されたが、これもハンセン病患者の入国を制限した古い規定をそのまま法律指針に踏襲したのが原因だった。
ハンセン病患者の隔離政策を打ち出した日本の「らい予防法」も然りである。1931年に成立したこの法律は療養所の入所―強制隔離の手続きは詳しく定めていたが、退所規定は盛り込んでいなかった。患者の隔離だけを意識した排除の思想であり、この結果、ハンセン病と診断された患者は強制的に療養所に入れられ、入所したが最後、一生を隔離されて生きるしかなかった。
ハンセン病は1941年に米国で特効薬ブロミンが発見されて以降、全快する患者も増えた。しかし、らい予防法が現実に廃止されたのは半世紀も後の1996年である。この間、らい予防法の規定で退所が認められない回復者は「長期外泊」という変則的な形で社会復帰するケースもあった。
どのケースにも共通しているのは行政の怠慢とハンセン病の患者や回復者が置かれた深刻な立場に対する社会の無関心である。この結果、世界で1600万人を超す回復者、家族を含めると1億人を超す人々が現在もいわれのない差別に直面している。
▼3つの戦術 こうした状況を踏まえ私は、医学的側面からのハンセン病の制圧と患者・回復者、家族に対する差別の撤廃という社会的側面が同時進行で進められなければならないと考えてきた。オートバイに例えれば、医療問題に取り組む前輪と偏見・差別の撤廃を目指す後輪が同じサイズとスピードで回転しなければオートバイは前に進まない。そのための戦略として、以下の3通りの戦術を考え実行してきた。
第一は、偏見・差別が重大な人権侵害であるということを世界に明らかにし、国際的な機関や各国政府に必要な措置を取ってもらうよう働き掛ける政治的アプローチだ。2003年7月に初めて国連人権高等弁務官事務所を訪問、この問題を国連人権委員会(2006年に国連人権理事会に改組)が取り上げるよう要請し、同年8月、スイス・ジュネーブで開催された同委員会の下部組織、人権促進保護小委員会でハンセン病患者や回復者の人権問題と尊厳回復に関する報告を行った。国連の場でハンセン病と人権問題が報告されたのは、これが初めて。歴史的な出来事であった。
翌年3月には、各国政府代表を前に人権委員会でこの問題を訴え、小委員会が人権侵害に関する実態調査を実施。2005年8月には小委員会で各国政府、国連機関などに対する現状改善のための勧告決議が全会一致で採択された。2006年8月には各国政府に状況改善を勧告する決議も全会一致で採択された。こうした動きを受け日本政府も2007年3月の国連人権理事会で、ハンセン病の人権問題に取り組む方針を正式表明し、20008年6月には国連人権理事会で「ハンセン病患者・回復者、そしてその家族に対する差別の撤廃に関する決議案」を提案した。
決議案は最終的に59カ国が共同提案国となり、常任理事国47カ国の全会一致で採択された。決議では国連人権高等弁務官事務所が各国政府が取っている差別撤廃施策を調べ、NGOや国際機関、回復者代表らを含めた協議会で結果を集約。
併行して国連人権理事会付属の専門家機関「諮問委員会」が独自の調査や高等弁務官事務所の調査結果を基にハンセン病患者・回復者への差別撤廃に向けたガイドライン案をまとめ、2009年9月までに国連人権理事会に提出するよう求めている。
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9月21日(月) [2009年09月21日(Mon)]
民主進歩党・蔡英文主席 9月21日(月)
09:30 ホテル発
10:00 故宮博物館・視察
12:00 関係者と昼食
14:30 民主進歩党・蔡英文主席と面談
18:30 亜東関係協会・彭栄次会長主催・夕食会
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9月20日(日) [2009年09月20日(Sun)]
台北市内 9月20日(日)
13:40 成田発 台北へ
16:15 台北着
17:30 ホテル着
19:00 産経新聞・山本勲台北支局長と夕食
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世界海事大学笹川奨学生・表敬 [2009年09月20日(Sun)]
世界海事大学笹川奨学生・表敬 (15ヶ国、27名)
2009年9月7日 日本財団ビル8階
皆さま一人ひとりから出身国でのお仕事の内容や卒業後の抱負をお聞かせいただきました。
またブルース・ブラウン世界海事大学(WMU)副学長にはご多忙のところ笹川奨学生を日本に引率いただき、誠に有難うございます。
ブラウン副学長には、日本財団とWMUとの関係をより緊密にしていただくためにこれまでご尽力いただきました。心から感謝申し上げます。
本日、5月に就任されたばかりのビョルン・シェルブ学長が訪問してくださり、一緒に昼食をとらせていただきました。シェルブ学長はWMUのさらなる発展のためにすべきことを明確に私に説明してくれました。私は新学長のもとWMUが今まで以上に質的、量的にも優れた大学に飛躍するものと確信しています。
WMUが今日の国際的な評価を受けるまでには設立当初から学長を中心とした教師陣のご努力はもちろんのこと、何よりも各国から優れた学生がWMUで学んだことが最大の要因だと認識しています。
