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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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「“ハンセン病でつながる若者と世界”合同シンポジウム」―スピーチ― [2015年03月20日(Fri)]
「“ハンセン病でつながる若者と世界”合同シンポジウム」
―スピーチ―


2015年1月22日
於:早稲田大学


先ほど、若い皆さんのハンセン病回復者へのボランティア活動についての素晴らしいプレゼンを聞かせていただき、本当に力強さを感じました。私はもう天国に近い位置におりますので、このような問題をどのように若い人たちに引き継いで頂くかということが、私たちに課せられた大きな使命でもございます。そういう意味で、今日お聞きした皆さん方の経験談、また、それに取り組む強い意志というものを感じ、逆に私が励まされました。

いつの時代も世の中を変えていくのは若い人です。私たちの年代になりますと、よく政治家や官僚の悪口を言い、また、若い人たちに対する批判をするのですが、私はそういうことが大嫌いです。なぜなら、そういう社会を作ってきたのは私たちの世代だからです。

私は将来を担う若者たちとの対話を最も重視していかなければいけないという気持ちで仕事をしておりますので、今日は逆に私自身が皆さん方から学ばせて頂いたと思っております。

皆さんがさまざまなボランティア活動をなさっていることは大変尊いことで、素晴らしいことだと思いますが、よく勘違いする人もいるのです。「自分はいいことをしている」「誰か困っている人を助ける、助けたい」という気持ちでスタートを切るわけで、それはそれで一つの動機付けとして大変素晴らしいことだと思いますから、これを批判するわけではありません。

良いことをしたい、良いことをして何か社会のために役に立ちたい。入口の気持ちはそれで結構だと思いますが、よく考えてみると、自分自身、一回しかない人生を心豊かに生活するために何をするべきか。その結果が人のために役立っているということで、人に役立つことが先にあるわけではないのです。

皆さんは、素晴らしい仕事を通じて、本来なら知り得ない社会、それこそ未知との遭遇の中で仕事をやってこられました。しかし、恐らくこれから永遠にこのハンセン病のことをするわけではないでしょう。就職もしなければいけないし結婚する人も出てくるでしょう。どのような時でも、ここで得た貴重な経験は必ず役に立つ時がきますし、青春の一時期をこういう人たちと共に過ごしたということが、あなた方のこれからの人生の中で大変役に立ち、豊かな人生を築く糧になることと思います。

苦しいことや辛いこととは人間の人生の中の記憶に残るのです。楽しかったことや美味しいもの食べたことなどは、人生の記憶にはほとんど残りません。辛かったこと、悲しかったこと、困難を乗り切ったこと、そういうものが地球上で唯一、理性を持っている人間の記憶の美化作用によって懐かしい思い出として残っていくのです。決して楽しかったことだけが記憶に残るのではないのです。それは76歳の私が言うのですから、間違いのないことです。

ハンセン病だけが入口ではありません。社会には私たちが知らないことの方がはるかに多いのです。ですから、学生の皆さんには専門領域の勉強以外にも社会に様々な課題が存在するということに対して好奇心を持つということが大変重要なことなのです。

人生は、学校で勉強し、いい会社に就職し、結婚して幸せな家庭を持って・・・そんなに上手くいく人はほとんどいません。その中に必ず障害になること、そして悩み苦しむことが出てくるのです。そういう時に社会課題に挑戦をした経験を持っているということが強い心を作り、精神力で突破できるようになるわけです。

今日はハンセン病の話ではございますけれども、世界では皆さんのような幸せな生活をしている人の方がはるかに少ないのです。世界人口70億人のうち20億人は一度もお医者さんに診てもらうことがないどころか薬も飲んだことがないという人がいるのです。皆さん方の生活自体の方が世界から見ると異常な世界なのです。日本という世界で最も恵まれた安全で素晴らしい国に住んでいる。宗教対立もないし民族紛争も起こらない。そういう異例なところに住んでいるという自分の立ち位置というものを世界レベルの中で常に意識しながら生きていくということが、若者に望まれることではないだろうかという気がしております。

