CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
日本財団会長 笹川陽平ブログ日本財団会長 笹川陽平ブログ笹川陽平プロフィール笹川陽平バイオグラフィー
日本財団会長 笹川陽平ブログ
日本財団会長 笹川陽平ブログ

日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

東北地方太平洋沖地震応援基金
Google
<< 2014年04月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
プロフィール

笹川 陽平さんの画像
笹川 陽平
プロフィール
ブログ
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
リンク集
http://blog.canpan.info/sasakawa/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/sasakawa/index2_0.xml
「ハンセン病制圧活動記」その12―インドネシア、パプア州― [2014年04月11日(Fri)]
「ハンセン病制圧活動記」その12
―インドネシア、パプア州―


ご存知の通り、インドネシアは13,000を超える多島国家であり、電気は勿論のこと、情報も充分に伝わらない地域が多い。その上、地方分権が定着していてジャカルタの中央政府だけでは物事が進展せず、各州の知事が予算執行についても大きな権限を持っている。

ハンセン病制圧活動についても、各州知事の理解を必要とするので、私の活動範囲は自ずと拡大させざるを得なくなる。地方分権が進んでいるブラジルとインドネシアで予定通りに患者数の減少が見られないのも、中央政府の政策が地方に充分に浸透していないのが大きな原因の一つである。

今回、ハンセン病蔓延州のパプア州で活動してきた。ジャカルタのホテルを早朝3時に出発して飛行機で約8時間30分。島の半分はパプア・ニューギニアとしての独立国で、西半分がインドネシア領パプア州である。

島の奥地は未開地で、裸族である彼らは、未だに「コテカ」と称するペニスサックを身につけている。「コテカ」は彼らの価値観において勇敢さを主張する装身具であり、普段着でもある。ただ残念だったのは、彼らの住む場所への移動には最低一週間は必要とのことで、私の活動は州都ジャヤプラとビアク島に限定された。

インドネシア全体の患者数は2012年度18,994人と、インド、ブラジルに次いで3番目であるが、前述したとおり、ハンセン病制圧活動においても地方分権の進む多島国家で、島々へのアクセスも悪く、制圧活動は最も困難を極める国である。高蔓延州の西パプア州、北マルク州、マルク州も早急に訪問する必要性に迫られているが、まだ実現していない。

パプア州の州都ジャヤプラでは小さな診療所と30分ほど離れた集落を訪ねた。診療所の歓迎会では、インドネシアの国鳥である極楽鳥の羽根をつけた立派な帽子とペニスサックである「コテカ」を少女よりプレゼントされ、苦笑した。

その11)筆者の胸にかかっている筒状のものが「コテカ」.JPG
筆者の胸にかかっている筒状のものが「コテカ」


集落の歓迎会には100名ほどの住民が集まっていたが、よく観察すると軽傷者ばかりである。リーダー格の男に聞いてみると、ハンセン病は「恥ずかしい病気」であるとされており、家から出たがらないとのことであった。どの家にも患者がおり、家族内感染の酷さを感じざるを得なかった。

患者の中に4才の女児がおり、驚かされた。ハンセン病の感染力は弱く、通常、15才以上が普通である。かつて、東チモールのインドネシア領内の飛び地であるオイクシで会った7才の男児が最年少であったが、4才児で既に感染とは、驚き以外のなにものでもなかった。

その11)幼い子供の患者が多く驚いた.JPG
幼い子供の患者が多く驚いた


この広い島でたった一人のハンセン病担当の看護婦Vera Yokuさんは、偏見や差別が色濃く残っているため、せっかく通院しはじめても途中でやめる患者が多く、恥ずかしさからかなかなか病院に治療に来ないので、多忙の中、自ら患者探しに出かけるという。

その11)ハンセン病担当の看護師と.JPG
この島でたった一人のハンセン病担当の看護師 Vera Yokuさん


私の経験からこの島には予想外に多くの患者が隠れていると推測せざるを得なかった。30万kuの広い島に人口約280万人である。看護婦1人ではどう対処するのか、深刻な状況に愕然とする。

