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日本財団会長 笹川陽平ブログ

笹川陽平(ささかわようへい)の国内外における活動の記録。このブログを通じて、私の毎日を覗いてみてください。

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6月11日(火) [2013年06月11日(Tue)]
6月11日(火)

7:45 ホテル出発

8:35 ヨルダン チェック・ポイント通過(ヨルダン出国手続きのため)

9:20 イスラエル チェック・ポイント通過(イスラエル入国手続きのため)

9:45 ジェリコに向けて出発

10:00 ジェリコのホテル到着
    JICAパレスチナ事務所の田中泉所長より、ジェリコ農産加工団地(JAIP)についてのブリーフィング

10:15 ホテル出発

10:25 ジェリコ農産加工団地到着
    田中泉所長、在イスラエル日本国大使館本田慶子一等書記官より説明を受ける

11日 ジェリココ農産加工団地視察.jpg
ジェリコ農産加工団地


10:45 下水処理場工事現場視察(大日本土木(株)ジェリコ・プロジェクト事務所の高野氏による案内)

JICAパレスチナ事務所田中所長と大日本建設ジェリコ・プロジェクト事務所高野氏.jpg
田中泉所長、高野氏が我々一行を案内して下さった


11:00 ジェリコ農産加工団地出発

12:10 ラマッラにあるパレスチナ自治政府本部の首相府到着
    パレスチナ自治政府 ラーミー・ハムダッラー首相と面談

ラミ・ハムダラ首相.jpg
ラーミー・ハムダッラー首相

パレスチナ自治政府本部のあるラマッラの街並み.jpg
ラマッラの町並み


13:00 パレスチナ自治政府 Dr.タイシール・ジャラダット外務省事務次官

パレスチナ自治政府Dr. タイシール・ジャラダット外務省事務次官.jpg
Dr.タイシール・ジャラダット外務省事務次官


14:00 ラマッラ出発

14:50 イスラエル チェック・ポイント通過(イスラエル出国手続きのため)

15:30 ヨルダン チェック・ポイント通過(ヨルダン入国手続きのため)

16:30 ホテル着

19:30 ホテル発

20:00 小菅淳一在ヨルダン日本国大使との夕食会
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6月10日(月) [2013年06月10日(Mon)]
6月10日(月)

9:00 第5回西アジア北アフリカ地域フォーラム(WANAフォーラム)開会式

5. ハッサン王子スピーチ.jpg
ハッサン王子 スピーチ

4. WANAフォーラム会場の様子@.jpg
フォーラム会場

WANA笹川スピーチ3.jpg
筆者 スピーチ


11:00〜11:30 メディア・インタビュー(2社:The Jordan Times、Petra)

メディア・インタビュー.jpg
メディア・インタビュー


12:00 昼食

13:00 ホテル出発 ヨルダン大学に移動

13:30 ヨルダン大学着

13:50 エフリーフ・タラーウネ ヨルダン大学学長
    SYLFFフェロー:リマ・バニ・ドゥーミ女史、ワファー・アッタヤット女史

エフリーフ・タラーウネ ヨルダン大学学長1.jpg
エフリーフ・タラーウネ学長

SYLFFフェローリマ・バニ・ドゥーミ、(左)、ワファー・アッタヤット女史(右).jpg
SYLFFフェロー:リマ・バニ・ドゥーミ女史(左)、ワファー・アッタヤット女史(右)


14:25 ヨルダン大学出発

14:55 ヨルダン人権委員会委員長 ムーサ・ブライザット氏
     (前国内人権機関国際調整委員会(ICC)議長)

ヨルダン人権委員会委員長 ムーサ・ブライザット氏.jpg
ムーサ・ブライザット氏


15:40 ホテル着

19:30 ホテル発

20:00 ハッサン王子主催・WANAフォーラム夕食会

ハッサン王子主催晩餐会1.jpg
ハッサン王子とテーブルを囲んで

ハッサン王子主催晩餐会2.jpg
夕食会風景


23:00 ホテル着
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「福島原発事故とチェルノブイリ原発事故の比較」―科学者の良心とは― [2013年06月10日(Mon)]
「福島原発事故とチェルノブイリ原発事故の比較」
―科学者の良心とは―