ハンセン病の話から飛びましたが、若い皆さん方は失敗が許される、チャレンジできる人たちです。しかし、卒業して3年から5年も経つと、若い学生時代の甲論乙駁の高い理想に燃えた精神から堕落して、ただの人になる人がほとんどです。今日お集まりの皆さんには、人生チャレンジをしていくということが大変重要であり、またそれが許される。失敗を恐れてはいけません。

リスクをとらない人生ほどつまらないものはないのです。たとえ失敗しても、それがまた経験となって次のステップを踏むことができるような強い人間になってほしい。それを皆さんに期待しております。

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スピーチの後は学生との座談会
赤い靴下をはいて頑張ってみました!



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3月19日(木) [2015年03月19日(Thu)]
3月19日(木)

7:35 財団着

10:00 佐藤雄二 海上保安庁長官

10:30 飯田敏夫航海訓練所理事長

11:00 倉澤隆平 ケアポートみまき理事長
    庄下 中 ケアポート庄川理事長
    芝原恭一 ケアポートよしだ理事長

11:30 アフリカ出張打合せ

13:30 「日本財団ケアポートフォーラム2015」挨拶

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日本財団ケアポートフォーラムで挨拶

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16:00 語り場
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3月18日(水) [2015年03月18日(Wed)]
3月18日(水)

9:15 財団着

13:30 藤川 努 ボートレース振興会常務理事

14:00 アノテ・トン キリバス共和国大統領

15:00 田南立也 日本財団常務理事

16:00 城内 実 外務副大臣

18:00 文楽公演

大都会、六本木ヒルズで行われた.JPG
お披露目は大都会、六本木ヒルズで行われた

舞台披きで挨拶.JPG
舞台披きで挨拶

関係者による鏡披き.JPG
関係者による鏡披き

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新しい舞台で上演

招待公演は満席.JPG
招待公演は満席で大盛況


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「第6回B&G全国サミット」―ハンセン病とモーターボート競走― [2015年03月18日(Wed)]
「第6回B&G全国サミット」
―ハンセン病とモーターボート競走―


B&G財団は、青少年に不足気味な体育・徳育のため、ボートレースの収益金で全国472カ所に海洋センターを建設した。その管理者である首長211名、副首長46名、教育長204名、海洋センター関係者686名他、合計769名が参加してサミットが開催され、その折の講演録です。(即興)

****************


2015年1月28日
於:笹川記念会館


15.01.28 B&G財団全国サミット.jpg


モーターボート競走が始まりまして既に65年にもなります。日本財団はモーターボート競走の売り上げの2.6パーセントというお金を頂戴し、日本はもとより、世界の人道的活動を展開しているわけでございます。

65年前に作られてから近年まで、進歩的文化人をはじめ多くのメディアは、賭け事のお金は汚れたお金で、そのお金で社会貢献をするというのはおかしいじゃないかと批判されたものでした。しかし創業者の笹川良一は、お金には王様のお金も貧しい人のお金も変わりない。それをどう生かして使うかという使い方に問題があるんだと、批判には馬耳東風でした。

日本でも昨今、格差社会でたくさんのお金持ちが生まれております。起業家も一生懸命お金もうけに走っています。私が見ていますと、お金をもうけるということが人生の目的のように錯覚していらっしゃる方がたくさんいらっしゃるんですね。私の友人にも大金持ちの人がたくさんいました。大体、その方たちの末路を見てくると、残念なことでございますが、人生何のために一生懸命働いて財産を作ってきたのかと思うぐらいに、亡くなった後の悲惨さというものは計りしれないものがあります。何百億もお金を残しながら、亡くなったとたんに家族の間に憎しみが湧いて、30年も裁判所でその何百億のお金をめぐって争っていらっしゃる方もいらっしゃいました。