私は長年にわたりWMUのお仕事に携われたことに心から感謝申し上げたいと思います。素晴らしい学生に奨学金を提供させていただくことは当然の責務であります。それに対し笹川奨学生は私たちの期待に十分に応えてくれています。私たちにとって皆さまは貴重な人材であり、宝物です。
私はこの25年間で300回以上海外に出かけています。多いときには1年に22回も発展途上国を中心とした国々を歴訪しました。すでに旅の日数は2000日を超えています。私の出張は飛行機で飛びまわることが多く、最も長い滞在でも一か所に4日間でした。
今回ご来日いただいている皆さまの中で、残念ながらベリーズ、イラク、そしてパキスタンの3カ国に行ったことがありませんが、機会があれば近いうちに訪問したいと思っています。
エチオピアやマダガスカルには何度も訪問しています。特にエチオピアでは貧しい農民に対し、食糧増産のための指導活動を22年間実施してきました。その活動が評価されてのことかもしれませんが、エチオピアを中心にサブサハラの国々には私の「ササカワ」という名の子どもたちが多くいるようです。決して私の子どもではありませんので誤解のないようにお願いします。(笑)
それ以外の国にも最低10回以上は訪問しています。インドにいたっては3年間で20回以上訪問し、ハンセン病を制圧するために仕事をしてきました。もしかしたら、今日ご来日のインドの皆さまよりもインドのことを知っているかもしれません。
冗談はさておき、私は過密な日程のもと各国を訪問していますが、僅かな時間を調整してでも必ずWMUを卒業した笹川奨学生の皆さまとお会いすることにしています。フィリピン、インドネシア、マレーシア、あるいはミャンマー、ベトナムでも笹川奨学生の皆さまと会ってきました。
モンゴルを訪問したときは、モンゴルではたった一人の卒業生がわざわざ私を訪ねてくれました。アフリカのタンザニアでは10時間以上の道のりを私に会うためだけに訪ねてくれた笹川奨学生もいました。
私たちは皆さまと生涯にわたっての親しい関係を構築したいと願っていますので、卒業した後も日本財団との交流を継続していただけますよう、お願いいたします。
私は皆さまから沢山のお手紙を頂戴しながら、忙しさにかまけて返事を出さないこともありましたので、ここでお礼を申し上げたいと思います。ただ結婚や出産という嬉しいお便りのときには必ず返事を出すようにしています。
私たちはWMUに限らず、世界44カ国68大学の修士博士課程、あるいはバングラディッシュの貧しい学生などを対象に様々な奨学制度を設けています。私たちの奨学制度の特徴は、皆さまの学業をお金だけで支援するのではなく、奨学金をきっかけに皆さまと日本との関係、あるいは日本財団との友好関係をつくることにあります。さらには卒業生によるネットワークを活性化させ、国際的な動向やそれぞれの国の事情などお互いに相談、意見交換し、発展させていくことができる組織をつくることが最も重要な仕事だと認識し、努力しています。
海洋政策研究財団の工藤栄介常務理事が卒業生を中心とした組織を活性化させるために大変努力してくれています。そのため世界のどこの国に行っても笹川奨学生に会えることは私にとって喜ばしいことです。皆さまにも私たちの有力なメンバーの一人としてネットワークの活性化のためにお手伝い願いたいと思います。
さて、英国のBBC放送が世界123カ国を対象に行った調査では、日本は世界で最も好感度の高い国でした。世界から日本はそのように評価されているのです。
この機会に是非皆さまには日本のありのままの姿を見ていただきたいと思います。決して良いところばかりではないかもしれませんが、悪いところも含め、日本を楽しんでいただきたいと思います。
真夜中に女性一人で歩いても危険なことはありませんので、安心して街に出て、「百聞は一見にしかず」ではありませんが、皆さまから見た日本という異文化に触れていただきたいと思います。
日本滞在中、元気で実りある、そして印象に残る旅行であることを心からお祈り申し上げます。
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日中笹川医学奨学金制度・第31期研究者 [2009年09月19日(Sat)]
「日中笹川医学奨学金制度・第31期研究者」 修了式・挨拶
2009年8月28日 日本財団ビル2階
研究生の皆さま、本日はおめでとうございます。1年は長いようで短かったのではないでしょうか。
また研究生を受け入れ、ご指導くださいました主任教官の皆さま、これまでのご尽力に対し、心からお礼申し上げます。
日中笹川医学奨学制度では20年以上にわたり、2000人以上の中国人医師を研究生として日本に受け入れ、全国の大学・研究機関で学んでもらっています。受け入れ機関の皆さまは、中国からの研究生をいつも心から歓迎してくださり、生活面においてもご協力してくださっております。また研究生は学問に打ち込むことはもちろんですが、それぞれの大学や研究機関、あるいは地域社会でありのままの日本を理解してくださいました。
笹川医学奨学生は、中国でSARS(重症急性呼吸器症候群)が猛威を振るったとき、第一線で活躍されました。また四川大震災のときは、温家宝首相に状況報告し、あるいは日本からの救援隊の窓口として中心的な役割を果たしてくれました。
皆さまのご活躍を耳にするたびに私たちはこの仕事をさせていただいていることに大きな喜びを感じます。