東日本大震災による福島原発事故は、被害地域は勿論のこと、日本そして世界中の人々に不安を与え、日本への観光客は激減。農産物は風評被害により長く輸入禁止とした国々も多くあった。

私はゴルバチョフ元ソ連邦大統領の依頼により、10年間、チェルノブイリの放射線被曝の可能性のある当時0才〜10才の子供を中心に、当時の金額で約40億円の巨費を投じ、甲状腺の世界的権威者であった長瀧重信先生の指導のもと、最新鋭の診察医療機器を製造の上、厳格に科学的な調査を実施した。

写真1.jpg
1991年4月26日、ソ連(当時)最大の輸送機「アントノフ」で
特別仕様のバス5台に最新医療機械と医薬品を満載してチェルノブイリの地に

写真2.jpg
引き渡し式(ソ連科学アカデミー副総裁 Y. ヴェリホフ博士)

写真3.jpg
終了後、ライサ夫人(ゴルバチョフ大統領夫人)と歓談


調査は長崎大学医学部の山下俊一教授を中心に、ロシア、ウクライナ、その他の国の科学者を動員し、診察結果を分析・解析した詳細なデータを英語、日本語、ロシアで作成。国際原子力委員会をはじめ各国の主要機関に送付し、高い評価を受けた。しかし、残念ながら福島原発事故後に、日本の科学者や報道機関がこの報告書を財団に要求することはなかった。

このような経験から、福島原発事故発生直後、専門家を自認する一部の科学者やそれに連動して放射線の人体への影響を煽るヒステリックな報道が、これでもかこれでもかと連日のように大きく報道して人々を恐怖に落し入れたのには、大きな違和感を禁じ得なかった。

チェルノブイリで10年間に亘り実践活動を経験した山下教授は、日本が誇る第一級の放射線医学専門家である。東日本大震災後は福島医科大学副学長に就任し、チェルノブイリの現地体験に基づく専門的知見と、WHO(世界保健機関)に奉職され、国際的な放射線医学専門家のネットワークを駆使して被害者救済に無私の活動を開始した。しかし、山下教授に対する嵐のような科学的根拠のない批判、中傷は、異様な集団ヒステリーと化していた。

しかし、罵詈・雑言の批判の中でも孤独に耐え、科学的知見に基づく信念は微動だにしなかった。
「先生!!頑張って下さいよ。先生の科学者としての良心は、いずれ必ず理解されることになるでしょうから」
「笹川さん、私は大丈夫です。心配しないで下さい。批判中傷には慣れていますから」
とはいうものの、超多忙の先生の顔は疲労困憊の域に達していた。

そんな中、私が「早急に世界の放射線専門家を結集し、日本で国際会議を開催しましょう」と提案したところ、「お願いします。福島の人々を少しでも安心させたいので福島県で開催してほしい」と即答され、日本財団と姉妹財団である笹川記念保健協力財団との共催で、大車輪での準備が始まった。

通常、国際会議は遅くとも一年前から準備するものであるが、約2ヶ月という超短期間の準備で事故から6ヶ月後の9月11日、世界の放射線権威者32名が福島県に駆け付けてくれた。この件については2011年10月3日5日7日、12月28日のその1その2その3その4のブログをご覧下さい。

不安におののく住民に正しい情報を伝えてほしいとの願いから、時差と会議で疲労困憊の中、参加科学者全員32名による無制限の記者会見は、3時間半を越えた。その後、不安を煽る報道は減少したものの、「女性に一人、甲状腺がんが発見された」と大々的に報道されたこともあった。

09.12 記者会見.jpg
記者会見は時間無制限で行われ、3時間半を超えた


チェルノブイリのニュースでは、事故後6ヶ月にして早くも6本足の奇形の牛が生まれたとの写真入りのセンセーショナルな報道もあったので、このような報道に驚きもしなかったが、地球は常に宇宙からの放射能を浴びており、南インドのケララ州では年間20ミリシーベルトの放射線を浴びている。福島で年間1ミリシーベルト以下にする除染作業は現実的に不可能であり、何ら科学的根拠はないとの主張も無視されたが、最近、ようやくこの決定に対する異論の記事も散見するようになった。

