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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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東北地方太平洋沖地震応援基金
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日本BS放送 [2008年04月30日(Wed)]
10:00 日本財団 執行理事会

11:00 鉄道・運輸機構 石川裕己理事長

14:00 日本BS放送(11チャンネル)収録 放送日:5月10日 

16:00 読売新聞グループ本社 内山斉社長
日本財団関連団体代表者会議・挨拶 [2008年04月30日(Wed)]
※4月18、19日の二日間、海外で活動を行っている日本財団の関連団体の代表者が一同に会し会議を開催しました。会議冒頭に私が挨拶をしましたのでその内容を掲載いたします。




日本財団関連団体代表者会議 開会・挨拶


2008年4月18日 午前9時
於:日本財団ビル2階


皆様、おはようございます。

今回は、グレイトブリテン・ササカワ財団、笹川アフリカ協会、笹川日仏財団、スカンジナビア・ニッポン・ササカワ財団の幹部の方々に一堂に会していただき、心からお礼申し上げます。

私たちは、日本財団とご出席くださった二国間財団との間で、長期に亘り仕事をしてきました。

その中で多くの方々から他の財団の活動、日本財団と関連のある日本国内の財団の活動、あるいは日本財団の日本国内で置かれている立場など、非常に積極的な質問や疑問を頂戴しています。

そのような契機から試みとして、一堂に会して意見交換し、互いの関係や位置づけを知り、私たちの活動全体を把握いただける場として、また会議の結果によっては共に仕事をするようなプログラムも創出できるのではないかとこの会議を開催しました。

各国の財団は独立した組織として運営されています。今日お集まりの日本の各団体もそれぞれの組織に評議員会、理事会があり、独立した組織です。

私たち日本財団との関係においては、姉妹財団、兄弟財団というような位置づけにありますが、日本財団が各財団に対して、ある種の強制力を持つとか、支配しているということは全くありませんことをご理解いただきたいと思います。

今回、米国の米日財団が理事会後ということもあり、出席できなかったことは残念なことです。私たちは先進国との間に可能な限り二国間財団を設立し、共に仕事をしてきました。米国をはじめとして、英国、仏国、スカンジナビア諸国との間に二国間財団を設立しました。

二国間財団を設けることで、先進国との仕事が上手くいくだろうと考えたのです。結果、素晴らしい成果を挙げていることは間違いないことです。また中欧、中国、アジア諸国、南太平洋島嶼国との間において活動するための基金も設置しました。

私たちの基本的な考え方は、今年、来年、あるいは近い将来についての活動が多い中で、20年、30年後という長期的な視野で活動方針を作成し、活動していることです。

日本財団は全国百数十カ所の地方自治体が行う『競艇』というスポーツを通じていただく資金で運営されています。この額は年間3億米ドルに上ります。

この資金を国内と海外の仕事に分けて使っています。国外に対する援助費は約4千万米ドル強であり、国内での仕事が多いことがわかります。

国際的には二国間関係の強化もありますが、発展途上国に対する人材の養成、アフリカその他地域における食糧増産活動を通じての貧困問題の解決、あるいは私のライフワークでもあるハンセン病の制圧が挙げられます。

最近では各国における伝統的な医療の再復興による貧しい人々の健康問題解決への貢献も柱の一つになっています。

日本財団はわが国最大の財団です。私たちは助成財団として日本中で世のため、人のために活動している公益法人や社会活動家を支援しています。

一方、長期的展望に立ち、わが国になくてはならない組織の設立という仕事も行い、自らの手でつくらなければ存在しなかった組織も多くあります。

例えば東京財団は日本で唯一の独立型のシンクタンクです。政府の資金、あるいは研究費を他に求めないことで、独自の研究成果を誰からも制約されることなく発表できるのです。そのような独立型のシンクタンクはわが国では東京財団しかありません。

あるいは笹川平和財団のように各国間との相互理解の促進という切り口のもと活動する組織も私たちがつくるまで存在しなかったわけです。日本財団は多くの方々に助成するとともに、わが国にはない組織を自ら作ってきたのです。

