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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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東北地方太平洋沖地震応援基金
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WHO総会・笹川健康賞授賞式 [2009年05月31日(Sun)]


WHO総会・笹川健康賞授賞式
(原文・英語)

2009 年5月21日
於:スイス・ジュネーブ
欧州国連本部


笹川健康賞25周年という四半世紀の記念すべき節目に、こうして授賞式でご挨拶できることを嬉しく思います。

今回の新型インフルエンザ問題については、マーガレット・チャンDGのリーダーシップのもと、WHOのスタッフの方々によって迅速な対応がなされたことに敬意を表します。

またこのような混乱の中、この授賞式が滞りなく開催されるよう調整にご尽力いただいた関係者の皆さまに感謝を申し上げます。

この賞は、「すべての人に健康を」というWHOの指針を体現すべく、1984年に設立されました。

健康であることは、食べること、教育を受けることと同じく、基本的人権のひとつです。

何よりもまず人は健康でなければ、食べること、教育を受ける機会も喜びも、大きく減ってしまいます。

すべての人に向けて健康を害する根本的な原因を解消していくプライマリー・ヘルスケアは、多くの人に影響する重要な分野です。

そのプライマリー・ヘルスケアの分野において活躍された人物・団体の活動を称えるこの笹川健康賞は、今年はバーレーン王国保健省のアマル・アブドルラフマン・アル・ジョウデル医師に贈られます。

彼女は1985年に東リファ・ヘルスセンターで家庭医としてキャリアを始められ、保健教育局へ活躍の場を移されました。彼女のキャリアは、笹川健康賞とほぼ同じ期間の歴史を刻んできています。

彼女の長年に亘る活動の中で、特に称賛されるべき理由がふたつあると私は思います。

まずひとつめに、正しい情報伝達の重要性に着目されたことです。

ラジオやテレビプログラムを通じて、保健に係る正しい知識を広めることに尽力されてきました。病気に関する正しい知識を広めることは、病気予防、早期発見の上で不可欠です。そのためにはメディアの協力は欠かせません。

私はWHOのハンセン病制圧特別大使を務めていますが、ハンセン病においても同じことがいえます。ハンセン病は病気に対する社会的偏見とそれに基づく厳しい差別が未だに残っていますが、その偏見を解消していく上でも、メディアを通じて病気に関する正しい知識を伝えていくことが有効であると肌で感じています。

情報伝達に加え、彼女の素晴らしい業績のふたつめは、他の省、他のセクターとの協力体制を築かれたことです。保健省という枠にとらわれることなく、保健専門家、自治体、地域のセンター、学校等と協力し、プライマリーヘルスケアの普及に努められました。

社会変革の波を社会全体の隅々にまで届けるためには、先ほども申し上げたメディアをはじめ、NGO、学校、企業など、社会を構成するあらゆるセクターと連携し、うねりを生み出していくことが必要です。

笹川健康賞は、賞金を更なる活動発展のために使っていただくという、賞金の使途を定めたユニークな賞です。

アル・ジョウデル医師は本賞金により、遠隔地における保健教育のための教育バスと、体を鍛えるためのボールや運動器具などを運ぶスポーツバスという2種の巡回バスを整備されるという構想をお聞きしています。

この賞が、これからのさらなる活動の発展につながるものであることを祈り、お祝いの言葉とさせていただきます。(了)
SYLFF基金設置20周年記念式典 [2009年05月30日(Sat)]

 
ハンガリー科学アカデミー
SYLFF基金設置20周年記念式典
(原文・英語)

2009年5月20日
於:ハンガリー科学アカデミー


ご列席の皆様

本日ここに、ハンガリー科学アカデミーにおけるSYLFFプログラム設置20周年を皆様とともに祝う機会を与えられましたことを、光栄に存じます。

私は、この記念すべき機会に際し、まず初めに、設置以来20年間、将来のリーダーとなる優秀な学生を育成するために、この基金を効率的に運用しつつ献身的な努力をしてこられたハンガリー科学アカデミー、特にヨーゼフ・パーリンカーシュ(Jozsef Palinkas)学長、ノバート・クロー副学長をはじめ、SYLFF運営委員会の委員の皆様に心から感謝の意を表します。

