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賛否両論!たばこ1箱1000円 その41 [2008年10月25日(Sat)]


外国のたばこパッケージ(警告表示)との比較を問う筆者


Voice
2008年10月号
笹川 陽平

賛否両論!
たばこ1箱1000円

喫煙は人を殺す

負債を解消する道筋
私が今年3月4日付の『産経新聞』「正論」欄に記した「たばこ1箱1000円への値上げを」という意見が予想以上の議論を生んだことは、提案冥利に尽きる。

6月13日には「たばこと健康を考える議員連盟(メンバーは中川秀直・自民党元幹事長、前原誠司・民主党副代表など)」が誕生し、大田弘子・前経済財政担当相は「たばこ税ももちろん(増税)候補の一つ」と発言した。ブログ上での議論も高まる一方である。

ここで「なぜ、たばこ1箱を1000円にするのか」について、あらあためて簡単に記しておきたい。

日本は現在、国債と地方債を合わせて1000兆円を超える借金を抱えている。この負債を解消する道筋を示さなければ、借金を子孫に負わせることになる。何か方策はないかと考え、日本のたばこ価格について思い至った。ロンドンやニューヨークのたばこ価格を見ると、700円から1000円以上であり、日本よりもはるかに高い。

2006年における日本のたばこ消費量は年間約2700億本であり、これに伴う税収は約2兆2000億円である。仮に1箱1000円にした場合の税収増は、消費量が同じならば9兆5000億円。消費税4%に相当する。

むろん私は、9兆5000億円が丸々入るとは考えていない。値上げにともない、喫煙を控える人も多いだろう。その点も考慮し、世論を喚起する意味であえて「1箱1000円に値上げを」と申しあげた。後述するが、これが「500円に値上げ」という議論では全く意味がない。たばこを1箱1000円にした場合、仮に消費量が三分の一に減ったとしても、3兆円を超す税収が見込める。これが財政逼迫の日本にとって、大きな財源になることは確実である。

「たばこは殺人の道具」 
私がたばこ1箱1000円の議論に期待するのは、一つはいま述べた「財政」の問題について、もう一つは「健康」について、国民レベルでの議論が行われることである。

たばこの増税に関して「なぜ喫煙者だけをバッシングするのか」という声が上がるが、そもそも喫煙者の擁護論がまかり通るのは、世界でも日本だけであると理解してもらいたい。

私はいわゆる禁煙論者でなない。しかし、今回の議論を通じて望むのは、たばこにどれほど害があるかを、イメージでなく、事実として知ったうえで吸ってほしいということである。喫煙者の多くは自身の健康はもちろん、受動喫煙や胎児への影響についての認識が甘い。解剖学者の養老猛司氏は著書『バカの壁』のなかで「受動喫煙の害は証明されていない」と述べているが、完全な誤りである(「『バカの壁』という言葉は養老先生にお返ししたい」というコメントを、私のブログに寄せた人もいた)。

喫煙が人体に害をもたらす事実はいまや「世界の常識」である。タイやEUでは、たばこのパッケージに堂々「たばこは人を殺します(Smoking kills)」
と銘打たれている。ほかにも喫煙者の黒くなった肺の写真や、喫煙のために喉に穴が開いた病人、喫煙者から産まれた未熟児が記されている。WHO(世界保健機関)のブルントラント元事務局長は「たばこは殺人の道具」と公式の場で発言してる。

たばこの害はそれだけではない。青少年の非行という観点から見ても、未成年者が安易にたばこに手を出すのは安価な値段がその一因である。現に2007年度、喫煙により補導された未成年者は約60万人に上る。1箱1000円に上がれば、いまのようには簡単に吸えない。

火災の問題もある。総務省・消防庁が行なった昨年1月から9月までの全国統計によると、4万2000件の火災のうち、10.5%に当たる4430件がたばこの火によるものだった。さらに、街中に捨てられる吸殻があまりに多く、美観を損ねるという意見も、私のブログに多数寄せられている。

右の「たばこの害」を理解したうえでたばこを吸うのであれば、私に異存はない。しかし現在の日本では「喫煙は人を殺す」という情報が提供されておらず、JT(日本たばこ産業)は「たばこは大人の嗜好品」というだけである。