私たちは、面白い活動方針を持っていますので紹介します。

1.あまねく平等にではなく、優先順位を持って、深く、且つ、きめ細かく対応すること
2.前例にこだわることなく、新たな創造に取り組むこと
3.失敗を恐れずに速やかに行動すること
4.社会に対して常にオープンで透明であること
5.絶えず自らを評価し、自らを教育することを忘れてはならないこと
6.新しい変化の兆しをいち早く見つけて、それへの対応をすること
7.世界中に良き人脈を開拓すること

この7つの活動方針が日本財団の行動に対する基本的な考え方です。

日本財団と関連財団の日本における位置づけというのは、民間の力で日本の社会を変えていく引き金としての役割を果たしていくことです。先の7つの行動指針は政府や行政の手法と全く反対のことを表明しています。

3億米ドルの資金ですが、日本の社会のより良い変化のために活用することで、わが国では突出した組織として、関連財団を含め大きな誇りを持ち、活動しています。

日本は60年前の終戦後、民間人は税金を納めさえすれば全て国家や行政が国民の生活について十分に配慮し、サービスを提供してくれるという前提に立ってきました。そのため、世のため、人のための活動というのは、国や地方自治体が行うものと自然に考えられてきたわけです。

私たちの組織は生まれて46年になりますが、何故、私たち民間人が公の仕事である世のため、人のための活動をしてはいけないのかという問題提起を持ち、長い間活動してきました。

現在の日本国は、約8兆米ドルの債務を抱えています。国家は勿論のこと、地方行政においても財政不足による様々な歪が起こっています。当然、歪により最初に被害を受けるのは社会的弱者です。

老人であり、障害者であり、所得の低い人たちです。日本財団は国家財政では全てを賄えないことを理解した上で、多くの日本中で活躍するNPO、あるいはNGO、ボランティア活動に携わる人たちの組織化と彼らの活動を支えています。

組織化を具体的に実行に移すための最大の支援団体として日本財団は存在しているのです。日本国あるいは日本の国民のために、国家や行政に任せるだけでなく、国民一人ひとりが立ち上がり、社会変革を起こし、より安全で住みやすい日本をつくるための働きを、NPO、NGOを発展させる中で作り上げたいというのが、私たちの大きな国内での活動です。

また私たちは日本の企業に刺激を与え、彼らのCSR活動を活発にすることに取り組んでいます。ウェブサイトを活用し、日本の一流企業1700社のCSR活動(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)に関する情報を掲載しています。

企業がNGOやNPOとの連携を確立し、社会のために参加することは、ともするとグローバリゼーションの中で日本にもたらされた株主優先の思想に反するかもしれません。

企業は全て株主に奉仕するという考えは、私たちの伝統的な企業のあり方を革命的に変えつつあります。今の日本国においては「全て株主に奉仕」、それだけでは社会は成り立ちません。企業がより社会を良くするために活動し参加することを考えねばなりません。

また労働者には制度として週に二日の休日が与えられています。私は1日は家族のため、もしくは自分のために、もう1日は社会活動のために使っていただきたいということを日本最大の労働組合に逐次訴えています。しかし、まだ十分に理解を得るまでには至っておりません。

社会の歪を是正するために日本財団は2つの手法を用いているのです。企業のCSR活動を活発化にし、また自らが市民活動を活発にすることで歪を穴埋めしようと日夜努力しています。

私たちの活動を通じて社会が変化したという実例を私たちは数多く経験しています。私たちの日本財団、あるいは関連財団はより良い日本、より住みやすく平和な日本をつくるために民間の立場から継続的にアプローチしている組織体であるということをご理解いただきたいと思います。



【関連団体会議出席団体】

グレートブリテン・ササカワ財団

笹川日仏財団

笹川アフリカ協会

スカンジナビア・ニッポン・ササカワ財団

海洋政策研究財団

笹川記念保健協力財団

笹川平和財団

東京財団

日本音楽財団

日本太鼓連盟

日本科学協会

○日本財団
東海大学山田准教授 [2008年04月28日(Mon)]
午前中、稟議書等決裁、書類整理

13:30 山田吉彦 東海大学准教授(元・日本財団職員)

