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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

東北地方太平洋沖地震応援基金
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7月15日(火) [2014年07月15日(Tue)]
7月15日(火)

7:32 財団着

9:50 枡野龍二 国土交通省顧問

10:00 理事会

11:30 本田 勝 国土交通省事務次官

13:00 海洋船舶ビル建替え現場視察

15:00 デニス・ブレア 笹川平和財団USA会長

16:30 沼田幹夫 前ミャンマー大使

17:30 森 喜朗 元総理
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7月14日(月) [2014年07月14日(Mon)]
7月14日(月)

7:35 財団着

午前 書類整理、打合せ

13:00 上瀧和則 日本モーターボート選手会会長

13:30 Mr. Eric. R. Dawicki 世界海事大学理事

14:30 「二十歳基金」事業打合せ

15:00 吉田泰彦 経済産業省貿易経済協力局戦略輸出交渉官

15:30 山田滝雄 外務省南部アジア部部長

16:00 CVに関する打合せ

19:00 「日米安保研究会」レセプション
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「日中関係史1972−2012」出版 その1―中国 文章削除の異変― [2014年07月14日(Mon)]
「日中関係史1972−2012」出版 その1
―中国 文章削除の異変―


笹川日中友好基金在任中(現在は顧問)には、日本自衛隊と中国人民解放軍との10年間にわたる交流をはじめ、両国の相互理解のための多種多様な事業を実施してきた。

その一つに、地味な仕事ではあるが、1972年の日中国交正常化から今日までの日中関係を整理・分析し、日中関係の全体像の変遷を両国民に提示することを目的として、2009年から日中関係40年史の研究事業を実施してきた。その研究成果を『日中関係史1972−2012』T政治、U経済、V社会・文化、W民間の4巻書籍としてとりまとめ、東京大学出版会から刊行した。

日中関係史日本語版.jpg
日本語版

中国語版.jpg
中国語版


現在の日中関係は、国交正常化以来最も厳しい状況にある。関係悪化の原因は何か、緊張の緩和と日中の対立を解消するためにどうすべきなのか。両国の政治家や国民が日中関係40年の歴史をもう一度冷静に考察する機会が必要であり、事業の成果を日中両国民で共有することを目指して、この度、』全4巻の中国語版が、中国の社会科学文献出版社の尽力により出版された。

出版にあたっては、双方が正確な翻訳を実施することが条件であった。しかし、中国側の社会科学文献出版社の懸命な努力にも関わらず、『政治編』のうち天安門事件と尖閣国有化前後の日中関係を扱った8章と15章が、中国側の事情で初版に掲載できないトラブルが発生し、画龍点晴を欠くことになった。

それでも双方の筆者並びに編者の努力は多とするもので、2つの章を削除したうえでの出版について日本側が提示した条件のうち、巻頭における出版社側の説明、目録における削除した章と著者の表示、日本側編者代表による追記のなかでの言及の3条件を満たしてくれた。いずれ補遺されることですが、どのようにすべきか考慮中とのことです。

削除した文章を当ブログで掲載しようと思いましたが、8章「第二次天安門事件(1989年〜1991年)三宅康之は29ページ、15章「戦略的互恵関係の模索と東シナ海問題(2006年〜2008年)阿南友亮は42ページもあり、断念しました。

ご興味のある方は『日中関係史1972−2012』の政治編
高原明生・服部龍二編、東京大学出版会、3800円を入手してください。
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7月12日(土)、13日(日) [2014年07月13日(Sun)]
7月12日(土)

1:10 ウガンダ発

7:45 ロンドン着

11:30 ロンドン発



7月13日(日)

7:20 羽田着

8:30 自宅着

19:00 「日米安保研究会」歓迎夕食会 挨拶
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7月11日(金) [2014年07月11日(Fri)]
7月11日(金)

7:00 朝食

8:00 笹川アフリカ協会の新しい理事アミット氏

8:30 World Food Prize財団のケネス・クィン会長

9:00 ボーローグ・レガシー シンポジウム

@農業祭授賞式.jpg
農業祭授賞式


A授賞式に出席してくださったアリ第二副大統領.jpg
授賞式に出席してくださったアリ第二副首相


C関係者との記念写真.jpg
関係者と記念写真


14:00 関係者との昼食

15:45 エンテベに向けて出発

19:45 エンテヘのホテル到着(車移動4時間)

