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モンゴル草原を疾走 [2007年08月24日(Fri)]

モンゴル・ウランバートル滞在)

08:00 ウランバートルから西へ約300km ヘンティー県へ
日本財団の「置き薬」事業 現場視察 
2カ所のゲル(遊牧民の家)と地域医療視察 
ランド・クルーザーで往復600km 所要時間約14時間、草原を疾走

22:00 ホテル着 猛烈な下痢と発熱で一服中 悪戦苦闘

池田晶子と哲学 [2007年08月24日(Fri)]


(NTTコムウェアから転載)






「池田晶子と哲学」


池田晶子さんは、今年2月、癌のため、46歳の若さで逝去された。

この度、ご遺族より『暮らしの哲学』と『リマーク1997〜2007』の二冊と、『晶子と共に、お礼』との挨拶状が届いた。

彼女を知ったのは1992年頃であった。

知人の一人息子が池田晶子さんと結婚した。
「哲学をやっている変わった女ですが、一度、是非、逢ってやって下さい」

子供は絶対に産みたくないといわれ、跡継ぎの途絶える知人はビックリしたとのエピソードも話してくれた。

ある日彼女は、白のブラウスに大柄な花模様のスカート姿で一人で現われた。美人であった。しかし、華やかな感じのする美人ではなかった。

哲学をするだけに、思慮深さそうな顔立ちは、あまり笑わなかったのが印象に残っている。勿論、私の話に興味がなくて笑わなかったのかも知れない。

「わたくし、哲学しか勉強していないのですが、将来如何でしょうか」といきなり切り込まれて、目を白黒させてしまった。

私は哲学書を一冊も読んだことがない。正しくは、読んでみようと努力したが難解で止めてしまった。その経験から「『哲学=難解』と一般の人は思うので「もっとやさしい言葉で表現したら、哲学に興味を持つ人が増えるのではないでしょうか」。

ノルウェーの高校の哲学教師が『少年少女への手ほどき』と書かれた『ソフィーの世界』が世界的なベストセラーになっていた頃でもあり、偉そうなことを言ってしまった。

「才色兼備の哲学者の出現は、そのうち世間に注目されますよ」と、お世辞ではなく、本音で意見を述べた。疑い深そうな目に、あまり信頼されていないと直感したが、2〜3人の哲学好きのマスコミを紹介したりもした。





私の助言が功を奏したとは思わないが、1996年『悪妻に訊け、帰ってきたソクラテス』(新潮社)で世間に知られるようになった。

「専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって『哲学するとはどういうことか』を語り、哲学的エッセイというジャンルの草分け的存在になった」(ウィキペディア)と評された。46歳の若さでの死は誠に残念であった。

日本財団の職員が、西洋哲学の勉強会をやるという。

仕事上、外国人との交流が多いので、西洋人の思考方法や論理構成を理解する上で、西洋哲学の勉強は欠かせないことに気付いたらしい。結構なことであり、嬉しいことである。

かつて、教養主義華やかかりし頃の旧制高等学校生は『デカンショ デカンショで半年暮らす 後の半年は寝て暮らす ヨイヨイ』と、弊衣破帽(ボロの衣服に敗れた帽子のバンカラな恰好)で放歌した。デカルト、カント、ショーペンハウエルの略である。学生にとって必読の書であった。

1903年、旧制一高生・藤村操が「人生不可解」と日光・華厳滝で投身自殺をした。藤村の死後4年間に、自殺を図った者が185名もあったという。

最近、哲学を勉強して自殺したというニュースはとんと聞いたことがない。しかし、思考することの重要性はいよいよ大切な時代になってきたのではないだろうか。

池田晶子に続く、わかりやすい哲学を説く人の現われることを期待したい。

エンフバヤル大統領 [2007年08月23日(Thu)]

(モンゴル・ウランバートル滞在)

07:30 モンゴル保健大臣主催 朝食会

09:00 伝統医薬品国際会議 開会式 挨拶(日本財団・WHO主催)

11:00 エンフバヤル大統領 表敬

13:00 市橋モンゴル大使主催 昼食会(於:日本大使館)

15:00 モンゴル保健大臣主催 モンゴル音楽鑑賞会

18:30 日本財団主催 伝統医薬品国際会議歓迎レセプション(於:チンギス・ハーン ホテル)

モンゴル経営アカデミー [2007年08月22日(Wed)]

モンゴル・ウランバートル滞在)

