• もっと見る
« 2005年07月 | Main | 2005年09月»
leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
Google
<< 2005年08月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
リンク集
https://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml

ハンセン病制圧キャンペーン式典 [2005年08月10日(Wed)]

08:40 ルムンバシより約120キロメートルの村「カポロ」へ。

ハンセン病制圧キャンペーンの式典で挨拶。
知事、保健大臣も参加。
私たちを歓迎する子どもたちのエロティックなダンスには驚かされました。ちなみに、女性は15歳で結婚するそうで、みな早熟なようです。

15:00 ホテルに戻り遅い昼食。

ルムンバシの目抜き通りの並木は、美しく咲き、ベルギーのコロニアル風の建物がところどころに残っていました。
このルムンバシのあるカタンガ州はルアンダと国境を接し、PKOの本部があり、迷彩服の兵士の姿も見受けられます。
ところで、ここには「SASAKAWA」という地名や人名があるそうで「火を与える人」の意味だそうです。

20:20〜22:40 保健大臣主催 夕食会。

<写真>ハンセン病制圧キャンペーンの式典で私も村人達に交じり踊りました。

第二の都市ルムンバシへ [2005年08月09日(Tue)]

06:00 ホテル発 コンゴ第2の都市 ルムンバシへ。

14:00 ルムンバシ着。
ルムンバシにある各種鉱山は世界的に有名。広島、長崎へ投下された原爆の原料であるウラニュウムはここで産出され、ベルギー経由でアメリカに輸入されました。

14:50 州知事を表敬訪問。

15:00 記者会見 約50人の地元メディアが参加。保健大臣が自らのおじさん2人がハンセン病であったことをテレビカメラの前で告白しました。

19:30 州知事主催 夕食会。

<写真>記者会見の様子

政府要人とハンセン病制圧活動について懇談 [2005年08月08日(Mon)]

08:00 世界保健機関(WHO)コンゴ代表部で意見交換。

09:30 保健大臣よりハンセン病制圧活動の現況についてブリーフィングを受ける。

10:30 WHOアフリカ地区ハンセン病担当官ビデ博士と「アフリカ未制圧国の現状分析と対策」について意見交換。

14:20 大統領府シェオキトンド官房長官と面談。

15:30 副大統領と面談。

16:30 保健大臣、保健省幹部、NGO、メディア関係者による合同会議。 約100人出席(於:WHO代表部)。

19:30 保健大臣主催 夕食会。

<写真>副大統領と面談

車で4、5時間かけてハンセン病活動視察 [2005年08月07日(Sun)]

08:00 保健大臣 ホテルに来訪。
ミニバスで低地コンゴといわれる地方の町キブブへ、
道路事情は比較的良く4時間で到着。

12:10 ハンセン病制圧活動の状況視察と患者さんのお見舞い、現場担当者への激励。

20:15 ホテル着 復路は5時間。

遅い夕食をとる。
この国は、航空機を除いて公共交通機関はありません。都市部では、20〜30年前のミニバスの中古車が市民の乗り合いバスとして活躍しています。定員7〜8人のところ、15〜20人が乗り、車外にぶら下がっている人も多く、なかには「わかくさ幼稚園」と書かれた日本の古いバスも走っていました。

<写真>キブブの町でハンセン病の患者さんのお見舞い

コンゴ民主共和国訪問 [2005年08月06日(Sat)]

05:45 ホテル発 パリ経由でコンゴ民主共和国へ。

18:00 首都キンシャサ着。

18:40 保健大臣、ホテルへ来訪。

アフリカには、2つのコンゴがあります。
コンゴ川を挟んで西側がコンゴ共和国で東側が今回訪問のコンゴ民主共和国です。

コンゴ民主共和国の面積は日本の約6倍、人口5380万人。鉱物資源豊富なフランス語圏です。旧ベルギー領の植民地でザイール共和国という国名の時もありました。当時のモブツ大統領は昭和天皇の大喪の礼に出席のため来日された折、ホテルでお目にかかりました。大統領に「国内の情勢不安との情報がありますが」と質問したところ、「大丈夫です。反乱を起こしそうな連中も日本に連れてきましたから」とトレードマークの豹の帽子に手をやりながら、ニャッと笑ったことを今でも覚えています。

