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私のブログとスピーチ原稿 [2008年11月30日(Sun)]


「マ・シ海峡における新しい協力体制と民間の役割」で挨拶する筆者

「私のブログとスピーチ原稿」


「笹川は本当に自分でブログを書いているのか?」との問いが今も根強くあると、日本財団職員から耳にする。以前にも書いた通り、私はアナログ人間なので、鉛筆舐め舐め拙い文章を綴っている。それを秘書の星野妙子嬢が打ち込んでいるわけである。

講演は、日本語の場合はメモ程度で即興で行っている。

英文スピーチの場合は、我国でたった一人、シカゴ大学でスピーチ・ライティングを専門に勉強された武部恭枝女史に、日本財団の若手職員が指導を頂いている最中である。

彼らが問題と主張を整理し、最終的には私も参加し、最終稿を作成する。ただ、英語の不得意な私のスピーチは、発音の不安定さもあり、原稿の良さに比べ相当に劣る。従って、スピーチ後に原稿を配布するようにしている。

下記のスピーチは、海洋グループ・海野光行が単独で作成したもので、相当な勝れものである。参考までに掲載させて頂く。

なお、海野光行が作成した前回のスピーチは、シンガポール大学で教材として使用された。

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「マ・シ海峡における新しい協力体制と民間(Non State Entities)の役割」
(原文・英語)


2008.11.24.
於:クアラルンプール、マンダリンオリエンタルホテル


私は、日本財団や国際海運団体RTなどの民間(Non State Entities)が主導してIMO、沿岸国の協力のもとに世界で初めてこのようなシンポジウムを開催できたことは、大変画期的なことであると考えます。特に、マ・シ海峡が包含する大きな問題を国際海運業界が自らの問題として扱い、議論の場を設定したことは、マ・シ海峡の安全航行と環境保護、引いては世界経済の安定に大きな一歩であると考えます。推進した国際海運団体RTの英断に敬意を表するとともに、日本財団がこのシンポジウムに参加できたことは大変光栄なことであります。

17世紀のオランダの法学者で国際法の父、グロティウスは400年程前に海の資源の無尽蔵性と海水の管理不能性を理由に海洋の自由を主張しました。その公海自由の原則のもとで人類は国際海上輸送の拡大とともに大きな発展を遂げてきました。しかし、今日の豊かな生活は世界規模の物流のうえに成り立っている一方、海上輸送の面から見ると随伴して様々な問題が起こっています。

生命が海から誕生し、また陸上の生活が海に依存しているにもかかわらず、人類の生活は、海を人間の貪欲な欲望のゴミ捨て場にしてしまう可能性があります。私たち人類は、環境への負荷を軽減し、生態系の劣化を抑え、「不安、危険」を取り除いた「安心、安全」な海を次の世代に受け渡していくことが求められています。

私たち海を利用し、海から恩恵を享受する者は、海は「有限」であることを認識し、海洋環境が悪化する前に、海を守り、海洋の変化に人類が適切に対応する活動が重要と考えます。今日のテーマでもあるマ・シ海峡の場合、環境保全と航行安全の確保を総合的に海洋の管理として進めていくことは、マ・シ海峡の重要性と特殊性から地域社会、世界経済の持続的発展上極めて重大であり、大きな課題のひとつであります。

皆様ご承知のとおりマ・シ海峡では年間延べ約9万4千隻の船舶が通航しており、スエズ、パナマ両運河をはるかに凌ぎ、世界に比類のないほどの輻輳海域であります。そして、マ・シ海峡の利用国数と通航量はアジア地域の経済成長と各国のエネルギー需要に伴い年々増加しています。国際海運業界が安全航行に関する様々な国際基準に対応する努力を行っていることは評価すべきことですが、海峡の交通量の増加により、安全上のリスクは高くなっています。

狭隘かつ長大なマ・シ海峡は、航海上の難所を多く有する国際海峡であり、航行上の難所であります。しかしながら、アフリカや中東からアジアに向けての原油、LNGの輸送に利用できる他の航路は、余分に時間とコストを費やすことになり、セキュリティ上の問題などからリスクも高いといえます。国際貿易上の大動脈であるマ・シ海峡の自由航行と効率性を維持することは、それ自体が「国際社会の共通の利益」であると言うことができます。しかし、それは、船舶が安全に航行できること、そしてその環境が安定的に維持されることが前提になります。

