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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

東北地方太平洋沖地震応援基金
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11月17日(月) [2014年11月17日(Mon)]
11月17日(月)

7:30 財団着

9:30 公益・福祉・年度内案件事業打合せ

10:00 理事会

14:30 財団発

15:30 成田空港着

17:30 成田発

23:45 インド・デリー着
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「インド出張」 [2014年11月17日(Mon)]
「インド出張」


13日にミャンマーから戻ったばかりですが、ハンセン病制圧活動のため、今日の午後の便でインドに出張いたします。

帰国は24日です。
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「第10回 アジア海上保安長官級会合」 [2014年11月17日(Mon)]
「第10回 アジア海上保安長官級会合」


今から10数年前の日本の海上保安庁は、領海内の保安警備に懸命で、海外に目を向ける余裕がなかった。

国連加盟国は現在154ヶ国であるが海は一つであり、特に日本の生命線といわれるマラッカ・シンガポール海峡の航行安全のための諸設備は、40数年にわたり日本財団が支援してきたものである。

その人脈を生かし、近隣諸国との人的交流の重要性を当時の荒井正吾海上保安庁長官(現在、奈良県知事)に説明して長官級会合の開催を進言したところ、快諾され、第1回目会合は荒井正吾長官のもとで開催された。

今回は10回目で、横浜で開催することになった。参加国は16ヶ国と1地域(香港)で、長官級(各国によって名称が異なる)の出席者は14ヶ国1地域と盛大であった。筆者にとって、日本財団が行ってきた10年間の支援・協力には感慨深いものがある。

今回の会合では、ご多忙の中、予想外の官邸訪問が実現し、安倍首相より国際法に基づく海洋秩序と安全向上の話があり、中国、韓国の代表も神妙に聞き入っていた。一枚の写真は10万語にまさる説得力があるといわれる。参加者は安倍首相との会談と記念写真で、帰国したら首相、大統領に報告できると、喜びもひとしおであった。

総理官邸での記念撮影.JPG


安倍総理挨拶.JPG


以下、開会式でのスピーチである。

**************


2014年9月30日
於:横浜パシフィコ


私は、みなさまがアジアの海上保安機関の連携を強化するために、アジア各国からご参集いただいたことを、心より歓迎いたします。

日本財団は、1999年、東京ではじめてアジア海賊対策実務者会議を開催しました。その会合は、アジアの海上保安機関が共通の課題である海賊に対し、協力して取り組む可能性を模索するために開催されました。そして、この会議と、それに続く一連の会議がきっかけとなり、2004年の第1回長官級会合を開催いたしました。

第1回長官級会合では、海賊という共通の課題に対し、参加国を中心に活発な議論がなされ、効果的に対処するための基本的な枠組みが提案されました。1999年からこの取り組みをサポートしてきた私たちにとって、この会合が発展し、現在ではアジアの海における協力体制の核となっていることを、たいへん誇りに思います。

長官級会合は、アジア地域の急速な経済の発展や人口の増加とともに重要性を高めました。その結果、海賊問題以外に、捜索救助、環境保全、自然災害、不法活動、人材育成などにも議論の対象を広げてきました。

近年は、長官級会合の5本の柱で以下のような議論もなされております。限りある資源を搾取する違法漁業者に対し、海上保安機関が協力して対処する必要性。海上交通や輸送量の増加によって引き起こされる海洋環境汚染に対し、地域で協力して対処する必要性。そして、大規模な津波のような自然災害への備えや対応を強化するため、海上保安機関がこれまで以上に協力する必要性です。

しかしながら、長官級会合を通して様々な取り組みがなされているにも関わらず、差し迫った課題は次々に表出しています。今後、どのような課題に直面するか容易に予想できません。しかし、一国だけでは解決できない複雑な課題が増えている現在、今後も長官級会合を通じてアジアの国々が連携する重要性が高まっていくことは確かです。

私は、国同士の連携をより効果的かつ持続的にするには、人と人とのつながりが重要だと思います。その考えの下、日本財団は、世界海事機関(WMU)をはじめとした著名な機関と海の世界の人づくりを行っております。これまでに海上保安官を含め128カ国1,000人以上を育て、人と人とのつながり作りをしてきました。今では、かつて共に勉学に励んだ仲間達が、アジアおよび世界での海のネットワークを構築するのに重要な役割を果たしている例もあります。