Dホテルのロビーで一眠り.jpg
ホテルのロビーで一眠り


22:30 ホテル発

23:00 空港着
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「ハンセン病制圧活動記」その21―ダライ・ラマ法王とともに ハンセン病回復者を激励― [2014年07月11日(Fri)]
「ハンセン病制圧活動記」その21
―ダライ・ラマ法王とともに ハンセン病回復者を激励―


多摩全生園機関誌『多摩』
2014年7月号


3月18日から21日の3泊4日でインドのニューデリーを訪問した。1984年の初訪問から改めて数えてみると、今回は記念すべき50回目の訪問であった。世界で最も多くのハンセン病患者、回復者が暮らすインド。多い時は1年間で7回通った時もあり、まさに私にとっては第2の故郷である。ちょうど到着の前日がホーリー祭というヒンドゥー教のお祭りにあたり、春の訪れを祝い豊作を祈るとともに、水や色粉をかけあって無礼講の大騒ぎになるとのこと。その名残であろう、道行く人々の衣服や道路の端々にも赤や黄色の染みが目立った。

3月19日は、ニューデリーの南にあるササカワ・インド・ハンセン病財団(SILF)の理事会に出席。インド国内に850ヵ所あるハンセン病コロニーから物乞いをなくそうと2006年に設立し、ヴィニータ・シャンカー事務局長の指導のもと、14人の少数精鋭のスタッフで広大な全インドを対象に活動している。根幹事業であるハンセン病回復者の経済的自立支援事業は、現在インド国内17州で154の事業を展開。刺繍を施したサリーの販売や、電池レンタル業など、各コロニーの特性を生かしたビジネスを立ち上げ、成功例が多く生まれている。成功の裏にはプロジェクト成立前のトレーニングとなかなか進まない難しいケースへの特別対策、そしてプロジェクト成立後のフォローをSILFのスタッフがきめ細かく行っていることも忘れてはならない。また、時を経るにしたがい、プロジェクトの受給者側からも指導者が生まれてきており、今後のさらなる展開が楽しみである。しかしそれ以上に評価できるのは、失敗してしまった事例について、記録を公にし、そこから次への教訓を得ようとする姿勢である。このようなノウハウが着実に蓄積される仕組みの存在はSILFの強みである。

近年はハンセン病回復者の子どもたちを対象とした教育事業にも力を入れており、国家技能開発公社と連携して実施する一般企業への就職を目的とした職業訓練機会の提供、インド・ステート銀行やサー・ドラブジ・タタ財団の協賛を受けて実施する看護師養成のための奨学金事業も広がりをみせてきた。また、社会一般からハンセン病回復者に対する差別を拭い去るための啓発事業も、国内人権委員会、国会議員といった幅広いパートナーの協力を得ながら展開している。

SILFの理事会終了後は、障害当事者団体DPI(障害者インターナショナル)の代表であるジャヴェッド・アビディ氏と面談。障害者運動の中にハンセン病回復者をどう巻き込んでいくかについて意見を交わした。インドには、アビディ氏をはじめ、障害者の権利を主張し、政府と交渉を重ねて社会参画を実現していった有力な障害当事者の活動家が多数存在する。彼らの闘い方や経験からハンセン病回復者たちが学ぶことは多いだろう。アビディ氏は、多忙なスケジュールを縫って翌日のハンセン病回復者州リーダー会議にも顔を出してくれた。

回復者州リーダー会議に出席してくださったアビディス氏(右はじ).JPG
回復者州リーダー会議に出席してくださったアビディス氏(右端)


翌20日は、世界的な精神的指導者であられるダライ・ラマ法王をお迎えし、ともにデリーのハンセン病コロニーを訪ねた。ことのきっかけは、2012年の8月に遡る。インドの北部、ヒマラヤ山脈の麓に位置するダラムサラの事務所に法王を訪ね、インドにおけるハンセン病の差別との闘いについてお話し、ぜひ一度ハンセン病コロニーに法王をご案内したいと持ちかけたところ、「社会の態度を変えなければ差別はなくならない。ぜひ一緒に行きましょう」と約束してくださった。世界各国を回られ過密なスケジュールをこなされている法王のこと、日程調整に時間を要したが、デリーで1時間半なら時間を割いていただけるとのことで、今回の訪問が実現した。

