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「暴走老人顛末記」―弾丸出張の繰り返し― [2019年10月07日(Mon)]
「暴走老人顛末記」
―弾丸出張の繰り返し―


早や10月。拙宅の庭でも虫たちの囁きが聞こえるようになったが、10月初旬とはいえ、残暑の後の残暑に、虫たちも驚いていることだろう。

9月の海外出張は異常だった。秘書の星野さんの忠告を無視して組んだ無謀なスケジュールに罰が当ったのかも知れない。1ヵ月に4回、19日間のハードな海外活動は、最後の段階で落とし穴に入ってしまった。

9月8日〜11日は、フィリピンでの第20回国際ハンセン病学会や、日本財団と笹川保健財団共催で開催された初めてのハンセン病回復者の世界会議。そして、名門アテネオ・デ・マニラ大学からハンセン病制圧活動が評価されての名誉博士の授与式。

9月14日〜16日は、1泊3日でニューヨーク郊外のプリンストン大学で開催された日本財団ネレウス海洋会議に出席。

9月18日〜21日は、1泊4日でタイ、ミャンマーでの和平交渉。

翌日の9月22日〜29日迄は、中国の重慶、雲南、瀋陽でSylff(笹川良一ヤングリーダー奨学基金)25周年記念式典と笹川医学奨学生同学会(同窓会)。その後韓国に1泊して友人を見舞い、9月29日帰国。

以上のような日程の中、9月23日の重慶での夕食会で、不覚にも私と同行の樺沢氏が腹痛に襲われてしまった。私は海外では原則現地食で、過去、インドとモンゴルでの腹痛以外、アフリカ、中央アジア、南米等、至るところの活動で何の問題もなかった。

今回、私が同行者に不調を訴えたりしたら即刻強制帰国となり、重慶大学、雲南大学でのSylff 25周年記念式典、瀋陽での日・中笹川医学協力プロジェクトは主役のいない開催となってしまうわけで、熱もないので、内緒でこのまま頑張り通すことにした。

豪華な中国式夕食会では、腹痛の中、平然として次から次へと注がれる乾杯の杯に答えなければならない。50度の白酒は、飲んだ振りして口に含んで顔を拭くようにおしぼりの中に出し、回転テーブルに次から次へと運び込まれる大皿の料理を小皿に取って食べた格好だけで分からないようにウエイトレスに渡し、新しい皿に次の料理を取って華やぐ宴会の中で笑顔で対応するも我慢の限界で、トイレの往復が激しくなり、たまらず国際電話の用件ありと早々にホテルの部屋に戻る。それ以来、ほとんど水だけの生活になってしまった。

ここは気力で突破と覚悟したが、急遽、余命あやぶまれる知人を韓国ソウルに見舞うことになった。生憎、北京〜ソウル便が2時間遅れており、インチョン空港に到着は夕刻8時。1時間タクシーを飛ばして9時30分から知人を見舞い、ホテル到着は午後11時となりレストランは閉店。空腹と鈍痛が続く腹へ消毒と思ってビールを流し込み、夜中0時にベットに入る。早朝は5時起床、5時35分に空港に向う。悪い事は続き、霧で又々羽田行きは遅延である。ほうほうの体で自宅に到着したのは9月29日、日曜日の昼であった。

愚考するに、6日間の情況は、下痢で内視鏡検査を受ける時のように全て排出されているので、水分の補給のみでは腸内に固形物はなく、毎日ほぼ透明な排出物となったのは当然の結果であった。

幸い、月曜日は三田の笹川記念会館内にある日野原重明記念クリニックでの定期健診日で、私の主治医の久代登志男先生に助けを求め、事情説明の上処方薬を頂き、急速に回復に向った。しかし固形物の排出は、実に11日間を要したが、大事に至らず事なきを得た。

これが妻や息子たちが影で揶揄する「暴走老人」の失敗談であった。

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