現在、日本財団は新しい人材育成プログラムを検討しております。海上で発生する国際的な課題への対処は喫緊のテーマであり、技術面だけではなく、総合的に政策面からも適切に対応できる各国の海上保安官を育成する英語の大学院大学の設置を考えております。そこでは、アジアの海上保安官も育成するとともに、さらに強固なアジアのネットワークの構築を目指します。日本財団は、アジアの海上保安機関の協力体制のさらなる強化のために、これからも人材育成の面から長官級会合をサポートしてまいりたいと思います。私は、アジアの海上保安の協力体制を強化することによって、安全で豊かな海を次世代に引き継ぐことができると信じております。
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11月14日(金) [2014年11月14日(Fri)]
11月14日(金)

7:40 財団着

終日 書類整理、社内打合せ

13:30 渡邉秀央 日本ミャンマー協会会長

18:30 御厨 貴 東京大学名誉教授
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「中国の小話」その44―寿命と嗜好― [2014年11月14日(Fri)]
「中国の小話」その44
―寿命と嗜好―


私は禁煙原理主義ではない。ただ、たばこは百害あって一利なしであり、青少年の喫煙と受動喫煙には反対で、たばこ1箱1000円論者である。

喫煙者に言わせると、たばこを吸っていても長命の人はいると反論する。確かにまれに長命の人がいることを事実であるが、統計的には喫煙者の方が短命である。

酒は百薬の長と言われるが、これも限度の問題で、アルコ−ル中毒は論外としても、飲みすぎは肝臓をはじめ、さまざまな病気の遠因になっていることも事実である。

中国の指導者の寿命と嗜好の関係は以下の通り。

雷 鋒:たばこも吸わず、酒も飲まず、ガールフレンドもおらず、
人助けばかり行ったのに                   享年23歳

林 彪:たばこを吸ったが酒は飲まなかった。             享年63歳

周恩来:たばこは吸わないが酒は飲んだ。               享年73歳

毛沢東:たばこを吸い、酒も飲んで、愛人もいた。           享年83歳

ケ小平:たばこを吸い、酒を飲んで、ブリッジカードで遊んだ。     享年93歳

張学良:たばこを吸い、酒を飲み、愛人も多く、ブリッジカードで遊んだ。享年103歳

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11月12日(水)、11月13日(木) [2014年11月13日(Thu)]
11月12日(水)

8:00 朝食

13:15 安倍首相、テイン・セイン大統領のASEAN首脳会議同席(40分)

14:05 安倍首相面談(10分)

ASEAN会議用の宿泊施設をちょいわるおやじがカートで移動中.JPG
ASEAN会議用の宿泊施設を、ちょいわるおやじがカートで移動中


15:30 ホテル発

17:00 ネピドー発

17:35 ヤンゴン着

18:30 関係者との夕食

22:10 ヤンゴン発、成田空港へ



11月13日(木)

6:30 ヤンゴンより、成田空港着

8:30 自宅着

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「ハンセン病制圧活動記」その22―ジュネーブ・ルーマニア訪問記― [2014年11月12日(Wed)]
「ハンセン病制圧活動記」その22
―ジュネーブ・ルーマニア訪問記―


栗生楽泉園機関誌『高原』
2014年9月号


2014年5月19日から28日にかけて、スイスのジュネーブとルーマニア東部のティキレスティを訪問しました。

ジュネーブの訪問は、WHO(世界保健機関)が開催する世界保健総会に出席し、そこに参加している各国の保健大臣とハンセン病制圧について協議をすること、そして、総会内で執り行われる「笹川健康賞」の授賞式でスピーチを行うことが目的で、毎年の恒例となっています。

現在、ハンセン病新規患者が毎年1,000人以上発見されている、いわゆる「蔓延国」は16カ国になります。各国保健省やNGOなどの努力により、これまで患者数が順調に減ってきていましたが、ここ数年は横ばい状態にあり、2012年の最新統計で232,857人の新規患者数が記録されています。このうち蔓延国16カ国の新規患者数が220,810人と、前世界の95%を占めており、これらの国で対策を強化していただくことが非常に重要になります。今回も、これらの蔓延国の保健大臣や保健省高官、そしてWHO地域事務所の事務局長らと面談を重ねました。

まず初日の20日は、アンゴラのホセ・ヴァン-デュネム保健大臣とお会いしました。この方は2003年に私が同国を訪問した際に、副大臣として同行してくれた方です。当時は2002年まで30年近く続いた内戦直後で、ハンセン病の新規患者数も2000人を超えていましたが、その後、保健省などの努力により新規患者数も400人にまで減少しています。私からその努力に改めて謝意を述べところ、大臣からは「薬の提供だけでなく、非常に難しい時期に国を訪問してくれ、特に遠隔地にも足を運んでくれたことを私たちは決して忘れません。州レベルではコントロールできているが、市町村レベルだと満足できない状況です。70市町村全てに人的資源を配置し、ハンセン病対策にも取り組んでいきたい。笹川さんのサポートに報いられるようにしたい。」と、10年以上も前のことをはっきりと懐かしむように語ってくれ、差別をなくすための取り組みも他省庁と協力して取り組むと述べられました。

