「ミャンマーのジャーナリストからの手紙」
ミャンマーのメディアは、軍事政権下で抑圧された状況下にある。その中でも不撓不屈の精神で戦っているジャーナリト達がいる。
以下は、私に届いたミャンマーのあるジャーナリストの手紙の一部である。
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拝啓
あなたの協力で、今では100人余りものジャーナリストを育成することができました。そしてミャンマー国内に変化をもたらすような、道徳、倫理、ものの考え方をコミュニティーに教え、根付かせるよう、努力を続けています。
これはあなたにとっても私にとっても誇るべき成果であります。
「第4階級」すなわち言論出版にかかわることは、挑戦的で、骨の折れる作業です。我々の成功を物差しで計る事は困難です。私はミャンマーのジャーナリストとして、常に孤独を感じております。常に背中から刺されるような思いを味わい、賞賛されることはめったにありません。
毎週、検閲と闘い、スタッフの権利を守り、崖っぷちに立ちながら働いてきました。私は時々、この状況を退却が育む成長と呼んでいます。最近では、本当に変化を起こしているのか、これが私の人生にとって本当に意味のあることなのかと自問することもしばしばです。
ある出来事が人々の人生を変えることがあります。この数週間で、私の頭の中の優先事項のトップの近くに位置していたのは、サイクロン・ナルギスでの被害でした。私はジャーナリストという特異な立場にいるために、この災害から多くのことを学びました。この災害に対して人々が見せた勇気や決断、思いやりなどが心に残ります。
5月3日のサイクロンが、昨年9月の反政府デモ「サフラン革命」以上にこの国を変えるほどの可能性を内包していたことは、貴殿も感じられたことと思います。
そのかかわりは益々強くなりつつあります。そしてこれは私に、潘基文・国連事務総長の来訪という出来事に数週間焦点をあてさせることとなりました。実に、国連のトップの訪問はミャンマーにとって40年ぶりのことでした。
潘基文・国連事務総長の訪問は軍事政権により拒絶されていました。信じられないことに、タン・シュエ国家元首は事務総長からの直接の電話に出ようとせず、世界の憂慮を伝える親書にも返事をしていませんでした。
結果的に政治的な緊迫状況が劇的に高まりました。
軍事政権は「状況は統制下にあり、『救援』から『復興』へと移行している」との説明をしてきました。
そのような状況下で、私は幸運にも、潘基文・国連事務総長との会話に成功しました。
私は率直に多くの情報を彼に提供しました。我々自身が経験した多くの困難と、メディア・セクターすべてが直面する困難を説明し、我々があたかもスターリン主義者の夢の世界にいると感じるとまで申し上げたのです。私は、これはミャンマーのすべてのジャーナリストを代弁する機会だと認識していました。
私の話を聞いて、潘基文氏は私に2ページの簡潔なメモを用意することを依頼してきました。そしてこう言われたのです。「私はこれからミャンマー首相と12時半に昼食をとることにしている。この問題については良く理解した。共にミャンマーの自由なメディアのため、民主主義のために闘おう。我々にはそうする義務がある。私は韓国出身で、軍政によって抑圧されたメディアの中で育ってきた。だからこの状況がどのようなもので、何を意味するのかがわかる。」
以下は私が出した事務総長宛のメモであります。
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国連事務総長
潘 基文様
ミャンマーのメディアの活動状況につき、以下の通りご報告いたします。ミャンマーのすべてのジャーナリストになり代わりお伝えします。より透明性のある報道が重要であるとの貴殿の認識は、貴殿が、サイクロンの災害に対して実施されようとしている救済活動の成果にも大きく関係いたします。我々は、この問題の核心に迫る決意であり、このメディアという民主主義の四番目の柱の意義を理解し、支援をしようという貴殿のご意思は我々を前進させるものであります。この数日間に亘る希望に満ちた貴殿のメッセージはメディアの回廊に強く鳴り響いております。ミャンマー国民は本当の勝者になるよう、これを推し進めていかねばなりません。
ミャンマーが言論の自由を失って以来、50年が経ちます。
1958年9月に、U Nu 首相の文民政府がU Ne Win 将軍率いる軍事政権へその実権を割譲したとき、それは全アジアの中で最も力のあるメディア・コミュニティの終焉を招いたのです。
一連の軍事政権が続く中、情報の流れとメッセージ配信については鉄の締め付けによって統制がなされてきました。
今日ミャンマーでは全てのメディアは軍か情報局の厳しい監視体制下に置かれています。
政府は2つのテレビ局とすべてのAM とFMラジオ局、ミャンマー語紙2紙と英語のThe New Light of Myanmarを傘下においています。
国営のメディアは単に軍のリーダーたちの動きを記録するにとどまり、記録は即時に凍り付いてしまうだけです。政府による優れた努力をもその価値を落とし、「新しい近代的に発展した国家」の概念を映し出すこともできないでいます。
民間メディアは、配信が活字媒体に限定されていますが、こちらも厳しい監視体制下に置かれています。
出版社は免許の更新を毎年義務付けられ、その国内における出版物は全て検閲の対象となります。これを犯すと、重い罪を課せられ、長い期間投獄される場合もあります。
それにもかかわらず、過去10年の間に、メディアは大きく発展し、少なくとも出版量では目を見張るものがあり、現在ミャンマーには、社会のあらゆる分野にわたるおよそ250もの月刊および週刊の刊行物があります。
政治についての論評は厳密に統制されます。そして、すべてのメディアが政府寄りの報道をするように強制されます。 政府や市民社会に関する議論の機会は全く無く、メディアの自由に関していえば、世界ランキングではミャンマーは最底辺に位置しています。
これは憂慮すべき情報であります。政府は2010年に行われる選挙の新しい展望の一部に自由なメディアを謳っていますが、どのようなレベルの独立が期待できるのか何一つ詳細が明らかになっていません。
ミャンマー政府は国家の歴史上のこの重要な転換点に、変化を起こすことのできるめったにない機会にめぐり合わせています。メディアの更なる自由化を進めることを公にするこれほどいい機会はありません。
短期間に新聞の刊行を始めることができる可能性をもつ人々が何人か存在しますし、更に、民間の多額の資本がラジオや、テレビ、インターネットへの投資として用意されています。
国家が民主主義に移行する間、チェック・アンド・バランスを確実に保つために利用できる単純なメカニズムがいくつか存在するはずです。
この重要な決断をすることにより、政府を、過去から解放することができ、誇りをもって、国際社会に再び加わることを熱望する、新たな近代発展国家のビジョンを描くことができるのです。
即座に、決断力を持ってこれが実行されなければ、現行政府の行動は、中身がなく、説得力もないとミャンマーを批判する人々に証明することとなり、又、許し、忘却することを厭わない選挙民にとっては、政府の真の問題は虚言と誤謬であることを改めて証明することとなってしまうでしょう。
すべてが、達成可能であり、管理可能です。そして、この決断は、初めある程度の痛みを生じさせるでしょうが、必然的に、それはミャンマー国民と長い間ミャンマー連邦を守るために闘ってきた軍の為にも明るい未来の基礎を築くことになるでしょう。