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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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雑感 [2005年12月28日(Wed)]
「雑感」

今年7月1日に日本財団会長に就任した。
就任の雑事に追われながらも18回、134日の海外活動となった。

特にハンセン病制圧活動の中心地であるインドには7回の訪問。
中国には4回ではあるが、特に11月5日の南京大学での講演(ブログでは11月9日に報告)は予想外の反響であった。12月11日のフジテレビ「報道2001」で竹村健一氏が講演について紹介してくれたことは望外のことであった。

私の拙いブログも初心のとおり、日本財団会長としての情報公開の一環であるが、若干ではあるがその役割を果たせたと考えている。

勿論、退屈な文章にお付き合いくださった読者諸兄のおかげであり、感謝の誠を捧げたい。

11:00 神事

12:00 各団体合同納会



13:00 墓参り
事業評価の問題 [2005年12月27日(Tue)]
事業評価の問題

日本財団では補助、助成事業先団体の会計監査はもちろんのこと、抽出ながら事業評価も行っている。今回、職員30人とともに3時間にわたる5件の評価報告を聞いた。

評価会社は、リサーチ・アンド・ディベロップメント社である。事業評価は、ちまた言われているほど簡単なことではない。どのような評価結果(例えば、悪い評価など)が出てもクレームを言わない姿勢を堅持しないと、第三者としての正しい評価書は作成しにくい。

どのようなことかと申せば、あまり厳しい評価を出すと依頼主から取引を停止される可能性があるからである。私は「非営利組織の事業評価」(日本評論社/太田黒夏生・中田和明著)の“刊行に寄せて”の中で、評価の依頼主の姿勢を述べているのでご参考にされたい。



私は20年前にアメリカの評価学会の会長を日本に招待して、事業評価のあり方を勉強したことがある。評価会社はあまり厳しい評価結果を提出すると、依頼主から発注停止の恐れはないかと私の質問に、実はそれが一番問題であるとの解答であった。

語るに落ちた話である。この経験を生かし、日本財団は評価会社に一切のクレームをつけないことにしている。

より良い事業を行っていくには、第三者の評価を活用していくことが肝要であって、依頼主の立場を考慮した「評価」であっては、何の意味もなさない。

以下に今回の評価対象団体名を記す。
ご興味のある方は、日本財団にお問い合わせ下さい。

海洋政策研究財団「海洋シンクタンク事業」
○(財)東京エムオウユウ事務局
○(財)マラッカ海峡協議会
○(財)笹川記念保健協力財団「日中医学奨学事業」      
○(財)全国里親会「里親制度の普及振興」
日野原重明先生祝賀会 [2005年12月27日(Tue)]
08:00〜10:00 「語り場」 日本財団職員との対話

10:00 日本財団 執行理事会

11:00 世界海事大学 奨学生 面談

11:50 (社)日本モーターボート選手会 野中会長 面談

13:00〜15:00 事業評価報告会

15:40 (財)笹川記念保健協力財団 紀伊國理事長 面談

16:00〜17:30  「語り場」 日本財団職員との対話

18:00 日野原重明先生(聖路加国際病院 理事長)「文化勲章受章祝賀会」 挨拶 (於:帝国ホテル)

三笠宮殿下、三笠宮妃殿下、三笠宮寛仁さま ご臨席

19:30 日本小型船舶検査機構 谷野理事長 懇談
最終面接 [2005年12月26日(Mon)]
08:00 (社)東京都モーターボート競走会 執行理事会

10:00 (社)全国モーターボート競走会連合会 宮地理事長 面談

11:00 海洋政策研究財団 今理事長 面談

13:30 日本財団 2006年度採用 最終面接

16:00 公益・ボランティア2006年度方針 検討会

18:00 東京財団 吹浦常務理事 懇談
帰国 [2005年12月22日(Thu)]
08:00 成田着 日本財団へ

10:00 日本財団着 稟議書等決裁、書類整理

15:00 退出
政府要人と面談 [2005年12月21日(Wed)]
政府要人と面談

08:00 ニャーウィン外務大臣 面談


外務大臣との面談


10:00〜12:00 連邦団結発展協会(USDA) ゾウ・ミン協同組合 大臣 面談

12:15 ミャンマー元政府高官 面談

16:00 ティン・ミント博士(WHOハンセン病制圧コンサルタント) 面談

19:45 ヤンゴン発 バンコク経由、日本へ
ミャンマー事情 [2005年12月20日(Tue)]
ミャンマー事情



二年振りのミャンマーは、前日まで滞在していたインドとは全くそのたたずまいが異なる。一言でいえば、インドの喧騒に対しミャンマーは静謐である。もちろん首都ヤンゴンの商店は品物があふれており、道行く人々の表情には活気があるものの穏やかである。

