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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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笹川 陽平
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海洋政策研究財団 [2007年09月28日(Fri)]
13:00 日本財団 辞令交付

13:30 海洋政策研究財団 工藤常務理事

14:30 小野清子 前参議院議員

17:00 築山監事 送別会
フジサンケイビジネス アイ掲載 [2007年09月28日(Fri)]
※9月27日付け、フジサンケイ ビジネス アイの私のコラムに『ニコライ日記日本語版 日露相互理解の一助に』が掲載されましたので、お時間がある時にでもご高覧いただければ幸いです。




★【笹川陽平の地球コラム】ニコライ日記日本語版 日露相互理解の一助に

2007/09/27
FujiSankei Business i.


 ♪うつつに夢見る君の 神田は思い出の街 いまもこの胸に この胸に ニコライの 鐘も鳴る…

 今も親しまれる戦前のヒット曲「東京ラプソディ」の一節である。ニコライ堂は、私が大学時代を過ごした神田駿河台にある。正式名称は日本ハリストス正教会『東京復活大聖堂』。ドーム形の屋根を載せたビザンチン式の2階建て聖堂は国の重要文化財にも指定されている。

そんなニコライ堂に9月9日、初めて入った。建立者の聖ニコライ(1836〜1912)が日本での生活をつづった40年分の日記の日本語訳版が日本財団の助成で完成、教文館から刊行され、その献本式に出席するためだ。

 全9巻で3600ページ。日本語版に先立ち完成したロシア語版(全5巻4171ページ)は2004年、モスクワのウスペンスキー大聖堂に献本され、ロシアのテレビでも広く放映された。プーチン大統領にも森喜朗元首相から贈られている。

 監修者の中村健之助・大妻女子大教授が1979年、サンクトペテルブルクの中央国立歴史古文書館で発見して以来、四半世紀に及ぶ一大翻訳事業で、日記には布教の歴史から明治期の日本各地の庶民の生活や風俗、文化、さらに日露戦争への思いまで詳細に記されている。

献本式当日は日曜日。「聖体礼儀」を終えた約300人の信者が見守る中、ダニイル府主教とベールイ・ロシア大使に本を贈った。


 香の煙が立ち込める堂内は、聖歌隊の合唱が響き厳粛な雰囲気。天井の明かり取りから差し込む陽光が、煙の中に幻想的な光の柱を浮かび上がらせ、信者の一人は「聖ニコライがどういう人だったのか知るためにもぜひ読みたい」と強い関心を寄せてくれた。

 国会図書館には、江戸時代以降、わが国を訪れた多くの西欧人の日本記が残っているそうだ。

私は、イザベラ・バードの名著「日本奥地紀行」やロングフェローの「日本滞在記」、ゴードン・スミスの「ニッポン仰天日記」など、わずかしか知らないが、ニコライが日本の文化、文字を理解した上で感じるままに書き記した日記は、ロシア人が日本、日本人をどう観察し、評価していたかを知る一級の資料であることに間違いない。

 ニコライは70年、聖人に列せられた。ロシアでは社会主義政権崩壊後、ロシア正教の信者が激増、幼児期に洗礼を受けたプーチン大統領とも良好な関係にある。

 ロシア正教の日本人信者は約1万人。日曜日には全国約70カ所の礼拝所で静かに祈りをささげているという。今回の出版が日露相互理解の一助になることを願っている。



【プロフィル】笹川陽平
 ささかわ・ようへい 1939年生まれ。明治大学政経学部卒。日本財団会長、WHOハンセン病制圧特別大使。世界的視野に立ったNGO活動の立案、実行の第一人者。著書に『この国、あの国』(産経新聞社)、『世界のハンセン病がなくなる日』(明石書店)など。笹川陽平ブログ(http://blog.canpan.info/sasakawa/)
ジュネーブから帰国 [2007年09月27日(Thu)]
(ジュネーブ〜パリ〜東京)

14:30 成田着 日本財団へ

15:30 日本財団着 
稟議書等決裁、打ち合せ、書類整理等

18:00 退室
ジュネーブ発 [2007年09月26日(Wed)]
(ジュネーブ〜パリ〜東京)

07:30 前日国連人権理事会において開催された「ハンセン病と人権に関する啓蒙会議」出席者との朝食会

13:00 ホテル発 パリ経由 帰国へ
ミス人民大会堂 [2007年09月26日(Wed)]

人民大会堂で最も輝いていた女性と一緒に





「ミス人民大会堂」


人民大会堂(中国・北京)は、訪中する首相や閣僚が、中国指導者と会談する場所である。

この建物には1万人が集まれるホールもあり、広大な建物である。

中には中国全省・31省の各部屋があり、外国要人との会見の場として、それぞれの省を代表する絵や美術品が飾られた豪華な部屋である。

各省を代表する美人が、各々出身の部屋でサービス係を勤めている。

私は、人民大会堂には過去10数回訪問しており、主だった部屋に入った経験があるが、面白いことに、重要な会談を行っている最中でも、2人のサービス係の女性が、招待側と主人側に分かれて、お茶のつぎ足しに入ってくる。