チェルノブイリでは、5年間もの間、被曝した食料や牧草の管理が行われておらず、牧草を食べた乳牛からの内部被曝もあったが、福島では被曝した食料の処分は完璧であったと、世界の一流放射線専門家が驚きの声を上げていた。

5月28日付読売新聞は、原子放射線の影響に関する国連科学委員会によると、福島県民の甲状腺の最大被曝線量はチェルノブイリの1/60以下で、現在の調査で見つかっている甲状腺がんの患者数は被曝とは無関係に発生する割合だと報告書に記載されており、「被曝線量は低く、福島はチェルノブイリではない」と報告しているという。

これは各国の放射線医学の専門家約90人が参加して評価したそうだ。多分、この報告書作成には、超多忙の中、福島に来てくださったほとんどの放射線専門家が参加しているはずである。冷静に判断できるまでには約3年の月日が必要だった。被災者を不安に煽ることに熱心な報道に、残念ながら、我々のような少数意見は非力であった。

ひとつだけ時効だから明らかにするが、当時は福島原発の事故現場は厳重立入り禁止であったが、世界の放射線学者に正確な情報を提供して世界に発信してもらいたいとの一念から、当時の細野剛志大臣にお願いし、極秘を条件に園田康博代議士(当時)が懇切丁寧に案内して下さった。参加者から、日本政府の対応に多大の感謝の意が表せられたことを明らかにしておきたい。

京都大学名誉教授の丹羽大貫先生は、事件後福島に入り、自炊しながら今日も町や村を訪ね、少人数のグループに放射線と健康について理解を得られるように地道な活動を続けておられる。

科学者、あるいはその道の専門家とはどのような人なのか。科学的知見もなく、突如専門家のごとくテレビや新聞を賑わせ、人々に恐怖や不安を掻き立てる人のことなのか。科学者は常に社会とのつながりを持ち、科学が人間社会の質的向上のために存在する以上、社会から隔絶された世界だけの研究であってはならないのではないか。

いみじくも9月11日の放射線科学者の国際会議での結論の一つが「我々は放射線についての専門知識を易しい言葉で人々に伝える技術をもっていなかったことである」との率直な反省は、科学者の良心として、私は高く評価したい。

良心ある科学者とは、無知蒙昧(むちもうまい)な専門家と称するヒステリックな報道の嵐の中でも世間の評判や批判に耐える強い意志力、そして、優れた科学的知見は当然として、幅広い知識に基づく慈愛あふれる人間性と高い道徳、倫理観を持った人間ではないだろうか。

今回の不幸な事故により、科学者とは何かを考えさせられ、山下俊一教授と丹羽大貫名誉教授にその答えを教えられた。
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6月8日(土)、6月9日(日) [2013年06月09日(Sun)]
6月8日(土)

22:00 成田発



6月9日(日)

3:50 ドバイ着

7:25 ドバイ発

9:30 アンマン着

12:00 ホテル着

18:00 スピーチ打合せ

19:00 関係者との夕食会
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6月7日(金) [2013年06月07日(Fri)]
6月7日(金)

13:50 財団着

14:00 森 祐次 日本財団国際グループ長

14:40 胡 一平 笹川日中友好基金主任研究員
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「ヨルダン出張」 [2013年06月07日(Fri)]
「ヨルダン出張」


明日(6月8日)〜13日まで、ヨルダンのハッサン王子と日本財団が共催する「北アフリカ・西アジア・フォーラム」に出席します。

このフォーラムは、モロッコからアフガニスタン、パキスタンまでの、主にイスラム国の共通課題をテーマに民間レベルで討議する国際会議で、今回は5回目で、テーマは「uprooted」(強制的に退去させられた人々)です。

会議の合間に、シリヤからヨルダンに流れ込む難民キャンプの視察。可能ならば、パレスチナからイスラエルの首都エルサレムに入り、ペレス大統領と面談予定です。

二日半の滞在ですが、精力的に活動して参ります。
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「朴槿恵大統領の訪米」―その成果― [2013年06月07日(Fri)]
「朴槿恵大統領の訪米」
―その成果―