少なくとも一時期は愛し合い、その人がいなければ夜も昼も明けないような日々を過ごしたにもかかわらず、人生の終わりには、酸素吸入を受けながらベッドの側に日本有数の税理士や会計士を集め、どうしたらこの女房に遺産を少なく渡すことができるだろうかと、相談していた人もいました。財産家になったことで、その方の人生、あるいはその後のご家族が離散する、あるいは憎しみを持つという結果になってしまったのです。

私などは通常の生活ができれば良いように思うのですが、事業をする人は狩人と同じで、獲物があれば狙っていく。魚を獲りに行けば、そこにいる魚を全部獲りたいという心境になるということは分からないでもありません。しかし、それをどのように生かして使うかということこそ本来、事業家、企業家、あるいは財産を作られた人として、あるべき姿ではないかと思うのですが・・・。

そういう中で、モーターボート競走を創設した笹川良一は、賭け事でもうけたお金で慈善活動をするのは何事かと言われても平然としておりました。これがメディアの方から見ると憎たらしかったんでしょうね。戦後日本では、もぐらたたきのように、少し生意気なことを言うとメディアにたたかれて頭をつぶされるという歴史でございましたけれども、彼はたたかれればたたかれるほどタケノコのごとくムクムク、ムクムク成長していくという反骨精神を持った人でした。

その原点は、戦後の荒廃した日本が復興していくためには、海運立国であった日本が、壊滅した船舶、そして造船所を復興することによって貿易で生き残る以外にない。しかし、お金は天から降ってくるものでもありませんし日本政府にお金があるわけでもない。何とか自力でこのお金を稼ぎたいということでモーターボート競走が始まったわけでございます。

今申し上げましたように、彼は激しい批判を数十年も受け続けてきましたが平然としておりました。それは、慶応大学を作った福沢諭吉が『文明論之概略』の中に書いておりますが、「世の中を変革する人は常に少数意見である」と。皆が良いと思ってやることはそう大きな問題ではないと考えたようです。

今の成熟した日本の社会は権利だけを主張し、それが民主主義のように思い、義務と責任という裏腹の関係にあることを忘れてしまった結果、今や1000兆円を超える借金を抱えているわけでございます。皆さん方も日々、ご苦労なさっていらっしゃると思いますが、プライマリーバランスと申しますが、収入と支出は均衡でなければなりません。ドイツでは2度に渡るスーパーインフレを経験した結果、きっちりとプライマリーバランスを守っていますが、皆さんご承知のように、家庭にたとえますと収入が50万しかないのに90万円の生活をしているわけでございます。

兄弟財団でありますシンクタンクの東京財団の研究では、収入を90万にするには、消費税を30パーセントに上げて初めてプライマリーバランスが合う。家計簿がプラス・マイナス・ゼロになるということでございます。しかし、それでも残った1000兆円の借金は返せないんですよ。そのような財政の危機的状況になってきたということは、国民の要望にこたえることが良い政策であり、政治家として評価されることだと、政治家のみならず、皆さんが考えたからです。

江戸時代、勿論さまざまな評価もありますが、300諸侯、たったの2万石か2万5000石の藩でも苦しいながらも自立し、藩学校に英才を集めて学校教育に力を入れ、それぞれが自立した文化を形成してきたわけでございます。

江戸時代の末期の人口は3500万から3600万だと記憶しています。3500万人から3600万人でもきちっとやっていけるんですね。勿論、年齢層の問題がありますから一概には言えませんが、それぞれの藩が知恵を絞って、絞っても出ない水まで絞りとって、みんな自立してやってきたんですね。

地方創生、勿論必要です。しかし、与えられたものだけでうまくいくでしょうか。やっぱり地方が自らの力で、どのようにして我が町を盛り上げていくかという民主主義のもう一つの責任と義務を国民が理解・自覚した時、日本は再生すると考えております。

笹川良一は大阪の箕面市の出身で、川端康成と同級生で、川端さんが亡くなった後も欠かさずの墓参を続けておりました。そんな中、村の中でハンセン病を患ったお嬢さんが突然いなくなった家庭があるということを聞き、ハンセン病との闘いを決意しました。1970年代の初めにはインドに立派な病院を作ったり、目に見えないところで懸命の努力を続けてきたわけでございます。

