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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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東北地方太平洋沖地震応援基金
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琠獨楲瑳 (10/09)
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ハンセン病回復者への寄付 [2006年08月31日(Thu)]
10:00 日本財団 執行理事会

11:00 日本財団 評議員会

13:00 松本健一先生

17:00 日本財団 記者会見

※ ハンセン病回復者基金への寄付者30件(19万4000円)に対し礼状を書く
日本歯科医師会 [2006年08月30日(Wed)]
午前中、書類整理、稟議等決裁、打ち合せ

14:00 月刊誌「PHP」インタビュー取材

15:30 国土交通省 伊藤技術審議官

16:30 韓国 ムン博士

18:00 日本歯科医師会 大久保会長
航空機と安全確保 [2006年08月24日(Thu)]
「航空機と安全確保」



安全第一


アフリカでの旅行は、一筆書きのようにいかない不便さがある。今回のレソトアンゴラモザンビーク訪問は、南ア−レソト−アンゴラ−モザンビーク−南アと移動することは不可能である。

したがって、南アからレソト往復、南アからアンゴラ往復、南アからモザンビーク往復、と誠に能率の悪いことになる。

発展途上国では、どうしても安全度の低い航空会社を使用せざるを得ない場合もあるが、可能な限り安全第一で航空会社を選定する必要がある。

私には大切な職員の安全確保を最優先する責任がある。今回の旅行で南ア〜アンゴラ間でアンゴラ航空を利用した。アンゴラ航空は国連、日本大使館も使用禁止であることが後でわかった。

ともすれば、機能的なスケジュールになりがちであるが「安全第一」のスケジュールを徹底したい。
モザンビーク大統領 [2006年08月23日(Wed)]
「モザンビーク大統領」




ゲブーザ モザンビーク大統領は定刻6時、和やかに迎えてくれた。誠に簡素な大統領官邸である。私の体験では、東チモールのグスマン大統領の官邸もそうであった。


ゲブーザ大統領にハンセン病の現状を報告(於:大統領官邸)


来年はモザンビーク・日本の国交樹立30年で、1月の訪日を予定されている。大統領は、国づくりの基本は貧困対策であり、この問題の改善への取り組みを最優先課題にしていると説明され、笹川アフリカ協会を通じての貧農への食糧増産指導とハンセン病制圧活動への謝意を表された。

ハンセン病制圧へコミットされ、スティグマや差別の問題にも関心を示された。大統領との会談直前の記者会見には、テレビ3社を含む20社が参加。英国のBBC放送も出席して充実した記者会見となった。


英国BBC放送も取材に来た記者会見


ハンセン病制圧には、政治的コミットメントとマスコミの協力が絶対必要である。最後の日になって、やっとエンジンが稼動し始めた。来年4月の訪問が楽しみである。


※ アップした雑感は、7月30日から8月10日までハンセン病制圧活動のため、アフリカ3カ国(レソト、アンゴラ、モザンビーク)を訪問した時に感じたこと、気づいたことを書いたのものです。
ナンプラ訪問 [2006年08月22日(Tue)]
「ナンプラ訪問」



ナンプラののどかな風景


モザンビークのハンセン病の実態は、人口1万人に対し2.5人の罹患率である。これをWHO(世界保健機関)の基準である1万人に1人以下にするためには、患者数の多い北部3県のハンセン病制圧活動の強化が必要である。

そのうちのナンプラ県は首都マプトから飛行機で北上すること約3時間。人口400万人。50%以上が文盲。広大な土地に人々は点在して生活している。


時折ワニが農民を襲う


農民がワニやカバに襲われることも珍しくないところである。200人あまりの集会で“日本”を知っている人は、たった1人であった。ヘルスポストと呼ばれるハンセン病の薬配布所には短期間で養成したレベルの低い看護師が一人いるだけである。

このヘルスポストから5km以内で生活している住民は25%に過ぎない。75%の住民は5km以上離れた遠距離に住んでおり、恐らくヘルスポストの存在すら知られていないように思う。