マ・シ海峡の主要部分は沿岸国の領海であり、航路標識の維持・整備などの海峡の安全管理はUNCLOSに基づき沿岸国の責任と負担において行われるべきものであります。しかし、通過する船舶航行の増大は、沿岸国が直接受ける利益に比べて、沿岸国の航行安全対策の責任を有する範囲は広く、費用負担は通常のレベルをはるかに超えて過重なものとなっています。これまでの沿岸国の努力だけではマ・シ海峡の危険で不安な状況を継続的に排除することは難しくなっています。

このような状況で、通航船舶が座礁、大規模な原油流出などの事故を起こした場合、大切な乗組員や乗客人身の生命を失うほか、船舶などの自らの財産、荷主の財産の損傷、信頼や評価の損失…。さらに海洋汚染を招いたならば、重要な「国際社会の共通の利益」であるマ・シ海峡の価値を著しく下げ、機能を混乱、麻痺させ、破壊する恐れもあります。そして、原油の流出の場合、海峡の再生に向かうには、過去の事例からも更なる莫大な費用がかかることは言うまでもありません。もちろん、原油やLNGなど数百万人の生活に直結する積荷の場合、搬入する国の経済にも重大な影響を及ぼすことも考えられます。

そして、海峡の利用者が忘れてはならないのは、海峡の通航問題だけではありません。私は当時マ・シ海峡を設標船に乗って通航する機会を得ました。たくさんの何十万トンもの巨大タンカーが赤道直下でゆったりとした通航をするのを眺めながら驚いたのは、その合間を縫って非常に多くの漁船がこの周辺で操業していることと、移動のために横切る小型船の数の多さでした。つまり、マ・シ海峡というのは、沿岸地域に住む人たちにとっては、日々の暮らしがあり、その生活の場であるのです。沿岸地域の漁業や観光、ひいては地域経済に大きな影響を及ぼし、彼らの生活の場を脅かすこと、不安を与えることは誰にもできません。法律的解釈がどうあれ、マ・シ海峡はよそ様の庭先なのです。

もし、海峡の利用者が事故の危機を事前に回避し、有限なる海の持続可能な利用を求め、安全航行の確保を必要とするなら、沿岸国や利用国、他の民間との間で何らかの調整と協力が不可欠であります。それは、国境を越えて多様化し、大規模化する企業活動の影響が、その活動のプロセスにおいて、世界中の地域やその住民など様々な利害関係者と自主的に問題解決に当たる必要が生じているからです。

企業活動の結果、沿岸国や沿岸地域のコミュニティに負担をかけるのであれば、それらを軽減すべく努めることが大切です。そして、世界経済、地域住民に加え、自らも安心と安全を感じられ、信頼と評価を得られるように、事故が起きた後の「治療」より、起きる前の「予防」アプローチが必要なのです。

私はこれまでマ・シ海峡の利用者に対し、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)の見地から国際的な役割を積極的に果たすように協力を求めてきました。今や欧米の企業ではCSRを「コスト」として認識せずに、長期的な利益創出に結びつく「投資」と認識し始めています。それは、マ・シ海峡の利用者が自らの責任で積極的な協力を行い、航行安全を確保することでマ・シ海峡がより安全に、活発に利用されることになれば、業界に対する世界の評価も高まり、より大きな利益を得ることになると言えるでしょう。これからの企業活動は、経済的利潤の追求のみならず、国際社会と国内社会において、安全、安心な環境を提供し、そして環境を守る存在である必要があると言われています。

このことを踏まえ、マ・シ海峡の直接的受益者である利用者の社会的責任を考えた場合、従来の慣れ親しんだ手法や既成の秩序・概念に基づいた取り組みをすれば、それで十分な責任を果たしたと言えるのでしょうか…。また、マ・シ海峡を通過利用する国際海運業界が、国際条約で要求される技術水準をクリアーするために要する経費を費やすことで社会的責任を果たしたと言えるのでしょうか…。

