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写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

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「ノーマン・ボーローグ博士生誕100周年」―記念シンポジウム― [2014年08月11日(Mon)]
「ノーマン・ボーローグ博士生誕100周年」
―記念シンポジウム―


笹川アフリカ協会(SAA)主催によるノーマン・ボーローグ博士(インド・パキスタンの緑の革命を指導してノーベル平和賞を受賞)の生誕100周年記念シンポジウムがアフリカのウガンダ南東部の都市ジンジャで、7月10日、11日の二日間開催された。

笹川アフリカ協会は、1986年、ノーマン・ボーローグ博士、ジミー・カーター元米国大統領、日本財団初代会長の笹川良一が共同で設立した協会である。ボーローグ博士は晩年の20年間、SAA理事長としてアフリカの農業問題と闘い続けた。

1989.8 笹川・カーター・ボーローグ.jpg


設立以来『笹川グローバル2000』(SG2000)農業プログラムをサブサハラ14カ国で展開。各国のパートナーと協力しながら、零細農家に対して高収量品種の導入や高生産性農法の活用を奨励することで生産性と収益性の向上を目指しており、現在は、ケニア人のルース・オニャンゴ会長の強いリーダージップのもと、エチオピア、ナイジェリア、マリ、ウガンダの4カ国で重点的に活動を行っている。

世界広しといえども、28年間もアフリカの零細農民を相手に活動してきた団体は他にない。特に近年、宮本正顕常務理事の努力により世界的に評価は高まり、ビル・ゲイツ財団、JICA、ナイジェリア政府、ドイツからの支援金もあり、更に支援を申し出てくれている団体や国があるものの、しっかりとした成果を出すためにはこれ以上急激な組織拡大は望ましくないとのことでお断りしている状態だと、宮本正顕さんは話してくれた。誠にうらやましい限りであり、又、設立当初から関与してきた私にとっても誇らしいことである。

このシンポジウムにはエドワード・セカンディ副大統領、モーゼス・アリ第2副首相、トレス・プチャナヤンディ農業大臣をはじめとするウガンダ閣僚、ボーローグ博士の娘ジーニー・ボーローグ氏と孫のジュリー・ボーローグ氏、ソグロ元ベニン大統領、藤田順三在ウガンダ日本国大使、ウガンダ政府関係者、国際NGO、大学、農業関連企業、ジンジャ周辺地区の農家、学生、青年海外協力隊ウガンダ隊員が参加した。

ウガンダの農業問題に関するパネル・ディスカッションでは、シンポジウムに参加している農家、学生からの質疑応答が活発に行われた。「農家の技術を向上させるために、農業を学校の必修科目にするべきか?」というセンションでは、マチョワ・クリストファー・モガル君(15歳)より、「農業をもっと楽しくするべきだ。農業を楽しむことで、農業にそれほど誇りを感じていなかった将来の世代が、農業に献身するのではないか?もっと農家のモチベーションを上げる仕組みを作れば、ウガンダ農業は発展するはずだ」という意見が出された。

さらに「農家の収入向上のために、どのように農業をファミリービジネスとして促進させればよいか?」というセッションでは、青年海外協力隊の神崎志穂さんが、米の普及による農業収入向上の可能性とそれに係る人材育成の重要性について発表。同じく青年海外協力隊の平野裕士さんは、活動している村の農業組合メンバーとマンゴージャム作りを始めたが、農家がジャム作りを通して食品加工だけでなく、それを売るためのマーケティングやジャムを作る際の衛生管理についても学ことができると発表した。

日本においては、農業も高齢化と共に後継ぎ問題が深刻であるが、若者が農業を誇りに思い、その可能性について議論する場の必要性を痛感した。

会議の休憩時間にボーローグ博士の娘であるジーニーさんと、孫娘のジュリーさんと挨拶を交わした。「父はミネソタの貧しい農家に生まれたの。大学時代はレスリングの選手として活躍したけど、大リーグのシカゴカブスの二塁手になることが夢だったらしいの。控え目な人で、自慢話はしないで一生懸命働く、とても倫理観の強い人だったわ。いつも私たちに教育の大切さを話し、死ぬまで教えることを忘れなかった。父の仕事で南米に何回も同行したけど、飛行場ではいつもDairy Queen(デイリー・クイーン)を探し歩いてアイスクリームを食べるのが楽しみだったみたい。確か死の二日前だったと思うの。癌の治療が終わって病院から帰って来て、突然「最大の問題はアフリカだ」と。晩年の父の頭の中は常に『アフリカ』だった。忘れもしない。死の6時間前に「Take it to the farmers」(その技術を農民の元へ)と言ったの。それが今回のシンポジウムのテーマになったことを、きっと父も喜んでいるでしょう」と語ってくれた。

ボーローグ博士の娘さんとお孫さん.JPG
ボーローグ博士の娘さんとお孫さん


ノーマン・ボーローグ博士は、私に多くのことを教えてくれた恩師である。常に「Never give up」、あきらめるなと、叱咤激励してくれた。ヒューストンで病魔に勝てないことを悟ったノーマン・ボーローグ博士が笹川アフリカ協会会長を辞任され、その感謝の慰労会を親しい関係者とご家族で行った折、私は不覚にも感極まって、生まれて初めて人前で号泣したことも遠い昔のように思い出される。

2000.8 ボーローグ博士.jpg
ボーローグ博士とご一緒した時間は筆者の宝物


葬儀での挨拶、そして今日のスピーチも、多くの方々から感銘を受けたとのお誉めの言葉を頂いた。私の下手なスピーチを補って余り有るスピーチの内容であった。

私のスピーチは、武部恭枝女史の指導のもと、小澤直、渡辺桂子、ヴィッキー本多、田中麻里などの若手が長時間の議論を通じ言葉を選んで作り上げた文章で、日本財団にスピーチライティングチームが存在することは、私の海外活動にとって今や不可欠の存在である。

10〜15分のスピーチの作成に1ヶ月近くの時間をかけて作成する担当者の労に感謝したい。

以下はそのスピーチです。残念ながら原文の英語からの翻訳なので、若干ニュアンスは違うかもしれない。

*************************


ボーローグ・レガシー・シンポジウム
―挨拶要旨―


2014年7月10日
於:ウガンダ・ジンジャ


本日は、ノーベル賞受賞者であり、2009年に天国に旅立たれる最期の日まで笹川アフリカ協会(Sasakawa Africa Association: SAA)の会長を務められた、故ノーマン・ボーローグ博士の生誕100周年記念シンポジウムで皆さまにお目にかかることができ、大変光栄に思います。また、博士の最愛の娘であるジーニーさん、孫娘のジュリーさんもこの会場に駆けつけてくだったことを心より嬉しく思います。

