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日本財団会長 笹川陽平ブログ

写真:ハンセン病の現場から「アフリカ・ピグミー族」

leprosy.jp
resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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5月14日(木) [2015年05月14日(Thu)]
5月14日(木)

0:25 羽田発

5:00 バンコク着

7:55 バンコク発

8;50 ミャンマー・ヤンゴン着

7:55 バンコク発

8:50 ヤンゴン着

要人面談

21:45 ヤンゴン発、成田空港へ
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5月13日(水) [2015年05月13日(Wed)]
5月13日(水)

7:30 財団着

8:00 災害関係事業打合せ

8:30 「社会的投資」事業打合せ

9:30 理事会

10:30 バングラディシュ「キララの会」 Khawja Golam Murshed代表

IMG_1229.JPG
Khawja Golam Murshed代表より、感謝の盾をいただきました


11:10 WMUスピーチ打合せ

12:00 作家 高山文彦様

13:30 菅沼 新 駐スリランカ大使

15:00 福本修二 全日本剣道連盟会長

22:30 羽田空港着

0:25 羽田空港発、ミャンマー・ヤンゴンへ
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「ミャンマー出張」 [2015年05月13日(Wed)]
「ミャンマー出張」


今日の深夜便でミャンマーに出張いたします。

政府と少数民族武装勢力和解のための活動です。

ゼロ泊3日で15日朝、帰国予定です。

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「ゴルフと川柳」 [2015年05月13日(Wed)]
「ゴルフと川柳」


久しぶりに連休を日本で過ごすことが出来た。

富士山麗、海抜1200メートルにある我が山荘は30年の年代物である。その骨董品のような山荘でのくつろぎは格別のもの。特に光り輝く新緑の中でのゴルフは爽快で、足に感じる芝生も柔らかく心地よい。しかし、久しぶりに味わったゴルフのスコアはさっぱりで、情けないことこの上ない。

img_top_course.jpg
雪をいただく富士と足に感じる芝生の心地よさ
あとスコアさえよければ・・・


窓が額縁となり、まるで絵のように見える霊峰富士はことのほか美しく、夕日に映えて荘厳ですらある。常々私はこの富士を眺めながら臨終を迎えたいと願っているが、多分、外地で死ぬだろうとの予感がする。しかし、それも又良い人生だと覚悟はしている

とにもかくにも読書に疲れた目を富士に移すと、つかの間とはいえ、何とも言えない至福の感に浸ることができる。忙中閑ありで、幸福もある一瞬感じるものであろう。

話がつまらぬ方向に進んでしまった。
本題はゴルフ川柳であった。

以下に駄作のいくつかを並べてみた。

*頭では いつもシングル 腕ビギナー
      そうなんだよね。頭ではわかっているのにね。

*芝の目は 読めても読めぬ 妻の腹
      純情だった妻もね、今では・・・。

*ワンパット 数えてみれば 9になり
      こりゃひどいですね。

*若い娘(こ)に 負けじとアラフォー ヘソを出し
      はやりなんですかねぇ。

*天敵の カラスの声に ミスショット
      バカァーと聞こえるんだなぁ。

*人格者 ゴルフの時は 人変わり
      麻雀もそうですよ。

*可愛い娘(こ) ミスショットにも しな作り
      迷惑かけるから急いで!!

*ゴルフ場 自慢話は 孫のこと
      私はしませんが・・・。

*オーケーの 声もかからず ミスパット
      ペースメーカーを使っているんですが・・・。

*信条と 異なりゴルフ みぎひだり
      だいたい右の方向が多いようで。

*ニューボール ここ一発で 池ポチャリ
      あぁうらめしい!!

*意気込んで 出かけたゴルフ しょげ帰り
      プロじゃないんだから、又練習して・・・。

*チャック開け エチケット説く 老ゴルファー
      そんな人もいなくなりました。

ところで、私はまっすぐ飛ぶクラブと絶対入るパターを持っているのに、なぜ100以上もたたくのか、哲学的に考察してみた。
結論は、打ち方が悪いだけであった!!
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5月12日(火) [2015年05月12日(Tue)]
5月12日(火)

7:30 財団着

8:30 ロイター通信 インタビュー

9:55 喜多悦子 笹川記念保健協力財団理事長

10:20 スピーチ打合せ

15:00 社会文献出版・日中基金・交流10周年パンフ作成のためのインタビュー
    胡 亮 中国社会科学文献出版社社会部編集部担当

16:00 役付職員評価委員会

19:00 nippon.com編集委員会
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5月11日(月) [2015年05月11日(Mon)]
5月11日(月)

7:35 財団着

9:00 遠藤容弘 日本ゲートボール連合専務理事

10:00 佐藤鐡雄 日ロ貿易協会会長

11:00 アニュアルレポート インタビュー

14:00 岡本行雄 岡本アソシエイツ社長

16:00 世界海事大学 日本財団奨学生(18カ国、22名)来会

17:00 武藤 浩 国土交通審議官

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「東日本大震災と絆」―神社こそ絆の原点― [2015年05月11日(Mon)]
「東日本大震災と絆」
―神社こそ絆の原点―