14:30 武石章 元運輸省(現国土交通省)貨物流通局長

風邪のため、早退
北朝鮮在住の日本人妻 救出 [2008年04月28日(Mon)]

記事の内容は下のファイルで見れます




「北朝鮮在住の日本人妻 救出」


1959年に始まった帰還事業で、在日朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡った日本人妻は約1800人といわれる。

日本の家族や親族へ、手紙で金や物資を無心する過酷な生活環境は大きな社会問題となり、私の記憶に誤りがなければ、1997年頃までは70回以上も国会で論議された。

その頃、拉致問題のメディアでの報道はなく、もっぱら日本人妻の帰還が大きな社会問題であった。その後、拉致問題が大きくなり、日本人妻帰還問題は拉致問題の陰に隠れ、取り上げられることはなくなった。

最近ようやく、超党派の『日本人妻等自由往来促進議員連盟』は、日朝交渉で取り上げるよう福田首相あてに要請文を提出したという。

私はこの問題解決に深く関与した立場から、過去の経緯を述べておきたい。

1997年6月、北朝鮮の食糧危機の実情調査のため訪朝した。その時の悲惨極まりない農村の実態を視察したのは、世界で私一人だったといってもよいだろう。

私は、高級招待所(宿泊場所)で出される山海の珍味も、数百人規模の歓迎パーティーも全て拒否した。理由は「食糧飢饉を調査に来た人間がご馳走を食べることは出来ない。市民と同じ物を食べる」と宣言し、小さなお椀一杯のお粥と数切れの漬物で二日間を過ごした。

社会主義の国々では、このような招待所(ロシアの場合も)は食事のサービス係、メイドに至るまで、全て情報関係の人々が勤務している。私の行動も遂次、上層部に報告されていたことは間違いない。

多分、その結果であろう。首都・平壌(ピョンヤン)郊外の農村部での視察が許された。

ピョンヤンから同行の党幹部も、初めて見る光景に目を潤ませていた。私が農家の一軒一軒の扉を勝手に開けて中の様子を見ると、そこは地獄の惨状で目を覆うばかりであった。

後日200万〜300万人が餓死したことが報道された。

このことは後日書くとして『日本人妻帰還問題』に戻る。

到着した翌朝、『張成択』氏との会談となった。『張成択』氏は金正日の実の妹の夫であり、当時は金正日の側近中の側近であった。

朝10時頃、彼は一人で招待所に現われた。写真は駄目という中、絶対に公表しないことを条件に撮影し、今日まで約束を守っている。

二人の激しいやり取りは夕方7時頃まで続いた。

私は、日本人妻の無条件帰国500人を提案した。
なぜ500人に固執するのかとの問いに「ジャンボ機で一度に運べる人数」ということで第1回目は500人を要求。

先方も「元気で帰国出来そうな人数は500人程度かもしれない。1回100人程度でどうか」との提案に「結構です。ただ北京経由は複雑なので日本から直接飛行機を持ち込むこと」で合意した。

「明日の貴男の帰国にピョンヤン市内の日本人妻3名を準備しているので連れて帰ってくれ」との要請に、新たに条件を出される可能性を考え「飛行機を持って来るからその時一緒にしてくれ」と、丁重にお断りした。

帰国まもなく、ピョンヤン放送よりアジア太平洋委員会の名のもと「北朝鮮は人道的立場から日本人妻の無条件帰国を決定した」との発表があった。

この経過は、中山太郎会長(衆議院議員・元外相)のご尽力で、自民党外交部会で説明させていただいた。

ここまで順調に進んでいた日本人妻帰国問題は、橋本首相(当時)の「そういう話はきちっと筋を通してやってほしい」との公式談話で、外務省が突如北朝鮮との交渉に乗り出してきた。

私は、日本人妻帰国問題は民間人の募金活動で実現したいと考えていた。

なぜなら、日本人妻は自分達の自由意志で北朝鮮に行かれたわけである。これに国費を投入することは出来ない。

外務省に「南米諸国に自由意志で移民した人々が帰国したいといったら国費を出すか」と問い質したが、聞く耳を持たなかったどころか、私と張成択氏との交渉経過の事情聴取もせず、北朝鮮の統一線部・金容淳や外交部との直接交渉に乗り出した。

