タバコ一箱1000円 その5 [2008年05月31日(Sat)]
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笹川 陽平
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たばこ1箱千円
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アフリカ大統領 [2008年05月30日(Fri)]
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笹川 陽平
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私の毎日
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ワンガリ・マータイ女史 [2008年05月30日(Fri)]
「ワンガリ・マータイ女史」 ワンガリ・マータイ女史は、土壌の浸食と砂漠化を防止する植林活動・グリーンベルト・ムーブメントを開始し、アフリカ大陸全土での植林活動により環境保護に尽力したことが評価され、一昨年、ノーベル平和賞を受賞された。
独裁政権下にあったケニアにおいては、公然と政権を批判したことで数度の逮捕と投獄も経験している。
初来日以来、日本の「モッタイナイ」を環境活動のキーワードとして活用し、世界に「モッタイナイ」の言葉を広げている。
日本において、高度経済成長期以前は「モッタイナイ」は生活の規範の一つであった。
贈物の包み紙や紐は大切に保管し、新聞紙は一年に一度の大掃除の折に畳の下に敷いたり、毎日の掃除の時、埃がたつのをおさえゴミを吸い取るため、水につけて畳に撒いてから掃除するなど、大いに再利用された。
しかし、高度経済成長期に入ると「消費は美徳」の言葉とともに「モッタイナイ」の言葉は死語となった。
地球温暖化をはじめ、環境問題が人類の生存のために解決しなければならない重要問題と認識されはじめた今日、ケニア人のマータイ女史によって「モッタイナイ」は世界の共通語として甦った。
日本財団の基本的活動指針は「モッタイナイを形にする」である。
古民家や廃校を再生し、福祉施設や芸術家の活動拠点として活用して頂いているのもこの考えからだ。
自然に感謝しながら「モッタイナイ」の精神で環境問題に取り組むマータイ女史の考えは、一昔前の日本人の生活規範と同じだ。
日本の若者がケニアのマータイ女史から「モッタイナイ」精神を学ぶとは皮肉なことである。
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UNEP笹川環境賞 [2008年05月30日(Fri)]
選考委員会後、受賞者発表の会見を行う(於:日本財団ビル) 「UNEP笹川環境賞」 UNEP(国連環境計画)は1972年、スウェーデン・ストックホルムで設立された。
当時、地球環境問題は一部の識者の間での問題であった。
ストックホルム宣言より10年後の1982年、UNEPナイロビ総会で、環境問題で活躍する世界の有識者を表彰することにより、環境問題を広く世界の人々に知ってもらうため『笹川環境賞』の設置が決定された。
第1回の受賞者は、イタリアのローマクラブ設立者、アウレリオ・ベッチェイ博士であり、アースポリシー研究所のレスター・ブラウン氏も受賞されている。
近年、地球温暖化問題を含め急速に地球環境問題に世界の注目が集まるようになったことには、隔世の感がある。
今回、UNEP笹川環境賞の選考委員会が東京で開催された。選考委員のノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ女史、日本からは広中和歌子元環境大臣も出席し、慎重な審査の結果、サンラボブ農村エネルギー会社(ラオス)とNGO団体のプラクティカル・アクション(ペルー)の2団体に決定した。
25年経過し、ようやく環境問題が地球温暖化をはじめ世界的イシューになってきた。
この賞も先駆的役割を果したと思うので、来年度からは環境問題をテーマに実際的な活動家を表彰する方向に変更したいと考えている。
数多くある世界の表彰制度の中で『WHO笹川健康賞』が唯一、賞金を受賞者のものではなく活動に使用しなければならない規約となっている。
この『笹川環境賞』も活動に使って頂きたいと願っている。<記者会見の様子は、動画で見ることができます。こちらからどうぞ>
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アフリカ開発会議(TICAD)開催 [2008年05月29日(Thu)]