東日本大震災から4年が経過した。現地はまだまだ復興途上である。

大震災発生直後のメディアのキ−ワードは『絆』であった。「日本人としての絆」「被災者との絆を大切に」等々、多くのボランティアが被災者との絆を求めて復興支援に参加し、活動した。再三ご報告しているように、日本財団も多種多様な支援活動に取り組んできた。

絆とはなんだろうか? 辞書によると「断つにしのびない恩愛、離れがたい情実」とある。

私は絆の原点は神社にあると考えている。なぜならば、氏子たちは、古代から氏神に守られ、五穀豊穣に感謝して神に感謝の祭りを捧げてきた。被災地でも獅子祭の獅子踊りや太鼓、笛などを、爺、婆が孫の世代に教え、伝統を代々引き継ぐ中で、祭りの役割分担を決め、一致協力することでコミュニティーの結束を固めてきた。

日本財団では、鎮守の森がある神社こそ被災地の絆の原点と考え、祭りに使用する道具を180団体に、鎮守の森を復活させるための植樹を20カ所で、被災地の人々やボランティアの協力で行ってきた。社(やしろ)は流失、破壊されたが、被災者の皆さんには植樹した木々の成長を見守りながら、心の故郷である鎮守の森に思いを馳せていただきたく思う。

流出・崩壊した社(やしろ)は145カ所に上る。最近は、全国的に宮司が不足し、一人で20カ所もの神社を管理する宮司さんもいると聞く。神社はその氏子の寄進で成り立っており、全国的に運営が困難になりつつある。特に被災地では、氏子が仮設住宅や県外に移住した神社も多く、運営が一層困難になりつつある。

そうした中で宮城県石巻市雄勝町の葉山神社は、千葉秀司宮司の努力で社殿が再建された。この神社は雄勝法師神楽(国指定重要無形民俗文化財)の奉納で知られ、雄勝、女川地区にある18の神社の中核的存在でもある。

日本財団は1億4137万5000円を拠出して協力し、3月28日、無事、上棟記念奉祝祭が行われ氏子ら約500人が集まった。亀山紘市長も、震災後、これほど多くの町民が一度に集まったのは初めてと驚き、神楽の奉納をはじめ屋台の出店もあって、にぎやかな祭りとなった。

散餅・散銭の儀.JPG
沢山の人が集まり散餅・散銭の儀が行われた


姉妹財団である日本音楽財団がロンドンで売却したヴァイオリン「ストラディヴァリウス・レディ・ブラント」の代金11億6800万円も、日本財団・枡方瑞恵の努力によって、全額、伝統文化の復興のために活用された。

被災地の復興は、ともすれば住宅建設や道路、港湾の整備事業などに集中しがちだが、被災者にとって本当の復興は、何よりも心のケア、心の復興であり、日本財団も引き続き被災地復興に貢献したいと考えている。
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5月9日(土) [2015年05月09日(Sat)]
5月9日(土)

9:15 ホテル発

9:30 ナレッジ・キャピタル・コングレコンベンションセンター着

9:45 齋藤 勉 産経新聞大阪本社代表

10:00 異才発掘プロジェクト全国セミナー開会 挨拶

説明会.JPG
はじめに説明会

説明会でのあいさつ.JPG
説明会で挨拶


10:10 講演「生きるとは、自分の能力を引き出すこと」(下村今日子 文部大臣夫人)

下村今日子氏.JPG
下村今日子氏


10:40 「なぜ異才発掘プロジェクトROCKETが必要か」(中邑賢龍 東京大学教授)

プロジェクトの説明をする中邑賢龍教授.JPG
プロジェクトの説明をする中邑賢龍教授


11:40 退出

12:20 新大阪発

14:53 東京着
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5月8日(金) [2015年05月08日(Fri)]
5月8日(金)

8:15 羽田発

9:30  広島着

広島空港 ⇒ 鞆の浦(とものうら 約60km 1時間20分)

@快晴の中の鞆の湾.JPG
快晴の鞆の湾



11:00 NPO法人鞆まちづくり工房・松居秀子代表案内により
    鞆の浦周辺、御舟宿いろは視察

A町の視察開始.JPG
町の視察開始

B鞆の浦の町並み.JPG
鞆の浦の町並み

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NPO法人鞆まちづくり工房 松居秀子代表と


11:40 鞆の浦ミュージアム

12:00 鞆の浦 ⇒ 福山(約30分)

12:59 福山発

13:40 相生着

相生 ⇒ たつの周辺(約20分)

Dたつの周辺.jpg
たつの周辺

E栗まんじゅうをほおばりながら。。.JPG
栗まんじゅうをほおばりながら


14:00 たつの市周辺(うすくち龍野醤油資料館)

たつの市 ⇒ 富田林(とんだばやし)(約2時間)

F富田林寺内町の町並み.JPG
富田林寺内町の町並み


17:10 寺内町交流館

18:40 沖津嘉昭 岩井コスモフォールディングス社長
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産経新聞【正論】比残留2世の「国籍取得」を急げ [2015年05月08日(Fri)]
比残留2世の「国籍取得」を急げ