昭和35年、私は韓国に建設したハンセン病病院の完成式典出席のため、笹川良一に随行する機会を得ました。その時彼は、ハンセン病患者の肩を本当の親子のように抱き、膿で膿んだ傷口を素手で触れ激励する姿を見て、これこそ私が継続していかなければならない仕事だということを決意したわけでございます。

以後約40年間に亘り、一年の3分の1は海外の劣悪な環境で生活するハンセン病患者・回復者の生活改善のための活動に費やしてきました。これも元をただせばお金がなければこれはできないことです。これはモーターボート競走のファンの浄財です。笹川良一はファンの理解を得るため一生懸命競走場に通い、皆さんからお預かりしたお金はこのように使われていますということを言いながら、必死に努力をしてきたわけでございます。お陰さまで、この浄財を頂くモーターボートのシステムが、世界的に評価を受けるようになりました。

私たちは日本から世界を見ることしかしてこなかったのです。社会科の地図を見ますと、小学校でも日本は赤く塗られていつも地図の中心です。ですから、外国で飛行機が落ちても「日本人は乗っていなかった模様」で、その後、何のお悔やみの言葉もありません。外国人が亡くなっているにも関わらず、日本人が亡くなっていなければそれでいいと。

しかし、笹川良一は世界あっての日本で、日本あっての我々だと。常に世界というものを意識していかないと、これからの日本の存在はあり得ないということを65年も前に見通していたわけです。ですから、日本ではハンセン病というのはもうほとんどなくなったじゃないかということでございますが、世界から見ればまだ現在進行形の病気なのです。

私は、世界制圧をどうしたらいいかということを一生懸命考えました。幸い、このモーターボートのお金を使わせていただきまして、5年間、世界の薬を無料で配布するという大きな決断をしました。お陰で患者数が一挙に500万人も減りました。それでもまだ20万人という大きな数が残っておりますし、スティグマ(汚名)などで家族の名誉までを傷つけ、貴族社会のあった国では、貴族権を取り上げられるという国も存在しておりました。

ということで、私は病気を治すことばかりに力を注いできましたが、病気は治っても社会の人が持っている偏見とか差別という病気を治さないことには問題は解決しないということに遅まきながら気が付き、たった一人でジュネーブの国連人権委員会に働きを開始しました。

毎年のごとく行きましたが、私のような素人が行ってもほとんど耳を傾けてはもらえません。十分な準備をして会合を開いても、7人とか8人とかしか集まってくれないという状況が長く続きました。しかし継続は力で、結果的には多くの人の理解を得て決議をいただきました。私はジュネーブで27カ国の大使館に参りましたが、その折には日本の外務省も手伝ってくださいました。

日本は人権問題と言いますと北朝鮮の拉致問題だけしか国連に提示していないんですね。もちろん大事なことですし、我々にとっても最大の問題ではあります。日本では人権問題を扱うのは左翼の人の特権のように思われていますが、とんでもないことす。自由、平等と基本的人権というのが民主主義の三大構成要素でございます。全ての人がこれに関心を持たなければいけなのです。

日本の北朝鮮問題について、常に反対するのは中国とキューバです。外務省は行っても無理だと言いましたが、私たちはとにかく行って、一生懸命説得しました。結果、中国もキューバも日本政府の提案したハンセン病患者・回復者、その家族に対する差別撤廃案の共同提案国になりました。賛成というだけじゃないのです。日本政府の原案の共同提案国になってくれたのですから、ヨーロッパのいわゆる人権にうるさい国々の人はビックリでした。

私には欲がありますので、さらに外務省に、ニューヨークの国連総会で決議を取ってほしいとお願いしました。決議案の内容はどうするべきか研究し、1年遅れましたけれど、驚いたことに、国連加盟国193カ国、全てが賛成してくれました。

