日本財団関連団体代表者会議・挨拶 [2008年04月30日(水)]
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笹川 陽平
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東海大学山田准教授 [2008年04月28日(月)]
午前中、稟議書等決裁、書類整理
13:30 山田吉彦 東海大学准教授(元・日本財団職員)
14:30 武石章 元運輸省(現 国土交通省)貨物流通局長
風邪のため、早退
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笹川 陽平
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私の毎日
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北朝鮮在住の日本人妻 救出 [2008年04月28日(月)]
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「北朝鮮在住の日本人妻 救出」
1959年に始まった帰還事業で、在日朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡った日本人妻は約1800人といわれる。
日本の家族や親族へ、手紙で金や物資を無心する過酷な生活環境は大きな社会問題となり、私の記憶に誤りがなければ、1997年頃までは70回以上も国会で論議された。
その頃、拉致問題のメディアでの報道はなく、もっぱら日本人妻の帰還が大きな社会問題であった。その後、拉致問題が大きくなり、日本人妻帰還問題は拉致問題の陰に隠れ、取り上げられることはなくなった。
最近ようやく、超党派の『日本人妻等自由往来促進議員連盟』は、日朝交渉で取り上げるよう福田首相あてに要請文を提出したという。
私はこの問題解決に深く関与した立場から、過去の経緯を述べておきたい。
1997年6月、北朝鮮の食糧危機の実情調査のため訪朝した。その時の悲惨極まりない農村の実態を視察したのは、世界で私一人だったといってもよいだろう。
私は、高級招待所(宿泊場所)で出される山海の珍味も、数百人規模の歓迎パーティーも全て拒否した。理由は「食糧飢饉を調査に来た人間がご馳走を食べることは出来ない。市民と同じ物を食べる」と宣言し、小さなお椀一杯のお粥と数切れの漬物で二日間を過ごした。
社会主義の国々では、このような招待所(ロシアの場合も)は食事のサービス係、メイドに至るまで、全て情報関係の人々が勤務している。私の行動も遂次、上層部に報告されていたことは間違いない。
多分、その結果であろう。首都・平壌(ピョンヤン)郊外の農村部での視察が許された。
ピョンヤンから同行の党幹部も、初めて見る光景に目を潤ませていた。私が農家の一軒一軒の扉を勝手に開けて中の様子を見ると、そこは地獄の惨状で目を覆うばかりであった。
後日200万〜300万人が餓死したことが報道された。
このことは後日書くとして『日本人妻帰還問題』に戻る。
到着した翌朝、『張成択』氏との会談となった。『張成択』氏は金正日の実の妹の夫であり、当時は金正日の側近中の側近であった。
朝10時頃、彼は一人で招待所に現われた。写真は駄目という中、絶対に公表しないことを条件に撮影し、今日まで約束を守っている。
二人の激しいやり取りは夕方7時頃まで続いた。
私は、日本人妻の無条件帰国500人を提案した。
なぜ500人に固執するのかとの問いに「ジャンボ機で一度に運べる人数」ということで第1回目は500人を要求。
先方も「元気で帰国出来そうな人数は500人程度かもしれない。1回100人程度でどうか」との提案に「結構です。ただ北京経由は複雑なので日本から直接飛行機を持ち込むこと」で合意した。
「明日の貴男の帰国にピョンヤン市内の日本人妻3名を準備しているので連れて帰ってくれ」との要請に、新たに条件を出される可能性を考え「飛行機を持って来るからその時一緒にしてくれ」と、丁重にお断りした。
帰国まもなく、ピョンヤン放送よりアジア太平洋委員会の名のもと「北朝鮮は人道的立場から日本人妻の無条件帰国を決定した」との発表があった。
この経過は、中山太郎会長(衆議院議員・元外相)のご尽力で、自民党外交部会で説明させていただいた。
ここまで順調に進んでいた日本人妻帰国問題は、橋本首相(当時)の「そういう話はきちっと筋を通してやってほしい」との公式談話で、外務省が突如北朝鮮との交渉に乗り出してきた。
私は、日本人妻帰国問題は民間人の募金活動で実現したいと考えていた。
なぜなら、日本人妻は自分達の自由意志で北朝鮮に行かれたわけである。これに国費を投入することは出来ない。