竹島や従軍慰安婦問題で兎角ぎくしゃくする日韓関係。韓国の李明博前大統領の竹島上陸以来、急速に両国関係は悪化しており、今年は伝統ある両国の議員交流も中止になった。

私は海外滞在中で、朴大統領の訪米が日本でどのように報道されたかはよく知らないが、随行の報道官のセクハラ辞任問題が報道されたことはだけは知っている。

日本人は、アメリカ大統領は絶大な権限を持っていると理解しており、ある意味その通りではある。しかし、かってハベル元チェコ大統領と私との共催で17年間、プラハで開催した『フォーラム2000』と題する国際会議にヒラリー・クリントン(当時は大統領夫人)が出席し、参加者の質問に答えて曰く「皆さんはアメリカの大統領には絶大な権限があると思われているが、そうではありません。いつも議会という難しい存在に悩まされているのです」と語ったことがあった。日本の政治家は、常にホワイトハウス、国務省を中心に物事を判断、評価しがちであるが、どっこい、アメリカ議会は大きな権限を持っているのである。

議会対策というと、第二次世界大戦における欧州戦線で大活躍して負傷した英雄であり、日系二世としてアメリカで絶大な信頼を受けていたダニエル・イノウエ上院議員を唯一の頼りにしていたといっても過言ではない。私もお世話になったが、その彼も逝去された。

アメリカでは『ロビーイング』といって、専門家に金を払って議員を説得することは合法である。残念ながら日本はこの『ロビーイング』は皆無であるが、中国、韓国のアメリカ議会工作は猛烈に積極的で、例えば、従軍慰安婦問題を一つ例にとると、圧倒的に韓国の意見が反映され、あのヒラリー・クリントン国務長官までも従軍慰安婦を『性奴隷』と発言しており、このままだとアメリカの各都市には、韓国の日本大使館前に設置された『従軍慰安婦像』が次々に設置されることになる。

th[2].jpg
韓国の日本大使館前に設置される『従軍慰安婦像』


日本国内でいくら異論を唱えてみても国際的にはあまり影響力はない。日本はホワイトハウスだけではなく、積極的にアメリカの議会工作を展開しない限り、中国、韓国の日本に対する歴史認識が正当化されてしまう危険性があるというより、残念ながら、ほぼ正当化されていると言った方が正しいかも知れない。

読者の皆さんは驚かれるかも知れないが、日本の安全は日米安全保障条約によって担保されていることになっている。このように緊密な日米関係でありながら、私の知る限り、日本の首相がアメリカ議会で演説したという事実はない。ところが韓国の大統領は、5〜6人がその栄誉に浴している。

朴槿恵大統領の今回の訪米でも実現している。ホワイトハウスでの二人の写真は、全てを物語っているのではないだろうか。朴大統領に対し、オバマ大統領が身を乗り出すようにして話し込んでいる写真は、まさに「一枚の写真は10万語に優る」。親密な信頼関係を表現した写真であった。

オバマオバマ大統領と朴大統領1.jpg

オバマオバマ大統領と朴大統領2.jpg


朴槿恵大統領は5ヶ国語(英語、日本語、フランス語、スペイン語、中国語)をマスターしており、今回のアメリカ訪問では流暢な英語が好評であった。次回の中国訪問では中国語でスピーチするのではないかと噂されている。しかし、今日の日韓関係は最悪の状態で、韓国メディアは毎日、朝から晩まで反日キャンペーンで喧しい。大統領は日本語も上手であるが、現下の状況では一切口にできない。

朴大統領が27〜28歳の頃だったろうか。私の事務所で昼食を共にしたことがある。いつの日か、日本語を話される日が訪れる事を願うばかりである。

以下、演説の要旨である。

****************


●韓国の国民を代表しアメリカの退役軍人の皆さんへ深い感謝を述べたい。
この議会にも朝鮮戦争に従軍した4人の現職議員がいらっしゃる(演説では名前を挙げた)が、韓国は皆さんに御礼を申し上げる。
その後の韓国の発展は、韓国人の努力の賜物だが、韓国の友達、特にアメリカの支援なくしてはあり得なかった。朝鮮戦争に始まり3代にわたって韓国の安全保障に貢献したモーガン家(家族が会場に招かれていた)、そしてアメリカ人の友情へ韓国国民は深い感謝の念を抱いている。

