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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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年末ご挨拶 [2008年12月26日(Fri)]

ハンセン病活動で訪問したネパールにて(2008年12月)


「年末ご挨拶」


読者の皆様におかれましては、ご多忙の毎日、寸暇をさいて拙いブログを覗いて下さり、感謝に堪えません。

2005年より始まりましたこのブログも、今年で1,686本(26日現在)アップしたことになります。その間の訪問者は946、055人(26日現在)となりました。

これだけ継続できましたのも、読者の叱咤激励、厳しいご批判あってのことです。ただ、読者の愛情あふれるコメントに返事をしない失礼だけは、内心じくじたるものがあります。正直なところ「時間に追われて」と弁解せざるを得ませんが、全て拝読しておりますことをご報告申し上げ、お許しいただきたいと思います。

このような活動が出来る日本財団とその職員に感謝し、何よりも健康な肉体を育んでくれた今は亡き両親に、感謝の誠を捧げます。

読者の皆様の今年一年のご好意に感謝し、ご多幸をお祈り申し上げます。

新年は1月7日よりアップいたします。
海外出張の記録 [2008年12月26日(Fri)]

ハンセン病問題では国連人権理事会で差別撤廃が議決され、一歩前進


「海外出張の記録」


私は別に海外出張の記録を作るために活動しているわけではない。30数年付き添ってくれる秘書の星野妙子が几帳面に記録してくれているのを「なるほど」と眺めるだけである。

とはいうものの、内心「良く働いたなぁ」という実感を正直に告白したい。

1982年〜2008年、27年間の累計は
出張回数 308回
滞在日数 2013日
訪問国数 109ヶ国

訪問回数の多い国々を列挙すると
第一位 アメリカ 65回
第二位 中国 62回
第三位 イギリス 40回
第四位 インド 34回
第五位 フランス 27回
第六位 スイス 26回

今年は17回、120日間の海外出張であった。


ダンスを通じて心を通わせることも(コンゴ民主共和国)


新しい記録
* 11月12日からの南米出張は、10泊の内5泊が機内泊

* 10月17日〜18日 シカゴ、11月5日 ダラス、11月13日 ロスアンジェルスと、一ヶ月に3回渡米



* 11月17日、サンパウロ空港で固い椅子の上で7時間半待機


*ネパールのカトマンズからシムラ間、
最短定期空路13分
(カトマンズは海抜1400メートル。シムラは海抜100メートル。車では6時間の距離)

* 10月11日〜12月8日までの約2ヶ月間の海外出張回数7回、出張日数47日間、機中泊11泊、フライト時間約200時間、92,779マイル、地球約4周
宇宙旅行並みであった。

「マイレージが貯まっていいですね!!」などと言わないで下さい。

悲しくなります。
笹川中東イスラム基金と中央ヨーロッパ基金 [2008年12月25日(Thu)]

日本と中東の架け橋として新たな基金創設(写真:ジェリコ・パレスチナ自治区)


「笹川中東イスラム基金と中央ヨーロッパ基金」


笹川平和財団・羽生次郎会長の主導で『中東イスラム基金』が設置されることになった。

ご高承の通り、日本は石油、天然ガス等、ほとんどのエネルギー資源を中東に依存しており、日本の生命線である。しかし不安定要素も多く、この地域の平和と安定は日本にとって極めて重要な課題であるにもかかわらず、今まで民間レベルの交流は十分ではなかった。

中東地域への日本の情報発信、相互理解の促進は勿論のこと、日本での偏向した中東・イスラムのイメージの改善を、ウェブサイトの利用などを通じて取り組む方針とのことである。

日本財団のWANA(西アジア、北アフリカ、12月24日のブログで掲載)の構想に共鳴するごとく活動してくれることは、この地域に対する日本のプレゼンス強化を民間サイドから強力に支援することになり、期待も大きい。

ところでこの『中東イスラム基金』は『中央ヨーロッパ基金』40億円(ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキア)をリニューアルしたものである。当時を知る者の一人として若干の感想を述べておきたい。