SYLFFプログラムは、「国籍・言語・民族・宗教・政治体制などの差異を越えてグローバルな問題に立ち向かうと同時に、各国固有の問題に対して高い感性と行動力をもって取り組み、変革していくことのできるリーダーを発掘し育成する」という目的のために、1987年に設立されました。

現在44か国68校の高等教育機関に設置され、フェローの数も11,000人を超えています。

その中で、ハンガリー科学アカデミーは、当時の貴国首相ネーメト・ミクローシュ(Nemeth Miklos)氏の政策により「鉄のカーテン」の一角が解放された1989年に第16番目のSYLFF校となりました。共産主義と訣別し、自由主義世界の一員として道を歩み始めた当時の中欧では、それまで以上に新たな国家づくりのための優れたリーダーを必要としておられました。

そのような喫緊のニーズに応えるために、貴アカデミーに中欧地域最初の奨学金制度を設置できたことを、私たちも誇りに思っております。設置以来、148名のフェローが誕生したと聞いております。

その後、東西の壁の崩壊により、貴国を含む東欧諸国は政治体制の大変革を受け、市場経済への移行、市民社会の構築など多くの課題に直面されました。

そこで日本財団は自由社会への移行期にある中欧諸国の社会変革の過程で協力させていただきたいと考え、1992年に関連団体である笹川平和財団に「笹川中欧基金」を設立いたしました。

以来約20年間、中欧諸国の若手リーダーの皆さんに日本の社会を知っていただくための日本への招へい事業、市民社会・非営利セクター市民活動支援などをさせていただきました。

そして市場経済とは何かを分かりやすく説明する手段として、テレビ番組の制作事業、また、貴アカデミーのチャバ・マコー(Csaba Mako)教授を主任教授として、聖シュテファン大学において現代日本紹介講座を開講し、日本の経済発展モデル、企業の経営体制等についての講義の開催も支援させていただきました。

そして同じくこの20年間には、貴アカデミーより名誉あるDoctor of Academyの称号を贈られたエーヴァエディット・キシュ(Eva Edit Kiss)氏、ラヨシュ・ラーツ(Lajos Racz)氏を始め、様々な分野において多くの優秀なSYLFFフェローが貴アカデミーから巣立って行かれたと聞き、大変心強く思っております。

現在、貴国も例外なく世界的な経済危機の最中にあり、様々な社会問題が顕在化していると聞いています。このような状況にあって、ぜひ貴アカデミーのSYLFFフェローの皆さんには社会においてよきリーダーとなり、そして現実に果敢に向き合い、それぞれの問題に対する解決策を導き出していっていただきたいと考えています。

その際、幸いなことに皆さんには、世界中に1万1000名の世界随一のSYLFFフェローのネットワークがあります。

そしてこのSYLFFプログラムの実際の運営を担当している日本財団の姉妹財団である東京財団も、このネットワークの構築を通して、皆さんの活動を将来に亘って応援しています。

SYLFFフェローの皆さんが、それぞれの専門分野を活かしつつ、その分野や国境を超える人々との協力を通して、現代の社会と世界が抱える様々な問題に取り組む上でリーダーとして活躍してくださることを期待しています。

最後に、献身的な努力によってSYLFFをここまで成功裏に導いてくださったヨーゼフ・パーリンカーシュ(Jozsef Palinkas)学長、ノバート・クロー副学長、SYLFF運営委員会の委員の皆様、ハンガリー科学アカデミーの関係者の皆様、そしてフェローの方々に対し、改めて心からの感謝を申し上げ、私の挨拶といたします。

ご清聴ありがとうございました。


5月29日(金) [2009年05月29日(Fri)]
5月29日(金)

 10:30 ウシオ電機・牛尾治朗会長
「ネパール王制廃止とギャネンドラ前国王」 [2009年05月29日(Fri)]

