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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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2月28日(土) [2009年02月28日(Sat)]


2月28日(土)

 08:30 自宅発 ニューデリーへ

 18:50 ニューデリー ホテル着

 19:00 ラジブ・クマール博士宅へ

 19:40 同氏宅で夕食会
「福祉」と「水」を考える [2009年02月28日(Sat)]

嘉田滋賀県知事との対談


「福祉」と「水」を考える 
対談 嘉田由紀子・滋賀県知事 笹川陽平・日本財団会長(特集)


2009/02/16
京都新聞朝刊


障害者福祉や環境保全の分野で先進とされる滋賀県で、障害者と健常者がともに自分らしく生きるボーダレス社会の実現や、人と自然環境との共生に向けて、我々はどう行動するべきか。社会的弱者の支援活動に携わる笹川陽平日本財団会長と、嘉田由紀子滋賀県知事に語ってもらった。(司会は黒田清喜・京都新聞滋賀本社代表)

笹川 思いやりこそ大切 嘉田 相互扶助の社会を

−日本財団は社会福祉、教育文化の幅広い分野で国の内外で支援、助成されているが、特に社会的弱者に目が向いているとの印象を持ちます。

笹川 可能な限り現場を見て、現場でものを考える習慣を身に付けている。途上国に行けば、極端な話、死というものが常に日常的にある問題として意識されています。

現実から物事を見ると、やっていることは蟷螂(とうろう)の斧みたいな小さいことですが、やはり行動をすること、そして可能な限り、影響力のある方法で社会の変化を呼び起こす引き金の役割を果たすにはどういう切り口がいいかを考えながら世界を飛び回っています。

−滋賀県では故糸賀一雄先生の「この子らを世の光に」との発想で、障害者福祉で先駆的な取り組みが行われています。ボーダレス・アートミュージアムNO−MA(近江八幡市)もその一つで、日本財団の方から助成もされています。

嘉田 滋賀では、すべて生まれ出た子どもも、大人も一人ずつが大事にされる、自らの生きる力をはぐくんでいくことが福祉の原点であり、行政も支えてきました。

ボーダレスアートの分野でも、近江学園を中心にして、障害のある子供たちが素晴らしい作品を作り出してきた。ボーダレスアートには、芸術の持つ根源的な力がある。社会的弱者と一言でくくれない人たちに日本財団さんが力を与えてくださっています。



−笹川会長の近著に「人間として生きてほしいから」(海竜社刊)というものがあります。ボーダレスとして健常者の方も含めて展示されたり、アピールしていくところは「人間として生きてほしいから」の精神が伝わってきます。

笹川 日本財団は基本的にハコモノ支援をやめて、十年近くになります。郊外型の老人ホームとか障害者施設をたくさん作ってきたんですが、街の中は健常者だけの世界になってしまった。

子どもたちの社会においては、みんな健康な人々だと思ってしまって、人に対する、弱者に対する思いやりの気持ちとか、あるいは彼らのために何かしてあげようとする気持ちも失われてきた。

私たちはもう一度、街の中にそういう人たちを取り戻そうと。そういう方々も含めて社会は成り立っていることを、別に学校であらためて教えなくても日常生活の中で子どもたちが理解していくのが自然だろうと政策転換したんです。

−人間社会は本来、多様性の社会ですからね。

嘉田 行政を担わせていただくうえで、大きな反省を今、笹川会長が言ってくださった。もしかしたら福祉施設を作って、福祉行政が縦に深くなればなるほど、本来の人間の福祉が失われてしまうかもしれない。あるいは、学校ができて実は本来の教育が失われていくとか。

近代社会における行政は専門化して、一生懸命やればやるほど、人間がもともと持っている力をそいでしまう危険性を持っている。暮らしをいかにそれぞれの場で豊かにするか、一人ずつの人間が持っている力、それを「もったいない」といえる本物の力を、どれだけきちんと発揮できるか。本来の教育、本来の福祉はどういうものか突き詰めると、みんな根っこはつながってくるんですね。

笹川 福祉の充実にしても何にしてもそうですが、最終的には、日本は住民が相互助け合いで生きていく社会です。一つ例を言いたいのは、里親制度は日本でしっかりした組織があるんですが、施設が放さない。

家庭のぬくもりも社会の成り立ちも分からない人がいきなり社会に飛び込んで、うまくいくわけない。だから、もっと本来その「民の発想」と、彼らが持っている日本人的な優しさを、もっと行政は活用する必要があると思います。