WHOでは、たばこの健康に及ぼす害から人々を守るために「たばこ規制枠組条約」を定めている。日本も当然、この条約を批准している。

「たばこ規制枠組条約」の中身を読むと、条約の目的について「たばこの消費等が健康に及ぼす悪影響から現在及び将来の世代を保護する」という一文が明確に記されている。

対して、日本の「たばこ事業法」を見ると、たばこの製造・販売の目的について「財政収入の安定的確保及び国民経済の健全な発展に資すること」と述べるだけで、健康についてはいっさい触れていない。

さらに6月11日、JTは、私のたばこ1箱1000円の提案に対して「たばこの大幅増税に反対する会社コメント」を発表した。その内容を見ると、たばこを「合法の嗜好品」と記す一方で、先の健康問題には一行も触れていない。繰り返すが「喫煙は人を殺す」というのが世界の常識であり、そのたばこの値段は高くて当然というのもまた、世界の常識である。
さらに笑止千万なのは、コメント内の「仮に『たばこ1箱1000円』となった場合、たばこ耕作農家、たばこ販売店をはじめとするたばこ業界および地域経済にも壊滅的な影響をもたらすことになります」という個所である。

だが、たばこ農家の数は年々減っており、現在は1万3000軒を切っている。しかも大半はたばこ以外の作物を兼ねた兼業農家である。たばこは品質管理が難しく、不承不承つくっているという農家も多い。そのわずかな農家のために、1億3000万人の健康と日本の財政を犠牲にして値段を守れというのは、自社の都合しか考えていない発想である。

販売店が打撃を受けるという点に関しても、JTの言い分は誤りである。販売店に壊滅的な打撃を与えているのは、そもそもJTである。一例として、今年から導入した「タスポ(taspo、成人識別ICカード)」の影響で、早くも喫煙者は販売店の前にある自動販売機を避け、スーパーやコンビニでたばこを買うようになった。販売業者は大変な損害を被っており、利用者はたばこの自動販売機を使うためだけに個人情報の提示まで求められる。大資本のスーパーやコンビニを優遇し、販売店と喫煙者に迷惑を掛けながら、なぜ「お客様の納得」が得られると思うのだろうか。

喫煙者が誇りをもてる社会に
もう一つ、「たばこ1箱1000円」が喫煙者にとってもプラスなのは、いまままでのような無秩序な吸い方に歯止めがかかる点である。製薬会社ファイザーの世論調査によれば、たばこが1箱1000円になれば、79%が禁煙するという回答結果が出た。これまで禁煙に挑戦しながら失敗してきた人にとって、よい契機になるはずだ。

先ほど、私が「500円に値上げという議論ではまったく意味がない」と述べた理由もそこにある。1000円という高額であれば、ある程度の節度をもってたばこを吸うようになる。「朝食後に1本、出社後に1本、昼食時に1本、三時のおやつに1本、夕食後に1本」という具合になれば、それこそ真の「大人の高級嗜好品」だ。量を自覚せず、何となく吸いつづけるから、健康にも経済的にもマイナスとなる。

さらに「1箱1000円にして大半が禁煙したら、結果的に税収が減って意味をなさない」という意見がある。これに対しては、以下のように反論したい。

現在、喫煙を原因とする日本の超過医療費はおよそ1兆3000億円(『ニッポンの「たばこ政策」への提言』望月友美子監修、インクス刊による)に上る。他の要因も含めた社会全体の経済的損失は7兆4000億円だという。

たばこの害で早く亡くなったことによる労働価値の損失、医療費の増加、火災等による損害を考えれば、たとえ税収が減っても国民が健康になり、労働人口が増えるならば、たばこの増税は経済的に十分プラスではないか。

また、「喫煙者だけから税を取り立てるのは不公平だ」という意見に対しては、そもそも世の中に公平な税など一つも存在しない。どれほど公平を期したところで、誰かが痛みを担うのが税の本質である。この点を無視して、空疎な平等論を唱えても、財政の問題は何一つ解決しない。「喫煙者いじめ」という子供の理屈は、およそ成熟した国の議論ではない。

たばこに関する国民的議論は、「税とは何か」を考える絶好のチャンスである。税という点に関して、与党や政府税調が国民の目に見えないところで制度を決める時代は終わっている。政治家は国会で堂々とたばこの税を議論し、願わくば「たばこ1箱1000円」を議員立法として成立させていただきたい。