筆者とギャネンドラ前国王(2009年4月)


「ネパール王制廃止とギャネンドラ前国王」


2008年5月28日、ネパール制憲会議は共和制を採択し、王制廃止が正式に確定した。

ギャネンドラ国王は地位を追われ、一般国民となり、6月11日夜、ナラヤンヒティ王宮を退去した。

通常前国王が来客と接見される時、政府から貸与されているカトマンズ盆地の森林内にあるナガルジュン離宮を使われるが、今回は私邸での接見となった。

私のネパール訪問は11月〜3月の間が多いが、珍しく4月末のカトマンズ訪問。何度訪れても町は埃っぽく、交通渋滞の中、バイクや自転車に乗る人々はマスク姿が多い。

大木のジャカランダの紫の花が満開で、ジャカランダの木の多さに改めて気づかされ、樹木の少ないカトマンズでは若干、心和む風景であった。

ギャネンドラ前国王には兵士50人と警察官15人が警備にあたっているそうだが、私邸への訪問はいたって簡単。国王時代の侍従長が先導して案内してくれた。

玄関先まで約50メートル。玄関の広間には、ネパール南部のタライ地方に生息する「サイ」2頭の剥製の頭部が飾ってあった。

2008年2月27日のブログで、ギャネンドラ国王との謁見の際、国王の象徴のように足元に雪豹の敷物があったことを記載したが、王宮退去の際、この敷物だけは持参されたのかも知れない。私邸でも前国王の足元には同じ雪豹の敷物が敷かれていた。

一市民になられた気安さからか、帽子もかぶらず、ワイシャツの第一ボタンを外され、リラックスした雰囲気での会談となった。



数時間前、ネパール南部、インドとの国境地帯のダヌーシャ・マホッタリ地区でのハンセン病制圧活動で、ネパールのカースト制度の最下層・不可触民のハンセン病回復者の足を洗った同じ手で前国王と握手したわけである。

以下は、面談メモの要旨。(敬称、敬語 略)

笹川:私のハンセン病制圧の仕事は、ネパールの多くの人が同じ気持ちになって働いてくれており、今回は特にネパール・ジャーナリスト協会の協力により、ジャーナリストがタライでの活動に同行してくれた。恐らく年内には制圧を達成できるだろう。今、最後の努力をしているところであり、制圧に成功したらまたご報告する。

前国王:長きに亘る懸命の努力に感謝する。出来ることがあれば、どんな支援でもしたい。

笹川:父がアンダマンのハンセン病施設を訪れたのが40年前。こんなに早く患者が減ることになるとは父も想像していなかったであろう。あなたが常に国民とともにいて、たびたび全国各地をまわり国民の幸せを願っておられたことを十分に理解している。

前国王:今は民主主義を強化するため、多くの時間と忍耐が必要だ。暗闇の中から出てきた人は暗闇を求める。トンネルの先には光があることを教えないといけない。寛容な国民は大きな苦難を強いられているが、それに耐えている。平和的な体制移行の時がやがてくるだろう。

笹川:確かに今は忍耐の時かも知れない。ネパール国民は、あなたが明るい未来を期待して耐えることを希望しているだろう。

前国王:私がそのような範を示さないといけない。好機に乗じて復活を図るというようなことは控えたい。花が自然に咲くのと同様に、自然に物事がそうなるような時宜を得なければならず、作為的なことをしてはならない。今は読書と面会者に時間をとられているが、落ち着いたら野生動物の保護、国立公園の保護活動に尽力したい。

笹川:心配していたので、再会できて安心した。年末にはハンセン病制圧の報告に参上できるよう、最大限の努力をしたい。

*日本財団ユーチューブで、映像もアップしている。


5月28日(木) [2009年05月28日(Thu)]

各国駐日大使、中東の専門家が参加


5月28日(木)

 11:00 日本財団・理事会

 14:00 日中鉄道友好推進協議会・黒野匡彦会長

 15:30 笹川中東イスラム基金設立パーティ・挨拶

 16:30 日本歯科医師会・役員披露パーティ・挨拶 於:ホテルオークラ
5月27日(水) [2009年05月27日(Wed)]
5月27日(水)