拘束中のアウンサン・スーチー女史の自宅前も兵士数人が散見されるだけで張り詰めた緊張感はなかった。

目下、ヤンゴンでの話題はどこに行っても今月7月に発表されたピンナマへの「首都機能移転計画」実施である。突然の移転開始日は、占星術師の託宣によるもの。

新首都ピンナマはヤンゴンの北320kmにある田舎町。第二次大戦後のミャンマー建国の地である。住居・交通・通信等のインフラ建設は、急ピッチで進んでいるというが定かではない。

移動命令を受けた人々は、みな単身赴任であり、命令待ちの役人も情報不足の中で「噂話」だけが駆け巡っていた。ただ一つ正確な情報は、ゴルフ好きのタン・シェ国家元首のためにゴルフ場だけは完成済みという。

情報源の少ないヤンゴンでは、駐在外交団にも今回の突然の移転発表には不快と不満が強い。特に米国は総額200億円をかけて大使館のリニューアル中。一方、日本大使館には当面改築計画はなく、ミャンマー政府と不即不離の関係から事前に情報を得ていたのでは、とのやっかみ的噂もでているとのことだ。

ここで先頃ASEAN首脳会議から三行半的な「民主化プロセスの実施状況についての調査団」派遣を突きつけられたタン・シェ国家元首の描くミャンマー民主化の青写真を紹介しておく。(ちなみにヤンゴンにいる外交団のほとんどは、この青写真を信用していない)

現在、ミャンマーでは国民各階層から選抜された1074人からなる憲法制定国民会議で、来月9月頃の国民投票に向け、憲法草案が審議中である。今回私が会ったミャンマー政府要人の話を総合すると、国民投票によって成立した新憲法に基づき再来年には議会選挙が実施されるというものだ。

そこで、このタン・シェ国家元首の民主化青写真の鍵になるのがUSDAの略語で呼ばれる「連邦団結発展協会」の存在である。この組織の議長は、タン・シェ国家元首が兼務、人口の42%にあたる2200万人がメンバーという。

「インドネシアのゴルカル党を真似たこの組織こそが議会選挙後の要石であり、将来は国家的政党になる可能性が大である」。現在、憲法制定国民会議で延々審議中の憲法草案では、インドネシアを真似てミャンマー国軍に25%の議員枠を保証している。

仮に対人口組織率42%の「連邦団結発展協会」が議会選挙の25%を獲得しさえすれば、国軍枠25%を加え、簡単に現体制を維持できるのである。タン・シェ国家元首の強気の源泉である。

ミャンマーに入るにしろ、国連が種々の決議をするにしろ、人柄についてとかく批判はあるものの、ミャンマー民主化の象徴であるアウンサン・スーチー女史の自宅拘束が近々解かれる可能性は皆無といわざるを得ないようだ。
インドからミャンマーへ [2005年12月20日(Tue)]
01:40 ニューデリー発

07:15 バンコク着

11:00 ヤンゴン(ミャンマー)着

13:30 ナタラ(地域辺境省)局長 面談

14:20 ミャンマータイムス(現地新聞社) 社長 面談

16:30 保健省 局長 面談


保健省局長と面談


18:00 小田野 駐ミャンマー大使 懇談
インドハンセン病回復者全国大会 [2005年12月19日(Mon)]
第1回インドハンセン病回復者全国大会


全国から集まった回復者たち


私がこの3月に提唱した第1回インドハンセン病回復者全国大会は、9カ月の準備期間を経て、500人の代表者がニューデリーに参集し、無事成功裡に終了した。

コロニー(定着村)より外に出たことのない人や、汽車に30時間乗ってきた人もおり、ホテルに泊まることも初めて、真新しいタオルと湯の出る風呂には感激した様子であった。何はともあれインドの歴史始まって以来の出来事であった。来年は更に充実した会議にしたい。

10:00〜18:30 第1回インドハンセン病回復者全国会議

22:00 空港へ
メッカ巡礼者はノーパンである [2005年12月18日(Sun)]
メッカ巡礼者はノーパンである

ジャイプールの飛行場は、メッカ巡礼のイスラム教徒で大混雑であった。待合室の一隅に大きな白布で仕切られたなかにイスラム教徒が荷物を持って出入りしている。何かと思い覗きに行くと、関係者らしき男が、中に入れと言うので遠慮なく見せてもらった。



京都の祇園の舞妓に着物を着せる「男こし」のように、男は巡礼者に真新しい衣で下半身を手際よく覆っていく。次に二枚目の布で上半身を整え、サンダルまで新品に履き替え、すがすがしい顔で部屋から出て行く。

話によると、巡礼の時、縫い目のある布は身にまとってはいけないらしい。したがって2枚の衣だけで身をまとうことになる。女性のところは覗くわけにもいかず、帰国後東京財団のイスラム教徒の佐々木先生に伺ったところ女性も同じとのことだった。

一生に一度のメッカ巡礼の費用は、ジャイプール〜メッカ 14日間28万円。

10:00 メディアワークショップ 

ハンセン病をメディアに理解してもらうための会議 挨拶

13:15 ジャイプールからニューデリーへ

17:00 ニューデリー ホテル着

19:00 第1回インドハンセン病回復者全国大会 参加者夕食会(日本財団主催) 
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