 デリーの中心部から北に車で1時間ほど行ったタヒルプールという地区に、27のハンセン病コロニーが集っており、約4千人のハンセン病回復者と、その家族を含めた合計約1万人が暮らしている。今回はその中のひとつ、カストゥルバグラム・コロニーの中に特設ステージを設け、ダライ・ラマ法王をお迎えすることになった。法王の到着前に会場に着くと、普段は人通りの少ないであろうコロニーを、約500人の群衆が埋め尽くしていた。

多くの回復者が集まった.JPG
500人近くの人々で埋め尽くされた


大部分はタヒルプールのコロニー住人のハンセン病回復者とその家族たちだが、中にはインド国内20州から参集したハンセン病回復者協会(旧団体名ナショナル・フォーラム)の州リーダーたちの顔も見える。インド国内外からメディアも多数駆け付けた。予定時刻の朝9時半に到着された法王は、ステージに向かわず、真っ先に集まったハンセン病回復者たちの間を祝福して回った。

回復者の方に優しく接する法王.JPG
回復者にやさしく手を差しのべる法王


ステージに上がり子どもたちの歌と花束の歓迎を受けると、一人ひとりの顔に手を当ててじっくりと挨拶される。隣に座ったハンセン病回復者協会のナルサッパ会長の後遺症が残る手を握り、頬を寄せた。「ハンセン病は感染力が弱い、病気が完治した後は感染源になることはない、差別は不当である」と、何万回言葉でいうよりも、その共感と愛情に満ちた立ち振る舞いが何よりも説得力を持つ。私も挨拶に立ち、「100万語に勝る行動と笑顔で私たちに希望を与えてくださった。インドだけでなく、世界中のハンセン病の患者・回復者、そしてその家族に、希望と自信を与えてくださった」と心からのお礼を述べた。次にマイクを握ったナルサッパ会長は、「ハンセン病は遺伝でもなく、伝染力も弱く、危険な病気ではない。隔離の必要は全くない。私たちは社会の同等な一員なのだ」と力強く述べた。

 続いてハンセン病回復者からの差別の窮状を訴える声に耳を傾けられた後、マイクを手にした法王は集まった人々に向かい、「70億の人類はすべて同等で平等だ。誰もが幸せを願っている。人を見下すことはよくない。誰もが幸福を追求する権利をもつ。カーストにしろ、宗教的なものにせよ、社会的背景によるものにせよ、いかなる理由があっても差別することは罪である」と語られた。「あなた自身がまず、自信をもち、勇気をもつことに努力せねばならない」と集まったハンセン病回復者らを激励し、コロニーに100万ルピー(約170万円)の寄付をし、今後5年間にわたって支援を継続することを約束してくださった。法王がハンセン病回復者の手を握り祝福される姿は、メディアを通して世界中に発信された。これまでハンセン病の問題に関心がなかった人々が関心を持ち、この問題に共感を寄せてくださるきっかけとなったと確信している。

 広大なインドで、同じ組織に属しているといえども、各州のハンセン病回復者リーダーたちが顔を合わせる機会はそう多くない。せっかくこの機会にインドの東西南北各州から参集してくれたのだからと、場所を移動し、別のホテルにてハンセン病回復者の州リーダーたちとともに昼食をとった。各州におけるハンセン病特別年金の設置に向けた活動など、進展について報告を受けた。

 夕方は、インド政府保健省にロヴ・ヴェルマ保健次官を訪ねた。温厚な印象の氏は2014年2月に就任したばかりであったが、「ハンセン病の問題は重要な課題と認識している、保健省としてさらなるハンセン病の根絶のために協力を惜しまない」と協力を約束してくださった。

 今回は実質2日間のみの短い滞在であったが、毎年13万人を超える新規患者を報告しているこのインドにおいて、問題はむしろ地方に多く所在する。ダライ・ラマ法王の激励で勇気づけられたハンセン病回復者のリーダーたちとともに、これからインド各州を精力的に回り、まだ多く課題が残る医療面と社会的差別の闘いに手を緩めることなく取り組んでいく覚悟である。

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ダライ・ラマ法王と
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7月10日(木) [2014年07月10日(Thu)]
7月10日(木)

5:30 朝食

6:10 バードウォッチング(1羽も見られませんでしたが・・)
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バードウォッチングに挑戦しましたが、残念ながら、鳥は見えませんでした。

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久しぶりの再会となるベニンのソグロ元大統領

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セカンディ副大統領

9:30 ボーローグ・レガシー シンポジウム開会式 (スピーチ)
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開会式