たばこ1箱1000円の目的は、喫煙者に節度ある吸い方を求めることであり、喫煙者をゼロにすることではない。個人の自由を奪ってはならないし、喫煙者がたばこを吸えば、それだけ税収も増える。たばこが1000円になれば、販売価格の90%は税金となる。喫煙者は日本への貢献者として尊敬の対象になるだろう。

また、喫煙者が誇りをもつためには、たばこの目的税化も重要である。いま全国で問題になっている産婦人科医の不足や、救急患者のたらい回しなどの問題を解決する費用に充てれば、「俺は身体を壊しながら高いたばこを吸っているが、おかげで救われる人が大勢いる」と思えて鼻が高い。高いたばこを吸った挙げ句、税金が役人の無駄遣いに使われるのでは、喫煙者も浮かばれないではないか。

10月24日(金) [2008年10月24日(Fri)]


平和大学卒業式で挨拶する筆者


10月24日(金)

 11:00 ニュースブレーク インタビュー

 13:30 スリランカ セワランカ財団・ハルシヤ会長

 14:40 マレスカ・平和大学学長

 15:15 ビェンベニード・ネブレス アテネオ大学学長

 17:00 平和大学卒業式
      挨拶

 19:00 卒業生とビュッフェ

 20:00 マレスカ平和大学学長主催 夕食会

インドにおけるハンセン病との闘い [2008年10月24日(Fri)]


患者の目線で活動する(中央が筆者)

「インドにおけるハンセン病との闘い」


ハンセン病の制圧、回復者の汚名や差別を解消する社会を作るための啓蒙活動で、私のインドへの訪問は4年間に20回以上となった。

スピーチにもあるように、ハンセン病回復者が集団で生活するコロニーの調査結果は700ヶ所にも及び、まだ増加する傾向にある。

アウトカースト、アンタッチャブルの彼等を全国組織として機能させるには、まだまだ多くの困難が立ち向かう。長い間、社会から隔離されたところで生活してきた彼等に有力指導者は少なく、組織強化のための人材はいないに等しい。

唯一の指導者・ゴパール博士(回復者)の悩みは深いが、懸命の努力をされている。ハンセン病回復者に、汚名、差別と闘い、人間としての尊厳を回復するために、如何に全国組織が必要であるかを理解してもらうためには、今少し時間が必要である。今回、彼は率直に問題点と個人的悩みを打ち明けてくれ、私は全力でサポートすることを約束した。

今年6月、国連人権理事会で日本政府提案のハンセン病患者回復者とその家族の差別撤廃決議案は、インド政府を含め59ヶ国の全会一致で可決された。そして来年9月を目標に、各国への具体的な差別撤廃へのガイドラインの作成に入る。

インド政府も賛成した以上、当然の責任と義務を負うわけで、そのカウンター・パートとして、ハンセン病回復者の全国組織『ナショナル・フォーラム』の組織結成とその強化は緊喫の問題となるわけである。

外国人の私が指導するのも如何と思うが、彼等の意識向上のため、注意深く用心しながら微力を尽くしたいと考えている。

以下、その会議のスピーチである。


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ハンセン病回復者居住地
東部地区代表者会議
(原文英語・要訳)


2008年9月7日
於:インド・コルカタ


本日、National Forumの東部会議に皆さんとともに参加できることを大変嬉しく思います。

ジャルカンド、オリッサ、アッサム、そして西ベンガル州からいらした皆さんを心から歓迎します。

私は40年以上に渡り、世界からハンセン病をなくすための活動に身を捧げてきました。特にインドは身近に感じており、この4年間で20回以上訪れました。私にとってインドは第二の故郷といってもいいほど親しみの持てる国です。

私の信念は世界は一家、人類は皆兄弟です。
回復者のことを私は兄弟・姉妹と思っています。皆さんは私の家族なのです。

インド中、どこにいっても土地の皆さん、特にハンセン病の患者・回復者そしてその家族の皆さんが暖かく迎えてくださいます。

当初、インドではハンセン病の制圧は不可能だと考える専門家が多くいました。しかし、ここにお集まりの皆さんをはじめ関係者の努力は不可能を可能として、2005年にハンセン病の制圧に成功されました。ハンセン病患者数の割合が、人口1万人につき1人以下にまで減ったということです。州レベルでの達成もあと一歩のところまで来ています。