嘉田 もともと日本は本当に相互扶助の社会でした。家族や親族、地域社会の中にそれがあった。漁業では、地引き網一つを共同で持つ。農村でも生産の場で水利組織を作ったりしてきた。相互扶助の中で、万一、病になる人がいれば、税金まで代わりに払う仕組みがあった。それが都市化の中で支えきれなくなり、行政が福祉を担うようになりましたが、最終的に目指すのは暮らしの再生、相互扶助が生きる地域社会をつくることだろうと思いますね。

湖底に温暖化の影
湖国の経験発信を

−水の話に進めていきたいんですが、琵琶湖は水という点で自然環境のバロメーターと言われています。琵琶湖の水の問題にどういうふうに向き合い、どういう使い方をしていったらいいでしょうか。

笹川 世界の今世紀最大の問題は水問題でしょう。美しい清らかな水がある国は世界でもそう多くはありません。世界を回れば、どれだけ水に苦労しているか。川の水、琵琶湖の水を口に入れても何でもないっていうのは、世界にめったにありません。

嘉田 琵琶湖の問題は実は、世界の湖沼の中で最も先端的な問題にいつも直面していると思っているんです。湖底の低酸素化もそうです。琵琶湖の水は上下の温度差で水が混ざることで酸素供給されるんです。まだはっきりと科学的には分からないんですが、どうも気温全体が上がってきて水温が上がると、それが混ざりにくい。温暖化も直接、琵琶湖に影響があるのではないかと、愕(がく)然としました。

笹川 湖沼を中心とした環境問題の時代的変遷のなかで、常に新たな問題が惹起して、それに対策を講じてこられてきた。

嘉田 温暖化は世界の六十四億人が一緒にならないといけない。琵琶湖は地球環境問題への小さな窓だけど、大きな変化が隠されているので、琵琶湖から、温暖化対策をやりましょうと訴えたい。

−水の問題は、やっぱり滋賀の絶好の素材。社会的変化を起こすための素材でありますよね。滋賀の役割、琵琶湖の水の役割に、どういう期待をしているのでしょうか。

笹川 一九七六年にUNEP(国連環境計画)に笹川環境賞を作りました。世界的に影響力のある方にこの賞を受けていただくことで、環境問題の重要さを認知していただきたいということで始めたんです。水に守られてきた滋賀県民が、環境問題を含めて今度は琵琶湖を守る側に回って、先進的な活動をされているこの成功モデルを滋賀県発として世界に向けて大いに情報発信願いたい。世界のためにヒントになると思うんですよね。

嘉田 ご指摘のように、世界の中の琵琶湖という視点を忘れず、これからも琵琶湖の保全・再生に力を注ぎます。

かだ・ゆきこ 1950年生まれ。滋賀県立琵琶湖研究所研究員、琵琶湖博物館総括学芸員、同館研究顧問、京都精華大教授などを経て2006年、滋賀県知事に就任。

ささかわ・ようへい 1939年生まれ。全国モーターボート競走会連合会長などを経て、2005年より現職。07年から外務省のハンセン病人権啓発大使も務める。

2月27日(金) [2009年02月27日(Fri)]
2月27日(金) 休暇

 
「インド出張」 [2009年02月27日(Fri)]

インドのハンセン病コロニー(2008年9月・バラナシ)


「インド出張」


明日(28日)からインドに出張します。

ウッタールプラデッシュ州の首都・ラクノウ(LUCKNOW)で開催されるハンセン病回復者の全インド組織・National Forumの北部会議でのスピーチと、回復者村を訪問、3月3日、帰国予定。
「リニア新幹線と京谷好泰」 [2009年02月27日(Fri)]

京谷好泰氏(左)と筆者(実験船の記者会見にて)


「リニア新幹線と京谷好泰」


2月24日、朝日新聞・夕刊一面に「リニアの父、夢継ぐ60年」の記事が掲載された。ご無沙汰しているが元気なご様子の京谷好泰氏83歳の笑顔の写真を、懐かしくも嬉しく拝見した。

JR東海は、2025年にリニア新幹線を東京⇔名古屋に走らせると表明。一気に実現化の可能性が出てきた。ここに至るまで、紆余曲折と難問山積を解決したのは、京谷氏のスケールの大きさと溢れるばかりの情熱であった。

京谷氏との初対面は、リニアの山梨実験線以前の宮崎実験線時代、1984年である。当時、国鉄の財政難から宮崎実験線の廃止が論議されており、このまま廃止になると日本が誇る世界一の鉄道技術は崩壊する。「存続のために力を貸して欲しい」との切なる頼みであった。

