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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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産経新聞【正論】国土を荒廃させる「相続未登記」 [2017年10月11日(Wed)]
国土を荒廃させる「相続未登記」


産経新聞【正論】
2017年9月22日

 時代が変われば、あらゆる価値が変化する。人口減少時代を迎え、長い間、国民の優良資産であった土地や家屋も、土地神話の崩壊で東京など大都市の一部を除きマイナスの資産になりつつある。

 ≪私有地の20%が所有者不明≫
 相続しても固定資産税の納税義務や管理コストだけが残り、登記の書き換えを見送る人が増えた結果、国土交通省の推計によると、所有者の居所が直ちに判明しない「所有者不明土地」が全国の私有地の約20%、九州を上回る面積に広がっている。

 不動産登記は土地に対する権利保全と取引の安全に欠かせないが、現行の制度では義務ではなく、あくまで任意である。不動産価値が下落し取引の当てがなければ、登記見送りによる所有者不明の土地や建物、山林は間違いなく増える。

 既に被災地の復興や公共事業、固定資産税の徴収などに支障が出ており、「見捨てられる土地」が増えれば国土の荒廃は避けられない。国土を健全に維持していく上でも、これ以上、事態を放置することは許されない。

 姉妹財団の東京財団が2014年に全国1718市町村と東京都の税務部局を対象に行ったアンケートでは、回答を寄せた888自治体のうち557自治体が「土地所有者が特定できず問題が生じた」、238自治体が「土地が放置され荒廃が進んだ」、134自治体が「道路開設、災害復旧など、公共事業の実施に支障をきたした」と答え、予想以上に深刻な実態が浮き彫りになった。

 ≪被災地復興や公共事業に支障≫
 東日本大震災の被災地では明治時代の人が登記上の所有者となっていた事例もあり、高台移転や防潮堤の用地取得、災害公営住宅の整備が遅れる一因となっている。

 今年7月の九州北部豪雨災害の被災地・福岡県朝倉市で復旧活動に取り組む日本財団職員からは、所有者不明の空き家が多く、倒壊家屋の取り壊しや片付け作業が難航しているとの声も届いている。

 不動産需要が落ち込む地方都市や中山間地では相続登記を急ぐ必要がなく、未登記が2代、3代と重なった結果、相続対象者が膨大な数に膨れ上がり、特定作業が極めて困難になっている。

 12年、水源地域の土地売買の事前届を条例で義務化した北海道では、不動産登記簿上の土地所有者4166人に通知した結果、1881人があて先不明で返送され、その後の追跡調査で判明したのは27人にとどまった。

 人口1万5000人の九州の地方都市が県道建設の用地取得を進めたところ、予定地域の一画約200平方メートルが3代にわたり相続登記されていないことが判明。調査を進めた結果、相続人は累計150人にも上った。土地に関する台帳には不動産登記簿や固定資産課税台帳、農地台帳などがあるが、所管官庁は法務省、総務省、農林水産省などに広がり一元的に管理する仕組みはない。

 土地の一筆ごとに面積や境界、所有者などを確定し、土地管理の土台となる地籍調査も1951年の開始以来、2016年度末までに完成したのは52%にとどまり、100%終了している仏独や韓国に比べ大きく遅れている。

 日本の土地制度は人口が増え、経済が拡大した時代の産物であり、縮小社会では制度自体が機能しにくい。しかも相続登記を行わなくとも所有権が失われることはなく、登記後、住所を変更しても通知義務はない。不在地主が死亡しても、死亡届が当該自治体に通知される仕組みもない。

 民法は「所有者のいない土地は国に帰属する」としているが、相続財産管理人による清算手続きが必要で、自動的に国に帰属するわけではない。住民が土地の寄付を希望しても、現実に自治体が引き取るのは公共事業などに利用できる土地に限られ、相続放棄の手続きも不動産に限らず全財産の放棄が前提となる。

 登記を行う法務局は行政改革によって1995年の1003カ所から2015年には419カ所に減った。団塊の世代が後期高齢者となる25年以降、相続件数は増え、未登記による所有者不明の土地の増加は避けられない。

 ≪時代に合った土地制度の確立を≫
 人口減少で土地需要が縮小しつつある実態は、わが国の土地制度に合わないし、先進国の中で格段に強い所有権も国土保全の観点からは問題がある、と実感する。

