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笹川 陽平
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5月23日(土) [2009年05月23日(Sat)]
5月23日(土)

 14:30 成田着 日本財団直行

 16:00 日本財団着 書類整理、決裁
5月22日(金) [2009年05月22日(Fri)]

北島大使(左)とピレー国連人権高等弁務官(中央)


5月22日(金)

 11:30 ピレー国連人権高等弁務官

 12:20 北島・ジュネーブ駐在日本大使主催 昼食会
      
 14:00 ジュネーブ空港へ直行

 15:30 ジュネーブ発パリへ

 20:00 パリ空港発 帰国へ
日馬富士関 [2009年05月22日(Fri)]

日馬富士関(左)とレンツェンドー・ジクジッド特命全権大使(中央)


「大相撲」その2
〜日馬富士関〜

先日、モンゴル大使館での夕食会で、モンゴル出身の日馬富士関と席を共にした。

関取は少し遅れての参加であったが、礼儀正しく挨拶をしてテーブルについた。あまり食事が進まないようなので「どうして召し上がらないの」と問いかけると「現在ダイエット中です」と言い、ちゃめっけたっぷりな笑顔を返してきた。

ご承知の通り、幕内力士の平均体重は150kg前後であるが関取は120kg台。幕内最軽量の小兵である。1kgでも体重を増やしたいはずの関取のユーモアある返事に、テーブルは一瞬にして明るい笑いとなった。

大使の勧めで「写真を一枚」といわれた時、関取は跪きながら、右手でモンゴル国旗の先端を押し戴き頭を下げたのには正直驚かされた。国旗や国歌を軽視する風潮の日本において、関取の態度は感銘を与えるものであった。

朝青龍との取組みでは、あの眼力とオーラに恐怖さえ感じたという。しかし、懸命に稽古を続ければ必ず勝てる日が来ると人一倍精進を続け、一度横綱に勝利してからは、不思議に対等に闘える気持ちになったという。小兵力士が大関になるまでの血の滲むような稽古は当然としても、モンゴル国旗への挨拶でみせた愛国心は、並のモンゴル人ではないと思った。

関取はモンゴルの子供の心臓病の救援活動もボランティアで続けており、「伊勢ヶ濱部屋のおかげで今日がある」と言い、「今のところ個人の後援会を設けるつもりはない」と、どこまでも好青年である。

外国人力士の増加は、朝青龍事件をみるまでもなく、「国技・大相撲が外国人に乗っ取られてしまう、日本の伝統が破壊される」等の議論が沸騰したことがある。

しかし、外国人力士批判は日本人の狭隘な精神である。外国人関取第一号・高見山関の入門以来、今日の大相撲の状況は予測できたであろう。

異次元の世界といっても過言ではない伝統と仕来たり。その上、言葉の問題もかかえてこの世界に飛び込み、日本人力士の何倍も努力する彼らを批判することはできない。批判されるべきは相撲道をしっかり指導しない親方や相撲協会の責任である。

日馬富士関の態度をみてそう実感した。

英国のウィンブルドンのように、英国の選手の活躍はほとんどなく、外国選手に占領された感のあるイギリスでも、観客は素晴らしいパフォーマンスには惜しみない拍手を送っている。

大相撲は今後益々、外国人力士の活躍が増えることだろう。

私はそれでいいと思っている。ただ一つの条件は、協会や親方が高見山関や日馬富士関のように、長い間に培われたしきたりや伝統、礼儀作法をしっかり教えることである。

そうすれば、日本の古式豊かな大相撲の伝統は、外国人力士によって守られ続けていくであろう。
5月21日(木) [2009年05月21日(Thu)]

WHO総会で笹川健康賞授賞式のスピーチ


5月21日(木)

 09:15 国連欧州本部着

 09:30 フィリピン フランシスコ・ドゥケ保健大臣

 10:00 タイ 保健省監督官 元WHO執行理事 スリヤ博士

 11:00 ザンビア シンバオ・カペンブワ保健大臣

 12:30 WHOマーガレット・チャン事務局長と昼食会

 14:30 ミャンマー チョウ・ミン保健大臣

 15:40 モザンビーク ガリドー保健大臣

 16:00 WHO総会・笹川健康賞授賞式・挨拶

 20:00 元WHO事務局長ハルフダン・マーラー博士と夕食会
      於:パレドラック
5月20日(水) [2009年05月20日(Wed)]