これは、行政担当者、医療従事者、そしてNGOなどボランティア団体の方々が連携し、たゆまない努力を続けられた汗と涙の成果であり、国際社会はこれを高く評価しております。これらの方々の献身的な努力に尊敬と感謝を表明いたします。

幸いなことに、1980年代以降、有効な治療薬としてのMDTが開発され、世界中で1600万人の人々が治癒しました。そのうちの1100万人がインド国内の方々です。

しかし、病気がなくなったわけではありません。インドでは昨年1年間で139,000人の方が新たにハンセン病にかかっています。したがって制圧は根絶へのマイルストーンと位置づけるべきで、闘いの手をゆるめることはできません。

ハンセン病は医療上の問題だけではありません。もうひとつの深刻な問題が、社会的な偏見に基づく差別の問題です。

はるか昔から、ハンセン病にかかったというだけで、人々は偏見の目で見られてきました。この偏見が、就学、就職、結婚、あらゆる場面での差別を生んできました。ここにいる方々の多くも、いわれのない差別によって、長い不幸な生活を経験されてきたと思います。

世界中のあらゆる国々で、ハンセン病に罹患したという理由だけで人々は偏見の目で見られ、社会から排除され、本来あるべき基本的人権を奪われてきました。

もう、その状況を変えなければいけません。必ず変えることができます。
このナショナルフォーラムはそのための大きな一歩です。

思い返すと、2005年に、ここにいらっしゃるゴパール博士および彼のチームの仲間と、ナショナルフォーラムの設立について話し合ったのが始まりでした。それまで、インドの中にどれだけコロニーがあるのか、そこにハンセン病患者や回復者の方々が何人暮らしていて、どのような生活を送っているのかという調査は行われていませんでした。

状況がわからなければ適切な対策をとることもできません。そのためにコロニーの調査を行い、それぞれのコロニーから代表の方に集まっていただいて開催したのが、第1回目のナショナルフォーラムです。2005年、デリーでのことでした。

私はいまでもその時の感動が忘れられません。全国から集まった回復者の皆さんが、社会に向けて自ら声をあげた歴史的な出来事が実現したのです。

ある参加されたお年寄りが終了後会場から出る私を呼び止め、「私は遅れてきたためにお土産の毛布も何ももらえなかったが、かわりに過去30年間手にいれることができなかった、人間としての尊厳を手にすることができました」と語ってくださいました。

それから毎年、インド国中で回復者の皆さんが手を携えて行動するためのネットワークづくりを目指して、2007年からは地域を巡回して、ナショナルフォーラムは発展してきました。

ナショナルフォーラムの発展は、ひとりでも多くの皆さんの参加と協力によって、さらに社会に対する影響力も高まっていくものと確信します。

あなた方が発信するメッセージや行動によってこそ、社会におけるハンセン病への偏見に基づく差別を消すことができるのです。

皆さん自信をもってください。明るい未来に向かって共に歩こうではありませんか。

皆さんが主役にならなければいけません。

皆さん自身が一歩を踏み出さなければ、社会を変えることはできません。
私は全力で今まで以上に皆さんをサポートすることを約束します。

ここで新しい国際的な動向について、ご報告します。

今年6月に、国連人権理事会において、ハンセン病回復者およびその家族に対する差別に関する決議が採択されました。この決議は私の要請に日本政府が応え、提案されたもので、47の理事国の全会一致で採択されています。各国政府の代表が集まる公式の場で、ハンセン病患者および回復者、家族に対して基本的人権が守られるべきであることが明確にされたのは、初めてのことであり、大変画期的なことです。

インド政府も人権理事会理事国47カ国のひとつとして、この決議を支持しています。これは、この国の政府が差別撤廃に向けた動きが必要だと公式に認めたということです。今まで以上に皆さんの活動が政府の協力が得られやすくなることを期待しています。

私の理想は、Leprosy Free Worldを実現することです。このLeprosy Free Worldとは、病気が根絶されるだけでなく、差別のない社会の実現のことです。皆さんは不可能と思われるかもしれないが、行動を起こさなければ何もはじまりません。