日本財団は、マ・シ海峡の安全航行、環境保全のため、これまで長きにわたり沿岸国と協力してまいりました。それにより、安全性が維持向上されてきたとすれば、これに勝る喜びはありません。しかしながら、民間の役割が強く求められているマ・シ海峡の将来において、もし、海峡利用者が自由な通過通航権を過大に評価するあまり、自らの航行安全を他人に任せてよいのだという考えを持たせ、またそれを助長したとすれば、私にとってそれは、これまでの賞賛と希望ある成果のかわりに、悲しみと失望が広がっていくことでしょう。

企業活動の場を海洋に求める国際海運業界は、従来の古い考え方や法律に基づく責任だけでなく、その企業活動が影響を与える海洋、ローカルコミュニテイの社会安全や環境保全に貢献する社会的な責任を負うと考えます。
重大な海難事故が起こってからでは遅いのです。危機に備えて時宜を得た支出を行うことで、事故による大きな損失、さらには沿岸地域への悪影響を防ぎ、安心を与えることができます。マ・シ海峡の利用者は、環境問題の予防的アプローチと一層の責任を負うアプローチの必要性から、自らの社会的責任を自覚し、自らが担うべき負担を後世に押し付けるべきではないのです。

具体的な協力分野を考えてみると、マ・シ海峡を利用する船舶は、航行援助施設を利用し、最も必要としており、また衝突などにより、施設に損壊をもたらす可能性も高いことから、航行援助施設の維持管理に協力することが最も適当な分野でしょう。
国際海運業界が社会的責任を負うことは長期的な利益につながります。このことは、今までのように費用分担(burden sharing)として議論するより、受益分を負担共有(benefit sharing)すると言うほうが適切であるかもしれません。そして、「国際社会の共通の利益」を見出し、便益分担することが、民間と沿岸国や利用国との協力体制をさらに進める鍵となっていくでしょう。

2007年に沿岸国の努力によってマ・シ海峡協力メカニズムが構築されました。このメカニズムの中で航行援助施設基金が設置されたことは、利用国だけでなく、多様な民間からの自発的協力の受け皿を作ったことは非常に意義深いと思います。その努力は安全航行に向けた国際協力関係の構築に向け、大きな前進であったと大変喜んでおります。そして、このメカニズム、基金を実効あるものにするためには、マ・シ海峡の沿岸国、海峡利用国のほか、我々やここにお集まりの民間の利用者に協力の輪が広がっていくことが必要です。マ・シ海峡は有史以来、地球上でも稀にみる東西南北の十字路であり、それ故に特異な歴史を持っていますが、これから歩む皆さんとの行き先は共有できるはずです。

このマ・シ海峡を舞台に構築される新たなメカニズムや、民間からの航行援助施設基金への自発的な貢献は、マ・シ海峡の持つ特殊性から他の海峡には、必ずしも適用できるものではありません。しかしながら、海の世界に限らず、様々な国際的諸問題の解決にあたり、ステークホルダーの自主的貢献の仕組みのモデルとして「良き前例」になる可能性があると考えています。

日本財団はマ・シ海峡における民間としての役割を積極的に果たすため、既に当初5年間にわたり必要な額の3分の1を拠出すると表明していますが、航行援助施設基金の体制が整えば、沿岸国が実施したアセスメントサーベイの結果に基づき来年早々にも初年分(約2,500,000$)として拠出する予定であります。これが、マ・シ海峡の新たな未来を切り開くムーブメントを加速させるものであれば嬉しく思います。

WHO(世界保健機関)・世界伝統医療会議 [2008年11月29日(Sat)]


会議では新たな仕組みを提案


「WHO(世界保健機関)・世界伝統医療会議」


初めての「世界伝統医療会議」が北京の郊外で開催され、70ヶ国の代表と多数の民間関係者が出席した。

伝統医療、特に伝統医薬品の普及は、私の懸案であった。

日本財団の海外活動は、医療、食糧増産、教育(人材育成)が三つの柱である。
ハンセン病の世界制圧のため世界中の発展途上国をかけ巡っているが、途上国の多くは、大都市から車で一時間も走れば電気、水道もない所が多く、山間部や辺鄙な地域からは、ちょっとした医療施設のある町に行くにも2〜3日もかかる地域が大半であるとっても過言ではない。