ボーローグ博士と私の出会いは、30 年前に遡ります。ちょうどエチオピアを中心としたアフリカ各国が未曾有の大飢饉に見舞われていた時でした。当時、この飢饉に対し、世界各国がアフリカに食糧を届けました。「世界は一家、人類は皆兄弟姉妹」を基本理念とする私たち日本財団も、アフリカの人々を家族の一員と考え、苦境に陥ったアフリカの兄弟姉妹のために緊急食糧支援を行いました。しかし、このような支援は一時的に人々の空腹を満たすことができても、長期的な解決策にはなり得ないことは明らかでした。そこで、この出来事をきっかけに、私たちは、アフリカが抱える食糧問題を根本から解決するためのプロジェクトを立ち上げることを決意したのです。

この決意のもと、当時の日本財団会長であった私の亡き父、笹川良一と私は1986年にSAAを設立し、ボーローグ博士、そして、ジミー・カーター元米大統領に、私たちのプロジェクトへの協力をお願いしました。カーター元大統領はすぐに申し出を受け入れてくださいましたが、当時73歳だったボーローグ博士は「私はもう引退した身で、新しいことを始めるには年を取り過ぎています。」と躊躇されました。私の父は「私のほうがあなたより13歳も年上です。アフリカへの農業支援は、今からはじめても遅いくらいです。ですから、さっそく明日から一緒に始めましょう!」と説得しました。こうして、私たちのアフリカでのプロジェクトが始まり、飢餓という人類が抱える最も難しい課題のひとつに取り組むことになったのです。

アフリカでは、緊急な対応が必要とされる課題が山積していました。はじめに、農民たちに農業の基本を教える必要がありました。また、当時、多くのアフリカの国々で脆弱であった政府の農業普及サービスを強化していくこと、アフリカ各国政府が農業開発政策の優先順位を高めていくことが必要でした。これらは、本当に気が重くなるような難題でしたが、強い使命感を持ったボーローグ博士は、それらの難題に立ち向かっていったのです。彼は、どんな時も怖気づいたり、途中で投げ出したりすることはありませんでした。彼は、どんな困難な状況においても、いつも笑顔で「ヨウヘイ、諦めてはいけないよ!」と語りかけてくれたのです。

ボーローグ博士の生きる姿勢は、癌を患われてからの晩年になっても変わることはありませんでした。ご自身の身体が病に蝕まれている時でさえ、彼はアフリカの人々のことを最優先に考えていました。ある現場視察の後、ボーローグ博士がひどく咳込んだことがありました。私たちは、彼に出張を早めに切り上げて休むように言いましたが、「私がいるべき場所はフィールドだ」と、病気などものともせず、私たちの心配をよそに、強い闘士さながら、次の目的地に出かけていきました。

ボーローグ博士がSAAを率いてくださった20年の間に、ササカワ・グローバル2000はアフリカ14か国でプロジェクトを展開しました。私たちと一緒に仕事をした農業普及員はこれまでに数万人に達し、そのうち4000名を超える農業普及員をアフリカの大学20校において育成しました。また、私たちのプログラムを通じて、何百万人もの小規模農家の方々との「触れ合い」がありました。

私がここで申し上げた「触れ合い」というのは、アフリカの農民の心や魂に影響を与えるほどの深く、濃い「触れ合い」があったという意味です。ボーローグ博士は、アフリカの小規模農民の潜在能力を信じていました。彼の貢献は、耕運や植え付けの技術の指導という域を超えていました。彼は、農民に寄り添い、現場で共に汗を流すことで、食糧の増産を可能にしただけでなく、農民の心に「自信」という種を植えたのでした。この人道的なアプローチは、ボーローグ博士と共に働く全ての人々にとって、共通の価値観となり、SAAという組織の基盤として引き継がれていきました。

現在、SAAは、アフリカ諸国を中心に様々な国籍の職員で構成されたとてもダイナミックな組織に成長しました。オニャンゴ会長のリーダーシップの下、女性スタッフの数も増えてきています。現在の重点4か国、エチオピア、マリ、ナイジェリア、そしてウガンダにおいて、ノーマン・ボーローグ・スピリットを継承し、多くの開発パートナーと共に、アフリカにおける持続可能な農業の発展に貢献するため、尽力しています。

「Take it to the farmer」というボーローグ博士の言葉を私たちの指針として胸に刻み、この偉人が切り開いてきた道を共に歩み続けていきましょう。「Never give up」というボーローグ・スピリットに基づき、アフリカの農民に寄り添い、彼らの生活を向上させるというコミットメントを再確認し、共に取り組んでいきましょう。そして、子どもたちが空腹のまま眠りにつくことがないように、共に汗を流していきましょう。

********************


*日本財団ライティングチームの名作ですので、当時の弔辞を再録します。

ノーマン・ボーローグ博士 弔辞


2009年10月10日
於:テキサス州A&M大学


早いもので、博士とアフリカの農業開発に取り組み始めて四半世紀が経ちました。「食糧難に苦しむアフリカの人々の空腹を少しでも満たせてあげたい。」父と私は、当時70歳のあなたに無理を承知で協力を要請したところ、快く引き受けてくださいました。以来、あなたはアフリカの農民やその子どもたちのためであれば、いかに多忙であろうと最優先で取り組んでこられました。

Bill、Jean、あなたの父親はあなたたち家族を心より愛していました。そしてあなたの父親はアフリカの農民たちを想い、幸せを願っていました。マラウィで肺炎寸前まで体調を崩したときも、そしてガンに侵されていたときも、自分の心配よりアフリカの農民たちの幸せを考え、行動していました。そして驚くことには、その時のようにどんな苦境に立たされようと、決して苦しいとか辛いとか弱音を吐くことはありませんでした。むしろ困難を正面から受け入れ、それを乗り越えるモチベーションを生きる糧にしているようにさえ見えました。

 博士は可能な限り現地を訪れ、農民と一緒に汗をかきながら優しく丁寧に手ほどきする一方、カントリーディレクターには厳しい姿勢で指導に当たられていました。そして年に一度の収穫祭で、農民たちが歓喜のダンスをしているときに見せる幸せに満ちた博士の笑顔を、私は忘れることができません。

「アフリカの子供たちが空腹を抱えたまま眠りにつかないように・・・。」博士がよく口にしていたその想いを胸に走り続けたその成果は、単に農民やその子どもたちの空腹を満たすだけのものではありませんでした。

Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「夢」という、土壌を耕しました。
Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「希望」という、種を植えました。
Norman、あなたはアフリカの農民の心に、「情熱」という、水と太陽を注ぎました。
そしてNorman、あなたはアフリカの農民の心に、「自信」という作物を実らせたのです。

あなたは決してあきらめなかった・・・。

私も、あなたがアフリカの人々のために活動を始めた時と同じ70歳になりました。
「アフリカに緑の革命を・・・。」私は、あなたの夢そして我々の夢をボーローグスピリットを継ぐ同志(指導者、学者・研究者、農民)とともに、最後まで追い続けます。
絶対にあきらめません。
ボーローグ博士、どうか安らかにお休み下さい。



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「日本財団在宅看護センター」―起業家育成事業― [2014年08月08日(Fri)]
「日本財団在宅看護センター」
―起業家育成事業―


九州赤十字看護大学の学長を務められ、昨年、笹川記念保健協力財団の理事長に就任された喜多悦子氏は、人生最後の仕事の一つとして、看護師の起業家育成こそ高齢化社会において最も重要な社会的課題であると考えられ、日本全国に在宅看護センターを配置すべく、この度、日本財団と協力して看護師の起業家育成事業を開始した。

以下はその開校式での挨拶です。

―開講式 挨拶要旨―


2014年6月2日
於:日本財団


世の中は常に変化していますが、それにどのように対応していくかが重要です。私たち笹川記念保健協力財団と日本財団は、医療の在り方について、常に先進的なチャレンジをしてきました。

最初は日野原先生ご指導のもと、予防医療を目的とした「ライフプランニングセンター」を立ち上げました。病気になってからでは遅い。ここにおられる方がまだ生まれていらっしゃらない頃です。その頃は、血圧計も聴診器も医師しか扱えませんでした。

病気にならないためにはどうしたら良いかを、ライフプランニングセンターを中心に発信してきました。現在、生活習慣病と呼ばれる病気は、当時は成人病と表現されていました。成人病というと、成人になれば誰もがかかると勘違いする。生活習慣病へと変わったのはここ4、5年の話で、変えるまでに20年以上かかりました。

近頃は食生活の変化もあり、癌が非常に増えてきました。しかし、癌患者に対するケアというのが大変遅れていましたので、終末医療にタッチできる看護師さん、いわゆるホスピスナースを養成しようではないかことで研修制度を立ち上げました。今や緩和ケアなんて当たり前ですが、当時はまったくありませんでした。日本財団と笹川記念保健協力財団は、看護師協会と組んで認定看護師ということから始め、現在までに全国で3400人を養成してきました。

忘れもしません、第1回目は確か24人。このビルに来て頂きました。2、3人の方を除いて全員、病院を退職して来られました。「そんなものを勉強して何になる」、そんな時代でした。それでも終末医療に命を捧げたいという志のある人達が全国から来てくれました。私どももその熱意に報いようと、寮を作ったりして協力し、今も年1回、ここに集まって勉強会を続けております。

ご承知のように、今の医療は技術偏重の時代で、とにかく技術、技術で、医者が患者との間に人間的な触れ合いを作れない。医者はパソコンばかり見て、患者さんの顔を見ないでしゃべるのです。医療は医師と患者が心と心が通う人間関係を築いた上で行われないといけない。そういう医療が変わってしまった。ですから我々は、医師も終末医療についてもっと勉強してほしい考え、遅まきながら、自治医大などで終末医療の課程を作りました。皆さんのような看護師さんの志に比べて、医師は技術、技術の世界になって、患者との人間的な触れ合いを忘れてしまった。極端な話、今や医師が患者さんに対して上手に説明する言葉すら知らない人がいっぱいいるのです。

今から20、30年前は、癌になった患者さんにどのように説明するか、医師はみんなとても悩んだのです。「この人はしっかりしているから全部言っても大丈夫だろうか」「奥さんにそっと話そうか」などと、とても悩みました。今は患者の性格や家庭環境も知らず「あなた癌ですわ」と言う。こういった現在の医療をどう思いますか?

世論調査をみれば、8割9割の人が自宅で終末を迎えたいと願っています。病院の中で、スパゲッティーじゃないけど、いっぱい管をぶら下げられて・・・。そういう方法を望まれる方もいるかもしれませんが、終末は家でという希望が強いわけですから、やはり病院から自宅中心に移していかなければ国民の要望には応えられません。

在宅看護センターの起業家を目指す皆さんにお集まりいただき、第一回の研修会をスタートする今日は、歴史的な日だと思っています。今まで看護師さんはお医者さんに従属して言われたことをやるというお立場だったと思います。これからは、そういう看護師さんの立場が変わり、自ら在宅のケアを中心的にやっていく皆さんは、主役に躍り出るのです。

日本の長い看護の歴史の中で、多分、皆さんが医療の主役になるのは初めての出来事です。志のある皆さんの小さな今日の種が、10年、20年後に花開くよう願っています。看護師の皆さんが起業して、事業として成り立つ形で、かゆい所に手が届く、本当に患者さんと触れ合い、患者をケアしている家族のみなさんの信頼を得て、人生の最後を家の中でおくれる日が来ることを願っています。

終わりよければすべてよし。どんな困難な人生も終末がよければ素晴らしい人生です。栄誉栄華を極め億万のお金を貯め込んでも、終末が寂しければその人生はやはり悔いの残る人生になってしまいます。素晴らしい終末をおくってもらうためにお金は要りません。皆さま方の愛で、皆さん方の志によって多くの人が、本人はもとより家族も、終末をよくやって頂いた、ありがたいと思っていただけるような心の通った医療に日本を変えていく。今日はその出発点です。

日本財団は、単に皆様方に教育を受けて頂く為の協力だけではありません。皆様方には、ここで勉強して経営者として立派な知識を身に付けていただかなくてはなりません。人も雇わなくてはなりませんが、人を雇うって結構難しいのです。自分で働いた方が早いですからね。人を使ってやるというのは苦労を背負うことにもなりますが、これをやらなければならないのです。面倒でもここで勉強して頂いて、晴れて起業する時には日本財団が支援します。事務所を借りるというのなら事務所の費用も、あるいは看護をしたい人を数人預かって面倒みるような施設も含めて、私たちは皆さんと信頼関係を作り、最後まで支援させていただきます。

事業資金を銀行で借りるには保証人が必要になります。借りた金は返さないと怒られます。日本財団は返さなくても私が首になるだけで済みます。これは冗談です。心配いりませんから大船に乗った気持ちで勉強に励んでください。