インドネシアの主要な島以外では、多分、これが常態であるに違いない。

インドネシアの離島での活動を強化しなければならないことを痛感させられた旅であった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
4月10日(木) [2014年04月10日(Thu)]
4月10日(木)

8:00 「グローバル・ヘルスと人間の安全保障」会議

10:00 広報関係・打合せ

11:00 上村 司 外務省中東アフリカ局局長

13:10 木村健一郎 周南市市長

13:30 西村幸夫 東京大学先端科学技術研究センター所長

14:00 記者会見

DSC_0439.JPG


DSC_0396.JPG


DSC_0486.JPG
東京大学先端科学技術研究センターと共同で実施する
「異才発掘プロジェクト(ROCKET)」関する調印書の交換


16:00 岩手県釜石市 芸能団体「虎舞」

DSC_0515.JPG
釜石虎舞の「虎頭」をプレゼントされ・・・


17:00 日本財団 春の交流会

DSC_0032.JPG
交流会で挨拶

DSC_0022.JPG
沢山の皆様が集まってくださった
感謝! 感謝! 

DSC_0231.JPG
懇親会で披露された「虎舞」に感動!




このエントリーをはてなブックマークに追加
4月9日(水) [2014年04月09日(Wed)]
4月9日(水)

8:30 沖津嘉昭 岩井コスモホールディングス社長

9:30 「難病の子ども支援事業計画」事業打合せ

10:30 デイビッド・アンダーヒル スイスクロッケー協会会長

11:00 Gakuvo 西尾雄志代表

11:30 原野城冶 nippon.com代表

13:10 海野光行 日本財団常務理事

13:30 ロンドン 中島緑子様

14:00 コミュニケーションチーム・ミーティング

15:00 松本 崇 大村市市長(寄付金授与)

DSC_0355.JPG
500万円の寄付をいただきました


16:00 「日本ミャンマー友好議員連盟」講演 於:自由民主党本部
このエントリーをはてなブックマークに追加
「ハンセン病回復者 林 志明(リン・チミン)」 [2014年04月09日(Wed)]
「ハンセン病回復者 林 志明(リン・チミン)」


林 志明(リン・チミン)さんは今年85歳。この度、多摩全生園にある国立ハンセン病資料館で開催されるご自身の書画特別企画展のために来日された。

DSC_3678.JPG
林 志明さんより贈られた色紙を手に


8歳の頃にハンセン病を発症。32歳のときに病は治癒し社会復帰するも、ハンセン病回復者との理由で職を追われ、20年近く路上で自作の書を売り生計をたてた。その後、笹川記念保健協力財団が支援する中国のハンセン回復者支援団体『漢達(ハンダ)』の創立に参加。現在名誉理事長。

絵は主に牡丹の花が多い。「牡丹は中国の国花で、華やかで貴く、色彩は鮮やか。香気が溢れ、中国人が熱愛する花だ」と、林さんは描く理由を説明する。しかし、私はむしろ最近挑戦しているという『海老』が好きだ。不自由な手で繊細な海老の髭(ヒゲ)を描くのはことのほか難しいらしいが、まるで生きているような躍動感溢れる絵である。

8.jpg
華やかな牡丹

9.jpg
生き生きと躍動感あふれる海老


夢は故郷に帰って山水画を描きたいというが、中国でもこれが実現しない厳しい現実があるのだろう。

穏やかで親しみ深い顔立ちからもれる柔らかな笑顔は、さらに私を魅了させた。想像を絶する厳しい人生行路を歩んだ人に共通する美しい顔である。

今期の絵画展の開催は4月5日〜5月11日。
是非、新緑溢れる多摩全生園にある国立ハンセン病資料館を訪ねることをお勧めしたい。

ちなみに、中国のハンセン病の2011年の新患者数は1144人である。
ハンセン病回復者の村は全国に約600ヶ所あるといわれ、患者、回復者への偏見・差別は今も深く残っている。

このエントリーをはてなブックマークに追加
4月8日(火) [2014年04月08日(Tue)]
4月8日(火)

9:00 福祉事業打合せ

10:00 理事会

11:30 日本財団奨学生
    遠藤栄太さん、下谷奈津子さん
    留学先:香港中文大学・手話言語学修士課程

DSC_0333.JPG
遠藤さん(左)と下谷さん(右)