ある日、外務省の責任者が挨拶に見え「日本人妻帰国問題は1回につき16人〜17人の人数で決定した」と報告した。

私は「1回100人で交渉は妥結したのだからその線で再考慮願いたい」といったところ、「中国人孤児の帰国は一度に16〜17人と厚生省(現・厚生労働省)が決めているので、暗に厚生省が100人に反対している」というような説明があった。

私は、政府が活動を開始した以上民間人が介入することは失礼だと考え、以来、北朝鮮問題については一切沈黙を守っている。

日本人妻は二度にわたる小規模な帰国が実現されたが、その後中断され、今日に至っている。北朝鮮の信じられない無条件での大幅な譲歩を生かしきれず、絶好の機会を逸したことは慙愧にたえない。

歴史に“ i f (イフ)”は禁句だが、あの時、1回100人、日本の飛行機がピョンヤンに飛んでいれば、あるいは拉致被害者もその延長上で解決されていたかも知れない。

先ほども書いたように、日本人妻の帰国問題以来、北朝鮮への日本政府の直接交渉が始まり、以後、北朝鮮問題では一切の発言をしないことにした。

政府が直接交渉を開始された以上、民間人の勝手な動きは自粛するのは当然であるからであり、また今の私にはその力もない。

日本人妻の帰国を望む家族や拉致被害者家族の悲痛な叫び声を聞くたびに、ただただ胸をつまらせるのみである。

当時の毎日新聞と雑誌『選択』を参考までに添付した。




記事の内容は下のファイルで見れます

科学研究助成 奨励の会 [2008年04月25日(Fri)]
10:30 伊藤隆 東京大学名誉教授

11:30 日本科学協会 科学研究助成「研究奨励の会」 挨拶 於:ANAインターコンチネンタルホテル東京

12:00 アフリカ開発会議(TICAD)勉強会

風邪のため早退

19:30 「たばこに関するプロガーとの勉強会」
北京オリンピックと愛国デモ [2008年04月25日(Fri)]
「北京オリンピックと愛国デモ」
―愛国運動は理性的に―


チベット問題を契機に、フランスから始まった聖火リレーが各国で混乱を起している。

中国が厳重な報道管制を引いているにもかかわらず、中国国内のフランス大手スーパー『カルフール』に、『愛国デモ』と称する中国人による大規模なデモが展開されている。

新聞報道だけを読むと、フランスのダライ・ラマとチベット問題への対応に不満を持っての抗議デモに見える。事実そうではあるが、ことはそう単純な問題ではない。

かつて、靖国問題で上海を中心に反日デモが激化し、日本の領事館までデモが押しかけ、建物の一部が破壊された。

上海市の報道官は「上海は国際都市であり、明日はデモをさせない」と明言した後の大デモで、上海市はショックを受けた。

当初、反日デモは官制のデモであったので、上海市当局はいつでも中止させることが出来ると甘く考えていたが、社会に不満を持つ多くの分子までがデモに参加したため制御不能に陥ったのである。

現在の中国は、高度経済成長の中、社会の中の諸々の歪みが顕著である。

想像を絶する貧富の格差、農村、農民、農業の三農問題、開発のための住民の立ち退き問題等で、メディア報道にはないが、昨年だけでも中国各地で7万件以上のデモが発生している。

そのうえ最近では、株式は昨年の半値となり、ビルの空室は15〜25%。元高は輸出産業型の中国経済に深刻な打撃を与え、食料品の安全問題が追い打ちをかけている。

経済ド素人の私は「バブルははじけた」と判断している。

愛国主義を掲げての抗議行動では、当局は弾圧できない。したがって、人民日報はじめ各紙は「愛国主義は理性的に」と必死に呼びかけている。

『カルフール』への反フランス愛国デモの矛先は、いつ政府に向うかわからない。人民が抱えるさまざまな不満は、愛国主義を掲げながらそのマグマが急速に増殖しているからである。

