中国鉄道部との協定書署名式出席者(1998年4月)
「日本・中国 高速鉄道交流史」番外編 その1
最近しばしば、中国で走る新幹線そっくりの高速鉄道の報道写真を見るにつけ、決して自慢話ではなく、「自分史」の一部として記録に留めておきたいと考え、この稿を書きはじめた。したがって、読者の皆さんの目を汚すことにもなりかねないので、無視していただいて結構である。
私はかねてより、日・中間の宥和を一つの重要なテーマとして活動してきた。
中国へのODA(海外協力援助)の在り方は常に論争の種で、中国側は日本からのODAを「援助」といわず「協力事業」と称し、感謝の言葉も人民に知らせる努力も怠ってきた。
北京空港のように日本側にいわれてから渋々、小さな銘板をVIPの玄関脇に設置した例もあり、飛行場ですら日本のODAで建設されたことを知る人は限られた人だけであった。ようやく最近になってODAに関する本も出版されたが、今だ十分とはいえない。
私は、中国人すべてに理解できる日本の援助は何かと考えた時、年に2〜3億人が利用する北京⇔上海新幹線計画への協力を日中両国の友好のシンボル事業にしたいと考えるようになった。この区間は平地でトンネルを作る必要もなく、土地は短時間に安価で入手可能。新幹線建設は日本に比べるべくもなく短期間に安価で完成できる。
確か1994年頃だったと思う。中国鉄道部は北京⇔上海間約1300キロに高速鉄道を建設し、所要時間を11時間半から一気に4時間に短縮することを検討し始めた。
ドイツはリニアモーターカー、フランスはTGV、日本は新幹線。ドイツのシュレダー首相、フランスのシラク大統領によるトップ・セールスに比べ、日本政府は、田中角栄・ニクソン会談に端を発したロッキード事件のトラウマから政・官・民・一体のセールスに腰が引け、トップ・セールスを頑なに拒否し続けてきた。
世界最大の山峡ダム建設でも、日本はほとんど受注ゼロの大惨敗であった。
日本の新幹線中国導入を運輸省(当時)に働きかけ、それまで民間会社だけでちまちま活動していた受注活動を強化すべく日本財団が支援することを表明し、1997年7月25日、「日中鉄道友好推進協議会」が設立された。
中国に強力にアピールするため、政・官・産・民の強力な布陣が必要と考え、竹下登元首相と中国に関心の深い平岩外四元経団連会長を訪ね協力を要請、快諾を得て、名誉会長に竹下登氏、最高顧問に平岩外四氏にご就任いただいた。
その頃、中国を訪問するたびに鉄道部長(鉄道大臣)に日本の新幹線技術は世界一であり、人身事故は皆無であることをアピール。
「中国の鉄道技術は機関車が客車を牽引する方式で欧州と共通しており、フランスのTGVはこの方式であるが、日本の新幹線は電車方式といって全ての車両にモーターがついているので、北京⇔上海間のようにいくつもの駅がある場合、停車・発車が簡単な日本の電車方式を採用すべし。
技術者の指導、メンテナンス、部品交換も近い日本が便利。中国が車社会を目指して高速道路の建設を重点政策にしているのは誤り。将来の都市環境を考えると、大都市にも大量輸送機関の鉄道や地下鉄を充実すべし」と、まるでセールスマンのように中国の要路の人々に説明して廻った。
1998年4月12日、別紙の通りの代表団が竹下登、平岩外四両氏とともに、中南海で朱鎔基首相と会談した。
余談になるが、日本を出発する2、3日前、中国駐在日本大使より竹下・平岩両氏に「最近、朱鎔基首相は日本人とは会談しないと表明しているし、事実面談していないので、訪中は見合わせたらどうでしょう」との電話が入ったという。
竹下氏からは
「陽平チャンの熱情に協力するのだから、逢えなくとも行くよ」と答えておいたと知らされた。
平岩氏からは
「すばらしい広がりのある笹川さんの考えに賛成しているので行きます。心配しないでください」と、わざわざ電話をいただいた。
若輩の私への身に余る配慮に、涙がこぼれる思いがしたのを思い出す。
私は朱鎔基首相との会談実現に自信を持っていたが、日本国大使からの両氏への電話であり、一抹の不安はあった。
しかし、中南海の会見場に入って不安は解消した。両氏の訪中の中止を連絡してきた大使がにこやかな顔で先着していたからである。
人民大会堂とは異なり中南海の会見場は狭く、一列7〜8人の椅子が5〜6列用意されていた。竹下、平岩両氏は当然としても、日本大使閣下も当然のごとく両氏の隣に坐り、一列目はテレビや写真の関係があるのか少ない席に多くの人が坐ろうとしていた。私は自分がセッティングした会談とはいえ最年少だったので、最後列の隅に座った。
朱鎔基は会談冒頭、「笹川先生はおいでですか?」と在席者を見渡した。仕方なく立って遠くから黙礼をした。会談中3回も「笹川先生」と言われ、恐縮する内に会談は終わった。
竹下、平岩両氏は発言の中で一度も新幹線には触れられなかった。代表団の名簿と事前ブリーフィングで訪中の主旨は当然朱鎔基も理解されていたわけで、さすがお二人の対応には貫禄があった。
*訪中団名簿(肩書きは当時のもの)
1. 竹下 登 元内閣総理大臣
2. 平岩 外四 (社)経済団体連合会 名誉会長
3. 黒野 匡彦 運輸省 事務次官
4. 永光 洋一 帝都高速度交通営団前総裁、日中鉄道友好推進協議会会長
5. 岡田 宏 (社)海外鉄道技術協力協会 理事長
6. 井手 正敬 西日本旅客鉄道(株)代表取締役会長
7. 葛西 敬之 東海旅客鉄道(株)代表取締役社長
8. 大庭 浩 川崎重工業(株)代表取締役会長
9. 槙原 稔 三菱商事(株)代表取締役会長
10. 塩田 澄夫 日本鉄道建設公団 総裁
11. 副島 廣海 (財)鉄道総合技術研究所 理事長
12. 吉田 耕三 東日本旅客鉄道(株)代表取締役副社長
13. 石井 幸孝 九州旅客鉄道(株)代表取締役会長
14. 棚橋 泰 日本貨物鉄道(株)取締役相談役
15. 寺嶋 潔 帝都高速度交通営団 総裁
16. 大塚 信一郎 信号工業協会 会長
17. 笹川 陽平 日本財団 理事長
その他62名