パリンカス学長から”社会のための科学賞”授与


5月20日(水)

 09:00 ハンガリー科学アカデミー・パリンカス総長より科学アカデミー賞拝受

 09:30 笹川良一ヤングリーダー奨学金制度20周年記念式典・挨拶(挨拶文・別記載)

 12:30 関係者と昼食

 15:00 ホテル発 ジュネーブ(スイス)へ

 20:30 ジュネーブ ホテル着
 
 20:50 関係者と夕食
 
高見山関定年退職 [2009年05月20日(Wed)]


「大相撲」その1
〜高見山関定年退職〜


東関親方(高見山関)が今場所限りで相撲界を去ることになった。

思い起こせば高見山関は、確か19歳で高砂部屋に入門。1967年3月には新十両となり、その後、日本相撲界の長い歴史の中で初の外国人関取となった。

慣れない異国の相撲社会で一生懸命稽古に励み、股割の稽古の辛さにおもわず涙し、「目から汗が出た」との名言を吐きながら、大きな眼(まなこ)を手で拭ったこともあったという。

ハワイ州のアリヨシ州知事(当時)より父・良一に、高見山関の幕内入りを機会に後援会長に就任してほしいとの依頼があった。父にその気は無かったが「国際親善のために」との知事の強い希望を最後は受け入れた。父が後にも先にも大相撲と縁があったのはこの時だけである。

高見山関は律儀にも、毎場所番付を持って父のところに報告に来た。雲を突くような大男ではあるが、父の前に出ると心なしか小さくなっているように見えた。

父は「アメリカ人の代表として頑張れよ!! 礼と節が大切だ!! それにしても君は腰が高い。仕切りの時はこうやって・・・」と、背広を脱いでワイシャツ姿で昔とった田舎相撲を思い出して低い仕切りの姿勢をとった。高見山関は「ハイ!!ハイ!!」としわがれ声で返事をしながら父の姿を見ていた。父の主催する消防の全国大会、吟剣詩舞振興会、競艇関係の集まりにも、時間があれば必ず参加してくれた。

また、子供たちに躾を訴えるために流した山本直純作曲の「火の用心」のコマーシャルは、笹川良一、山本直純、高見山の三人組で、月曜日から日曜日まで毎日歌詞を替え、長く放映された。今でもウェブサイト・ユーチューブにアップされているらしい。

高見山関が昭和47年(1972年)7月の名古屋場所で、13勝2敗で外国人力士として初めて優勝した折、関係者でお祝金を集めて送金することにしたが、高見山関は銀行通帳を持っておらず、朝潮親方の了解を得て口座が開設された。それまでどのように生活していたか知らないが、相撲社会の不思議な生活の実態を垣間見た気がした。

父は結婚式の仲人も務めた。
引退の断髪式は人気を呼び、満員の観客の中、父は式が終了するまでの3時間余り、直立不動で参加者への礼をとった。

日本名「渡辺大五郎」君の第二の人生に幸多きことを祈りたい。
5月19日(火) [2009年05月19日(Tue)]


5月19日(火)

 07:15 自宅発 フランクフルト経由ブタペスト(ハンガリー)

 19:30 ブタペスト ホテル着

 20:00 ハンガリー科学アカデミー主催 夕食会
明朝からブタペスト、ジュネーブに出張 [2009年05月18日(Mon)]
明朝からブタペスト、ジュネーブに出張。
帰国は5月23日です。

ブタペスト(ハンガリー)では、ハンガリー科学アカデミーに設置した笹川ヤングリーダー奨学金が20周年を迎える式典に参加します。

ブタペストの後、ジュネーブでWHOの総会に出席。
マーガレット・チャン事務局長、国連人権理事会・ピレー高等弁務官と会談する予定です。
「太平洋・島サミット」 [2009年05月18日(Mon)]

ミクロネシア議会で演説する森・元首相(2008月9月)


「太平洋・島サミット」


3年に一度の「太平洋・島サミット」が5月に北海道で開催される。報道によると、気候変動、水と衛生、廃棄物対策、生物多様性保全、産・学・官の連携など、協力の分野と方向性をまとめた文書を採択する予定だという。