外務省に「南米諸国に自由意志で移民した人々が帰国したいといったら国費を出すか」と問い質したが、聞く耳を持たなかったどころか、私と張成択氏との交渉経過の事情聴取もせず、北朝鮮の統一線部・金容淳や外交部との直接交渉に乗り出した。
ある日、外務省の責任者が挨拶に見え「日本人妻帰国問題は1回につき16人〜17人の人数で決定した」と報告した。
私は「1回100人で交渉は妥結したのだからその線で再考慮願いたい」といったところ、「中国人孤児の帰国は一度に16〜17人と厚生省(現・厚生労働省)が決めているので、暗に厚生省が100人に反対している」というような説明があった。
私は、政府が活動を開始した以上民間人が介入することは失礼だと考え、以来、北朝鮮問題については一切沈黙を守っている。
日本人妻は二度にわたる小規模な帰国が実現されたが、その後中断され、今日に至っている。北朝鮮の信じられない無条件での大幅な譲歩を生かしきれず、絶好の機会を逸したことは慙愧にたえない。
歴史に“ i f (イフ)”は禁句だが、あの時、1回100人、日本の飛行機がピョンヤンに飛んでいれば、あるいは拉致被害者もその延長上で解決されていたかも知れない。
先ほども書いたように、日本人妻の帰国問題以来、北朝鮮への日本政府の直接交渉が始まり、以後、北朝鮮問題では一切の発言をしないことにした。
政府が直接交渉を開始された以上、民間人の勝手な動きは自粛するのは当然であるからであり、また今の私にはその力もない。
日本人妻の帰国を望む家族や拉致被害者家族の悲痛な叫び声を聞くたびに、ただただ胸をつまらせるのみである。
当時の毎日新聞と雑誌『選択』を参考までに添付した。

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科学研究助成 奨励の会 [2008年04月25日(金)]
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笹川 陽平
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北京オリンピックと愛国デモ [2008年04月25日(金)]
「北京オリンピックと愛国デモ」 ―愛国運動は理性的に―
チベット問題を契機に、フランスから始まった聖火リレーが各国で混乱を起している。
中国が厳重な報道管制を引いているにもかかわらず、中国国内のフランス大手スーパー『カルフール』に、『愛国デモ』と称する中国人による大規模なデモが展開されている。
新聞報道だけを読むと、フランスのダライ・ラマとチベット問題への対応に不満を持っての抗議デモに見える。事実そうではあるが、ことはそう単純な問題ではない。
かつて、靖国問題で上海を中心に反日デモが激化し、日本の領事館までデモが押しかけ、建物の一部が破壊された。
上海市の報道官は「上海は国際都市であり、明日はデモをさせない」と明言した後の大デモで、上海市はショックを受けた。
当初、反日デモは官制のデモであったので、上海市当局はいつでも中止させることが出来ると甘く考えていたが、社会に不満を持つ多くの分子までがデモに参加したため制御不能に陥ったのである。
現在の中国は、高度経済成長の中、社会の中の諸々の歪みが顕著である。
想像を絶する貧富の格差、農村、農民、農業の三農問題、開発のための住民の立ち退き問題等で、メディア報道にはないが、昨年だけでも中国各地で7万件以上のデモが発生している。
そのうえ最近では、株式は昨年の半値となり、ビルの空室は15〜25%。元高は輸出産業型の中国経済に深刻な打撃を与え、食料品の安全問題が追い打ちをかけている。

経済ド素人の私は「バブルははじけた」と判断している。
愛国主義を掲げての抗議行動では、当局は弾圧できない。したがって、人民日報はじめ各紙は「愛国主義は理性的に」と必死に呼びかけている。
『カルフール』への反フランス愛国デモの矛先は、いつ政府に向うかわからない。人民が抱えるさまざまな不満は、愛国主義を掲げながらそのマグマが急速に増殖しているからである。
これをどのように収束させるか、中国政府にとって頭の痛い問題ではなかろうか。
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ウプサラ大学SYLFF20周年 [2008年04月24日(木)]
※4月11日、スウェーデンにあるウプサラ大学に設置したヤングリーダー奨学基金20周年記念式典が行われ、私が挨拶をしましたのでその内容を掲載いたします。
ウプサラ大学(Uppsala University) SYLFF20周年記念式典
挨拶
(原文・英語)
2008年4月11日
於:スウェーデン・ウプサラ大学