産経新聞【正論】
2015年4月17日


 戦後70年、なお未解決の戦後処理問題がいくつかある。戦争の混乱で日本人の父と離れ離れになり、いまだに日本国籍を取得できていないフィリピン残留2世問題もその一つ。法律面や事実関係に争いの余地はなく、政府が決断すれば解決できる問題でもある。

 2世たちは既に老境にあり、国籍取得は「時間との戦い」になっている。これ以上、解決が遅れれば、国の責任の放棄になりかねず、政府の早期の決断を求めてやまない。

 ≪忘れ去られた悲劇の存在≫
 フィリピン残留2世は、戦前、この国に移住した日本人男性と現地の女性の間に生まれ、戦争の混乱の中で母とともに現地に取り残された。当時は日本、フィリピンとも国籍法で「父系血統主義」を採っており、2世は生まれた時点で「日本人」となる。

 しかし父親の多くは旧日本軍に軍人、軍属として徴用され、戦死あるいは米軍による強制収容を経て強制送還された。多くの2世の父親の身元が分からず、判明した場合も父親の戸籍に2世の名前はなく、親子関係を証明できないまま無国籍状態にある。

 「敵国人の子」としてゲリラの攻撃対象ともなり、逃避行の中で父親との関係を裏付ける出生証明書や両親の婚姻証明書を捨てたケースも多い。移民の多くを占めた沖縄出身者の場合は沖縄戦の中で戸籍が焼失する悲劇もあった。

 加えて残留2世の存在は戦後半世紀近くも“忘れられた存在”だった。外務省が初めて調査に乗り出したのは1995年。2世の国籍取得に取り組む「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)がまとめた最新の調査結果によると、確認された残留2世は3545人。うち約1600人は既に故人となっている。

 2664人の父親の身元が判明しているが、日本国籍を取得できたのは1058人。現在270人が新たに戸籍を作り日本国籍を取得する「就籍」の申し立てを東京家庭裁判所に起こしている。

 ≪対応に中国残留孤児と温度差≫
 就籍により既に日本国籍を取得できた残留2世は計153人。同様に現地に取り残された中国残留孤児約1300人が、同じ手続きで既に日本国籍を取得しているのに比べあまりに少ない。

 中国残留孤児の国籍取得が、1972年の日中国交回復後、30年以上も続けられているのに対し、残留2世の就籍申し立てが始まったのは2006年。この時間差もさることながら、国の対応にも温度差があった。

 中国残留孤児の場合は、日中両国政府が交わした口上書に基づき、中国政府が作成した孤児名簿を日本政府も認め訪日調査などを実施、家庭裁判所が就籍を認めやすい環境を整えた。

 中国残留孤児は両親がともに日本人で、満蒙開拓団など国策で現地に移住した。対する残留2世の父親は自己意思による移民で、母親も日本人ではない、と指摘する向きもあるが、当時の国籍法からも、ともに「日本人」であることに何ら違いはない。

 しかし残留2世は、国の積極的な取り組みもないまま長い空白時間を抱え、今となっては新たに父親との関係を裏付ける資料の発掘も難しい。

 最近、日系人会などの証言で父親が日本人と確認された2世は、フィリピン政府から認証証書の発行を受けられるようになった。一方で国籍を持たない残留2世の現地の生活は、形の上で「非正規滞在」に当たり、晴れて日本国籍を取得すると、長年、ビザの取得・更新などを怠ってきたとして、罰金の支払い問題が出てくる。

 現に日本国籍を取得し父親の墓参のため日本に一時帰国しようとした残留2世が、出国にあたり300万円を超す罰金の支払いを求められる事態も起きた。

 ≪国が先頭に立つ最後のチャンス≫
 貧しい生活を余儀なくされている残留2世に支払い能力はなく、問題の経過からも残留2世に責任はない。日本政府は認証証書の活用も含め早急にフィリピン政府と本格的な協議を行うべきだ。

 先ごろ「日本フィリピン友好議員連盟」(小坂憲次会長、80人)の中に残留2世問題に取り組む特別委員会が発足、超党派による議員立法で問題を解決する方向が確認された。同時に参加議員からは「今、解決しないと期限切れになりかねない」「ここまで放置したのは国の恥だ」という声も出た。

 まったく異存はない。新法を作らなくても、現在の「中国残留邦人支援法」の一部を改正し、残留2世をその対象に加えるなど、解決策はいくらでもあるはずだ。
 残留2世の平均年齢は76歳を超え、「日本人の証」を得るのに残された時間は少ない。日本財団はPNLSCとともに残留2世の国籍取得に取り組んできたが、民の力だけで問題を解決するのはおよそ不可能である。

 戦後70年の節目を迎えた今年は、国が先頭に立って問題を解決する最後のチャンス。国の名で行われた戦争の犠牲を国が回復してこそ、国の名誉は保たれる。
(ささかわ ようへい)

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