ナショナルフォーラムを結成された皆さん! 皆様の子ども達のためにも、連帯をふかめ、団結して、この不公正と戦い、人間としての尊厳を獲得しようではありませんか。

皆さんこそが、社会を変えていく主役です。
あなたがたはひとりではありません。私たちも、皆さんとともにあります。

Leprosy Free Worldの実現のために、新たな一歩をともに踏み出しましょう。

10月23日(木) [2008年10月23日(Thu)]


インタビュー取材(人民日報・中国青年報)

10月23日(木)

 09:00 人民日報、中国青年報 インタビュー

 11:00 ホテル発 東京経由マニラへ

 17:00 成田着

 18:30 成田発

 22:30 マニラ ホテル着

10月22日(水) [2008年10月22日(Wed)]


日本知識クイズ大会(大連)


10月22日(水)

 07:00 ホテル発

 08:00 趙忠徳・大連外国語学院副院長

 08:30 名誉教授授与式

 09:00 日本知識クイズ大会

 12:00 大連外国語学院図書館視察

 12:30 趙忠徳・大連外国語学院副院長主催 昼食会

 14:00 203高地視察

 18:00 日本財団主催 答礼宴(風邪のため欠席)

俳句・川柳・詩歌と囲碁 [2008年10月22日(Wed)]




「俳句・川柳・詩歌と囲碁」


新聞各紙には毎日のように、詩歌、俳句、川柳など、多くの読者からの投稿が掲載される。囲碁、将棋を含め、日本の新聞の特徴だろう。継続読者の獲得には有効らしい。

これらの欄を読むにつけ、国民の文化度は世界一であると思う。
私など、この種のことには全く門外漢で、このような趣味を持つ人をうらやましいと思う。

「笹川さん、囲碁は必ず勉強しなさい。晩年の生活が豊かになりますよ!!」と進めてくれた先輩がいた。亡くなった画家の熊谷守一のように、古女房と、日向ぼっこをしながら喧嘩碁を打っている姿は絵になるようでうらやましい。習いたいと思った。

しかし、習い事や人の集まる席があまり得意でない。妻に覚えさせ、妻から教えてもらうことにした。実力二段というので、そろそろ教えてもらいたいと言ったところ、言下に「貴男には無理よ!! 奥が深くて難しいのだから」で終わりとなった。

二年有余も待ち惚けの上、あっさり捨てられてしまったのである。難しい難しいといいながら、毎週、いそいそと習いに行っているところをみると、きっと楽しいにちがいない。猫にカツオブシだったかも知れない。私の作戦は見事外れてしまったようだ。

最近、友人の一人が俳句をはじめたが、師匠格の友人にいわせると、理詰めの句で感性がないという。企業戦士として花鳥風月に疎遠の生活をしてきたのである。むべなるかなと思うが、俳句を作る心境になったことをうらやましく感じている。

ところで、俳句といえば中村草田男の「降る雪や 明治は遠くなりにけり」や、落語に出てくる「根岸の里の侘び住まい」を使い、上手、下手、一部盗作を恐れなければ、私にも一句出来る。

例えば其角の「夕涼み よくぞ男に生まれける」を拝借すると、
「夕涼み、明治は遠くなりにけり」
「夕涼み、根岸の里の侘び住まい」
となるが、如何なものだろうか・

かつて、宇宙飛行士が月面着陸をして世界中が昂奮している時に、慶應の女子大生が「それがどうした、なんぼのものじゃ」と宣まったことを記憶している。あまり「ひん」は良くないが使える。
「夕涼み、それがどうした、なんぼのもんじゃ」

虚無的で破壊的である。俳句というより狂歌だろう。

ところで、万葉集4516首、古今和歌集1100首、新古今和歌集には1979首の長歌・短歌の他に多くの恋歌もある。

明治の人の中には、恋人に郵便や電報で歌の番号で贈歌し、歌の番号で答歌しあった人がいたという。実にのんびりとした、又、想像力と学識を要する方法である。今はケータイ・メール時代である。まさに「明治は遠くなりにけり」。

人生は「飲んで、食って、して、寝て、タレて、ハイおしまい」
下品な言葉で恐縮。しかし、人生なんてたいしたものではない。
「それがどうした、なんぼのもんじゃ」。

開き直りこそ、新たな人生の展望が開ける道ではないだろうか。
とはいえ、句をひねる人は、やはりうらやましい。



10月21日(火) [2008年10月21日(Tue)]