 国は『経済財政運営と改革の基本方針2017』で所有者不明の土地の有効活用に向け、次期国会にも必要な法案を提案する考えと聞く。所有権をそのままに利用権を設定できる仕組みを検討する動きもあるようだ。事情はやや異なるが、買い手が付かない不動産を低価格で集め再活用を図る米国のランドバンク制度なども参考になるのではないか。

 少なくとも倒壊の恐れがある持ち主不明の空き家を迅速に撤去するような仕組みは、国民生活を守る上でも早急に強化されるべきである。時代に合った土地制度が早期に確立されるよう望む。
(ささかわ ようへい)

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10月10日(火) [2017年10月10日(Tue)]
10月10日(火)

10:30 ホテル発

11:30 社会科学文献出版社 謝寿光社長 招宴

13:30 北京空港に移動

15:35 北京発

19:55 羽田着
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10月9日(月) [2017年10月09日(Mon)]
10月9日(月)

8:00 横井 裕 駐中国大使主催・朝食会

11:30 在京の日本メディア関係者との昼食会

14:30 ホテル発

15:00 図書100冊事業記念行事 挨拶 於:北京国際飯店会議場

16:30 会場発

17:00 対外軍事協力弁公室 胡昌明主任と会談・夕食会

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10月8日(日) [2017年10月08日(Sun)]
10月8日(日)

17:20 羽田発

20:10 北京着
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10月6日(金) [2017年10月06日(Fri)]
10月6日(金)

13:00 財団着

13:00 紀伊国献三 笹川記念保健協力財団最高顧問

15:00 アジア系アメリカ人リーダー訪日団 表敬
    ロブ・ボンタ氏(カリフォルニア州議会下院議員)
    アーロン・リング・ジョハンソン氏(ハワイ州議会下院議員)
    クラレンス・ラム氏(メリーランド州議会下院議員)
    ラーディ・マーム氏(マサチューセッツ州議会下院議員)
    ブライアン・シオザワ氏(ユタ州議会上院議員)
    モニカ・ジュラード・ストーニア氏(ワシントン州議会下院議員)
    アイリーン・ヒラノ氏(米日カウンシル会長)

16:00 IUC(アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター)奨学金授与式

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授与式で挨拶

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証書を手渡し

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記念撮影


18:00 韓国 社団法人 南北民間交流協議会 金弘傑理事長
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「中国出張」 [2017年10月06日(Fri)]
「中国出張」


8日日曜日より、中国に出張いたします。

中国人が興味のある日本語図書100冊、翻訳出版完成の記念行事に出席。

帰国は10日です。
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「私の覚悟」―座右の銘― [2017年10月06日(Fri)]
「私の覚悟」
―座右の銘―


“人間学を学ぶ”を売りにしている月刊誌「致知」の読者が最近、若者を中心に増え、発売部数も増加しているとのことである。

「私の座右銘」という連載に登場しろとのことでお受けしたが、私は漢学の素養に乏しく「座右銘」なるものは持たない。著名人が新聞や雑誌、テレビなどのインタビューで成功談とともに座右の銘を披露するのをしばしば目にするが、本当のところ、どの程度実生活の中で役立っているか、私には分からない。時に、単なる綺麗ごとに過ぎない印象も受ける。

もっとも座右銘を、「生活や仕事で心に留めておく言葉」、「自分への戒めや励まし」、「大切にしている言葉」といった程度に考えれば私にもある。「覚悟」の一言である。

私は父から引き継いだハンセン病との闘いやその他の支援活動に、いつどこで死んでもいいという“覚悟”を持って全力で取り組んできた。一度しかない人生を、今後も「覚悟」とともに生きたいと考えている。

月刊『致知』十月号連載
◎私の座右銘◎


覚悟


■指導者の「覚悟」が人や組織を動かす
かねて私は、50歳になるまではビジネスに取り組み、50歳を過ぎたら社会のために尽くす人生を歩もうと、「人生二度説」を唱えておりました。しかし、結果的には10年早い42歳の時に人道支援活動へと身を投じることを決意し、父・笹川良一が創設した日本財団の事業に携わることとなりました。