14:00 日本モーターボート競走会・評議員会

16:00 カナダ ブリティッシュコロンビア大学 太田教授

17:00 ボートレース女子選手の会 ファン交流会(挨拶)

18:00 武見敬三 参議院議員
このエントリーをはてなブックマークに追加
4月7日(月) [2014年04月07日(Mon)]
4月7日(月)

8:00 語り場

9:00 語り場

10:00 語り場

10:30 樋口建史 ミャンマー大使

11:30 中国 林志明(Lin Zhiming)氏

13:30 濱田純一 東京大学総長

14:50 菅 義偉 官房長官

15:30 大河原昭夫 日本国際交流センター理事長

16:00 語り場

16:10 渡邉秀央 日本ミャンマー協会会長
このエントリーをはてなブックマークに追加
「ハンセン病制圧活動記」その11―ダライ・ラマ法王とハンセン病― [2014年04月07日(Mon)]
「ハンセン病制圧活動記」その11
―ダライ・ラマ法王とハンセン病―


3月20日、ダライ・ラマ法王のお供で、インドの首都ニューデリー郊外のタヒルプール・ハンセン病コロニーを訪れた。

法王は、チェコの首都プラハで、故ハヴェル大統領と私との共催で17年間にわたり開催を続けた『フォーラム2000』会議に再三出席をして下さった。聖ヴィート大聖堂で行われた宗教指導者による祈りの会にも、キリスト教(プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教)、イスラム教、仏教の代表と共に祈りを捧げて下さった。

いつも微笑みを絶やさず、やわらかく温かい手を差し伸べてくださる法王。
「笹川さん、ババ・アムテ氏を知っているかい。ハンセン病や障害者のために尽くした人だよ。私はそこに泊まったこともあるし、ノーベル賞の賞金の一部を寄付したこともあるよ。」
「行きましたよ。ババは家族と6人のハンセン病患者、牛一頭を連れて荒れた森林地帯のアナンダマンを開拓し、今では5000人のハンセン病回復者と障害者が住んでいるそうです。ところで、私はハンセン病の制圧と差別撤廃のために闘っています。ハンセン病回復者の物乞いをゼロにしたいと思います。」
「それは難しいね。」
「出来るか出来ないか、やってみないと分かりません。やってみせます。」
と約束してしまった。

世界のハンセン病患者や回復者とその家族を激励してほしいと、インド北部のダラムサラの事務所に法王を訪ね、快諾を得てから約一年半振りに実現した今回のコロニー訪問であった。

なにしろ役人や警察も訪ねたことがないハンセン病コロニーへ、超VIPが訪問することになったのである。世話係のインド・ササカワ・レプロシー財団のビニーター・シャンカー女史はその対応に大わらわ。特に警備関係者からの問い合わせの対応に追われているところに、前日には消防車も配備したいとの連絡があったが、狭い敷地に入る余地もなく、丁重にお断りしたとのことであった。

ここは、私が信頼していたハンセン病回復者ダッタ氏のコロニーで、再三訪れたことがある。昨年も病気見舞いに訪れたが、その三ヶ月後に亡くなってしまった。彼の努力でインドでも環境の良いコロニーではあるが、警備の警察官の多さに驚いた。関係者の努力で法王歓迎のための幕が張られ、敷物がひかれ、花が飾られ、全ての準備が整い法王のおいでを待つばかりであった。

3.JPG
歓迎幕の前で記念撮影


参加者が待ち焦がれる中、法王の車は静かに到着した。私との挨拶もそこそこに、回復者の皆さんはどこだとばかり、整然と着席している真ん中あたりで回復者の変形した手を握りしめ、一人ひとりに挨拶された。私は少し足が弱られている法王の右手を握りしめ、ご一緒に壇上に上がった。

DSC_6070.JPG
手を携えて壇上へ

4.JPG
一人ひとりの手をやさしく包んで


終始にこやかで、そのオーラは一瞬にして参加者を魅了するものであった。私の短い挨拶の後、「身体的な問題があるとしても希望を失うことはない。すべての人間は平等に幸せになる権利がある。自分に自信を持つことが一番重要だ。」と仰り、さらにハンセン病の子供たちを激励され、出版の印税の中から毎年200万円程度を5年間寄付しましょうとのお話もあった。

