• もっと見る
« 2006年05月 | Main | 2006年07月»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2006年06月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml

日中医学協会 [2006年06月30日(Fri)]

10:00 (財)日中医学協会 森 亘 会長

12:20 笹川平和財団 堀 武昭 氏

14:30 風邪のため早退

第6回佐官級交流訪中団 [2006年06月30日(Fri)]

「第6回佐官級交流訪中団」



北京軍区戦車第6師団視察


日本と中国との多種多様な交流の中で、見落とされ遅れていたのが自衛隊と中国人民解放軍との交流である。

軍隊は好戦的だと思われがちだが、実は反対である。誰もが命は落としたくない。ただ、命令がくだれば戦わなければならないだけである。

日中間ではトップ・レベルの形式的な交流はあったが、現職の少佐から大佐の、将来の軍を担う佐官級の交流はなかった。


熊光楷会長(写真中央)主催の歓迎夕食会


そこで、熊光楷・前副参謀総長(大将)、現在・中国国際戦略学会会長と協議し、10年間のプロジェクトとして佐官級防衛交流をスタートした。

第1回〜3回までは、形式的で充分な交流とはいえなかった。私は国際交流は「忍耐と継続」であると考えている。

政府間レベルの自衛隊と人民解放軍の交流がストップした時も交流は継続され、トラック2(トラック1は政府間)の重要性が両国政府に認識された。今回で6回目の佐官級訪中団となった。

毎年、人民解放軍20人の来日と、10〜13人の自衛官が訪中して交流を行っている。今回は、山本克彦・1等海佐を団長に、13人の統幕、陸、海、空が参加した。その内の9人は始めての訪中である。12日間にわたり中国各地を訪問する予定である。


北京大学学生と意見交換をする自衛隊


人民解放軍、北京大学国際関係学院の学生との率直な討論と交流を通し、未来の日中友好を担う両国の若者に期待したい。


※ アップした雑感は、6月25日から28日まで日中佐官級交流のため、中国を訪問した時に感じたことを書いたのものです。

ナカジマプロペラ [2006年06月29日(Thu)]


ナカジマプロペラで製造したプロペラ



10:00 日本財団 書類整理、稟議等決裁

ハンセン病回復者支援への寄付者14名(13万円)に対して礼状を書く

14:00 ナカジマプロペラ(株)中島社長

15:00 風邪のため帰宅

深夜・到着 [2006年06月29日(Thu)]

「深夜・到着」



アマゾンの陽射しは厳しい


ニューヨークに深夜の到着。バックが一つ積み残され、手続きに1時間を要し、ホテル着は明け方の2時30分に到着した。

早速、ブラジルの疲れを落とそうと風呂に入ったところ、腕や首筋がヒリヒリする。鏡をのぞいたところ真っ赤に日焼けしていた。少年の頃、海水浴後の風呂で味わったあの痛さである。さすがにアマゾンの陽射しは強烈であった。

日本に帰れば「ゴルフですか?凄い日焼けですね」とニヤッとされるのがおちであるが・・・


※ アップした雑感は、6月9日から21日までハンセン病制圧活動のためブラジルを訪問した時に感じたことを書いたのものです。

黒人も日焼け [2006年06月29日(Thu)]

「黒人も日焼け」


フロリダの空港でニューヨーク行きの飛行機を待っていたところ、2人の黒人女性が通り過ぎた。驚くことに彼女の背中にはくっきりと水着のあとがあった。

黒人でも日焼けするのか! 

当たり前のことだが少々驚いた。インドのゴアでハンセン病患者の少年が、色が黒くなるから薬を飲むのが嫌だといって飲んでいなかったことがあるのに・・・。


※ アップした雑感は、6月9日から21日までハンセン病制圧活動のためブラジルを訪問した時に感じたことを書いたのものです。

ブラジル 10日間 [2006年06月29日(Thu)]

「ブラジル 10日間」



予定通りに飛行機が飛ばず、空港で待機


私の長い旅の歴史の中で、1カ国に10日間滞在したのは今回のブラジルが初めてである。

日本のように予定、予約が計画通りに行く国は、発展途上国ではまれである。予定、予約は決定にあらずで、常に確認作業と変更への対応に迫られる。

睡眠時間2〜3時間、時差、毎日肉食、昼食抜き、夕食抜きもあった。深夜到着、早朝出発、マラリア、デング熱の危険、ヒョウの危険すらあった。

その間、メモの整理、会計の精算。最年長の私が頑張っているのだから仕方ないとあきらめているのかも知れないが、日本財団の職員は本当に良く働く。

何よりも体力があるのが頼もしい。私たちの仕事は体力、気力が勝負である。


※ アップした雑感は、6月9日から21日までハンセン病制圧活動のためブラジルを訪問した時に感じたことを書いたのものです。

徐副主席と面談 [2006年06月28日(Wed)]


