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笹川陽平(ささかわようへい)の国内外における活動の記録。このブログを通じて、私の毎日を覗いてみてください。

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タンザニア―東京は37時間 [2005年04月29日(金)]
21:15 自宅着
タンザニア ― ヨハネスブルグ ― 香港 ― 東京と37時間の旅でした。
今回の出張は10日間の内、8日間も飛行機に乗ったことになりました。
タンザニアを後に [2005年04月28日(木)]
08:30 ホテル出発、飛行場へ
朝から10時間のロングドライブ [2005年04月27日(水)]
08:30 ドドマ(Dodoma)のホテルで保健大臣と共に記者会見
テレビカメラ5台の他、20人の記者が参加。

09:45 チャジ(Chazi)に向けて車で出発。

12:30 モロゴロ州のチャジ到着
モロゴロ州は世界有数のマラリアの発生地。聖ルカ病院におられた杉下ドクターにお会いしました。
JAICAでおいでとのこと。ご家族も全員マラリアにかかってしまい、先週は運転手がマラリアで死亡したとのこと。それでも1回1週間の旅程で農村を巡回診療されておられるという、頭が下がりました。

13:00 ハンセン病回復者の集まりで話をしました。保健大臣が女性であることも全員知りませんでした。

19:30 ダラエスサラーム着
朝出発してから10時間のロングドライブ。
15分で着替えて日本大使館へ。大使のご厚意で、保健省幹部、WHO、それに我々一行は、簡素な夕食をビュッフェスタイルでご馳走になりました。
館内でテレビ2社を含めた記者会見をセットしてくださりました。
長い活動の中で初めての経験、ありがたいことです。
ムカバ大統領、ハンセン病について約束 [2005年04月26日(火)]
05:20 ホテル出発

06:30 飛行機でドドマ(Dodoma)へ
ドドマは建国の父、初代大統領ニエレレが一時首都にしようと考えた場所。現在議会は移動しています。

08:00 ドドマ着、ホテルへ

10:00 ジャムフリ(Jamhuri)スタジアムにて
タンザニアとザンジバルが統一した記念日の式典に参加。大統領の後方3列目で見学。
赤、青、黄、白、色とりどりの制服での軍隊の行進では、最初の葬列のような静かな行進は、実に見事でしたが、北朝鮮の軍隊のような高く脚を上げる行進になると、脚が真っ直ぐ伸びていない人や高く上がらない人もいて少しユーモラスでした。

16:00 大統領のゲストハウスでムカパ(Mkapa)大統領と会見
巨大な自然石を取り込んだ質素な部屋で大統領は二つの自然石に挟まれたように座られていました。私との会見のために、初めてハンセン病の実態を勉強したとのこと。
 「ハンセン病は治る病気である」
 「薬は無料」
 「差別をしてはならない」
以上、三つのことを国民に直接話すと約束されました。
風邪と熱のため、一日中何も食べずに寝ました。
タンザニア・ダラエスサラームにて [2005年04月25日(月)]
10:00 WHOタンザニア事務所訪問

所長のマンガヌ博士はボツワナの出身。WHOの本部で私の父に会ったことがあるとのこと。運転手を含め全ての職員を紹介してくれました。マンガヌ博士のお人柄の表れだと思います。

11:00 タンザニア保健省で大臣以下幹部とハンセン病制圧について意見交換。

13:00 ダラエスサラームの郊外、テメケ地区に行く。保健センターで7人の患者に会う。

14:30 車とフェリーで約1時間、岬にあるヌンゲ回復者村を訪問。

1970年に設立されたこの施設は、電気もなく161人の障害者が生活し、ハンセン病回復者は38人。外部の情報は入らないとのこと。

18:00 タンザニアの有力紙ガーディアンのインタビュー

今日は久し振りに風邪を引き、つらい一日でした。
タンザニアの人口は3,500万人、ハンセン病患者は人口1万人に1.3人になったとのこと。

<写真>ハンセン病回復者の足の具合を見る

保健大臣の父君はハンセン病患者だった。 [2005年04月24日(日)]
05:30 ホテル出発、飛行場へ

07:00 マプト出発、ヨハネスブルグ(南アフリカ)へ

09:50 ヨハネスブルグよりタンザニア

14:20 ダラエスサラーム着
ダラエスサラームとは、「平和の家」という意味とのこと。保健大臣が出迎えてくれました。

16:30 保健大臣主催の夕食会に出席
大臣は、タンザニアで15年間継続したササカワグローバル2000プロジェクト(貧農民に食糧増産を教育する事業)が開始する時の農業大臣だったので、今回お会いするのは、二度目でした。
大臣は、「自分の父はハンセン病患者であった」と語り、我々を驚かせました。差別の厳しい(ハンセン病患者に対して)国での発言であり感動しました。「ハンセン病制圧と差別をなくしたい」という大臣の言葉には実感がこもっていました。関係者50人ほど出席。

<写真>保健大臣主催の夕食会で大臣と懇談

Japanを知っていたのは3,000人中2人! [2005年04月23日(土)]
08:00 ホテル出発、ナマイタへ

09:30 ハンセン病啓発のための大会に出席。約3,000名の人たちが集合。笹川記念保健協力財団より、ボランティア活動の人々へ300台の自転車を寄贈。ちなみに、3,000名の中でJapanという国名を聞いたことのある人は2人だけでした。

16:30 飛行場へ

19:50 マプト着

21:00 記者会見
「この国でいくら援助したのか?」、「これから何を援助してくれるのか?」── いつも通りの質問にうんざり。

<写真>ハンセン病啓発のための大会に集まった人たち

モザンビーク・ナンプラ県にて [2005年04月22日(金)]
09:00 飛行場へ

10:40 北部のナンプラへ出発

15:00 ホテルチェックイン

16:00 ハンセン病回復者による障害者用靴製造作業所見学

16:30 モザンビークでハンセン病患者の最も多いナンプラ県について現状の説明を聞く

<写真>靴製造作業所見学


モザンビークの首都マプトにて [2005年04月21日(木)]
10:00 マプト着

13:30 WHOモザンビーク事務所訪問

14:30 イタリア救ライ協会訪問

16:00 保健大臣、ガリドゥ(Garrido)博士と会談。大臣は現役の外科医で、大臣就任にあたり、官舎と車を拒否したことで話題になりました。新内閣が誕生したばかりなので、ハンセン病制圧の戦略計画を急ぎ策定するよう要請しました。

19:00 日本大使館・津島大使のご厚意で保健大臣はじめ保健省幹部と私共一行を招待して下さりました。
大使館で働いているベビンダ女史は、1986年、13歳で来日し勉学に励んだとのこと。日本語が堪能。埼玉県上福岡市の女医高島滋子さんが、当時内戦に苦しむモザンビークから招待してお世話されたとのことことです。
モザンビークの国土は日本の2倍、人口は1,800万人、エイズ患者180万人。何をするにも効率が悪く、救急車は1台も無いとのことでした。

<写真>モザンビーク ガリドゥ保健大臣と

アフリカ・モザンビークへ [2005年04月20日(水)]
成田出発。
香港、南アフリカのヨハネスブルグ経由でモザンビークの首都、マプトへ。
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