 11:00 日本財団・評議員会

 14:00 雑誌「財界」取材

 16:30 スリランカ ジャヤンタ・パリパーナ大使

 18:30 岡崎研究所「春のフォーラム」
豚インフルエンザとマスク [2009年05月27日(Wed)]

WHO・フクダ事務局長補代理と筆者(2009年5月・ジュネーブ)


「豚インフルエンザとマスク」


鳥インフルエンザは、ベトナム、中国、インドネシアなどで鳥から人への感染が確認され、人から人への感染にいつ発展するかは時間の問題といわれている。鳥の焼却処分など、各国では警戒と対策に腐心していたが、予期せぬメキシコからの豚インフルエンザの発生と百人規模の死亡者数はWHOを中心に世界を驚愕させた。

日本でのその後の大騒動は読者ご高承の通りである。

5月21日のWHO(世界保健機関)総会でのササカワ健康賞の贈呈式で、私の挨拶文にも豚インフルエンザにふれた一文を入れた。

英語が不得手な私は、なぜ豚インフルエンザがPIGインフルエンザではなくSWINEインフルエンザなのか不思議に思っていると、同行の平野加奈江女史が詳しく説明してくれた。

豚の複数形又は集合体をSWINEというとのこと。ちなみにSWINEにSがついてSWINESとなると「好色漢」になるという。

今回、豚からかの感染か否かも確認されていないのに、豚を嫌うイスラム教のエジプトで大量の豚が処分されたり、イスラム世界に風聞が拡がる恐れもあり、名称が新型インフルエンザ(H1N1型)に統一された。

5月19日(火)、東京からフランクフルトに到着したほとんどの日本人はマスクをしており、22日のシャルルドゴール空港でも日本人の大半がマスクをしていた。

マスクの習慣のない外国人には異様な光景に映ったであろう。例えば、何かの抵抗運動のための「沈黙」の意志表示か、何かの宗教団体の一行に見えたかも知れない。

WHO(世界保健機関)の総会場は当然としても、フランクフルト空港、ブタペスト、ジュネーブ、シャルルドゴール空港でも、日本人以外、唯一人としてマスク姿はいなかった。

数人との会話なので真偽のほどは定かではないが、ヨーロッパではマスクは自分が感染症の病気で他に感染させないためにするもので、予防のためのマスクの習慣はないという。

ある時、国際機関に働く日本人の奥さんが、口元に傷ができたのでマスクをしたら、会う人ごとに理由を聞かれ、そんなことではマスクはしないほうがよいと注意されたという。

学生時代、寒い日にはマスクを常用したものである。しかし、習慣の異なるヨーロッパから見ると、何千人のマスク姿や、子供たちが学校で手を洗いうがいをする日本発の映像は、よほど深刻な状態なのか、あるいは恐ろしく潔癖症の国民だと誤解されたに相違ない。

事実、一部外国紙には「日本人は潔癖症」と書かれていた。

日本人の衛生観念は食の安全も含めて世界一であり、大いに誇るべきことではあるが・・・一人の死者もなく、このまま終息することを願うのみである。

南半球はこれから冬を迎える。今回のウイルスは弱毒性で大きな心配はないというが、スペイン風邪も当初は弱毒性であった。専門家は、他のインフルエンザウイルスと合体しての突然変異で強毒性になる可能性があるという。十分な監視と用心は必要であろう。

蛇足であるが、我が国では毎年風邪から派生した病気で死亡する人は約一万人とのことである。


WHO・マーガレット・チャン事務局長とも意見交換


一躍有名になったWHO・感染症責任者のフクダ・ケンジさんは日系アメリカ人で、長年の友人であるWHOの前感染症局長・デビット・ヘイマン博士の薫陶を受けた人で、感染症局長への内示が出ているらしい。

フクダさんの記者会見には「フクダさんが日系人のせいか8割は日本人であった。日本人は少し騒ぎ過ぎでは」と、知人に皮肉られた。
5月26日(火) [2009年05月26日(Tue)]
5月26日(火)