夏徳仁・大連市市長(右)との面談


10月21日(火)

 07:40 自宅発 大連へ

 14:00 大連 ホテル着

 18:30 夏徳仁・大連市市長

 19:00 大連市市長主催 夕食会

 

海外から帰国 [2008年10月20日(Mon)]


シカゴ空港でブログの原稿を書く筆者


「海外から帰国」


昨日夕方4時、海外より帰国した。今回の旅程は成田−フランクフルト−プラハ(チェコ)−フランクフルト−アンマン(ヨルダン)−フランクフルト−シカゴ−デモイン(アイオワ州)−シカゴ−成田で、9日間の旅行であった。

目的はプラハにおけるハベル元チェコ大統領との「フォーラム2000」の国際会議出席。アンマンでハッサン王子と中近東の平和構築のためのプラットフォーム設置の打合せ。デモイン(アメリカ・アイオワ州)でビル・ゲイツ財団のCEOとの会談。

昨今、飛行場のセキュリティが厳しくなったため、早めに飛行場に到着しなければならない。インドの場合は出発3時間前が常識である。今回のように乗り継ぎが多く、深夜の到着(プラハ夜中12時20分、アンマン夜中3時30分)や早朝出発(アンマン深夜1時、デモイン早朝5時)となると出発前の準備時間も入れると移動に相当な時間が必要となる。

ホテル出発から自宅着までの間のホテルから飛行場、及び乗り継ぎ時間、飛行時間を計算してみた。9日間の旅程×1日24時間=216時間である。それに対して移動時間は65時間30分であり、2日と17時間が移動に要する時間であった。

今日一日、財団内で打合せ、書類整理、決裁、来客面談を済ませ、明日より、大連、香港、マニラへの旅となる。元気なことは有難いことである。








「聖なる河 ガンジス」その2 [2008年10月20日(Mon)]


ガートと呼ばれる階段状の沐浴場所


「聖なる河 ガンジス」その2


早朝4時に起き、ボートでガンジス河にくり出した。
ガンジスの日の出を見て、ガート(GHAT)と呼ばれる階段状の沐浴の場所84ヶ所を見学し、岸辺に建ち並ぶ寺院、河に祈りを捧げる信者や沐浴の人々を見学するためである。

バラナシのあたりのガンジスは、川幅はそれほどないが流れは速い。日本人の考える禊ぎ(みそぎ)は清水であるが、ガンジスの流れは濁流で、ゴミやペットボトルはいうに及ばず、牛の死骸や布に包まれた子供の死体も流されて来るという。ガンジスの近くで死んだ者は輪廻から解脱できると考える人がいて、この地でひたすら死を待つ人々もいるとのことである。

岸辺で熱心に祈りをささげ、頭までどっぷりと汚い水(彼らにとっては聖水)に浸り、何回も口をゆすぐ。その100mほど上流には火葬場があり、焼かれた遺灰は川に流される。その少し上流には、町中を流れる臭気ぷんぷんの下水川が流れ込んでいた。

死者を川岸で火葬に付し灰をこの河に流すことは、死者に対する最大の敬意とされている。しかし例外もあって、ハンセン病患者、妊婦、天然痘患者、蛇に咬まれた人、10歳未満の子供は焼却の対称にならないらしいが、理由はよくわからない。

異様な風景はこれだけではない。船から岸辺を見ていると、いたるところにガンジスに尻を向けて朝の仕事をしている人が目に入る。見たくもないものが自然に目に入るのもインドならではである。

同行のイギリス人、ジョナサン・ロイド・オーエンさんによると、デモなどでスボンをずらして尻を出すことを月に喩えてMooning(ムーイング)といって、相手を軽蔑する仕草だそうだ。聖なる河・ガンジスはMooning Riverでもあり、Moon Riverなる名曲とはほど遠い、およそ日本人には理解できない『聖なる河』であった。

しかし「鰯の頭も信心から」
かつて、教祖の入浴後の残湯を聖水として飲んだ宗教もあった。そこまで信仰できる人は、あるいは幸せなのかもしれない。

10月19日(日) [2008年10月19日(Sun)]

10月19日(日)

 14:00 成田着

 15:40 自宅着