話によると、当時、国鉄の技術の神様といわれた島技師長に「車輪がなくて浮かして走らすリニア鉄道を作りたい」と説明したところ、「バカヤロー! 何トンもある車輌がどうして浮いたりするんだ」とけんもほろろに叱られたと、いたずらっぽく笑いながら、「島技師長を説得し、よくやく実験線まで辿り着いたが先がない。何とか協力して欲しい」とのことであった。

1984年3月28日、早速、宮崎に飛んでリニアに試乗。少し横揺れが激しく、磁石の関係で狂うからと、時計を外したことを記憶している。

帰京後、石原慎太郎運輸大臣(当時)に直訴。京谷氏の説明通りに大臣を説得すると興味を持たれ、多忙の中、宮崎で試乗して下さった。要路の方々にも実験存続について陳上に廻ったが、石原大臣の理解がなければ宮崎実験線の存続はなく、JR東海のリニアの夢も、あの時で終わっていたかも知れない。

もう一つ、今は亡き竹下登元総理からの逸話。

外交団も入ったパーティーで、山梨県出身の金丸信代議士(竹下登と親戚)が、「山梨にリビアが来るんだ」と大声で話していたら、急に新聞記者がまわりを固めた。記者たちはてっきりリビアのカダフィ国家元首が来るものと早とちり。話の前後からリビアならぬリニアが山梨に来る話とわかり、記者団はがっかりしたという。

「俺はこうみえても陽平チャン、英語の代用教員だったんだ。俺に英語を習った生徒は気の毒だったと今でも思うよ・・・」

これも懐かしい思い出である。

日本財団は船舶や海運に関することも主要な業務である。

1985年、京谷氏に超電導によるスクリューのない船の実現の可能性について質問すると「不可能ではない。面白い。協力しましょう」の一言で、私が開発委員長になり研究が開始された。後にわかったことだが、当時、50トンの船に超電導の機材は100トン。浮くわけがない。これを最初に聞いていれば開発に着手することもなかったのに、あとの祭りである。

全ての責任は開発委員長の私にある。

「奇想天外なアイデアのもとに大胆に研究を進めて欲しい」と若い研究者を叱咤激励したが、正直なところ、私に出来るのは失敗した時に責任を取ることしかなかった。

ブログで表明した通りのアナログ人間が、「フレミングの左手の法則」や超電導の磁場の強さを表す「テスラ」なる言葉も覚えた。



未来を志向した写真のようなスマートな船型にしたいと、造船担当の三菱重工に指示したところ、担当者はびっくり驚天!!

「笹川さん、靴を作る時は足型やサイズを測ってから靴を作るものです。貴男のように船型を先に決定して靴に足を合わせろということはあり得ません!」

と、三菱重工のプライドが許しませんとばかりに反対された。しかしそこが素人の恐ろしさ。「お願いします!」の一点張りで押し切った。

京谷氏は別名「軽くせい、安くせい親父」といわれるほど「軽くせい、安くせい」が口癖であった。軽くしないと船は浮かない、安くせいは、開発費用のコストダウンのことをいう。

8年余り後の1992年6月、七転八倒の苦しみの末誕生した世界初のスクリューのない超電導電磁推進船「ヤマト−1」は、神戸湾を静かにすべるように走った。

イギリス舶用機関学会から「シルバーメダル賞」、アメリカ海洋技術学会からは「コンパス国際賞」を受賞するなど、国際的に高い評価を戴いた。

学問的には不可能といわれていた壁を何とか乗り切り、実験は成功し、世界に大きな話題を提供したが、通常船舶として利用するには更なる超電導技術の改良を必要とした。

あれから17年、「軽くせい、安くせい」親父の健在を知った。
2月26日(木) [2009年02月26日(Thu)]
2月26日(木)

 11:00 日本財団・理事会

 13:30 矢田次男弁護士

 17:00 海洋政策研究財団・秋山昌廣会長お見舞い 於:聖路加国際病院
2月25日(水) [2009年02月25日(Wed)]
2月25日(水)

 11:00 日本財団・評議員会

 13:30 笹川中東基金設立準備委員会

 18:00 楊尚昆・元中国国家主席令息 楊紹明・宋慶齢基金副主席
「四川大地震異聞」 [2009年02月25日(Wed)]

被災地の子どもたちが集められ授業が行われている


「四川大地震異聞」


昨年5月の大地震から9ヶ月が経過した。

中国政府は各省に被災地域を割り当て復興支援の協力をさせるなど、懸命の努力を続けている。しかし、不幸にも犠牲者を出した家族の悲しみは深く、心の傷は癒えそうもない。一人っ子政策の中で子供を失った親の悲嘆の心情は如何ばかりか・・・察するにもあまりあるものがある。