笹川記念保健協力財団理事長の喜多悦子先生は、自分の長い看護生活の集大成にしようと、熱意に燃えて頑張っておられます。

何よりも皆さんは第一期生です。在宅看護のための組織作りは、皆さん方のこれからの人生の誇りとなることです。みんなが協力します。一緒に頑張りましょう。

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開会式後の懇親会で記念撮影
成功を祈って!
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WANA(西アジア・北アフリカ)フォーラム―スピーチ― [2014年08月06日(Wed)]
WANA(西アジア・北アフリカ)フォーラム
―スピーチ―


WANAフォーラムは、西アジア・北アフリカ地域の経済・環境・エネルギー・教育・社会問題などを、各国の政治指導者、国際機関代表者、学者、研究者、市民社会代表者など幅広い分野を代表する知的指導者が国を越えて知的対話を行う場で、チェコのハヴェル大統領と私が、過去17年間にわたり、共にプラハで行ってきた国際知的対話のプラットフォーム「フォーラム2000」のアラブ版である。

「フォーラム2000」を通じて友人となったヨルダン王国のハッサン・ビン・タラール王子と私が協力して、アラブ諸国、トルコ、イラン、イラクや南アジアに至る国々の知的指導者を招へいして国際会議をヨルダンの首都アンマンで開催してきた。ハッサン王子は、「ローマクラブ」理事長、「人権問題に関する独立委員会事務局」理事長などの要職にあり、中東を代表する賢人として名高い人である。

WANAフォーラムは2009年に第1回を行い、今年は第6回目の会議となった。各回のテーマは以下のとおりである。

第1回 人間の安全保障            参加人数70名
第2回 国境をまたがる課題とその解決に向けて 参加人数130名
第3回 変化しつつあるWANA地域      参加人数61名
第4回 アイデンティティの課題        参加人数123名
第5回 住み慣れた環境を追われた人々     参加人数83名
第6回 司法へのアクセス向上         参加人数196名

毎回20ヶ国ほどの国々からの参加があり、会議は様々な共通課題を取り上げ、盛会ではあったが、具体的成果には到達しておらず、アラブの春は何処へやらで、市民社会の未成熟なWANA地域の混乱は拡大傾向にさえあり、当分収まる気配はない。

この会議の評価は、唯一、今まで存在しなかった各国の知的リーダーの国境を超えたネットワークが出来たことかもしれない。

日本財団が協力機関ということもあり、私たちはWANA地域が直面する経済、環境、エネルギー、市民社会などの諸問題について、日本や東南アジアの例を紹介することにも力を注いだ。過去の会議にはわれわれが紹介したインドネシア、マレーシア、フィリピンなどの知的指導者の参加もあり、日本からは日本政府代表を務められた有馬龍夫大使のご指導を得ながら、西村六善大使、米倉誠一郎一橋大学教授、恒川恵市政策研究学院大学副学長、菊池努青山学院大学教授が、ご多忙の中、発言のため参加して下さった。
厚く御礼申し上げたい。

以下、筆者のスピーチです。

************************


日本財団会長 笹川陽平
2014年6月11日
於:ヨルダン・アンマン


11日 WANAフォーラム開会式.JPG
開会式で挨拶


本日は、第6回西アジア・北アフリカ(West Asia North Africa:WANA)フォーラムでご挨拶をさせていたただけることを大変光栄に思います。はじめに、このフォーラムのホストであるハッサン殿下、アハマド・マンゴー博士、そしてエリカ・ハーパー博士をはじめとするワーキンググループのメンバーの皆さまのご尽力に心より敬意を表します。また、それぞれの国や地域の重要な課題に対し、日々研究を進めてくださっているワーキンググループの皆さまにあらためて感謝申し上げます。

私は殿下と長年にわたり親交を深める中で、WANA地域の平和で安定的な発展に対する殿下の熱い想いを幾度となく伺い、その確かなビジョン、情熱、揺らぐことのない志に大変感銘を受けてきました。

WANA地域に目を向けてみますと、ここが社会的、経済的、政治的、そして自然環境の側面から見ても、世界の中でも極めて重要な地域の一つであるということを痛感します。
しかし、長年の紛争やそれに続く暴動は、人間の安全保障を脅かし、政情不安を煽り、WANA地域に困難な課題をもたらしています。このフォーラムが、WANA地域の成長を妨げ、人々の生活を困難にしている様々な問題に、WANA地域の関係者が取り組むための対話の場を築いてきた経緯は評価すべきことであり、まさに、ハッサン殿下の先見性によるものであると思います。

今年のフォーラムのテーマは「リーガル・エンパワメント」です。世界中の何十億人もの人々が法の保護の外に追いやられていると言われており、WANA地域も例外ではありません。法の支配からの排除は、経済発展や人材育成に弊害をもたらし、さらには、インクルーシブな社会の構築への道を閉ざしてしまうでしょう。

私がこれまで行ってきた人道支援活動においても、このような暗い現実に何度も直面してまいりました。社会や法の保護から置き去りにされた人々。貧困にあえぎ、基本的な権利があることを意識していない人々。そのような人々の中でもハンセン病患者・回復者についてお話したいと思います。

ハンセン病は人類の歴史の中で、誤解され、偏見の対象となってきた病気です。治療をしないまま放置しておくと、顔や手足などに目に見える変形が生じることもあるため、人々に恐怖の念を抱かせました。また、神の罰や祟りであるとも思われてきました。そして、多くの国々では、ハンセン病患者が家族から引き離されて孤島や遠隔地に隔離されてきました。

何世紀にもわたり、ハンセン病患者・回復者は法の保護の外で生きることを余儀なくされ、公共サービスにアクセスすることもなく、彼ら自身の人権を意識することもなく、そして、貧困から脱却することもありませんでした。

最近になってようやく、ハンセン病患者・回復者を取り巻く状況が改善されるようになりました。その背景には、国際機関、政府、NGO、そして、ハンセン病回復者自身など様々な関係者の協力がありました。

こうした関係者との取り組みの中でも「リーガル・エンパワメント」がもたらした成果は顕著なものでした。多くの国々でハンセン病に対する差別法が撤廃されました。さらに、世界中の様々な国々において、ハンセン病回復者が自らのための組織を設立し、法の下に平等な権利を持つ市民であると認識されるようになるための活動をしています。彼らの努力により、ハンセン病患者・回復者が公共施設や社会的リソースを利用できるようになるなど具体的な成果へとつながりました。そして、最も重要なのは、ハンセン病患者・回復者が自ら声を上げ、社会に発信できるようになったことです。

