「文春砲炸裂」
―不倫の場合―
文春砲は必殺である。
不倫関係は理性を失いつつも人目をはばかる術には頭を使い、ひたすら交際に没頭、夢の中となる。しかし『隠し事』はいずれ、必ず、露見発覚するものである。
不倫は劇薬でもある。
秘め事露見、一瞬にして社会的地位も夫婦関係も奈落の底に落とす魔力がある。用心、用心である。特に別れ際が難しいと言われる。精神的にも金銭的にも十二分に配慮しないと、宇野元首相のように、わずかな慰謝料をケチったために首相の職を辞した例もある。やはり元首相で、相手の女性から「私は元首相と寝ました」と公表された方もいる。
古い政治家の三木武吉氏やかつて民社党の春日一幸氏のように、6〜7人も愛人を囲っていた方もいる。三木武吉氏は、国会で愛人の人数を、確か6人と指摘され、「それは誤りです。正確には7人です」と答え、委員会は爆笑に包まれ終了したという艶福家もいるが、これは例外であろうし、今の世に通る話ではない。
かつて、今のフライデーのライバル誌として雑誌界で二分していた写真週刊誌「フォーカス」は、有名人二世の女性関係を精力的に取材し、多くの人が餌食になった。
実は私もその名誉ある?取材対象者に選ばれ日夜マークされたが、悲しいことに、女性関係の影すらでてこなかかった。後日当のマーカーに聞いたところによると、一線を越えた女性が存在する場合、経験的に言って、どんなに用心深い人でも3ヵ月間追跡すると必ずキャッチすることができると話してくれた。
とはいえ時代の流れか、不倫事件もスケールが小さくなった。現代の男女関係は即物的になってしまったのだろうか。
かつての柳原白蓮(歌人 柳原前光伯爵の娘)と7歳年下の宮崎龍介(孫文を支援した宮崎滔天の長男)との大恋愛は、天下を揺るがす大事件であった。
大正時代、ベストセラーとなった厨川白村の「近代の恋愛感」は、Love is bestと「恋のみが至上である」と「恋愛至上主義」「恋愛の自由主義」この本は柳原伯蓮に影響を与えたとも言われている。
岩波書店の広辞苑には不倫は「人倫に外れること。人道にそむくこと」とある。当人は地位も名誉も家族も失う覚悟があっても、やはり許せないことなのである。恋愛自由の今日もやはり「不倫」は禁断の果実である。
通常、問題を起こすと脇があまいと言われるが、股もあまい?
各々銘すべしである。