これをどのように収束させるか、中国政府にとって頭の痛い問題ではなかろうか。
小野田寛郎氏 [2008年04月25日(Fri)]



「小野田寛郎氏」


小野田寛郎氏といっても、今の若い人は知らないかもしれない。

第2次世界大戦の敗戦を知らず、フィリピンのルバング島で残置諜報兵として活動され、敗戦から29年後、生還された。

フィリピン当局に出頭された姿は、いたるところに当て布で丁寧に補修された軍服姿で、背筋を伸ばし、日本人軍人としての誇りをもった挙手の礼は、日本国民に涙と感動を与え、世界からは、日本軍人魂を賞賛されたものであった。

しかし彼は、迎い入れてくれた日本が大きく変わり、社会秩序の激変に大きなショックを受けたという。


日本での社会復帰に努力される一方、新天地をブラジルに求め、牧場経営で成功されたが、「祖国のために健全な日本人を育成したい」との思いは強く、特に子供が親をバットで殺す親殺し、親による子殺し等、親子関係の乱れを目にし、人生の最後のご奉公を青少年の健全育成に求められた。

日本財団は彼の活動に共鳴し、『小野田自然塾』に1992年〜1997年、2003年〜2007年と9年間に亘り、115,321,000円の協力援助を行ってきた。

80歳を過ぎても、カクシャクとして福島県の山奥で指導者養成の訓練をされる現場を参観させて頂いたこともある。

全国を廻って「親が変われば子も変わる」と、精力的に講演もして頂いた。

先日、久し振りにおいで下さった。しばらく体調を崩されていたそうだが、86歳の今日も、相変わらず背筋がピーンと真直ぐに伸びている姿勢は、フィリピンのマルコス大統領の前に出られた姿そのものであった。

(小野田自然塾たちと 2006年7月7日撮影)

体重は当時とたったの500gしか変わらないという。人知れず克己勉励されているに相違ない。今回病気されたこともあり、直接指導は少なくしたいと『けじめ』の挨拶にこれらたわけである。

日本人に生まれたことを誇りに思い、律儀なご性格とその活動は、私達が見習うべき本来の日本人の姿ではないだろうか。
お見送りの時、胸の中で更なるご健康・ご長寿をお祈りした。


小野田さんとの面談模様は動画で見れます。こちらから
ウプサラ大学SYLFF20周年 [2008年04月24日(Thu)]
※4月11日、スウェーデンにあるウプサラ大学に設置したヤングリーダー奨学基金20周年記念式典が行われ、私が挨拶をしましたのでその内容を掲載いたします。




ウプサラ大学(Uppsala University) SYLFF20周年記念式典
挨拶

(原文・英語)

2008年4月11日
於:スウェーデンウプサラ大学

本日ここに、ウプサラ大学におけるSYLFF(ヤングリーダー奨学基金)プログラム設置20周年を皆様とともに祝う機会を与えられましたことを、光栄に存じます。

私は、この記念すべき機会に、設置以来20年間、将来のリーダーとなる優秀な学生を育成するために、この基金を効果的に運用しつつ献身的な努力をしてこられたウプサラ大学、特にホールバーグ(Hallberg)学長をはじめSYLFF運営委員会の委員の皆様に心から感謝の意を表します。

SYLFFプログラムは、「世界規模の諸問題が複雑化・多様化する現代社会において、国家・宗教・民族などのあらゆる差異を超え、文化や価値の多様性を尊重し、人類の共通の利害のために貢献するリーダーを育成する」という目的のために、1987年に設立されました。

現在、44カ国68校の高等教育機関に設置され、フェローの数も10,000人を超えています。その中で、ウプサラ大学は、1988年に第2番目のSYLFF校となりました。


創立530年を超え、北欧において「名門校」と知られるウプサラ大学



創立1477年という北欧最古の歴史と伝統を誇るだけではなく、多くのノーベル賞受賞者をはじめ、広く世界的な人材を排出するなど、国際的にも認められているウプサラ大学に奨学金制度を設置でき、私達も誇りに思っております。設置以来、56名のフェローが誕生したと聞いております。