私が間近に見てきた父は、辛いとか、苦しいとか一切弱音を吐かず、ひたすら世界のために、人類のために、持てる智恵と情熱を惜しみなく尽くそうとする真の人道主義者であり、真の指導者でした。傷痍軍人の見舞いから就職の世話まで、父は本当に多くの方々の相談に乗り、援助を惜しみませんでした。そして、人間は蓋棺した後に評価を下してもらえばよいのであって、指導者の役割は人々の人気取りをすることではなく、自分の信念に基づいて「世の中はこうあるべきだ!」とはっきり主張していくことにあると言い、その姿勢を最期までぶれずに貫き続けました。

そうした父の生き方を引き継ぎ、私は社会的に恵まれない環境に置かれた人々へ目を向けた支援活動を最も重視してきました。なかでも、終生の仕事として長年取り組んできたのが、父が情熱を傾けながら志半ばに終わってしまったハンセン病の世界制圧です。

私がハンセン病との闘いに導かれた原点には、1965年、父の支援活動に同行して訪れた韓国のハンセン病病院での体験があります。私はそこで手足や顔が変形したハンセン病の患者と初めて接したのですが、それ以上に衝撃を受けたのは、どの患者も人生に絶望し、すべてを諦めたかのように人間らしい表情を全く失ってしまっていることでした。

しかし、父は全く臆することなく、患者たちの膿が出た手足をさすり、一人ひとりに言葉を掛け、激励しているのです。私はその光景を見て、「こんな世界があるんだ」と思わず動けなくなってしまいました。そして、これは自分が父から引き継がなくてはならない仕事なのだという思いを胸に刻んだのです。

私はこれまで世界中のハンセン病病院やハンセン病回復者が集団で暮らしている村などを訪問し、患者の方々を見舞い、父と同じようにその手を握り、肩を抱き、励ましてきました。また、ハンセン病蔓延国への治療薬の無料配布や患者を多く抱える途上国の国家元首にもできる限り会いに行き、目と目で向き合い、語りかけてきました。そうした活動を継続することによって、1980年代から現在までに1,600万人を超える人々が治癒し、ハンセン病蔓延国は激減しました。2017年8月現在、未制圧国はブラジル一国というところまで来ています。制圧とは、人口1万人当たりの患者数が1人未満になることをいいます。

しかし、世界制圧が達成されることで私のハンセン病の活動が終わるわけではありません。患者や回復者、その家族をいまだに社会が受け入れないという現実が世界には存在しているからです。ハンセン病は、医療問題であると同時に人権問題でもあるのです。

ハンセン病の人権問題への本格的な取り組みは2003年から始まり、私は国連人権委員会に働きかけ、その後改組された国連人権理事会に対してもハンセン病患者および回復者、家族への差別撤廃を粘り強く訴えていきました。その結果、2008年6月、日本政府の提案による差別撤廃決議が59か国の全会一致で決議されたのです。とりわけ嬉しかったのは、人権理事会総会で常に日本の提案に反対する中国とキューバが私の説得により共同提案国になってくれたことでした。

さらに、2010年12月には、国連総会において参加国百92か国すべての賛成を得て、「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別撤廃決議」及び付属する原則とガイドラインが採択されました。ハンセン病は世界が取り組むべき人権問題であることが、国連によって正式に認められるに至ったのです。

私はハンセン病との闘い、その他の支援活動においても、神に与えられた一度切りの人生なのだから、いつどこで死んでもいいという“覚悟”を持って、常に全身全霊を懸けて取り組んできました。この覚悟については姿勢として職員にも示し、失敗は自分がすべて責任を取るから思う存分仕事をしてほしいと伝えてきました。そして、本当の仕事は冷暖房の効いた部屋でできるほど甘いものではありません。問題点やその解決策は自ら現場に行かなければ見えてこないという信念から、私は世界中の現場を先頭に立って命懸けで走り回ってきました。それは78歳になるいまなお変わりません。やはり、上に立つ人間がいつ何時でも腹を切る、自ら責任をとるという強い覚悟を示していかなければ、人や組織を動かすことはできないと思うのです。

■日本人の素晴らしいDNAを後世に
戦後の日本社会は、一所懸命働き税金さえ納めていれば、あとは国が皆さんの面倒をみてあげますよ、という価値観のもと歩んできました。しかし、気がつけば少子高齢化や人手不足など、国だけでは解決できない様々な難題に直面しています。いまや私たち一人ひとりが自分の生活や国の将来に責任を持たなければならない時代がやってきたのです。