差別撤廃の決議案は通りましたが、これをどのようにうまく使っていくかというのは、私たちに与えられた使命です。これは強制力がある法律ではありませんが、この決議案を道具としてうまく活用することによって、世界中の国々で偏見や差別をなくしていこうというのが私の戦術でした。

私自身の力は非力でございますので、世界の有力者の力を借りたいと考え「グローバル・アピール」というものを世界の各地で発信し続けて参りました。今年は10年で、記念すべき10回大会を、世界の看護師協会と共に昨日、全日空ホテルで開催しました。

イスラム国の日本人拉致問題、また国会開催中で火曜日は閣議のある日ですね。そういう忙しい中にも関わらず、総理大臣ならびに令夫人にも出席していただき、無事成功裏に終わることができました。

私は、ここに来る前まで宮中の吹上御所におりました。それは「ハンセン病の世界の現況についてご進講をしてほしい」というご依頼がございましたので、1月13日、ご進講にお伺いいたしました。両陛下はハンセン病について実によくご存じでいらっしゃいました。ご承知のように、二つの私立と13のハンセン病国立療養所は全てお回りになっていらっしゃいましたし、大変専門的な知識をお持ちでございました。

驚くべきでことでございますが、先ほどお話しした「昭和35年に韓国にハンセン病の病院を作った時の完成式に私が同行し、父親が患者を抱きしめている姿を見て、これは私に与えられた使命だと思った」ということを両陛下に申し上げました。すると皇后様は「良かったわ」とおっしゃって下さったのです。どういうことかと申しますと、当時、韓国のシスターから皇后様に、何とか韓国のハンセン病をなくしてほしいという厳しい現実をしたためた悲しいお手紙が届いたそうです。皇后様はそれを当時の駐韓大使をやっておりました金山政英さんにお願いし、彼が笹川良一のところに来まして「韓国で大変悩んでいますのでお助けを願いたい。皇太子妃(当時)の美智子妃殿下もご心労を煩わせていらっしゃいます」というお話しをされました。私も側でこの話をお聞きしていました。しかし今回のご進講の折には金山大使からのご依頼でということは申し上げましたけれども、皇后様からのご依頼ということは伏せ、あえて言いませんでした。しかし皇后様のほうから「私は当時、何の力もございません。今もありませんが。ただ、大変心を痛めておりましたので、金山大使、そして高松宮殿下にお頼みしたのです。それは良かったわね」と、おっしゃって下さいました。皇后様はそういうたった一通の手紙を長く記憶に留めていらっしゃった。結果的に、私の仕事は皇后様に導かれたようなことになっていたわけです。

ということで、13日のご進講の最後に、できましたら海外から来るハンセン病回復者にお会いいただきたいということをお願いしました。本当はこういうことをしてはいけないんですね。ご進講は講書始めのような儀式ではありませんから、応接間でゆったりとした雰囲気でさせていただきました。

あくる朝、9時に侍従長より回復者の皆さま方をお招きしたい。両陛下がそう望んでいらっしゃいます」という電話がございました。そして今日、先ほど8人の各国の回復者の皆さんを吹上にお連れをして参りました。

この8人ですが、4人ずつの2組に別れ、陛下が4人で皇后様が4人。終わると交替そして8人全員が別々に天皇陛下と皇后陛下とお言葉を交わす機会をいただきました。しかも驚くべきことに、一昨日ですか、陛下は風邪気味だというようなお噂を聞いておりました。両陛下は肩を抱き合うように側に寄り添い、指のない回復者の両手に暖かく触れながら、ちゃんと相手の目をご覧になってお話を続けられました。8人全てにそのように本当に愛情溢れると申しましょうか、言葉が詰まるぐらい私は感動いたしました。本来ならば、お風邪気味であれば、我々のほうこそ遠慮しなければいけないし、海外の劣悪な生活の中で生活している人たちですから、結核などの病気を持っている人もいるかも分かりません。それを一切無視されて、肩を抱くようにしてお一人お一人とお話をしてくださいました。