しかし、真の意味でのインクルーシブな社会を実現していくためには、多くの人々の意識を変えるという努力を同時に進めていかなければなりません。私は、公正を欠いた行為が長年の慣習と伝統に根深く結びついているという社会を多く見てまいりました。それはあまりにも根深いため、意識の高い人ですら、このような現実に気づいていないのです。本日のフォーラムでは、ぜひ、こうした視点も検討の対象に含めていただければと思います。

WANA地域において、様々な分野のリーダー的立場にある皆さまが、個人や自国の利益に捉われず、この地域全体のより良い未来を追求するために、忌憚なく議論することができるこのような機会は大変意義深いものです。

WANAフォーラムが、今後WANA地域の発展と人々の明るい未来に貢献することを期待しています。

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8月5日(火) [2014年08月05日(Tue)]
8月5日(火)

7:30 財団着

9:15 中邑賢龍 東京大学先端科学技術研究センター教授

9:30 異才発掘プロジェクト候補生

10:00 異才発掘プロジェクト全国説明会 挨拶

DSC_5709.JPG
異才発掘プロジェクト全国説明会で挨拶


11:00 河村俊信 国土交通省海事局総務課長

11:30 遠藤容弘 日本ゲートボール連合専務理事

12:00 文箭安雄 日本ベンチャーキャピタル(株)会長

14:00 香川剛廣 エジプト大使

14:30 大久保満男 日本歯科医師会会長

15:00 羽生次郎 笹川平和財団会長
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8月4日(月) [2014年08月04日(Mon)]
8月4日(月)

7:40 財団着

10:30 菅原悟志 B&G財団専務理事

12:00 鳥井啓一 日本財団参与

13:30 佐野慎輔 産経新聞特別記者

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「ローマ法王は失言がお好き?」 [2014年08月04日(Mon)]
「ローマ法王は失言がお好き?」


フランシスコ ・ローマ法王はアルゼンチンのご出身で、旧弊のバチカンを改革すべく、さまざまなご努力をされているようだ。

しかし残念なことに、その中で再三再四、ハンセン病を例えにされている。

ハンセン病の制圧と患者・回復者とその家族へのスティブマ(汚名)や差別と戦っている私にとっては看過できないことで、恐れ多いことではあるが、そのたびに書簡を差し上げているが、法王様が最も嫌っておられる法王庁の官僚主義に阻まれ、実際には私の書簡は読まれておられないのではと思われる。

なぜなら、今回で3回目の失言をなさっておられるからである。

キリスト教徒にもハンセン病に対する差別で苦しんでおられる方が今も多く存在する。それらの方々のためにも、例え法王様であっても、申し上げなければならないことは訂正されるまで申し上げなければならないと、活動を続けているところである。

ここに法王様への3回にわたる失言に対する訂正のお願いの手紙と、法王庁からの返信を時系列に公開します。

*********************


★第1回目書簡
2013年6月13日


法王様

日本からご挨拶申し上げます。WHOハンセン病制圧特別大使および日本政府ハンセン病人権啓発大使としてこのお手紙を記しています。

まず初めに、毎年1月の世界ハンセン病の日に合わせてバチカンが発表されている、ハンセン病回復者に対する理解と協力に感謝申し上げます。ハンセン病とこの病気にかかった人々が直面している課題について人々の認識を高めるため、法王様が今年に発出されたメッセージや、法王庁立保健従事者評議会からの毎年のメッセージにも深い敬意の念を表します。

さらに、法王庁立保健従事者評議会の会長におかれましては、私が毎年行っているハンセン病回復者およびその家族に対するスティグマと差別をなくすためのグローバル・アピールに、2009年、他の宗教指導者と共にご賛同いただきましたこと、深く感謝しております。

法王様がよくご存じのように、ハンセン病は人類によく知られている最も古い病気の一つです。数世紀にわたって、身体的、心理的、精神的な苦痛を患者や回復者そしてその家族にもたらしてきました。今はこの病気が完全に治るようになったという事実にもかかわらず、世界には、この病気に対する迷信や誤解によって偏見と差別を受けているハンセン病回復者と家族が存在します。

近年になって、ハンセン病に関連する差別の問題において、素晴らしい取り組みがなされています。グローバル・アピールに加え、2010年12月には、国連総会が、ハンセン病患者、回復者とその家族に対する差別撤廃の原則とガイドラインを承認する決議を採択しました。現在、この原則とガイドラインが完全に実行されるよう努力がなされている段階ですが、それは容易なことではありません。

お伝えしたいのはこの点についてです。最近、法王様が法王庁聖職者アカデミーでお話しされたスピーチの中で、「出世主義」をハンセン病と結びつけてお話されたことを知りました。これは、この病気について深く染みついた固定観念を強めてしまうだけであり、最も嘆かわしい比喩であります。

この病気に対するスティグマを強めたり、ハンセン病回復者に苦痛を与えたりすることが法王様の意図ではないことは、疑う余地はありません。しかし、今回の場合、結果的にそうなってしまったと言わざるを得ません。法王様のお言葉は広く多くの方に伝わり、影響力がありますゆえ、言葉の選択において細心の注意を払っていただくよう、強くお願い申し上げます。特に、南米諸国にはカトリック信者が多く、ハンセン病回復者も多数存在するため、法王様のお言葉は非常に大きな影響を与えます。

また、これを機会に、ハンセン病回復者の尊厳と人権の回復のためにこれまで行ってきた活動内容を法王様にご報告申し上げるために、法王様のご都合のよろしい折に拝謁を賜りたく存じます。

最後に、世界ハンセン病の日にバチカンが下さっている重要なご支援に再度お礼申し上げます。世界からハンセン病とそれによる問題をなくしていくために、法王様と共に取り組むことができましたら幸甚に存じます。
敬具

笹川 陽平
日本財団会長
世界保健機関ハンセン病制圧特別大使
日本国政府ハンセン病人権啓発大使


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★バチカン法王庁からの返書
2013年6月27日 バチカンより


笹川様

教皇フランシスコ法王より、2013年6月13日付のハンセン病に関連した差別の重要な問題についていただいたお手紙に、お返事を書くよう言付かりました。

教皇は、貴方のご懸念を分かち合ってほしいというお気持ちに感謝されております。教皇は貴方にお目にかかることはできませんが、カトリック教会は全てのハンセン病患者・回復者へ全力で心を寄せており、彼らに対する差別をなくすために働き続ける所存です。