“ヘルスポスト”と呼ばれるハンセン病の薬配布所


昨年の訪問で保健大臣はハンセン病対策について意欲的に取り組むことを約束したので、今回実施状況の確認のために訪れた。結論から言えば期待に反し、現場担当責任者をはじめ関係者の制圧への意欲は感じられなかった。

昼食が2時間30分、大切な会議は1時間30分と低調なものであった。率直に批判することは簡単なことであるが、なにせ誇りだけは人一倍高い人々である。おだてながら根気よく彼らにやる気を起こさせなければならない。

私のモットーは「忍耐と継続」である。こみ上げる怒りを抑えて来年の4月に4度目の訪問をするので更なる努力を要請した。


※ アップした雑感は、7月30日から8月10日までハンセン病制圧活動のため、アフリカ3カ国(レソト、アンゴラ、モザンビーク)を訪問した時に感じたこと、気づいたことを書いたのものです。
マラリア [2006年08月21日(Mon)]
「マラリア」


発展途上国の仕事で最も懸念されるのは「マラリア」である。マラリアはハマダラ蚊の媒介するマラリア原虫の血球内寄生による伝染病である。

症状は隔日に高熱を発する三日熱、最初の発作から2日平温があって4日目に高熱を発する四日熱や不規則な熱を発する悪性マラリアがあり、手当てが悪いと死に至ることもある病気である。有効な手段は蚊に刺されないことである。

これは簡単なようであるがなかなか難しい。幸い日本財団の職員でマラリアになったものはいない。これはあくまでも幸運の結果であった。駐アンゴラ日本大使館の宮武医務官はマラリアの恐ろしさを順々と説明してくれた。


空港についてすぐ記者会見
空港はマラリアがいて非常に危険な場所


「可能な限り蚊に刺されないように」から「絶対に刺されない」マニュアル作成を急ぎたい。特にマラリア蚊の出没する夕刻から早朝への対策が重要である。

<外出の場合>
・シャツは白色の長袖。
・靴下は膝下までの長いもの。
・野外パーティーは断る。
・虫除けスプレーは肌の露出部分は勿論のこと顔面も塗る。

<宿舎入室時>
・殺虫剤散布。特に洗面所、ベッドの下、カーテンの裏。
・就寝時は蚊取り線香。
・場合によっては蚊帳を持参。

<薬と専門医>
・マラリア用の薬持参と使用方法の徹底。
・海外での発病を想定して各国の病院、連絡先のリスト作成。

<帰国後>
・帰国後1カ月の発熱はマラリアと疑うこと。
・発熱の場合、抗体反応の実施。
・国内専門医の連絡先リストの作成。

読者の皆さんで、以上の他に注意する事項があったら是非ご教授願いたい。


※ アップした雑感は、7月30日から8月10日までハンセン病制圧活動のため、アフリカ3カ国(レソト、アンゴラ、モザンビーク)を訪問した時に感じたこと、気づいたことを書いたのものです。
外圧 [2006年08月18日(Fri)]
「外圧」



今回のアフリカ訪問中にはモザンビーク大統領と会談


知人に一年間の三分の一も海外で活動して、本当にハンセン病の制圧に役立っているのか、と厳しい質問を受けた。手前味噌ではあるが大いに役立っているのである。

それは私が訪問することはよい意味の「外圧」になるからである。

日本ではさまざまな貿易上の規制が外圧によって緩和された歴史がある。問題によっては日本側から外圧をかけてくれるように要請したことすらある。自主的に解決できない問題は日本だけではない。

ハンセン病は各国の公衆衛生の問題としては、HIVエイズ、マラリヤ、結核に比べ患者数も極端に少ない。いきおい保健省の優先順位も低くなるし、政治指導者の関心も薄いものとなる。


訪問先では記者会見を通じてハンセン病の現状を報告


したがって、マスコミの取扱いも他の病気に比べ遅れをとることになる。

幸いなことに私は長年の海外活動の経験からその国の大統領や首相と会談することができる。発展途上国ではトップの権限が異常に強く、例え保健大臣であってもハンセン病の現状について大統領や首相に説明する機会は少ない。