これからご帰国される皆さまは、単に学問を終えたというだけでなく、これからもご指導賜った主任教官、あるいは日本で知り合った多くの友人との間の人間的な関係を維持していただきたいと思います。
日本と中国は隣国関係にあります。隣国同士が長く平和裏に存在するというのは、世界の歴史では稀なことです。日中間では近代において若干の諍いはありましたが、概ね2000年にわたり穏やかな二国間関係が存在してきたと思います。
国家と国家の関係が安定的に維持されることは難しいことです。そこには国益だけでなく、指導者の置かれている立場、あるいは思惑も絡みあい、場合によっては問題が生ずることもあるからです。
私たちは民間の立場から日中間における交流活動を展開してきました。今日もこのあと、人民解放軍訪日団の歓迎レセプションが開催されますが、私たちが実施してきた防衛交流は今年で9年目になります。
政府間による防衛交流が中断していたときも、中国政府、あるいは人民解放軍から私たちの交流だけは続けてほしいと要望され、実施してきました。
今回、中国政府が海上自衛隊艦船の香港寄港を拒否しましたが、来日中の人民解放軍の受け入れは予定通り行っています。
国家間で上手くいかないことも日本財団が仲介の労を果たすことで機能するというのは、長い間、私たちが中国との信頼関係の確立に努力した結果であろうと思います。
両国は近いだけに近親憎悪というような問題が起こることがあるのかもしれません。しかし、それはお互いの理解不足が原因なのではないでしょうか。私はお互いによく知る努力を続けることが望ましいと思っています。
日中間が熱烈に熱くなったり、冷たくなったりするというのは決して両国民にとっては好ましいことではありません。
皆さまは日本語が堪能でしょうからご理解いただけると思いますが、国同士の関係は夫婦関係と同じようなものです。熱くなることもあれば、冷たくなることもあります。日本には「ほどほど」という言葉がありますが、両国にとっては「ほどほどの関係」が一番良い関係だと思います。
私は7月に中国最大のサイトである中国人民ネットに90分間、出演してきました。このサイトは中国にいる3億人のネット・ユーザーのうち1億人がアクセスしているほどの巨大サイトで、映像を通じ全世界にも配信されています。私はこの12月に訪中する予定ですが、そのときにも再度出演を依頼されています。今度は反日家といわれる人が集まり、私と論争することになっています。
私は喧嘩に行くわけではありませんが、二国間関係の重要性、そして未来に向けての関係のあり方についてやさしく説明したいと思っています。この対談については、中国の最高指導部も許可してくれているということですので、私も中国について勉強したいと思っています。
日本人も中国のことを知っているようで知りません。中国人も日本のことはあまり知らないのではないでしょうか。お互いが知る努力を続けることに相互理解が生まれると思います。
私には雲南省の刑務所で服役中の26歳になる息子がいます。彼は18歳のときに麻薬運送の罪で逮捕され、無期懲役の判決を受けました。そんな彼が私たちの主催する中国語による日本に関する作文コンクールに素晴らしい論文を応募し、優秀賞に選ばれました。
入賞者には日本研修プログラムが用意されていたのですが、彼は服役中でしたので来日が叶わず、私が表彰状を渡すために彼を訊ね、とても立派な青年でしたので、私の息子にしたのです。 ここに来る前に彼からの手紙を読んでいたのですが、書き出しは「お父さん」というものでした。私は彼が出所した暁には立派な青年になってもらいたいと思っていますし、個人的にも彼の面倒をみようと心に決めています。
私は年に数回、中国を訪問しています。いずれかの機会に皆さまにお目にかかれることを楽しみにしています。
私たちは笹川医学奨学生による同窓会も組織していますので、積極的にご参加いただきたいと思っています。
ご帰国後、それぞれの職場で研究活動、あるいは実践活動に移られると思いますが、お時間のあるときには日本のことを思い出していただきたいと思います。
私たちはこれからも皆さまとの関係を持ち続けることを心から期待しています。
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笹川 陽平
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9月18日(金) [2009年09月18日(Fri)]
9月18日(金)
11:00 篠原由宏弁護士
12:00 インターン学生との昼食
14:00 笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長
14:30 国土交通省・宿利正史国土交通審議官
15:10 笹川平和財団・羽生次郎会長
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「台湾出張」 [2009年09月18日(Fri)]
「台湾出張」
明後日9月20日より22日まで台湾を訪問。 馬英九総統をはじめ台湾要路の方々と懇談予定。 内閣総辞職の直後でもあり、台湾情勢をよく勉強して参ります。
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