そうした現実を受け、日本財団では「休眠口座」の活用のための法整備、海洋資源の保全、海洋教育の強化を打ち出した「海洋基本法」の制定、障害者が働き自立できる社会づくりやパラリンピックの支援など、民間の立場から様々な取り組みを行ってきました。国の支援がなければ何もできないという声をよく聞きますが、かつての日本人はどうだったのか考えてみてください。例えば江戸時代には約280の藩がありましたが、どの藩も自ら藩校をつくって優秀な人材を育成し、自ら産業を興して財源を確保し、幕府から独立した高度な自治を実現していました。それに比べれば私たちは恵まれていると言えます。

やはり、いくら国の支援があっても、生まれ育った故郷、国に誇りを持って、自分たちの力で盛り立てていこうという意志が根本になければ、よりよい未来はつくれません。

江戸時代だけでなく、明治維新による近代化や、敗戦後僅か50年で世界第二位の経済大国に成長を遂げたことなど、私たち日本人には艱難辛苦を乗り越えていく素晴らしいDNAがあります。先の東日本大震災でも、日本社会の特性である「皆が皆を支えあう精神」が発揮され、世界中から賞賛されました。

その日本人の素晴らしい歴史、DNAを夢を持って語っていくことで日本人のマインドセットを果たし、子供たちのために夢のある国づくりをしていきたい。そのためにこれからも「覚悟」の二文字を深く心に刻み、先頭に立って走り続けていきたいと思います。

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10月5日(木) [2017年10月05日(Thu)]
10月5日(木)

7:20 財団着

8:15 財団発

8:30 東京駅着

8:44 東京駅発

9:49 軽井沢着

11:00 リーかあさま記念館

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ハンセン病患者の救済に尽力した宣教師コンウォール・リー女史の足跡を残した
「リーかあさま記念館」

A「聖マーガレット館」はハンセン病患者の子どもが住んでいた住居.JPG
リーかあさま記念館の隣にある「聖マーガレット館」は
ハンセン病患者の子どもが住んでいた住居


11:40 栗生楽泉園・重監房跡地

B栗生楽泉園内に残る「重監房跡」.JPG
栗生楽泉園内に残る「重監房跡」

C重監房の中で多くの人が命を落としたと言う.JPG
重監房の中で多くの人が命を落としたという


12:00 納骨堂参拝

D納骨堂に手を合わせる.JPG
納骨堂で手を合わせる


12:10 重監房資料館(資料映像を見ながら昼食)

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資料館内には再現された重監房がある
狭く暗い部屋の中に収監され、冬はマイナス17度まで下がるため、凍死する人もいたとのこと


13:00 入所者自治会、園の関係者との懇談

F自治会の藤田三四郎会長(筆者右)と岸従一副会長.JPG
自治会の藤田三四郎会長(筆者右)と岸従一副会長

G病棟を訪問.JPG
病棟を訪問


14:00 社会交流会館

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社会交流会館内には貴重な歴史資料が保存されている


15:55 軽井沢発

17:12 東京着

17:45 「アジア系アメリカ人リーダー訪日団」小宴 挨拶
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10月4日(水) [2017年10月04日(Wed)]
10月4日(水)

12:30 財団着

13:30 海洋開発国際シンポジウム 挨拶

国際シンポジウムで挨拶
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14:00 「2017年度IUC授与式」打合せ

15:00 「海外障害者支援事業」打合せ

15:30 大野修一 笹川平和財団理事長」 於:SPFビル

16:30 伊藤恭子 カナダ・トロント総領事
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「中国の小話」その142―成功した男と長寿― [2017年10月04日(Wed)]
「中国の小話」その142
―成功した男と長寿―

3歳   お漏らしをしない。

5歳   自分でご飯を食べられる。

18歳   車の運転ができる。

20歳   彼女ができた。

30歳   お金を儲ける。

40歳   益々金持ちになる。

50歳   いくら財産があるか分からない。

60歳   次々と新しい彼女ができる。

70歳  子どもが出来る。

80歳  まだあの方は現役である。

90歳  子どもができないと、医者に行く。

100歳  まだ壁にかけられていない。(遺影のこと)

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