現在の大統領は、モブツ大統領の追放に成功しながら、護衛に射殺されたカビラ前大統領の息子ジョゼフ・カビラ氏です。

この国は、9カ国(コンゴ共和国、中央アフリカ、スーダン、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、タンザニア、ザンビア、アンゴラ)と国境を接しており、特にウガンダ、ルワンダの国境は情勢が不安定で、15,000人の国連平和維持活動(PKO)が展開されております。

<写真>コンゴ川(ホテルから撮影)

国連で「ハンセン病と人権」パネルディスカッション [2005年08月05日(Fri)]

09:00 国連欧州本部(パレ・デ・ナシオン)へ。

今回の国連人権小委員会で日本財団が招へいした外国からの参加者は次のとおり。
・ウジワル・チョードリー教授(インド)ハンセン病の映画「汚名」の制作者
・アンドレア・パスキーニ女史(ブラジル)ハンセン病の映画「我等の生涯の最良の日々」の制作者
・P.K.ゴパール博士(インド)ハンセン病回復者組織「IDEA」インド会長
・ネヴィス・メアリーさん(インド)ハンセン病回復者で鉄道省に勤務。夫のジャヤクマール氏と共に参加
・コフィ・ニャーコ氏(ガーナ)
ハンセン病回復者 ガーナの地方で教師を勤め、一週間に一度回復者との連絡のため、インターネットカフェのある町までバスで8時間かけて行くとのこと
・アマール・ティマルシナ(ネパール)
ハンセン病回復者で現在首都カトマンズで生徒150人の学校を経営している。ハンセン病の発症とともに妻に離婚された。実家はカトマンズからバスで1時間。そこから徒歩でなんと16時間かかるとのことでした。

12:50 国連人権小委員会で私が「ハンセン病と人権」について発言し、その後短かったですが、4人の回復者が初めて人権委員会の場で発言をした。会場内からは、大変珍しいことに大きな拍手が沸き起こった。

13:05 「ハンセン病と人権」パネルディスカッション。
ゴパール博士が議長を務め、ハンセン病回復者が自分の経験を積極的に発言し、「差別」の実態を明らかにした。
私と横田洋三中央大学教授、紀伊國献三笹川記念保健協力財団理事長も発言。

19:30 参加者とのお別れ会。
国連人権委員会が設立されて以来、初めてハンセン病回復者が発言した歴史的な一日になりました。苦難の人生を歩んできた参加者も責任の重さから解放され、和やかな会になりました。

<写真>各国の回復者がハンセン病の現状を報告

ハンセン病と人権 [2005年08月04日(Thu)]

07:30 国連欧州本部(パレ・デ・ナシオン)入館手続き、IDカード発行

09:30 パレ・デ・ナシオンへ

13:00〜15:00 「ハンセン病と人権」のセッションで挨拶
続いて、インド、ブラジルのハンセン病に対する偏見や差別についての現状を収録したドキュメンタリー・ビデオ上映、質疑応答
議長は、中央大学 横田教授が務める

20:00〜23:00 国連人権小委員会委員、人権委員会事務局担当者、世界保健機関(WHO)幹部と夕食会を兼ねた懇談会
懇談会の席上でインドの「ハンセン病と人権」のビデオを上映
小委員会議長でありロシア代表のカータシュキン氏をはじめ、キューバ、アイスランド、チリ、ベルギー、中国、韓国、フランス、モザンビーク、イギリス、ギリシャ、ルーマニア、ジャマイカ、ブラジル、マダガスカル、パキスタン、パナマ、日本の各代表が参加してくださり、直接「ハンセン病と人権」について説明できたことは、大きな収穫でありました。

国連人権委員会出席のためジュネーブへ [2005年08月03日(Wed)]

12:05 成田発 パリ経由 19:40ジュネーブ着

20:30 出席者と打ち合わせを兼ねた夕食会出席

ジュネーブで開催されている第57回国連人権保護促進小委員会で、日本財団は「ハンセン病と人権」テーマとするパネルディスカッションを開催することになりました。このパネルディスカッションには、インド、ガーナ、ネパールのハンセン病回復者と同小委員会の委員である横田洋三中央大学教授が出席いたします。