モンゴル大統領 [2007年02月28日(Wed)]
Posted by
笹川 陽平
at 22:03 |
私の毎日
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東ティモール・最新情報(その2) [2007年02月28日(Wed)]
「東ティモール・最新情報」その2 2002年5月、インドネシアから独立した東ティモールは、長野県ほどの面積に人口約100万人。国語のポルトガル語を理解する人、2〜3%で36の言語がある。人口の66%は25歳以下で出生率は8.1人と高く、国も若いが人も若い。
電力は1日6〜7時間の稼動。国民の40%は1日0.55ドル以下の生活である。
昨年5月、東ティモール国軍の三分の一にあたる550人の退職問題をきっかけに暴動が発生。軍の不満分子が警察官25人を殺害。
治安悪化が今日まで続いている。インドネシアからの独立派と非独立派の争い。西ティモールと東ティモールの関係、軍と警察との対立、政治対立などが複雑に絡み合っている。
投石によって窓ガラスが割られた国連の車
組織化した反乱分子がいるわけではないが、投石と放火による惨状はいたるところにある。2002年の独立に際し行われた反対派の組織的建物破壊が、今も修復されずに残っている。その中での新たな破壊は、美しい海岸線と非対照的であった。
難民は人口約100万人のうち13万人に達し、首都ディリでは4万人がキャンプ生活をしている。空港の隣接地、教会の敷地等、いたるところにUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のカマボコ型のテントが林立している。
政府が家屋再建のための建設資材を提供しても、多くは町で売却して難民キャンプに戻ってくるという。今までロクな職もなく貧しい人々は、3食と医療の保証は、テント生活の不便さを除けば最良の生活でもあるのだ。
この状態は4月9日の大統領選挙まで続くと、専門家の意見は一致している。
現大統領のグスマン氏は国民の信望が厚いのだが、雑誌「タイム」によれば、再出馬せず、カボチャ売りになりたいという。
ホルタ首相は出馬の意向、独立運動初期の指導者で社会民主連合党首のアマラル氏も出馬、国軍司令官も候補の1人という。
一日も早い平穏の回復を祈りたい。
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東ティモール最新情報(その1) [2007年02月27日(Tue)]
「東ティモール・最新情報」その1 〜脱出〜 2月11日〜12日の東ティモール滞在はほぼ予定通りなのに、何故に脱出かと思われる読者もおられるだろう。
空港に出迎えてくれたWHO代表・アレックス博士は、グルジア人で、故郷の家が暴動で焼かれた経験を持つ。
VIPルームで入国手続きを待つ間、博士は東ティモールの混乱状況を説明する。
「混乱が続いて町は危険な状態です。貴男の警備を厳重にします。ハンセン病の現場視察はあきらめて下さい。笹川記念保健協力財団が派遣している寄生虫の専門家は、本人はどうしても仕事を続けたいというが、万一のことがあるとご両親に申し訳ないので、私の責任で、明後日、帰国してもらうことにしました。」 速射砲のような状況説明であった。
WHOの事務所で、昨年5月24日に発生した25人殺害の凄惨な現場写真を見せられた。事件はWHOの事務所近くで発生したので、被害者の収容、手当てに職員の献血を求め、応急治療をほどこしたという。
アレックス博士の机の真上の天上には流れ弾の跡があった。職員の子供30人を含め、全員が25日間、バラックの事務所で生活を共にしたという。
11日の夕食会は、17人の警備員のもとで開催された。WHOの職員はアレックス博士を除いて、夜道で襲撃の恐れがあり、全員出席できないという。車のある国連関係者は出席してくれたが、早々にお開きとなった。
12日朝、昨夜は首都・ティリで死者3名、警官1名の死傷事件があったと聞かされた。我々が国連警察軍と同宿している簡易ホテルには、昨夜襲われ、投石で窓ガラスが破壊された国連警察軍の車と、傷ついたアレックス博士の車があった。
アレックス博士と昼食後、危険地帯2ヵ所を迂回して空港に到着した。その直後、市内は騒乱のため全面通行停止となった。
結果的に危機一髪、東ティモールから脱出したわけである。
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東京マラソン2007(その3) [2007年02月22日(Thu)]
「東京マラソン成功」その3 〜草鞋を作る人〜 1万人を超えるボランティアたちが大会を影で支えてくれた 「東京マラソン成功」その1、駕籠に乗る人は石原都知事であった。 その2、駕籠を担ぐ人は誠に失礼な言い方ではあるが、曽野綾子・前日本財団会長であった。
今日は草鞋を作る人である。
華やかな舞台であればあるほど、成功の裏に下働きの人たちの努力が必要である。
今回の「東京マラソン」実現の立役者の一人は、笹川スポーツ財団・藤本和延常務理事の力が大きい。曽野綾子と共に、このマラソンの意義を説明し、関係者の理解を得るため10年近くに亘り献身的な努力をしてきた。
「民間財団の笹川スポーツ財団や日本財団が、なに故にマラソン事業に介入するのか。部外者はだまっていろ!!」
激しい批判に耐えながら、一途に市民マラソンの意義、スポーツ・ボランティアの育成、何よりも元気な東京を世界にアピールしたいと訴え続けた藤本氏の情念なくして、実現しなかったといっても過言ではない。
スタートの合図を待つランナーたち(都庁前)
藤本氏の指揮のもと、まず1000人のボランティア教育からはじまり、1万人を超えるボランティアによって「東京マラソン」はその記念すべきスタートを切った。もし大会が評価され、来年への道筋が大きくなったとすれば、この大会のために草鞋を作ってくれた1万人超のボランティアの成果である。
都庁前の華やかな式典、30分の時間を要したスタートの直後、黙々として出場選手の捨てた傘や衣類や缶類を拾い集めているボランティア。降りしきる雨の中、沿道で7時間以上立ちっぱなしでの飲み物、食べ物配り、激励の声をかけ続けたボランティア。
日本で初めて1万人規模のボランティアによる「東京マラソン」は成功裡に終了した。駕籠に乗る人も重要であるが、駕籠を担ぐ人、草鞋を作る人は更に大切である。
私達、日本財団、笹川スポーツ財団は、曽野綾子の教えに従って駕籠を担ぎ、草鞋を作る人に徹したい。
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