世界60億人の人口の内20億人は一日1ドル以下の生活といわれているが、もっとも悲惨ことは、この世に誕生しながら医者にアクセスすることも出来ず、一度も西洋医薬品を飲むこともなく死んでゆく人々が如何に多いか・・・体験上思い知らされている。

そこで、西洋医薬品よりも十分の一、二十分の一と安価な伝統医薬品の普及が、プライマリー・ヘルス・ケアの実現には不可欠と考えるようになった。モンゴルで富山県の「置き薬」方式を実験したところ、大成功との結果も出た。2003年当時、WHOには伝統医薬品の担当者は一人しかいなかった。日本財団は彼女を激励し、伝統医薬品の世界調査の費用を提供した。

幸い、マーガレット・チャンWHO事務局長は香港出身で、伝統医療に理解が深く、今回の国際会議となったわけで、民間からは唯一、日本財団が発言の機会を得た。

私は、下痢、熱、風邪の初期治療は安価な伝統医薬品で十分に効能があると確信している。ただ、巨大医薬品の会社からの横やりに対抗するためには、品質管理、効能の証明は必然である。

下記のスピーチの通り、300年前より伝統医薬品を活用した富山の「置き薬」方式は、今や世界から注目を集めている。日本財団では、モンゴル、タイ、カンボジア、ミャンマー、ラオスで具体的成果を実証すべく、発案の大野修一常務を先頭に、グローバル・ヘルスの問題解決の一つの方法として、逆転の発想―即ち薬局や病院にアクセス不能な地域や貧困家庭に無料の薬箱を直接届ける仕組み―を構築しようと積極的な活動を開始した。

以下は日本財団の若手・中嶋竜生、小沢 直、渡辺桂子、横内陽子の四人が作成してくれた。平凡なスピーチのように見えるが、WHO北京宣言を巧みに取り入れ、専門家の聴衆には興味深く説得力のある、制限時間5分間のショート・スピーチで、スピーチ原稿の教授を賜っている武部女史から合格点をいただいた作品である。

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WHO伝統医療国際会議スピーチ
(原文・英語)

2008年11月8日
日本財団会長
 笹川陽平


WHO設立60周年、そしてアルマ・アタ宣言から30周年という記念すべき年に際し、心からお祝いを申し上げます。また、この度は、マーガレット・チャン氏の卓越した指導力のもと、WHOではじめて伝統医療をテーマとした国際会議が実現したことに深く敬意を表します。

日本財団は、社会福祉、教育、医療など幅広い公益活動を国内外で展開しています。このうち日本財団の活動の柱でもある世界のハンセン病制圧活動につきましては、長年に渡りWHOや各国保健省と連携し、協力して活動してきました。

1985年以来1600万人の患者を病気から解放し、122カ国あったハンセン病未制圧国が、2〜3年後には全世界で制圧される見込みです。これもひとえに、ここにご出席の皆様や多くの関係者のたゆまぬ努力のお陰であり、この場を借りてあらためて深く感謝申し上げます。

私は開発途上国において、風邪や下痢にもかかわらず、薬が入手不可能なために、病状を悪化させ、苦しんでいる人々の姿を目の当たりにしてきました。そしてこのような現状を克服するために、どうすれば良いかを常に考え、行動してきました。そこで、長い歴史の中で人々の知恵と技術によって熟成された伝統医療の活用こそが重要な役割を果たすという考えに至りました。

伝統医療の活用促進を図る日本財団の主な活動として、2003年のWHOによる初の伝統医療ワールドサーベイへの協力、そして現在ではモンゴルでの置き薬プロジェクトなどの実践活動を通じて、伝統医療を活用したプライマリ・ヘルスケアへのアクセスシステムの構築に力を注いでいます。