続いて、フィリピンのエンリケ・オナ保健大臣とは4年連続の面会となりました。昨年11月にフィリピンを襲った台風ハイエンによって、ハンセン病回復者が多く住むクリオン島にも甚大な被害がありました。日本財団は、被災した家屋の修繕などを行うため日本の学生ボランティアをクリオン島に派遣し、住民から大変喜んでもらえたことを大臣にも報告しました。大臣からは、ちょうど保健省のスタッフがクリオン島を視察したという話があり、「日本からの支援にも心から感謝する」という謝意がありました。フィリピンは人口が多いので有病率はさほど高くないものの、新規患者数が2000前後の横ばい状態が続いており、蔓延地区での集中的な患者発見に注力いただきたい旨を要請しました。

翌日21日は、旧知の間柄であるブラジルのジャルバス・バルボサ副保健大臣と意見交換を行いました。ブラジルはWHOの定義する人口1万人あたり登録患者数1人未満という「制圧」の基準を達成できていない唯一の国です。2012年の統計では新規患者が33,303人で、ここ3年ほど横ばい状態にありました。ただ、副大臣は「2013年の最新の統計が取りまとめられ、すべての指標において改善がみられ、よい兆候である」と語り、積極的な姿勢を示されました。ブラジルには昨年12月に訪問しましたが、また近いうちに訪問したいと約束しました。

続いての面談では、タンザニアのフセイン・アリ・ムウィニ保健大臣が「患者数が少なくなっていることが新規患者発見を難しくしている。ヘルスワーカーがハンセン病患者をあまり診なくなり、診断の経験を失いつつあるので、新規患者発見のため教育が必要。同時に、コミュニティ内で住民自身が症状を認識し診療所に行くことができるよう能力を向上させていく必要もある。保健サービスとコミュニティへの両方への対策が重要だ」と語られました。タンザニアは2004年の新規患者5000人から現在2000人まで減っていますが、さらなる対策推進のために創意工夫を試みている様子が伺えました。

このほか、ミャンマー、ザンジバル、DRコンゴ、モザンビークの保健大臣、モロッコ、中国、スリランカなど保健省高官とも面談を重ねました。会場となるジュネーブの国連本部は大変広い建物で、分刻みでの面談を全て異なる部屋で毎回10分ほど移動しながら立て続けにこなしました。まるで地球を何周もしているかのようですが、これだけ効率的に世界中の保健大臣に直に会って要請をできる機会はないので、毎年の恒例行事としてとても重要視しています。

また、各国保健大臣だけでなく、WHOの南北アメリカ地域、東アジア太平洋地域、東南アジア地域、中東地域、アフリカ地域の各地域の責任者である地域事務局長らとも面談を重ねました。WHOの地域事務局長は、それぞれの所管地域各国の公衆衛生政策に大きな影響力をもっており、彼らの理解と指導力がハンセン病対策を推し進めるには非常に重要です。こういったジュネーブでの総会や、地域事務所の所在国を訪れた際には必ずお会いして、ハンセン病対策の意見交換を行っています。特に今回は、世界のハンセン病患者の半数以上を抱えるインドと3番目に多いインドネシアなど蔓延国の多い東南アジア地域の地域事務局長に新しく就任されたプーナム・シン氏と就任後初めて面談を行うことができました。東南アジア地域事務所には、WHOの世界ハンセン病プログラム本部も置いてあり、ハンセン病対策において非常に重要な位置にあります。私から改めて就任のお祝いとハンセン病対策の協力を要請すると、シン地域事務局は「優先度を高めてハンセン病対策を強化していきたい。インドやインドネシアとも個別に協議していく」と真剣な面持ちで語られました。

22日には、ジュネーブ訪問のもう一つの目的、笹川健康賞の授賞式も行われました。笹川健康賞は、WHOが掲げる「すべての人に健康を」という大義に賛同して1984年に創設した賞で、今年でちょうど30周年を迎えました。プライマリ・ヘルスケアの分野において、独創的かつ革新的な活動を行う団体や個人を広く表彰してきましたが、今年はハンセン病対策に50年以上にわたって従事してきたドミニカ共和国の「フベルト・ボガエルト・ディアス博士記念ハンセン病コントロール財団/ドミニカ皮膚科研究所」が受賞されました。笹川健康賞の賞金は、団体の活動の一層の推進に活用いただくことになっています。