私が会談することによってトップの政治的コミットメントが新聞、テレビなどマスコミで大きく報道され、保健省をはじめ第一線で働く現場まで活気づくことになる。

重要なことは毎年訪問し、政治的コミットメントを確認することである。私のモットー「忍耐と継続」こそ、難問解決への道と考える。遠く日本からハンセン病制圧のためにきたという「外圧」の効果は大きいものがある。

インドは制圧に成功した。2年半に17回訪問したことになる。若干お手伝いできたと考えている。アンゴラも成功。ブラジルも多分遅くとも来年前半には成功する予定である。残るは、マダガスカルモザンビークタンザニアコンゴ民主共和国ネパールの五カ国である。

よき外圧のために更に活動を強化するつもりだ。


※ アップした雑感は、7月30日から8月10日までハンセン病制圧活動のため、アフリカ3カ国(レソト、アンゴラ、モザンビーク)を訪問した時に感じたこと、気づいたことを書いたのものです。
アフリカに寒波襲来 [2006年08月17日(Thu)]
「アフリカに寒波襲来」



とてもアフリカの空港とは思えない


日本を出る時、知人にこの暑いのにアフリカとはご苦労さんと冷やかされた。若気の至りでインドのニューデリーでは冬は凍死も出るし、アフリカだって朝夕は寒い時もあるよ、と知ったか振りをしたのがいけなかった。

このことが頭の隅に残っていたのか、せっかく職員が現地情報の書類を作成したてくれたのに目を通さなかった。

アフリカ出張の同行者は、ウインド・ブレーカーやマフラーを持参しているのに私は機内用の薄手のセーター一枚のみ。夏姿であった。南アフリカレソトも25年振りの大雪と寒波であった。

ホテルの部屋の中まで寒いのである。靴下を履いてパジャマ2組を重ねて着て寝た。日頃、海外旅行の準備は良い方と自負していただけにお恥ずかしいことになってしまった。

レソトでのダム視察には窮余の一策。ズボンの下にパジャマをはいて出かけた。途中、トイレに入った折、すっかりこのことを忘れていた。何故なのか。どうしたのか。問題解決にしばし時間を要した。

そういえば、曽野綾子前会長はイスラエルかアフリカ旅行の折、寒さ対策で男物の股引をはいたと聞いたことがある。私の悪い癖はどうでもよい、つまらないことだけは記憶力が良いことだ。

同行者にズボンの下から何か出ていましたよ、と注意され年甲斐もなく急に恥ずかしくなった。


※ アップした雑感は、7月30日から8月10日までハンセン病制圧活動のため、アフリカ3カ国(レソト、アンゴラ、モザンビーク)を訪問した時に感じたこと、気づいたことを書いたのものです。
アフリカの桃源郷 [2006年08月16日(Wed)]
「アフリカの桃源郷」


最近、中国のアフリカ進出は目覚しく、石油を中心とした地下資源の買付けや、ODA活動は日本の存在を影の薄いものにしている。レソトのような小国にも中国大使館(日本はなし)があり、大規模なアメリカ向けのジーンズ製造工場があった。


海抜約2500mにあるモハレ・ダム


レソトの外貨収入のほとんどは、南アへの出稼ぎ鉱山労働者の仕送りと、海抜約2500mにあるモハレ・ダムの南アへの水売却収入に頼っている。水の売却代金は毎月200万ドルである。

この貴重な外貨収入のもとであるダムはレソト唯一の観光資源でもあるので、是非観察しろとのことで出かけることにした。

首都マセルからアフリカにしては素晴らしい道路を快適に走る。海抜2000mを超えるあたりから桃(桃に似た花かも知れない)の花盛りである。季節は乾期なので高原は一面茶色ではあるが、その中で桃の花は一段と目立ち、サボテンと柳の新緑が点在していた。


「天空の王国」レソト


道路脇には雪解けの清流が勢いよく流れている。一面の枯草を馬、牛、羊がのんびりと食べていた。穏やかで、時がゆったりと流れている感じがした。レソトは「天空の王国」ともいわれ高い山がそびえている。