5月29日より横浜でアフリカ開発会議(TICAD W)が始まり、今日と明日は東京と横浜の往復となった。
22年間、アフリカで貧しい農民に収穫増の手法を教えてきた。『ササカワ・グローバル2000プロジェクト(SG2000)』はサブ・サハラでは大きな成果をあげた有名な農業プロジェクトであり、今回その実績が評価され、民間人としては珍しく本会議で発言の機会を得た。
5分間という制限時間の中では、伝えたいこと全てを話すのは不可能であるが、問題点はするどく指摘したつもりである。原稿を別掲するので、ご覧いただければ光栄です。
たったこれだけの文章といってしまえば簡単だが、絵日記ふうにあれをやりました、これをやりましたでは、外国人にはアピールできず、問題点と解決策を提示する必要がある。
職員の瀧さんを中心に海野、小沢両君のチームで練り上げてくれた演説文は約40時間の作業であった。09:00 競艇振興会 船越常務理事 10:45 日本モーターボート競走会 蔭山会長 11:00 日本財団 理事会13:30 アフリカ開発会議(TICAD) 於:パシフィコ横浜 14:15 ニジェール共和国 セイニ・ウマル首相 15:30 TICAD本会議で演説 17:00 日本財団 20:00 日本・アフリカ連合友好議員連盟・レセプション 於:横浜パークホテル 21:00 笹川アフリカ協会 クリス・ダズウェル氏と夕食
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笹川 陽平
at 21:26 |
私の毎日
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邑久長島大橋開通二十周年記念式典 挨拶 [2008年05月29日(Thu)]
邑久長島大橋開通二十周年記念式典 挨拶 2008年5月9日 於:邑久長島大橋本日はお招きいただき、誠に有難うございます。
私は1年の三分の一をハンセン病制圧のための活動にあてています。これまで119カ国で病気を制圧してきました。未制圧国は残り4カ国となり、あと2年くらいで世界からハンセン病が制圧される可能性が出てきたわけです。
これまで訪問したいずれの国も、ハンセン病の施設は島に存在していました。
フィリピンのクリオン島、あるいは南アフリカの初代大統領が幽閉されていたロベン島もかつてはハンセン病の島で、地中海やエーゲ海に浮かぶ島の多くもハンセン病の島でした。
この僅か70〜80mの島に住むということは、単に70〜80mの距離ではなく、絶望の島に追いやられるという、無限の距離として存在してきたわけです。
本日お集まりの皆様の胸中にある、船で島に渡ったという意味合いを理解することは、私たちのような病気を経験していない人間にとっては理解し得ないことではありますが、大変深い悲しみとそれに伴う絶望感があったのではないかという気がいたします。
この橋が物理的に便利であるということだけでなく、長い間回復者の皆様が島を守り、いずれ将来、県民の皆様を迎え入れるであろう希望に満ちた島になるための架け橋として活用されることは大変意義深いことです。
本日はそのための20周年ではないかと思います。
療養所で生活する皆様の平均年齢は80歳と伺いましたが、今まで闘ってきた気力がある皆様ですから、さらに元気を出していただき、希望に溢れた島になることを見届けていただきたいと思います。
また長い間の経験を県民の皆様にもお知らせ願いたいと思います。<式典の様子は、動画で見ることができます。こちらからどうぞ>
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邑久長島大橋開通二十周年記念式典 講演 [2008年05月29日(Thu)]
邑久光明園入所者の献身的なお世話で美しく咲く紫陽花 (邑久光明園Webサイトから転載) 邑久長島大橋開通二十周年記念式典 ―講演「ハンセン病と人権」― 2008年5月9日 午前11時 於:邑久光明園 恩賜会館今日は皆様と同じ病で悩んでいる世界の現状についてお話をさせていただきたいと思います。 ハンセン病は古くは紀元前600年前のインドの書物に記されているほど昔から、人々を苦しめてきました。
現在の医学では、病気と言われるものは何千にも細分化され、存在しています。しかし、何千もある病気の中で、ハンセン病だけが社会的な差別を受けてきた唯一の病気であるといっても過言ではありません。皆様もご苦労されたように、病気が治ってもなお、社会の無知から差別が続いているのが世界の現状です。