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開会式でスピーチ


13:00 昼食

14:00 ボーローグ・レガシー シンポジウム
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シンポジウムでの子供たちのパフォーマンスには会場がに賑やかに 

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ボーローグ博士の娘さん(ジニー)とお孫さん(ジュリー)と子供たち


15:00 ナイル川の源流を視察
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ナイル川源流
 

16:30 ボーローグ・レガシー シンポジウム

18:00 ロイターテレビインタビュー
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ロイターの記者ワンジャ氏はケニアからこのシンポを取材に来てくださった

18:20 笹川アフリカ協会の歴史を執筆しているシャーナリストによるインタビュー

19:30 シンポジウム・公式レセプション
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7月9日(水) [2014年07月09日(Wed)]
7月9日(水)

6:00 朝食(ロビーにてバナナを1本)

8:00 ボーローグ・レガシー・シンポジウムの会場となるジンジャへ出発

9:30 ジンジャのホテル着

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シンポジウムの出席者で賑わうジンジャのホテル・ロビー


11:20 「笹川農業ディベート大会」出席

Aナイル川を背に.JPG
ナイル川を背に

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ボーローグ博士の娘さんとお孫さん

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ディベート大会で優勝したジンジャ・カレッジの生徒たちと

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農業祭、ダンスでお出迎え

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とうもろこし削りに挑戦!

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青年海外協力隊の若者が作った作物を手に

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農業祭に参加した子供たちと


13:15 関係者との昼食

14:10 農業祭出席

16:00 笹川アフリカ協会のサイト訪問

17:00 ホテル着

19:00 関係者との夕食
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「ちょっといい話」その45―宇宙からの便り?― [2014年07月09日(Wed)]
「ちょっといい話」その45
―宇宙からの便り?―


亡父・良一は、青年時代大空にあこがれ、将来飛行士になるべく当時有名だった西出清飛行士(後日墜落死)の門をたたくため家出までした。その後、岐阜県の各務原(かかみがはら)航空隊に入隊。事故のため傷痍軍人となり除隊。

昭和14年には自ら大阪府下に飛行場を建設。大東亜戦争が開始すると14機の飛行機と共に国家に献納した。

元気な頃、私に「近頃の若者は、外国製の自動車でデートするともてるそうだね。僕は昭和の初めに飛行機でデートしたもんだよ。当時は自動車すら珍しい時代だよ。怖がる芸者を乗せてちょっと飛行機を揺らすと“まあ!!先生怖い”と言ってしがみついてきたものだよ」と、往時を追懐するように語った後、「最近の若者はスケールが小さくなったね」と、私を一撃することも忘れなかった。

その後、ニクソン大統領当時、アメリカはアームストロング船長を中心に月面着陸に成功。宇宙時代到来とばかりに世界の人々は昂奮した。

亡父はニクソン大統領に「10億円(当時)出すから乗せてくれ」との書簡を出した。ニクソン大統領からは「早くあなたが月に行ける時代が来ることを私も期待している」との返事を頂戴したが、残念ながら紛失してしまった。

また、1987年には『月はお隣り、火星は遠い親戚』とのキャッチフレーズで、アメリカ宇宙局より『月の石』『月面車』『宇宙服』等々、多くの資料を借りてお台場で宇宙科学博覧会まで開催してしまった。

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入り口には長い行列

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博覧会場風景


以下の書簡はそのような背景のもと、私にヒューストン大学・笹川国際宇宙建築学センター、ラリー・ベル教授から届いた書簡です。

******************


親愛なる笹川陽平会長

お元気でお過ごしのことと思います。お目にかかり手紙のやり取りをして以来、長い間ご無沙汰いたしました。

30年近く前、我々は「官民の共同事業によって、宇宙の平和的・生産的利用を進める世界的な宇宙技術センター」とするため、笹川国際宇宙建築学センター(SICSA)を創設いたしました。SICSAの創設と業績は、お父上から贈られた300万ドルの恩恵によるものです。1987年5月12日にいただいた手紙の中で、お父上は空を飛ぶことに魅かれるお気持ちや、日本の子供たちの宇宙への関心を高めたいとの希望を語っておられました。

現在までに10か国を超える国々からの200名を超す学部生と50名を超す大学院生を教育し、数え切れないほどのデザインや解決案を生み出して宇宙産業に貢献してきました。卒業生の中には帰国して母国の国家宇宙プログラムに携わった者もいます。