ご多幸をお祈り致します。
敬具

アンジェロ・ベッチウ
バチカン国務省総務局 長官代理


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★第2回目書簡
2013年10月10日


法王様

東京からご挨拶申し上げます。

何百万人ものハンセン病患者、回復者、その家族に対するカトリック関係者方々のあたたかいご支援に感謝を申し上げます。

バチカン保健従事者評議会からは、毎年、世界ハンセン病の日にハンセン病患者を支持するメッセージをお出しいただいております。また、WHO(世界保健機関)ハンセン病制圧大使として世界各地の病院療養所、コロニーを回っておりますと、患者や回復者、その家族を支援する活動をしておられるカトリック教会や信者の方々にお会いいたします。皆様のメッセージや活動は、ハンセン病患者・回復者にとって、大きな励ましになっており、あらためてこの機会に深く感謝申し上げます。

私は、本年6月13日に法王様の「出世主義はハンセン病だ」というご発言に対してお手紙を出させていただきましたところ、法王様の代理としてAngelo Becciu様から、法王様に私の手紙をご覧いただき、カトリック教会がハンセン病患者・回復者を心から大切に思っており、彼らに対する差別をなくすためにあらゆる努力を惜しまないという力強いご回答を頂戴いたしました。法王様をはじめ皆さま方が、ハンセン病患者、回復者、その家族に対するあたたかいお気持ちをお持ちであることを強く感じた次第です。

そうした中、法王様が10月1日に「ご機嫌取りは教皇制度のハンセン病」と仰せになられたことを伝えるイタリア紙のインタビューを目にいたしました。

法王様のご発言は、世界のメディアでも大きく扱われます。今回のご発言も、「法王がバチカンの『ハンセン病』を非難した」と大きく取り上げられておりました。

報道によれば、現在法王様は様々な改革に取り組まれておられるそうで、取り組むべき課題を述べられるにあたり、ハンセン病という言葉をお使いになられたのだと推察いたします。

ただ、ハンセン病の患者、回復者、その家族が置かれている状況を見ております私といたしましては、悪いものや、好ましくないものへの比喩表現としてハンセン病という言葉が使われることは大変残念な事だと思っております。このことは、病気とそれに苦しむ人々への古い固定概念を助長させるものであります。

ハンセン病は古代から、治らない病気、業病として恐れられ、患者はもちろんのこと、その家族までが苦しめられてまいりました。

現在、ハンセン病は薬で治る病気となりました。しかし、長年にわたって人々の心に染みついてきたハンセン病への認識は変わらず、今も患者や回復者、そして家族に対する差別が残っております。

そのような状況を改善し、ハンセン病回復者が尊厳のある人生を送れるようにするためには、差別をなくすためのあらゆる機会をとらえていかなければなりません。

国連では、2010年12月の総会でハンセン病差別撤廃の決議を採択され、決議に付帯する文書「原則とガイドライン」では、各国に今なお残っている差別法の撤廃や、ハンセン病に対する認識の変革の必要性が唱えられております。差別用語や侮辱的な使用を排除すべきであることも指摘されております。

ここに法王様がハンセン病を悪いものを示す形容辞としてお使いにならないよう、謹んでお願い申し上げます。

病気の回復者が社会復帰し尊厳のある人生を送れることは、我々が目指す共通のゴールであると信じております。

世界中の国の指導者、数多くの信者の方々に大きな影響力をお持ちの法王様におかれましては、私どもの取り組みにご理解をいただきますとともに、お力添えを賜りたく、心よりお願い申し上げる次第でございます。
敬具

笹川 陽平
日本財団会長
世界保健機関ハンセン病制圧特別大使
日本国政府ハンセン病人権啓発大使


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★バチカン法王庁からの返書
2014年3月10日 バチカンより


笹川様

2013年10月10日付の、貴方から頂戴した、インタビューにおいてフランシスコ法王が使われた「ハンセン病」の言葉に関するお手紙を拝受しました。ここ数か月法王宛のお手紙を大変多く受け取っておりましたので、お返事が遅れてしまい大変申し訳ございません。

法王は、再びお手紙をくださった貴方のお心遣いと、貴方のハンセン病回復者へのコミットメントに感謝されています。

ご多幸をお祈り致します。
敬具

アンジェロ・ベッチウ
バチカン国務省総務局 長官代理


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★第3回目書簡
2014年7月15日


法王様

法王様が「小児性愛はカトリック教会に伝染しているハンセン病だ」とおっしゃったという報道を知り、非常に驚き、落胆いたしました。私はこれまでに2度法王様にお手紙を差し上げ、2度とも、法王様がハンセン病を比喩として使われたことに関して心強いお返事をバチカンからいただきました。私はこの度また、法王様にお手紙を差し上げなくてはなりません。これまでに差し上げた手紙のコピーと、バチカンから頂いたお返事をご参考までに添付いたします。

ハンセン病は世界で最もスティグマを与える病気であり、病気で苦しむ人はいくつかの国々で深刻な偏見に苦しんでいます。カトリック教会の有力者が子供への性的虐待をハンセン病に例えることは、彼らが最も望まないことです。

どうか法王様におかれましては、そのお言葉が非常に影響力があることを御心に御留めめいただき、ハンセン病患者・回復者に痛みと苦しみを与える言及をお控えいただきまして、彼らが誤解された病気のスティグマをなくすために行っている努力を無下にしないよう、お願い申し上げます。
敬具

笹川 陽平
日本財団会長
世界保健機関ハンセン病制圧特別大使
日本国政府ハンセン病人権啓発大使


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なお、原文は英語ですが、日本語に翻訳して掲載しました。
3回目の書簡についての返書は、まだ届いておりません。
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雑誌「人民日報」日中関係には忍耐と情熱が必要 [2014年08月01日(Fri)]
日中関係には忍耐と情熱が必要
―笹川陽平 日本財団会長に聞く―


雑誌「人民日報」
2014年6月


政治的には緊張状態にある日・中関係ですが、「人民日報」の取材に、以下の通り持論を述べました。

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 中日の長い曲折の道のりには「大物」が多く出現した。ある者は戦前、「右翼のドン」と称され、晩年は著名な日中友好の活動家となった。ケ小平と会見した際、「百年来の中日関係の証人」と称された笹川良一氏である。氏が亡くなってからは、子息の陽平氏が父の事業を受け継ぎ、友好関係を継続し、全力で中国西部の開発、辺境地域の貧困扶助、環境保護、安全保障協力などを推進してきた。10数年前、記者は東京で笹川陽平氏と在日中国人記者との昼食会に参加したことがある。中国について語る時、氏は意気盛んであった。4月23日、再び首相官邸にほど近い日本財団本部を訪ね、笹川会長にインタビューを行った。静かに穏やかに中国を語る話しぶりには中国へのより深い理解が感じられた。中日関係も興奮から緩和の過程にあるのかもしれない。
(聞き手は本誌編集長 蒋豊)