テレビで見たフンザや雲南省の桃源郷に勝るとも劣らない、アフリカ離れした景色であった。点在する家の中では、あるいはHIVエイズの悲劇があるのかも知れない。これはあくまでも車窓から見た風景の感想である。


アフリカにもかかわらず雪で視界が悪く危険な帰り道になった


ダムは別に驚くことはなかったが、寒さにはまいった。わずか5、6分で早々に引き上げることにした。行きは穏やかな桃源郷の風景を満喫したが、帰途は一転、激しい雪となり、フロントガラスに打ち付ける雪で見通しは極端に悪くなり危険な山下りとなった。

運転手は自身あり気に心配はないと言うものの、普通タイヤでの雪道の下りは久しぶりに身を硬くした。アフリカ20カ国の訪問の中、タンザニアで遠くキリマンジャロの冠雪を見たことはあるが、雪に降られたのは初体験であった。

ふと、加藤大介主演の映画「南の島に雪が降る」の題名を思い出した。首都マセルも雪であった。雪の日にくる花嫁は幸福になるとスウェーデンでは言われているが、レソトでは雨の日にくる花嫁は幸福になるという。


※ アップした雑感は、7月30日から8月10日までハンセン病制圧活動のため、アフリカ3カ国(レソト、アンゴラ、モザンビーク)を訪問した時に感じたこと、気づいたことを書いたのものです。
レソトとHIVエイズ [2006年08月15日(Tue)]
「レソトとHIVエイズ」




アフリカのレソトは、人口200万人の王国である。南アフリカ共和国の地図を広げると、そのなかにスワジランド王国と共に存在する。アフリカのサブサハラ(サハラ砂漠以南)はHIVエイズが猖けつを極めている。

5年前、ルアンダでムセベニ大統領と会談した折、大統領は最悪時人口の38%がHIVエイズになった。ウガンダの国民がいなくなるのでは、と冗談ともつかぬ話をされた。

今日、8%程度まで下がったようだが、それでも恐ろしい数字である。最悪の状態なのは、スワジランドの人口40%、ボツワナ30%、レソトの30%である。

レソトでは毎日70人以上が死亡。両親がエイズで死亡した孤児は20万人。したがって平均年齢はわずか32才である。主に南アフリカの鉱山に行く出稼ぎ労働者6万人が持ち込んだとされている。

日本の四国の1.7倍の国土に200万人の人口であり文盲も多いので周知徹底が難しい。伝統的な呪術や祈祷師に頼るのが現状である。

そのうえ、白人が黒人に嫌がらせのために嘘をついている。処女と接すれば治る、との噂も根強く信じられており、5〜6才の子供までレイプの対象にされているという。悲惨である。


センカタナ病院のエイズ患者


私が視察したセンカタナ病院は、ハンセン病の病棟よりHIVエイズの病棟が圧倒的にスペースが広く、朝から多くの患者が列をなして診察を待っていた。

3000人のHIVエイズ患者をカバーしているこの病院では、この病気が何であるか理解したのか、混雑する待合室は不安げな沈黙が支配していた。薬代は年間1人150〜200ドルで、全額国際機関からの援助で無料である。

私がHIVエイズを知ったのは、確か1984年であったと思う。知人のライナス・ポーリング博士(ノーベル化学賞、平和賞 受賞者)から、アメリカで伝染力の強い性病が流行り始めた。会議を開くから協力しろ、とのことでサンフランシスコの会議に出席した時だ。

日本でも流行の兆しがあり、HIVのプロバスケット選手マジック・ジョンソンや親友のロック・ハドソンをエイズで亡くしたハリウッドのスーパースター エリザベス・テイラーを招聘してHIVエイズ啓蒙キャンペーンを行ったことをつい最近のように思い出す。

以来、たったの20年間で世界に蔓延した。日本も安心してはおれない。国民の教育レベルが高いから大丈夫と一部では言われてきたが、若者を中心に着実に増加傾向にある。徹底した啓蒙活動が必要なことは言うまでもない。


※ アップした雑感は、7月30日から8月10日までハンセン病制圧活動のため、アフリカ3カ国(レソト、アンゴラ、モザンビーク)を訪問した時に感じたこと、気づいたことを書いたのものです。
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