しかし26年間SICSAを運営してきた私にとって、今こそ新たな指導者にその責務を譲る時です。ヒューストン大学工学部で航空宇宙工学プログラムを率いている元NASA宇宙飛行士ボニー J・ダンバー博士を新しいリーダーとして推薦するため、この手紙を差し上げました。ダンバー博士はヒューストン大学の正教授であり、NASAおよび航空宇宙産業で40年のキャリアがあります。スペースシャトルに5回搭乗した経験があり、若田光一・野口聡一・向井千秋ら日本人宇宙飛行士と共に働いてきました。

ご寄附により支援を受けたプログラムにおいて、将来的にきわめて重要で、かつ元ヒューストン大学学長Richard Van Hornと共に私が署名した合意書の条件とも合致する2つの提案を支持して下さるようご提案いたします。

1)基金(現在450万ドルを超す金融資産を有する)の運用管理をヒューストン大学工学部航空宇宙工学科に任せること。
2)当組織の名称を笹川国際航空宇宙工学・建築学センターに改称すること。

何よりも我々は、お父上の願いと意思に沿った責任を大切にしたいと考えております。1987年5月12日付の手紙の中でお父上は次のようにおっしゃいました。

「はじめに、宇宙技術開発に献身的に取り組む人々に心から敬意と感謝を表したいと思います。私は幼いころから空への強い興味と憧れを抱いており、17歳の時航空機パイロットの訓練を受けました。もちろん今でも私は宇宙に感動をおぼえます。

ご存じかもしれませんが、私はNASAの協力を得て1978〜79年に東京で宇宙科学博覧会を開催することが出来ました。この博覧会で日本の子供たちは宇宙に興味を持ってくれたのではないかと考えています。

宇宙の平和的有効利用の実現のためにヒューストン大学の笹川国際宇宙建築学センターに貢献できることは私の人生の喜びの一つです。

笹川国際宇宙建築学センターが宇宙開発の困難な最前線における国際協力推進と人類の進歩に貢献することを心から願っています。」

ディレクターとしての任期中、私もお父上の願いを実現するために努力してまいりました。国際的メディアでは、我々がいくつかの重要な成功を収めたことを示す多くの報道がなされ、記事となっています。こうした業績には数多くの革新的な宇宙・極環境居住コンセプト、技術研究報告書、教育プログラムへの多くの国々からの参加者・大学院生が関わっています。この短い手紙ではこれを裏付ける証拠を列記することはいたしませんが、ご希望の資料があれば喜んでお送りします。包括的な概略を知っていただくためには、我々の大規模なウェブサイトhttp://www.uh.edu/sicsa/をご覧ください。

多くの国際的混乱の事例を考えると、今日、平和的・有効的宇宙開発の推進のための国際協力はこれまでになく重要となってきています。この目的に向けてSICSAの我々は、ダンバー博士の航空宇宙工学プログラムと緊密に協力して取り組んで参りました。ダンバー博士はこうした建設的なイニシアチブを実行するために献身的な素晴らしいリーダーであると信頼しております。

基金を工学部に移すという我々の提案に同意していただきたいと思います。私はお父上の構想を推進するために尽力するという極めて強い個人的な責任を感じております。これまでSICSAを率いるという機会を託されてきたことを大変光栄に思っております。私に残された目標はSICSAの発展を持続させることです。

本状につきまして貴殿のお考えとご助言をお聞かせいただければ大変ありがたく思います。何かご質問がございましたら喜んでお答えするつもりです。

ご健勝をお祈り申し上げております。

敬具

******************


私の返書は、勿論、ラリー・ベル教授の提案に同意すると共に、素晴らしい成果を上げられたことへの感謝と御礼であった。
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7月8日(火) [2014年07月08日(Tue)]
7月8日(火)

0:30 羽田発

5:30 ドバイ着(空港待機約4時間)

9:30 ドバイ発

13:30 ウガンダ・エンテベ空港着

@ビクトリア湖を右に見ながら空港から首都カンパラへ向かう.JPG
ビクトリア湖を右に見ながら空港から首都カンパラへ

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首都カンパラの交通渋滞は年々ひどくなっているとのこと

15:00 ホテル着

18:30 藤田順三 駐ウガンダ日本大使主催夕食会
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