日本人で唯一のノーベル平和賞受賞者(ウィキペディアより転載)
「ノーベル賞」その2
〜ノーベル平和賞と佐藤栄作〜
三、四年前だったか詳しくは覚えてないが、佐藤栄作氏のノーベル平和賞受賞を中傷すべく一部外電が「佐藤栄作のノーベル平和賞受賞は問題だった」との報道を流した。この問題は佐藤栄作氏の名誉のみならず日本の名誉をも損なう問題なので、その経過を知る一人として真実を明らかにしておきたい。
佐藤栄作氏のノーベル平和賞の受賞は1974年である。以下はその時の選考委員の一人であったティム・グレーブ氏から私が直接聞いた話である。
ティム・グレーブ氏はノルウェーの夕刊紙の編集長も務められ、1985年に設立したスカンジナビア・日本・笹川財団(ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・デンマーク・アイスランドが参加)のノルウェー選出の初代理事として交誼を得た。ストックホルムで財団の会議終了後、ホテルのバーで談笑した折、問わず語りに佐藤栄作氏のノーベル賞選考過程を語ってくれた。
佐藤栄作氏の受賞の理由は沖縄の平和裡な返還の功績だけではなく、南東アジアの安定と発展に寄与したことが理由である。沖縄返還だけなら交渉相手のニクソン大統領も受賞者になる。又、キッシンジャーとヴェトナムのレ・ドクト、イスラエルのシモン・ペレスとパレスチナのヤセル・アラファトもその列である。
選考委員会では、例年通り、夏休み前の7月前半に前記の理由で佐藤栄作氏の受賞が決定していた。しかし問題が起ったのは選考委員会の受賞決定後、日本の外務省元高官(名前は秘密)がオスロに乗り込み派手な佐藤栄作売込み工作を展開したことであった。
これはノーベル委員会の最も嫌うところである。キャンペーン(売り込み工作)を行った候補者は排除する内規になっているとのことで、今までにも多くの候補者が脱落したと、一人一人の名前を上げて教えてくれた。選考委員会は元外交官の行動で威厳を傷つけられたと、決定を取り消すか否かの大議論になったという。
しかし激論の末「選考委員会は誰からも影響を受けず佐藤栄作を選出していたということで委員会の威厳は保たれており、その後の日本人元外交官の行為は非難されるべきではあるが、佐藤栄作の受賞決定を取り消すほどのことではない」とティム・グレーブ氏は主張し、異論はあったものの受賞が決定したという。
巷間伝えられているように元外交官氏の努力があって受賞したのではなく、逆に佐藤栄作氏は大いなる迷惑を被ったのであり、佐藤栄作氏は実力でノーベル平和賞に輝いたのである。