09:45 ホテル発 モンゴル経営アカデミーへ

10:00 トゴーチ学長 面談

12:00 トゴーチ学長主催 朝食会

14:30 笹川奨学金制度15周年記念式典 挨拶(モンゴル経営アカデミー)

17:15 ウランバートル・フォーラム閉会式 挨拶(国会議事堂)

19:00 東京財団主催 夕食会

豪華客船飛鳥U [2007年08月22日(Wed)]






「豪華客船飛鳥U」


飛鳥U』による世界一周、104日間クルーズの募集案内があった。

一人当たりロイヤルスイート(Sクラス)20,000,000円をはじめ、クラスは7段階に分かれており、最低料金のステート(Kクラス)は4,250,000円とある。

このような高額クルーズが今や人気の的だそうで、ベター・ハーフと共に人生の思い出に乗船されることは麗しいことである。しかし、4月6日で記したようにならないよう、注意申し上げる。

ここで書きたいことは、かつて、英国の老婦人が、財産を処分して客船に乗り続け、死後は水葬にしてくれとの遺言と共に乗船したとの報道があった。




彼女曰「船にはメイドもコックもおり、体調不良の時は医者もいる。何よりも孤独な生活をしている立場としては、毎日、素晴らしい乗船客との会話が楽しめ、その上、おいしい料理を食べられるなんて天国だわ!」とおっしゃった。

なるほど、こういう客船の使い方もあるのかと感心したことであった。

彼女のいう「天国も金次第」である。

仮に10年間乗り続けるとしたらいくらかかるか、計算してみた。

単純に104日間2千万円は1日当たり約19万3千円であり、1年365日とすると約7千万円、10年間で約7億円である。

Kクラスで計算すると、4,250,000÷104日=約1日4万円
1年で1460万円、10年で1億4600万円となる。

余命10年と仮定して、1億4600万円〜7億円。

一軒家に住んでいる人には、売却すれば、Kクラスはそう難しい話ではないだろう。ただし、多少余裕金がないと、長生きしすぎて金の切れ目は縁の切れ目。

船賃が尽き丘に放り出されることになりかねない。

しかし、老人ホームとは雲泥の差である。
子供達に財産を狙われるより、ご利用のむきを考えられては。

皆様、如何でしょうか?

ウランバートル着 [2007年08月21日(Tue)]

(北京からモンゴルへ)

06:00 ホテル発 ウランバートル(モンゴル)へ

12:00 ウランバートル ホテル着

15:00 記者会見

16:00 世界海事大学 笹川奨学生 ゴット氏

19:00 ウランバートル・フォーラム夕食会(外務省)

産経新聞「正論」掲載 [2007年08月21日(Tue)]





産経新聞「正論」に私が寄稿した『能力こそ誰もが納得する評価基準』が昨日(8月20日付)掲載されましたので、お時間がある時にでもご高覧いただければ幸いです。


【正論】日本財団会長・笹川陽平 能力こそ誰もが納得する評価基準

2007/08/20
産経新聞 東京朝刊

■高校駅伝の外国人制限は人種差別

 ≪目立つ留学生の活躍≫ 
 久しぶりにテレビでウィンブルドン選手権の中継を見た。テニスの最高峰に位置するこの大会は久しく英国選手の優勝がなく、外国人選手が席巻する現状を「ウィンブルドン現象」と揶揄(やゆ)する向きもあるが、権威と人気にいささかの陰りもないようだ。

 スポーツの世界は能力が唯一の評価の基準である。ウィンブルドン大会も、それ以外に一切の垣根を設けず、力ある選手に門戸を開放し、いち早くグローバル化を実現してきた点に成功の秘訣(ひけつ)がある。

 これに対し日本の高体連(全国高等学校体育連盟)は来年から、全国高校駅伝の最長区間である1区で外国人留学生を走らせないという。似たような制限は、全日本実業団対抗駅伝や正月の風物詩・箱根駅伝にもある。

 留学を認めるということは、海外の優秀な若者に学問、スポーツの門戸を開くということである。海外に留学した日本人学生が能力とは別の制限の壁で競技会に出場できなかったケースなど聞いたことがない。まして「外国人枠」なる奇妙な考えは日本だけであろう。

 確かに駅伝や長距離でのアフリカ系黒人選手の強さは際立っている。彼らにとって日本留学はオリンピック選手、国際的ランナーに飛躍するチャンスであり、留学生上位の現状は彼らに門戸を開いた時点で、予想された姿である。

 一部高校が彼らを切り札に上位進出を目指し、知名度と志願者増を図るのも彼らの強さを前提とした話であり、駅伝に限らずラグビーや卓球、サッカー、バスケットボールでも同様の留学生の活躍が目立つ。