●核兵器・原子力
オバマ大統領のヴィジョンである核兵器のない世界は朝鮮半島から始まらなければならない。
韓国は核拡散防止の原則に深くコミットしている。原子力発電に関しては、米国とパートナーシップを組んで第三国に発電所を建設している。また現存の米韓原子力協定を近代的、相互利益がある新協定へ改定しなくてはならない。

●米韓自由貿易協定(FTA)
昨年3月に施行された同協定で米韓同盟は包括的な戦略同盟に近づいた。
米議会が韓国人プロフェッショナルへのビザの割り当てを増やせば、米韓経済に恩恵をもたらすし、多くの職を生むことになる。議会の皆さんの支援をお願いする。
FTAは北米と東アジアを結び付け、共通のアジア太平洋市場を築く土台となる。またFTAはアメリカのアジア回帰政策を支えている。

●将来への構想
過去60年の秀でた実績の上に、米韓は朝鮮半島の平和、北東アジアにおける協力関係そして世界の繁栄という未来へ向けた道を共に歩むが、それを導くのは3つのヴィジョンである。
1)朝鮮半島における永続的な平和、そして将来における統一のための基盤を築く。

韓国は北朝鮮の脅しに対し断固として、しかし冷静に対応している。アメリカ他のパートナー国との協力体制を強化しており、韓国の経済や金融市場は安定している。

韓国政府は、北朝鮮の挑戦に十分対応する力がある。韓国は強固な同盟関係の後ろ盾がある。いかなる北朝鮮の挑発も成功することはない。

韓国は朝鮮半島における信頼構築プロセスを進めてゆく。韓国は北朝鮮が核兵器を持つことを受け入れないが、それと北朝鮮国民に対する人道支援は結び付けない。人的交流や協力を通し徐々に信頼関係を築き、耐久的な平和といずれは南北統一を目指す。

北朝鮮は、核兵器開発と経済成長という二つの目標を同時に達成しようとしているが、それは無理である。

60年前に非武装中立地帯が設置されたが、今日DMZは世界でも最も武装された地帯である。私はここに国際公園を造ることを提案する。

2)二つ目の要因は、朝鮮半島を超えて北東アジア全域に平和と協力の仕組みを作ることである。

地域の経済はますます重要になり、一層結びつきが強くなっている。しかし歴史に根差した確執はますます深くなっている。過去に目をつぶる者は未来を見ることはできないと言われる。これは今現在の問題である。しかし、更に大きな問題は未来である。過去に何が起きたかを正直に認められなければ、明日はあり得ない。

北東アジアでは経済面の相互依存が深まっているのに、政治や安全保障分野での協力が遅れているのを是正するために「北東アジアでの平和と協力構想」を提案する。アメリカと北東アジア諸国は、環境問題、災難救助、原子力の安全管理、テロ対策などからはじめ、信頼を築いていける。構想は、米韓同盟にしっかりと根差すものであり、またオバマ大統領のアジア太平洋地域へのリバランス政策を強化する。北朝鮮を招いてもよい。

3)三つ目の段階は朝鮮半島、北東アジアを超え世界へ広がるものである。

幸せを目指すことは、アメリカの独立宣言にも書かれているが、米韓同盟はより幸せな世界を目指すべきと考えている。共に平和と自由を切り開いて行く。この精神に基づきテロや核拡散防止、国際金融危機などグローバルな問題へと協力分野を広げている。共に自由、人権、法による統治といった普遍的価値を広めてゆく。

朝鮮戦争以来、我々の同盟は北からの脅威や挑発に対応することが中心であった。しかし、今後は平和で幸福、そして統一された朝鮮を目指さなくてはならない。

オバマ大統領は(企業家精神を支援する)スタートアップ・アメリカ・イニシアティブを描いた。創造的な経済をめざす私の戦略をもって、両国が一緒になって若者の創造力、情熱、そしてやる気をより明るい未来へと導くことができる。共により豊かで安全、幸福な未来を目指す。過去60年の間に自由、平和、未来と希望の賛歌はずっと響き渡っていた、そして今後も鳴り響き続ける。