中央ヨーロッパ基金の設立は1991年3月であった。

当時、東西の冷戦構造が崩壊し東西ドイツの統一の実現をきっかけに、これらの諸国は共産主義による統制計画経済から市場経済への急速な移行を余儀なくされていた。その様な状況下、市場経済への移行の支援を活動の中心とし、具体的には各国の若手指導者の来日プログラム、市民社会育成へのNGO・NPOの支援、環境対策支援プログラム等、多くの事業を行った。

中でも共産主義社会の中で一物一価しか知らない国民に、短期間にどのように市場主義経済を教えるかは緊喫のテーマであった。

検討の結果、慶応大学・鵜野公郎教授の指導のもと、「市場経済とは」という30分、12本のテレビ番組を作成した。費用は1億円近い制作費で、当時は目が飛び出る思いであったが、中欧各国では非常に大きな反響を呼んだ。

「職場定年後の主人公がパン屋の開業を考える。不足資金の銀行借入れの方法、サービス、コスト、利益、減価償却とは何かをやさしく説明する。パン屋は繁昌しているが競争相手のパン屋の出現。サービスの強化、品質の管理、仕入れコストの削減など、競争に勝つ方法を教える」というような市場経済を紹介する内容である。

テレビは各国とも30%を超える高視聴率で、国民への啓蒙のため繰り返し放映された。その後、ソ連、モンゴル、ベトナム、中国でも放映され、多大の効果を上げた。

それから17年。今や中欧諸国はNATO、EUに加盟、自由主義を謳歌しており、今昔の感に耐えない。現地にはこの基金の存続を望む声も根強いが、今後のことは笹川平和財団に考えてもらい、新しい『中東イスラム基金』として再出発する。

大胆な変更が可能なのも、民間組織の優れたところである。
活躍を期待する。
12月24日(水) [2008年12月24日(Wed)]
12月24日(水)

 10:30 ユーラシア21・吹浦忠正理事長

 13:00 2009年度・採用面接
西アジア・北アフリカ地域フォーラム [2008年12月24日(Wed)]

国際諮問委員会委員長のハッサン王子(左)とアハティサーリ委員


「西アジア・北アフリカ地域フォーラム」
West Asia North Africa(WANA)


トルコ、イスラエル、イラン、サウジアラビアなどアラブ連盟加盟国を含む西アジアや、エジプト、チュニジアなどの北アフリカ地域では、継続する紛争のみが注目され、緊急を要する、例えば産業振興、水、エネルギー、公衆衛生、市民社会の育成、教育、人材育成等、課題を共同で考え、解決に当たるようなメカニズムがこれまで存在しなかった。

そこで日本財団では、ローマクラブ会長でこの地域の開明的指導者であられるヨルダンのハッサン王子を中心に、『地域対話フォーラム』の設立を決定した。



22ヶ国のアラブ連盟加盟国にイラン、イスラエル、トルコを加え、25ヶ国の政治家、ジャーナリスト、学者、宗教界、経済界の指導者が地域の発展に向けて解決策を探る継続的な対話のプラットフォームを形成し、『WANA』の呼称のもとに活動しようと考えている。

日本財団の参加するこの計画は、この地域での日本のプレゼンスを発揮するのみならず、人材のネットワークを構築することで日本にとっても有益と考え、積極的に参加、協力することにした。

『私たちはいま困難な時代に生きています。だからこそ、深く人間を考え、深く社会のあり方を考えることがこのフォーラムに課せられた課題であります。すべての問題に即座に答えを出せるわけではないにしても、このような静かな落ち着いた知的対話を通じ、様々な問題の表層ではなく、その根底に横たわる課題を理解しようと試みることは、人類にとって大変貴重なことです。』