今、報告の記者会見をやってきました。回復者たちは、自分の家族さえ手を握ってくれないこういう指の欠けた手に触れていただき、自分の皮膚に感覚ありませんが、天皇陛下、皇后陛下の抱きしめるような温かさがが感じられた。生まれ変わったような気持ちです・・・。

国民の安寧を願って毎日、祈りをささげられる。世界中にこのような王家がございますでしょうか。ただ今の天皇は日本国125代目でいらっしゃいます。1750年も続いています。世界でこのように長く続いている例はありません。1750年も続いている王家というのは日本だけです。しかも、世界中で唯一、権力をお持ちにならない。商売をなさらない。財産はない。そういう王家というのは世界広しといえども日本だけでございます。

戦前の一時期、あるいは明治時代に天皇が権力を持たれたような誤解もございますけれども、日本は源頼朝も征夷大将軍にはなりましたけれど天皇にはなりませんでした。英国の憲政学者・バジェットが「理想の政治は権威と権力が分離していることだ」書いております。秀吉しかり、家康しかりです。外国ではアレキサンダー大王もナポレオンも権威と権力を独り占めにしてきました。中国などもっと極端な例でございます。

そういうお方のもとに存在する日本という国は、サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で書いています。

世界には八大文明がある。その中に日本文明というのが入っているんですよ。この小さな島国が、一時期、中国からは影響を受けたかもしれないが、その後は独立して素晴らしい文明を作った。日本文明というのが世界の八大文明の一つ。イスラム文明だとか中華文明だとか。アフリカ大陸は一つまとめてアフリカ文明って言っているんですけど。

皆さまはそういう素晴らしい国の指導者でいらっしゃるわけでございます。私は皆さま方の手にこれからの日本の再生はかかっていると思います。決して内閣総理大臣の力ではありません。ましてや政府の仕事というよりも、住民に密着したところで日々努力なさっている皆さま方の覚悟がこれからの日本再生への道です。そのためには、オリンピックの活用も重要でしょうし、政府からの支援が必要かも知れません。

しかし、与えられているだけでは絶対に駄目です。日本国は沈没いたします。どうぞ皆さま方の英知を結集していただき、それぞれの地方から元気を出していただいて、皆さんの側から日本の国を良くしていくと心意気で活力ある地方をお作りいただくのが皆さま方のお仕事ではないかと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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3月17日(火) [2015年03月17日(Tue)]
3月17日(火)

7:16 東京発

8:57 仙台着

9:30 第3回国連防災世界会議バプリックフォーラム 開会挨拶
    『障害者の視点からのコミュニティ全体で備える防災まちづくりへの提言
     〜ポスト2015インクルーシブ防災』

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開会挨拶

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会場は満席

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フォーラム登壇者たちと


11:00 エマニュエル・マニー・モリ ミクロネシア大統領

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エマニュエル・マニー・モリ大統領


12:00 関係者との昼食

16:00 国連防災世界会議ワーキングセッション 開会挨拶
    『万人のためのインクルーシブ防災における、率先した障害者の参加』

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ワーキングセッションで挨拶.

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ワーキングセッション会場


18:00 国連笹川防災賞受賞式 挨拶

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防災賞授賞式で挨拶

G防災賞受賞者のアラン・ラベル氏(中央)とUNISDRワルストロム代表と.JPG
防災賞受賞者のアラン・ラベル氏(中央)とUNISDRワルストロム代表(左側)


20:30 仙台発

22:00 東京着

22:40 自宅着
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3月16日(月) [2015年03月16日(Mon)]
3月16日(月)

7:30 財団着

9:00 「子供の貧困」事業打合せ

10:00 羽生次郎 笹川平和財団会長

13:00 塩見和子 日本音楽財団理事長

13:30 秋山昌廣 東京財団理事長
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「中国の小話」その49―中国最強の指導部― [2015年03月16日(Mon)]
「中国の小話」その49
―中国最強の指導部―