****************


以上の内容の演説は、非常に好意的、熱狂的に受け止められた。聞き取りやすい流暢な英語で行われ、39回も拍手を受けている。演説後サインを求める議員もいたほどである。

演説はアメリカへの感謝を表し、自国の努力と実績をのべ、米韓同盟の実績と未来を描き二国間の協調を印象付け、韓国との関係が米国にも利益をもたらすことを強調し、アメリカ人の心をとらえている。朝鮮戦争で戦った議員に名指しで感謝し、3代に渡って韓国の安全保障に貢献した軍人一家を会場に招待するなどは、いわば大統領の一般教書演説のフォーマットであるが、間違いなく議会や国民にうける。

朴大統領の訪米目的は、オバマ大統領と信頼関係を築くこと、北朝鮮政策の支持を得ること、そしてアメリカからみた韓国の同盟国としての価値を高めることであったが、特に最初の二つの目的は成功したといえる。また三つ目に関しては、朴大統領が掲げた構想はこれからの展開次第だが、議会での熱狂的な歓迎をみても、朴大統領が好印象を残したこと、また経済や文化の面で韓国の存在がアメリカで大きくなっているのは間違いない。FTAの成果を述べ、韓国というと北朝鮮というイメージを変え、アメリカにとっての韓国の経済的価値も強調している。

訪米成功の最大の要因は、朴大統領とオバマ大統領が気が合ったことである。オバマ氏は”No drama Obama”といわれるように、おもしろくないほど冷静であるが、朴大統領も非常に落ち着いた、静寂さを感じさせる。大統領就任直後から北朝鮮の脅しが続いていることを考えると、その静かな自信は、非常に印象的であった。オバマ大統領は朴大統領の物事の核心に集中する力、自制心、そして率直さに非常に感銘を受けたと言われる。

北朝鮮に対してもタフではあるが、浅はかな行動はとらないという安心感を与えた。李前大統領とオバマ氏は非常に密接な信頼関係を築いたが、対北朝鮮でも「戦略的根気」政策を共有した。朴大統領は北からの攻撃には反撃するとはっきり述べる一方で、北朝鮮が誠実さを示せば手を差し伸べることも明らかにしている。この信頼構築政策にオバマ氏の支持を得た。

いわば「日本問題」が、オバマ・朴会談で取り上げられたのは、日本でも報道されているが、この演説でも日本という言葉はなかったものの、過去を認めなければ明日はない、という部分は明らかに日本を指しており、日本の姿勢が日韓や日米韓関係を悪くするだけでなく、より広い北東アジア全体の平和と協調構想の妨げになっていると示唆している。ホワイトハウスや議会の同情はあきらかに韓国にあり、今後日米韓の北朝鮮対策協議などが進まない場合、日本の責任が問われる恐れがある。

****************


以上、NPO法人岡崎研究所の情報分析から加瀬みきAEI客員研究員の報告を参考にさせて頂いた。
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6月6日(木) [2013年06月06日(Thu)]
6月6日(木)

7:40 財団着

10:30 橋邦夫 在ネパール大使

11:00 Dr. Alan Hurwitz ギャロデット大学学長

ギャローデット学長.jpg
Dr. Alan Hurwitz学長
プレゼントされたギャロデット大学野球チームのユニフォーム、サインボール、帽子を頭に・・・
ギャロデット大学では新しく野球場が整備され
ろう者の元メジャーリーグ選手がコーチを務めているという


11:30 ギャロデット大学ろう者の奨学生と卒業生11人

ギャローデット学生と.jpg


13:00 宮川眞喜雄 外務省中東アフリカ局長

14:00 ジョン・V・ルース 駐日米国大使

16:00 作家 高山文彦氏
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6月5日(水) [2013年06月05日(Wed)]
6月5日(水)

7:40 財団着

9:00 ヨルダン出張打合せ

10:00 夏季賞与・訓辞

11:00 WANAフォフーラム・スピーチ打合せ

13:00 鷲頭 誠 運輸政策研究機構・国際問題研究所所長

14:00 トムセン デンマーク公使参事官

15:00 小林喜光 三菱ケミカルホールディングス代表取締役社長

15:40 武部恭枝 プライムコーポレーション社長
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「国際会議の出席者はたった11人」 [2013年06月05日(Wed)]
「国際会議の出席者はたった11人」