本日ここに、ウプサラ大学におけるSYLFF(ヤングリーダー奨学基金)プログラム設置20周年を皆様とともに祝う機会を与えられましたことを、光栄に存じます。
私は、この記念すべき機会に、設置以来20年間、将来のリーダーとなる優秀な学生を育成するために、この基金を効果的に運用しつつ献身的な努力をしてこられたウプサラ大学、特にホールバーグ(Hallberg)学長をはじめSYLFF運営委員会の委員の皆様に心から感謝の意を表します。
SYLFFプログラムは、「世界規模の諸問題が複雑化・多様化する現代社会において、国家・宗教・民族などのあらゆる差異を超え、文化や価値の多様性を尊重し、人類の共通の利害のために貢献するリーダーを育成する」という目的のために、1987年に設立されました。
現在、44カ国68校の高等教育機関に設置され、フェローの数も10,000人を超えています。その中で、ウプサラ大学は、1988年に第2番目のSYLFF校となりました。
創立530年を超え、北欧において「名門校」と知られるウプサラ大学
創立1477年という北欧最古の歴史と伝統を誇るだけではなく、多くのノーベル賞受賞者をはじめ、広く世界的な人材を排出するなど、国際的にも認められているウプサラ大学に奨学金制度を設置でき、私達も誇りに思っております。設置以来、56名のフェローが誕生したと聞いております。
貴国と日本は、昔から、特に学術面において密接な交流を続けてまいりました。
日本でも貴校はよく知られています。2007年5月には、ウプサラ大学の医学および植物学の教授であったカール・ヴォン・リンネ生誕300周年記念にあたり、わが国の天皇皇后両陛下が貴校を訪問し、天皇陛下に、自然科学への取り組みに対し、名誉学位とメダルが授与されましたことも、両国の持つ歴史の中で誠に記念すべきことだと存じます。
分類学の父として名高い貴校のカール・ヴァン・リンネに師事し、後に貴校の学長としてリーダーシップを発揮したカール・ペーター・ツンベルグ氏が日本を訪れたのは、1775年、のことでした。当時の日本は鎖国令(National Isolation)がしかれ(proclaimed)、長崎につくられたartificial island出島だけが西欧との窓口となっておりました。
医学者であったツンベルグは、オランダ商館付き医師として、日本に1年ほど滞在して植物の採集・研究をしただけでなく、行動を制約されながらも日本の学者たちを指導しました。そして、ツンベルクが在日中に採集した植物700種類以上の標本は、現在もこのウプサラ大学に保存されていると聞いています。
余談ではありますが、ウプサラ大学を今回訪問するにあたって、ツンベルグ氏のことを調べておりました。すると、私にとって大変興味深いことに、医学者としての彼は出島滞在中に日本人通訳に医学を教えていたそうで、特にハンセン病の治療法を教えたという記録を発見いたしました。
私は現在、WHOハンセン病制圧特別大使を拝命し、ハンセン病撲滅のために1年の3分の1を途上国で活動しておりますが、思いがけずこのようなご縁と出会い、嬉しく思っていると同時に、歴史が両国を繋いでいることに興奮と感激を覚えた次第です。
特に近年では、貴校の人文・社会科学系の卒業生として、PKO活動の実施やイスラエルとアラブ諸国の関係改善などに大変なリーダーシップを発揮した第二代国連事務総長であるダグ・マハーショルドを輩出されていると聞いています。
私はウプサラ大学のSYLFFフェローの皆さんが、彼のように、国際社会が直面する諸問題に深くを持ちつつ、国家、宗教、民族、文化などの違いを超えて、世界の平和と繁栄を尽くそうという志と行動力を持ったリーダーとして活躍していただくことを期待しています。
しかしながら、昨今、私たちがこれまで培ってきた価値観では、対処できない多種多様な出来事やグローバルな問題が起きています。
先の米国における同時多発テロやそれに続く中東地域での戦争、資源確保を巡る紛争、世界的な貧富の差の増大、地球温暖化が及ぼす環境危機、エネルギー資源の枯渇など、現在の国際社会を取り巻く状況は、不透明感が一層増してきており、その解決には、どんなに大きな解決能力を持った人間がリーダーシップを発揮しても、一人の力で世界を変えることは不可能かもしれません。
私たち人類が直面している世界規模の諸問題は、粘り強く、献身的で思いやりのある人々の共同の取り組みによってのみ解決することができるでしょう。
この点において、幸いなことに皆さんには、世界中に一万人を超える世界随一のSYLFFフェローのネットワークがあります。
既にリーダーとなりうる資質を備えたウプサラ大学のSYLFFフェローの皆さんがこのネットワークの中心になり、共通の課題にそれぞれの知恵と経験を持ち寄って協力してあたれば、少しずつでも世界が良い方向に変えてゆくことができると考えています。
