あなたはどちら?「コップに水は半分しかない?それとも半分もある」
悲観論と決別し明るい日本を
2009/01/20
産経新聞「正論」
≪世界に貢献できる地力≫
日々、新聞を読みながら時にイラ立ちを覚えることがある。日本の現状、将来を暗く悲観的にとらえる記事が多すぎるからだ。世界同時不況の影響は大きく、日本に問題がないなどとは言わないが、世界を広く回ってみて、これほど素晴らしい国はない。
金融危機の中で「円」に対する信頼は高く、日本が果たすべき役割も多い。悲観ばかりしていたのでは、できることもできなくなる。世界が大きく変わろうとしている今、自虐的な悲観主義との決別こそ必要である。
「景気悪化」「雇用危機」「生活破壊」−米国発の金融危機以来、新聞紙面には連日こんな言葉が並ぶ。確かに各国の経済、金融が密接に結び付くグローバル化の時代にあって、日本だけが不況と無縁ということはあり得ない。
金融危機が表面化する直前の昨年夏、1万2000円台だった日経平均株価は8000円台に落ち込んでいる。経済には不案内だが、輸出依存型の日本経済に対する不況の影響を懸念してのことであろう。
しかし、その一方で1ドル=110円前後だった為替レートは90円前後まで急騰、ユーロなど他の通貨との関係でも円の独歩高が続いている。日本の金融システム、経済に対する高い信頼と期待があるのは間違いない。
その日本は1990年代、バブルの崩壊で深刻な金融危機に直面した。世界に拡散した今回の金融危機とは規模、質とも違うとはいえ、日本が世界の金融システムの安定に貢献できる範囲は広い。
≪危機経験者としての責務≫
私は先月、当欄に掲載いただいた拙稿で「世界各地を訪問していて日本の存在感が急速に薄れているのを実感する」と書いた。日本の国力が低下しているのではなく、日本の実力に見合った主張、メッセージが不足している現状を指摘したつもりだ。世界に向け発言するのは金融危機経験者としての日本の責務でもある。
そうでなくとも変化の時代には、新しい時代での発言力の確保を目指して各国が一段と激しい主張を展開する。発言をためらえば、その分、日本は国際社会に埋没する。多極化の中で引き続き日米同盟を維持・強化するには日本の積極的なメッセージの発信こそ必要である。
その日本は世界が今後、直面する諸問題を一足早く体験し、豊富な経験と知恵を培ってきた。環境保全、エネルギー・産業廃棄物対策、ヒートアイランド、食の安全、少子高齢化、過疎…。
いずれも各国が避けて通れぬテーマである。つい最近、現代アメリカ文明の象徴でもあった米ビッグ3を日本の自動車メーカーが追い越し世界に衝撃を与えた。決め手となったエコカーの開発に対する日本メーカーの高い技術力もさることながら、公害との取り組みを通じて国民の間に育った環境重視の気風がエコカーの開発と普及を後押しした点が何よりも大きい。
21世紀は資源の争奪が激化する。日本が蓄積した高度の環境先端技術、省エネ技術は環境再生だけでなく、製造コストの面からも間違いなく世界標準となる。中国やインドが今後も成長を続けるためには日本の協力が不可欠となる。蓄積された経験や知恵は人類共通の財産として共有される必要がある。
≪自らの可能性に自信を≫
新聞記事を読むとしばしば「欧米に比べ遅れている」「理想にほど遠い」といった表現に出合う。しかし、ひとつの国がすべてにおいて1番などということはあり得ないし、理想はあくまで理想である。日本はもっと自らの力と可能性に自信を持っていい。
最近、格差と並んで問題化している貧困も同様である。貧困が好ましくないのは言うまでもない。その上で誤解を恐れず言えば、日本で言われている貧困は、相対的な貧しさであってインドやアフリカで日常的に出合う死と隣り合わせの絶対的な貧困とは貧しさの程度が違う。
日本は今、地方の再生や教育、年金、医療などさまざまな難問に直面するが、さきにNPO法人が行った調査では80%を超す人が「日本が好き」「日本に生まれてよかった」と答えている。よくいわれるように悲観論者はコップ半分の水を前に「半分しかない」と嘆くが、日本は豊富な技術、恵まれた自然、治安の良さ、新しい時代に向けた知恵など、どれを取ってもコップいっぱいの夢と可能性を持つ国である。
日本人は戦後、物質的豊かさを求めすぎたきらいがある。今こそ悲観論と決別し明るい日本を目指すべきである。それが精神的な豊かさにつながり、世界に貢献する道でもある。迷走する政治を除けば、日本はそれに十分ふさわしい国である。(ささかわ ようへい)