この受賞団体代表を招いた昼食会には、WHOのマーガレット・チャン事務局長もかけつけてくれ、お祝いを述べてくれました。また、私のWHOハンセン病制圧特別大使としての任期をさらに2年間、2016年まで更新する署名式も行いました。チャン事務局長に、活動報告の代わりに、2001年の大使就任以来延べ320名の各国大統領や首相、保健大臣や州知事などとの面談リストを手渡すと、驚いた様子で「WHOのなかで最もよく働く特別大使ですね」とおっしゃっていました。また、私が「あなたの任期の間に、世界の全ての国で制圧を達成することが私の責務だ」と述べたところ、チャン事務局長は「ぜひ私をブラジルに連れていってください」とハンセン病制圧を後押しするための視察に意欲を示して下さいました。

マーガレット・チャンWHO事務局長から任期更新を命ぜられる.JPG
マーガレット・チャンWHO事務局長から任期更新を命ぜられる


ジュネーブでの全日程を終え、次はルーマニアにも訪問しました。ルーマニアには、近年ハンセン病の新規患者は出ていないそうですが、東部のティキレスティにこの国唯一の療養所があります。首都ブカレストから車で5時間、アカシアとライラックの森に囲まれた人里離れたところに位置しています。今回、訪問を調整する際に、在日ルーマニア人の方にルーマニア語でメールを送ってもらったところ、スタッフは「まさか遠く日本からルーマニアのこの片田舎まで視察にくるはずがない。しかもルーマニア語でメールを送ってくるはずがない」と思い、迷惑メールだと思って返事をしなかったそうです。そのくらい社会から「忘れ去られてきた場所」なのかもしれません。

ティキレスティ療養所は、第一次世界大戦後の1928年にかつての施設が再建され、当時の患者数は約180名でした。かつては患者用の家屋が47軒あり、映画館もあるほど賑やかだったそうですが、現在は48歳から86歳の回復者が16名ほど暮らしています。2005年には使用されなくなった居住棟を改築して老人介護施設を設立し、ハンセン病に対する無知と偏見を無くすため、一般の人々を入居対象とする施設としました。私が療養所に着くと、ラスヴァン・ヴァシリュウ院長が出迎えてくれ、居住棟や教会などの施設を案内してくれました。天気のよい日で、居住棟の前には回復者の方々がそれぞれ日光浴をしたり雑談をしたり、ゆったりと過ごされていたので、一人一人に声をかけて話をしました。

ティキレスティ療養所.JPG
ティキレスティ療養所


きれいなドレスを着て、赤いバラを耳にかざしたマリアさんという女性は、1970年代、15歳のときにハンセン病と診断され、以来ここで暮らしているそうです。とても明るい方ですが、「子どもが12歳のときに未亡人になり、とても辛い人生だった。息子は結婚して隣の村に住んでいる。ここは退屈だからどこかに連れて行ってほしい。だからお金持ちの旦那さんを探している。周りの人に気に入られるようきれいな服を着ているんですよ。」と話してくれました。そして、冗談で私に「今日夢が叶った。もう待ちません。一緒にどこかに行きましょう!」と言って、笑い合いながら手を取って踊りました。

赤いバラを耳にかざすマリアさんと.JPG
赤いバラを耳にかざすマリアさんと


もう一人ドムニカさんという女性は、両親ともにハンセン病を発病し、父親は14歳で、母親は12歳からこの療養所に住み始めたそうです。2人はここで出会って結婚し、ドムニカさんが生まれました。ドムニカさんは3歳のころに検査でハンセン病と分かり、治療を始めたそうですが、手に少し障害が残りました。13歳を過ぎてからは街の学校に通ったあと、トルチェという大きな街で30年間働き、今もその街で息子さんと暮らしているそうです。既にご両親とも他界されていますが、「私の心がここにつながっているの」と、年の半分くらいはここに来て過ごしているそうです。部屋のあちこちにご両親の写真が飾ってあり、嬉しそうに見せてくれました。写真に映し出された、愛のあふれる家族の姿が印象的でした。

ご両親の写真の前で微笑むドムニカさん.JPG
ご両親の写真の前で微笑むドムニカさん


最後に、療養所内の墓地にも足を運びました。1928年の設立以来、100人以上の方々の命がここで眠っているそうです。マリアさんの旦那さん、ドムニカさんのお父さんやお母さん、100の異なる物語がこの地に埋葬されています。一人一人に物語があり、歴史があります。その歴史には、国の隔離政策と社会からの差別とスティグマという人類が犯してきた過ちも含まれています。私たちは、この「人類の負の遺産」、そして一人一人が受けてきた苦しみを決して忘れてはなりません。また、逆境や絶望の中でも強く意志を持って生きてきた患者・回復者の方々の物語を遺していかなければなりません。ヴァシリュウ院長は、将来的に病院の建物を資料館と記念館として残したいと考えているそうです。私たちはこのような場所が持つ記憶、そして眠りについた人々の物語が失われないよう、人類の遺産として遺していかなければなりません。