今回、森喜朗元首相のお供で入った部屋は、新疆ウイグルの部屋であった。

かつて、黒髪に青い目の中国人を求めてカシュガルまで旅をした経験があるが、逢うことは叶わなかった。この写真の女性も青い目ではなかったが、ウイグル人の代表的美人である。身長170cm、19歳、仕事について6カ月ほどだという。

「日本では3高(高身長、高学歴、高収入)が若い女性の結婚相手に対する希望だが、貴女もそうですか」と尋ねると、

しばらく考えて「高い身長と高学歴と、何より愛情が大切」と答えてきた。今のところ恋人はいないが、23〜4歳までに結婚したいという。

「故郷に帰って見合い結婚ですか」

「いや、ウイグル族は恋愛結婚です。北京で相手が見つかれば、北京に住みたい」

私が人民大会堂で出会った美女の中でも最も美人だと思うのだが・・・
私の審美眼は如何なものだろうか。

なんですって!
蓼食う虫も好き好き 大したことない」

「そうですか、失礼しました」
ハンセン病と人権会議 [2007年09月25日(Tue)]
(ジュネーブ滞在)

08:00 笹川アフリカ協会 ジョン・フレモン氏

13:00〜15:00 国連人権理事会出席者への「ハンセン病と人権に関する啓蒙会議」

18:15 在ジュネーブ国際機関日本政府代表部主催 レセプション

20:30 在ジュネーブ国際機関日本政府代表部 藤崎大使主催 夕食会
中国製のカメラ [2007年09月25日(Tue)]

1.9mを超える写真、新聞と比べてもその長さに驚く





「中国製のカメラ」


先般、中国人民大会堂で、笹川医学奨学金制度20周年記念式典が挙行された。

奨学生をお世話してくださった日中医学協会の先生方も450人ほど出席してくださり、盛大な式典となった。

20年間2000人の中国人医師の日本での指導に尽力して下さった日中医学協会の会長は、東大総長を勤められた森 亘先生、理事長は森岡恭彦元東大教授で、昭和天皇の執刀医として著名な先生である。

森喜朗元首相も「日中間の歴史に残る事業」と評価してくださり、ご多忙の中ご出席いただき花を添えて下さった。

私は、今までおよそ10,000人の中国各界の指導者を日本に招待した。

市長、国営企業の社長、起業家、女性指導者、高級官僚等に、民営化、地方自治のあり方、各種の法律等を学んでいただいたことは、中国の改革開放の中での近代化に大いに役立ったと自負している。


忙しいにもかかわらず、森 元首相が日本から駆けつけてくれた



来日される代表団との会合で、私はよく人間の数を聞いた。

「貴男の市の人口は?」
「900万人です」

「貴男の市は?」
「650万です」

訪中が約70回になる私でも知らない多くの市が、軒並み500万人以上の人口である。ある国営企業の社長に「従業員の数は?」と問うと「65万人です」と平然と答えられた。以後、中国人に人数を聞くことはしなくなった。

13億人の国家である。人民代表会議も3000人規模である。1000人を越える会議など驚くにはあたらない。夕食会も1000人以上など、驚くことではない。

今回の祝賀夕食会は人民大会堂で行われた。

圧巻は参加者全員による写真撮影であった。半円形に1200人の人が納まり、カメラは左端より順次右端まで、照明と共にまわり、出来上がりの写真は別添の通り1m94cmにもなっていた。一人一人の顔や表情も鮮明である。

日本にこの種の技術があるか否かは承知しないが、1000人以上の撮影は聞いたことがない。このカメラと写真だけは、人口の多い中国ならではの技術だと思う。

展示する額縁を発注すれば、目が飛び出るほどの料金だろうし、まず掲げる場所もない。

巻物として長く保存するつもりである。
国連人権理事会 [2007年09月24日(Mon)]
(スイス・ジュネーブ滞在)

終日、国連人権理事会 出席 於:パレ・デ・ナシオン(国連欧州本部)

19:30 ブラジル、フィリピン、インド 参加者と夕食会
ジュネーブへ [2007年09月23日(Sun)]
国連人権理事会出席

09:00 自宅発 パリ経由 ジュネーブ(スイス)へ

20:40 ジュネーブ ホテル着(時差−7時間)
外務省から大使を委嘱 [2007年09月21日(Fri)]
11:00 国土交通省 鈴木氏(世界海事大学卒業生)

11:40 「ハンセン病人権啓発大使」委嘱状交付式 於:外務省

13:30 東京財団 エレン・益子常務理事

17:00 海洋政策研究財団 秋山会長

18:00 武部氏 勉強会
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