ツバルが地球温暖化の影響で水没の危機に直面し、他の国や地域でも、サンゴ礁やマングローブの自然破壊は確実に進んでいる。

日本政府主催「太平洋・島サミット」までの道のりは長かった。

1987年1月、倉成外務大臣(当時)がフィジー、ヴァヌアツ、パプア・ニューギニアを訪問。フィジーにおいて「太平洋未来社会を目指して」と題し、日本の太平洋島嶼国政策に関する演説を行った。「倉成ドクトリン」といわれるものである。

そのポイントは

@島嶼国の独立性と自主性の尊重
A太平洋地域が「平和で安定した地域」であり続けるよう努力
B経済的繁栄のための支援
C地域協力の側面的支援
D人的交流の促進

の5点に置くことを表明。

これを受け、翌年の1988年8月、笹川平和財団では倉成氏を議長に迎え、日本ではじめての民間による「太平洋島嶼国会議」を開催した。

尾形武寿・笹川平和財団総務部長(現・日本財団理事長)を中心に、今でも不便な島嶼国を、手分けして参加要請の趣旨の説明に廻り、下記の通り、予想外の出席者を得た。

フィジー共和国    カミセセ・マラ首相
キリバス共和国    イエレミア・T・タバイ大統領
ミクロネシア連邦   ジョン・H・ハグレルガム大統領
パプア・ニューギニア ミカエル・T・ソマレ外務大臣
ソロモン諸島     エゼキエル・アレブア首相
トンガ王国      ツゥポウトア皇太子
トゥヴァル      トマシ・プアプア首相
ヴァヌアツ共和国   セシー・J・レーゲンバヌ文部大臣
西サモア       ツゥイラエパ・サイレレ大蔵大臣
クック諸島      ププケ・ロバチ首相 

当時は、大平首相の悲願でもあったというこの会議を、一民間団体だけで、よくこれだけの参加者を得て実現したものだと、話題にもなった。

東京プリンスホテル・プロビデンスホールでの開会式では、竹下登首相の祝辞を小渕恵三官房長官が代読された。

会議の結果を受けて、笹川平和財団内に30億円で「太平洋島嶼国基金」が設置され、今も幅広く活動しており、20年間担当してきた早川理恵子の名は、島嶼国のリーダーで知らない人はいないほど有名である。

外務省の島嶼国関係部局は、島嶼国の多くがイギリスの植民地だった歴史的経緯から、ヨーロッパ諸国を担当する欧亜局の中に「欧亜局大洋州課」として存在していた。アジア局のもとに大洋州課をおくべきと陳情を重ねて13年。2001年1月、ようやくアジア大洋州局大洋州課として欧亜局大洋州課から移動した。当時の要路の方々に陳情したのも懐かしい思い出である。

小渕氏には、竹下首相の代読祝辞原稿と写真を持参し、「ご縁があるのですから是非、日本国として太平洋島嶼国会議を開催してほしい」と陳情し続け、10年後の1997年10月、「第1回太平洋・島サミット」が小渕外務大臣の下、東京で開催された。

多分、大洋州課の責任者も、これらの全ての島国へは訪問していなかったのだろう。「笹川さんの力と知恵を借りてこいと小渕外務大臣に言われました」と責任者が来訪され、ささやかな協力もさせていただいた。

以来、今年が5回目の開催となる。

島嶼国に対する中国のプレゼンスが高まり、島嶼国をめぐる国際環境は一変した。そして、日本政府悲願の国連常任理事国入りは、これらの国の中に反対票もあり、惨敗する結果となった。しかし、今でも旧南洋庁があったパラオを中心に、太平洋島嶼国には親日国が多い。

第2回の太平洋・島サミットは、小渕首相の逝去により森首相に引き継がれ、宮崎で開催された。以後、森喜朗元首相の太平洋島嶼国への努力は敬服すべきもので、ご多忙の中、フィジーでの会議にも出席してくださった。

最近はミクロネシア連邦を訪問され、笹川平和財団・羽生次郎会長のアイディアによるアメリカ・日本・オーストラリアの3ヶ国によるマーシャル、ミクロネシア、パラオの密魚監視、環境汚染防止等、海の安全のための海上保安庁設立構想、留学生受け入れなどの活動にもご協力をいただいている。
    
島嶼国を取り巻く海洋環境の保全・保護を考える [2009年05月17日(Sun)]


「太平洋島嶼国会議」
島嶼国を取り巻く海洋環境の保全・保護を考える
-共通の財産を守るための提言−
挨拶

2009年5月14日
日本財団ビル2階

今月22日、北海道トマムで太平洋・島サミットの開催が予定されています。その前に民間レベルで太平洋島嶼国を取り巻く海洋環境問題について議論できることは大変素晴らしいことであり、そのような企画に参加できますことを心から喜んでおります。