各国には政府から独立した国内人権委員会がある。しかし、日本は国連人権理事会から再三の勧告を受けながら、いまだ設立されていない。

5月6日、その各国人権委員会の総会が、国際調整委員会の名のもと、ジュネーブの欧州国連本部の会議場で開催された。

私は毎年1月、ハンセン病の制圧と患者・回復者とその家族へのスティグマ(汚名)と差別撤廃の世界宣言を発表している。今年は各国の法律家団体の協力でロンドンから発表した。第9回となる来年の世界宣言は各国の人権委員会の協力で発表したいと、会長のヨルダン人であるムーサ・ブライザット博士に相談したところ、今回の各国人権委員会のサイドイベントとして「ハンセン病の実態」を啓蒙する機会を作れば出席者の参同を得やすいとの助言を得た。

ハンセン病担当の日本財団職員は、ビデオ、ポスター作製などの他、アメリカ、インドから回復者を招待し、入念な準備をしてくれた。

私が2003年に初めて国連人権委員会(当時、現在は理事会)においてサイドイベントを開催した時の参加者は10人程度で、内心がっかりしたことがあった。これらサイドイベントは、本会議終了直後の昼食の時間を活用するものなので、部屋の前にサンドウィッチを用意し、渡しながら出席への呼びかけをするのだが、食べ物だけ取って会場に入らない人も多くいた。今回も50人分を用意して全て配布は完了したが、会場に入ったのはわずかであった。

今回の会場は従来と異なり、350人程の席がある半円形の大型会場であった。壇上は議長のムーサ博士に私、田南常務理事、インドの回復者二人とアメリカの回復者、それに司会の日本財団・世古の8人である。会長のムーサ博士は参加者を集めに奔走してくれたが、集まりは悪く、広い会場にわずか11人の参加者で始まった。

議長が私たちを紹介した後、日本財団の小澤直を中心としたスピーチライターチームが1ヶ月以上にわたり検討を重ねて作成した原稿を読み上げた。時には出席者を見、人のいない左右にも顔を向け、たった11人の参加者とは思わず、満席の参加者を想像しながら丁寧に情熱を込めて演説した。インドの二人もアメリカの代表も切々と訴えた。彼等のスピーチの時の参加者はたった7名になっていた。

DSC_7109.JPG
閑散とした会場でも情熱を込めて・・・

DSC_7076.JPG
左側がムーサ会長


閉会時、タンザニアとケニアの代表(共に女性)が演壇に駆け寄ってきて「ハンセン病の差別はひどいわ。私が結婚すると時、夫になる人は医者なのに、家族や親族にハンセン病患者がいないかどうか大騒ぎしたのよ。今日の話は感動的でした。私たちはこれから始まる総会で緊急動議を出し、笹川さんに5分間のスピーチを特別にお願しましょう。そして、総会では笹川さんの来年度の世界宣言に参加することを決議しましょう」と約束してくれた。

参加資格のない私の異例なスピーチと議長の采配で、総会冒頭の10分間で、満場一致で来年の「ハンセン病患者・回復者とその家族へのスティグマ(汚名)と差別撤廃」の世界宣言の緊急動議は可決された。

アメリカ、インドの回復者に「わざわざ遠路参加してくれたのに、聴衆が少なくてごめんね」と言ったところ、「いやいや、国際会議場でスピーチできるなんて光栄でした」と、逆に私を慰めてくれた。

長い時間準備してくれた世古をはじめ、スタッフに感謝したい。結果良ければすべて良し。如何に目的が良くても結果が悪ければ話にならない。私のモットーであるあふれる情熱、どんな困難にも耐える忍耐力、成果が出るまで頑張り通す継続性がまた一つ小さな実を結んだ。

以上の話には古い思い出がある。
今から40年ほど前のことである。山形県出身の伊藤五郎氏は、貧困の中、刻苦勉励大いに努力して中央大学の夜学から弁護士になり、参議院選挙に立候補した。ある豪雪の日、演説会場に到着してみると、他の立候補者は欠席で、集まった聴衆も3〜4人だけであった。彼はこの村人たちに約40分間、所信を熱弁で語ったそうである。新聞がこのエピソードを取り上げ話題となって当選したと、当人から直接聞いたことがあった。