学校がオカラ工事(手抜き工事)で倒壊し、多くの児童が犠牲となった親達の必死の抗議活動は今も続いている。これを押さえ込もうとする当局との戦いは熾烈を極めているが、厳しい言論規制の中、抗議の公開書簡がネット上に公表されている例もある。

以下は、幸いにも校舎の倒壊を免れ、全員無事であった学校の一教師の主張である。

====================================================


この話の主役は、四川大地震の被災地・都江堰市にある『光亜学校』のエリート教師、北京大学出身の範美忠先生である。

実はこの範先生、地震発生時、「逃げろ」の一言も生徒に告げず、真っ先に一人で校庭に避難した。範先生の生徒たちは地震が落ち着いてからやっと教室を脱出し、校庭に集まった。

範先生の真骨頂はここから始まる。

「なぜもっと早く逃げてこなかったの?」と生徒たちに問い掛けた。

「恐怖のあまり机の下に隠れ、揺れが収まってからやっと外に出ることが出来た。先生!! なぜ私たちを連れ出してくれなかったの?」と生徒。

範先生はさらに「私は決して勇敢な人間ではない。自分の命だけが大事なのだよ」と生徒を失望させ、「私は自由と公正を追求する人間だが、勇敢に自分を犠牲にする人間ではない。

このような生死を分ける瞬間においては、私の娘のためなら自己犠牲を考えるかもしれないが、母親なら放って置いただろう。危険が目の前にある時には、自力で逃げられた者だけが助かるのだ。もし本当に危険だとして、私が君たちと一緒に死んでも意味が無い。これは私の言い逃れかもしれないが、少なくとも、私には道徳上の罪悪感は全く無い」と言い切った。

その後、範先生は何を思ったのか、中国で最も影響力のあるウェブサイトで同様の意見を発表。激怒したネット・ユーザーから「最も恥知らずな教師」として猛烈な批判を受けるも全く屈せず、さらに『長江商報』のインタビューに「中国の教育法は、地震発生後の生徒の救出義務について書いていない。

私は自分の命が一番尊いと思う。確かに『逃げろ』と生徒に叫ばなかったのは私の過ちだ。しかし、私は故意に過ちは犯していないし、地震も私が引き起こしたものではないから罪悪感はない。私の事を批判するのは結構だが、校舎の耐震性や避難訓練の不備など、技術的な問題点を忘れてはいけない」などと述べた。



ネット上の多くの意見は
「教師として最低である。範先生の発言は、人の感情を傷つけた」と批判的だが、
「自分の命を守ろうとするのは本能である」
「範先生は自分の命が一番大切であるという事を、直接的な表現で伝えたのであり、勇気の要ることである」
「範先生は物事を正直に話す人で評価できる」

と、少数ながら肯定的な意見も出始めた。

更に範先生、香港テレビの人気討論会番組に出演し、教育関係者や評論家と激論を展開。

「恥知らず!!」と激しい批判も浴びたが、
「範先生も被災者の一人であり、この地震を経験していない人々に彼を批判する権利は無い」
「問題ではあるが範先生は誠実である」など、範先生にある程度の理解を示す意見の方が多数であったという。

『範美忠事件』は現在も収まる気配はないが、当初は大多数が「反対」だったのに対し、現在では半数近くが「支持」や「ある程度支持」となっているそうである。

校長は「彼の授業はとても熱心で、生徒からも慕われている。多数の生徒が、範先生をクビにしないでと申し出ている」と述べ、現在のところ免職させる考えはないと表明している。

日本では起こりそうもない事件である。万一起こったとしても「バカな教師」の一言で、社会的に抹殺されたであろう。

中国は共産主義国家である。
だからと言って、中国人を画一的なイメージで見てはいけない。
実に懐の深い民族なのである。
2月24日(火) [2009年02月24日(Tue)]

全国モーターボート競走施行者協議会総会での挨拶


2月24日(火)

 08:00
  〜  「語り場」 日本財団職員との対話
 10:00

 10:00 日本財団・執行理事会

 11:45 笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長

 15:00 全国モーターボート競走施行者協議会 総会・挨拶

 18:30 読売新聞社・渡邉恒雄主筆 
2月23日(月) [2009年02月23日(Mon)]

常重会長(右)と嵩原国際部長(左)


2月23日(月)

 10:30 東京財団・加藤秀樹会長

 13:30 青池和男・元兵庫県モーターボート競走会会長

 16:00 ペルー日系人協会・常重セサル会長

 18:00 「正論大賞」贈呈式 於:グランドプリンスホテル赤坂

 18:30 曽野綾子・前日本財団会長
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