 にもかかわらず彼らが強すぎるから日本選手が無力感にとらわれ成長しないとか、早々と勝負が決まるため面白味を欠き視聴率が伸びないといった理由で、外国人枠を設け制限・排除するのは、日本側が積極的に留学生を招いてきた経過からみてあまりに身勝手。人種差別以外のなにものでもなく、国際的にも到底受け入れられる議論ではない。

 近年のスポーツ界は、多くの人がアマチュアの顔をしながら、さまざまな援助を受けるのが世界的な常識である。「アマチュアの祭典」といわれたオリンピックも1974年には憲章から「アマチュア」の言葉を消した。

 ≪美化されるアマチュア≫
 しかし、日本ではアマチュアリズムを美化し尊ぶ傾向が現在も強い。実態は死語に近いのに、なおアマチュアの言葉が持つ美しさにこだわるのは、過度の建前論を生むだけでなく、スポーツで身を立てようとする青年の夢を、大人のメンツで踏みにじる結果ともなる。
 
 特待生制度をめぐって迷走する高校野球はその典型である。特待生制度は他の競技と同様、高校野球の現場に広く浸透しており、高野連(日本高校野球連盟)が厳格なアマチュアリズムを謳った日本学生野球憲章にこだわるあまり、こうした実態を無視すれば一層、混乱が増すことになろう。
 
 スポーツの世界には、現実を冷静に見据えた分かりやすい基準と誰もが納得する単純で明快な論理が何よりも必要である。アマチュアの世界もプロ同様、能力を唯一の評価基準として確立することが望ましい。米・大リーグに世界の有能な選手が集まるのも「移民の国」というより、能力がすべてという分かりやすさが各国の選手を引き付けるからだ。

 ≪「井の中の蛙」的議論≫
 アマチュアの世界だからといって、外国人の参加は1人だとか、走る区間も指定するとかは誠に理不尽で姑息(こそく)である。彼らと競い合って自らのレベルアップを目指すことこそスポーツ本来の姿である。

 グローバリゼーションの時代の中で、日本のスポーツ界だけが、強い者が勝つという単純な論理を機能できないのなら、もはやファンはついてこない。

 政府の教育再生会議は日本の大学、大学院で学ぶ留学生数を現在の約10万人から2025年には100万人に増やす目標を掲げた。外国人留学生とともに学び競い合うことで、日本人学生に国際化時代にふさわしい力を身に付けさせるのが狙いだ。

 日本は2016年オリンピックの東京招致を目指し、「駅伝」はいまや国際語になっている。そうした中で国内の事情だけを踏まえた「井の中の蛙」的議論で外国人留学生の出場を制限することが、差別に鋭敏な国際社会にどのような誤解とマイナス効果を生むか、世界のスポーツの現状と方向性を見極め、あらためて議論する必要があるのではないか−。
(ささかわ ようへい)

モンゴル・中国へ [2007年08月20日(Mon)]

モンゴルでの笹川奨学金制度15周年、北東アジア安全保障フォーラム、WHO・日本財団共催の伝統医療品国際会議及び人民大会堂(北京)での日中医学奨学生制度20周年記念式典参加のためモンゴル・中国へ

09:00〜15:00 日本財団で稟議書等決裁、打ち合せ、書類整理

15:00 財団発 中国経由モンゴルへ

21:30 北京ホテル着

見合い結婚と藤原紀香 [2007年08月20日(Mon)]





「見合い結婚と藤原紀香」


1月15日のブログ『遺影』について、多くの読者から「大恋愛されたのでしょうね」との質問を受けた。

正直に告白するが、恥ずかしながら、私は一度の恋愛経験もなく、たった1回の知人の紹介で結婚したのである。32歳の時であった。

実は、28歳のときに結婚したい衝動にかられ・・・とはいっても相手もおらず・・・例え見つかったとしても厳格な父が簡単に了解をくれる確証もなかった。

思い余って父親に「そろそろ結婚したいが・・・。出来ることなら親父も喜んでくれる結婚をしたいので、見合い相手を探してほしい」と依頼した。

父は「おまえの判断は正しい。俺は女でさんざん苦労した。女を見る目には自信がある。任せておけ。慌てる○○はもらいが少ないというだろう。3年間俺にまかせろ」とのこと。

「よろしくお願いします」と頭を下げて引き下がった。

1年が経過・・・、見合いの匂いすらなし。
2年目、見合いの兆候もなし。
3年目、変化無し。
男の約束である以上催促することも出来ず、3年間、無為に過ごしてしまった。

「お待ちしましたがお話がありません。どうしたことでしょうか?」
父曰「自分の嫁さんぐらい自分で探せ」

なんという言葉だろう!! 