≪中国に300万冊以上の図書を贈呈≫
―― 2009年から日本財団は大量の日本図書を中国語に翻訳して中国の大学に贈呈し、同時に様々な研究活動にも資金援助されているとうかがっていますが、その目的は何ですか。この事業はこれからも続けていかれますか。

【笹川】図書の翻訳・出版は未来を見据えての事業です。書籍は後世まで代々伝わるものです。その意味から中国への図書贈呈はODAにも勝るものです。中国と日本の関係は歴史的にも未来に向けても切り離せない二国間関係です。
 
 今、日中間には国と国、政治家と政治家の間にデリケートな問題が出てきています。しかし、これは日本と中国だけの問題ではありません。世界的にどこにでもある問題です。であるならば、国民同士は相互理解を促進するために努力を積み重ねていく必要があります。私もそうした理由で、中国の方々に日本の事をよく知っていただくために、翻訳・出版事業に努力しているのです。

 これまでに、中国の大学に300万冊を超す図書を贈呈してきました。ある大学は蔵書30万冊で「笹川図書館」を設立してくださいました。この事業は今後も継続していきます。日本語を学習している学生だけでなく、日本語は解らない、日本に来たことがないという学生にもこれらの図書を読んでもらいたいと思っています。人口に比べて、300万冊ではまだまだ少ないと思いますので、もっと広く読まれるにはどうしたら良いかが今後の課題です。

≪若者はもっと世界に眼を向けるべき≫
―― 笹川会長は1年の3分の1を海外で活動され、ベトナム、カンボジア、ノルウェー、マレーシア、エチオピア、デンマーク、ロシア、フィンランド、ペルー、ウクライナなどの国から栄典を受けておられます。ブログや講演でもしばしば「国際人」について触れられていますが、日本人の国際感覚についてどのように思いますか。

【笹川】日本人は人口の2割に近い2000万人が毎年海外旅行をしています。どの国に行っても、身の安全を守らなければいけないとか、泥棒に気を付けなければいけないとか、色々な問題があります。水の飲めない所や、食べ物に気をつけなければいけない所とか、ホテルでも鍵をかけないと安心できません。世界を回って、日本が一番安全で安心でき、いつでもどこでも食べ物や水を口にできるということに気付いたのです。

 しかし、それによって日本の若者は外に出たがらなくなったのです。これも問題です。グローバリゼーションの時代ですから、若者は外国をよく知ることが大事です。日本人は異文化交流が下手です。日常的に外国人との接触が少なく、国際感覚が欠如しています。

 世界の多くの国々は多民族で、宗教も異なっています。したがって、一国で異文化交流が日常的になされています。ミャンマーには130の民族がいます。毎日異文化交流を行っているわけです。異文化を理解するためにも若者は海外に行って勉強することが重要です。

 中国では、学問のできる人は外国に行って新しい知識を吸収したいと思っています。外国に行きたいと言う気持ちは日本人以上に強いと思います。

≪軍人が最も戦争を憎む≫
―― 笹川日中友好基金は中日間の民間最大の基金で、人材育成や人的交流に大きく貢献されています。特筆すべきは、中国の人民解放軍と日本の自衛隊の交流を支えて来られたことです。目下、日本のメディアは中日の政府間交流はストップしていると報じています。人民解放軍と自衛隊の交流はまだ続いていますか。

【笹川】人民解放軍と自衛隊の交流は、日中間に政治的な摩擦が生じても交流は続けていきましょうという前提で始まりました。小泉首相が靖国神社を参拝した年も人民解放軍は訪日団を派遣しましたし、中国の潜水艦が日本の領海に入った年も自衛隊は訪中するなど、お互いに相当な努力をしました。

 当時のこんなエピソードがあります。ある人民解放軍の士官が日本に来て話していたというのです。「日本に来る前は、自衛隊の学校では軍国主義の道をどう歩むかだけを学んでいて、街には軍服を着た兵隊がいっぱいいると思っていた。実際来てみたら街に軍人はいないばかりか、自衛隊の学校でも軍国主義は教えていなかった。まったく百聞は一見に如かずだ」と。この士官は帰国して娘に「実際の日本は違うぞ。日本に行って学んできなさい」と話したら、「お父さんはたった1週間日本に行っただけで親日家になったのですか? 私は行きません!」と言われたそうです。

 一方、日本の自衛隊員も中国に行ったことのない人たちばかりで、中国があんなに豊かになっていることを知りませんでした。

 一般的に、戦争が好きな人が軍隊に入っていると思われていますが、そうではありません。軍人が一番戦争が嫌いなのです。一旦戦争が起きれば、一番先に命を奪われるのは彼らだからです。
 
 人民解放軍と自衛隊の交流は、アメリカ、イギリス、フランスなどからも高い評価を受けています。島の問題で現在交流が延期されているのは残念なことです。

 このような時にこそ交流を続けなくてはいけないし、とても意義のある活動だと思います。軍が続けているのだから、党もやらなければいけない、民間もやらなければとなります。交流の再開を望んでいます。

≪「政冷経熱」が悪いとは限らない≫
―― 今年は日清戦争120周年です。現在、中日関係は1972年の国交正常化以来最悪の状態です。両国のメディアには、今年軍事摩擦が起きるのではないかとの論調がありますが、どのように考えていますか。

【笹川】そんなことは起こりえません。日中間で戦争など起こりえません。一旦戦争になれば両国がダメになります。一方が勝って一方が負けるということはありえません。21世紀に、平和を愛する庶民を傷つけることはあってはならないことです。

 国交正常化40周年の記念式典が取り消されたことは非常に残念でした。政治的な緊張とは分けてやるべきなのに、政治の動きで民間の交流まですべて止めてしまうというやり方には賛成できません。

 「政冷経熱で良くない」とよく言われます。経済だけうまくいって、政治関係が良くない状態は良くないと考えているようですが、私は「政冷経熱」が悪いとは限らないと思っています。政治が入らなくても民間の経済がきちんと動く状態というのは理想的です。政治家が不要な社会は素晴らしい社会なのです。

≪日本はミャンマーへの投資を独占する意思はない≫
―― 会長はミャンマー国民和解担当日本政府代表を務められるとともに、ミャンマー少数民族福祉向上大使でもあります。近年、日本も中国も積極的にミャンマーに投資しています。日本では中日間の競争になっているとの報道もありますが、どうお考えですか。