 モンゴルでは、遊牧民が広大な土地を転々として生活するため、医者や薬へのアクセスが困難であり、それが原因で病状を悪化させるなど深刻な問題がありました。この医療環境を改善するために活用したのが、伝統医療と日本の“置き薬システム”です。

“置き薬システム”とは日本で300年以上の歴史を持ち、薬売りが各家庭を訪問して医薬品を詰めた薬箱を置き、利用した分だけ後で代金を回収するものです。私は、モンゴル人の生活習慣(ライフスタイル)や国民性、契約を大切にするという気質などを総合的に鑑み、この手法はモンゴルにおいても適用できると考え、まず、第一段階として10,000世帯に導入しました。そして、成果をみながら全国的に拡大していく予定です。

置き薬に含まれる医薬品のすべては、モンゴルの伝統医薬品で、古くからその効能が実証され、品質保証済みのものを使用しています。また、伝統医薬品の価格は、近代医薬品の1/10〜1/20と安価であります。薬は、地域の医療従事者(メディカル・プラクティショナー)が各家庭に届け、後日、使用した薬の代金を回収しに行きます。

ちなみに、代金の回収率はほぼ100%という報告を受けており、“置き薬システム”が現地に定着していることが窺えます。午前中、モンゴル保健省のボルド(Bold)氏による詳しい報告があった通りですが、このプロジェクトを実施した結果、遊牧民の満足度は高く、ある地域では医者の往診数が40%減少するなど、プライマリ・ヘルスケアによる効果が表れています。

伝統医療を活用することの重要性は周知の通りですが、同じ方法がすべての国や地域に適用できるものではありません。私は、各国の文化を尊重し、国民性や地域性に合った方法を用いて、柔軟性を持って対応することが重要であると認識しています。そして、試行錯誤しながらも、それを行動に移すことが必要です。

日本財団はモンゴル以外でも伝統医療に関する支援をしておりますが、その際も、一概に1つの手法を当てはめるのではなく、それぞれの国にあったやり方で事業を進めております。
ミャンマーでは、各家庭ではなく、各集落で選ばれたコミュニティ・リーダーのもとに1つずつ薬箱を配置し、ミャンマー全土の7,000ヵ所に配備するプロジェクトを開始しました。

また、タイにおいては、1,200世帯に置き薬を配布し、ヘルス・ボランティアや大学教授などの専門家の協力を得て、伝統医療と“置き薬システム”に関する調査研究を行うプロジェクトに着手しています。なお、この成果は各国の伝統医療の実施普及、発展のために世界に公開されることになっています。

さらに薬の品質管理(安全性や効能)の向上を含めた伝統医療の世界的な発展に寄与するため、ASEAN事務局と5年間に渡る業務提携を約束しました。また、カンボジアでは国内初となる伝統医療学校におけるカリキュラム策定をはじめとしたソフト面での協力を行っていく予定です。その他、ラオスなどからも協力要請を受けていますが、日本財団は各国が持つ伝統医療という資源を有効活用し、それぞれの事情に合った方法で協力をしていきたいと考えております。

 世界には、今もなお医療や薬にアクセスできず、非常に多くの人が苦しんでいます。こうした薬の届かない人々に薬を届けることによって、人々の健康増進、特に貧困家庭の医療環境改善に寄与してまいりたいと考えております。

海外活動は超多忙〜コスタリカ〜 [2008年11月28日(Fri)]


休日には市民の憩いの場(平和大学キャンパス)


「海外活動は超多忙」
―コスタリカ―


11月12日朝、ロスアンジェルス到着。夕刻11時、ホテル出発。深夜1時30分の便でサンホセ(コスタリカ)へ。機中で6時間の仮眠。朝8時30分、サンホセ到着。10時、ホテルに入る。

朝食無し。約1時間の間にシャワー、髭剃り、ストレッチを済ませ、背広に着替えて戦闘開始。その間、同行職員は、スケジュールの変更、アポ確認でシャワーも取れず奔走。11時にホテル出発。