1.JPG
激励の挨拶


次々に挨拶する回復者に、膝がお悪いにも関わらず、わざわざ椅子から立って幾度となく回復者の手を握り激励された。司会役のビニーター・シャンカー女史の毛の乱れを気にされて手をかざされた時は、会場に笑いが広がった。手を差し伸べてくる老人は勿論のこと、子供たちにもにこやかに激励の握手をされ、数多くの記念写真にも応対されてコロニーを後にされた。

この日の法王のフェイスブックのフォロワーは850万人もおり、今回のご訪問を契機に、ハンセン病の患者、回復者とその家族の現状が世界中に伝わったことは、ハンセン病の制圧と人権の問題に長く関わり闘ってきた私にとって感無量の出来事であり、生涯の喜びであった。
このエントリーをはてなブックマークに追加
4月4日(金) [2014年04月04日(Fri)]
4月4日(金)

6:40 朝食

8:00 ホテル発

9:00 韓国ハンセン病研究院訪問

2002年の記念植樹碑の前で.JPG
2002年の記念植樹碑の前で

研究院内のラボにて魚の体内にらい菌を入れ、研究をするキム局長の話しを聞く.JPG
研究院内のラボにて、魚の体内にらい菌を入れ研究をするキム局長の話しを聞く

韓国ハンセン病研究院内にある病院にてハンセン病の治療をする患者さんと.JPG
韓国ハンセン病研究院内にある病院にて、ハンセン病の治療をする患者さんと

11:40 研究院の先生らと昼食

右から研究院のキム局長、WHOの韓先生、研究院のキム事務局長と.JPG
右から研究院のキム局長、WHOの韓先生、研究院のキム事務局長


14:30 空港着

16:30 ソウル発

18:30 羽田空港着
このエントリーをはてなブックマークに追加
「ちょっといい話」その39―手話言語法― [2014年04月04日(Fri)]
「ちょっといい話」その39
―手話言語法―


3月14日、全日本ろうあ連盟主催の「手話言語法推進イベント」が衆議院第一議員会館大会議室で行われた。なかなかの熱気で、座席は満席であった。

日本財団は石井靖乃を中心に、手話の社会的認知とろう者の社会参加を長年にわたり支援してきた。そのような関係で、挨拶の機会を得た。

私たちの活動は、手話を言語として認める「手話言語法」の制定にある。地道な活動により、昨年、尾形理事長が陳情に訪れた鳥取県で全国第一号として条例が制定された。その後、北海道の石狩市と新得町でも制定され、現在11の都道府県の40を超える自治体で意見書が採択され、手話言語法制定に向けて、地方からの「のろし」が拡大していることは力強い応援団となっている。

「手話言語法」がなくても、教育、福祉、通信、放送など、それぞれの分野の法律を見直せばよいとの意見もあるが、私は反対である。

かつて、海洋に関する役所は9省庁11部局もあった。このような縦割行政では統一性のある政策は不可能で、海洋基本法の制定に汗をかいた経験から「手話言語法」も早期制定を目指し、ささやかな協力を行っているところである。

また、東日本大震災では、ろう者を始めとした障害者の死亡は健常者の2倍を超えた。この悲劇を繰り返さないためにも、きたるべく開催される「国連世界防災会議」に、今まで考慮外であった障害者を防災行動の枠組みに主要課題の一つとして入れるよう努力しているところである。

ちなみに、世界には手話を憲法で認めている国が7ヶ国、独立した法律のある国は8ヶ国、ろう者の国会議員も8人が活躍中です。
このエントリーをはてなブックマークに追加
4月3日(木) [2014年04月03日(Thu)]
4月3日(木)

7:30 財団着
    書類整理、打合せ

10:45 財団発

11:15 羽田空港着

12:30 羽田空港発

14;30 ソウル着

16:20 ホテル着

18:00 WHO西太平洋事務局名誉教授 韓相泰(Sang Tae Han)先生らとの夕食会

20:20 南北統一研究所 ムーン会長
このエントリーをはてなブックマークに追加