いつの時代も常に世の中を動かす中心となっていくのは若い人たちです。先人により蓄積された経験と知識のうえを歩いていくことは、たやすい事かもしれません。しかし、皆さんは恐れずに勇気を持って新しい道を切り開いてください。
そして、皆さんのようなSYLFFフェローが人々のために奉仕をし、活躍できる舞台を創っていくことこそ、私に与えられた最大の義務と考えております。
最後に、献身的な努力によってSYLFFをここまで成功裏に導いてくださったHallberg学長をはじめウプサラ大学の関係者の皆様、そしてフェローの方に対し、改めて心からの感謝を申し上げ、私の挨拶といたします。
ご清聴ありがとうございました。
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笹川 陽平
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スリランカ最新情報 [2008年04月23日(水)]
平穏な雰囲気に包まれたスリランカの街並み
「スリランカ最新情報」
スリランカのマヒンダ・ラージャパクサ大統領は、スリランカから分離独立を目指す反政府武装組織『タミル・イーラム解放の虎』(LTTE)との和平交渉から、武力での解決へと方向転換した。
ノルウェーの仲介による長年の和平工作は中断され、EU(欧州連合)からの援助も中断。日本政府も西側に同調している。
何故にラージャパクサ大統領は、武力解決へと、強硬手段に政策変更したのだろうか。その裏にあるのは、中国の強力なサポートによるものと判断せざるを得ない。
スリランカの治安は急速に悪化している。4月6日には閣僚の一人である高速道路担当のタミル人・ジェヤラージ大臣がマラソン大会の会場で自爆テロにより暗殺された。今年に入って二人目の現職閣僚の暗殺である。
過去8カ月間の北部戦線での作戦の負傷者は1800人、戦死者は800人にも上る。大統領は武力制圧に自信を持っているが「戦況については必ずしも正確な情報が大統領に届いていない」と、ディープ・スロート氏は言う。
2007年2月にラージャパクサ大統領と面談
最近中国は急速にスリランカに接近し、日本が最高であったスリランカに対するODAが、今年は中国が第1位となり、これまでのスリランカ在住の中国人は200人程度であったのが、今や2000人に膨れ上がっている。インド洋でミャンマーに続いての拠点作りである。
数十億ドルにのぼる中国の援助がソフト・ローンなのか、無償なのか、スリランカ政府は口を閉ざしており、真相は不明。これとは別に、武器・弾薬・艦船・航空機などの軍事援助も活発で、対LTTE(解放の虎)作戦を強気にしている原因である。
また、イランも石油のソフト・ローンをスリランカに提供し始めた。
面白いことに、台湾の仏教団体から年間7〜800万ドルの援助資金がスリランカの強硬派の仏教政党に流れ込み、テレビの二つのチャンネルと、ラジオ、新聞で好戦的なキャンペーンが行われており、中国と台湾の両方がラージャパクサ大統領のLTTEへの武力戦略をサポートしていることになる。
ミャンマーは現在、中国の強い影響下にあるが、スリランカもその方向性が大になってきた。日本は独自外交の展開が出来ず、いつも西側の一員としての行動となり、アジアの親日国を次々失う状況である。
スリランカはサンフランシスコ平和条約で日本をサポートしてくれた国であることを忘れてはならない。
しかし、ディープ・スロート氏曰く「スリランカ政府はLTTEの軍事制圧は成功しない。これまでに制圧できた地域は一部に過ぎない。早くて1年、遅くとも2年で政府は軍事制圧を断念、対話路線に戻ることを余儀なくされる」と予測する。
そういえば4月7日のワシントン・タイムズは「LTTEが米国内に組織を作り、対空兵器、自動小銃、爆発物の入手を図っていたとして、連邦捜査局(FBI)はLTTEメンバーの一部を拘束した」という。
また「LTTEが国外在住のタミルトの支援を受け、カナダ、英国、フランスなどを舞台に、マネー・ロンダリングや武器密輸、スリランカ政府に関する機密情報の収集などをおこなっていた」と報じている。
「笹川さん!! 貴男の協力してくれている Civil Society を通じての和平対話促進プログラムは重要です。イラクの例を見るまでもなく、武力は対立を激化するだけで、力での問題解決は不可能です。
万一、一時的に解決したとしても、深く心の中に沈んだ怨念はいずれまた、表面化します。チベットのようにね。スリランカの和平実現のために忍耐強く力を貸して下さい」
ディープ・スロート氏の駄目押しの言葉であった。
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