中国国家指導者の中核にいる幹部が相次ぎ失脚する中で、中国の一般国民は、どうすれば世界に誇れる指導部を構築できるかを考えた。

日本でも『最強の内閣のメンバー』とか『歴代最強のプロ野球チームの布陣』とかが好きだ。中国でも同様らしい。

歴史好きな私にとって、中国の政治家の布陣は、なるほど、世界最強だったかも知れない。

全国婦人連合会主任に則天武后とは、強烈すぎる。
又、一人っ子政策の国家計画生育委員会に三蔵法師とは、笑える。これでは遠くない将来、中国人はゼロになってしまう。

 国家主席:唐の太宗李世民
 党の中央軍事委員会主席:ジンギスカン
 同副主席:毛沢東
 全人代委員長:孫文
 国務院総理:諸葛孔明
 外交部長:周恩来
 外交部スポークスマン:趙本山(お笑い芸人)
 国防部長:曹操
 教育部長:孔子
 衛生部長:華佗(三国時代の名医)
 環境保護部長:老子
 水利電力部長:禹(古代の帝王、治水の聖)
 建設部長:秦の始皇帝(万里の長城と阿房宮などの国家プロジェクトを実施)
 公安部長:展昭(小説『七侠五義』の主人公、犯人検挙の名人)
 国家発展改革委員会主任:商鞅(秦の政治家、法令改革と富国強兵を推進)
 最高人民法院院長:包拯(宋の名臣、数多くの冤罪を雪ぎ、公正の象徴)
 全国薬物取締署署長:林則徐(清の阿片取締の欽差大臣)
 全国婦人連合会主任:則天武后
 税関総署署長:鄭和(明の宦官、大船団を引率して海外と交易)
 国家計画生育委員会主任:三蔵法師(唐の名僧、禁欲の名人)
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3月13日(金) [2015年03月13日(Fri)]
3月13日(金)

7:00 インド・デリーより、成田着

8:30 自宅着

13:20 財団着

14:00 茶野順子 笹川平和財団常務理事

14:30 今井尚哉 首相秘書官

    書類整理、社内打合せ
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産経新聞【正論】防災に障害者の視点は不可欠だ [2015年03月13日(Fri)]
防災に障害者の視点は不可欠だ


産経新聞【正論】
2015年3月6日


 3回目となる「国連防災世界会議」が3月14日から5日間、宮城県仙台市で開催される。東日本大震災をはじめ各地の大災害では障害者や高齢者など「要援護者」が災害の矢面に立たされ、より多くの被害を受けた。

 これを受け、向こう10年間の世界の防災戦略を策定するこの会議では、今回初めて「障害者と防災」が公式会議の正式なセッションに盛り込まれた。

 ≪横浜、神戸に次ぐ世界会議≫
 会議には全国連加盟国193カ国の代表や国際NGOなど1万人を超す人が参加する。災害多発国としてハード、ソフト両面の豊富な知識を持つ日本は、今後の国際的な防災戦略を主導する立場にある。災害被害を少しでも減らすためにも会議では、要援護者を視野に置いた防災・減災害対策が打ち出される必要がある。

 外務省の資料によると、2000年から12年までに世界で発生した自然災害で29億人が被災し、120万人が死亡。損害額は1.7兆米ドル(約202兆円)に上り、被害の90%が途上国に集中した。

 こうした中、国連防災世界会議は1994年に横浜市、2005年には神戸市で開催され、横浜会議では「より安全な世界に向けての横浜戦略」が採択された。神戸会議では直前(04年12月)に22万人の犠牲者が出たスマトラ沖大地震・インド洋大津波が起きたこともあり、世界各国の閣僚級が参加して、15年まで10年間の「兵庫行動枠組」をまとめた。

 兵庫行動枠組では防災を国や地方の優先課題に位置付け、早期警報の向上、防災文化の構築、公共施設やインフラの耐震性の強化などを打ち出したものの、障害者に関しては「最も脆弱(ぜいじゃく)な地域やグループに焦点を当て、災害準備や緊急事態対応計画を準備する」といった簡単な記述を盛り込むにとどまった。