【笹川】ミャンマーへの投資は日本と中国だけでなく、韓国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなども行っており、中国だけがやるとか日本だけがやるという単純なものではありません。
今度日本がつくる工業団地も、中国を含めた各国に工場をつくることをお願いしているわけで、日本だけで独占しようという気持ちは全くありません。要はミャンマーの人たちの生活レベルが上がっていくことが大事なのです。 
 中国は長くミャンマーに投資しており、中国語が通じるところも人民元が通用するところもたくさんありますし、日本との競争を心配する必要はまったくないと思います。

≪政治家のスケジュールと財産の全面公開を提案≫
―― 会長はブログでご自身のお考え、毎日のスケジュールや財産まで公開されています。これほど透明化をはかっている企業家、文化人、政治家は日本にはいないと思います。どのようなお考えでなさっているのですか。

【笹川】こうした大きな財団の責任者ですから、「透明化」と「説明責任」は果たさなければならない責任だと思っています。

 汚職をしてはいけないとか賄賂をもらってはいけないとか口で言うよりも、実際の行動で示した方がわかるわけです。ですから、政治家や企業家の皆さんも、毎日どこで誰に会ったとかすべて書いていくべきです。そうすれば陰で悪い事はできなくなります。私はブログでの公開を7年やっていますが、有力者で私の真似をする人は残念ながら一人もいません。

≪日本と中国は夫婦のような関係≫
―― 会長自身もそうですが、お父様も中国の歴代の指導者と深い交流がありました。ケ小平氏との交流は有名です。現状では、日本は中国とどのように付き合っていけば良いと考えますか。

【笹川】胡錦濤先生の時代まで中国の指導者とは交流をしてきました。当時の中央政治局常務委員会のメンバーともほとんど全員お会いしています。近年は、仕事の重点を民間と若者との交流に移しています。

 私は南京大学で講演した時、日本と中国は数千年もの交流の歴史があり、その中で2、3度緊張するような状態がありましたと話しました。かつて元の国が日本を攻めてきたこともあるし、日本が中国人民を大きく傷つけたこともあります。のちに、中国が「歴史を鑑として未来に進もう」と強調するようになりましたが、真に歴史を「鑑とする」には、近現代だけを見てはいけません。

 世界史において隣国同士は常に、滅ぼすか滅ぼされるかの関係でした。隣同士で仲が良かったのは日本と中国だけです。日本は中国から言葉を教わり、仏教文化が入り、儒教の影響を受けて近代国家を築いてきました。中国も日本から多くの和製漢語を輸入しました。「近代国家」や「共産党」などです。改革開放経済においては、日本の行政システムや企業の在り方を勉強していただいて、さらに中国の経済発展のために日本の最新技術も提供し、多額のODAもつけてきました。

 ですから、緊張した時期があったからと言って、気にし過ぎるべきではありません。そればかり言っていても解決できませんし未来に進めません。夫婦の間には相思相愛の時もあれば、ケンカになる時もあります。日本と中国は夫婦のような関係ではないでしょうか。

 一番良くないのは、仲違いしている時に民族主義的な愛国運動に発展することです。どこの国もそうですが、民族主義が強くなると国が亡ぶのです。日本も中国もその点に注意しなければなりません。

 南京大学の学生に言いました。「今後、日本と中国にはトラブルが出てくるかもしれないが、その時は私の話を思い出して欲しい。日本と中国は夫婦のような関係でケンカもすれば仲直りもする。過剰に反応しないでください」と。

編集後記:取材を終えて、いつものように笹川会長に揮毫をお願いすると、氏は「忍耐」、「情熱」と二つの言葉を記した。そして「日中関係に最も必要なのは忍耐と情熱です」との言葉には真情がこもっていた。
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7月31日(木) [2014年07月31日(Thu)]
7月31日(木)

13:15 財団着

16:30 岡 浩 外務省国際情報総括官
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7月30日(水) [2014年07月30日(Wed)]
7月30日(水)

7:35 財団着

8:00 海野光行 日本財団常務理事

9:05 福島専門家会議打合せ

14:30 山本晋也監督

15:00 GEBCO奨学生

15:20 船越 眞 ボートレース振興会常務理事

15:30 武部恭枝 プライムコーポレション社長

16:20 CVに関する打合せ

17:30 齋木昭隆 外務省事務次官

19:00 ブロガーミーティング 挨拶
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「習近平の虎退治」―周永康 失脚― [2014年07月30日(Wed)]
「習近平の虎退治」
―周永康 失脚―


習近平は中国共産党総書記、国家主席、人民解放軍軍事委員会主席に就任。更にさまざまな組織の責任者にも就任し、毛択東を超える実権を掌中にしたという。

習近平が掲げる『中国の夢』の実現には、経済の高度成長の中で蔓延した様々な腐敗の撲滅運動を通じて綱紀粛正を徹底させることで、権力の基盤を盤石にする狙いもあるものと思われる。

そのために「腐敗した者はハエも虎(大物)も捕らえる」と公言してきた。しかし、汚職、不正、腐敗は中国の文化の一環ともいわれ、大言壮語で「ハエ」だけで終わるのではと、冷めた中国人民はあまり期待もしていなかったようだ。

しかし、最近の中国の動静を観察していると、習近平は『虎退治』に真剣に取り組んでいるように見える。

薄熙来の逮捕、江沢民派の重鎮・周永康前中央政治局常務委員の失脚。それに伴い周永康の側近である遼寧省瀋陽市の検察院検察庁の張東陽の党籍剥奪と公職解任の上、司法機関への送致。石油閥の重鎮である周永康との密接なつながりがある中国石油天然ガス集団トップの失脚。周永康の影響力が強かった中国国営テレビ(CCTV)への手入れは、総責任者郭振璽総監が拘束された。また、人気キャスターの芮成鋼も当局によって連行され、反腐敗運動はついにマスコミにも広がりつつある。

それだけではない。習近平の狙いは、最強の虎である江沢民の近辺にまで及びはじめた。江沢民派の重要幹部であった人民解放軍の制服組トップの前中央軍事委員会副主席の徐才厚が巨額の収賄で逮捕されている。香港筋によると、江沢民の右腕ともいわれた曽慶紅元国家主席の身柄も拘束されたらしいとの情報もある。さらに、江沢民の愛人といわれ、海軍政治部歌舞団の団長を務めたソプラノ歌手の宋祖英にまで調査が及んでいるという。

習近平は本当に中国の大虎『江沢民』を標的にしているのだろうか?
中国には『一山に二匹の虎は住めない』という諺がある。
はたして習近平による江沢民追放はあるのだろうか。
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