このシンポジウムで中心的な役割を果たしていただきます石弘之・東京農業大学教授は世界の環境問題を語る上で大きな発言権を持つ一人であります。また遠路ご出席下さった発言者の皆さま、大使館はじめ関係者の皆さまにも心からお礼申し上げます。

先ずは、わが国とメラネシア、ポリネシア、ミクロネシアとの関係について過去の経緯を振り返りながらお話しさせていただきます。

1987年1月、倉成正外務大臣(当時)がフィジーで「太平洋の未来を目指して」と題し、日本の太平洋島嶼国政策について演説されました。いわゆる倉成ドクトリンです。

この演説のポイントは5つあります。

1.島嶼国の独立性と自主性の尊重
2.太平洋地域が平和で安定した地域であり続けるように努力する
3.経済的繁栄のための支援
4.地域協力の側面的支援を日本は行う
5.人的な交流の促進

しかし、残念なことに政府の動きが低調であったため、翌年の1988年8月、笹川平和財団が中心となり太平洋島嶼国会議を開催しました。

この会議の出席者のほとんどが大統領や首相であり、今回の太平洋・島サミットにも勝るとも劣らない方々にご出席いただきました。また会議では、太平洋島嶼国と日本との関係をさらに緊密にしようと、笹川平和財団に30億円の基金を設け、「笹川太平洋島嶼国基金」を設置したのです。以来20年、大変地味ではありますが、太平洋島嶼国と日本との間において素晴らしいプログラムの数々を実施してきました。

当時から関わった者として基金スタッフ、そして基金の活動を支えてくださった皆さまには感謝を申し上げたいと思います。

当時、外務省の太平洋島嶼国を担当する大洋州課は欧亜局にありました。いわゆるイギリス植民地支配という古いしきたりの中で外務省も存在していたわけです。私はアジア局のもとに大洋州課を置くべきであると陳情を重ね、ようやく13年後の2001年にアジア大洋州局大洋州課に改組されました。

一方、政府には、太平洋島嶼国との間の太平洋・島サミットの開催は日本の過去の歴史からみても日本の責務であるとお願いし続けました。

私は、太平洋島嶼国会議で竹下登首相(当時)の挨拶文を代読された小渕恵三官房長官(当時)に太平洋・島サミット開催に向けての中心的な役割を果たしていただけるようお願いし続け、10年後の1997年10月に第一回太平洋・島サミットが日本政府により初めて開催されたのです。

今日、政府、そして民間においても太平洋島嶼国との連携が重要であると認識されるようになったことは、喜ばしいことです。

私は、一年の三分の一を発展途上国の現場での活動に充てていますが、太平洋島嶼国に限らず、世界中で生活から出されるゴミ、あるいは産業・工業廃棄物が川に流され、または海に直接捨てられる状況を目の当たりにしてきました。

2050年には世界の人口が100億人になると言われています。これまで私たち人類は陸地を中心に物事を考え判断してきましたが、地球上で生存する生物は全て母なる海なくしては生きられないのです。それにも関わらず、限られた人しか海に目を向けておらず、海を人類が守るという関心は残念ながら薄いと言わざるを得ません。

本格的に海洋の環境問題を議論し、全ての人々に認識を持っていただくことが、水の惑星である地球を後世に引き継いでいくための根本的な問題であると考えます。現状のままでは、間違いなく海は人類のゴミ捨て場と化してしまいます。

この点について私は先月、国際海事機関(IMO)の会議で海洋のあり方と保全をテーマに講演し、各国政府に海に関心を示すべきだと指摘してきました。

美しい太平洋島嶼国の国々が海洋環境に注目し、この問題の解決に強い意志を表明されていることは、大いに評価すべきことであり、日本は協力できる体制を作る必要があると思います。

そしてこのような動きは世界の海洋環境保全のモデルケースになる可能性がありますし、モデルケースにしなければならないことでもあります。

21世紀は、海洋に守られた人類社会が海洋を守る人類社会に変わっていかなければなりません。このシンポジウムはその大きな先駆けとしてスタートし、広く世界に情報が発信されることを期待しています。

そのような意味で、この会議は歴史的に意義深いスタートになると理解しています。有意義な会議にしていただくことを心からお願い申し上げます。