 10:00 財団法人舞台芸術センター評議員会

 12:00 グルジア共和国独立記念日 於:ホテルニューオータニ

 14:00 国土交通省・宿利正史国土交通審議官

 14:30 シンガポール 王女史

 15:00
  〜  「語り場」 日本財団職員との対話
 16:40

 17:00 箕山会 於:四川飯店

 19:00 フィンランド大使夕食会 於:フィンランド大使館
5月25日(月) [2009年05月25日(Mon)]

人権教育啓発推進センター取材(左から、横田洋三理事長、筆者、田中正人理事)


5月25日(月)

 10:30 笹川スポーツ財団・渡邉一利常務理事

 12:10 東京財団・松信章子常務理事

 14:00 人権教育啓発推進センター インタビュー取材

 17:30 図書出版翻訳事業会議

 19:00 会議出席者と夕食会
プラチャンダ首相・退陣 [2009年05月25日(Mon)]

プラチャンダ首相(右)と会談(2008年12月)


「ネパール最新事情」
〜プラチャンダ首相・退陣〜


昨年12月に続き、ハンセン病制圧活動のためにネパールに入った。

訪問一週間前には、地方で国連の車両3台と軍の車両が破壊される騒ぎがあった。組織的な反政府活動ではないらしいが、現在のところ犯人は不明である。

ネパールの南部・インドとの国境地帯に広がるタライ地方は、今なお散発的な騒動が頻発しており、そのたびに道路が封鎖される。タイヤを燃やして4〜5時間の道路封鎖はしばしばである。企業との雇用問題などでも、このような道路封鎖が恒常的に行われているようだ。

ネパール共産党毛沢党主義派は、一般の予想を反してネパール制憲会議選挙に大勝、第一党となり、プラチャンダ党首は首相に就任したが、過半数には遥かに及ばず、王制廃止と連邦共和制が議決されただけで最重要事項である憲法制定のための草案は難航し、議会は迷走を続けている。

したがって首都・カトマンズでは、選挙後も政治の安定は得られていない。プラチャンダ首相はマオイストの最高指導者としてネパール国軍と戦った相手であり、国軍は当然、首相を信頼していない。

国軍の人事権を掌握したい首相は、国軍トップのカタワル陸軍参謀長の更送を示唆した。ところがこれが大問題となり政局は極度に不安定になりかねないところ、ネパールに影響力の強い駐ネパール・インド大使の強力な説得により、プラチャンダ首相もしぶしぶ了解。

現在は小康状態ではあるが政局は極めて流動的であると、4月25日、カトマンズ(ネパール)滞在中にブログにアップしようと準備していたが、英国に出張している間の5月4日、各紙朝刊で「ネパール毛派政権崩壊」「プラチャンダ首相退陣表明」「ネパール政情不安」などの見出しで首相退陣が報道された。

プラチャンダ首相と共に戦ったマオイスト約2万人の兵士は、武装解除(実際、武器は相当隠匿されている)の上、毎日がキャンプ暮らしである。首相にとって、マオイスト兵士の国軍への統合が最大の政治的課題であるが、強行突破には失敗した。

5月21日、ジュネーブ滞在中にプラチャンダの後任首相は、ネパール統一共産党出身のマダ・マク−ル・ネパール首相のもとに連立政権を樹立。毛沢東主義派は連立に不参加との情報を得た。

これも即アップすればニュースとして新鮮であったのに、土・日曜日の新聞各紙に報道されてしまった。別に新聞記者でもないので「まあいいか」と思いながらも証文の出し遅れ、葬式済んでの医者頼みで、正直なところ、少し残念な気持である。

いずれにしても、今後ともネパール国軍はマオイスト兵士の統合を認めるはずもなく、マオイスト兵士2万人の処置は極めて難しい問題である。2010年5月までの新憲法制定による新生ネパールの建国は不可能となり、ネパールの政治は当分の間不安定な状況が続くことになる。
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