徐才厚 大将(写真中央)

09:00 中央軍事委員会副主席 人民解放軍総政治部主任 徐才厚大将



13:30 ホテル発 帰国へ

12:10(29日) 自宅着
北京空港雷雨のため、出発が大幅遅延の上、都内道路工事により帰宅は午前様となる。

ヒョウに襲われる [2006年06月28日(Wed)]

「ヒョウに襲われる」



カヌーでジャングルへ


アマゾンの入り口・マナウスから船とカヌーでさかのぼること約2時間。アマゾンは最大の増水時期であった。

ディスカバリー・チャンネルのファンである私は、アマゾンの森深く水におおわれる影像を見たことがあるが、これを実体験する機会を得た。

アマゾン流域のハンセン病回復者の家を訪ねた。回復者の両親は、牛肉や魚の調理に使う木串の原料となる木を切り出しにジャングルに入ったという。


ジャングルは猛獣の宝庫


私達も息子さんの案内で、カヌーに乗り換え、ジャングルの奥深くに入っていった。同行のBBC放送のフィルム制作にあたるオーストライア人のクリス・ハードは、冒険心に富み、水に浸かった木々の枝をかきわけ、撮影をしながら、やっとのことで陸地を発見し、上陸した。

両親の作業現場を探そうと出発する寸前、両親が別の方向から手漕ぎカヌーで現れた。レパード(ヒョウの一種)に襲われ犬がやられたという。


携行している銃を借りる


カヌーの中では血に染まって恐怖に震えている白黒の犬が横たわっていた。両親は銃を携行していたが、ここは危険なのですぐ退去したほうがよいと指示された。

考えて見ると恐ろしい出来事であった。増水のため、ジャングルの陸地部分は極端に少なくなっており、もし両親に出会わずシャングルの中に入っていれば、我々の誰かが被害にあっていたに違いない。

聞くところによると、アマゾンではヒョウ、毒蛇、ワニの被害にあうことは珍しいことではないという。


※ アップした雑感は、6月9日から21日までハンセン病制圧活動のためブラジルを訪問した時に感じたことを書いたのものです。

女優 エルケ・マラビーヤ [2006年06月28日(Wed)]

女優「エルケ・マラビーヤ」




ハンセン病の制圧にボランティアで活動するブラジルの人気女優、エルケ・マラビーヤさんは、どこに行っても人気者。

寄ってくる人達に声をかけ抱擁する。ミニスカートに膝上20cmのブーツと、金髪のカツラがトレードマーク。


気軽に写真撮影に応じるマラビーヤさん


かつてのブラジル独裁政権に反対してポスターをはがし、7日間の刑務所行きとなったこともある。

その結果、無国籍になったとIDカードを見せてくれた。確かにカードには無国籍とあった。メディアはもっとハンセン病に関心を持って欲しいと彼女は願う。

「私がヌードになるといえばメディアは殺到するのに、回復者村に行くといっても興味をもたない」と笑う。

夫から患者とキスをしたかと聞かれ、「ええしたわ」。お前はうつっているかもしれないと言われ、この夫は取り替えねばならぬと思った。

ちなみに61歳、8回結婚した由。




※ アップした雑感は、6月9日から21日までハンセン病制圧活動のためブラジルを訪問した時に感じたことを書いたのものです。

早朝ウォーキング [2006年06月28日(Wed)]

「早朝ウォーキング」



美しいフォルタレーザの海


早朝、フォルタレーザの海岸線に長く続く遊歩道を散歩した。

ここの人達の歩き方は実に美しい。背筋や膝をしっかりと伸ばし、少し幅広にかかとから着地して足早に歩く姿は他国では見たことがない。競歩ではないが速歩である。

日本でもよく公園で散歩している人を見るが、美しい姿で歩いている人を見かけることはほとんどない。

背が曲がっていたり、歩幅が狭まかったり、のんびり歩いたり・・・。

歩かないより歩いたほうが健康に良いことは勿論であるが、姿勢が悪くては効果のほうも定かでない。


※ アップした雑感は、6月9日から21日までハンセン病制圧活動のためブラジルを訪問した時に感じたことを書いたのものです。
| 次へ