20年振りに国連議決に基づき設立された『平和大学』を訪問。広大な荒地は緑豊かに変貌。施設は建て込み、キャンパスは意外に狭く感じる。

キャンパスの隅にある笹川良一の胸像に、大学側が用意してくれた花環を献花。近くのこじんまりした平和公園には歴代のコスタリカ大統領の像が並んでおり、休日には市民の憩いの場になっていると、マレスカ学長は案内してくれた。

アリアス現大統領の像には笹川良一が言った言葉、「子供が兵士にならないことがわかっているコスタリカの母親は幸せである。Ryoichi SASAKAWA」との銘板が取り付けてあった。ご存知の通り、コスタリカは永世中立国。世界で唯一、軍隊のない独立国である。

アリアス大統領と1時間の会談。
平和大学主催の夕食会。
「ハンセン病とその差別との闘い」を評価されて『名誉博士号』を拝受。

終わってみれば午後11時。
長い一日であった。

海外活動での病気 [2008年11月28日(Fri)]


フジモリ元大統領の娘で国会議員のケイコさん


「海外活動での病気」


身体的な病気の話ではない。

私には海外活動での予定を寸前に追加をする悪い癖、というより病気に近いものがある。スケジュール調整中に指示すれば同行者も楽なのに、直前になって面談者を思い出すことがしばしばで、内心、職員に申し訳ないと思いながらも「不治の病」である。

今回も出発直前に、コスタリカ〜ブラジルの間に急遽一日、ペルーを追加した。
日本財団の支援で完成した「ペルー移民100周年病院」の開設式典に参加できなかったのでその現状視察と、元ペルー日系人協会会長・元スポーツ大臣・丸井氏との再会を希望してのことである。

「ついでにケイコさんにも連絡してください」
「ケイコさんって誰ですか?」
「フジモリ元大統領の娘で、今、国会議員をやっている人です」

しばらくたって
「連絡が取れました。OKです。昼食を差し上げたいとのことですが、如何いたしましょうか?」
「昼食は遠慮してフジモリ大統領の慰問に行きたいと、再度連絡してください。」
「エッ!! フジモリ大統領は陸軍か何かの施設に収容されているはずですが・・・」
「ともかくケイコさんに話してください。駄目でもともと。それだけでもケイコさんに私の心情が伝わるでしょう」

時差10数時間の東京経由で行うのだから、同行者も東京の職員もたまったものではない。数時間後、最大の努力をしてくれた同行の斉藤チームリーダーより「フジモリ大統領の面会、OKになりました」

内心、実現に驚いたが「何事も行動が大切である」は私の信条である。「100の議論も大切だが、一つの行動はそれ以上に重要」と、常日頃、日本財団職員に指導しているので、こういう結果が出ると良き実践教育となる。

かつて幽閉中の全斗煥元大統領を「百潭寺に慰めに行きたい」と韓国の知人に話したところ、「冗談じゃない。ソウルから片道5時間。その上、韓国情報部や韓国仏教会のガードが固く、絶対無理」との返事に、「何事もやってみないとわからない」と説得。幸運にも見事堅塁突破。訪問記は当時の週刊文春(平成元年12月号)に掲載されたことを思い出し、一人密かにニヤニヤする。

コスタリカでは二日間の予定を一日に圧縮し、一日をコスタリカの土着宗教の指導者との面談を入れるよう指示した。

今、来年1月に発表する「ハンセン病とその差別撤廃」の世界アピールに、世界の宗教指導者の協力を得るべく準備している。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ロシア正教、ヒンヅー教など。デスモンテ・ツツ大司教、ダライ・ラマ師などより理解を頂いており準備は順調ではあるが、コスタリカの土着宗教指導者からの返事のないことに気づいたのだ。

同行の斉藤チームリーダーを苛める。
「一日空けたのでビートリズ・ショルテス師を訪ねたいのだが?」
「調べましたら山岳地帯を越えて片道5〜6時間必要です。大西洋岸のようです」
「行きましょう!! 地方を見ないとその国はわかりませんからね」
「はい、わかりました」