大会議場の11人の参加者を前に、私はこの話を思い出しながら、熱弁とは言わないまでも、感情を込めて切々と話したつもりであった。

色々な経験の積み重ねと、職員の手抜きのない真面目な努力が功を奏したことになった。

以下、スピーチ要旨

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ハンセン病は、太古の時代から不治の病として人々に恐れられ、激しい差別と排除の歴史を作りだしてきた病気です。有効な治療法が開発され、治る病気となり、患者を強制的に隔離する法律がなくなった今でも、一度ハンセン病という「社会的烙印(stigma)」を押された人々に対する差別は深く根を下ろしたまま消えることはありませんでした。

世界には、今も、多くのハンセン病患者・回復者が故郷や家族のもとに帰ることができず、人里離れた療養所やハンセン病患者・回復者だけで構成された定着村に暮らしています。彼らは他の人々と同じように自分の力で生きたいという意欲や能力も持っています。しかし、彼らの多くは、学校に通い、友達をつくり、仕事をし、結婚をして家族をつくるという人として当たり前の社会生活を送ることができずにいるのです。

また、これは回復者本人にとどまりません。回復者の子どもたちまでもが、就学や就職、結婚という場面において、世代を超えた差別から抜け出せずにいます。このように、ハンセン病という「社会的烙印(stigma)」を押された人々やその家族が社会に生きる上で最も基本的な人権を奪われ続けているのです。

私はハンセン病を取り巻く問題を広く国際社会に人権問題として捉えてもらうために、2003年にジュネーブの国連人権高等弁務官事務所への働きかけを開始しました。それから7年間の歳月を経て、各国政府、NGO、回復者組織など様々な関係者の協力のおかげで、2010年12月、国連総会で「ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃決議」およびその原則とガイドラインが全会一致で可決されました。

この国連決議の採択により、世界中の患者・回復者をこれまで長い間苦しめてきた差別という厚い壁に風穴を空けることができました。しかし、この決議によって差別や偏見が自動的になくなるわけではありません。しかし、もし私たちがこの原則とガイドライン(P&G)を有効に使って行動すれば、差別の壁への風穴を開けるための強力なツールとなるでしょう。

本日世界中からお集まりの国内人権機関の代表である皆さまにおかれましては、国内の人権推進と保護のために、日々、ご尽力をされていることと存じます。本日、私はこの場をお借りして、日頃から人権問題に高い意識をお持ちの皆さま方のお力をハンセン病と人権の問題にお貸しいただくことを訴えたいと思います。

私は、2006年より、ハンセン病を取り巻く差別の撤廃を世界に訴えるために、グローバル・アピールを実施してきました。これは、ハンセン病患者・回復者の声を広く世の中に伝え、彼らの生き方に尊厳を取り戻すための啓発活動です。これまでに、ノーベル平和賞受賞者、政治、宗教、ビジネス、教育、医療、法律といった分野の世界中のリーダーとともに、差別撤廃を求めるメッセージを世界各国に発信してきました。

来年1月、第9回目となるグローバル・アピールでは、ぜひ各国の国内人権機関の皆さまのお力をお借りしたいと心より願っております。皆さまがアピールに賛同され、ハンセン病患者・回復者と共に闘うと意志を表明してくだされば、彼らにとっても非常に心強いことでしょうし、彼らの人権擁護、尊厳の回復に向けて大きな力となります。

さらに、各国の国内人権機関の皆さまには、自国において、ハンセン病患者・回復者の人権問題にも常に注意を払い、国連総会で採択されたハンセン病に関わる原則とガイドライン(P&G)が、現実の社会にきちんと反映されているか、実践されているかを検証し、もし、そうでない状況を目にした場合は、声をあげて現状の改善を進めていただきたいと考えております。

人々の心に深く根付いた差別の意識が簡単になくなることはありません。

これは、あるハンセン病回復者の言葉です。
「ハンセン病療養所の壁はたった20cmの厚さですが、それは私と全世界とを隔てる壁なのです。」

見えない壁を壊すことは簡単なことではありません。しかし、私たち一人ひとりがハンセン病患者・回復者たちの声にならない叫びに耳を傾けることで、この壁に少しずつ風穴を開けることができると私は信じています。皆さまとともに、社会の一人ひとりに呼びかけ、ハンセン病患者・回復者に対する差別のない世界をつくることを、第9回目のグローバル・アピールを通じて、世界に向けて発信できることを切に願っております。
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