産経新聞「
正論」に私が寄稿した『
生あるうちに日本国籍を』が本日(6月28日)掲載されましたので、お時間がある時にでもご高覧いただければ幸いです。
【正論】日本財団会長 笹川陽平 生あるうちに日本国籍を2007年6月28日
産経新聞
■老境迎えたフィリピン残留2世
≪遅い国の取り組み≫
終戦後、フィリピン人の母親とともに現地に取り残され、日本人の父親の身元が分からないため日本国籍を取得できない残留2世の就籍が難航している。5月にマニラで開かれた日系人大会でも、この問題を初めて主テーマに据え、日比両政府に早期の対応を求める声が相次いだ。
日本の敗戦で崩壊したダバオなどの日系人社会も再興され、日比間の国際結婚も年間8000件を超える。近年はシニア世代の長期滞在先としても注目が集まっており、両国関係は戦後60年を経て確実に新しい時代を迎えつつある。生あるうちに日本人の証を求める残留2世の切実な願いを、これ以上、放置するのは許されない。
残留2世に対する国の取り組みは遅く、1988年に厚生省(現厚労省)、95年と97年に外務省がようやく現地調査を実施、約3000人の残留2世の存在を確認した。手掛かりの濃淡で(1)父親の身元が判明し、その戸籍に2世の名前も記載済み(2)2世の名前の記載はないが、父親の戸籍は判明(3)父親の身元未判明−の3タイプに分かれ、前2者約2000人には日本国籍取得の道が開かれている。
しかし、最後の父親の身元が判明していない2世が日本国籍を取得するには、新たに本籍を設け、戸籍に名前を記載する就籍手続きしか方法はない。既に死亡した2世などを除くと約500人がこれに該当し、日本財団でも「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」が行う身元捜しや東京家裁への就籍申し立てに全面的に協力している。
≪手掛かりが希薄な背景≫
同様に親の身元が分からない中国残留孤児の場合は、中国政府が「孤児証明書」を発行し、日中双方が日本人と認め合うことで就籍を実現、既に約1300人がこの方法で日本国籍を手にしている。関連する中国残留孤児支援法には、国として就籍手続きに便宜を図ることも明記されている。
中国残留孤児は両親がともに日本人、フィリピン残留2世は父親だけが日本人と違いがあり、厚労省や法務省は前者を「日本人孤児」、後者を「日系2世」として区別しているが、父系主義を採った当時の国籍法に照らせば、ともに日本人であることに何ら変わりはない。フィリピン政府も戦争で記録が失われた残留2世に関し、出生を裏付ける2人以上の証言が得られた場合は、過去にさかのぼって日本人と認める遅延登録制度をスタートしている。
手掛かりが希薄な背景には、現地領事館に提出された出生届が戦火の中で日本に届かなかったケースや、現地の風習に従った部族婚のため婚姻届や出生届が出されていない、といった事情もあるが、最大の原因は軍人・軍属として召集された父親の死亡と、「敵国の子ども」としてゲリラの標的となった敗戦後の逃亡生活にある。母親や2世が「日本人の夫、父」との関係を裏付ける婚姻届や出生証明書を自ら廃棄したのは戦争の犠牲であって個人の責任ではない。
≪高度の政治判断が必要≫
終戦前後の混乱や母子が置かれた戦後の悲惨な状況を考えると、身元捜しに向けた資料発掘には限界があり、比政府の遅延登録を中国残留孤児の孤児証明書と同等に扱うような対応こそ不可欠と判断する。政府が中国残留孤児問題に取り組んでから既に四半世紀以上経つ。フィリピン残留2世だけが取り残された現状は理不尽であり、「日本政府は時の経過の中で問題が解消するのを待っているのではないか」といった関係者の疑念も当然と思う。
厚労省や法務省には2世と父親を結び付ける資料の乏しさを問題にする向きもあるようだが、それでは就籍の申し立てを受けた裁判所も踏み込んだ判断はしにくい。現に22件の就籍申し立てが東京家裁に出されているが、父親の身元が未判明のまま就籍が認められたケースは1件もない。
早期解決には司法だけでなく、法務、厚労、外務といった関係省庁が足並みをそろえた前向きの姿勢こそ必要である。日系人大会でカルロス寺岡会長は「われわれは半世紀以上、祖国日本から見捨てられた棄民だった。あの戦争はわれわれに何の責任もない」と述べた。
残留2世だけが「忘れられた存在」であっていい理屈は存在しない。当の2世は老境を迎え、日本人の証を手にしないまま息を引き取るケースも目立つ。この問題は戦後半世紀以上を経てなお積み残された戦後処理案件のひとつであり、これ以上長引かせないためにも高度の政治判断こそ必要である。(ささかわ ようへい)