貴国と日本は、昔から、特に学術面において密接な交流を続けてまいりました。

日本でも貴校はよく知られています。2007年5月には、ウプサラ大学の医学および植物学の教授であったカール・ヴォン・リンネ生誕300周年記念にあたり、わが国の天皇皇后両陛下が貴校を訪問し、天皇陛下に、自然科学への取り組みに対し、名誉学位とメダルが授与されましたことも、両国の持つ歴史の中で誠に記念すべきことだと存じます。

分類学の父として名高い貴校のカール・ヴァン・リンネに師事し、後に貴校の学長としてリーダーシップを発揮したカール・ペーター・ツンベルグ氏が日本を訪れたのは、1775年、のことでした。当時の日本は鎖国令(National Isolation)がしかれ(proclaimed)、長崎につくられたartificial island出島だけが西欧との窓口となっておりました。

医学者であったツンベルグは、オランダ商館付き医師として、日本に1年ほど滞在して植物の採集・研究をしただけでなく、行動を制約されながらも日本の学者たちを指導しました。そして、ツンベルクが在日中に採集した植物700種類以上の標本は、現在もこのウプサラ大学に保存されていると聞いています。

余談ではありますが、ウプサラ大学を今回訪問するにあたって、ツンベルグ氏のことを調べておりました。すると、私にとって大変興味深いことに、医学者としての彼は出島滞在中に日本人通訳に医学を教えていたそうで、特にハンセン病の治療法を教えたという記録を発見いたしました。

私は現在、WHOハンセン病制圧特別大使を拝命し、ハンセン病撲滅のために1年の3分の1を途上国で活動しておりますが、思いがけずこのようなご縁と出会い、嬉しく思っていると同時に、歴史が両国を繋いでいることに興奮と感激を覚えた次第です。


特に近年では、貴校の人文・社会科学系の卒業生として、PKO活動の実施やイスラエルとアラブ諸国の関係改善などに大変なリーダーシップを発揮した第二代国連事務総長であるダグ・マハーショルドを輩出されていると聞いています。

私はウプサラ大学のSYLFFフェローの皆さんが、彼のように、国際社会が直面する諸問題に深くを持ちつつ、国家、宗教、民族、文化などの違いを超えて、世界の平和と繁栄を尽くそうという志と行動力を持ったリーダーとして活躍していただくことを期待しています。

しかしながら、昨今、私たちがこれまで培ってきた価値観では、対処できない多種多様な出来事やグローバルな問題が起きています。

先の米国における同時多発テロやそれに続く中東地域での戦争、資源確保を巡る紛争、世界的な貧富の差の増大、地球温暖化が及ぼす環境危機、エネルギー資源の枯渇など、現在の国際社会を取り巻く状況は、不透明感が一層増してきており、その解決には、どんなに大きな解決能力を持った人間がリーダーシップを発揮しても、一人の力で世界を変えることは不可能かもしれません。

私たち人類が直面している世界規模の諸問題は、粘り強く、献身的で思いやりのある人々の共同の取り組みによってのみ解決することができるでしょう。

この点において、幸いなことに皆さんには、世界中に一万人を超える世界随一のSYLFFフェローのネットワークがあります。

既にリーダーとなりうる資質を備えたウプサラ大学のSYLFFフェローの皆さんがこのネットワークの中心になり、共通の課題にそれぞれの知恵と経験を持ち寄って協力してあたれば、少しずつでも世界が良い方向に変えてゆくことができると考えています。

いつの時代も常に世の中を動かす中心となっていくのは若い人たちです。先人により蓄積された経験と知識のうえを歩いていくことは、たやすい事かもしれません。しかし、皆さんは恐れずに勇気を持って新しい道を切り開いてください。

そして、皆さんのようなSYLFFフェローが人々のために奉仕をし、活躍できる舞台を創っていくことこそ、私に与えられた最大の義務と考えております。

最後に、献身的な努力によってSYLFFをここまで成功裏に導いてくださったHallberg学長をはじめウプサラ大学の関係者の皆様、そしてフェローの方に対し、改めて心からの感謝を申し上げ、私の挨拶といたします。