 しかし神戸会議の後、ミャンマーで13万人を超す死者・行方不明者が出た大型サイクロン・ナルギス(08年5月)、31万人の死者が出たハイチ地震(10年1月)、さらに11年3月の東日本大震災と大災害が続き、多くの障害者や高齢者、子供が犠牲となった。

 ≪向こう10年間の国際防災戦略≫
 日本財団は1986年、世界の防災に顕著な功績を挙げた個人や組織を表彰する国連笹川防災賞を設け、国際防災の強化を目指してきた。今回はこれら関係機関とも協力して東京やニューヨーク、バンコクなど世界7都市で障害者と防災をテーマにした国際会議を重ね、最終的に世界会議に「障害者と防災」のセッションを盛り込むことができた。

 東日本大震災で障害者手帳所有者1655人が犠牲となり、死亡率が当該地域住民の約2倍1.5%に達したことが初めて数字で裏付けられた点も契機となった。

 災害が発生した場合、障害者にはあまりにも多くの困難が待ち受ける。聴覚障害者は避難の呼び掛けがあっても情報を受け取れず、視覚障害者は避難しようにも電柱や建物の倒壊など周囲の状況を把握できない。倒壊した家屋の中に取り残された聴覚障害者や言語障害者は「誰かいますか」と声を掛けられても、返答ができない。

 車いすなど肢体不自由者が混乱の中で避難するのは難しく、避難場所に着いても車いすのため、人に遠慮せざるを得ない。避難生活で体調を悪化させ死亡する「震災関連死」も東日本大震災では既に約3200人に達し、阪神・淡路大震災の3倍を超えた。

 世界会議では兵庫行動枠組の後継となる新たな国際防災の枠組みを策定するほか、日本が多くの災害から得た教訓や防災技術、ノウハウ、さらに東日本大震災の経験や被災地振興の現状を報告。障害者と防災のセッションでは地域防災と障害者の関わりなどについて議論が行われる予定だ。

 ≪復興、地域創生にも道拓く≫
 今年は国際社会の共通の開発目標である「ミレニアム開発目標」(MDGs)の達成期限を迎え、9月の国連総会では「ポスト2015年開発アジェンダ」が採択される予定。年末には国連気候変動枠組み条約の「第21回締約国会議(COP21)」もフランス・パリで開催され、20年以降の世界の気候変動・温暖化対策の大枠が合意される見通しだ。

 近年の異常気象が地球温暖化の影響か単なる自然現象か、専門家の研究を待つしかないが、地震に伴う大津波と同様、巨大台風が引き起こす高潮も大きな脅威となりつつある。世界規模の災害が今後、間違いなく増える気がする。経済成長が著しい東南アジア諸国連合(ASEAN)などで引き続き新たな開発が進む。その場合、障害者や高齢者を守る視点をどこまで持つかによって発生する被害の程度も変わる。「弱い人々」に目線を合わせ防災・減災対策を取れば、その分、人的被害は確実に減るということだ。

 障害者に視点を当てた地域づくりこそ、安心して暮らせる地域社会の建設や東日本大震災の被災地復興、ひいては喫緊の課題である地域創生にも道を拓(ひら)く。
(ささかわ ようへい)

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3月12日(木) [2015年03月12日(Thu)]
3月12日(木)

7:00 朝食

9:00 ハンセン病対策関係者会議オープニング 挨拶

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オープニング登壇者

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オープニングで挨拶

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約100人が参加


10:00 シャルマ保健次官(Dr. Bhanu Prasap Sharma)

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シャルマ保健次官


10:30 ハンセン病回復者協会(APAL)ナルサッパ会長、ベヌゴパール氏

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APALメンバーらと


14:00 関係者との昼食

18:00 ホテル発

18:00 空港着

20:30 デリー発、成田空港へ
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