WHO(世界保健機関)では患者が人口1万人に1人以下になったとき、ハンセン病は制圧されたと定義しています。公衆衛生上の問題としては制圧されたということですが、勿論、患者がゼロになったわけではありません。
日本財団は1996年から世界中でハンセン病の薬であるMDT(複数の薬剤を組み合わせた療法)を無料で配布し続けてきました今ではアフリカの砂漠やインドの山奥、あるいは南米の山岳地など、世界の末端といわれるところまでMDTという薬は行き届いています。
私は1年の三分の一をハンセン病制圧のために世界を飛び回っていますが、そのたびに薬の存在を確認しています。発展途上国にある保健所やその出張所の多くは薬というものがほとんどありませんが、このMDTだけは届いています。今では早期発見率が90%を超えています。
身体に斑点が出た時点で発見されているので、ほとんど後遺症が残らない状況にあります。1980年代にMDTが開発され、既に1600万人が病から解放されました。
人口1万に1人以下というWHOの基準で見ると、既に119カ国でハンセン病が制圧されたことになります。世界のハンセン病患者の7割を占めるインドにおいては、インド独立の父と言われたマハトマ・ガンディーさんが、インド建国政策の8番目にハンセン病の制圧をあげました。
しかし、インドの関係者は当初絶対に不可能だと考え、十分に取り組んできませんでした。私は3年間で20回にわたりインドの僻地を訪問し、患者や回復者、現場で働く医療関係者などを激励してきました。
またメディアの協力も得、3年前に患者が人口1万人に1人以下まで下がり制圧に成功したのです。私たちはインドだけでも1100万人の患者を病気から解放しました。この成果は驚異の目で『インドの奇跡』とまで言われています。ただ、患者がゼロになったわけではありません。人口が10億人を超える国ですから、毎年10万人前後の新たな患者が出ていることも事実です。
現在残る未制圧国は、ヒマラヤがある山岳地帯のネパール、アフリカの中央に位置するコンゴ民主共和国、それからモザンビークとブラジルの4カ国です。今年中にネパール、モザンビーク、コンゴ民主共和国は制圧が見込まれていますので、残るはブラジルの1カ国となります。ここも来年もしくは再来年には制圧に成功するのではないかと、私は期待しています。今年もブラジル、アフリカに出かけるつもりです。
私たちの願いはハンセン病のない世界を築くことです。先ずは数値目標として、人口1万人に1人以下にすることであり、これに成功すれば、公衆衛生の問題としては、画期的で歴史的な出来事になります。
しかしながら、私たちはハンセン病の病気をなくすという医学的な側面に力を傾注するあまり、病気が治っても社会が受け入れないという偏見に基づく差別問題への視点が十分ではありませんでした。私は病気を治すことに懸命に努力してきました。
しかし、治った後も社会参画できていないという現実を見て、この差別への闘いを本格化しないと、本当にハンセン病が治ったことにはならないと、遅まきながら気がついたわけです。オートバイに例えると、前輪はハンセン病という病気を治す車輪で、後輪は偏見や差別から解放する車輪です。
両輪が同じ大きさではじめてハンセン病への正しい闘いが進められるのです。後輪のスティグマ、偏見や差別との闘いが、医学の世界とは異なった存在であったために遅れてしまったというのが率直なところです。
ハンセン病と闘う多くは医師ですが、私は医師ではありません。そのため、差別の問題にも気付くことができ、関心を深めてきました。今から4年前になりますが、スイスのジュネーブにある国連の人権委員会を訪問し、ハンセン病の差別問題について実態報告をしました。
この委員会には世界のあらゆる人権問題についての専門家が26人います。先ほども触れましたが、1980年代から1600万人が病気から解放されています。そのため少なくても家族、近い親戚などを含めると1億人を越える人たちが今なお、言われなき差別に苦しんでいる計算になります。
しかし、この事実を26人の人権の国際的な専門家はどなたもご存知なかったのです。彼らはハンセン病に対する無知と無理解を素直に認め、反省の意を私たちに表してくれました。さらに2つの決議を出していただきました。
その後、国連の人権委員会は改組され、国連人権理事会という組織になりました。勿論、日本国政府も参加しています。私は政府からハンセン病人権啓発大使の委嘱を受け、この5月にもジュネーブに行く予定です。現在日本国政府は、ハンセン病と差別問題について提案国の一つとして国連人権理事会に決議を求めるところまで現在きています。
世界には様々な人権団体があります。子どもの人権について活動する団体、老人の人権を扱う団体、女性のための人権団体、あるいは障害者のために活動する人権団体など、数多く存在します。