上記『 』書きは、秋のプラハで開催されたフォーラム2000での私のスピーチの締めの部分である。『WANA』もこの精神で開催して行きたいと思っている。

『WANA』の国際諮問委員会は下記の通り
委員長 ハッサン・ビン・タラル:ヨルダン王子、ローマクラブ会長
委員   マルティ・アハティサーリ:フィンランド前大統領、ノーベル平和賞受賞者
      有馬 龍夫:中東調査会理事長
      クリストファー・パッテン:オックスフォード大学総長
      イスマイル・セラゲルディン:アレクサンドリア図書館館長
      レーマン・ソブハン:バングラデュ政策対話センター理事長
      笹川 陽平:日本財団会長
12月22日(月) [2008年12月22日(Mon)]
12月22日(月)

 10:30 海洋関係・勉強会

 17:00 中央公論社・浅海保代表取締役社長

 18:30 小池百合子代議士
クリスマス・イブ [2008年12月22日(Mon)]


「クリスマス・イブ」


師走も後半。町のあちこちにイルミネーションが点滅し、ビッグイベント・クリスマス商で賑わっている。

クリスマス・イブのこの騒ぎはいつ頃からか定かではないが、若者にとっては一年の最大関心事の一つであるようだ。

6ヶ月以上、場合によってはそれ以上前からホテルを予約して一夜を過すらしい。不況下にあっても、この日のホテルは全て満室。商魂の逞しさは日本の生活文化まで変えてしまった。週刊誌的に書くと「イエス・キリストもこんなイブの使われ方に苦笑しているに相違ない」となるが、多くの若者は健全であり、逞しくもあると願いたい。

私にはクリスマスの思い出もなく、正月でも一盛50円の屑ミカンを買って金玉火鉢(下品で失礼!! 火鉢に跨ること)で3ヶ日を読書で過したこともある。
それに比べ何と幸せな今日であるか!!
感謝、感謝である。

知人は蛍雪の下でとまではいわないが、刻苦勉励で青春時代を過し、中年になって日の当たる生活に入った。そして「俺の青春時代の空白を取り戻したい」と一年発起。今日は赤坂、明日は銀座と蝶を追い求めている日々である。

その彼「24日のイブのパーティーに参加せよ」との誘いに
「私はクリスチャンです(ウソ)。イブは忙しいです」と欠席メール。
すると即座に「マリア様のために欠席ですか?」とチクリ・メールが入る。
仕方なく「不義理でご免なさい」と弁解メールを打ったと酒席で肴にしたので、私なら下記の返事をすると年長者の誼で諭してやった。

「12月24日のパーティーに出席願いたい」
「僕はクリスチャンなのでイブは忙しくて出席出来ません」
「どこかのマリアさまのための欠席ですか?」
「Oh!! イエス」

可可大笑。酒席は大いに盛り上がった。

いつも親父ギャグで顰蹙をかっているが、今回は「これは上出来」と自画自賛。

ここからは真面目な話・・・

イブはクリスチャンにとって聖なる夜である。海外活動に費やす時間の多い本年度のノーベル平和賞受賞者・アハティサーリ・フィンランド元大統領は、妻にクリスマス・プレゼントに何が良いか尋ねたところ
「あなたが家に居てくれたら満足だわ」と言われたという。

翻って我家は「亭主元気で留守がいい」ですって!!
トッホホホ・・・・。

ともあれ、メリー・クリスマス!!
12月21日(日) [2008年12月21日(Sun)]
12月21日(日)

 06:50 沖縄へ

 11:30 日本保育協会・玉村八重子支部長と昼食

 13:00 第14回保育祭り 講演「世界の中の日本」

 15:30 パネルディスカッション「教育の原点は家庭にあり」

 17:00 日系南米奨学生

 20:00 沖縄発

 23:30 帰宅
12月19日(金) [2008年12月19日(Fri)]
12月19日(金)

 10:00 競艇振興会・伊東高廣常勤理事

 18:00 アサヒビール・中條高徳名誉顧問
ルーラ・ブラジル大統領に直訴 [2008年12月19日(Fri)]