ご清聴ありがとうございました。
仁和寺 [2008年04月23日(Wed)]
09:30 ホテル発

10:00 仁和寺 茶室(非公開) 見学

13:16 京都発 帰京

15:45 日本財団着

16:00 外務省総合政策局人権人道課と打ち合せ

18:40 退室
スリランカ最新情報 [2008年04月23日(Wed)]

平穏な雰囲気に包まれたスリランカの街並み




「スリランカ最新情報」


スリランカマヒンダ・ラージャパクサ大統領は、スリランカから分離独立を目指す反政府武装組織『タミル・イーラム解放の虎』(LTTE)との和平交渉から、武力での解決へと方向転換した。

ノルウェーの仲介による長年の和平工作は中断され、EU(欧州連合)からの援助も中断。日本政府も西側に同調している。

何故にラージャパクサ大統領は、武力解決へと、強硬手段に政策変更したのだろうか。その裏にあるのは、中国の強力なサポートによるものと判断せざるを得ない。

スリランカの治安は急速に悪化している。4月6日には閣僚の一人である高速道路担当のタミル人・ジェヤラージ大臣がマラソン大会の会場で自爆テロにより暗殺された。今年に入って二人目の現職閣僚の暗殺である。

過去8カ月間の北部戦線での作戦の負傷者は1800人、戦死者は800人にも上る。大統領は武力制圧に自信を持っているが「戦況については必ずしも正確な情報が大統領に届いていない」と、ディープ・スロート氏は言う。


2007年2月にラージャパクサ大統領と面談


最近中国は急速にスリランカに接近し、日本が最高であったスリランカに対するODAが、今年は中国が第1位となり、これまでのスリランカ在住の中国人は200人程度であったのが、今や2000人に膨れ上がっている。インド洋でミャンマーに続いての拠点作りである。

数十億ドルにのぼる中国の援助がソフト・ローンなのか、無償なのか、スリランカ政府は口を閉ざしており、真相は不明。これとは別に、武器・弾薬・艦船・航空機などの軍事援助も活発で、対LTTE(解放の虎)作戦を強気にしている原因である。

また、イランも石油のソフト・ローンをスリランカに提供し始めた。

面白いことに、台湾の仏教団体から年間7〜800万ドルの援助資金がスリランカの強硬派の仏教政党に流れ込み、テレビの二つのチャンネルと、ラジオ、新聞で好戦的なキャンペーンが行われており、中国と台湾の両方がラージャパクサ大統領のLTTEへの武力戦略をサポートしていることになる。

ミャンマーは現在、中国の強い影響下にあるが、スリランカもその方向性が大になってきた。日本は独自外交の展開が出来ず、いつも西側の一員としての行動となり、アジアの親日国を次々失う状況である。


スリランカはサンフランシスコ平和条約で日本をサポートしてくれた国であることを忘れてはならない。

しかし、ディープ・スロート氏曰く「スリランカ政府はLTTEの軍事制圧は成功しない。これまでに制圧できた地域は一部に過ぎない。早くて1年、遅くとも2年で政府は軍事制圧を断念、対話路線に戻ることを余儀なくされる」と予測する。

そういえば4月7日のワシントン・タイムズは「LTTEが米国内に組織を作り、対空兵器、自動小銃、爆発物の入手を図っていたとして、連邦捜査局(FBI)はLTTEメンバーの一部を拘束した」という。

また「LTTEが国外在住のタミルトの支援を受け、カナダ、英国、フランスなどを舞台に、マネー・ロンダリングや武器密輸、スリランカ政府に関する機密情報の収集などをおこなっていた」と報じている。

「笹川さん!! 貴男の協力してくれている Civil Society を通じての和平対話促進プログラムは重要です。イラクの例を見るまでもなく、武力は対立を激化するだけで、力での問題解決は不可能です。

万一、一時的に解決したとしても、深く心の中に沈んだ怨念はいずれまた、表面化します。チベットのようにね。スリランカの和平実現のために忍耐強く力を貸して下さい」

ディープ・スロート氏の駄目押しの言葉であった。


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