その中にはハンセン病の患者や回復者の人権も含まれるはずなのに、すっぽり抜け落ちているのです。ハンセン病にも老人、子ども、女性、勿論障害者の方もいます。この人権活動団体や活動家に対する啓蒙活動も私の大切な仕事の一つです。
国連人権理事会で決議案が採択されると、ニューヨークの国連総会に提議されます。私はそこで決議されることを一つの戦略としています。
国連総会で決議されると、学校教育において、ハンセン病に対する正しい知識を教えることやハンセン病の回復者を各企業、組織、団体が差別なく雇用すること、あるいは生活保護その他通常の人と等しく扱うよう各国政府に対して勧告してもらうのです。
これが一つの大きな狙いですが、これだけでは世の中は上手く行きません。やはり草の根からの活動が大変重要なのです。
世界のハンセン病の7割を占めているインドで、ハンセン病の回復者が集まり自然発生的に形成された村(コロニー)の実態調査を行いました。これまで発見されたコロニーは約700カ所あり、未確認のコロニーも合わせるとその数は恐らく1000カ所を越えるだろうと推定されます。
その多くは社会に存在しない人たちということで、今も彼らは隔絶された世界で生活しているのです。街から隔絶された山や島の中でひっそりとした生活を今なお余儀なくされているのは、自分たちが声を上げることによって、新たな差別が生まれるのではないかという恐怖心を持っているからです。
発展途上国では、欧米のミッション系の方々による働きかけはありますが、今なお自発的に生きようとする力、あるいは希望を失っているのが現状です。
そこで私は700カ所のコロニーで生活している人たちの全国組織を作りました。これからの時代は、健常者やミッション系の人たちが手を差し伸べ面倒を見るということだけでなく、回復者自らが主役となり自分たちの権利擁護のために発言して活動してほしいからです。
そのために私は全面的に協力するということを提案し、インドでようやく全国組織が誕生したのです。その中には大変優秀な方々も数多くいます。またインド政府も大統領や副大統領が出席しなければ使えないような国際会議場の利用が許可され、そのような場所で回復者の全国組織の会議が開催できるようになり、回復者の中に自助努力で生きなければならないという思いが芽生え始めてきました。
私は人生の最後をインドのハンセン病の方々に捧げたいと思い、ササカワ・インド・ハンセン病財団という組織を設立しました。
病気はなくなる方向にありますが、1000カ所を越えるコロニーで集団生活している人たちには、何ら生活が保障されているわけではありません。誠に残念なことですが、多くは物貰いで生計を立てているのが実態です。
彼らに働く意欲も情熱もないのかというと、決してそのようなことはありません。懸命に努力し、不自由な手で編み物や織物を作る人もいます。あるいは竹を使って花かごや魚を入れるかごを作ったりする人もいます。手がより不自由な人でも自動車工場で機械を扱う人もいるのです。
要するに働く意欲、情熱、能力があるにもかかわらず、社会の片隅に追いやられたために、仕事のチャンスに恵まれない人たちが何十万人も存在しているのです。私たちはこの人たちの生活向上のための活動を活発化させようと取り組んでいます。
先般、ダライ・ラマ師にお目にかかった折、物貰いで生活するハンセン病の回復者をゼロにするまで頑張りますと話しました。
ダライ・ラマ師から「笹川さん、そんなこと無理だよ。できるわけがないじゃないか」と言われましたので、彼が元気で生きているうちに実現させようと思っています。
通信や交通が不便な時代から、ハンセン病を患ったというだけで島の中で不便な生活を強いてきたというのが、世界の今なお続く現状です。私は世界のどこの国に行っても必ず患者さんを抱きしめ、素手で膿んだ足や手を洗ってきました。
その様子をテレビクルーが撮影し、放映することで、ハンセン病が感染しない病気だというメッセージを発しているのですが、それでもハンセン病は本当にうつらないのか、遺伝ではないのかと小声で尋ねてくる人もいます。大学を卒業した人ですら、その程度の知識であるというのが世界の現状です。
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笹川 陽平
at 08:16 |
スピーチ
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ハンセン病・エイズ賞受賞 [2008年05月28日(Wed)]