ルーラ大統領に直訴。ハンセン病制圧への固い約束を結ぶ


「ルーラ・ブラジル大統領に直訴」
―ハンセン病制圧について―


40年間関わってきた世界のハンセン病の制圧活動も最終段階に入った。
残るはブラジル、ネパール、東チモールの3ヶ国である。

人口1万人に1人未満の患者数になったとき、WHO(世界保健機関)は公衆衛生上の問題としては解決したとして制圧宣言を出す。1985年から2008年7月までに122ヶ国で制圧に成功し、約1600万人をハンセン病患者より解放した。

ネパールはインドとの国境線に患者が多いが、政治が安定してきたので、遅くとも来年中には制圧が可能である。

東チモールの登録患者数は131人なので、来年前半には制圧されると思われる。

問題はブラジルである。前政権の後遺症が残っているのか、制圧の目途さえ立っていない。

11月18日、首都・ブラジリアでルーラ大統領に直訴する機会を得た。
ワシントンでの金融サミットより帰国され、それに伴う国内問題で超多忙。目を充血させながらも、面談の時間を割いてくださった。

「大統領閣下!! 私は政治家でも官僚でもありません。一民間人なので率直に発言する無礼をお許しください」と前置きし、

「閣下は私が活動するハンセン病患者・回復者とその家族の差別撤廃を求める世界宣言に、5人のノーベル平和賞受賞者と共に署名をして下さいました」と宣言書を示しながら、「閣下は大統領就任直後、ハンセン病の施設を訪問された最初の方でもあります。

これほどハンセン病に関心を持っておられる国家元首は、私の知るところ閣下だけです。率直に申し上げます。ハンセン病は世界の122ヶ国で制圧され、残る東チモール、ネパールも制圧の目途が立っております。残るはブラジルだけです。閣下の特別の配慮をお願いしたい」

ルーラ大統領は私の直訴を聞き終わるや、同席した保健大臣、保健省監督官を睨むようにし、「一体どうなっているのか」とテーブルをトンと叩いた。

保健大臣は居並ぶ保健省幹部を代表し、顔面蒼白になりながら「ブラジルは広大な国です。風疹は3000万人にワクチンを投与して大成功しましたがハンセン病にはワクチンがありません」と、わけのわからない弁明をくどくどと続ける。

「大統領!! ブラジルより条件の悪い国が数多く制圧に成功しています。ブラジルは人材も豊富です。薬は無料配布されておりますし、必要ならばWHOと相談の上、資金協力も致します」

「資金協力の必要はありません。それより1991年にWHOより示された2005年までのハンセン病制圧目標を、貴男から指摘されるまで知りませんでした。全力を尽くします」
と約束してくださったので、たたみかけるように

「来年の今日、またブラジルに参ります。必ず面談の機会をお願いしたい」

「わかった。来年の11月18日ですね。待っています」
と約束し、固い握手をして別れた。

保健大臣をはじめ、幹部の面子を潰して申し訳ないことをしたが、実のところ、保健省はハンセン病を公衆衛生上の問題から外し、皮膚科の問題と、事を矮小化していたのである。

夕方、大統領と保健大臣は私の直訴を検討したらしく、「デング熱とハンセン病の制圧に重点を置く。来年1月に行われる各地方自治体選挙で市長、町長が決まり次第、大統領が激を飛ばすことを決定した」と、WHOのハンセン病担当官より嬉しそうに連絡があった。


回復者が暮らす施設(サンパウロ市内)


帰国後、直ぐにWHO・マーガレット・チャン事務局長に、ブラジル保健省に4〜5人のハンセン病専門官の派遣の必要性を報告した。

世界の天然症撲滅の最後はエチオピアであった。かつて日本財団では、WHO・マーラー事務局長の要請を受け、天然症撲滅の最終段階に協力した経験がある。戦力の遂次投入は良策とはいえない。WHOを中心に全関係者が最後の戦いの場であるブラシルに全力投球できるよう、気運を盛り上げていきたい。
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