療養所内に住む最年長86歳のヒマさんとの.JPG
療養所内に住む最年長86歳のヒマさんと


ハンセン病の世界制圧、回復者への差別とスティグマをなくすこと、そしてその歴史をしっかりと遺していくこと。これを私の生涯の責務として引き続き取り組んでまいりたいと思います。

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11月11日(火) [2014年11月11日(Tue)]
11月11日(火)

7:30 朝食

10:00 関係者と平和構築に関する打ち合わせ

14:00 関係者と昼食

19:00 関係者と夕食
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11月10日(月) [2014年11月10日(Mon)]
11月10日(月)

6:00 ホテル発

8:00 ネピドー着

9:30 ミンマー平和構築に関する協議 アウン•ミン大統領府大臣ほか

12:00 関係者との昼食

14:00 平和構築協議

16:00 USDP ウー・テー・ウ副議長 表敬訪問

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ウー・テー・ウ副議長


18:30 アウン•ミン大統領府大臣らとの夕食会

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アウン・ミン大統領府大臣らとの夕食
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「富岡製糸工場」―世界遺産と女工哀史― [2014年11月10日(Mon)]
「富岡製糸工場」
―世界遺産と女工哀史―


群馬県の富岡製糸工場は、多くの支援者の努力によって世界遺産に認定され、喜びの報道が溢れた。保存に努めた関係者に謝意を表したい。

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富岡製糸工場


明治以降の産業の近代化の中で、全国各地の製糸工場が果たした役割は大きい。しかし、その裏には女工哀史の歴史があったことも忘れてはならない。多くの貧農の娘たちの汗と血の努力なくして当時の製糸工場は成立しなかった。

2008年の小林多喜二の「蟹工船」ブームは、プロレタリア文学の再評価のはじまりかと思ったが、一過性で終わってしまった。

私も今まではプロレタリア文学には全く興味がなかったが、当時、貧困家庭から追い出されるように低賃金で働きに出ざるを得なかった人々の生活を知りたくて、暇な時間に少しずつ読みはじめている。佐多稲子、宮本百合子、葉山嘉樹、林芙美子、大杉栄、中野重治等で、昨日は小林多喜二の防雪林を読んだ。

紡績女工労働者の悲惨な労働の実態をまとめた細井和喜蔵「女工哀史」は未読だが、巻末に収録された付録に「女工小唄」がある。作者未詳だが、日本各地の紡績工場の盆踊歌として女工たちが歌いながら踊って、つかぬ間の憂さ晴らしをしたものだ。

プロレタリア文学第二巻【森話社】から拾ってみた。

*籠(かご)の鳥より監獄よりも、寄宿住まいはなお辛い。

*工場は地獄よ。 主任が鬼で廻る運転火の車。

*糸は切れ役わしゃつなぐ役、そばの部長さんにらみ役。

*偉そうにするな。お前もわしも同じ会社の金もらう。

*ここ脱け出す翼がほしや。せめてむこうの岡までも。

*よその会社は仏か神か。ここの会社は鬼か蛇(じゃ)か。

*ここの会社は女郎屋と同じ。顔で飯食う女郎ばかり。
※女郎とは売春婦のこと。

*親のない子は泣き泣き育つ。親は草葉のかげで泣く。

*うちさ行きたいあの山越えて。行けば妹(いも)もある親もある。

*会社勤めは監獄勤め。金の鎖が無いばかり。

*女工女工と軽蔑(けいべつ)するな。女工は会社の千両箱。

*紡績職工が人間ならば、電信柱に花が咲く。

*嬉し涙を茶碗に受けて、親に酒だと飲ませたい。

*工場しまって戻れば寄宿、蛙なく夜の里おもい。

*こんな会社へ来るのじゃないが、知らぬ募集人にだまされて。

*うちが貧乏で12の時に、売られてきましたこの会社。

ここには働く工場に対する皮肉、批判、悪口、抗議や怒りがこめられている。物事には表裏がある。華やかな世界遺産・富岡製糸工場でも、かつては籠の鳥として朝6時から夕刻6時まで働き、夜は寄宿舎で枕に涙を流して眠りにつく女工もいたのではないだろうか。

先人たちの血と涙の歴史の上に現代の我々が存在することを忘れてはならない。
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