しばらくたって
「本人は現在ジュネーブ滞在中で、コスタリカにはおりません」
「それは残念ですね。それではカラソーさんにアポをお願いします」
「誰ですか、カラソーさんとは?」
「昔のコスタリカの大統領です」
「わかりました・・・現在海外に出ているそうです」
「一日空きましたね。それでは皆さんにご苦労をかけたので、慰労を兼ねて、コスタリカの誇る森林保護と環境保護の実態調査のために国立公園に行きましょう」
と、実は内心、私が最も行きたいことを隠し、恩着せがましく言った。

11月27日(木) [2008年11月27日(Thu)]


京都大学・松本総長との面談


11月27日(木)

 08:40 ハンセン病募金礼状書き
     14件 141,844円

 10:00 執行理事会

 13:00 京都大学・松本紘総長

 13:30 新東通信・谷喜久郎会長

 16:00 国土交通省・染矢隆一海事局官房技術審議官

 18:30 マスコミ懇談会

11月26日(水) [2008年11月26日(Wed)]


ラオスで研修を終えた奨学生から報告を受ける筆者


11月26日(水)

 10:30 CANPAN勉強会

 11:00 国際支援案件 勉強

 13:00 ポンメーク・ダーラーロイ ラオス保健大臣

 14:00 ホンジュラス サモラノ農業大学 笹川奨学生

 15:00
  〜  日本海洋政策研究会・設立総会 挨拶
 18:00

 19:00 矢田次男・弁護士

ペルー・フジモリ元大統領と面談 [2008年11月26日(Wed)]


フジモリ元大統領が収容されている施設


「ペルー・フジモリ元大統領と面談」


「マラッカ・シンガポール海峡」の国際会議に出席。一昨夜クアラルンプールを発ち、昨朝6時50分成田着。日本財団に直行したところ、朝刊各紙には一斉にペルーで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の記事が掲載されていた。

「今回のペルー開催に努力した当時のフジモリ大統領は、現在は市民虐殺に関与した罪で刑事裁判中。故国の加盟10周年のAPEC開催を拘置所で迎えた」(毎日新聞)

「フジモリ氏は『ペルーでAPECが開かれてよかった』と、20日に面会した長女で国会議員のケイコ氏に語った」(朝日新聞)とある。

私はAPEC開催直前の11月16日、リマ郊外の収容所にフジモリ元大統領を慰問。ひっそりと日本酒「松・竹・梅」で杯を上げ、2時間にわたって懇談してきた。

11月14日のブログで、ジャーナリストから「君のブログは陸上競技でいえば周回遅れ」との苦言を頂いた。反省を込めて努力しようにも、遅筆の私にはどうすることもできない。仕方なく週刊誌の予告記事のように羊頭狗肉になる恐れは十二分にあるが、近々、フジモリ元大統領と家族について掲載したいと思っている。

この11月12日から21日までのコスタリカ、ペルー、ブラジルの旅行は、10泊のうち5泊が機中という強行軍。飛行機の遅延で、サンパウロ飛行場の固い椅子に7時間半も座って待つおまけもあったが、アリアス・コスタリカ大統領、ルーラ・ブラジル大統領との面談と、実りの多い旅であった。

乞うご期待!!?

11月25日(火) [2008年11月25日(Tue)]

11月25日(火)

 06:50 成田着 日本財団へ直行

 08:40 日本財団着
      終日、書類整理、決裁、打合せ

 16:45 村田良平・元駐米大使

11月24日(月) [2008年11月24日(Mon)]


シンポジウムには175名の関係者が出席


11月24日(月)

 09:30 「マラッカ・シンガポール海峡の安全と海洋環境保全に関する
  〜   国際シンポジウム」スピーチ及び出席
 17:00

 17:30 共同記者会見

 19:00 関係者 夕食会

 20:45 帰国へ

  

11月23日(日) [2008年11月23日(Sun)]


ポレミスICS会長と夕食会にて


11月23日(日)

 09:30 ロイズリスト インタビュー取材

 12:30 国際海運4団体(BIMCO、ICS、INTERCARGO、INTERTANKO)と昼食会

 17:00 カクテルレセプション

 21:00 AFP(仏国・通信社)インタビュー取材
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