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【私の毎日】7月22日(月) [2019年07月22日(Mon)]

7月22日(月)

7:10 財団着

10:30 社会貢献支援財団・表彰式・祝賀会 挨拶

14:30 秋元諭宏 笹川平和財団USA理事

15:00 青パト車両助成事業打合せ

16:00 寺島紘士 元笹川平和財団参与

16:30 丸山研一 日本舶用品検定協会会長

17:00 Ziran Education Foundation 畢成(Mr.Bi Cheng)氏
  
18:30 外務省との懇談会 於:日本財団ビル

「インパール平和資料館」―今年はインパール戦75周年― [2019年07月22日(Mon)]

「インパール平和資料館」
―今年はインパール戦75周年―


6月22日、インパール平和資料館開館式に出席して短いスピーチをさせて頂いた。

この資料館建設は、インパールでの連合軍と日本軍の激戦で両軍及び現地の方々も多数犠牲になり、是非、未来志向の平和資料館建設に日本財団の協力を得たいとの平松賢司駐インド大使の依頼もあり建設に協力したもので、助成金額は約5050万円であった。


6)インパール激戦地のレッドヒルの麓に完成した平和資料館.jpg
インパール激戦地のレッドヒルの麓に完成した平和資料館


沖縄戦と平和をテーマにした沖縄・南風原文化センターの元センター長・大城和喜氏も、再三、笹川平和財団の研究者と共に現地に入りし、資料館のあり方や展示方法などについて協力して下さった。銃や兵士の遺品を収集しているが、単なる戦争博物館でなく、当時のインパールの方々の生活文化を再現したコーナーもあり、開館式の出席者からも高い評価を頂いた。

10)完成した資料館の中にはご遺族から提供された品物も多く含まれる.JPG
資料館の中にはご遺族から提供された品物も多く含まれる


日本と英国の交流を深める目的で1985年、グレイトブリテン・ササカワ財団が設立された当時、英国の反日感情は強く、特にミャンマーで捕虜となったイギリスの兵士たちを中心にした英国の在郷軍人会は、収容所で虐待され木の根まで食べさせられたなどと殊の外、反日感情が強烈であった。

当時、グレイトブリテン・ササカワ財団の東京事務所長であった仙石節子女史は、イギリス在住の平久保正男氏の協力を得て、これら反日運動家の和解活動に尽力して下さり、確か6〜7年間にわたり毎年5〜6名が来日してビルマ戦生き残りの旧日本兵との交流を行った。

反日感情の主な原因は
@ 虐待した日本兵は何の処罰も受けていない。
A 収容所は極端な食糧不足で、木の根まで食べさせられた。
―という内容であった。

多くの日本兵が無実の罪、例えば「渡辺」という男に虐待されたとの証言だけで、たまたま名前が一緒だった別人が処罰されるといったケースも多くあったようだが、いずれにしても英国在郷軍人会のメンバーの多くは極東軍人裁判が行われ多くの日本兵が処罰を受けた事実さえ知らなかった。

来日したイギリス在郷軍人は、食糧難の中で日本兵もイギリスの捕虜も同じ状態だったことを理解し、両国兵士の和解を記念する事業を行うことになった。検討の結果、イギリス・日本両国で出版されたビルマ戦線に関する書籍を収集、ロンドン大学、アフリカ・アジア研究所に寄贈し事業は成功裡に終了した。先般イギリスを訪れた折、立派に整理されたこの図書室を確認することができた。

ちなみに日露戦争では約7万人のロシア兵が捕虜となり、うち約6000人が収容された愛媛県の「松山俘虜収容所」では、村人が自身も栄養失調だったにもかかわらず、金網の外からロシアの捕虜に食べ物を差し入れるなど心のこもった接遇をし、帰国したロシア兵から「日本女性を妻にしたい」といった数十通の手紙がお茶の水のロシア聖教会のニコライ牧師に届いた。日本財団では以前、ニコライの日記をロシアで出版しており、こんなエピソードを知る機会もあった。

戦争は全て悲惨である。とりわけインパール作戦は戦略もなく、大東亜戦争の中でももっとも悲惨な戦いであった。英国在郷軍人会との交流やロシアの捕虜をめぐる思いなど様々な経験もあって、未来志向の平和を希求する記念館建設に協力させてもらうことになった。以下は開館式の私のショートスピーチです。

8)安倍総理の「平和」墨書の前で平和記念館開館式のスピーチ.JPG
平和記念館開館式でスピーチ
背景の書は安倍総理が揮毫されたもの


****************


戦没者の尊い犠牲の上にかけがえのない今の平和があることを心に留め、私たちの平和な社会を守成していく義務があります。これが、私がインパール平和資料館建設を支援した時に込めた衷心からの想いです。本日お集まりの皆さまと本資料館の開所をお祝いできるのは大きな喜びです。そして先月インパール戦争戦没者共同墓地を訪れた際、先の戦いで亡くなった御霊の前で、この決然たる想いをお伝えしました。

私自身も、紅蓮の炎に包まれた東京大空襲を奇跡的に生き延びた者としての戦争経験があります。その時以来、私は戦争の記憶をしっかりと心に留め、誰もが平和で安心して暮らせる世の中を実現したいと切に願ってまいりました。

時を同じくして、インパールの戦いにおいては、ここマニプール州のカングラトンビ、コヒマ、そしてレッドヒルで凄惨な戦闘が繰り広げられました。

突然、戦禍に巻き込まれ亡くなった罪のない市井の人々。
愛しい人達を祖国に残し戦陣に散った人々。
飢えや病気に苦しみ命を落とした多くの人々。
そのひとりひとりに家族があり、人生があり、未来がありました。
この事実に思いを馳せる時、胸が締めつけられます。

インパール平和資料館は、この悲しい戦争の記憶を深く心に留めると同時に、平和な世の中を次世代に繋いでいくための懸け橋となるでしょう。資料館には、インパールでの戦いを生き延びた方々から寄贈いただいた手記や写真など当時をうかがい知る貴重な資料などが展示されています。

そして、この額に納められた「平和」の書は、未来の平和に対する揺るぎない希望です。これは、積極的平和主義を強く掲げられている安倍晋三・日本国内閣総理大臣が揮毫下さいました。

幾万の方の想いが込められたこのインパール平和資料館が、過去と未来を繋ぎ永久(とこしえ)の平和へと続いていく懸け橋であり続けることを心から期待しております。

ありがとうございました。



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