10:30 公益コミュニティサイト「CANPAN」月例報告 11:00 日本財団 評議員会13:00 日本財団 賞与評価委員会 14:00 朝日新聞 「タバコ税提言」についてインタビュー 15:00 タイ国 ラージプラチャサマサイ研究所から「ハンセン病・エイズ賞」受賞 17:00 モザンビーク チサノ前大統領
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笹川 陽平
at 22:39 |
私の毎日
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ジュネーブ(スイス)訪問 [2008年05月28日(Wed)]
第26回の笹川健康賞受賞者の「モハン」 「ジュネーブ(スイス)訪問」 毎年、WHO(世界保健機関)の総会の席で行われる『笹川健康賞』の授賞式は26回目を迎え、今年の受賞はブラジルのハンセン病制圧活動団体『モハン』であった。
モハンには有名な女優、歌手等を含め、多くの人々がボランティアで参加している。
電話相談は、親や親族にも言えないハンセン病の悩みを抱える多くの人々に利用されている。また、テレビ局の厚意で無料のハンセン病啓発のコマーシャルも流している。
大統領をはじめ、政治家とのパイプも太く、ブラジルでの市民活動として大きな影響力を持っている。ブラジル政府代表も率直に受賞の喜びを語ってくれた。
アフリカのモザンビーク、DRコンゴも制圧に成功し、現在、専門家集団が検証に入っている。
ネパールは総選挙も成功し国内治安が安定してきたので、制圧は時間の問題となってきた。
目処のたたない唯一のハンセン病未制圧国はブラジルだけとなった。この受賞を機会に、ハンセン病制圧活動が益々活発になることを願っている。
ハンセン病の全世界制圧は私の夢の一つである。
ところで笹川記念保健協力財団・紀伊國献三理事長は、26年間、WHO総会・笹川健康賞授賞式に皆勤である。WHO広しといえども26年間皆勤は、職員を除けば皆無である。
私もここ10年ほど皆勤なので多くの関係者に知られるようになった。何よりもWHO総会で、受賞者へのお祝いと激励のスピーチのなかで、民間の立場として主張を加味できることは有難い。
26年間皆勤の紀伊國理事長 また、今回は日本政府が国連人権理事会で『ハンセン病と差別』について決議案を提出して下さることになり、ジュネーブ駐在の各国政府代表に『ハンセン病と差別』の実態についての説明と決議案への賛同を得るための陳情に廻ったが、ジュネーブ代表部の北島大使のご協力で、短時間に効率的な仕事をすることが出来たことを感謝したい。
以下はそのスケジュールと面会リストである。
国連人権理事会議長と面談
5月21日(水) 09:10 WHOアメリカ地域事務局長/ミルタ・ローズ博士 09:30 ブラジル保健大臣/ゴメス・テンポラォン氏
10:00 ネパール保健財団/G. ポッカレル氏 10:30 ミャンマー保健大臣/ウナ・マウ・ルウィン氏 11:00 マダガスカル保健大臣/ジーン・ルイス氏
11:45 モザンビーク保健大臣/P.I.ガリドー氏 13:30-14:30 北島大使主催・昼食会 於:日本大使公邸 15:20 DRコンゴ保健大臣/マクウェンジ・カプト氏
15:40 WHO熱帯病感染局長/ロレンゾ・サビオリ博士 16:15 ロシア/ヴァレリー・ロシュチニン大使 17:30 インドネシア保健大臣/S.F.スパリ氏
5月22日(木) 09:30 ルーマニア/ドルー・コステア国連人権理事会議長 10:00 フィリピン保健大臣/フランシスコ・デュキュエ氏
11:00 ブラジル/フロレンツィオ大使 11:30 WHO障害者担当局長/エティーネ・クラック博士 12:00 インド/S.シンハ大使
12:30 WHO幹部及び受賞者・昼食会 マーガレット・チャン事務局長 14:30 ダグラス・ベッチャー博士
15:15 フランス/ジーン-バプティスト・マティ大使 17:00 WHO笹川健康賞・挨拶 18:00 アサマ・バァー博士
20:00-23:00 マーラー元WHO事務局長・夕食会
5月23日(金) 09:30 パキスタン/マソド・カーン大使 10:15 英国/ピーター・グーダム大使
11:45 マダガスカル/アルフレッド・ランベロソン大使 終了後、飛行場へ直行、パリへ
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エチオピア メレス首相 [2008年05月27日(Tue)]
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笹川 陽平
at 22:59 |
私の毎日
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