「それでは自分で探しますが、よろしいでしょうね。」
「あたりまえだ!!」

これでおしまいである。

そして冒頭のように、たった1回、知人に紹介された女性と結婚したわけである。

子供4人に恵まれたある日、父曰「3年間待ってよかっただろう。何が幸いするかわからない」と上機嫌であった。

こちらにしてみれば、3年前ならもっと○○の女性にめぐり合えたかも知れないのに・・・。

全てはご縁と達観している今日ではあります。


私もお笑い系だったらこんな美女を・・・(?)

(藤原紀香オフィシャルウェブから転載)



こんな事情もあったことから社会に恩返しをしたいと思い、一時期、随分見合い結婚の仲立ちに走り回ったが、成果はゼロであった。

ほとんど、女性から断わられてしまった。生物学的には、女性の方が同年代の男性よりませているので、なんとなく相手が頼りなく見えたのかも知れない。

断りの理由がふるっている。
「娘は笹川さんのような人が好みといっておりました。」
「そうですか。」

当方、苦労したが悪い気はしない。

「やっぱり俺みたいな男性がいいらしいよ」と妻に話すと、
「貴男、それって断り文句でしょう。あまりのぼせないほうがいいわよ!!」

当方ついカッとなり、妻の前で電話を取って
「どのような男性がよろしいでしょうか」とあらためて確認をとると、
「笹川さんみたいに面白い人が好きです」

「ほら、本当だろう!!」

妻、あきれて横を向く。

原因はわかった。若い二人が緊張しないようにバカ話をしたことが受けたようだ。たいがいの女性は、体型上の外観より優しい男性が良いという。

しかし、面白い男性が良いとは驚いた。各種アンケートによる女性の結婚相手に対する希望に「おもしろい」は入っていなかったと思うのだが・・・。

最近、お笑い芸人がやたらもてるのも、若い女性の心理にそのようなものがあるからだろう。
藤原紀香さんもお笑い芸人に取られてしまった。残念である。

もっと早くわかっていれば、私もお笑い系で「美女」をゲットしていたのに!!

ギャローデット大学 [2007年08月17日(Fri)]


3人が学ぶギャローデット大学






「ギャローデット大学」


ギャローデット大学は米国ワシントンDCにあり、聾者の文系大学としては世界一の大学である。

発展途上国においての聾者の教育は社会の片隅におかれ、無視されたも同然である。

我々は、これらの国々での聾者の社会的地位を確保したいと考え、15年間、この大学で将来の指導者養成のための奨学金プログラムを実施している。

今年も3人の日本財団奨学生が訪日した。



写真左から、アヤラ・ルイズさん、ロザ・クワンディさん、私、そしてアンソニー・ゲールさん



ロザ・クワンディ(女性)さんはアフリカのナイジェリアの出身で、卒業後は自国に戻り、教育現場で働き、将来はナイジェリアの聾者社会での指導者を目指す。

アンソニー・ゲール君はジャマイカ出身で、経済学修士号を取得して聾社会の変革のために働きたいという。

ジャマイカの人口は270万人で、何と、約8万人の聾者がいるという。年配者の聴覚障害を入れると20万人の障害者がいると説明してくれた。

聾者の子供は学校教育の機会もなく、日がな一日遊んでおり、犯罪を起こすケースも多く、差別の対象になってきたと、顔をくもらす。その現状を改善するために立ち上がりたいとの熱情を語ってくれた。

アヤラ・ルイズ君はチリ出身。会計学を専攻。聴覚障害者の人権団体の副会長も務め、聴覚障害者の団体やコミュニティーの活性化のために活動する予定。チリ聾者教育は、中学まで21校あるが、公認の手話、辞書もないという。

発展途上国で、聾者を社会の一員として迎え入れるためには、教育の機会の提供はもとより、手話の統一、手話辞書の作成等、手をつけなければならないことが山積みしている。

なかでも情熱を持った聾者の指導者の養成が急務である。聾者の問題は、彼ら自身の発言と行動が最も影響力を持つからだ。

我々は20〜30年計画で、地道に問題解決への歩みをしている。

ベトナムでは我々の支援する聾者学生が、優秀な成績で、初めて大学への合格を果たした。この成果にベトナム政府は、聾者教育を充実させてくれることを約束してくれた。

嬉しい知らせである。